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阿含宗という宗教153

1 :口下手番長153:2009/01/05(月) 13:37:57 ID:8tHlL6eX
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
初めての方のためのダイジェスト版は
http://ime.nu/religion.bbs.thebbs.jp/1130673101/ の[463]-[864]
http://ime.nu/religion.bbs.thebbs.jp/1137513788/ の[7]-[79]
過去の関連スレッドは下記にあります。
http://ime.nu/etcsouko.hp.infoseek.co.jp/
http://ime.nu/i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fetcsouko.hp.infoseek.co.jp%2F
ダウンロードして保存することをお勧めします。
「羯諦」がスレ荒らしをしていますが、無視しましょう。



2 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:09:29 ID:OoZ5Kntf
2ゲット!

必死ですね、七氏さん。
私は577さんに必要最小限と約束したから簡潔に書きます。

596 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:38:50 ID:dVNUG26M
>それどころか、ペテン大作さんの大半の書き込みにレスをつけていないことに気が付いてください。

反論できるところだけにレスを付けているという意味です。

>そこで577さんに提案ですが、ペテン大作さんの書き込みを読み飛ばし、

それは577さんが決めることであってあなたが言うことではありません。

3 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:11:55 ID:OoZ5Kntf
>597 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:42:10 ID:dVNUG26M
>滅尽定が解脱だなんて説は学者でも唱えていないし、もちろん、桐山さんは説いていない。


『次に"この世の意識もあの世の意識も持たない"ことになると、
最終最高の段階である消除〔滅尽〕の段階にのぼる。
経典(『増支部経典』五・七と三五四ページ他)によれば、
この段階はすでに"寂静なるもの、尊貴なるもの〔殊妙〕"であり、
一切行の静止〔寂止〕"であり、あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である。』
(『仏教(下)』 63頁)

4 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:23:23 ID:OoZ5Kntf
>598 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:45:23 ID:dVNUG26M
 >594 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 17:16:25 ID:+SPXHBBV
 >新年早々、批判側の嘘はバレまくりです。

>これはペテン大作さんが>>593で引用した中村博士の護摩の解説のことを
>言っているのですね?

他でもない七氏さんの発言です。
「心が統一され・・・」は解脱である、とか
滅尽は解脱ではない、とか
「三明→解脱」ではない、とか
中村博士は「解脱→三明」の根拠を三件示した、とか

挙げたらきりがありません。

5 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:34:01 ID:pJtAFHSR
スレ152の602の修正

正 ここでもあなたは入滅した後のこと、つまり無余依涅槃をニルバーナと表現し、
誤 ここでもあなたは入滅した後のこと、つまり有余依涅槃をニルバーナと表現し、

6 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:34:10 ID:OoZ5Kntf
>599 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:48:36 ID:dVNUG26M
>入滅する前の釈尊がなんで般解脱なのですか。

以下のベックの文章では、
入滅とは般解脱の意味で使っています。
入滅する前は「解脱」です。


390 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 15:26:54 ID:fTd8HvPO

『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
(『仏教(下)81,82頁)

ここでいう「入滅」というのは
「完全なる滅」(般涅槃)に入るという意味です。
仏陀は四つの意識階梯(処)をすべて経験し滅尽定まで行った。
つまり阿羅漢の悟りを得た。
しかし「完全なる滅」には入らずに初禅にまで戻り
第四禅から偉大な彼岸(般涅槃)=死 に入ったということです。

7 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:47:28 ID:OoZ5Kntf
>599 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:48:36 ID:dVNUG26M
>「表現がよくなかった」ではなく、真っ赤な嘘です。
>では、「表現がよくなかった」のではなく、百も承知であったことを示してあげましょう。

それはあなたの買い被りです。
単に言葉の使い方を間違えたのです。
あなたがどう受け取ろうが構わないが
ベックは>>3にあるとおりのことを本に書いているのです。
あなたはその本に対して批判すればいいのです。
翻訳者に「ここが矛盾してますよ」と手紙でも書いたらどうですか?
私のミスを取り上げて、話をそらそうとしているのはわかりますが
いくら頑張ってもあなたの嘘が消えるわけではありません。

8 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:02:05 ID:OoZ5Kntf
>603 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 19:21:26 ID:dVNUG26M
>三明で解脱するとあり、どこにも滅尽定など出てこない。
>こういうあなたの解説と、今回の滅尽定が解脱であるというあなたの説とは一致しない。
>さあ、どうぞ、さらなる屁理屈を並べて、正月からアゴン宗信者の醜態をさらしてください。

私の説ではありません。
仏教学者でもない私が何を読者に説くのですか?
私は本に書かれたことを紹介しているだけです。
沙門果経を読めば「三明で解脱する」ことになり
>>3を読むと滅尽定に入るのが解脱だとわかる。
学者が書いているのだから両方とも真実です。
私は一切、手を加えていません。
そしてこれらの説を見ればあなたが嘘つきであることがわかる。
アゴン宗信者は誰も醜態など晒していません。
醜態を晒したのはあなたです。

9 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:09:29 ID:OoZ5Kntf
変態プライズ号の副官であるユビキタスから
沙門果経八一・八二節の比丘は解脱しているという意見が出ました。
まだ本人から答えが来ていませんが、
何なら船長であるあなたが代わりに答えてはどうですか?
これの何処を見れば比丘が解脱だとわかるんですか?
あなたの屁理屈ではなく具体的に文章なり単語を示してください。
さあ、どうぞ。


(八一)さらに大王よ、すすんで比丘は、(その第三の禅定の)安楽をも断ち、
苦をも断つことにより、またすでに先に(初禅や三禅において)喜悦や憂悩は消滅していることから、
第四禅の禅定にはいり、そのなかにとどまります。
そこには苦もなく、楽もなく、最も清浄な(苦楽からの)超越(捨)があり、
最も清浄な思慮深さ(念)があります。
比丘は、この身体に清浄で純潔な心を遍満させてすわり、その身体のいたるところ、
清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。

(八二)たとえば、大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば、
彼の身体はいたるところ、白い衣服がおおっていないところはないでしょう。
 それと同じく、大王よ、比丘は、この身体を清浄で純潔な心を遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が満ち満ちていないところはありません。
 これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれtれより霊妙な、
目に見えぬ沙門の果報であります。

10 :ラシン:2009/01/05(月) 16:30:52 ID:CTwqSGab
私のQさんへの質問である菩提樹下の有余涅槃は、経典にも存し学者も認める
紛れも無い解脱ですし、解脱したり、出たりというQさん流解釈はありません。
後出しで般涅槃だとの区別を言い訳をしていますが、
三枝充悳著阿含経を読む下941頁による
「ただし文献学的には、現存の初期経典はニルヴァーナとパリニリヴァーナとを混用しており、
 両者はとくに区別されておりません。」
を参考にしてください。
また、Qさんは滅尽定に拘っていますが、それはあくまでも禅定であり、
これこそ出たり入ったりは可能で、いまだ修養の一環であることは求道中の二師の
第七、八の無色界定が、不十分であったことで一目瞭然でしょう。
三枝氏は自著で初禅〜第四禅を解説し、さらに下記のように述べています。
ー引用934〜938頁抜粋ー
以上のように、色界における初禅〜第四禅が立てられますと、第四禅は最高の禅ということが
できます。姿・形あるもの例えば人間が人間であるところでは、もちろん第四禅が最高であり、
たとえば菩提樹下の釈尊の成道を第四禅の成就とする説もありまして、それは阿含経の各所に
見られます。(詳細はたとえば宇井伯寿『印度哲学研究』第三、396、408〜411頁参照)。
したがって、釈尊の入滅に際しましても、先に記したとおり、一個の人間として肉体という
姿・形あるものから般涅槃に入って行くのですから、それはこの第四禅からということに
なりまして、このことが右のテクストに明示されています。−中略−


11 :ラシン:2009/01/05(月) 16:33:05 ID:CTwqSGab
ー引用934〜938頁抜粋ー三枝充悳著阿含経を読む下

こうして四無色定に滅尽定を加えたものが五定であり、のちには四禅を合わせて
九次第定という述語も成立しまして、九種の禅定を一つずつ深めてゆく考えました。
みかたによりましては、三界はたとえ無色界であろうとも、なおいわば輪廻の世界の範囲内
であり、一方では釈尊はその輪廻の世界を離脱し超越しましてニルヴァーナにひたった
というのですから、右のような煩瑣な九種の禅定などを一々にならべることはあまり意味が
ないのではないかとも考えられます。しかし経典編集の段階において、このような分析的な
教義の説明(これを法数と称します)がすでに整備されていましたから、これまでもそれらの
法数関係の諸述語に出会いましたように、ここでも右の九種が並べられたのであろうと
推察されます。−中略−
このことは、右にも一言触れましたが、四無色定の無色界は、姿・形のまったくない世界であり、
しかしながら、釈尊はそのいわゆる遺体のままそこにありまして、姿・形が現に存在している
のである以上は色界に属していまして、したがって、四無色定ないし滅尽定からではなくて、
第四禅から般涅槃に入ると言うことに通じています。
これは別の表現によりますと、この節の最初に私の考えとして記しましたように、
釈尊は一種の神秘的な存在として入滅したのではなく、まさしく一個の人間として入滅を
迎えたとも言うことが出来るでしょう。

12 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:10:20 ID:nLxafZgw
>>1乙です。


このスレを読む方は、以下のことを前知識としてご確認下さい。
桐山とその一門の姿です。

自己愛性人格障害者
ttp://ime.nu/homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html
阿含宗会員に一般的に多いタイプです。
反社会性人格障害
ttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/p.htm
いわゆる以前サイコパスと呼ばれたものです。桐山がこれに当てはまります。
自己愛性人格障害との違いはより享楽的な点です。阿含宗会員の多くが他人を貶し
冷たく利用するが、自分の楽しみを削って宗教家畜になってるのに対して桐山は
だらしなく享楽的であるからです。

13 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:10:46 ID:nLxafZgw
桐山が歳相応の知恵すらないアホである件。

阿含宗という宗教118
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175187272/391
391 名前:ユビキタス ◆1tAcIUMQ8o 投稿日:2007/04/14(土) 22:59:30 /v0Xny8Z
つまり蕎麦代に5千円も包んだり側近幹部の見送りに対してすら3万円も包むのは
桐山さんの金銭感覚の無さでもあるわけなんですが、極めて幼稚な見栄っ張りの
現れなわけです。
いつでもどこでも誰に対しても、俺はすごいんだぞ(何がすごいんだろう?)
と示したい。
そういう意味では彼には腹を割って話せる友人がいないことになり、極めて寂しい
人間関係です。
脳梗塞で入院中のリハビリ生活を暴露するのもその一つです。
医者はこの老人を励まします。
「管長さん、偉いですね、すごいですね、さすが修行されてきた方ですね」
「うむ、若い頃は滝に打たれたりしたものでね」
(↑事実滝に打たれた「ことはある」)
さてこうした病院内のお世辞、励ましのやりとりですら周囲に吹聴したくて
たまらない。
だから自分の因縁教学、因縁解脱教学からはヤバイはずの脳梗塞の闘病生活も
公表することなく黙していればよかったものを、彼の子供じみた自慢したい
欲望はそれをあっさりと破ってしまったわけです。

14 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:11:31 ID:nLxafZgw
桐山は利用できない人間を冷たく切り捨てた件。

阿含宗という宗教119
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177907062/123
123 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/05/02(水) 13:00:57 6D1O/M4c
>>110 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 00:12:32 ID:dKZszJep

十数年前に先達がバタバタと癌で亡くなった。
教団の信者の最大派閥を率いていたM田先達、
関東別院の内陣は彼女のものと言われるほどの寄付をした先達、
地方道場のチーフをしていた中年の先達、
光和食品の職員をしていた若い女性。
要するに、教団の模範的な信者が次々と癌で亡くなった。
桐山さんはこれを聞いて、自分の言うことを聞かないからと言ったそうです。
癌で亡くなった桐山夫人についても「自分の言うことを聞かないから」と書いている。
日本一の無責任男は実在したのです。

15 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:21:49 ID:nLxafZgw
桐山は利用できない人間を冷たく切り捨てた件。(続き)

阿含宗という宗教119
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177907062/124
124 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/05/02(水) 13:04:17 6D1O/M4c
>>110 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 00:12:32 ID:dKZszJep

M田先達は教団の中で最大の信者派閥を率いるチーフで、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
桐山さんは重用していた。
桐山夫人などを除けば、M田先達は在家として最高の徳を積んでいたから、
60歳そこそこで癌で死ぬなど、教義からいったらありえない。
教義の矛盾の実例を突きつけられた桐山さんがどんな反応を示したか、
彼の性格を示すすごい光景を紹介します。
M田先達が癌の末期でヨレヨレ状態になり出てきた時、
桐山さんは見向きもしなかったのです。
M田先達は最後に桐山さんと一目会うために出てきた。
亡くなる半年ほど前ですから、かなりひどい状態だった。
前なら、桐山さんは、成績をあげているM田先達に積極的に声をかけていたのに、
この時は他の一般信者と接するのと同様で、声すらかけなかった。
亡くなった後、ご立派な戒名をつけておしまいで、
例祭という信者の集まりの時ですら、彼女の事は出さなかった。
癌の因縁が切れるかどうかよりも、仏の慈悲を持つという桐山さんが
現実には、冷酷でエゴイスト丸出しであることをあなたの両親にぜひ見てほしい。

16 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:22:18 ID:nLxafZgw
桐山の人間性を思い知った件。

阿含宗という宗教112
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/agon01/agon112.html
の、22〜37を参照。


熱心に修行したにも拘らずガンになり自分が苦しみ、周囲にも迷惑をかけ、
立場を失い、桐山ゲイカに助けを求めた信者に対して
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)
で弱り切った質問者を責め続けたのには正直コイツは鬼だと思ったね。
普通の人なら同情の気持ちを持つべき時なのに桐山ゲイカは
信者への同情など微塵もなく、自分の不快感も露わに、
八つ当たりのように、最初から最後まで質問者を責め続け
終いにはガンで苦しみ、妻からも批判されて、泣いている信者に
「阿含宗をやめろ」と指導したのです。
さらには、サプリメントを摂っていない、例祭に来ていないと二つも因縁をつけて、
奥さんには「夫の運気を剋する因縁」をオマケにつけてあげて、
二人まとめて山門から放り出した。
本当に情けない話で、これを聴いたとき心底腹が立つと同時に
コイツは絶対聖者ではなく正真正銘の詐欺師だと悟ったね。

17 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:22:51 ID:nLxafZgw
いわゆる解脱供養の洗い出しの正体。

解脱供養をすると必ずと言っていいほど不具合が起こる。殊に冥徳供養は人間関係が
険悪になるとだいたいみんな口を揃えて言う。割とみんなが体験する不思議現象だ。
いわば「負の験」だが、みんなは桐山が霊力がある一つの証拠と勘違いしてる。

これは要するに霊障の言いがかりを付けられた祖霊が怒ってるんだよ。
霊障が桐山の作り話で経典にも根拠がないのは121スレで明らか。また123スレの
晴雄さんの情報で「霊視」なるものも、かなりいい加減なことが判明した。

と、言うわけで、霊視とやらで降りてきた霊位は不成仏霊・霊障のホトケとか言われて
言いがかりやいちゃもんを付けられ、現実の不幸の原因と濡れ衣を着せられてるわけだ。
先祖供養どころかあべこべに先祖侮辱してるのだ。だからアレは十万もはたいて
「解脱供養」という名前の「先祖侮辱」して、祖霊を怒らせて、祟られたり蔭から支えて
頂いていたことを手抜きされてるようなもんだ。それを却って桐山の霊力だと勘違いする
のもいい加減にしなさい。

だいたい桐山は質疑応答などでこの「解脱供養の洗い出し」のことがたまに出ると、
わめくように否定する。「解脱供養に洗い出しなど無い!」と。現役会員でもこれだけは
承服できないと言う人は昔から結構居たから今でもいるのでは?
ありもしない霊力の証拠に利用しやすいのに否定するのは、洗い出しが怖くて二の足を
踏まれて申し込みが減るからだろうね。

初回申し込みの人や一般人には、普通に龍神辺りの加持祈祷を施して(桐山は一部の
行者の世界では龍神行者で通ってる)験があればさも成仏力であるかのように見せかけ
られること受け合い。

なお、この件の書き込みは客観的な検証に耐えうるモノでないことを認めます。
経験者体験者以外はノーレスでお願いします。

18 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:34:40 ID:nLxafZgw
退会マニュアル

・法具類は郵送や宅配で関東別院もしくは関西総本部に送りつける。最寄りの道場でも可。
・退会の旨を記した文章を添える。丁寧にするなら郵便局で内容証明を。書式はいずれも
以下の文面で充分。「阿含宗管長桐山靖雄宛 阿含宗を退会します。 以上。」
・顔を出す必要はない。その他何を言われても一切従う必要はない。(憲法第20条2項・後述)
・解脱供養、護摩木の代金などの未払いを、たとえ一筆書かされてても、精算する必要は無い。(民法第90条・後述)
・阿含宗や光和食品などから来る郵便物がうざければ、赤ペンで「受取拒否」と書いてポストに投函。

19 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:35:19 ID:nLxafZgw
退会マニュアル解説

宝塔は貸与の建前になってるらしいので、一応送りつけて返却すること。「どういう反応するか
話のネタに見てやろう」という好事家でもない方でストレス無く退会したい人は送りつけで。
その時に退会の旨を記した文書を添えれば常識的には伝わるはずだが、今後法的措置を
とりやがるかも知れないので(ただし、多少もめることになるだけで無効。嫌がらせに過ぎない。
→憲法第20条2項・後述)内容証明を送りつけて退会の意思表示を第三者に判るようにすると丁寧。
内容証明は郵便局にいけば詳しく作成方法を教えてくれる。内容証明は同じ文面の書類を三通書き、
一通は相手、一通は自分の控え一通は郵便局で保管してくれるのだが、受け付けるとき郵便局職員が
文面をチェックするので出来る限り文章は短い方が親切。犯罪者の桐山とそれに荷担してる宗務局に
遠慮する必要も無し。

また、「道場に直接持参でないと受け付けない」「規則になってる」「入行した時点で宗規に従う
ことに同意したことになってるので従う必要がある」などとか言われても一切従う必要はない
→憲法第20条2項・後述
また、内容証明を送りつけないで法具類に退会の旨を記した文書を同梱した場合、嫌がらせ半分で
退会の意思表示と認めないと文句言ってきても取りあう必要なし。その他なんでもあなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。
また、あべこべに阿含宗が内容証明を送りつけて出頭や支払いを言ってくるかも知れませんが、
それでも従わない権利が憲法で保障されてます。

ちなみに内容証明は、相手にある意志を伝えたことを、伝えた内容と事実を公的に証明するものですが、
それだけのモノであって別に何か指示された内容に効力・拘束力があるわけではありません。所定の手続きと
料金さえ払えばどんなムチャクチャな事でも書けるのです。こけおどしに乗らないようにしましょう。

20 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:36:04 ID:nLxafZgw
退会マニュアル解説続き

解脱供養や護摩木の代金など分納誓約書などを一筆書かされていても一切払う必要も無し。→民法第90条・後述
既に払ったお金を取り戻したい場合は個別に弁護士に相談してください。あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要はありません。

また、阿含宗が何をするのか見て笑ってやろう、このスレに情報を提供してやろうと言うのでもない
限り阿含宗や光和から送られてくる郵便物がうざいと思ったなら、赤ペンで「受取拒否」と書いて
ポストに投函すると返却されます。

また、ストレス無く退会することを主眼にして書きましたが、宝塔を勝手に処分したあと、所有権は
阿含宗にあると言って法的措置を執ってきても、宝塔貸与の約束も民法90条(後述)に基づいて
無効化出来ます。
阿含宗が喧嘩売ってきたら買ってやろうという根性ある方は宝塔など燃えないゴミに出しましょう。

21 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:46:27 ID:nLxafZgw
ttp://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s3
日本国憲法
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

つまりどういう風に運用されるかというと、阿含宗が何を言ってきても従う義務は無いということです。
「退会するときは道場に来い」「話を聞いた上でないと受け付けない」など、強制できないことが
謳われております。
また、「入会した時点で宗規に従うものとする」「宗規に従え」あるいは宗規に従うことを誓約
させられた文書を取られていて、それがどんなに法的に調ったものであっても、一番上位の
最高法規である憲法に強制できないとある以上、一切従う義務はありません。
もちろんあべこべに阿含宗側が内容証明を送りつけて、出頭や支払いを言って来ても従う必要は
ありません。

また、「宗教上の行為でなく、単なる事務手続きの問題だ」と、言ってくるかもしれませんが、
阿含宗は「宗教法人」なのですべての事業・行為が宗教行為です。

あなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と、思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。

22 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:47:03 ID:nLxafZgw
ttp://www.houko.com/00/01/M29/089.HTM#s1.5
民法
(公序良俗)
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

これはどう運用されるかというと、阿含宗桐山のウソで固めた一切合切が公序良俗に
反するので、その上で締結した解脱供養料や護摩木代金の未払い金の誓約や分納誓約を
履行する必要がないと言うことです。一番近いことで言えば天皇と無関係な褒章を衒いて
天皇の権威を利用したことですか。 阿含宗は一から十まで詐欺みたいなもので、そんなことに
カネを払う義務はなく、たとえ 法的に調った文書を一筆書かされていても、90条に基づいて
無効と言うことです。

あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と、思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要は無し。

この条文の適用でよく引き合いに出されるのは、ギャンブルの負け金借用書は無効で
履行義務がないと言うことです。ギャンブルは公序良俗に反するどころか法律で禁止まで
されてるから、いかに法的にも様式も調った文書を取られていても無効なのです。

だから、一筆書かされていても護摩木等の未払い金を払う義務は一切ありません。
人としての道?詐欺にカネ払うのですか?また、そうして貢いだカネが新たな詐欺行為に
使われるのですよ?犯罪に荷担するのですか?

また、民法90条は阿含宗が未払い金に対して告訴などの法的措置を執ってきた場合に
出番が来るのであって、多くは憲法20条2項に基づいて一切を拒否して終了です。

23 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:47:34 ID:nLxafZgw
民法90条における「公序良俗に反する」例。

http://www.agon.org/news/news-2005-2006/detail/2006_08_26.html
>阿含宗本山に『紺綬褒章』授与

>06.08.26

>阿含宗本山に『紺綬褒章』授与
>阿含宗本山はこのたび、天皇陛下より『紺綬褒章』を賜りました。
>               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>この栄誉ある褒賞は、長年に亘る阿含宗のさまざまな社会活動が、
>              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>正式に認められたことを示すものです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

紺綬褒状は内閣総理大臣の名前で出される物であり、紺綬褒章は確かに天皇からいただく建前ですが決めるのは内閣府褒章局が上申して閣議決定されるものです。
また黙っててもらえるものでなく褒章局に申請してもらうものです。その基準も公益法人などに一定額以上の寄付をしたかどうかです。

http://www.agon.org/news/news_detail.html?topics=91
>8月15日発売の産経新聞に、「桐山雄管長猊下と柳田邦男氏の対談」並びに「シベリア大柴燈護摩供レポート」
>記事が掲載されました。
 ~~~~

ただの新聞広告を「記事」と詐称。

これらまるっきりウソであり、こんなウソを堂々とホームページに載せてる信じられない詐欺行為です。
(参考)詐欺の定義
ttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%BE%B5%BD&kind=&kwassist=&jn.x=35&jn.y=9&jn=%B9%F1%B8%EC&mode=0
(1)巧みにいつわって金品をだまし取ったり、相手に損害を与えたりすること。あざむくこと。ペテン。 「―にひっかかる」「―を働く」「―師」
(2)〔法〕 他人をあざむいて錯誤に陥らせる行為。民法上、詐欺による意思表示は取り消すことができ、また、詐欺による損害は詐欺者の不法行為として賠償させることができる。
→詐欺罪

24 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:57:38 ID:nLxafZgw
退会マニュアル:ソフトバージョン
出来ることからしてみましょう。

◎道場に一切顔を出さない。
◎勤行を止める。
◎阿含宗グッズをすべて一箇所にまとめて目に触れないようにする。
◎勤行を止めて不具合が出たら、線香を焚いてみる。

25 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:58:15 ID:nLxafZgw
退会マニュアル:ソフトバージョン解説

退会にまで踏み切れない人、まだ迷いがある人、止めたくともしがらみがある方
まずは無理しないで出来ることから始めましょう。

まず、道場には一切顔を出さないことです。道場外でする奉仕作業やイベント等
にも参加しないことです。理由もあらかじめ考えておきましょう。会費は振り込み
用紙が毎月送られて来るでしょ?

勤行も止めましょう。その他阿含宗から習った修法も止めましょう。

経典に依りますとそもそも仏舎利塔というのは「それを目にすることによって釈尊の
教えや法を思い出し、遺徳をしのぶ」存在です。だから反対に阿含宗グッズが目に
付く状態であると、いつまでも桐山の術中より抜けられません。一箇所にまとめて、
収納するか箱などに入れて、目に触れないようにしましょう。

勤行を止めると頭痛や吐き気、体がだるいなどの不具合が出て、「やっぱり法はあるんだ」と、
錯覚するかも知れません。そう言うときは線香を焚いてみて下さい。もちろん入行したとき
おまけで付いてくる時々斜めに立って灰を受けるのに小皿では間に合わないしょぼい線香立てを
使わずにちゃんと阿含宗と無関係な香炉を使ってです。線香は今まで使ってたのでも構いませんが。
フランス系のアロマテラピーと言うのは香を使う治療法として確立されたものです。
そう言う効果を法と錯覚してることが判ります。
また、長年の良いと思いこんでいた習慣を止めることによるストレスによって、不具合が出ること
もあります。これは線香焚いても治りませんが、しばらく様子を見てると解消します。ゆめゆめ
「やっぱり法はあるんだ」と、錯覚なさらぬように。

26 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/05(月) 21:58:57 ID:nLxafZgw
代表的な擁護側。
あなたが現会員であるなら、まともに反論できなくて現実の阿含宗道場と乖離した話しを
必死にして荒らすこれらの人の所業をよくよくご覧になって考えて下さい。


◎Q(klingo〜n・クリン含・ペテン大作・ペテン犬作・Q連続対・オバQ)って何物?
負けず嫌いのあまり阿含宗と無関係な話しを必死にしてる人。

◎羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦って何物?
自分でも解ってない教学を貼り付けて、何か知ってそうに印象操作してる人。
人の目を見て話さない人のようにまともな対話が成り立たないので、
阿含宗の広告と思って読み飛ばしてください。

◎Beelzebub ◆YDJ4DIBPYoって何物?
房中術研究家。
普通に発言したら相手にされないので開き直って荒らしてる人。

27 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:35:07 ID:pJtAFHSR
>>1さん、スレ立て、感謝。

28 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:37:30 ID:pJtAFHSR
>>6 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:34:10 ID:OoZ5Kntf
>以下のベックの文章では、
>入滅とは般解脱の意味で使っています。
>入滅する前は「解脱」です。

ベックは解脱(有余依涅槃)と般涅槃(無余依涅槃)とを明瞭に区別して使っている。
だが、あなたは、大般涅槃経の解脱を般涅槃だと誤解したと書いた。
ベックは区別して、あなたは区別しなかったのだから、両者は主張が違う。
あなたの言い訳とは逆のことを書いているベックを引用して、
何を言い訳をしたつもりなのだ?
学者の文章を引用して読者を煙に巻いたつもりだろうが、詭弁にすらなっていない。
読んでいる人たちは私にこんなふうに解説されるとようやく
あなたが何をごまかそうとしたか理解できただろうが、でなければ、
何を言いたいかすら、誰もわかりません。
もっとも、あなたはそれが目的で詭弁を並べているのだろうけど。

29 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:39:49 ID:pJtAFHSR
>>7 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:47:28 ID:OoZ5Kntf
>いくら頑張ってもあなたの嘘が消えるわけではありません。

そうやって、話をそらそうとしても無駄です。
私の主張を議論しているのではなく、あなたの主張の根拠を確認しているのです。

スレ152
>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
>277 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:55:33 ID:dwpSi7N
>滅尽定まで入ってニルバーナに入らずに戻ったのだから解脱していません。

あなたが書いた上記の文章がすべてを物語っている。
はっきりと解脱(有余依涅槃)とニルヴァーナ(無余依涅槃)を区別して使っているのだから、
表現を間違えたなんて言い訳は嘘で、百も承知で書いたのだ。
あなたは>>3のベックの文章を狭い視野で勝手な解釈をして、
ベックが滅尽定が解脱であると書いていると信じていた(今でも信じている)。
それで、上記のように滅尽定から出たら解脱ではない、などとうっかり書いてしまった。
だが、それでは生きていた時の釈尊は解脱していないことになる。
その矛盾を指摘され、必死に言い訳を考えたが、詭弁家のペテン大作さんにして
屁理屈が思い浮かばなかった。
そこで、あなたは自分のいう解脱とは無余依涅槃のことであり
「表現がよくなかった」とその場しのぎの言い訳をした。
それも「般解脱」などと、いかにもそれっぽい言葉を用いて、ごまかそうとした。
現実は、あなたの勝手な解釈が自己矛盾して破綻しただけです。

30 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:45:58 ID:pJtAFHSR
>>3 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 15:11:55 ID:OoZ5Kntf
一切行の静止〔寂止〕"であり、あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である。』
>>8 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:02:05 ID:OoZ5Kntf
>私の説ではありません。
>仏教学者でもない私が何を読者に説くのですか?

いいえ、これはあなたの説、というよりも、勝手な解釈です。
>>3のベックの文章のどこに「滅尽定で解脱した」とあるのだ?
解脱の瞑想の境地を描写しただけで、滅尽定が解脱だなんて書いていない。
視野が狭いから、滅尽定を解脱であるとベックが書いたと決めつけている。
あなたの常で国語力の問題です。
他の信者さんたちのためにたとえを用いましょう。
「彼は大学の入学式に出席し、ここに彼の最大の目標であった大学合格は達成された」
という文章を読んで、ペテン大作さんは入学式こそが大学合格なのだと主張しているようなものです。
ごらんのように、ただの国語の読解力の問題です。
だから、阿含経から滅尽定が解脱だという証拠を出してみろ、
釈尊の解脱のどこに滅尽定があるのか出してみろと言われても、
「おまえが探せ」と開き直りをした。
自分の読解力のなさを棚に上げ、ベックの文章の勝手解釈を並べて、
自説を主張するしか逃げ道がない。
入学式こそが大学合格、受験合格だと解釈しているペテン大作さんの
国語の読解力に問題があるのです。

31 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:49:20 ID:pJtAFHSR
>>8 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:02:05 ID:OoZ5Kntf
>沙門果経を読めば「三明で解脱する」ことになり

私の質問をそらしていますね。
「前は三明で解脱すると書き、今は滅尽定で解脱するとあなたは書いている。
三明と滅尽定はまったく別物なのに、どっちが解脱なのか」と質問しているのです。
質問に答えないのは、答えられないからでしょう?
さすがの詭弁家のペテン大作さんでも、三明と滅尽定を
くっつけるなんて器用なことはできない。
解脱とは三明か滅尽定か、どっちかを引っ込めるしかありません。
だが、あなたの性格からしてそんなことはしない。
片方を引っ込めるのではなく、両方を適当にゴチャゴチャと書き並べて、
また経典とベックの文章を引用して、煙に巻くんでしょう?
だから、沙門果経なんか引用してお茶を濁そうと必死になっているのですよね。
端的に、どっちが解脱なのか、答えてみなさい。

32 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:52:45 ID:pJtAFHSR
>>9 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:09:29 ID:OoZ5Kntf
>これの何処を見れば比丘が解脱だとわかるんですか?

四禅三明の解釈は前にも私は書いたが、あなたが記憶していないだけです。
しかも、今は四禅の解釈をしているではなく、
三明と滅尽定とどう関係しているのかとあなたが質問されているのです。
さっそく、煙に巻くために、四禅の話にそらそうという作戦でしょう。
しかも、因縁解脱の説明もないし、桐山さんがいつ滅尽定が解脱だと言ったのか
という質問も無視していますね。
今回の議論の最初から、私はアゴン宗の解脱とは「神通力によるカルマ解脱」だと書いた。
あなたは意見が違うらしいから、信者として説明しなければならない。
三明と滅尽定で因縁解脱するというアゴン宗の解脱の内容を
桐山さんの解説を引用して説明してください。
念のために言うが、あなたの勝手な解釈はナシですよ。

33 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 23:02:12 ID:pJtAFHSR
>>9 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:09:29 ID:OoZ5Kntf

滅尽定の意味を辞典でどうして調べないのだ?
あなたが貼り付けたら、私も貼り付けようと去年から書き写して待っている。
中村博士の専門書をあれだけそろえているのなら、調べてみたらどうか。
滅尽定が解脱であるなんて、誰が書いている?
>>3のベックすらも書いていないのです。
あなたは視野が狭いから、ベックが何を前提として書いているのかを理解できないから、
大学の入学式を大学合格だと思い込んでいる。
ラシンさんもあなたのために丁寧に説明している。
樹意さんが、あなたに罵られながらも、わざわざ解説してあげた。
あなたは理解できなかったし、もとより読みもしなかったのでしょう?
だから、あなたは御礼に「病院に行け」と二度罵った。
正しいことを教えてくれる相手にこういう罵りをしているあなたの人生は知れたものです。
今後もあなたは絶対に譲らず、こちらが議論をやめるまで
どこまで自分の意見を繰り返し主張するから、この件もあなたの勝利です。
これが現実世界でのあなたの生き方なのでしょう。
批判側は大人なので、「泣く子」に勝とうなんて気はありません。
多くの信者は桐山さんから、解脱は高度な瞑想によって得られると教えられ、信じ込んでいる。
だから、滅尽定なんていかにもそれっぽい名前が出てくると、あなたは大喜びで飛びついた。
瞑想で解脱するのではありません。
仏教では瞑想も飯を食うのも同じです、と言われても意味が理解できないでしょう?
こういうペテン大作さんの反応を見ても、桐山さんは人々に
仏教についてとんでもない誤解を植え付けたのだから、罪が重い。

34 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/05(月) 23:38:08 ID:FiCmBJbP
>>9:神も仏も名無しさん :2009/01/05(月) 16:09:29 ID:OoZ5Kntf [sage]
>変態プライズ号の副官であるユビキタスから
>沙門果経八一・八二節の比丘は解脱しているという意見が出ました。
>まだ本人から答えが来ていませんが、
>何なら船長であるあなたが代わりに答えてはどうわりに答えてはどうですか?
>これの何処を見れば比丘が解脱だとわかるんですか?
>あなたの屁理屈ではなく具体的に文章なり単語を示してください。
>さあ、どうぞ。


レスをまだ付けてないのは前スレが終了して書き込めなかったこと。
ザのスレにレスを入れたいのがあったからあなたなど後回しにしたこと、それから仕事が始まり
また多忙な毎日に戻ったからです。
八一と八二が解脱そのものであることは書いている内容でわかるのですよ。
それから後に続く文脈でわかる。九八節まで行って完全に解脱知見とわかる。
九八こそ解脱知見であり八三はその導入ですね。
解脱知見とは自分が解脱したと知ることです。
既に解脱を果たしているから、観察してみると解脱しているなと知るわけです。
つまり八一と八二で解脱しているからこそ、八三からそれを観察して解脱していることを知るわけです。
あなたはいちいち文節ごとに、これはまだ解脱じゃないのよ、あ、これこれ!ここで解脱しちゃったのよ
と解説がないと解脱がわからないのですね。
解脱の内容を考えれば八一と八二こそが解脱の境地そのものとわかる。
それは解脱とは煩悩を離れた境地だからです。
最後の九八でも漏(煩悩)の尽きてなくなったことを知るでしょ?それが解脱だと知る、自分は解脱
したと知る。八一、八二の内容が完全に煩悩から離れた境地に他ならない。
他に何を得るのか?
過去の透視?で、過去を見て知ってそれで何がどうかわってどう解脱したの?

35 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 00:05:05 ID:dnpqMbjM
>>9:神も仏も名無しさん :2009/01/05(月) 16:09:29 ID:OoZ5Kntf [sage]
>沙門果経八一・八二節の比丘は解脱しているという意見が出ました。

八一と八二の後にどういう修行を積んでどのように変身したのか?
やったのは知恵による観察です。過去、前世を透視して何を知ったかというと、煩悩を抱えていたから
輪廻を繰り返していたということを「知った」のです。
そして八一と八二を遡ると、その煩悩はすっかりなくなっている。と「知る」。
だから自分は輪廻からも離れたのだと「知る」。
知ったから、さあ奮発して修行するぞ!と言いたいところだが、奮発せんでも既に煩悩は離れていると知る。
前世をも透視して解脱できなかった過去の自分と、解脱できている今の自分がはっきりと確証をつかめたのです。
しかしこのような確証をつかむほどの神通力などなくても、神通力はリトマス試験紙のようなもので
リトマス試験紙が手元になくても酸性は酸性、アルカリ性はアルカリ性だ。
解脱を酸性からアルカリ性に変わることに例えるならば、リトマス試験紙がなくとも八一と八二の状態が
アルカリ性そのものなんだからもう既に用は尽きているのです。
このまま輪廻は止まります。
八三の作業はアルカリ性に変わったところで、試しにリトマス試験紙を浸してみて、赤くなるかならないかを
実験してるのです。で、九八でやったやった!やっぱりアルカリ性だったと知って証明実験終了です。
リトマス試験紙でアルカリ化したのではなく、アルカリ化してたからリトマス試験紙は青くなっただけです。

36 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 00:24:22 ID:dnpqMbjM
>>9:神も仏も名無しさん :2009/01/05(月) 16:09:29 ID:OoZ5Kntf [sage]
>沙門果経八一・八二節の比丘は解脱しているという意見が出ました。

リトマス試験紙によって酸化もアルカリ化もできないように、神通力から解脱を得ることを考えてみなさい。
神通力でわかることは今の自分が酸性なのかアルカリ性なのかを判別することです。
前世、前々世の自分がいかに酸性だったか知るリトマス試験紙です。
酸性からアルカリ性に変わったのはリトマス試験紙のおかげではなく、別の努力によるものです。
八一と八二は沙門の果報だが、それは解脱という果報だったのです。
それがいかほど素晴らしいか知るために知恵を働かせて観察したら、輪廻までも尽きてしまう果報
だったと知るわけです。
別の努力には禅定もあります。
しかしそれだけではない。瞑想が浅いだの深いだのそれだけでは解脱に至らない。
至ったかのように見えても深い禅定から覚めると元の木阿弥では意味がない。
あなたは禅定そのものが解脱そのものと考えている節がある。
そうとしか思えない書き込み内容です。
だから私は前スレ550で、解脱というのは覚めたり戻ったりするものなのか?と質問した。
詮ずるところ、あなたの示したい解脱って何よ?と質問した。
これは大切な質問です。
あなたは難癖つけて逆に質問をしてこれの回答を避けている。
答えられないからです。あるいは答えるとヤバイと危機感を悟っているからです。
もう自分でもどこに着地すればよいかわからなくなっているでしょうね。

37 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 08:40:31 ID:dnpqMbjM
前スレ152
>591:神も仏も名無しさん :2009/01/04(日) 17:06:34 ID:+SPXHBBV [sage]
>「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その2)

>沙門果経で比丘が解脱するのは九八節(漏尽通)です。

>『瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
>すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
>今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
>(『仏教(下)』104頁)

>七氏さんの言うように、「このようにして心が安定し・・・」
>の文句が解脱を意味しているのなら
この八三節に出てくる比丘はすでに解脱していることになる。
>その解脱している比丘が九八節で再び解脱するわけがない。

八三に出てくる比丘は解脱しているのです。
さらには八一と八二の段階で解脱しているのです。
それは「このようにして心が安定し・・」の「このように」は八一や八二のようにしてと係るわけであり、
九八の「このようにして解脱すると」の「このように」は八一と八二にまで遡るわけです。
だから九八は一度解脱した人が再度解脱するのではなく、また実はそれまで解脱してなかったところを
ここで初めて解脱したのでもないのです。
既に解脱している人が、自分は解脱をしたと知ったのが九八の漏尽通です。
漏れが既に尽きてなくなっていることを知ったのです。
解脱知見です。
あなたがまだ護身法を毎日切っているならば、戒定慧解脱解脱知見の五分法身の解脱知見がこれです。
為すべきことは戒定慧の三学です。その結果得るのが解脱。解脱知見は解脱したことを了知するのです。
既に解脱してるから知ることができるのです。

38 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 10:30:00 ID:2PSSUxQG
W田スキャンダルはいつごろ見れるのかな?
桐山さんはどうなるの?

39 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:36:31 ID:c2rd5W0o
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[851]如来の子孫 09/01/05 10:59 pMchKcfzt7
>なんでそんなに「心の平安」とか、心に拘るの?
>例えば、ガザ地区住民が、爆撃受けたりして心の平安がありますか?
>心だけではなくて、物理的にも平安があってこそ、心の平安は保てる
>のです。凡人なのですからね。

何を他人事のように書いているのだろう。
桐山さんと同じで、信者たちのあまりの無責任な発言にあきれる。
中東の平和を実現するためだと焚き火をしたのはどこの誰だ?
本当の平和はまず霊障のホトケを成仏させ、霊障のカルマを切らない限り
絶対に無理だとあなた方は説いて、巨額の金を使ってイスラエルで焚き火をした。
物理的平安をもたらすには、霊障という不浄を焼き浄めない限り、
絶対に不可能だとあなた方は説いているのだ。
それがうまくいかなくなると、やれ、洗い出しだの、子孫さんのように
まるで他人事のように書く。
どこまで恥知らずなのだろう。

40 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:39:57 ID:c2rd5W0o
>[851]如来の子孫 09/01/05 10:59 pMchKcfzt7
>なんでそんなに「心の平安」とか、心に拘るの?

オウム事件が起きた時も、桐山さんは、林郁夫を「哀れだ」「力になってやりたい」
「不憫だ」などとまるで他人事のように書いていた。
ただの知り合いではなく、結婚式の導師まで勤めるほど懇意な弟子であり、
直接指導する立場にあった。
人の因縁を霊的なレベルで透視し、未来を予知する力があると豪語している桐山さんが
殺人鬼の弟子を見抜くことも、ならないように指導することもできなかった。
普通なら、宗教家として自分の努力不足と能力不足を世間の皆々様に謝罪するべきでしょう。
だが、桐山さんは普通ではないから、蛙の面に水、どこ吹く風。
逆に、世間の不幸をアゴン宗の宣伝に利用して本を書いて売った。
イスラエル護摩もこれと同じパターンです。
護摩を焚いて何かうまくいくと自分たちの力と我田引水して、
うまくいかないと洗い出しなんて屁理屈をつけて、責任逃れをする。
結局、成仏力だの霊視能力なんて桐山さんのオオボラであり、
超能力などないばかりか、責任感すらもないないことがわかっただけです。

41 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:43:53 ID:c2rd5W0o
>[851]如来の子孫 09/01/05 10:59 pMchKcfzt7
>なんでそんなに「心の平安」とか、心に拘るの?

責任感のない桐山さんや子孫さんはいい。
信者さんたちはどうなのだ?
あなた方は心が痛まないのか。
四百人からの死者がすでに出ており、血だらけの子供たちの姿を見て、
何も感じないのか。
あなた方はこれらの殺人をしているイスラエルに「共感」を表明したから、
護摩が焚けたのですよ。
イスラエルに共感するとは、イスラエルを支持し、パレスチナを支持しないという意味です。
これは信者さんたちにそのような意図があろうがなかろうが、
桐山さんがはっきりと国のトップの宗教指導者にイスラエルへの共感を
表明したのだから、イスラエル支持、パレスチナ不支持です。
共感とはそういう意味です。
今の空爆を桐山さんと信者さんたちは支持しているのと同じです。
支持していないというなら、どうして桐山さんはイスラエルに攻撃を
やめるように抗議しないのだ?
昨年、星まつりに来たイスラエルの大臣は、日程を見ると、
明らかに星まつりに参加するためにわざわざ来た。
大統領とも桐山さんは会っている。
中枢の政治家や宗教指導者たちと懇意なら、なぜ非暴力を訴えないのだ?
朝鮮人の虐殺を見て、平和の大切さを骨身に染みて実感したと偉そうに言うなら、
今、目の前で行われている虐殺をどうして止めようとしないのだ?
口先ばっかりですよね。

42 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:49:21 ID:c2rd5W0o
>[851]如来の子孫 09/01/05 10:59 pMchKcfzt7
>なんでそんなに「心の平安」とか、心に拘るの?

桐山さんはイスラエルに金を貢ぎ、関係者を招待して接待し、
自らも出かけて、ひたすら媚を売り、へつらい、嘆きの壁に頭をすりつけてみせた。
言ってみれば、土下座して護摩の許可をもらった。
こんな桐山さんがイスラエルに戦争をやめろなんて言えるはずもないし、言うつもりもない。
イスラエルで柴燈護摩を焚いたというイベントそのものが目的であり、
平和なんて掛け声にすぎず、自分がエラクなるための道具にすぎないからです。
だから、何百人死んでも、桐山さんは何とも思わないし、他人事です。
私がお聞きしたいのは、信者さんたちもそうなのか、という点です。
護摩木を一本でも書いたら、柴燈護摩に参加したのだから、桐山さんと同罪だと気が付いているか。
あなた個人がどんな意図や気持ちで護摩木を書いても、それは桐山アゴン宗の一部にすぎない。
霊障のカルマを断ち切り、中東に平和をもたらすかのように信じ込んで、
柴燈護摩を焚いたが、何の効果もなかったという点をあなた方はどう責任を取るのだ?
桐山さんや子孫さんのように、イベントさえやれれば、
子供達が血まみれでも、後は「関係ねえ」ですか。

43 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 12:53:26 ID:c2rd5W0o
>[851]如来の子孫 09/01/05 10:59 pMchKcfzt7
>なんでそんなに「心の平安」とか、心に拘るの?

釈尊は、シャカ族を殲滅しようと進軍する王を三度にわたって止めた。
釈尊は焚き火も焚かなければ、世界平和も説かない。
成仏リキで滅亡のカルマを切るとか、世の中を変えるとも説いていない。
ただ、現実的に悪業を止めようと努力した。
それも弟子を総動員して反対運動をしたのでも、神通力で防いだのでもない。
進軍する道の枯れ木の下で瞑想していただけです。
王の質問に「親族の木陰は涼しい」という一言で進軍をやめさせた。
信者さんたちに、現実の釈尊のしたことと、あなた方がしていることを比較してほしい。
まるっきり逆ですよね。
アゴン宗は外に向かって平和を説き、意味のない焚き火をする。
釈尊は「心の平安」を説き、現実的な行動をとる。
子孫さんは「心の平安」という言葉を完全に小馬鹿にしている。
彼に限らず、前にも同じように小馬鹿にした信者がいた。
批判側を小馬鹿にしたつもりだろうが、実は釈尊その人を小馬鹿にしている。
なぜなら、釈尊の解いた教法とは各人の「心の平安」そのものだからです。

44 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 13:05:03 ID:c2rd5W0o
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。
内的に平安になった人は取り上げられるものは存在しない。
どうして捨てられるものがあろうか。」(『ブッダのことば』200頁)

心の平安をバカにしている人たちは、仏教を理解していないからです。
心の平安とは、認知症になった老人がボーッとしていることを指しているのではありません。
上記のように、煩悩にいっさい囚われない心の状態を心の平安というのです。
つまり、解脱そのものです。
だから、子孫さんのように「心の平安」を笑う人は、釈尊の解脱を笑ったのと同じで、
自分の無知を恥じる様子もなく、むしろ威張って表明しているようなものです。
「護摩木で平和を祈願しよう」と欲望に囚われた心は平安ではない。
「批判側め、悪口ばかり書きやがって」と無知と怒りに囚われた心は平安ではない。
「霊障が怖い。地球壊滅だ」と無知から恐怖に囚われた心は平安ではない。
煩悩にかき乱されることがなくなった心だから、平安なのです。
信者さんたちのしているアゴン宗の修行とやらは、平安どころか、
逆に恐怖や欲望や怒りで煩悩を増大させている。
仏道修行とは逆のことをしていることに気が付きませんか。

45 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 13:14:08 ID:c2rd5W0o
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

釈尊の上記の言葉に着目してほしい。
外に静穏を求めてはならないとある。
信者さんたちが世界平和のために柴燈護摩を焚くというのは、
まさに外に平穏、つまり平和を求めているからです。
釈尊はそれをしてはならないと説いている。
求めるべきは、まず自分の心の平安です。
とすれば、信者さんたちのしていることはおかしくないか。
外にある霊障のホトケや霊障のカルマをなんとかしようとするのではなく、
信者さんたち自身が認識できる心の平安をまず求めるのが仏教です。
アゴン宗の信者は護摩木で欲望を増やし、霊障で恐怖を増やし、批判に怒りを
増大させているのだから、信仰をもったばかりにまったく逆の方向に行っている。
それも当然で、あなた方が付き従っている桐山さんは
欲望と執着、憎悪、慢心が人の何倍と強い人だからです。
こんな人の元で信仰していたら、心は平安どころか、普通の人よりも
はるかに煩悩が増えて、嵐のようになる。
だが、煩悩のままに焚き火をした結果を振り返ってみてください。
平和のためと称して焚いた護摩に何ほど効果があったか。
信者さんたちのしたことがどれほど愚かで無意味か、
パレスチナの人たちが命を捨てて教えてくれている。

46 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 15:44:09 ID:/voiqN9u
ユビキタスはあほ

47 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/06(火) 18:10:31 ID:jeE8uNe7
阿含経の釈尊の説法

「阿那含」が四禅における四神足によっての
種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。

阿那含は五つの天
 
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙

無明



48 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/06(火) 18:11:05 ID:jeE8uNe7
阿含経の釈尊の説法

「阿那含」が四禅における四神足によっての
種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。

阿那含は五つの天
 
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙

無明



49 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/06(火) 18:25:45 ID:jeE8uNe7
阿含経での阿羅漢の価値観では、
光の身体の超人的眼智恵の眼による
四大〜への深い同調による観が、
聖正見となって行動しています。
(世間世俗の限定された区切りでの価値観や道徳とはちがいます。)


輪廻転生との縁が「存在するさとりの領域」によって無効化された
今生で最後となっている生存の素因 潜在勢力 存在の感覚系
の核をを聖正見によって滅し捨て去り、その余力がなくなると
最後の肉体が死に至ります。
身・口・意の行と壽命・暖・諸根の入滅です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅から
身・口・意の行と壽命・暖・諸根の入滅は、
第四禅より入滅します。


「身体」
肉体の眼のみ

「光の身体」
超人的眼(肉体の眼と同じ物質領域も含)
智慧の眼


50 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/06(火) 18:49:18 ID:jeE8uNe7
間違っています

ID:c2rd5W0o

51 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:13:33 ID:SSp6DtBU
>>28>>29>>30
ねえ、七氏さん。
あなたは熱弁振るっているけど
あなたの言いたいことってこれでしょう?

「仏陀は滅尽定で解脱したのではない」

あなたはこれだけを言いたくてペテン大作とやらを
一生懸命叩いているわけですね。

52 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:19:16 ID:SSp6DtBU
>>30 :神も仏も名無しさん
>>3のベックの文章のどこに「滅尽定で解脱した」とあるのだ?
>解脱の瞑想の境地を描写しただけで、滅尽定が解脱だなんて書いていない。

そうですかね?
私には滅尽定で解脱したと読めますが。


『ヨーガ派によれば精神統一〔凝念〕・瞑想ないし観想〔静慮〕・静観〔三昧〕
という三段階の上にはさらに無種子三昧があり、
この三昧によって潜在意識の構成力〔行〕に打撃を加え、
したがって、それによって再生への萌芽が絶滅される。
構成力の絶滅のことを術語で滅尽という。
仏教の道が目指す目標もそれと同じである。
しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。
これらの意識状態のことは、『沙門果経』における瞑想の章節には出ていないが、
その他の多くの仏典の箇所にて言及され、詳述されている。』
(『仏教「下」』 59、60頁)

『次に"この世の意識もあの世の意識も持たない"ことになると、
最終最高の段階である消除〔滅尽〕の段階にのぼる。
経典(『増支部経典』五・七と三五四ページ他)によれば、
この段階はすでに"寂静なるもの、尊貴なるもの〔殊妙〕"であり、
一切行の静止〔寂止〕"であり、あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である。』
(『仏教(下)』 63頁)

53 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:29:06 ID:SSp6DtBU
>603 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 19:21:26 ID:dVNUG26M
>滅尽定で解脱するというのがペテン大作さんの説らしい。
>しかも、あなたは前は違うことを書いていた。
>三明で解脱するとあり、どこにも滅尽定など出てこない。
>こういうあなたの解説と、今回の滅尽定が解脱であるというあなたの説とは一致しない。
>さあ、どうぞ、さらなる屁理屈を並べて、正月からアゴン宗信者の醜態をさらしてください。
>>31 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:49:20 ID:pJtAFHSR
 >>8 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 16:02:05 ID:OoZ5Kntf
 >沙門果経を読めば「三明で解脱する」ことになり
>私の質問をそらしていますね。
>「前は三明で解脱すると書き、今は滅尽定で解脱するとあなたは書いている。
>三明と滅尽定はまったく別物なのに、どっちが解脱なのか」と質問しているのです。
>質問に答えないのは、答えられないからでしょう?

やれやれ、本当に困った人です。
三明で解脱するのも滅尽定で解脱するのも共に私の説ではないし
それらは別の経典であることを前に引用したのですか
この人は人のレスを全然読んでいない。
それで文句を付けてくる。
誰かこのオッサンを何処かへ連れて行ってくれませんか?


362 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:20:32 ID:vChXflrk
涅槃に至るプロセスはどうなっているか?

『「長部経典」の瞑想の章節(「沙門果経」64節以下)にもとづいて、
以上描写してきたが、 そこで瞑想の段階は第四静慮までしか及んでいない。
これに対して、それ以上の意識段階ないし瞑想段階(いわゆる〔処〕は
「布E婆楼経」などで説かれている。 』
(81,82頁)

54 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:35:33 ID:SSp6DtBU
>>53
「布E婆楼経」の「・」はパソコンで字が打てないのでこうなっています。
「叱咤」の「咤」の字からウかんむりを取った字です。
読みは多分「た」か「たく」だろうと思います。
ご存知の方がいらしたら教えてください。

55 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 21:55:36 ID:dnpqMbjM
ペテン大作Qさんに忠告がある。
解脱と滅尽定について述べているが、その解脱はあくまでも入滅のシーンではなく生きたまま解脱
している状態、すなわち有余依涅槃に限って滅尽定との関わりを論じてくれ。
我々は最初から入滅の問題に興味がない。
興味があり問題としたいのは生きた人間が死ぬことなく解脱して解脱した生活を送ることにある。
それはどういうことかを考慮の上論じてほしい。
いつのまにか入滅の話に持っていったのは、あなたの勝手であり、こちらの望んだ方向ではない。
解脱は入滅のシーンに限らずとも十分に論じられる問題です。
だから釈尊が35歳にして悟りを開き解脱を得た、その後45年間解脱することを説いたという
あくまでも生きた状態での解脱に限定して論じてくれ。
その中で滅尽定を出してくれ。

56 :ラシン:2009/01/06(火) 21:56:11 ID:yKM9ADhO
>52>53

滅尽と滅尽定は違いますよ。
Qさんは、三明→解脱と主張しながら、今度は滅尽定で解脱すると言う。
三明と滅尽定が、解脱にどうリンクするのです?
あなたは論拠としたから経典引用した、だが無節操に引用したから
各々を関連付けることが出来ず、論証が崩れたのでトボケテ逃げています。
私が以前、一般の国語辞典で解脱の意味を提示したら、Qさんは嘲笑しましたよね。
解脱は、簡単に言えば煩悩から解放されるこだと、仏教を知らない者でも
中高生以上の知性で調べれば、正解を答えることが出来ます。
こんな基本が分かれば、ユビキタスさんが指摘したように、この節は解脱であり、
この節は、解脱知見だと学説なくしても読解できます。
解脱同様、滅尽と滅尽定の違いを理解すれば、竹光を振り回すような多くの理屈など
不要です。


57 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:01:15 ID:SSp6DtBU
>>34 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg
>レスをまだ付けてないのは前スレが終了して書き込めなかったこと。
>ザのスレにレスを入れたいのがあったからあなたなど後回しにしたこと、それから仕事が始まり
>また多忙な毎日に戻ったからです。

あなたの返事が遅いなんて言ってませんよ。
あなたのレスをネタを七氏さんに振っただけです。
そう負けず嫌いの性格をむき出すなよ、餓鬼っぽいぞ。

>八一と八二が解脱そのものであることは書いている内容でわかるのですよ。
>それから後に続く文脈でわかる。九八節まで行って完全に解脱知見とわかる。
>九八こそ解脱知見であり八三はその導入ですね。

あなたのレスは答えになっていません。
私が聞いたのは、八一、八二節で比丘が解脱したというのなら
その文章なり言葉を示してください、と言ったのです。
それを書いている内容でわかるとか、文脈でわかるとか、
何ですか、それ?
そういうのを誤魔化しというのです。
全然話になりませんね。

58 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:02:50 ID:SSp6DtBU
訂正
>>57
あなたのレスをネタを七氏さんに振っただけです。

あなたのレスを七氏さんに振っただけです。

59 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:12:10 ID:dnpqMbjM
>>57
八一と八二に解脱という単語がないと解脱とわからんか?頭悪いのう。
あなたの究極は九八節の漏尽通でしょ?それが解脱なんでしょ?
しからば漏尽通とは何か?漏(煩悩)が尽きてなくなったことを知ることでしょうが?
しかるに八一と八二の表現する内容を見よ。
すっかり煩悩が尽きてなくなっているとわかる表現ではないか?
あれで完璧です。
あの表現する状態が煩悩をなくなったことに対して、何が不満がある?何が足りない?
足りないものを述べてみなさい。

60 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:13:27 ID:SSp6DtBU
>>55 :ユビキタス
>>56 :ラシン

君らは一体何が言いたいのかな?
七氏さんと同じで
「仏陀は滅尽定で解脱したのではない」
ということですか?
だったらはっきりそう言いなさいよ。

61 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:17:16 ID:SSp6DtBU
>>59 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:12:10 ID:dnpqMbjM
>八一と八二に解脱という単語がないと解脱とわからんか?頭悪いのう。

僕チン、頭悪いからわかんない。
どの言葉が解脱なんでちゅか?
おせえて〜

62 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:23:40 ID:SSp6DtBU
ユビキタスがいくら頑張っても無駄です。
比丘は八一・八二節、即ち第四禅では解脱していません。

以下は第四禅についての解説ですが、これらの中では、
これが解脱であるといった言葉は全く見当たりません。
これは第四禅が解脱であるとは解釈されていない証拠です。

最後の第四段階では、瞑想者は苦楽等のあらゆる感性を捨て去り、
純粋な冷静と正念正知とにとどまり、全身に霊的光明と清純とがみなぎる。
この状態は、修行者が頭からつま先まですっかりおおいつくす白衣をまとい、全身純白で
おおわれていないところなしという工合にたたえられ表現されている。
((『仏教「下」』 56頁)

『この状態に入った修行者は、汚点のない純白な衣服を頭からすっぽりかぶったようなものだと言われている。
「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』
(『仏教「下」』 82頁)

63 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:24:11 ID:dnpqMbjM
>>61
解脱解脱って言うけど、解脱って何よ?
あなたの思うところをあなたの言葉で語ってみなさい。
それができなきゃ、判別の基準がわからんでしょうが。

64 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:29:32 ID:SSp6DtBU
>>63 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:24:11 ID:dnpqMbjM
>解脱解脱って言うけど、解脱って何よ?

解脱は解脱だろう?
今頃になって言葉の勉強を始めてどうする?
お前、本当は文章や単語を示すのが怖いんだろう?
何か書けばつっこまれるからな。

65 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:30:42 ID:dnpqMbjM
>>63
はっはっはっはっ、期待通り四禅なんてどうでもいいことを出してきたな。
じゃあ質問する。
飯食ってる時の釈尊はまさか四禅ではあるいな?
となるとお食事中の釈尊は解脱者ではない。
釈尊は瞑想に入っている時のみ解脱者なのである。
そうでない時はただの人。
いや、ただの人では可哀想だ。
解脱したことのある人だ。
あるいは仮面ライダーに変身する前の本郷猛かな?

66 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:30:54 ID:SSp6DtBU
実際、第四禅以降にも解脱の過程が続くのです。
例えば『仏教(下)』84頁には、
瞑想によって三種類の我を破っていくことが書かれています。
三種類の我とは『長部経典』の『布・婆楼経』で説かれているもので
第一は粗雑で物質的〔麁〕の肉体であり、
第二はやや高度の精神的〔意所成〕(『沙門果経』で説かれる霊体)の我であり、
第三はさらに高度の我で、無色=想所成とよばれるものです。
これらを瞑想で破っていくというわけです。
ここのところを『仏教(下)』からそのまま引用すると

『しかし、仏教では、すべてこれらの"我"は
唯みかけ上のもので相対的なものとして認められているにすぎない。
そして瞑想が進むにつれて、その折々の仮象を破って行くのである。
『布・婆楼経』に述べられているように、
ある段階で実在すると感ぜられた自己は次の段階に持ち込まれることなく、
その段階まで来るともはや実在でないものとして体験されるが、
これが瞑想の特徴である(『布・婆楼経』四八節)。
(85頁)

このように解脱の修行は続くのです。
第四禅で終わりではない。

67 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:42:39 ID:SSp6DtBU
65 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:30:42 ID:dnpqMbjM
>>63
>はっはっはっはっ、期待通り四禅なんてどうでもいいことを出してきたな。
>じゃあ質問する。
>飯食ってる時の釈尊はまさか四禅ではあるいな?

強がりはやめなさい。
つくづくお前、頭悪いよな。
八一、八二節で一生懸命解脱したと書いていたが
それは第四禅で解脱したということだ。
しかしそれだとまずいんじゃないのかい?

68 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 22:48:02 ID:dnpqMbjM
>>67
何がどうまずいの?
禅定もあるが四禅はじめ瞑想だけじゃないんだよ。
いついかなる時にも心を観察統制して、年がら年中解脱してるのだよ。
それが八一と八二だ。

69 :ラシン:2009/01/06(火) 23:00:47 ID:yKM9ADhO
>64

ことばの定義を正確に把握していなければ、どんな学説も誤釈すれば
砂上の楼閣となり論理構築は出来ないばかりか論拠を失うことになります。
だから般涅槃だ、有余涅槃だなどと苦し紛れに言葉を詰まらせたのです。
今のQさんが、まさにその渦中にあります。
ゆえに七氏さんの質問に何一つまともに答えていません。

滅尽:滅び尽きてしまうこと。
心の働きがすべて尽きてしまった禅定を滅尽定といい、
欲界の煩悩を断じ尽くして再び退転しない位(不還果)の聖者以上の者が
修する禅定であるとする。(岩波仏教辞典)

どこにも滅尽定で解脱するとの解釈ではありません。
アナゴン以上の聖者が”修養”する禅定ということです。
もちろん神通力で解脱するとの解釈もありません。

70 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:08:13 ID:SSp6DtBU
>>68
八一・八二節とは比丘が第三禅から第四禅に入った状態です。
この比丘がすでに解脱しているという道理がないのです。
何故なら比丘は第四禅から入滅すると七氏さんですら
前から何度も主張しているからです。

>419 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:22:12 ID:XUx9Dp19
>正確には、
>「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」→「涅槃」
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
>425 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:37:11 ID:XUx9Dp19
>釈尊は第四禅から涅槃に入ったのです。
>「第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた」
>(『ブッダ最後の旅』160頁)

釈尊は第四禅から涅槃に入った。
「第四禅」→「涅槃」なのです。
それに対してユビキタスが言っているのは
第四禅=解脱です。
比丘は第四禅から入滅、涅槃に入るのに
第四禅に入って留まっている比丘が
すでに解脱しているわけがないでないか?
まったく馬鹿ですね、ユビキタスというやつは。
まあ、やつのことだから色々と屁理屈を言い出すでしょう。
どんなことを言い出すか注目しましょう。

71 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 23:08:47 ID:dnpqMbjM
さあ、皆も滅尽定で悟りを開こう。
おっとっと、定から解けたら解脱は打ち切りですぜ。
くれぐれも死なんように。

72 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 23:12:44 ID:dnpqMbjM
>>70
入滅、つまり死ぬこと以外は解脱でないのか?
質問する。釈尊は35歳で入滅して死んだのか?
その後45年間は幽霊だったのか?

73 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:16:31 ID:SSp6DtBU
>>69 :ラシン:
>今のQさんが、まさにその渦中にあります。
>ゆえに七氏さんの質問に何一つまともに答えていません。

だから私に質問してどうしたいの?
君らは一体ここで何が言いたいの、
何がしたいのかと聞いているのです。
私に質問するのはお門違いです。
私は学者の本の内容を紹介しているのだから
あなた方の相手は私ではない。

74 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:23:36 ID:SSp6DtBU
ユビキタスは今、屁理屈を考え中です。
もうしばらく待ってあげましょう。

75 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 23:25:38 ID:dnpqMbjM
>>74
何を考えるの?

76 :ラシン:2009/01/06(火) 23:29:06 ID:yKM9ADhO
>釈尊は第四禅から涅槃に入った。
「第四禅」→「涅槃」なのです。
それに対してユビキタスが言っているのは
第四禅=解脱です。
比丘は第四禅から入滅、涅槃に入るのに
第四禅に入って留まっている比丘が
すでに解脱しているわけがないでないか?

Qさん、釈尊は菩提樹の下での解脱(有余涅槃)以降40余年のあいだ仏陀です。
つまり解脱者で在り続けた。
釈尊の九種の瞑想は八解脱であり、阿羅漢の十無学です。
四禅にいても釈尊は解脱者であり、入滅とは仏陀阿羅漢の死を言うのです。
Qさんはいまだ、入滅(般涅槃)と解脱(涅槃)を混同しているようですね。
四禅とは非苦非楽の境地です。苦を超越している、これを何と言いますか?

77 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/06(火) 23:29:09 ID:jH0nAcS9
>>74
ユビキタスさん、SSp6DtBUはあなたに絡みたいだけのようです。
阿含宗とは無関係な話しはほっといたらどうです?

78 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:31:18 ID:SSp6DtBU
>>75
とぼけるなよ。
では>>70はあれでいいんだな?



79 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:33:02 ID:SSp6DtBU
>>77
しばらくいなかったね。
派遣で首でも切られたのかと心配してたよ。

80 :ラシン:2009/01/06(火) 23:35:07 ID:yKM9ADhO
>だから私に質問してどうしたいの?
君らは一体ここで何が言いたいの、
何がしたいのかと聞いているのです。
私に質問するのはお門違いです。
私は学者の本の内容を紹介しているのだから
あなた方の相手は私ではない。

では、あなたが今まで主張し続けたことは、いったい何だったのです?
すべて、間違っていたわけですね。
学説を紹介したと言っても、あなたはちゃんとそこにQさんの主張を添えていた。
お門違いはどちらだろう?

81 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/06(火) 23:40:15 ID:jH0nAcS9
>>79
擁護側はこういう冷酷な言葉を平気で投げつける神経の持ち主。

82 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:43:13 ID:SSp6DtBU
>>76 :ラシン
>Qさん、釈尊は菩提樹の下での解脱(有余涅槃)以降40余年のあいだ仏陀です。
>つまり解脱者で在り続けた。

そういう話をしているのではありません。
これは経典解釈の問題なのです。
あなた方は釈尊の解脱というものが
実際どうであったのかを論じているようだが
私が言っているのは経典に書かれた文句をどう解釈するか、
ということであってそれ以外には何の関心も無い。
あなた方は経典を間違って解釈した。
そしてそれをもとに教団を批判した。
私はそれを問題にしているのです。
だから最初からあなた方と私とは平行線でかみ合わないのです。
それがわかったら無益な質問などして
お互いに無駄な時間を使わないことです。

83 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 23:43:44 ID:dnpqMbjM
>>78
>>70って入滅の時の話で、菩提樹の下で悟りを開いた話じゃないじゃん。
それにしても禅定しか切り口を見出だせない愚か者め。
禅定だけなら非想非非想処でも解脱を得られなかったんだよ。

84 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/06(火) 23:47:33 ID:jH0nAcS9
>>79
あなた本当にクビ切られた派遣の人があなたの文章を見たらどう思うかとか
考えられないのですか?

85 :ラシン:2009/01/06(火) 23:48:05 ID:yKM9ADhO
>82

Qさんは良く解釈すれば、論旨を見失ったようです。
お答えできなければ、けっこうです。
あなたを苛めているわけではないので、、、
ただ、あなたの経典解釈は矛盾だらけと、申し上げておきましょう。

86 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/06(火) 23:54:45 ID:jH0nAcS9
>>85
え?こいつペテン大作?

87 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:56:56 ID:SSp6DtBU
>>83
あれっ?
いつものユビキタスらしくない。
私はてっきり「第四禅=解脱」と「第四禅→解脱」は同じだ、
なんて言い出すのかと思ったのだが。
まあ、今回は屁理屈も浮かばなかったらしい。

八一・八二節の比丘は解脱してはいない。
ということは解脱していない比丘が
いきなり八三節の冒頭に出てくるわけがないから
「このように心が安定し・・・」の文句は
比丘の解脱は意味していない。
これは「心が統一され・・・」の文句が
解脱ではないことを意味している。
七氏とユビキタスは嘘つきである。
こういうことになりますね。
誰にもこれは崩せないということです。

88 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:58:12 ID:SSp6DtBU
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その1)

「このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると」
の文句は、沙門果経八三節の冒頭で初めて登場します。

『(八三)(次に)このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機微にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。』
(『世界の名著Tバラモン経典 原始仏典』 531、532頁)

七氏さんの言うように、「このようにして心が安定し・・・」
の文句が解脱を意味しているのなら
この八三節に出てくる比丘は八三節より前に解脱していなければならない。
沙門果経では解脱の過程が節の順に説かれているからです。
ところが八一節と八二節(共に第四禅)には比丘が解脱したという描写がありません。

『(八一)そこには苦もなく、楽もなく、最も清浄な(苦楽からの)超越(捨)があり、
最も清浄な思慮深さ(念)があります。』
『(八二)比丘は、この身体を清浄で純潔な心を遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が満ち満ちていないところはありません。』

89 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:58:57 ID:SSp6DtBU

またベックも第四禅の説明でこれを解脱だとは言っていません。

『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。
それは、あらゆる欲情〔煩悩〕、感覚的および超感覚的な対象についてのあらゆる表象、
悦楽とか苦痛とかというあらゆる感覚、そのようなものから完全に解放されている段階なのである。
この状態に入った修行者は、汚点のない純白な衣服を頭からすっぽりかぶったようなものだと言われている。』
(『仏教(下)』 82頁)
 
つまり、この比丘は八三節の前では解脱していないのです。
その解脱していない比丘がいきなり八三節の冒頭で
解脱した比丘になって登場するわけがない。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
解脱を意味していないことがわかります。

「このようにして心が安定し・・・」 の文句が解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。

90 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/06(火) 23:59:30 ID:dnpqMbjM
>>82
自分の方こそ解釈間違ってるじゃんw

91 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:00:10 ID:zm1EkiFy
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その2)

沙門果経で比丘が解脱するのは九八節(漏尽通)です。

『瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
(『仏教(下)』104頁)

七氏さんの言うように、「このようにして心が安定し・・・」
の文句が解脱を意味しているのなら
この八三節に出てくる比丘はすでに解脱していることになる。
その解脱している比丘が九八節で再び解脱するわけがない。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味していないことがわかります。

「このようにして心が安定し・・・」 の文句が解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。

92 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:01:20 ID:SSp6DtBU
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その3)

沙門果経八一節で比丘は第四禅に入ります。

『(八一)さらに大王よ、すすんで比丘は、(その第三の禅定の)安楽をも断ち、
苦をも断つことにより、またすでに先に(初禅や三禅において)喜悦や憂悩は消滅していることから、
第四禅の禅定にはいり、そのなかにとどまります。』

沙門果経八三節以降に出てくる神通力の描写は
第四禅(第四静慮)の状態から生じます。

『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。』
『「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』
(『仏教(下)』 82頁)

第四禅(第四静慮)は解脱前です。
ということは八三節以降で神通力を使っている比丘は
解脱前であることになる 。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味していないことがわかります。

「このようにして心が安定し・・・」 の文句が解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。

93 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:04:20 ID:zm1EkiFy
>>90 :ユビキタス
『仏教(下)』を全部通して読んでみなさい。
八一・八二節の比丘は解脱していないことが
君の悪い頭でも理解できるよ。

94 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/07(水) 00:04:21 ID:dnpqMbjM
>>84
最初っから第四禅なんかにかまってないもん。
自分だけだよ。四禅だけにこだわって、それしか指標がないものと思っているのは。
そんなあなたなどに付き合う必要もない。

95 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:05:52 ID:zm1EkiFy
ユビキタス乾杯か

96 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/07(水) 00:06:26 ID:IUqXJBph
ごめんなさい。>>94でレスを付けた相手は>>84の私文書さんではなく、>>87のペテン大作ずんだQさんでした。

97 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:08:14 ID:zm1EkiFy
>>84 :私文書為造
はて、為造クンを心配しただけなんだが
そういう風に受け取るのか?

98 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:21:43 ID:mvII+9BE
>>51 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:13:33 ID:SSp6DtBU
>あなたの言いたいことってこれでしょう?
>「仏陀は滅尽定で解脱したのではない」

いいえ、あなたの書いていることはその場しのぎの嘘であり、
読解力の問題にすぎないと書いているのです。
滅尽定はあなたが出したのであって、私も、桐山さんも出していない。
あなたが滅尽定が解脱だという根拠はベックの文章だけです。
そして、ベックの文章からはあなた以外には誰も「滅尽定で解脱する」とは読めない。
あなたと違い、普通の国語力を持っている人は、書いていない文字は読めない。
中村博士の本からもあなたは引用できない。
なにせ、そんなことは書いていないからです。
もちろん、経典には根拠もない。
桐山さんも主張していない。
最初から今まで、あなたが一人で踊っていて、自分の掘った穴に落ちただけです。
悔し紛れにまた>>88など、ただコピペを繰り返すしか能がない。

99 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:25:03 ID:mvII+9BE
>>52 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:19:16 ID:SSp6DtBU
>私には滅尽定で解脱したと読めますが。
>>53 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 21:29:06 ID:SSp6DtBU
>やれやれ、本当に困った人です。
>三明で解脱するのも滅尽定で解脱するのも共に私の説ではないし
>それらは別の経典であることを前に引用したのですか
>>73 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:16:31 ID:SSp6DtBU
>私は学者の本の内容を紹介しているのだから
>あなた方の相手は私ではない。

困っているのはあなただけで、今回のテーマでは他の信者すら困っていない。
あなたが今回引用した>>52-53の文章でも、今まで引用した学者の解説でも
どこに「三明で解脱する」「滅尽定で解脱する」とあるのだ?
あなたがあれらの文章を勝手にそのように解釈しているだけで、書いていない。
すべてあなたの読解力の低さから来る勝手な解釈です。
あなたの解釈ではなく、「三明で解脱する」「滅尽定で解脱する」と
書いてある文章を出してみなさい。
だが、出せない。
学者が主張していようがいまいが、あなたがそれを書いたらあなたの主張の根拠です。
いい年をして、「○○が言ったから、おれは真似しただけだ」と言い逃れるのか。
あなたは最初に三明で解脱すると書き、次には滅尽定で解脱すると書いた。
両者は両立しない。
あなたは何かを理解した上で書いているのではなく、その場しのぎに書いているからです。
おまけに視野が狭く、自分が前に何を書いたかまで覚えておらず、自己矛盾した。
矛盾を追求されて、あなたが立ち往生して、悔し紛れに罵声を投げているだけで、
誰も困ってなどいません。

100 :ラシン:2009/01/07(水) 00:26:28 ID:22/AEN+R
>87

ー大パリニッバーナ経引用抜粋ー
また第二禅、第三禅、第四禅に入られ、そこから起って、
世尊はただちに完きニルヴァーナ(無余依涅槃)に入られました。

意味が分かりますよね、第四禅から”起って”つまり第四禅から”出て”
釈尊は入滅したのです、滅度したのです。
比丘が解脱を得た時とは違うのであり、第四禅は非苦非楽という境地であり、
仏教の目的である煩悩を尽くし苦を克服し、解脱していると解釈できます。
>>10でも先述したとおり、
三枝氏は自著で初禅〜第四禅を解説し、さらに下記のように述べています。

ー引用934〜938頁抜粋ー
以上のように、色界における初禅〜第四禅が立てられますと、第四禅は最高の禅ということが
できます。姿・形あるもの例えば人間が人間であるところでは、もちろん第四禅が最高であり、
たとえば菩提樹下の釈尊の成道を第四禅の成就とする説もありまして、それは阿含経の各所に
見られます。(詳細はたとえば宇井伯寿『印度哲学研究』第三、396、408〜411頁参照)。
したがって、釈尊の入滅に際しましても、先に記したとおり、一個の人間として肉体という
姿・形あるものから般涅槃に入って行くのですから、それはこの第四禅からということに
なりまして、このことが右のテクストに明示されています。−中略−


101 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:28:54 ID:mvII+9BE
>>61 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:17:16 ID:SSp6DtBU
>どの言葉が解脱なんでちゅか?
>>64 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:29:32 ID:SSp6DtBU
>解脱は解脱だろう?

アゴン宗の因縁解脱について説明してみたらどうか。
ユビキタスさんも書いているように、そもそもあなたいう解脱が
何を指しているのか、まだ説明されていない。
私はたびたび説明を求めたが、あなたは今回も無視している。
アゴン宗の因縁解脱とはどのような内容か。
それはベックのいう解脱とどう関係しているのか。
因縁解脱は三明や滅尽定とどう関係しているのか。
視野の狭いあなたでも、これらを説明したら、すべて矛盾して、
墓穴を掘ることがわかっているから、無視しているのでしょう?
ほら、困っているのはやはりペテン大作さんだけです。

102 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:33:34 ID:mvII+9BE
>>66 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 22:30:54 ID:SSp6DtBU
>このように解脱の修行は続くのです。
>第四禅で終わりではない。

第四禅が終わりでないなら、三明のどれで解脱するのですか。
前にも質問したように、前世を見るだけなら、霊能者もできる人がいる。
だが、彼らが解脱したという話は聞いたことがない。
だから、宿明通や天眼通では解脱などできない。
これで解脱できるなら、ドクロからその持ち主の前世や死後を
透視する鹿頭バラモンは弟子になる前に解脱していたはずです。
だが、もちろん、彼は弟子になってから解脱した。
これを見ても、前世を透視することと解脱とは関係がない。
一方、漏尽通とは解脱したことを確認する能力であることを
桐山さんも認めていますから、この前に解脱していなければならない。
三明のどこでも解脱できないことになる。
これをどう説明するのだ?
学者の文章に矢印を示して、読め、ではなく、あなたの言葉で解説してみなさい。
また、四禅三明のどこに滅尽定が出てくるのですか。
漏尽通で解脱したことを確認するだから、その前にすでに解脱している。
だが、三明の前には四禅があるだけで、九次第定や滅尽定なんてありません。
また、三明で解脱してしまったなら、何でまた滅尽定で解脱するのですか?
こんなふうにペテン大作さんの説は支離滅裂、矛盾だらけです。

103 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:40:56 ID:mvII+9BE
「滅尽定
心のはたらきがすべて尽きてしまった三昧。
六識の心作用が滅びてなくなった精神統一。
不還果以上の聖者が心の静けさを求めるため、止息想の心がまえで修する定。」
(『佛教語大辞典』1358頁)

ペテン大作さんに滅尽定を辞書で調べるように書いたのに、無視しましたね。
あなたが何を目的としてここに書き込んでいるか本音をよく示している。
仏教どころかアゴン宗の議論をしたいのですらなく、ただ私や批判側を
やっつけたい一心なのです。
ラシンさんが>>69であなたの代わりに辞典から引用してくれました。
私も辞典から引用しました。
ラシンさんの引用と、上記の文章を読んで、あなたは驚かないか。
「不還果以上の聖者」「再び退転しない位(不還果)の聖者以上の者」とある。
滅尽定が解脱を意味するなら、これはアラハンの定であるはずです。
だが、アナゴンが滅尽定ができるとある。
アナゴンとはまだ解脱していない人たちです。
解脱していないアナゴンがやれるということは、滅尽定が解脱であるはずがない。
ラシンさんから引用されて、不還果の文字にあなたがどう反応するか見ていた。
愕然として、驚き、沈黙するか・・・いやいや、恥知らずなペテン大作さんに
限ってそんなことはない。
あなたは相変わらず、馬耳東風、馬の耳に念仏、猫に小判で、無視していた。
あるいは、読んでも理解できなかったのかもしれない。

104 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:47:23 ID:mvII+9BE
>>70 :神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 23:08:13 ID:SSp6DtBU
>それに対してユビキタスが言っているのは
>第四禅=解脱です。

信者さんたちはペテン大作さんが八方ふさがりで、何を間違えているか、わかりますか。
桐山さんを擁護したつもりで、自分で掘った穴に落ちた。
ペテンさんは、桐山さんに教え込まされて、瞑想が解脱なのだと信じ込んでいる。
瞑想のポーズをとり、ある境地に到達するのが解脱だと思い込んでいる。
その一番すごい滅尽定こそが解脱なのだと思い込んでいる。
だから、上記のような、ユビキタスさんが言ってもいないのに、
ピント外れな指摘が出てくるのです。
四禅や九次第定というような高度な瞑想によって解脱するのではありません。
だから、辞典には、一番高度の瞑想の滅尽定ですら、アナゴンでもやれるとある。
瞑想で解脱できるなら、釈尊は二人の仙人の弟子になった時に解脱していたでしょう。
解脱は瞑想や神通力でするのでもありません。
神通力で解脱するなんて桐山説は嘘です。
ペテン大作さんの墓穴の堀りっぷりが見事なだけで、
彼でなくても、桐山さんの神通力解脱を擁護しようとすれば、
同じように自己矛盾にぶつかります。

105 :ラシン:2009/01/07(水) 01:17:19 ID:22/AEN+R

ザビビでも、釈尊がラーマプッタの非想非非想処を得てどうして解脱できなかったか?
この質問に定番の信者さんは、答えられなかった。
ここでもユビさんはじめ、批判側皆が指摘してもスルーです。
本質が分かっていないからでしょう。
七氏さんの指摘するとおり、瞑想リキという神通力に解脱をリンクしているからです。
批判側は何度も指摘している、瞑想も漏尽の修養、行の一部です。
四禅もその漏尽解脱の手段であることを飛び越えて、逆に特別視してしまう。
だから戒・定・慧の三学があり、五分法身が必須である所以を理解しない。
煩悩を滅尽することが苦の克服だ、と理解しないからすべて矛盾を呈する。
煩悩から解放されたら、どのような心の平安立脚を得るかも理解できない。
言葉一つにこだわり、自身で判断できないのは桐山教に依処し刷り込まれたトラウマか。
今回のQさんの迷走ぶりには、ただ驚くばかりです。
Qさんの意図が、七氏憎しに懲り固まってその意趣返しの気持ちが、多くの経典を
見誤り無理な解釈を招いています。
折角の宝の山をゴミに変えているような所業です。


106 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 01:22:39 ID:qzI1UhNt
解脱には種々の神通が必要と阿含経で釈尊が説法しています。

阿含経の釈尊の説法

「阿那含」が四禅における四神足によっての
種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。

阿那含は五つの天
 
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙

無明



107 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 01:28:31 ID:qzI1UhNt
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就するのには、

神通による二十五聖正見が必要です。

色究竟天色貪 無色貪 掉挙 慢 無明
善見天 色貪 無色貪 掉挙 慢 無明
善現天 色貪 無色貪 掉挙 慢 無明
無熱天 色貪 無色貪 掉挙 慢 無明
無煩天 色貪 無色貪 掉挙 慢 無明  

108 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 01:44:07 ID:qzI1UhNt
四禅における神通による解脱が仏陀の切り開いた道です。
釈尊の二人の師匠はいずれも心の平安は極めている境涯にありました。
心の平安も輪廻転生の仕組みの中にとりこまれている前提を
釈尊は四禅における神通による解脱を新たな中道として切り開いたです。
四禅にて種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。


仏陀の解脱

輪廻転生の縁の無効化
存在する悟りの領域
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅
以上の三つの条件の成就
滅盡定を成就した人の状態像です。


仏陀の入滅による解脱

最後の身体の生存の素因・潜在勢力・諸根存在の感覚系を
聖正見により
素因の核を捨て去る(輪廻転生の核)
余力が滅して肉体の死

109 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 02:02:05 ID:qzI1UhNt
欲界、
色界、
無色界

色界の第四禅から無色界の禅定に移行しないで
智慧の完成のヨーガをおこなうのです。
(「神通=四大の統治」であり、ヴィバッサナーではありません。)

神通を以て法を伝える存在となるです。


110 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 02:06:19 ID:qzI1UhNt
滅盡定を成就した人の状態像は、
滅盡定を成就した人でないとわかりません。
仏陀・阿羅漢は、自他に対して漏尽を確認できるようになります。

111 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 02:12:24 ID:qzI1UhNt
阿含経での釈尊の説法では、

神通の機能だけではなく、
阿那含・四禅・意生身・四如意足による聖正見が必要です。

112 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 02:19:37 ID:qzI1UhNt
ある境涯までの心の平安も
神通による出世間の正見も
仏陀としての解脱の必要なプロセスなのです。

仏陀の解脱

輪廻転生の縁の無効化
存在する悟りの領域
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅
以上の三つの条件の成就
滅盡定を成就した人の状態像です。


仏陀の入滅による解脱

最後の身体の生存の素因・潜在勢力・諸根存在の感覚系を
聖正見により
素因の核を捨て去る(輪廻転生の核)
余力が滅して肉体の死=即、存在するさとりの領域。


113 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 02:24:52 ID:qzI1UhNt
理解しやすい


http://www.accesstoinsight.org/index.html

http://en.wikipedia.org/wiki/Nirvana_Sutra

114 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/07(水) 02:47:46 ID:o1x3fgc/
>>97
心配だと?おまえは勝手に人のことを想像して勝手に心配するのか?
しかもどう見ても嫌味にしか聞こえん。
まあおまえの知識の足りないところを空想で言ったり、都合の悪いところを妄想で解釈する
レス見てたらさもありなん。

115 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/07(水) 02:50:15 ID:o1x3fgc/
今晩も擁護側は桐山や阿含宗の道場とは乖離した話しで荒らすのに必死でしたね。

116 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 08:38:47 ID:2n8iJZQF
ギャアテイの内容は読みにくいがまともだよ。

117 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 12:09:10 ID:hmkQ2Eoj
ゲイカの誕生日、過ぎてしまったな。いくつになったのかな。

118 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/07(水) 12:35:10 ID:o1x3fgc/
>>116
引用元がまともだから、貼り付けただけなら、それはまともだろう(笑)。

で、あなたはそれを利用してスレを荒らすのをなんと見ます?
韓国のデモは女子供や身障者を前に出して官憲の規制行動を阻止するそうだが、
聖賢の言葉を使ってスレを荒らすのもこれと同じじゃないか?

119 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/07(水) 13:25:09 ID:IUqXJBph
>>116
マトモなことを書いているはよいが、それがこのスレでどう機能して、誰のどういう書き込みに対して
反論なりどういうレス機能を持たせているかわかりますか?
わかった箇所だけでよいから試しに具体的に解説してください。

120 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 13:27:19 ID:2n8iJZQF
荒らしは私文書だよ
ギャアテイなりにちゃんとしてる内容だから認めるくらいしたら?いい事教えてくれているから素直に感謝します。批判と擁護にこだわってばかりだと見苦しいだけだよ。



121 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 14:32:21 ID:XM7XZ76d
ぎゃいていはまともな人間
だが、ユビキタスはバカ丸出し

122 :樹意:2009/01/07(水) 14:40:49 ID:bgb8+n6f
>>1 さんスレッドありがとうございます。

沙門果経 83節で解脱したしないの議論を吹っかけている方が
いるようですが、そもそもこのスレッドは目に見えるゲイカのウソを批判した板であります。
沙門果経 44、 もろもろの戒律条項を正しく受持し、学びます。
以降45節より小戒 46節より中戒 56節より大戒 (占い呪術より離れるーー)

戒清浄 戒学の足場なくして心清浄定学の議論は成り立たず、仮に神通力を前面に
出すものであっても仏陀が説くものは全てこの 戒清浄を前提にしたものでありますから
Q氏あらため大作さんのはただただ七氏さんと遊びたいだけのものです。
戒清浄に関して代作さんは完全無視を決め込んでいる。
それに四禅で解脱したしないの議論が アゴンと何のかかわりがあるのか、
大作さんはキチンと説明するべきでしょう。
七氏さんは居間でオシッコをすると表現されていますが、
いい加減、スレッドと関係ない無駄な書き込みは遠慮すべきでしょう。



123 :樹意:2009/01/07(水) 14:54:18 ID:bgb8+n6f
>>73

> 私に質問するのはお門違いです。
> 私は学者の本の内容を紹介しているのだから
> あなた方の相手は私ではない。

大作さんは自説の根拠に引用したわけだが、 批判されて詰まると
このように責任を引用先にもっていく、 
であるなら 大作さんの引用は全て信用がおけないということになる。
すくなくとも自説との説明責任をはたすべきだろう。



124 :樹意:2009/01/07(水) 15:03:54 ID:bgb8+n6f
参考資料 旧セヤドー HPより

 もう一つ指摘しておかなければならないのは、無為涅槃を証するとき、
心識は滅尽することなく、道心と果心の二者は、有為涅槃を所縁(対象)
とすることである。唯一、心識の生起を中止させることのできるのはただ
「滅尽定」(nirodha samaapatti)の中においてであり、唯一四色、四無色禅八定
を具備するアラハンとアナガミ聖者のみが、滅尽定を証することができるのである。
故に、ある種の修行者が「識はすでに滅尽した」または「心はすでに滅尽した」
と述べるのは、実は不可能なことであり、真の涅槃の証悟とも合致しないのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

滅尽定にまでいくと心識も停止する。 前スレでも紹介したが清浄道論等によると
アナゴンや阿羅漢が休憩する場という意味合いがあるようです。
どちらにしろ滅尽定で解脱するわけではない。

四禅でも対象によって数種ある、安般念、遍禅 ーーー 
更に世間禅 出世間禅  止禅 観禅  いろいろなパターンがあるということを踏
まえないといけない、 セヤドーによると止禅の法門は40数種 観禅は2種
この観禅によって涅槃を得る。所謂 名色 (心身)の観智 


125 :樹意:2009/01/07(水) 15:12:42 ID:bgb8+n6f
そもそも 滅 というのは四聖諦における 苦 集 滅 道
のことで涅槃のことです、
仏教を語るには 四聖諦は欠かせない。

十六観智には 生滅隋観智やら壊滅随観智 等々説かれる
旧セヤドーhpより

これらの観智(の修行)に続いて、修行者は各行法ごとの消失と壊滅と、内心の、
それらから解放されたいと願う願望について、引き続き識別する。その結果、
修行者はあらゆる行法が止滅していることに気がつくであろう。(このとき)
修行者の心は、直接無相の涅槃を見極め、かつ完全に覚知しているのである。

そのとき、修行者は四聖諦の真実なる智慧を獲得し、かつ自ら涅槃を証悟する。
このような証悟によって、修行者は邪見を取り除き、また心は清浄になる。もし、
このように修行し続けるならば、修行者は、阿羅漢果と般涅槃を証悟することができるであろう。

滅とあるから滅尽定というのは大作さんの短絡思考です。


126 :樹意:2009/01/07(水) 15:20:31 ID:bgb8+n6f
四禅三明(☆明) とあるように 止観均等の境である四禅が
定が深すぎもせず、観禅を進めるのに一番いいわけだし、
沙門果経も四禅から 智 に向かうとある。

ただ本来こんな議論は 原始仏教スレッドのようなところで
やるべき議論であって、 あからさまな戒律違反のゲイカや教団を
批判する板でやるべきことではない。



127 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/07(水) 16:20:58 ID:o1x3fgc/
>>120
>荒らしは私文書だよ
>ギャアテイなりにちゃんとしてる内容だから認めるくらいしたら?いい事教えてくれているから素直に感謝します。批判と擁護にこだわってばかりだと見苦しいだけだよ。

何言ってるの?>>1を100回嫁。

128 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/07(水) 16:22:40 ID:o1x3fgc/
>>1
>「羯諦」がスレ荒らしをしていますが、無視しましょう。

一応自分で言ったことを確認するためにみたら、ちゃんと釘刺してあるじゃないですか(笑)。

129 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 16:24:38 ID:hmkQ2Eoj
わしら会員にはレベルが高すぎてついていけません。教団にお金を吸い上げられて、猊下の御著書とアゴンマガジンを買うのがやっと…。南伝大蔵経や国訳一切経の阿含部どころか、岩波仏教辞典さえ持ってません。あぁ、今年も寒くて厳しい出費の季節がやってきました…。

130 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 17:04:14 ID:IAELR0X0
>>129 :神も仏も名無しさん :2009/01/07(水) 16:24:38 ID:hmkQ2Eoj
>わしら会員にはレベルが高すぎてついていけません

そう言わずに、頭を使いましょう。
今は信者の一部が嫌がらせのために小難しいことを小難しい言葉で
議論をふっかけてくるから、相手にしているが、
元々の議論は、アゴン宗の「神通力によるカルマ解脱」が
正しいかどうかというテーマです。
これが小難しいというなら、ちょうど、大日さんが因縁解脱について
「皮はぎ」をしているから、
http://www2.atchs.jp/agama/
に行ってみてはどうですか。
あなたの意見や質問があれば、あちらに書いてもいいし、
ここに書いても、誰かが説明します。
阿含経についても、いきなり南伝大蔵経や國訳一切経ではなく、
岩波文庫の中村博士のわかりやすい阿含経はどうでしょう。
一冊千円もしません。
釈尊の教法はあれがすべてです。
無学だった二千五百年前の人たちが理解できたことを
今日の我々が理解できないはずはない。
寒空にさらに金も脳味噌も吸い上げられて、焚き火の宗教ゴッコを続けるか、
それとも、少額の本と自分の頭を使って、心も財布も温かくなるか、
本人の選択しだいです。

131 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 18:18:41 ID:2n8iJZQF
客観的に観て、荒らしは私文書だよ。スレたてに執着してることが煩悩じゃんw
必死な批判なんて心の平安とは程遠いでしょ。
ギャアテイの内容がアゴン経に書いてあるなら、議論終了でバツ悪いのかな?



132 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/07(水) 20:09:21 ID:o1x3fgc/
>>131
>スレたてに執着してることが煩悩じゃんw
>必死な批判なんて心の平安とは程遠いでしょ。

そうかも知れんがそれは私自身の問題だ。なんの権利があって容喙するの?


また、私の心にばかり踏み込んでなんで33点の心を観ないのかね?

116 名前:神も仏も名無しさん 本日のレス 投稿日:2009/01/07(水) 08:38:47 2n8iJZQF
120 名前:神も仏も名無しさん 本日のレス 投稿日:2009/01/07(水) 13:27:19 2n8iJZQF
131 名前:神も仏も名無しさん 本日のレス 投稿日:2009/01/07(水) 18:18:41 2n8iJZQF

今日は名無しになって自作自演かい?(笑)。

133 :樹意:2009/01/07(水) 21:12:42 ID:t3NXhu0E
カルト宗教を批判する板を立てるのは最大級の善行です、
ゲイカのイベントの後をみて御覧なさい、
ニューヨークではテロが起き、台湾では地震、
アウシュビッツは財政難、中東イスラエルでは全面戦争が始まった。
資金的にはイスラエルに組みしている。
いつも私文書氏が書いている負の験です。
世界平和の為にもアゴンは批判するべきです。WWW♪〜

134 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/07(水) 21:26:45 ID:IUqXJBph
今年の星まつり放送とか、その後に必ずでる週刊誌のアゴン宗広告記事はちょっと注目だな。
通常ならば昨年のイスラエル護摩を取り上げてさんざん自慢する。
しかし今の状況ではそれがしにくいだろう。
イスラエルに平和を祈りに行きました。そのイスラエルは平和を脅かしています。
隠しておきたいネタになるでしょう。
桐山さん。アウシュビッツの時とは違った意味でやるんでなかったと後悔してない?

135 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/07(水) 21:34:53 ID:IUqXJBph
ニューヨークの時はまだアメリカがテロに脅かされる立場だった。
その後報復に出たが。
桐山さんは「宗教は暴力に対して無力なのか?」と嘆いてみせても、世間はそこまで責任など
追及もしなかったでしょう。
しかし今回は手を取り合ってイベントを したイスラエルが脅かす側です。
沈黙していても無力だったんだねと批判される立場です。

136 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 23:51:02 ID:YEHBWnIs
現実
イスラエルとアメリカの関係が日本の立場を左右してしまいます。

137 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/07(水) 23:57:47 ID:YEHBWnIs
第十三支族・カザール王国の謎
ユダヤ人とは誰か?第十三支族・カザール王国の謎
宇野 正美 (翻訳), アーサー ケストラー, Arthur Koestler

*あるカスタマー・レビュー

「ホロン革命」で生命と宇宙の一般システム論を提起したケストラーは、
自殺したことになっているが、この書を書いたために暗殺されたのだという説がある。
ケストラーは自らも属する現在一般にいわれている「ユダヤ人」、
アシュケナージ・ユダヤ人が、
本当のユダヤ人ではなかったと証明する。
問題は、邦訳の宇野正美が、ユダヤ陰謀論の著者なため、
この書が日本ではゾッキ(トンでも)本扱いされてしまったことだ。
-----------------------------------------------------------------------
また、『「ユダヤ」を自称する
「アラビア半島南西部のアシール地方生まれの原始部族神話を信じ込む「ユダヤ教徒の集団」
(大半はトルコ系白人種でユダヤ教に改宗した旧カザール王国の末裔)』というところで、
気になる話を最近聞きました。



138 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 00:02:01 ID:DMz+wJGH
俺は年に1回の星祭りで、新しい女性信者と巡り合うことだけが楽しみなおだが?

139 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 00:03:50 ID:YEHBWnIs
英国・米国およびイスラエルの遺伝学者が
ユダヤ人の遺伝的起源を調べたところ、
ユダヤ人共同体の半数以上が、
中近東とは無関係の中央アジア起源だったことが判明した。



140 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 00:06:41 ID:1xz5dhEG
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦は良いこと言ってる
ちゃんと見ろアホ批判者ども!

141 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 00:11:39 ID:qrj6SKi8
>>140
最近は携帯を使えばIDの二つや三つ使い分けられますから(笑)。

142 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/08(木) 00:19:23 ID:pBrr3lQw
>>140
イスラエル護摩がイスラエルのガザ空爆攻撃の何の抑止力にもならなかったという批判にどう反論できている?
説明してごらんなさい。
まさかイスラエルがパレスチナを攻撃して多数の死者を出したことは正当であると言いたいのか?


143 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 00:26:23 ID:HphlbIPX
アテにならない法力を必死に検証して
今年も殺伐なスレを目指しましょう。

144 :神も仏も名無しさん :2009/01/08(木) 00:57:38 ID:bLh6iHxs
>>140
ダセー
きちんと何が良いのか、説明しなよ。
でないと、ただの「アホ擁護」でしかない。

145 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:09:16 ID:bWh/fKHy
>>140

羯諦は何もいってない。断片的な受け売りだけ。桐・山師にそくーりなのだ。

146 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 08:59:21 ID:3rGl9dl+
でた!厨房のレッテル貼り!私文書はレベル低すぎるわ。怨みだけの人間は素直になれないね。

147 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 11:05:08 ID:qrj6SKi8
>>146
素直になったらスレの趣旨に反した書き込みを延々とする33点がおかしいだろうが。
そんなに33点の言うことがすごいのなら、他のスレに書き込んで見てもらえよ。

148 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 11:10:59 ID:qrj6SKi8
>>146
>私文書はレベル低すぎるわ。

自分では高度だと思ってる理論や教学を場違いの所で開陳するのが阿含宗です。

149 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 11:11:31 ID:qrj6SKi8
>>146
>厨房のレッテル貼り!

つ鏡

150 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 11:13:30 ID:npg/TCgS
止息法の、
実行委員長!って、どこに消えたの?

151 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 11:15:24 ID:qrj6SKi8
>>149自レス

>>146
私は確かに原始仏教や上座部は素人に近い。低レベルだろう。
しかし、ヴィパッサナーの一つもかじったことはある。

君は無いようだね。低々レベルの私以下じゃないか。少しは自分の心を観なさい。

152 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:35:14 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。
内的に平安になった人は取り上げられるものは存在しない。
どうして捨てられるものがあろうか。」(『ブッダのことば』200頁)

信者さんたちが、釈尊に供養して功徳という見返りを求めようとすること自体が、
欲望という心の嵐であり、心の平安とは逆であることに気が付いてください。
そういう目で上記の釈尊の言葉の意味をよく考えることです。
子孫さんは必死に、釈尊が現実的な功徳を説いていると主張している。
福徳を御利益だと解釈しているからです。
餓鬼の目しか持たない彼にはそのようにしか見えないのだろうが、
釈尊が説いている福徳とは、御利益のことではありません。
「福徳・・・善いこと。功徳とも訳される。」
「功徳・・・善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう。」
「また、無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という。」(『岩波仏教辞典』 )
福徳は功徳と同じ意味です。
功徳とは善根を修することであり、その善根とは貪、瞋、癡の煩悩をなくすことです。
つまり、釈尊のいう功徳を得るとは煩悩をなくすことで得られる心の平安のことです。

153 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:40:11 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

信者さんたちも、釈尊が様々な事を説いたのではなく、一つの事を、
当時使われていた様々な名前で説いていることに気が付いてください。
釈尊が用いた様々な名前を別々の事だと思ってしまうと、
100科550道品なんて、とんでもない話になってしまう。
一つの事とは、「煩悩を切れ(漏尽解脱)」ということです。
「功徳を種えろ」と釈尊は説いた。
功徳とは善根を修することであり、善根とは貪、瞋、癡の煩悩をなくすことです。
「真のバラモン」になれと釈尊は説いた。
バラモンという階級の話ではなく、煩悩を断ち切った比丘たちのことです。
「梵行」とは、アゴン宗の意味と違い、元々は性欲などの欲望を慎むことです。
そして、釈尊は梵行とは八正道そのものだとも説いた。
つまり、梵行とは煩悩を断ち切る修行のことです。
三明とは元々はバラモン教で使われていた言葉です。
それを釈尊は煩悩によって自分や他人が輪廻し、煩悩を断ち切ることで
輪廻が止んだと自覚する神通力に置き換えた。
解脱は当時の宗教では輪廻から脱出することとされていた。
釈尊は、煩悩を断ち切ることで輪廻から脱出して解脱すると説いた。
ブッダも当時の宗教で用いられていた言葉です。
釈尊は、ブッダを煩悩を断ち切った存在とした。
煩悩を断ち切れと説いているから、三結という煩悩を切ればシュダオン、
五結の煩悩を切ればアナゴン、十結の全部の煩悩を切ればアラハンです。
このように、釈尊はすべて漏尽解脱(煩悩解脱)だけを説いているのです。
因縁解脱や霊障解脱などあるはずもないし、御利益信仰もありません。

154 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:42:31 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

釈尊の教法とは全部、煩悩を切れと説いているだけです。
こういう釈尊に向かって、現世利益を説いたかのように解釈することが
どれほど恥ずかしいことか、信者さんたちに自覚してほしい。
「欲を減らしなさい」と説いている相手に向かって、
「欲をかなえてください」とお願いしているのが信者さんたちの姿です。
護摩木祈願から先祖供養まで、アゴン宗のしていることはすべて欲望の拡大です。
先祖供養や世界平和なんて、建前はきれいだが、内容は違う。
先祖や死者が霊障という毒ガスを出して自分たちを不幸にしているのだという。
先祖や死者を悪霊扱いして、これのどこが先祖供養、世界平和なのだ?
「あいつらが悪い」と言っているのと同じで、
こういう態度こそが戦争の大きな原因だと気が付きませんか。
イスラエルもパレスチナもお互いに相手が悪いと非難して殺し合いをしている。
アゴン宗も同じです。
霊障のホトケが悪いとして、成仏ホーというミサイルをぶち込んでいる。

155 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:47:28 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

釈尊の教法には霊障解脱も先祖供養もありません。
なぜなら、これらは自分以外、つまり「外」だからです。
死者や先祖が霊障という騒音を発生させているから、こいつらを黙らせるというのが
アゴン宗の星まつりやイスラエル護摩です。
だが、釈尊は「外に静穏を求めてはならない」と説いている。
霊障のホトケや悪因縁など、自己以外の外に変化を求めるのは仏教ではありません。
対象は、どこまでも煩悩を持った自分であり、自分の心です。
「外」に求めないのだから、如来に何かを求めることもしない。
「外」である如来に供養することで見返りの功徳を得て、
因縁を切るとか、先祖供養で霊障を解くなんてありえません。
騒音を発生させて静穏を乱しているのは、霊障のホトケでも、
悪因縁でもなく、信者さんたち自身の煩悩です。
霊障が怖い、因縁が怖い、好運が欲しい、超能力が欲しい。
祈りで世界が平和になるように、焚き火で世界が平和になるように。
信者さんたちの心はこういう欲望や恐怖や執着という騒音に満ちている。
焚き火を焚いて、太鼓を叩き、踊り、呪文を唱えて
霊障のホトケや霊障のカルマとやらの「外」の静穏を求めている。
釈尊の上記の指示とは正反対のことをしている。

156 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:53:46 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

イスラエル護摩が外の静穏や心の平安どころか、信者さんたちは
悪業を為したことに気が付いていますか。
アゴン宗はイスラエルの為政者や宗教関係者に巨額の費用を渡している。
パレスチナ人を殺戮しているのは同じ為政者たちと宗教指導者です。
アゴン宗が出したお金が間接的に殺戮に使われたのと同じです。
オウム信者の多くはサリン事件には直接関係していないが、
彼らが出したお金や労力を背景として殺人が行われた。
関与しなかった信者たちに直接の罪は問えないが、道義的な責任はあります。
これと同じで、アゴン宗はパレスチナの殺戮をしているイスラエルに
「共感」したばかりか、政治家たちに直接資金まで提供したのだから、
間接的に関与しており、道義的な責任がある。
あなた方が如来への供養だと思って出したお金は、
間接的にせよ、パレスチナ人の虐殺に使われたのだ。
今までの柴燈護摩は死者を冒涜するに留まった。
これだけでも十分に罪深いのに、イスラエル護摩はそれを越え、
ついに現実の人間を殺すのを手伝ったことになる。
信者さんたちはこの悪業を自覚していますか。
信者さんたちには更に別な責任もある。

157 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 12:58:19 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

信者さんたちは他人に護摩木勧進する時、中東の平和を祈願することが目的だと
説明して、賛同を得たはずです。
だが、それは嘘であるばかりか、現実はまったく逆ですよね。
宣伝と違い、中東に平和どころか、戦争が始まった。
これだけなら、宣伝に偽りアリで、単に他人を騙したにすぎないが、
もう一つ重大なことをしていることに気がついてますか。
護摩木のお金はイスラエル側に渡され、イスラエルはパレスチナ人を虐殺しているのだから、
中東の平和どころか、虐殺に間接的に手を貸すように、他人まで巻き込んだことになる。
信者さんたちの手が血で汚れただけでなく、他人の手まで汚したのです。

158 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:14:20 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

信者さんたちは、殺戮の間接的な手伝いをした、などと批判されて、
猛烈に反発心を感じているでしょう。
「自分は心から平和を願っただけだ」と言うでしょう。
だが、あなたがどんな気持ちであったかなんて関係なく、為したことが現実です。
交通事故で人をはねたいと思っている人はいないが、はねたら責任を負うしかない。
あなた方が為した現実をよく見てほしいのです。
信者さんたちが集めた金はアゴン宗を通じてイスラエルの為政者に直接流れ、
その為政者たちがパレスチナ人の子供までも虐殺している。
まさか、護摩木祈願したたけで、間接的にも虐殺に自分が手を貸すとは
予想もしなかったでしょう。
人を助けるつもりが、逆に殺戮の手伝いをしてしまった。
オウムと同じなのですよ。
なぜだと思いますか。
欲望という煩悩のままに信仰をしているからです。
桐山さんは世間への恨みから、欲望の拡大を説き、信者さんたちは支持し、
付き従い、手伝っている。
戦争は欲望や憎悪などの煩悩のぶつかり合いです。
信者さんたちの信仰も戦争も煩悩から派生して同質だから、助け合ったのです。
今のままなら、あなた方はまた別な悪業を作りますよ。

159 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 13:23:25 ID:/jm9fnPw
「919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

殺戮の間接的な手伝いをしたと批判されて、腹を立てる前に現実をよく見ることです。
桐山さんは老人で、先が長くないと自覚しているから、いよいよ欲望のままに行動する。
後ろから資金や労力を援助する信者さんたちもますます欲望が強くなっている。
そしてその行き着いた先が、なんと殺戮の手伝いです。
してしまったことは取り返しがつかない。
桐山さんの欲望は拡大しているから、今のままなら、あなた方はもっと
大きな悪業を為すことになる。
前世の悪業を帳消しにしてもらうつもりが、逆に新たな悪業を作っている。
アゴン宗と違い、仏教では為した悪業は帳消しにはできません。
だから、釈尊は、過去や前世ではなく、いつも「今とこれから」を説く。
四正断でも、過去に為した悪事は今後繰り返さないように説いている。
悪業とは、信者さんの目の前にある護摩木一本のことです。
よく目をあけて見てください、その一本で殺戮の手伝いをしてしまったのです。
護摩木とは、欲望と恐怖と愚昧の塊であることに気が付いてください。
清らかどころか、煩悩という汚物そのものです。
現実をあるがままに見て、四正断に従い、過去になした悪業は繰り返さないことです。

160 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:58:24 ID:Ax0BDv35
今年はいい年になると言ったでしょう?
批判側はもう終わりです。

>604 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:08:49 ID:6vqPNoyl
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
>汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>という経典の文章の意味が、解脱でないという学者がいるなら出してみなさい。
>と私から言われて、あなたは出せたのか。

次に挙げる記述には
「菩薩」が三つの知恵を獲得しその結果如来となった、
と書かれています。
「解脱者」が三つの知恵を確認したのではありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。

『菩薩がこうして精神を集中したとき、精神を縛るきずなは放棄され、
尽き果て、精神は一点のくもりもなく澄みわたり、
しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守るようになっていた。
すると彼は数々の前世の認識をみずからまのあたりに見た。自身で自身の前世を知った。』

『菩薩が専心によって精神を集中してしまい、精神を一点のくもりもなく澄みわたらせ、
すべてのきずなから解き放ち、その汚れを一切消滅させ、
しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守るようにしおおせたとき、
彼は生きとし生けるものの生と死を知った。
澄みきった天眼のおかげで、生きとし生けるものの生と死を見た。』


161 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:59:22 ID:Ax0BDv35
『菩薩がこうして精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき、
数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。その認識は彼の前に現れた。
不純なものを涸らしつくす認識について考えるうちに、彼は現実に即して苦を知り、
苦のみなもとを知り、苦を止めることを知り、苦を止めることにつながる道を知った。
これらの聖なる真理を得て、それらを彼は現実に即して知った。
現実に即して不純なものを知り、不純なものを止めることにつながる道を知り、それらを現実に即して知った。
こうするうちに、彼はそのように知り、そのように見た。彼の精神は欲望の不純さから解放され、
彼の精神は生きることの不純さから解放された。
解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。
「わたしにとって、数々の生は涸らしつくされた。浄らかな行いがなしとげられ、なすべきつとめは果たされた。
わたしはもはや二度と生をうけることはない」
この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。
タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
無碍の認識を得た。(ダルマグプタカ派のヴィナヤ・ピタカより。大正蔵第二二巻「四分律」七八一 頁 中ー下)』
(『ブッダの教え -初期経典をたどって』 52〜55頁 アンドレ・バロー著、大東出版社 2005年)

162 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:00:33 ID:Ax0BDv35
『本書で訳したテクストはすべて、
スートラ・ピタカとヴィナヤ・ピタカから選ばれたものである。
それらは、既述のように、ブッダの生涯と教え、
伝記の形成の第一段階がどのようなものだったのかを知るために、
もっとも古くもっとも確実な原典だからである。』
(同書 33頁)

『アンドレ・バロー』(1921−1993)
20世紀のフランス仏教学の第一人者。
19世紀以来フランスは仏教研究の分野で世界の主導的位置を占めていた。
フランスの学問研究の最高権威であるコレージュ・ド・フランスで20年間、
教授の地位にあったバローは名実共にフランス最高の仏教学者であった。
バローの成果は、10数冊の巨冊、150余の論文、300近い書評の形で公刊され、
その業績は初期仏教に関するもっともすぐれた、もっとも信憑性のある、
もっとも歴史の実像に近い知識の集大成を形成している。
(同書 「アンドレ・バローの業績」より抜粋)

163 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:12:32 ID:Ax0BDv35
バローははっきりと「菩薩」と書いている。
「菩薩」が自身の過去世を知り、
「菩薩」が人の生死を知り、
「菩薩」が不純なものを涸らしつくす認識を得たのです。
解脱した比丘ではなく「菩薩」なのです。
それは、
「精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき」
という文句は解脱ではないことを意味しています。
同様に、
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動」 という文句も解脱ではないことになります。

ベック、バローという西欧の超一流の学者たちが
「心を統一され・・・」の文句を解脱だとは解釈していないのです。
この文句が解脱だなんて言ったら世の学者たちから大笑いされます。
七氏やユビキタスは「解脱→三明」を言いたいために
瞑想する比丘を解脱者に仕立て上げその解脱者が三明を確認している、
という風に仏典の意味を作り変えてしまった。
本当に悪質で許されない行為をしたのです。

164 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:14:13 ID:Ax0BDv35
以下の書き込みは全部嘘です。
しかし何とまあ仰山ありますなぁ。
嘘つきは何を言っても信用されません。
七氏、ユビキタス、そしてそれに賛同するラシン。
閻魔に舌を抜かれぬうちに謝りなさい。
これで忠告するのは三度目です。

115 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:54:17 ID:s8pu1w+h
釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。
116 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:59:44 ID:s8pu1w+h
漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力だから、
その前に煩悩が尽きて、解脱しているのは当たり前なのです。
117 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:06:13 ID:s8pu1w+h
三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです。
118 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:10:28 ID:s8pu1w+h
三明も六神通力も、内容を見れば煩悩を切ることとは関係ないのです。
119 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:19:56 ID:s8pu1w+h
苦の素は煩悩」というのが釈尊の偉大な発見なのです。
本当に成り立つかどうかを自分の前世や他人の輪廻する姿を見て確認したのです。
205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:574E+w79
こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
234 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:34:25 ID:pKE3Cyk3
安定、清浄、純潔、汚れないとは、心が煩悩から離れている状態、つまり解脱です。

165 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:15:22 ID:Ax0BDv35

237 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:47:03 ID:pKE3Cyk3
沙門果経の「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」を
あなたは煩悩から離れた解脱であるとみなしていない点です。
これらは煩悩から離れた状態だと>>205で説明したのです。
煩悩から離れたとは、解脱したという意味です。
239 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:56:02 ID:pKE3Cyk3
「小さな煩悩も離れ」とは、「小さい煩悩は言うに及ばず、すべての煩悩を離れた」
という意味です。
だから、この段階ですでに解脱している。
240 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:02:50 ID:pKE3Cyk3
清浄、純潔とは、煩悩から完全に離れた状態、つまり解脱をさす。
煩悩のない状態が遍満しているとは、煩悩から完全に離れたという意味です。
神通力の前に、これらの説明があるというのですから、
神通力の前にすでに解脱していたのです。
241 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:06:30 ID:pKE3Cyk3
私は繰り返し、沙門果経を読む限り、解脱した比丘が意生身を作り出せると書いている。
282 :ラシン:2008/11/26(水) 12:12:24 ID:y9LFGnyE
心の安定、清浄で純潔、汚れなく、これらはすべて解脱を得たからこその境地、
との七氏さんの解説に納得出来るものです。
324 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:55:38 ID:YDAYFU3L
沙門果経の記述は誰が読んでも、三明の前にすでに煩悩を断ち切っていると
釈尊は表明しているのです。


166 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:21:41 ID:Ax0BDv35
332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
333 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:26:39 ID:lnhRYV0M
あなたは、神通力を体得してから煩悩を消滅させたと解釈しているが、
煩悩を消滅して解脱したことを三明で確認したとあるだけです。
335 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:31:03 ID:kNy4p3x+
黄廬園経や、あなたが引用した中村博士の文章でも、釈尊は解脱の過程を
一つずつ丁寧に説明しているが、三明の前にすでに煩悩を
断ち切って解脱していたことを述べている。
394 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:29:11 ID:pLPmJkcx
82においてすでに、
「清浄で純潔な心が遍満していないところはありません」
と、煩悩から離れたことを述べている。
さらに83で「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」「柔軟」
「機敏にものに応ずるもの」「堅固な不動」とは、全部同じ内容をさし、
煩悩から離れて解脱したことを意味する。
あなたのように「小さな煩悩も離れ」だけ見るのではなく、前後の文章や
前の項の文章を検討するなら、文章全体の意味からしても、83の前に
すでに煩悩を断ち、解脱していると宣言しているのです。


167 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:01:38 ID:Ax0BDv35
88 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:22:56 ID:qzg9f1IX
この描写ではすでに、「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」とある。
これらは全部同じことで、煩悩がない、つまり解脱したという意味です。
宿命通の前に煩悩をすでに消滅させ、次に自分の前世を透視したと述べているのです。
つまり、三明(宿命通、天眼通、漏尽通)の前にすでに釈尊は解脱しているのです。
89 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:32:59 ID:Y9QwwZmh
内容も、「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」
とは、煩悩が消滅し、解脱したことを意味します。
91 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:42:36 ID:Y9QwwZmh
「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」(菩提王子経)
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」(沙門果経)
の記述が解脱を表すからこそ、その後に三明が出てくるのです。
399 :ラシン:2008/12/15(月) 11:57:44 ID:/DSPUDpc
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し不動心を得、」
を憶宿命智通で証明した、憶宿命智通ですでに解脱していることを証明した。
との意味に取れます。
217 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:21:44 ID:LiW2bejT
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩が消滅したという意味です。
235 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 12:52:46 ID:vay/AmP6
だから、「「心が統一され、清浄で、・・」とは解脱したことを意味する。


168 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:02:38 ID:Ax0BDv35
280 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 18:42:36 ID:CAFUQ7yU
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、まさに上記の釈尊の説明と同じで解脱そのものです。
329 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:04:03 ID:BmUBx+lj
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは煩悩から解き放たれた、つまり解脱したという意味です。

169 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:03:36 ID:Ax0BDv35
解脱には慧解脱と心解脱の二種類がある。
批判側は心解脱しか頭にないみたいです。
この文章を繰り返し10回ぐらい読むことですね。

『解脱は仏教の真の悟りの境地であり、仏典によれば二重の面を持っている。
すなわち、"理知の解脱"〔慧解脱〕と "心情の解脱"〔心解脱〕とである。
このうち、前者は、理知による解脱であると同時に、理知を超えてさらにいっそう
高度の意識状態に到達することと理解される(『増支部経典』四・四五二ページ参照)。
一方、心情の解脱は、官能的な存在に束縛するところのあらゆる煩悩から心情を解放することであり、
それはすでに古いウパニシャッドに"心の結び目をほどくこと"と説かれているものと同じである。
「妄想を滅ぼす〔漏を尽くす〕ことによって、すでに現世〔現法〕において、
妄想のない〔無漏の〕心情の解脱と理知の解脱に到達することが涅槃である」
と説く個所が仏典の中に多い(たとえば、『増支部経典』三・二九ページ、四・一一九ページ)。』
(『仏教「下」』 152,153頁)

170 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:10:49 ID:qrj6SKi8
>>164 名前:神も仏も名無しさん 本日のレス 投稿日:2009/01/08(木) 15:14:13 Ax0BDv35
>以下の書き込みは全部嘘です。
>しかし何とまあ仰山ありますなぁ。

人のこという前にこのウソはどうなんだ?
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

171 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:19:26 ID:Ax0BDv35
批判側は>>160についてこんな屁理屈を考え出すかもしれません。

『菩薩が精神を集中した結果、自身の前世を知った。
だから「こうして精神を集中したとき・・・」は解脱を表しているのだ。』

だがもしそうだとしたら、その時点で菩薩は解脱者となるのだから
次に登場するときは菩薩であってはおかしい。
ところが経典では再び菩薩が
生きとし生けるものの生と死を知る、とある。
そしてまた次も菩薩が
不純なものを涸らしつくす認識を得た、とある。
このように再三にわたって菩薩が登場しているのだから
「こうして精神を集中したとき・・・」という文句は
解脱を表してはいないことになります。

172 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:23:42 ID:Ax0BDv35
>>170 :私文書為造
嘘つきは泥棒のはじまり。
嘘つきは何を言っても信用されない。
批判側の命運はここに尽きたのです。
さあ、星祭りです。
信者は一丸となって梵行に精進いたしましょう。

173 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:25:36 ID:qrj6SKi8
>>171
人の屁理屈心配するより↓これらを霊障や因縁のせいにする屁理屈心配しろ。

「犯罪行為・経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

174 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:30:50 ID:qrj6SKi8
>>172
>嘘つきは泥棒のはじまり。

初めて意見が合ったな。おまえのいう>>160がどういうウソなのか頭の悪い私には理解できん。
でも↓これはウソで泥棒のバリエーションの数々であることは解る。

「犯罪行為・経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪



当に桐山はウソつきで泥棒。

175 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:35:21 ID:qrj6SKi8
>>172 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/08(木) 16:23:42 ID:Ax0BDv35
>嘘つきは何を言っても信用されない。

頭のいい君がどうしてウソつきで泥棒の桐山を必死で擁護するのかね?
>>160のウソがどのように人を騙して財物や労力・時間をくすねるのか理解できんが、
とりあえず今までにそんな目にあった人は居ない。

人の財物や労力・時間を泥棒した桐山をどうして信用するの?

176 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:37:04 ID:Ax0BDv35
仏典の

インチキ解釈

引っさげて

今日も書きます

老人いじめ

177 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:37:51 ID:qrj6SKi8
>>174-176内の「>>160」は、>>164-168」に訂正。

178 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:39:51 ID:Ax0BDv35
阿含には不思議な霊力があります。
それは自身で体験しているので
疑う余地はありません。


179 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:40:40 ID:qrj6SKi8
>>176 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/08(木) 16:37:04 ID:Ax0BDv35
>インチキ解釈

インチキ解釈かどうか頭の悪い私には解らんが、
誰が見ても解る「改竄」を信用して擁護するのはどういうことかね?

180 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:47:32 ID:qrj6SKi8
>>178 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/08(木) 16:39:51 ID:Ax0BDv35
>阿含には不思議な霊力があります。
>それは自身で体験しているので

でも、おまえが信用できんから説得力無いぞ。
というか、頭の良い君が頭の悪い私の単純なことを訊いてるのに
詰まって開き直って自分に言い聞かせてるみたいに見えるぞ?

181 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:50:33 ID:qrj6SKi8
>>178 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/08(木) 16:39:51 ID:Ax0BDv35
>阿含には不思議な霊力があります。
>それは自身で体験しているので

君は桐山浣腸の口の臭いを嗅いだことあるかね?私は「自身で体験」したぞ。
臭かったわ〜〜。こんなスレでしか話せない体験で、しかもなんの自慢にもならん。 ('A`)

182 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:52:48 ID:Ax0BDv35
>>99 :神も仏も名無しさん
>あなたは最初に三明で解脱すると書き、次には滅尽定で解脱すると書いた。

両方とも正しいのです。
他にも「八つの解脱」というのがある。

183 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 16:56:47 ID:qrj6SKi8
>>182
だからそんなこと阿含宗の道場で言うてんの?

184 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2009/01/08(木) 17:32:17 ID:DE/Byb+S
見えないレス等があり、全ての投稿を見た訳ではないが
昔と比べて透徹した理論を展開する人間(批判者)が少なくなったようだ。
それは非常に残念な事であると同時にこのスレッドの人間(批判者)の
知能の低下が顕著に現れている証拠でもある。
私が思うに阿含宗批判云々よりも「このスレッドは本当に
必要なのか」を議論するべきだろうと思うのである。

しかし、まあ、私と対等に議論ができる人間がいなくなり
何か寂しいですね。現在、阿含宗が目指すもの(私なりの考え)の
コピペを作成中である。出来次第、投稿することにしよう。


185 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/08(木) 17:43:58 ID:qrj6SKi8
>>184
Beelzebub ◆YDJ4DIBPYoって何物?
房中術研究家。
普通に発言したら相手にされないので開き直って荒らしてる人。



阿含宗という宗教145
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1217142626/l50
211 名前:神も仏も名無しさん      投稿日:2008/08/08(金) 05:42:33 4vnIMgPJ
212 名前:神も仏も名無しさん      投稿日:2008/08/08(金) 05:50:15 4vnIMgPJ
218 名前:Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo 投稿日:2008/08/08(金) 19:37:42 4vnIMgPJ

211、212で批判的な立場を取り、218でいきなり鳥付きコテハンで擁護側に。
211はスルー、212は批判の立場でだが意見を言われる。

186 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 19:09:01 ID:HPqd5HYN
>私と対等に議論ができる人間がいなくなり

そういうお前は今まで対等に話したことないじゃん

187 :ラシン:2009/01/08(木) 19:33:33 ID:K05wrzRW
161
この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。

たとえばこの一文は、解脱を知見した状況を表しています。
”認識が生じた。”とは物事を見分け、本質を理解し、
正しく判断すること、また、そうする心のはたらきが生じたのだから、
「無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす」
との解脱という状況を実際に見て知る知恵が生じた、つまり解脱知見であり、
その第三の知恵は、漏尽智ということです。
となれば、その菩薩はすでに解脱を果たしていたということです。
「彼の受験者は高校を卒業し、大学入試に合格した、受験者は合格発表を見た、
 受験者はそこで大学生になったと自覚した。
 入試を果たし、その結果を照覧した受験者は、高校を卒業し、紛れの無い大学生
 となったことを認識した。」
この文章はおかしいですか?
Qさんは、解脱したなら菩薩という表現はおかしい、という視野狭窄の観点で
経文を解釈したのですよ、世間ではそれを拙速と言うか、まあ、早とちりですね。
それで、今年は何ですって? 良い年? それで何が終わったのです?

188 :樹意:2009/01/08(木) 20:20:05 ID:4YLRGDqN
>>178
> 阿含には不思議な霊力があります。

 【エルサレム7日共同】AP通信は7日、イスラエル軍がパレスチナ自治区
ガザに本格的な空爆を開始した昨年12月27日以降、パレスチナ人の死者は
670人以上に達したと報じた。
イスラエル側の死者は計10人。


189 :樹意:2009/01/08(木) 20:29:58 ID:4YLRGDqN
>>160-169

破戒行為〔占い、ゴマ イベント〕をして 心清浄の議論は成り立たない。
般涅槃と有余涅槃の違いも我らが説明して 三度目にやっとごまかしに入った
御仁は Q氏改め ペテン大作さんでありましょう。

いい加減 >>1 をキチンと読む努力をしてください。






190 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 21:44:31 ID:/jm9fnPw
>>169 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:03:36 ID:Ax0BDv35
>解脱には慧解脱と心解脱の二種類がある。
>批判側は心解脱しか頭にないみたいです。
>この文章を繰り返し10回ぐらい読むことですね。

慧解脱や心解脱を知らないのはあなただけです。
八解脱を含めて、ここでもザでも何度もその話は出ている。
慧解脱も心解脱も仏教ではアラハンです。
桐山さんが説いてもいない解脱をあれこれ持ち出して話をそらさずに、
まずアゴン宗の因縁解脱を説明してください。


191 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 21:49:17 ID:/jm9fnPw
>>182 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:52:48 ID:Ax0BDv35
>両方とも正しいのです。
>他にも「八つの解脱」というのがある。

八つの解脱とは八解脱のことですね。
あなたがこれは出すとはおもしろい。
あなたはユビキタスさんに、第四禅では解脱していないと書いた。
これを踏まえて、八解脱を説明して、三明とどう関係しているのか説明してください。
私はあなたほど意地悪な性格ではないから、前もって警告しておく。
この議論を始めればあなたは最初自分が勝利したと錯覚する。
だが、それは錯覚であり、また墓穴を掘ることになります。
・・・と警告すると、あなたのことだから、むきになって始めるでしょうね。

192 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 21:53:51 ID:/jm9fnPw
>>182 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:52:48 ID:Ax0BDv35
>両方とも正しいのです。

滅尽定が解脱でないことは辞典の説明からも明らかなのに、
まだ滅尽定が解脱だと言っているのですね。
あなたの勝手な解釈以外、そんなことを言う学者もいなければ、
経典の根拠もないのに、頑迷に認めようとしない。
私とラシンさんが辞典から解説を引用してあげた。(>>69,>>103)
滅尽定は解脱ではありません。
アナゴンでもやれる滅尽定が解脱であるはずがない。
話をそらさずに、まずは滅尽定が解脱ではないと認めたらどうか。
批判側がお終いなのではなく、あなたの「滅尽定=解脱」説がお終いなのです。

193 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 21:59:19 ID:/jm9fnPw
>>160 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:58:24 ID:Ax0BDv35
>次に挙げる記述には
>「菩薩」が三つの知恵を獲得しその結果如来となった、
>と書かれています。
>「解脱者」が三つの知恵を確認したのではありません。
>>163 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:12:32 ID:Ax0BDv35
>バローははっきりと「菩薩」と書いている。

>>187のラシンさんの指摘がすべです。
バローの文章のどこに三明で解脱したと書いてあるのですか。
ベック同様に、知恵の獲得とあり、三明の話が書いてあるだけで、
三明で解脱したとはどこにもない。
長い引用はいりませんから、「三明で解脱した」と書いてある文章を
引用してくれればいいのです。
ベックといい、バローといい、装飾的な文章を読むと、
あなたは自分の説がそこに書いてあるかのように錯覚するらしい。
あなたと違い、普通の人はいくら長い文章を引用されても、
書いていないことは読めないのです。

194 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 22:03:08 ID:/jm9fnPw
>>171 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 16:19:26 ID:Ax0BDv35
>「こうして精神を集中したとき・・・」という文句は
>解脱を表してはいないことになります。

ペテン大作さんも進歩しましたねえ。
>>160以降の学者の文章を引用して、あなたは批判側をやっつけたつもりだった。
ところが、読み直してみると、「あれ?そうか。主語はずっと菩薩なんだ・・」と気が付いたのが上記です。
そのとおりで、あなたの>>160の主張が成り立たないことは、
あなたが>>171で書いているとおりです。
あなたが自分で否定したのだから、私は反論する必要もない。
>>160などを読み直した時、後になって気が付いたのですよね?
どうして後になって気が付いたか、わかりますか。
貼り付ける前は批判側をやっつけたとばかりに夢中になっていたが、
貼り付けた後は冷静に第三者の目で読んだからです。
前は、貼り付けた後ですら、読み間違いに気が付かず、
批判側に毎度、国語力のなさをあざ笑われた。
でも、今回は貼り付けた後ではあるが、読み間違いに気がついた。
憎しみをちょっと押さえて、冷静に読めば、あなただって普通の国語力が持てる。
ただ、あなたの理解力の低さを出してしまった後では遅いから、
今後は、貼り付ける前に自分の文章を冷静に読んでみることです。
それには、文章の量をまず減らした方が良い。
前スレで読者に指摘され、反省を口にしたのに、前と同じですね。
長々と引用すると、あなたは何事か自分の主張が成立したかのように錯覚するようだが、
それはオモチャを周囲にたくさん並べて安心している子供みたいなものです。
あなたはたくさんの文章を把握できる国語力はないから、減らした方がいい。

195 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 22:24:06 ID:naVSWnku
ある境涯までの心の平安も
神通による出世間の正見も
仏陀としての解脱の必要なプロセスなのです。

仏陀の解脱

☆輪廻転生の縁の無効化
☆存在する悟りの領域
☆「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅
以上の三つの条件の成就
滅盡定を成就した人の状態像です。


仏陀の入滅による解脱

最後の身体の生存の素因・潜在勢力・諸根存在の感覚系を
聖正見により
素因の核を捨て去る(輪廻転生の核)
余力が滅して肉体の死=即、存在するさとりの領域。


196 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 22:33:46 ID:naVSWnku
釈尊の切り開いた道

[色界定]
初禅 離生喜楽
二禅 定生喜楽
三禅 離喜妙楽
四禅 非苦非楽
この境涯から
「無色界定」に移行しない。

197 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 22:40:01 ID:naVSWnku
釈尊の切り開いた道

四禅 非苦非楽 の境涯から
「無色界定」に移行しない。

[色界定] において智慧の完成の基礎となる
四如意足をおこないます。
身体(肉体)の生理的活動代謝の推移を
地・水・火・風を対応させ禅定の状態と同調させます。



198 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 22:58:19 ID:naVSWnku
釈尊の切り開いた道

身体(肉体)の生理的活動代謝の推移していくことと(無常・変化が続いていく)
地・水・火・風を対応させ禅定の状態と同調させていき
非苦非楽 の境涯(意識の状態像)の禅定が身体に依存していると
実感覚による認識を成立させます。
また、非苦非楽 の境涯(意識の状態像)の禅定が四大と相互依存していると
実感覚による認識を成立させます。

[苦行によって依存から脱し切り離そうと極め
苦を苦としない創造神と一体となる道から
釈尊は引き返し、
その苦行の根と力を使った新たな道筋を歩む決心をしたのです。]


199 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 23:04:32 ID:naVSWnku
四禅 非苦非楽 の境涯にて

八面体の瞑想
青 黄 赤 白 橙 の瞑想を行います。



200 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 23:11:20 ID:naVSWnku
釈尊の切り開いた道
四禅 非苦非楽 の境涯にて
八面体の瞑想
青 黄 赤 白 橙 の瞑想を行います。
重ねて
身体(肉体)の生理的活動代謝の推移していくことと(無常・変化が続いていく)
地・水・火・風を対応させ禅定の状態と同調させていき
非苦非楽 の境涯(意識の状態像)の禅定が身体に依存していると
光輝く透通った実感覚による認識を成立させます。
また、非苦非楽 の境涯(意識の状態像)の禅定が四大と相互依存していると
光輝く透通った実感覚による認識を成立させます。

201 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 23:17:34 ID:naVSWnku
 
[ 四禅においては、出入息は、止まります。
阿含経に出入息が止まるという意味での記述がちゃんとあります。]


202 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 23:25:08 ID:naVSWnku
>>196-200
以上が、
釈尊切り開いた道の第一段階です。

すべて
初期経典にある釈尊の教えです。

203 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/08(木) 23:34:26 ID:naVSWnku
[第一段階の成就において
スジャータの施と釈尊の血脈(先祖)への念が成就の瞑想に必要でした。

(在家と出家の施についてと
業については重要なので
後ほど書くつもりです。)]

204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
阿含宗の仏舎利って偽物なんだね。ソンディって異母兄夫婦に育てられたから、異母兄の生まれ変わりじゃないんだね。十八人の霊障武士って実在しなかったんだね。桐山センセの結核もウソだったんだね。お釈迦様は因縁解脱なんて説いてないんだね。

205 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/09(金) 00:12:55 ID:SMliYQJA
>>204
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

まだウソと決まったわけでは無かったですか?思いっきり怪しいと言うだけで。
とりあえず「千葉県の上総湊にある鳩山病院」の存在・存在したという事実が確認できない。

206 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 00:22:07 ID:qMqBBwKz
204=205w

207 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/09(金) 01:06:20 ID:RRnsnNnH
菩薩は宿命通を得たのだ。
菩薩は天眼通を得たのだ。
菩薩は漏尽通を得たのだ。
ちなみにここで言う菩薩とは成道に至るまでの釈尊のことを指すのだが、こう呼ぶのはバローさん
だけではないですね。
何の本だったかな?
岩波文庫の渡辺照宏「仏教・第二版」だったかな?
ボサツ、ボサツと書いていたような記憶が。
自宅にあるはずだが、最近どこに埋もれているのやら。
優勝旗を授与される瞬間まで優勝してないなんてことはない。
さあ、広島皆実は鹿児島城西あるいは前橋育英を倒して優勝するや否や?(鹿島学園ごめん)
春になると甲子園でセンバツが始まる。
今年は3月21日からですね。
この大会3月のスタート時は三年生がいない。
一年生と二年生がいる。
それが4月の決勝のあたりにはいつのまにか三年生がいるのが謎だ。
たしかに切り替わる瞬間というのはあることはある。
しかし期末テストの成績が悪くなく、留年にならずに進級が確定した段階で三年生は約束されているわけだ。


208 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 01:54:49 ID:uN+P/2SF
[エルサレム 8日 ロイター]
イスラエル治安当局筋は8日、ロケット弾3発がレバノンからイスラエルに発射され、
2人が軽傷を負ったことを明らかにした。イスラエルは砲撃による報復に乗り出している。
誰か発射したかは不明。

209 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 11:38:58 ID:ikaXeOk0
桐詐欺ジジイはもう88歳なんだろ・・・。
いつまで生きて詐欺してんのかねwww

210 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:35:34 ID:ugDJ2cdE
>>204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

結核については>>205で私文書さんが指摘しているように、推測の域です。
ただ、状況証拠から見て、灰色というよりも、限りなく黒に近い。
今と違い、当時の十代後半の若者が学校にも行かず、働きもしないのは珍しかった。
遊び人のマスオ君が、徴兵検査の直前に、突然結核になったなんておかしいし、
重篤の結核患者が一年そこらで回復して、しかも、体力検定に千葉県を
代表して出ただの、山登りをしてタバコを吸っただの、
文学者仲間は彼が結核だったことを誰も知らず、
戦争が終わったとたん結婚したなんて事実を見れば、明らかに嘘です。
徴兵検査に落第する方法が当時からあったし、
戦後、その手法で逃れたと告白した人もいる。
桐山さんの父親が軍の御用商人だったことを見れば、コネを使い、
大事な長男を守ったともとれる。
なによりも桐山さんの結核を確認したという人は誰もいない。

211 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:45:07 ID:ugDJ2cdE
>204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

桐山さんがただ徴兵検査を逃れるために
結核のふりをしたというなら、必ずしも責められない。
誰だって戦争なんか行きたくないし、なによりも死にたくない。
だが、問題は、今の桐山さんです。
さも、家が貧乏で学ぶチャンスもなく、自分が結核で弱々しかったかのように見せかけて、
信者たちの同情をひいている。
家が貧乏なのは、長くても十代前半の数年です。
しかも、あの程度の貧乏など当時の日本では当たり前です。
16歳頃からは戦争があったから、家は豊かになって、
彼は文学青年きどりで遊んでいられた。
その気になれば学校に行けたのに、遊んでいたのです。
公立の中学を受験せず、私立のレベルの低い中学に行っている。
これを見ても桐山さんの学校の成績は良くなかった。
だから、家に余裕ができても学校には行きたくなかったのでしょう。
学校の成績がよくないが、体育会系で運動能力と体力が抜群の堤君は
戦争が終わるまで家が豊かだったから、遊びまくっていたのです。

212 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:48:54 ID:ugDJ2cdE
>204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

アゴン宗の海外での柴燈護摩の多くが第二次世界大戦に関わる部分です。
古くは沖縄、最近ではアウシュビッツ、シベリア、そして今年は
ガダルカナルがそれです。
桐山さんの戦死者への裏切りは、兵役逃れの一度ではない。
今でも桐山さんは彼らを裏切り続けている。
それは彼らを霊障のホトケと罵って、
さも成仏させる力があるかのように自称している点です。
桐山さんが霊視できるなら、不成仏霊と言うくらいの資格はあるでしょう。
だが、桐山さんには霊能力なんてない。
つまり、戦死者たちを不成仏霊と根拠もなしに冒涜しているのです。
さらに、戦死者たちの怨念で今日の日本人が物欲に走っているのだと本に書いている。
物欲に走っているのは桐山さんなど生きている人間であって、死者は関係ない。
自分たちの物欲を死者の霊障のせいにしている。
天災や人災が死者たちの霊障が原因だというのです。
だから、アウシュビッツの霊障が欧州の戦争の引き金になると述べている。
生きている人たちのしている悪業を死者たちに責任転嫁している。
死者に全責任を押しつけることのどこが死者供養なのだ?
死者を冒涜するとんでもない話です。

213 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:52:15 ID:ugDJ2cdE
>204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

桐山さんが死者に責任を押し付けるのは、
自分の犯罪や無能を認めず、責任転嫁する相手として利用しているのと、
柴燈護摩という宗教イベントによって自分がエラクなるためです。
死者に責任を押し付けるばかりか、助けられるのは自分だけだと自惚れている。
桐山さんは昔は仲間たちを裏切り、今は彼らの屍にツバを吐きかけ、
自分がエラクなるために踏み台にしている。
二重三重に戦死者たちを裏切り続けているのです。
死者への冒涜であり、侮辱です。
他人の不幸を利用して、自分の名前を売り込もうとする低劣な行為です。
信者さんたちに自覚してほしいのは、
あなた方はこの桐山さんの卑劣な行為の手伝いをしているという点です。
死者成仏、霊障のカルマを切るとか、世界平和などという空虚な
言葉に惑わされて、実は死者たちを侮辱し、ありもしない罪をなすりつけ、
彼らを助けてやるという慢心を持ち、桐山さんの自己満足の手伝いをしている。
桐山さんが死者を踏み台にしてエラクなろうとしているのと同じで、
信者さんたちも護摩木を書いてその功徳で好運や因縁切りや
超能力を得ようとしているのだから、欲望のために死者たちの
不幸を利用しているのです。
私も同じ事をしたからこそ言うが、早くその愚劣な行為から目を覚ますべきです。

214 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:58:29 ID:ugDJ2cdE
>204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

それがどれほど愚劣かは、>>188,>>208のように今回はっきりと結果が出ている。
億の単位の金を投じて、釈迦の成仏法による仏道修行と称して護摩を焚いて、
それで何の効果があったのだ?
現実をよく見てほしい。
この二年ほど、イスラエルは観光ができるほど比較的平穏が保たれていた。
柴燈護摩を焚いた二ヶ月後にはハマスとの戦闘が始まり、
ついには死者が700人を超えているという。
子供の死者がいるということは、民間人の死者が多数含まれることを意味します。
他人事のように見ないで、信者さんたちはイスラエル護摩の結果を見て下さい。
柴燈護摩をしたから戦争が始まったなんていうつもりはない。
だが、あなた方が護摩木代金として出したお金が、イスラエルの為政者たちに
直接渡ったことは事実です。
彼らが今の戦争を指揮している本人たちなのですよ。
桐山さんが嘆きの壁の前で握手したあの宗教指導者も、
星まつりに出席したラビも今回の攻撃を全面的に支持している。
あなた方はこういう人たちにお金を渡したのです。
それは間接的にパレスチナの子供たちを殺したのと同じです。

215 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 13:04:21 ID:ugDJ2cdE
>204 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:44:16 ID:bWh/fKHy
>桐山センセの結核もウソだったんだね。

桐山さんの作りだしたアゴン宗の教義のほぼすべてが嘘です。
その嘘の上にイスラエル護摩がある。
嘘は悪業しか生まないから、実際、イスラエル護摩に参加した信者さんたちは
悪業を作ってしまった。
悪因縁だの霊障のカルマだのと、信者さんたちが確認できないことに
恐れおののくではなく、現実に自分がしたこと、していることに恐れおののいてほしい。
死者や他人ではなく、自分のしていることに恐れてほしい。
釈尊の教法とはまったく関係のないことを、釈尊が説いたかのように宣伝し、
釈尊が禁止した護摩を最大の売り物にして、悪業を作りだした。
パレスチナの子供たちが死んでも、自分たちにか関係ないとばかりに、
信者さんたちはまだ懲りずに、星まつりに向けて護摩木を書き、
自分の好運があればいいと言うのだろうか。
桐山さんの真似をして失敗を認めず、どこまで言い訳をして
同じ事を繰り返すなら、悪業は増えるだけです。
釈尊の説いた四正断は、悪業だとわかったら次からは同じ事をするなというものです。
これを書くとたいていの信者は「そんなのは倫理道徳であり、オシエにすぎない」と笑う。
だったら、笑う前に実行してみなさい。
「中東平和」なとど祈願した結果が、間接的にせよ、人殺しに資金を出してしまった。
間違いに気が付いたら、同じことを繰り返さず、
まず目の前にある護摩木祈願をやめることです。

216 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 13:37:11 ID:qMqBBwKz
215=嘘つき w

217 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 13:44:45 ID:69Z13o1C
>>216

キミ、桐・山師のウソはどうなのよ。

218 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 17:37:06 ID:ugDJ2cdE
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
[895]如来の子孫 09/01/09 11:42 .QvT09SfYz
千座六度行の「六度」とは、大乗の菩薩に課せられた実践徳目です。
1つは、無功用の布施、です。無意識に利他行をすることですね。
千座行から現在の解脱宝生行に移行するとき、誓約書を出させられま
した。だから、ラシンさんも、当然、六波羅蜜(六度)の行を、行っ
ていたと、誤解してました。違ってたのですね。
貧困に苦しんでる信者に、無功用の布施を説いても無理です。
貧困に苦しむ信者は、果報を求めて布施するが良い。
善生経にあるように、酒は控え、バクチせず、仕事に精出し、如来に
布施して、福徳を得るのです。
そして、貧困を脱出したら、六度行の布施供養に移れば良いのです。

[902]如来の子孫 09/01/09 16:04 .QvT09SfYz
六度行を「六人導け行」とは!!大笑いね。これじゃあ、阿含宗の
教えの肝心なとこ、抜いてるじゃないですか。これじゃあ、修行は
進まないはずです。私は、修行はしなくても、大事な理屈だけは押さ
えているようです。だから、「思念による初歩の智慧の相承」を、
受けることが出来たようですね。

219 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 17:40:17 ID:ugDJ2cdE
>[895]如来の子孫 09/01/09 11:42 .QvT09SfYz
>千座六度行の「六度」とは、大乗の菩薩に課せられた実践徳目です。
>[902]如来の子孫 09/01/09 16:04 .QvT09SfYz
>六度行を「六人導け行」とは!!大笑いね。

「千座六度の行は、千座を初座、中座、満座に分け、各座で二人ずつ、
合わせて六人をお導きし、その過程で因縁解脱に必要な徳を積んでいく修行である。」
(『阿含宗報』51号、1991年、1頁)

子孫さんてどこの千座六度の行の話をしているのだろう?
アゴン宗の千座六度とは、上記にあるように、千座の間に6人の信者を勧誘することです。
これ以上の意味などありません。
「無功用の布施」ってなんのこと?
導きを抜いたらそれこそ「教えの肝心なとこ、抜いてる」ことになる。
なにか勝手な教義を作りだしてお説教をしているが、
千座六度には六人を導けという以外の意味などありません。
子孫さんが上記のような勝手な解釈をしているのは、青柿さんが指摘しているように、
子孫さんは六人の導きをしていないからでしょう。
自分がしていない言い訳に、全然違う話を持ちだして、ラシンさんにお説教している。
子孫さんの悪質な点は、どこからか読みかじった仏教知識を羅列して、
まるでアゴン宗の教義でもあるようにお説教を始める点です。
批判や擁護以前の問題です。

220 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 17:41:23 ID:ugDJ2cdE
『阿含宗報』51号、1990年、1頁

「ところが今は、百人の因縁を透視いたしますと、そのうちの八十五人、六人までは
横変死の因縁を持ち、さらには横変死した不成仏霊があることを発見したわけです。
これは大変な異常事態を示す数字なのです。」
「この厳しい現実を見たとき、ことに横変死の因縁、刑獄の因縁、
肉親血縁相剋の因縁を伴う家運衰退の因縁という三悪因縁を持っている人は、“
千座六度の行”修行しなければ因縁解脱はとても難しい。
わたくしはこのように判断したわけです。」

221 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 17:48:12 ID:ugDJ2cdE
「千座六度の行”修行しなければ因縁解脱はとても難しい。」

横変死の因縁を85%の人が持っているから、千座六度で六人を導いて、
獲得した信者をアゴン宗の仏様に貢がないと、横変死すると桐山さんは説いているのです。
今から二十年ほど前の桐山さんの法話です。
これを信者さんたちは二十年後から見て、どう読みますか。
そのとおりであり、85%の人たちが横変死した・・・?
いかに桐山さんがその場しのぎの脅かしを言っているかこういう一例だけでもよくわかる。
「人と金がほしい」という桐山さんの本音がズバリ出ている。
当時はまだ、1999年に霊障のカルマによる地球壊滅が起き、
そこにオシャカの成仏ホーを体得したメシアである桐山ゲイカが突如して現れ、
世界を救うなんて話が本気で信じられていた。
こんなふうに書くとバカみたいだが、当時在籍していた人ならこれが現実だと知っているはずです。
二十年前だけではなく、ちょうど十年前も桐山さんは必死に脅し、
それが終わってもまだ「2010年まで危ない」と言っていた。
行歴の古い人は過去を振り返ることです。
十年前、二十年前、三十年前とずっと桐山さんは同じ手法で信者にムチを当ててきた。
宗教家畜だと言われて悔しがっても、今でも信者さんたちは
後ろから横変死や地球壊滅のムチを当てられて、
前には好運や超能力開発のニンジンをぶらさげられた馬車馬にすぎない。
それも毎回同じパターンで騙されても>>216みたいにさっぱり学習しない。
犬や猫ですら、一度痛い目にあうと次からは用心するのに、
それすらない>>216を宗教家畜以外になんて表現すればいいんでしょうね?

222 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/09(金) 20:35:07 ID:SMliYQJA
>>221
>それすらない>>216を宗教家畜以外になんて表現すればいいんでしょうね?

魂の奴隷
魂の家畜
魂の尻拭き紙
魂の足ふきマット
都合のいい魂

223 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/09(金) 20:39:43 ID:SMliYQJA
>>221
>それすらない>>216を宗教家畜以外になんて表現すればいいんでしょうね?

魂のパシリ
魂の三下
魂の北朝鮮人民

そして阿含宗を、
魂のタコ部屋
魂の北朝鮮

224 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/09(金) 20:43:28 ID:SMliYQJA
>>223自レス

阿含宗が魂の北朝鮮なら我々は魂の脱北者か。
しかし、ペテン大作やピーナツジスイは魂の脱糞者だな(笑)。

225 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 01:20:35 ID:AVMjE/8G
【エルサレム高橋宗男】国連人道問題調整事務所(OCHA)は9日、
パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市近郊のザイトゥン地区で、イスラエル軍
によって誘導される形でパレスチナ人市民約110人が集まっていた1軒の住宅に、
同軍が複数回砲撃を加え、子供を含む約30人が死亡したと発表した。負傷者が
運び込まれた同市のシーファ病院は死者数を32人としている。

226 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 01:46:56 ID:0SAXNTdB
釈尊の切り開いた道

第二段階

堅く門戸を閉ざされている密室で風塵は皆無

これが第二段階の極意です。
このように内外環境を調えて成就するために
自己管理のルールへの信念があったのです。
苦行の根と力を生かす段階です
心の増減の触れが無くなり無動。
ここで心に変化がおきてきます。
体の中にある心が別の身体を形成しようと働き出します。

227 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 01:51:55 ID:0SAXNTdB

[輪廻転生の仕組みにおいて
入胎し身体を形作ろうとする働きだけがあり
他がすべて無動の状態です。]


228 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 01:56:19 ID:0SAXNTdB
釈尊の切り開いた
[この第二段階についての理解には、
最終象徴として

大日如来についての意味とイメージが役に立ちます]




229 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 02:06:25 ID:0SAXNTdB
釈尊の切り開いた道

四禅 非苦非楽 の境涯にて
八面体の瞑想
青 黄 赤 白 橙 の瞑想を行います。
重ねて
身体(肉体)の生理的活動代謝の推移していくことと(無常・変化が続いていく)
地・水・火・風を対応させ禅定の状態と同調させていき
非苦非楽 の境涯(意識の状態像)の禅定が身体に依存していると
光輝く透通った実感覚による認識を成立させます。
また、非苦非楽 の境涯(意識の状態像)の禅定が四大と相互依存していると
光輝く透通った実感覚による認識を成立させます。
この第一段階の状態で第四禅のまま
第二段階にはいっていき
心の増減の触れが無くなり無動。
ここで心に変化がおきてきます。
体の中にある(身体に依存していた)心が、
すべて無動の状態におかれているち
別の身体を形成しようと働き出します。
今生の身体をつくった香陰が
また入胎して身体を化作するよう働く状態になったと
スイッチが入ってしまう。


230 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 02:14:55 ID:0SAXNTdB
[秘密仏教のテーマは、
釈尊の切りひらいたこの段階にフォーカスされています。
阿含経の実践において
大日如来の意味とイメージに出会うときが実際にあるのです。
阿羅漢もそうなっています。]




231 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 02:24:53 ID:0SAXNTdB
[]内は、理解のための解説。

その他は、阿含経にある教えです。

釈尊の切り開いた道は

第二段階は、

現世生天の一つの形であるといえます。


232 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 08:20:04 ID:pS1ZgWCw
劣等感とその裏返しの虚栄心を原動力として生きてきたキリ山師。そこに群がる信者たちもまた劣等感と虚栄心の固まりだなぁ。…ところで今年の射的のまと(御法施ともいう)はなんだろう?

233 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 12:15:14 ID:4f+j8BxS


本当の詐欺師は批判者たちです。




234 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 13:00:13 ID:6c8IPn6F
>>232
>劣等感とその裏返しの虚栄心を原動力として生きてきたキリ山師。
>そこに群がる信者たちもまた劣等感と虚栄心の固まりだなぁ。…

劣等感と虚栄心、ほんとにそうだよな〜。オレも入る前は劣等感に苛まれ
入ってからは虚栄心に満ち満ちていた。
今から思えばキリヤマと同じ醜い心模様であったのだ。
本当の仏教はそんなもんではないはず、信者さんには早く気づいてほしいよ。


235 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2009/01/10(土) 14:49:15 ID:TwTu2ucf
>>232
流石、低学歴。バカ丸出しである。
本当に劣等感とその裏返しの虚栄心だけで生きてきたならば
今の阿含宗はない。要するに何故、阿含宗が今も繁栄しているかと
いえば、桐山先生には力があるからである。

>そこに群がる信者たちもまた劣等感と虚栄心の固まりだなぁ。

バカ丸出しの投稿。

236 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 14:59:59 ID:dJGXuvQU
嘘吐きさん、相変わらず元気ですね。
私も書き甲斐があります。
さてどうでもいいレスが残っていました。
これから行きましょう。

>>30 :神も仏も名無しさん:2009/01/05(月) 22:45:58 ID:pJtAFHSR
>>3のベックの文章のどこに「滅尽定で解脱した」とあるのだ?
>解脱の瞑想の境地を描写しただけで、滅尽定が解脱だなんて書いていない。
>>98 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:21:43 ID:mvII+9BE
>あなたが滅尽定が解脱だという根拠はベックの文章だけです。
>そして、ベックの文章からはあなた以外には誰も「滅尽定で解脱する」とは読めない。
>あなたと違い、普通の国語力を持っている人は、書いていない文字は読めない。

あなたの読解力では読めないだけです。
普通の読解力の持ち主にははっきりと滅尽定が解脱であると読めます。

『ヨーガ派によれば精神統一〔凝念〕・瞑想ないし観想〔静慮〕・静観〔三昧〕
という三段階の上にはさらに無種子三昧があり、
この三昧によって潜在意識の構成力〔行〕に打撃を加え、
したがって、それによって再生への萌芽が絶滅される。
構成力の絶滅のことを術語で滅尽という。
仏教の道が目指す目標もそれと同じである。
しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。』 (『仏教「下」』 59、60頁)



237 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:00:41 ID:dJGXuvQU
『「増支部経典」四・四一〇ページ以下においては、
四の瞑想段階と、それに続く四の界の段階(ついに滅尽にいたる)とを
九の“次々に滞在すること〔次第住定〕”の九の状態として記述してある。』 (60頁)

『"定"という語は、もともとは、"到達、
あるいは完成状態に到達すること"という意味であるが
『ヨーガ・スートラ』(1・41−44)においてもやはり
瞑想状態のひとつという意味で用いられている。』 (60頁)

『次に"この世の意識もあの世の意識も持たない"ことになると、
最終最高の段階である消除〔滅尽〕の段階にのぼる。
経典(『増支部経典』五・七と三五四ページ他)によれば、
この段階はすでに"寂静なるもの、尊貴なるもの〔殊妙〕"であり、
一切行の静止〔寂止〕"であり、あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である。』
(63頁)

238 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:01:23 ID:dJGXuvQU
>>98 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:21:43 ID:mvII+9BE
>最初から今まで、あなたが一人で踊っていて、自分の掘った穴に落ちただけです。
>悔し紛れにまた>>88など、ただコピペを繰り返すしか能がない。

何で私が悔し紛れになるのか?
あなたと違って、私は私見を一切入れず
学者の記述をそのまま出しているだけだから
私が行き詰まることはないのです。
あなたこそ凝り固まった私見を守るのに必死ですね。
だがあなたが反論すればするほど学者の記述を出されて
ますますインチキが暴露される。
それでよければ続けなさい。
さてそこで、解脱の話です。
ベックは、比丘は瞑想で解脱すると書いています。

239 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:04:58 ID:dJGXuvQU
>>104 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:47:23 ID:mvII+9BE
>ペテンさんは、桐山さんに教え込まされて、瞑想が解脱なのだと信じ込んでいる。

七氏さんの嘘が凝縮しているレスです。
解脱に瞑想が必要ではないとはまったくの大嘘です。
仏陀の説いた道は瞑想の道であり
解脱するには瞑想が必要だとベックは書いている。
瞑想が必要であることは仏陀自身も説いています。

『仏陀が説いた"道"はすでに第一部でも明らかにしたように、瞑想の道である。
このことは、"苦悩その他についての命題"の中に含まれている
"尊い八種の道"の方式を見ても明らかである。
この道は、"正しい瞑想"〔正定〕にいたって完成され、
それ以外の七項目はそのための予備段階にすぎない。
(『増支部経典』四・四〇、五・二三六ページ参照)。
そしてまた、仏教の解脱への道の本質と内容とを詳しく説いている経典にも、
それは瞑想の道である、と述べてある。
それによって、インドでヨーガとよばれる宗教思想と仏教との関係が明らかになる。』
(『仏教(下) 10頁)


240 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:06:27 ID:dJGXuvQU
『修行の目標をインドでは一般に"解脱"という。
解脱に達する方法が認識であり、認識に達する方法が沈思瞑想である。
したがって、仏教の行き方を下から見て行くと、
道の本来の予備段階(八正道の中ではやはり第一段階といわれる)は正しい信条である。
それから瞑想に到るまでの道の諸段階は、思考と言葉と行動とにおける"正しいふるまいの規範"
として要約することができよう(この中で、第七の"正しい思念はすでに瞑想ときわめて密接な関係がある)。
正しい倫理的なふるまいから正しい瞑想が生じ、同様にして、その瞑想から正しい認識が生じ、
認識から解脱が生じる。前にも述べたように、『大般涅槃経』において、仏陀は入滅にさきだち、
弟子たちに対する説法の中で、その根本教義の意義を繰り返し述べている。
それは、それは正しい行為〔戒〕と瞑想〔定〕と認識〔慧〕とであって、その上に第四として解脱が加えられる。
「瞑想が戒律にささえられれば、功徳が多く果報が大きい。
そしてこのような認識にみたされれば、心は世俗的欲望や世俗的生存や迷いなどのあらゆる妄想から自由になる」
(本書上巻九三ページを見よ)。
この文句は『大般涅槃経』では八個所で繰り返され、
かつまたその他、戒・定・慧・解脱の組み合わせはしばしば出てくる。
パーリ語仏典のいくつかの個所は、八正道というように、道をただ外面的形式に示すだけでなく、
その道の内容全体にわたり、そのすべての段階について詳しく説き、かつまた、これらすべての仏典は、
戒・定・慧・解脱という四大部門の分類にもとづいている。このことは重要である。
厳密に言うと、道の規範を展開させる章節はいつも同じものであって、この同じ章節が、
かなり多くの仏典、特に『長部経典』の中でも(伝説の仏典は別として)
すべて重要な教理の経典において、同じ文句で繰り返し説かれている。』
(24、25頁)

241 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:07:39 ID:dJGXuvQU
『解脱に達する方法が認識であり、認識に達する方法が沈思瞑想である。』
とあるように
「瞑想」→「認識」→「解脱」なのです。

『正しい倫理的なふるまいから正しい瞑想が生じ、同様にして、その瞑想から正しい認識が生じ、
認識から解脱が生じる。』
とあるように
「正しい倫理的なふるまい」→「正しい瞑想」→「正しい認識」→「解脱」なのです。

『瞑想が戒律にささえられれば、功徳が多く果報が大きい。
そしてこのような認識にみたされれば、心は世俗的欲望や
世俗的生存や迷いなどのあらゆる妄想から自由になる』

これは『ブッダ最後の旅(岩波文庫)』にも出ています。

『戒律とともに修行して完成された精神統一は、大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された知慧は、偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、
見解の汚れ、無明の汚れから全く解脱する、と。』
(25頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
七氏さんはベックの『仏教(上)(下)』を持っている。
彼のことだから当然中身を読んでいるでしょう。
それでいながら解脱には瞑想は要らないなどと平気で言っている。
とにかく煩悩さえ無くせば解脱できるというのが彼の私見だからです。
その私見を正当化するためには本の中身どころか
ブッダが瞑想の必要性を説いていることすら完全に無視する。
彼が如何に情報を歪めて読者に伝えているかがわかります。
七氏さんのこういう行為をよく心に留めておきましょう。

242 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:16:16 ID:dJGXuvQU
>>99 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:25:03 ID:mvII+9BE
>あなたが今回引用した>>52-53の文章でも、今まで引用した学者の解説でも
>どこに「三明で解脱する」「滅尽定で解脱する」とあるのだ?
>あなたの解釈ではなく、「三明で解脱する」「滅尽定で解脱する」と
>書いてある文章を出してみなさい。
>だが、出せない。

すでに経典や学者の書いた文献を出して説明しています。
それとも七氏さんは「三明で解脱する」、「滅尽定で解脱する」
と言葉どおりに書いてある文章を出せ、と言っているのか?
だとしたら随分子供っぽいことを言う人ですね。
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>>100 :ラシン:2009/01/07(水) 00:26:28 ID:22/AEN+R
>意味が分かりますよね、第四禅から”起って”つまり第四禅から”出て”
>釈尊は入滅したのです、滅度したのです。
>比丘が解脱を得た時とは違うのであり、第四禅は非苦非楽という境地であり、
>仏教の目的である煩悩を尽くし苦を克服し、解脱していると解釈できます。

第四禅で解脱したのだと言いたいのでしょう。
だがそれはラシンさんが引用した学者の説に過ぎません。
実際には四禅の後に三明智を得て如来となったことを説く経典もあるし
ブッダが「処」の瞑想を説く「八つの解脱」もあります。

243 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:17:10 ID:dJGXuvQU
>>101 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:28:54 ID:mvII+9BE
>ユビキタスさんも書いているように、そもそもあなたいう解脱が
>何を指しているのか、まだ説明されていない。
>アゴン宗の因縁解脱とはどのような内容か。
>それはベックのいう解脱とどう関係しているのか
>墓穴を掘ることがわかっているから、無視しているのでしょう?
>ほら、困っているのはやはりペテン大作さんだけです。

もう何度も説明しているのだが七氏さんにはさっぱり理解できない。
仏典には三明の解脱も滅尽の解脱も或いは他の解脱も説かれている。
仏典に説かれる解脱は一種類ではない。
成立年代によって様々なことが説かれているのです。
だからベックにしてもバローにしても複数の解脱を紹介している。
それは何ら矛盾ではありません。
ところが七氏さん等は解脱は一種類しかないと思い込んでいる。
そして、私に対して色々と追求して「ほうらここが矛盾するだろう」
などど一人で得意になっている。
一人相撲とはこのことです。
私はアゴン宗の因縁解脱を説明すると言ったこともなければ
説明する義務も無い。
七氏さんが言った「三明→解脱」は嘘であるという書き込みに対して
その根拠がデタラメであることを指摘してあなた方が嘘吐きであることを
証明することが私の仕事であって解脱とは何かを論じることではありません。

244 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:18:58 ID:dJGXuvQU
>>102 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:33:34 ID:mvII+9BE
>第四禅が終わりでないなら、三明のどれで解脱するのですか。
>一方、漏尽通とは解脱したことを確認する能力であることを
>桐山さんも認めていますから、この前に解脱していなければならない。
>三明のどこでも解脱できないことになる。
>これをどう説明するのだ?

三明で解脱することについては何度も説明している。
だが七氏さんにはまったく理解できない。

『解脱に達する方法が認識であり、認識に達する方法が沈思瞑想である。』
(『仏教(下)24頁』
「瞑想」→「認識」→「解脱」です。

『正しい倫理的なふるまいから正し瞑想が生じ、同様にして、
その瞑想から正しい認識が生じ、認識から解脱が生ずる。』
(『仏教(下)』24頁)
「正しい倫理的なふるまい」→「正しい瞑想」→「正しい認識」→「解脱」です。

認識した結果、解脱するという論理が理解できないから
苦悩や苦悩を克服する第三の英知を得て解脱するという論理も理解できないのです。

『 「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、これは苦悩の絶滅である、
これは苦悩の克服にいたる道である、これは俗世の迷妄である、これは俗世の起源である、
これは俗世の絶滅である、これは俗世の絶滅にいたる道である」
とこのように認識する。
世俗欲・世俗生存・世俗誤知の迷妄から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱する。』
(『仏教(下)』104頁)

「認識」→「解放」→「解脱」です。

245 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/10(土) 15:49:31 ID:2NmZ2glE
>>244
で、それを阿含宗の道場で言ってるのか?
いい加減>>1嫁よ。

246 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:18 ID:dJGXuvQU
>102 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:33:34 ID:mvII+9BE
>一方、漏尽通とは解脱したことを確認する能力であることを
>桐山さんも認めていますから、この前に解脱していなければならない。
>三明のどこでも解脱できないことになる。
>これをどう説明するのだ?

桐山猊下を批判している人が漏尽通の意味を猊下の言葉に求めるとはお笑いです。
漏尽通とは解脱したことを確認する能力でありそれ以外にはない、
と猊下が言っているのか?
言っていませんよね?

>前にも質問したように、前世を見るだけなら、霊能者もできる人がいる。
>だが、彼らが解脱したという話は聞いたことがない。

そういうつまらない比較はナンセンスです。
例えばテレビに出てくる太った霊能者が見た前世なんてたかが知れている。
それだってどこまで本当なのか限りなく疑わしいものですが。
それに比べて菩薩が見た前世というのはそれはもの凄いものです。


247 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:50 ID:dJGXuvQU
『何百千生もの無数の生を、宇宙論的時間が生じ、宇宙論的時間が滅び、
無数の宇宙論的時間が生じ、無数の宇宙論的時間が滅び、
無数の宇宙論的時間が生じて滅びるまで、永劫の時間における無数の生を。』
(『ブッダの教え』53頁)

こういうもの凄い数の前世を菩薩は見たのです。
こういう経験が解脱につながる。
もちろん、これで解脱するのではなく第三の英知で解脱するのです。
七氏さんだって自分の無数の前世を見たらそれで解脱はできなくても
教団批判に明け暮れる自分の人生をつまらないものだとさとるに違いありません。
それだって一つの悟りですよね。

>また、三明で解脱してしまったなら、何でまた滅尽定で解脱するのですか?
>こんなふうにペテン大作さんの説は支離滅裂、矛盾だらけです。

三明の解脱と滅尽定は別の経典に説かれています。
だからまったく矛盾していません。

248 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:01:31 ID:dJGXuvQU
>>103 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:40:56 ID:mvII+9BE
「滅尽定
心のはたらきがすべて尽きてしまった三昧。
六識の心作用が滅びてなくなった精神統一。
不還果以上の聖者が心の静けさを求めるため、止息想の心がまえで修する定。」
(『佛教語大辞典』1358頁)

また始まった。
今度は『佛教語大辞典』ですか。
学生の頃、勉強を怠けていたせいで
今頃になって辞書を引き引きお勉強というわけですね。
そんなにムキにならなくてもよい。
滅尽定にそんなに拘らなくてもいいのです。
滅尽定を説く経典もあるという話ですよ。
他にも経典はたくさんあるのです。

249 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:03:19 ID:dJGXuvQU
>>105 :ラシン:2009/01/07(水) 01:17:19 ID:22/AEN+R
>七氏さんの指摘するとおり、瞑想リキという神通力に解脱をリンクしているからです。
>批判側は何度も指摘している、瞑想も漏尽の修養、行の一部です。
>四禅もその漏尽解脱の手段であることを飛び越えて、逆に特別視してしまう。
>だから戒・定・慧の三学があり、五分法身が必須である所以を理解しない。
>煩悩を滅尽することが苦の克服だ、と理解しないからすべて矛盾を呈する。
>煩悩から解放されたら、どのような心の平安立脚を得るかも理解できない。
>言葉一つにこだわり、自身で判断できないのは桐山教に依処し刷り込まれたトラウマか。

何の文献上の根拠もない私見を人に説いて悦に入る。
典型的な落武者タイプです。
その私見の根本には「煩悩」という名のトラウマがあります。
きっとどこかの宗教団体から刷り込まれたのでしょう。
これをよく読みなさい。

>>240
『正しい倫理的なふるまいから正しい瞑想が生じ、同様にして、その瞑想から正しい認識が生じ、
認識から解脱が生じる。前にも述べたように、『大般涅槃経』において、仏陀は入滅にさきだち、
弟子たちに対する説法の中で、その根本教義の意義を繰り返し述べている。
それは、正しい行為〔戒〕と瞑想〔定〕と認識〔慧〕とであって、その上に第四として解脱が加えられる。
「瞑想が戒律にささえられれば、功徳が多く果報が大きい。
そしてこのような認識にみたされれば、心は世俗的欲望や世俗的生存や迷いなどのあらゆる妄想から自由になる」』

250 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:17:31 ID:dJGXuvQU
>>191 :神も仏も名無しさん
>これを踏まえて、八解脱を説明して、三明とどう関係しているのか説明してください。

『ブッダの教えを復元し、
その生涯と人柄がどのようなものだったかを発見しようと試みるとき、
経典はわれわれの持てる最良の資料ではあるが、
この目的を達成するために、
それらを文字通り受け止めるわけにはいかないのは明らかだ。
その上、並行するさまざまなヴァージョンそれぞれを綿密に比較し、
きわめて注意深く分析したところで、
まちまちの度合いの蓋然性に達するのが関の山だろう。』
(『ブッダの教え』35頁)

ということです。
わかりましたか、嘘つきさん?

251 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:58:03 ID:dJGXuvQU
>>193 :神も仏も名無しさん
>>187のラシンさんの指摘がすべです。
>バローの文章のどこに三明で解脱したと書いてあるのですか。

えっ、これが私から嘘吐きと言われたことに対する反論なのですか?
嘘でしょう、これですか?
とうとう嘘つきさんも降参したわけですね。
「心が統一され・・・」の文句は解脱ではない。
私の主張に対して異論がないことを認めたのですね。

252 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:58:40 ID:dJGXuvQU
>>194 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 22:03:08 ID:/jm9fnPw
>>160以降の学者の文章を引用して、あなたは批判側をやっつけたつもりだった。
>ところが、読み直してみると、「あれ?そうか。主語はずっと菩薩なんだ・・」と気が付いたのが上記です。
>そのとおりで、あなたの>>160の主張が成り立たないことは、
>あなたが>>171で書いているとおりです。
>あなたが自分で否定したのだから、私は反論する必要もない。

ではやはりあなたは、私が>>171で書くような屁理屈を考えていたんですね。
あなたが考えていることをピシャリと私が当てたわけだ。
そしてこれにも異論が無いということですね。

>>171
このように再三にわたって菩薩が登場しているのだから
「こうして精神を集中したとき・・・」という文句は
解脱を表してはいないことになります。

とうとうあなたは自分が嘘吐きであることを認めた。

「精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき」

この文句に解脱の意味はありません。
その証拠に『ブッダの教え』の中で菩薩という言葉は
>>160で書いた「三つの知恵の獲得」の章が最後で
次の章「ふたりの商人との出会い」(55頁)からは
「ブッダ」が登場します。
つまり三明を獲得するまでは菩薩だったのです。

さあ、嘘つきさん、読者に対して謝罪する時が来ましたよ。

253 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/10(土) 17:11:59 ID:2NmZ2glE
>>252
>嘘つきさん、読者に対して謝罪する時が来ましたよ。

だからそんな頭の悪い人には解らんわ誰が損するのか分からんわなウソより
このウソを桐山に謝罪させるのが先と違うんか?

「犯罪行為・経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

254 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:14:35 ID:dJGXuvQU
>>161 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:59:22 ID:Ax0BDv35
『菩薩がこうして精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき、

数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。その認識は彼の前に現れた。
不純なものを涸らしつくす認識について考えるうちに、彼は現実に即して苦を知り、
苦のみなもとを知り、苦を止めることを知り、苦を止めることにつながる道を知った。
これらの聖なる真理を得て、それらを彼は現実に即して知った。
現実に即して不純なものを知り、不純なものを止めることにつながる道を知り、それらを現実に即して知った。
こうするうちに、彼はそのように知り、そのように見た。

彼の精神は欲望の不純さから解放され、
彼の精神は生きることの不純さから解放された。
解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。

彼の精神は欲望の不純さから解放され、
彼の精神は生きることの不純さから解放された。

解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。

ここでも「認識」→「解放」→「解脱」です。

255 :樹意:2009/01/10(土) 17:23:42 ID:V/8x6bGE
大作さんの現実世界は相手が辟易して黙るまで自分の主張を押す
方なんだろうね、
場所柄をわきまえるよう何度となく指摘しても対応しない。
居間はオシッコする場所ではないし、トイレは食事する場所ではない。
七氏さんをトイレに連れ込んでさぁオレサマのメシを食え、
と云うようなものです。
大作さんが書いているように、戒なくして定も慧もない、
アゴンのイベントは殆ど破戒ですから議論自体が成り立たない。
とにかく>>1を読め。

256 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:24:00 ID:pS1ZgWCw
>>235

>>232
> 流石、低学歴。バカ丸出しである。

あんた、慶応より偏差値低いT大だろ?そんなあんたに低学歴呼ばわりされるおぼえはないよ。

257 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:34:20 ID:QCsLXd9i
>>238 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:01:23 ID:dJGXuvQU
>学者の記述をそのまま出しているだけだから
>私が行き詰まることはないのです。

学者の記述がおかしいのではなく、あなたの解釈がおかしいといっているのです。
滅尽定が解脱なら、三明の解脱とどう関係しているのだ?
あなたは両方とも解脱だと書いて、ごまかしただけで、説明をしていない。
あなたが引用している学者が「両方とも解脱」とどこに書いているのだ?
滅尽定で解脱するなら、釈尊が解脱した時、どうして滅尽定が出てこないのだ?
三明が解脱なら、どうして釈尊が入滅する直前で三明が出てこないのだ?
あなたの説はこんなふうにちょっと考えただけでも矛盾だらけです。
しかも、私文書さんが指摘しているように、どんどんこのスレの主旨から外れていく。
あなたの「七氏憎し」からは外れていないから、気にしないのでしょうね。

258 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:36:30 ID:QCsLXd9i
>>242 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:16:16 ID:dJGXuvQU
>すでに経典や学者の書いた文献を出して説明しています。
>それとも七氏さんは「三明で解脱する」、「滅尽定で解脱する」
>と言葉どおりに書いてある文章を出せ、と言っているのか?
>だとしたら随分子供っぽいことを言う人ですね。

学者は「三明で解脱する」、「滅尽定で解脱する」などと書いてもいないのに、
勝手な解釈をして子供っぽいのはあなたのほうです。
根拠などあなたは出せない。
なぜならそんなふうに書いてはいないからです。

>ブッダが「処」の瞑想を説く「八つの解脱」もあります。

名前だけでなく八解脱を説明して墓穴を掘ってみたらどうか。
私はすでに警告を出したから、義務を果たした。
あなたは何が「勝利」で何が「墓穴」なのかまだ理解していない。
だが、私が警告したのだから、ただの脅かしではないとわかっている。
だから、怖くて踏み込めないのでしょう?

259 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:40:10 ID:QCsLXd9i
>>239 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:04:58 ID:dJGXuvQU
>解脱するには瞑想が必要だとベックは書いている。
>瞑想が必要であることは仏陀自身も説いています。

釈尊が瞑想を勧めたのも、修行に瞑想を取り入れたなんて常識です。
だが、九次第定で解脱するとか、滅尽定で解脱するなんて釈尊は説いていない。
あるというなら、示してみなさい。
桐山さんが滅尽定などの瞑想で解脱するといつ言ったのだ?
彼ですらそんなことは言っていない。
桐山さんは、四念処は瞑想だが、これはオシエにすぎず、四神足や五力だけ
が成仏法であると主張しているのです。
これをあなたは信者の分際で否定するのか。

>>241 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:07:39 ID:dJGXuvQU
>それでいながら解脱には瞑想は要らないなどと平気で言っている。

ペテン大作さん風に反論しましょう。
いつ私が、解脱には瞑想は要らないと書きましたか。
私はそんなことは書いていない。
「如何に情報を歪めて」とはあなたのことです。
それとも歪めたのではなく、読解力が低くて、理解できなかったのですか。

260 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:44:55 ID:QCsLXd9i
>>243 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:17:10 ID:dJGXuvQU
>仏典には三明の解脱も滅尽の解脱も或いは他の解脱も説かれている。

慧解脱、心解脱など名前は様々あります。
あなたが知らなかっただけで、ここではすでに議論されているのです。
だが、「三明で解脱する」、「滅尽定で解脱する」なんてどこにあるのだ?
子孫さんも解脱の名前を羅列して自慢するばかりで、因縁解脱という
名前がどこにあるのかと質問されても、無視していた。
あなたも子孫さんとそっくり同じゴマカシをして、
因縁解脱を説明しろと言われても無視している。
さすがは大嘘つきの桐山さんの信者で、似たもの同士です。

261 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:54:01 ID:QCsLXd9i
>>246 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:18 ID:dJGXuvQU
>例えばテレビに出てくる太った霊能者が見た前世なんてたかが知れている。

こんなふうに言うと思ったから、鹿頭バラモンの例を出したのです。
鹿頭バラモンの透視能力は釈尊も認定するほどだった。
だが、彼は解脱者ではありません。
これをあなたはどう説明するのだ。
また、仏教の六通のうち、漏尽通を除く五つの神通力は
仏教でなくても獲得できる場合があると言われている。
だったら、天眼通や宿命通で解脱するのではない。
漏尽通は煩悩が尽きたことを確認する能力だから、
漏尽通で解脱するのではない。
つまり、三明で解脱するのではありません。

262 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:57:03 ID:QCsLXd9i
>>246 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:18 ID:dJGXuvQU
>例えばテレビに出てくる太った霊能者が見た前世なんてたかが知れている。

Eさんの事だと思うが、彼をあれこれ言えるほどあなたは能力があるのか。
歌手の解脱供養を出したら夢うつつの中に現れたと書いたのはあなたでしたね。
こんな程度のあなたが、Eさんの霊能力をどう判断できるのだ?
また、桐山さんのどこにEさんほど霊能力を示した事例があるのだ?
Eさんの霊能力は大したことがなく、しかし、存在しない十八人の霊障武士を
霊視して成仏させ、同時代に生きたソンディと異母兄を生まれ変わりだと
霊視する桐山さんはご立派な天眼通や宿命通を持っていると言うのですか。
普通の霊能者ほどの霊能力も示せない桐山さんのどこが三明なのだ?
他人の霊能力を小馬鹿にする前に、自分と桐山さんの稚拙な程度を自覚したらどうか。

263 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:58:24 ID:QCsLXd9i
>>246 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:18 ID:dJGXuvQU
>例えばテレビに出てくる太った霊能者が見た前世なんてたかが知れている。

Eさんの事だと思うが、彼をあれこれ言えるほどあなたは能力があるのか。
歌手の解脱供養を出したら夢うつつの中に現れたと書いたのはあなたでしたね。
こんな程度のあなたが、Eさんの霊能力をどう判断できるのだ?
また、桐山さんのどこにEさんほど霊能力を示した事例があるのだ?
Eさんの霊能力は大したことがなく、しかし、存在しない十八人の霊障武士を
霊視して成仏させ、同時代に生きたソンディと異母兄を生まれ変わりだと
霊視する桐山さんはご立派な天眼通や宿命通を持っていると言うのですか。
普通の霊能者ほどの霊能力も示せない桐山さんのどこが三明なのだ?
他人の霊能力を小馬鹿にする前に、自分と桐山さんの稚拙な程度を自覚したらどうか。

264 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:01:36 ID:1F8E4Ri3
比丘入滅盡定者 壽不滅訖。暖亦不去。諸根不敗壞。

滅盡定者身口意行滅。不捨壽命。不離於暖。諸根不壞。

比丘入滅盡定者想及知滅。

比丘從滅盡定起時。不作是念。我從滅盡定起。

比丘入滅盡定時。不作是念。我入滅盡定。

比丘從滅盡定起已。心樂離趣離順離。

比丘入滅盡定時。先滅身行次滅口行後滅意行。

比丘從滅盡定起時。先生意行次生口行後生身行。

比丘從滅盡定起時觸三觸。
云何爲三。一者不移動觸。二者無所有觸。三者無相觸。
比丘從滅盡定起時觸此三觸。


265 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:03:18 ID:1F8E4Ri3
若入初禪則聲刺滅。
入第二禪則覺觀刺滅。
入第三禪則喜刺滅。
入第四禪則出入息刺滅。
入空處則色想刺滅。
入識處則空想刺滅。
入不用處則識想刺滅。
入有想無想處則不用想刺滅。
入滅盡定則想受刺滅。

色觀色。初解脱。
内色想觀外色。二解脱。
淨解脱三解脱。
度色想滅有對想不念雜想住空處。四解脱。
度空處住識處。五解脱。
度識處住不用處。六解脱。
度不用處住有想無想處。七解脱。
滅盡定。八解脱。

一者内有色想外觀色。
二者内無色想外觀色不淨思惟。
三者淨解脱。
四者空處解脱。
五者識處解脱。
六者無所有處解脱。
七者非想非非想處解脱。
八者滅盡定解脱。


266 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:04:50 ID:1F8E4Ri3
間違っています。
でっちあげです。

ID:QCsLXd9i

267 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:05:59 ID:QCsLXd9i
>>247 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:50 ID:dJGXuvQU
>三明の解脱と滅尽定は別の経典に説かれています。
>だからまったく矛盾していません。

桐山さんの真似をして前宣伝はもういいから、
釈尊が「我は滅尽定によって解脱した」と書いてある阿含経を示しなさい。
あなたの説では、釈尊は「我は三明によって解脱した」という経典もあるらしい。
学者は「解脱の内容」については三〜五項目あることを認めている。
しかし、三明で解脱して、しかも滅尽定でまた解脱しまスたなんて
説を唱えてる学者は見たことがない。
ペテン大作さんによる大発見の珍説を拝聴しようと待っているのだが、
一向に出てくる様子がない。
桐山さんと同じでデカイのは前宣伝とハッタリだけか。

>>248 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:01:31 ID:dJGXuvQU
>滅尽定を説く経典もあるという話ですよ。
>他にも経典はたくさんあるのです。

話をごまかしなさんな。
滅尽定を説く経典があるなんて当たり前です。
しかし、滅尽定が解脱だと説いている経典なんてないと指摘したのです。
漏尽通の定義を辞典から出されて、行き場がなくなり、
ついに辞典の解説まで小馬鹿にし始めた。
桐山さんと同じで、絶対に自分の間違いなんて認めたくないのでしょう?
だから、子供っぽいと言っているのです。

268 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:07:10 ID:QCsLXd9i
>>236 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 14:59:59 ID:dJGXuvQU
>あなたの読解力では読めないだけです。
>普通の読解力の持ち主にははっきりと滅尽定が解脱であると読めます。

あなたが引用した文章のどこにも「滅尽定が解脱」とはありません。
滅尽定の定義は>>248にあなたが引用したとおりです。
アナゴンでもできる瞑想法がなんで解脱なのか説明してごらんなさい。
辞典にこのように書いてあり、あなたが引用した文章には
「滅尽定が解脱」とは書いていないのだから、結論は簡単で、
最初から申し上げているように、あなたの読解力の問題です。

269 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:07:44 ID:1F8E4Ri3
阿含経の釈尊の説法

「阿那含」が四禅における四神足によっての
種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。

阿那含は五つの天
 
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙

無明


270 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:10:34 ID:1F8E4Ri3
初期経典の
釈尊の教えから、

間違っています。
でっちあげ

ID:QCsLXd9i


271 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:12:06 ID:QCsLXd9i
>>246 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:50:18 ID:dJGXuvQU
>漏尽通とは解脱したことを確認する能力でありそれ以外にはない、
>と猊下が言っているのか?
>言っていませんよね?

「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
これがもっとも重要である。」(『般若心経瞑想法』124頁)

このとおり言っています。
しかも、あなたとの議論でこれを引用するのは初めてではない。
だが、まったく読んでいないのですね。
それとも「それ以外にはない、とどこにある」と因縁をつけますか。
恐る恐る聞くが、まさか、『般若心経瞑想法』が桐山本だと知らなかったとか??
意生身のことを知らずに書いたくらいだから、ありえる。
あなたが私の反論などろくに読んでもいないことは知っていたが、
まさか桐山さんの文章まで無視していたとは見上げた信仰心だ。
あなたの知識と議論のレベルって、こんな程度ですよね。

272 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:15:14 ID:1F8E4Ri3

滅盡定
滅尽定

[編集] 漢字


部首: 皿 + 9 画
総画: 14画
異体字 : 尽(簡体字, 新字体)

273 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:18:01 ID:1F8E4Ri3
如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀
竹園。時有婆蹉種出家。來詣佛所合掌問訊。
問訊已退坐一面。白佛言。瞿曇。欲有所問。
寧有閑暇見答以不。佛告婆蹉種出家。
隨汝所問。當爲汝説。婆蹉種出家白佛言。
云何瞿曇。命即身耶。佛告婆蹉種出家。
命即身者。此是無記。云何瞿曇。爲命異身異耶。
佛告婆蹉種出家。命異身異者。此亦無記。
婆蹉種出家白佛。云何瞿曇。命即身耶。
答言無記。命異身異。答言無記。
沙門瞿曇有何等奇。弟子命終即記説言。
某生彼處某生彼處。彼諸弟子於此命終捨身。
即乘意生身。
生於餘處。當於爾時。非爲命異身異也。
佛告婆蹉。此説有餘。不説無餘。婆蹉白佛。
瞿曇。云何説有餘不説無餘。佛告婆蹉。
譬如火有餘得然非無餘。婆蹉白佛。我
見火無餘亦然。佛告婆蹉。
云何見火無餘亦然。婆蹉白佛。譬如大聚熾火疾風來吹。
火飛空中。豈非無餘火耶。佛告婆蹉。風吹
飛火即是有餘。非無餘也。婆蹉白佛。
瞿曇。空中飛火。云何名有餘。佛告婆蹉。
空中飛火依風故住。依風故然。以依風故。
故説有餘。婆蹉白佛。衆生於此命終。
乘意生身往生餘處。云何有餘。佛告婆蹉。
衆生於此處命終。乘意生身生於餘處。當於爾時。
因愛故取。因愛而住故説有餘。婆蹉白佛。
衆生以愛樂有餘染著有餘。唯有世尊得彼無餘成等正覺。
沙門瞿曇。世間多縁請辭還去。
佛告婆蹉。宜知是時。婆蹉出家聞佛所説。
歡喜隨喜。從坐起而去


274 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:19:55 ID:QCsLXd9i
>>244 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:18:58 ID:dJGXuvQU
>三明で解脱することについては何度も説明している。
>だが七氏さんにはまったく理解できない。

仏教もアゴン宗も理解できないのはあなたです。
だから、桐山さんの解説の漏尽通すら知らなかった。
仏教の漏尽通とは煩悩がすべて尽きたことを認識する神通力です。
解脱する神通力ではない。

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(『岩波仏教辞典』)

ごらんのように、漏尽通については仏教でもアゴン宗でも意味の違いはありません。
だから、漏尽通で解脱するというあなたの考えは仏教でもないし、
アゴン宗の教義でもなく、ベックの本などに勝手な解釈を加えたペテン大作教にすぎない。
つまり、理解していないはあなただけです。
あなたのいう解脱は仏教ともアゴン宗とも違うのだから、ベックの文章を出しても意味がない。
このスレの主旨に沿って、アゴン宗の因縁解脱とはどのようなものなのか、
ベックのいう解脱とどう関係しているのかを説明するように
私やユビキタスさんが求めているが、あなたは答えようとしない。
答えられないし、答えたら、矛盾を指摘されることを
視野の狭いペテン大作さんでも予想できるからですよね。

275 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:22:05 ID:1F8E4Ri3
[273は阿含経です。]

間違っています。

ID:QCsLXd9i


276 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:22:36 ID:QCsLXd9i
>>251 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:58:03 ID:dJGXuvQU
>「心が統一され・・・」の文句は解脱ではない。
>私の主張に対して異論がないことを認めたのですね。

あなたが示したバローの文章にはどこにも「三明で解脱」「滅尽定で解脱」とは
書いていない。
これは三明の普通の解説です。
解脱したことの確認、つまり解脱知見を述べているにすぎない。
菩薩云々については、あなた自身が根拠として成り立たないこと書いている。
あなたは何一つ新しいことを示すこともなく、ただ自滅したのです。

277 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:27:00 ID:QCsLXd9i
>>252 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:58:40 ID:dJGXuvQU
>あなたが考えていることをピシャリと私が当てたわけだ。
>そしてこれにも異論が無いということですね。

当てた?何を一人芝居で悦に入っているのだ?
バローの文章は私ではなく、あなたが出して、あなたが矛盾を指摘して自滅したのだ。
三明の一つ一つで解脱するなら、いったいどれが解脱なのだ?
しかも、あなたが>>171で指摘したように、解脱したはずのアラハンが
また菩薩という名前で出てくる。
バローの文章ではすでに解脱したはずの後も菩薩という言葉が使われている。
つまり、あなたは自分で書いて、自分で矛盾に気が付いて自滅したのだ。
それを何とか誤魔化そうとしたが、私から進歩だと誉められてしまった。
あなたが指摘した菩薩以外にも、バローは菩薩が三明でアラハンになったと書いていない。

「タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
無碍の認識を得た。」(>>161)

アラハンがこの知恵(三明)を生み出したと書いてある。
菩薩が生み出してアラハンになったとは書いていないのです。
だから、三明を生み出して、それで解脱したとは書いておらず、
「無碍の認識を得た」、つまり解脱知見を得たと書いているだけです。
仏教の議論ではなく、あなたの憎悪と読解力の問題なのです。

278 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:31:22 ID:QCsLXd9i
>>250 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:17:31 ID:dJGXuvQU
>ということです。
>わかりましたか、嘘つきさん?

いいえ、まったくわかりません。
あなたの引用した文章のどこに、八解脱と三明との関係があるのですか。
どうやったら、引用した文章に八解脱と三明が書いてあるように読めるのだ?
質問に答えられなくなったから、あなたのお得意の「逃げ」ですよね。
関係のない学者の文章をただ並べて、「さあ、読め」と始まる。
だが、何の根拠も反論にもなっていない。
あなたがそのようにあなたの頭の中で解釈しているだけで、
実は文章にすらできないから、悔し紛れに上記のように書いてるだけです。

279 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:34:33 ID:QCsLXd9i
>>249 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:03:19 ID:dJGXuvQU
>これをよく読みなさい

これはあなたに言えることです。
だから、桐山さんの漏尽通の引用すらあなたは読んでいなかった。
あなたは文献を引用して、ただ自分の結論を書くだけです。
引用にはどこにも、「滅尽定で解脱した」とはないのに、
あなたはさもそのように解釈できるかのように言う。
どこをどのように解釈すれば、そのような意味にとれるか、
自分の言葉で説明してみることです。
だが、できないのでしょう?
頭の中でなんとなくそんな気がするだけで、
いざ文章にしようとすると、何も出てこないから、
あなたは引用と結論しか書かないのではなく、それしか書けない。
あなたは>>248で辞典からの引用をただあざ笑った。
私は具体的にアナゴンという記述があることを指摘して、
滅尽定が解脱であるはずかないと解説した。
だが、あなたは毎度学者の文章ただ引用して、結論だけを書き、解説も反論も何もない。
繰り返し繰り返し、同じ学者の文章を貼り付けるだけ。
その手法は私の書き込みの前後で嫌がらせをしている誰かさんにそっくりです。

280 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:39:44 ID:QCsLXd9i
>>243 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:17:10 ID:dJGXuvQU
>証明することが私の仕事であって解脱とは何かを論じることではありません。

さんざんこれが解脱だと主張して、行き詰まって、挙げ句が、
自分の仕事ではないと始まる。
あなたは何一つ証明などしていない。
あなたが引用した中村博士もベックもバローも全員同じ事を言っており、
なんらなあなたの主張の根拠にはなっていません。
桐山説の「神通力で解脱する」を証明しなければならないはずなのに、
実はあなたはアゴン宗の因縁解脱が何なのかすら説明していない。
いつものように自分で作り出した議論の支流に紛れ込んで、
うっかり「滅尽定で解脱する」などと書いて墓穴を掘ってしまった。
滅尽定が解脱だなんて桐山さんですら言っていない。
三明と滅尽定のどっちが解脱なのだと矛盾を指摘され、
いろいろな解脱があるのだと逃げようとしたら、
私から落とし穴があるぞと警告されてビビって、右往左往。
学者の文章をひたすら書き並べて、私を意味もなくあざ笑うことで、
なんとか体裁を保とうとしている。
実に宗教詐欺師の桐山ゲイカの信者にふさわしい姿です。
あなたの醜態にさぞ桐山ゲイカもお喜びになっているでしょう。

281 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:43:44 ID:1F8E4Ri3
初期経典での表現では
無碍の認識=阿羅漢・仏陀と表現されています。

タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、
すなわち完全で完璧なる覚者は、
この知恵を生み出したがゆえに、
無碍の認識(=阿羅漢・仏陀)を得た。



282 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 18:46:27 ID:1F8E4Ri3
初期経典での
釈尊のおしえ

業と命があっても
煩悩が“無効化”されているのが

預流、一来、不還、独覚。
善業も悪業も超えている


283 :ラシン:2009/01/10(土) 19:23:29 ID:7KI6ujLR
>249何の文献上の根拠もない私見を人に説いて悦に入る。
典型的な落武者タイプです。
その私見の根本には「煩悩」という名のトラウマがあります。
きっとどこかの宗教団体から刷り込まれたのでしょう。

私見も何も、仏教の基本を知れば自ずと理解できる範囲です。
私はここ批判側から示唆され学んだ内容で、因縁解脱もカルマ解脱も無い。
しかし、Qさんの癖は反論のための反論だから国語力を無視して学説た経典を唱える。
菩薩という三人称の主語を間違え、漏尽通の桐山解釈も以前に七氏さんから
提示されたにもかかわらず、覚えていない、そして終いには自滅です↓。

277 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:27:00 ID:QCsLXd9i

「タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、
この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た。」(>>161)

アラハンがこの知恵(三明)を生み出したと書いてある。
菩薩が生み出してアラハンになったとは書いていないのです。
だから、三明を生み出して、それで解脱したとは書いておらず、
「無碍の認識を得た」、つまり解脱知見を得たと書いているだけです。
仏教の議論ではなく、あなたの憎悪と読解力の問題なのです。

さすがは七氏さん、看過せずしかもズバリ正解をQさんの提示から引き出した。
これを頂門の一針と言うのでしょう。



284 :ユビキタス@菩薩その1 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/10(土) 21:01:22 ID:uDRslTBp
こんにちはー!元気ですかー!
元気があればブッダに成れる。
菩薩でーす!
まあ、聞いておくんなし。わが前口上を。かしまし娘の節で一緒に唄いましょう。
うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪

さて、それでは菩薩の報告第一弾!
最近ね〜、心が安定して、統一されて、迷いも汚れもなくなってね〜、結構修行の効果出てきたんすよ。
え?もう解脱したんじゃないかって?とんでもございやせん。
あっしはまだまだ未熟な菩薩の身でしてねえ、解脱してないんでやんすよ。
小さい煩悩は離れたがまだまだ大きな煩悩が残っているんでしょうかねえ?
七氏をぶっ殺してやりたいとか、そういう大きな煩悩。
だから解脱できないんでしょうねえ。
まあでも心は清らかになって一点の曇りもないんでやんすが。
何?言ってることに矛盾がある?
てやんでい!大きなお世話だ!矛盾してるから解脱してねえんだよ!
わかったか?誰もわからない?ほっとけ!
おっと、ほとけじゃねえよ。ぼさつぼさつ。
それでは皆さん!菩薩の報告でしたー!
早くブッダになりたーい!(妖怪人間ベムの節で)

285 :ユビキタス@菩薩その2 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/10(土) 21:12:54 ID:uDRslTBp
こんにちはー!元気ですかー!
元気があればブッダに成れる。
菩薩でーす!

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪

いやあ〜、解脱してないあっしでやんすが、そこである試みをやってみたんすよ。
前世を透視したんすよ。自分の含めてね。もう何十何百と遡ってね。
ああ、あっしも恥ずかしいことに輪廻を続けていたんでやんすねえ。
だって過去のあっしって煩悩から離れられないんだもん。
これじゃあ輪廻もするわなあ。はっはっはっ。
てなことで菩薩報告第二弾でやんした〜。
え?もうそろそろ解脱したかって?
とんでもございやせん。
あっしは菩薩ですよ、菩薩。
ぼさーっとした菩薩でやんすよ。
でも期待していてくださいよ。そのうちブッダになって、おまいらをアッと言わせてみせるからよ〜。

それでは皆さん!菩薩の報告でしたー!
早くブッダになりたーい!

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪



286 :ユビキタス@菩薩その3 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/10(土) 21:43:12 ID:uDRslTBp
こんにちはー!元気ですかー!
元気があればブッダに成れる。
菩薩でーす!

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪

いやいやいや、それからその後ねえ、何でも見通す目で世の中を眺めたんでやんすよ。
そしたらまあ、いろいろとわかることわかること。
あいつは貪りが著しいから餓鬼道に堕ちるとか、あいつは畜生道に堕ちるとか。
あいつはまた来世に彼処に生じるとかね。
煩悩から離れられないとどういうことになるのか如実に見えたわけですな。
えっ?そろそろ解脱かって?
とんでもございやせん。あっしはまだ未熟な菩薩でやんすよ。
そのうち、そのうち・・・まあ、見てなって。
それでは皆さん!菩薩の報告でしたー!
早くブッダになりたーい!

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪



287 :ユビキタス@菩薩その4 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/10(土) 21:58:44 ID:uDRslTBp
こんにちはー!元気ですかー!
元気があればブッダに成れる。
菩薩でーす!

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪

いやあ、それでねえ、あっしもいよいよ来るべきところに来たと言うべきか、
今現在の自分をありのままに観察したんでやんすよ。
そしたらまあ、あんた、驚いてやっておくんなし。なんと自分はもう煩悩から全て離れていることに
気付いたんでやんすよ。煩悩が漏れて染み出ることはない、煩悩は尽きてなくなったことに気付いたんでやんす。
そりゃそうでしょうよ。その1のあっしを見ておくんなし。
煩悩から離れて汚れのない不動の心を獲得してるわけですから。
あの時点で煩悩は全てなくしたんです。
そこで、その2、その3で神通力を駆使してまで観察追認したことも含めて、整理して認識してみたんです。
煩悩を離れたあっしはもう来世にも生まれてくることはないと認識したわけでやんす。
ああ、自分は解脱したことを理解認識が完了したわけでやんす。
え?いよいよ解脱したかって?
いやいやいや、へっへっへっ、まああっしも菩薩の名前で出てるからなあ。
大菩薩峠にいる時ゃ♪菩薩〜と呼ばれたの〜♪

まあ、そんなことで、それでは皆さん!菩薩の報告でしたー!
早くブッダになりたーい!

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪



288 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:10:01 ID:1F8E4Ri3
一例

博士は、この研究論文を発表したことによって博士号をえた。


間違っています。

277 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:27:00 ID:QCsLXd9i

「タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、
この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た。」(>>161)

アラハンがこの知恵(三明)を生み出したと書いてある。
菩薩が生み出してアラハンになったとは書いていないのです。
だから、三明を生み出して、それで解脱したとは書いておらず、
「無碍の認識を得た」、つまり解脱知見を得たと書いているだけです。
仏教の議論ではなく、あなたの憎悪と読解力の問題なのです

289 :ユビキタス@ブッダ最終章 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/10(土) 22:16:35 ID:uDRslTBp
「菩薩くん、菩薩くん」
「あ?なんだ?おめーわよ?なれなれしい奴だな。この俺様を誰だと思ってる? ブッダ様であらせられるぞ。
頭が高い。調子乗って菩薩だのって馬鹿にしてると、おめ、血を見るぞ」
「いつのまにブッダになられたんですか?」
「おめ、菩薩その1〜その4読んでねーのかよ?あれで解脱と解脱知見を果たして、あっし、もとい、
俺様の菩薩修行は完成して晴れてブッダになったわけよ」
「その1〜その4のどの辺で?」
「そりゃ、おめ、最後の最後に決まってるわけだろ?俺様は屈従の菩薩を名乗り続けたわけだからな。」
「最後の最後にいきなりですか?」
「うむ、まあ最後の最後の大逆転劇と言うわけだ。あの時点、つまりこの私は既に煩悩を離れて
生まれ変わることが ないのだ!と理解認識した時、生理的な激変が起こったんだと
思う。目の前に紫電が走り脳髄に激痛が走り、「ああッ!」と叫んだ。明星が現れ、それは膨らんで
揺れて、くるくる回って、ぱーん!とはじけて・・・。その時俺様は地球の回る音を聴いたことに
しとこうか」

290 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:23:27 ID:1F8E4Ri3
釈尊の切り開いた道

第二段階にて
肉体とは別に四禅の四大の同調により、
意生身を作り上げます。
物質的身体とは別に、
その形が心から成り立ち、
手足も全て備え、
感覚器官の全て備わった新しい身体を創ります。

四大化作異身支節具足諸根無闕。
彼作是觀。
此身色四大化成彼身。
此身亦異彼身亦異。
從此身起心化成彼身。
諸根具足支節無闕。



291 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:30:47 ID:1F8E4Ri3
四禅

四大色身合成(自分と同じ自分を化作)

琉璃摩尼 
珠ヨガ

一心修習神通智證

292 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:31:51 ID:1F8E4Ri3
一心修習神通智證

一心修習證天耳智

一心修習證他心智

一心修習宿命智證

無明永滅大明法生

闇冥消滅光曜法生

一心修習見生死智證

見生死智證

斷除無明生於慧明

捨離闇冥出智慧光

一心修習無漏智證

心得解脱得解脱智

斷除無明生於慧明

捨離闇冥出大智光

無漏智明

293 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:37:38 ID:1F8E4Ri3

初期経典にある(阿含経)
釈尊が切り開いた解脱へのプロセスです

☆291
☆292

294 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:52:46 ID:1F8E4Ri3
阿含経

得阿那含。
種種神通境界。
天眼天耳。
他心智。
宿命智。
生死智。
漏盡智。
皆悉得。

295 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/10(土) 22:56:28 ID:1F8E4Ri3
ある境涯までの心の平安も
神通による出世間の正見も
仏陀としての解脱の必要なプロセスなのです。

仏陀の解脱

☆輪廻転生の縁の無効化
☆存在する悟りの領域
☆「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅
以上の三つの条件の成就
滅盡定を成就した人の状態像です。


仏陀の入滅による解脱

最後の身体の生存の素因・潜在勢力・諸根存在の感覚系を
聖正見により
素因の核を捨て去る(輪廻転生の核)
余力が滅して肉体の死=即、存在するさとりの領域。

296 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 00:12:22 ID:5pA4vlKU
ギャテイさんが一番まとも

297 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 00:25:30 ID:MUd8LS9T
ギャティさんが一番狂ってるwww

298 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/11(日) 00:38:58 ID:5grUYf9h
>>232:神も仏も名無しさん :2009/01/10(土) 08:20:04 ID:pS1ZgWCw
>劣等感とその裏返しの虚栄心を原動力として生きてきたキリ山師。そこに群がる信者たちもまた劣等感と虚栄心の固まりだなぁ。

これは本当に重要な指摘で現役信者のみならず、元信者にも必ずやあったと見られる特性ではないかと思う。
もちろん私にも確実に認められます。
明らかに劣等感とそれの裏返しとしての虚栄心があった。
だからこそこんな妄想に共鳴した。
そして退会を果たした今もやはり劣等感と虚栄心は残っていることを自覚する。
せっかく高い金と貴重な時間を浪費したのだから、これを教訓に、自分のその弱さを認めて直視すべきです。
それでこそ浪費は貴重な授業料に転化できるし、不退転を得ることもできます。

299 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 10:21:52 ID:msImy33W
「初期仏典における
釈尊の教えにあるプロセス」

・・・・・

漏を尽さんと悪業が苦行とともにあれば、すなわち悪業は消散する。

漏を尽さんと善業をまもり善業を積み重ねれば、善業は集積する。

善業と悪業を同じく等しめ漏を尽くし

善業も悪業もこえる

善業もなく悪業もなく

智が生じ功徳により満たされる


300 :樹意:2009/01/11(日) 11:59:53 ID:83kww+bj
これ書くとペテン大作さんなどは小躍りして喜ぶかもしれませんが
まぁいずれにせよ アゴンはこの正定の前提となる戒清浄がひっくり返った
単なる 霊感商法です。ペテン大作さんがアゴンを擁護する立場であるなら
こういう議論は意味のないことです。 

旧セヤド−HPより

前回の法話において、すでに私は安般念を修行して第四禅に到達する方法を説明した。
今日の法話は「如何にして引き続きその他の止禅、特に十遍を修行するか」です。

修行者が安般念によって第四禅に到達し、かつ五自在の修行に成功した後、禅定
(samaadhi)の光が明るく輝いて、光芒が四方に放射するとき、修行者は自分の
希望に従って、観禅(vipassanaa)の修習に修行を転換することができますし、
または引き続き、その他の止禅の法門を修行することもできます。これから、
如何にしてその他の止禅の法門、三十二の身体部分、白骨観および白遍などを
修行するかを説明します。



301 :樹意:2009/01/11(日) 12:03:26 ID:83kww+bj

片山一良氏訳 85節 内観の智 
このようにして、心が安定し、清浄となりーー略ーー 彼は智見に心を傾注し

この心の部分の注釈 
「遍 (kasina カシナ)の順、逆など十四種の行相により、〔八等至(八種の禅定 attha-samapatti)
において自在になっていること)をいう〕

智見の部分の注釈
「nana-dassana 《しられるべきものを知るから智(nana)であり、またしられるべきものを目の当たり
に見るから見(dassana)である。智なる見が智見である》ここにいう(智見)とは、道智
とも一切智(sabbannauta-nana》とも観察智(paccavekkahana-nana》とも観智(vipassana-nan)とも
いわれる。なお「観智に」とは〈智見が生起するように〉の意。

アゴンにいいように手玉に取られた反省からセヤドーのものであっても
裏をとるようにはしています、阿含経典というのは止観修行の詳細を説いた
もののようです。片山一良氏の解説とセヤドーの解説はかなりな整合性があるようです。


302 :樹意:2009/01/11(日) 12:14:05 ID:83kww+bj
ーーーセヤドー引用 −−−
前回、私は如何にして第五法と第一法によって縁起を識別するかを、簡単に解説した。
本日は、如何にして観禅(ヴィパサナ)の修行を続け、涅槃を証悟するのかと
いうことについて説明する。

涅槃を証悟したいのであれば、修行者は十六種の観智(nyana)を一歩ずつ
段階的に育成しなければならない。

第一種の観智は、名色識別智(naamaruupa-pariccheda-nyana)という。
以前、如何にして名法と色法を識別するのかを説明した時に、すでにこの
種の観智について触れた。

第二種の観智は、縁摂授智(paccaya-pariggaha-nyana)である。これは
名・色の因縁を識別する智慧である。前回の講義の時に、如何にして
過去・現在・未来の名色法を識別するのかという事と、如何にして縁起を
識別するのかを説明したが、まさにこの観智について説明したものである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また、弟子が縁起を識別するとき、彼は過去世と来世を見る事ができる。もし、彼が多くの過去世
を認識することができたならば、以下のような観智を得ることができるであろう。即ち、どのような
不善業が人をして悪道に生まれせしめ、ーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
過去世を観察するというのは 四聖諦の集諦 を観察するということになります。
他人の過去までは観察しないようですが、慧解脱である純観行阿羅漢も自分の
集諦〈因縁〉の観察はするようです。 十六観智でいくと2の 縁摂受智(paccaya-pariggaha-nyaana)
ということになろうかということです。 


303 :樹意:2009/01/11(日) 12:20:12 ID:83kww+bj
須師摩は大勢の阿羅漢が仏陀に会いに来て、仏陀に各自の阿羅漢果証悟の状況を報告すると聞いた。
そのため、彼は阿羅漢たちの所へ来て、彼らは八定と五神通を得ているかどうか、を問うた。
これらの阿羅漢たちは、「いえ」「もし八定と五神通を得ていないのでれば、あなた方は如何
にして阿羅漢果を証悟し得たのでしょうか?」阿羅漢たちが答える「ああ、友よ須師摩、我々は
純観行(suddha-vipassanaa-yaanika)によって煩悩を滅し除き、阿羅漢果を証悟したのだ」と。
須師摩は彼らの回答が理解できず、そのため仏陀のところに来て、同様の問題を聞いた。仏陀は
「先に法住智(を得)、次に涅槃を対象とする道智を得る」と述べた。

これはどのような意味であるか?道智は八定と五神通の結果ではなく、道智は観智の結果である。
ゆえに道智は観智の後にしか生起せず、八定と五神通の後に生起するものではない。
<須師摩経Susima Sutta>の中では、全ての観智はすべて法住智に分類している。
この中において、法住智とは、全ての行法または有為法(sankhaara-dhamma)の
無常、苦、無我の本質を見極める観智を指している。行法とは名・色とそれらの因縁である。
故に、名・色、名・色の因縁とそれらの無常、苦、無我の本質を見極める観智を法住智と言う。
故に、まず法住智で、その次に涅槃を対象とする道智なのである。

304 :樹意:2009/01/11(日) 12:26:31 ID:83kww+bj
Q4−5 修行者は近行定だけで、出世間の境地に到達することができますか?

A4−5 出来る。近行定の段階でも、明るく輝き、放射する光が生起する。この光によって、
修行者は色聚、究極色法、究極名法とそれらの因縁を判別することができる。その後に、
修行者は引き続き観禅(ヴィパサナ)の修行を一歩ずつ進めればよい。

八正道の第八項は正定です。正定とは、初禅、第二禅、第三禅と第四禅を言います。
<大念処経Mahaasatipat.t.aana sutta>に基づけば、この四種類の禅を正定といいます。
しかし、<清浄道論>は、正定を更に詳しく説明して:四色界禅(注19)(ruupa-jhaana)、
四無色界禅(注20)(aruupa-jhaana)と近行定(注21)(upacaara-samaadhi)であると
説明しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
樹意説明ーー〈確かに片山氏訳大念処経には第一禅〜第四禅を正定と書いてある。〉



305 :樹意:2009/01/11(日) 12:39:35 ID:83kww+bj
滅道である八正道で仏陀は  正定 を説かれ、大念処経で正定とは第一禅〜第四禅であると
開示されている。 他の七支は正定を成功させる為の足場です。
戒定慧 の意味を勘案するにこの定が四禅のみを示すのであれば四禅と仏陀は示すと
いうことで、この正定には当然 滅尽定が説かれるわけでもないということです。

これは何を示すかというと 近行定初禅の段階で観禅に入りそのまま 阿羅漢道智を得てしまう
方々もいるということでありましょう。
禅那には以前説明した通り、世間禅と出世間禅の2種があり、所謂涅槃をもたらすのは観禅
〈ビバサナ〉の方です。 しかしながら 止禅のバックボーンを得て観禅〈出世間禅〉をする
というのは同じ。
止禅 
初禅〜第四禅はおのおの五蓋煩悩に対応しそれをとどめるものですが、阿羅漢道智を得させる
出世間の禅那とはまた別ではないかというのが私の調べた結果です。

要は四諦八正道で指摘されているのは 正定〈第一禅〜第四禅〉これをもって 観智を育成
するということです。



306 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 13:01:13 ID:msImy33W
間違っています。

305 :樹意:2009/01/11(日) 12:39:35 ID:83kww+bj
滅道である八正道で仏陀は  正定 を説かれ、大念処経で正定とは第一禅〜第四禅であると
開示されている。 他の七支は正定を成功させる為の足場です。
戒定慧 の意味を勘案するにこの定が四禅のみを示すのであれば四禅と仏陀は示すと
いうことで、この正定には当然 滅尽定が説かれるわけでもないということです。

これは何を示すかというと 近行定初禅の段階で観禅に入りそのまま 阿羅漢道智を得てしまう
方々もいるということでありましょう。
禅那には以前説明した通り、世間禅と出世間禅の2種があり、所謂涅槃をもたらすのは観禅
〈ビバサナ〉の方です。 しかしながら 止禅のバックボーンを得て観禅〈出世間禅〉をする
というのは同じ。
止禅 
初禅〜第四禅はおのおの五蓋煩悩に対応しそれをとどめるものですが、阿羅漢道智を得させる
出世間の禅那とはまた別ではないかというのが私の調べた結果です。

要は四諦八正道で指摘されているのは 正定〈第一禅〜第四禅〉これをもって 観智を育成
するということです。


307 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 13:06:12 ID:msImy33W
比丘入滅盡定者 壽不滅訖。暖亦不去。諸根不敗壞。

滅盡定者身口意行滅。不捨壽命。不離於暖。諸根不壞。

比丘入滅盡定者想及知滅。

比丘從滅盡定起時。不作是念。我從滅盡定起。

比丘入滅盡定時。不作是念。我入滅盡定。

比丘從滅盡定起已。心樂離趣離順離。

比丘入滅盡定時。先滅身行次滅口行後滅意行。

比丘從滅盡定起時。先生意行次生口行後生身行。

比丘從滅盡定起時觸三觸。
云何爲三。一者不移動觸。二者無所有觸。三者無相觸。
比丘從滅盡定起時觸此三觸。


308 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 13:33:26 ID:DG0PcfUS
確かに、ぎゃあていは、シャカの説いた正しいことを語っているのは認めるよ。

309 :樹意:2009/01/11(日) 13:35:19 ID:83kww+bj

ぎゃーテーさんよ、
東京新聞社説にあったが 今度の定額給付金は 額会さんの戦居資金
でうまく集まれば 1000億はお布施にする為のもんらしいな。

アボンの信者さんも お布施にする人がいるだろうから ゲイカも
少しは潤うかもな。 

ぎゃーテーさんも 臨時収入があるといいね。



310 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 13:54:54 ID:krzbgbli
ギャテイ以外はみんなバカ

311 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:07:24 ID:Sr3ztkK8
入院したと思っていた樹意が何故かやたら元気だね。
羯諦さんのレスはいい味出てます。
指北巣は相変わらず笑わせてくれるし
七氏はヒステリックに吼えている。
このレスがこんなに賑わうのも珍しいんじゃないか?

312 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:24:20 ID:Sr3ztkK8
>>262 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:57:03 ID:QCsLXd9i
>Eさんの事だと思うが、彼をあれこれ言えるほどあなたは能力があるのか。
>歌手の解脱供養を出したら夢うつつの中に現れたと書いたのはあなたでしたね。
>こんな程度のあなたが、Eさんの霊能力をどう判断できるのだ?


江原啓之の「霊視」に矛盾 霊視した父はご存命だった

http://netallica.yahoo.co.jp/news/22877

313 :準胝如来 ◆PvdGdGfMwg :2009/01/11(日) 15:32:41 ID:hhGOuqRC
>>232
>ところで今年の射的のまと(御法施ともいう)はなんだろう?

10万円(1000本)で「宝生延命壽福守護曼荼羅」だそうです。
(但しチラシの一番大きく表記されている部分では「壽」ではなく「寿」)
胎蔵界の中台八葉院をベースに尊を入れ換えたもののようです。
額装のように見えますが、送られてきたチラシを見ているだけなので、
大きさは分かりません。
(今まで額装の法施は霊写真だけで、曼荼羅はすべて軸装だったはず)

財運強化・息災長寿法祈修と書いてあり、見るからに煩悩増大を
図るものです。

仏舎利ブレスレットといった、以前の焼き直しではなく、一応は
新しいものを作ったようですね。

314 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:42:39 ID:Sr3ztkK8
>>267 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:05:59 ID:QCsLXd9i
>釈尊が「我は滅尽定によって解脱した」と書いてある阿含経を示しなさい。
>あなたの説では、釈尊は「我は三明によって解脱した」という経典もあるらしい。

「滅尽定によって解脱した」なんて言ってませんよ。
「滅尽定が解脱だ」という文章を出したのです。(>>236>>237
あなたは人が言いもしないことを勝手に作り出して
一人で相撲を取っているのです。
バッカじゃないの?

>あなたの説では、釈尊は「我は三明によって解脱した」という経典もあるらしい。

経典は知らないがベックはこう書いています。
彼がどの経典を指しているかはわかりませんが。

495 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:49:20 ID:wC3cIhCF

こうして修行者は、その霊体において、
あの多く神通と名づけられる高度の霊力を発揮する器官を具えることになる。
その能力のうち、三つの神通力、耳ざといこと、他人の考えを見抜くこと、
これらはすでに前章で述べた。
これらの能力の次に、さらにそのうえ、三つの能力が続くが、
これらもやはり、仏教によれば全く瞑想に基づく。
瞑想者はそれらと同時に高度の英知ないし知識の領域に入る。
如来は菩提樹のもとで三重の智慧を獲得し、
それを達成することによって菩薩から仏陀の位にのぼったのであるが
今、ここでいう三つの能力もそれと同じものである。』
(仏教 (下) 94、95頁、べック著、岩波書店)

315 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:44:56 ID:Sr3ztkK8
>>271 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:12:06 ID:QCsLXd9i
>「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
>これがもっとも重要である。」(『般若心経瞑想法』124頁)

重要だと言っているだけで他には無い、とは言っていません。

316 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:52:07 ID:Sr3ztkK8
>>274 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:19:55 ID:QCsLXd9i
>だから、漏尽通で解脱するというあなたの考えは仏教でもないし、
>アゴン宗の教義でもなく、ベックの本などに勝手な解釈を加えたペテン大作教にすぎない。

>>314
瞑想者はそれらと同時に高度の英知ないし知識の領域に入る。
如来は菩提樹のもとで三重の智慧を獲得し、
それを達成することによって菩薩から仏陀の位にのぼったのであるが
今、ここでいう三つの能力もそれと同じものである。』
(仏教 (下) 94、95頁、べック著、岩波書店)

112 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:41:11 ID:s8pu1w+h
>[1011]如来の子孫 08/11/16 12:22 n69C3Ohcha
>さて、釈迦が成道するときはどうであったか。

「このうちで、成道の意義を説く経典の記述には、四聖諦や十二縁起などの
ような理法の体得によるとするもの、四念処・四正勤・四如意足、五根、五力、
七覚支、八聖道などの実習するもの、五蘊・十二処などの諸存在の観察によるとするもの、
四禅・三明によるとするものなどがあります。」
(『釈迦のことば』菅沼晃、115〜116頁)

317 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:09:02 ID:Sr3ztkK8
>>276 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:22:36 ID:QCsLXd9i
 >>251 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 16:58:03 ID:dJGXuvQU
 >「心が統一され・・・」の文句は解脱ではない。
 >私の主張に対して異論がないことを認めたのですね。
>あなたが示したバローの文章にはどこにも「三明で解脱」「滅尽定で解脱」とは
>書いていない。

それがバローの『ブッダの教え』の「三つの知恵の獲得 」の章(>>160
の中に、ブッダではなく「菩薩」が出てくることと何の関係があるんだ?
そして「心が統一され・・・」の文句が解脱ではないという事実と
どういう風に結びつくのか?
そういう誤魔化しが読者に通用するとでも思っているのか?
あまり読者をなめるんじゃない。
バローの文章の中に「三明で解脱」「滅尽定で解脱」があろうがなかろうが
この事実は変わらない

>>163 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 15:12:32 ID:Ax0BDv35
バローははっきりと「菩薩」と書いている。
「菩薩」が自身の過去世を知り、
「菩薩」が人の生死を知り、
「菩薩」が不純なものを涸らしつくす認識を得たのです。
解脱した比丘ではなく「菩薩」なのです。
それは、
「精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき」
という文句は解脱ではないことを意味しています。
同様に、
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動」 という文句も解脱ではないことになります。

318 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:17:35 ID:Sr3ztkK8
>>277 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 18:27:00 ID:QCsLXd9i
>しかも、あなたが>>171で指摘したように、解脱したはずのアラハンが
>また菩薩という名前で出てくる。
>バローの文章ではすでに解脱したはずの後も菩薩という言葉が使われている。

もしそうだったらよかったのにね〜
でも・・・・・・
残念です、本当に残念です。
解脱した後は菩薩は登場しないのです。
代わりにブッダが登場するのです。
>>252に書いたでしょう?
詳しく説明しましょう。

319 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:21:50 ID:Sr3ztkK8
『ブッダの教え』(大東出版社)の第一部の見出しを列挙してみると、
“菩薩”が登場するのは 「三つの知恵の獲得」 までであり、
「ふたりの商人との出会い」からは菩薩に代わり “ブッダ” が登場します。
つまり、ゴータマは三つの知恵を獲得するまでは解脱していなかったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目覚めへの準備
 菩薩は、至高の目覚めに、また解脱の道の発見につながるにちがいない一連の瞑想にとりかかる前に、
古代インドで一般的であった考え方にならい、成功を保証できる最善の状況をととのえた。
(51頁)

四つの瞑想
 菩薩は"目覚め"の木の下に座って、次第に精神を浄化してゆき、
真実への目覚めと苦からの最終的な解脱にいたる道の発見を可能にすることとなる、
四段階の瞑想を行なった。
(51頁)

320 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:22:21 ID:Sr3ztkK8

三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。
(52頁)

ふたりの商人との出会い
 次の有名なエピソードのもともとの主題はきわめて単純である。
ふたりの旅の商人がウルヴィルヴァーを通りかかり、そこで出会った修行者、
すなわちいまやブッダとなった人物に、少々の食べ物を施し、それによって俗人としての義務をはたす。
この基本的な物語に、その後、さまざまな要素が付け加えられた。
そのいくつかはおそらくきわめて古く、信憑性がある。
たとえば商人たちの回心がそうである。他方、いくつかは伝説の世界に属する。
たとえば、神々の介入、施しを受けた鉢にまつわる奇跡、
ブッダが彼らに与えた髪と爪を祭るストゥーパの建立などがそうである。
(55頁)

カリロクの実の贈り物
 ブッダとあらゆる種類と階級の神々との間には種々の関係は存在したとされるが、
次のささやかな伝説は、そういった関係を例証する。
おびただしく、また、さまざまなエピソードのひとつである。
神々はブッダのためにこまごまと気を配り、そいうすることで人間たちに模範を示す。
(58頁)





321 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:29:34 ID:Sr3ztkK8
菩薩がブッダに切り替わるのは見出しだけではありません。
本文もそれと一緒に切り替わっています。
つまりあなたの言っている

>>277
>しかも、あなたが>>171で指摘したように、解脱したはずのアラハンが
>また菩薩という名前で出てくる。
>バローの文章ではすでに解脱したはずの後も菩薩という言葉が使われている。

というのは間違いです。
解脱していなかったからまた菩薩という名前で出てきたのです。
残念でしたね。
あなたの屁理屈もこれまでです。
お疲れ様でした。

322 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:33:41 ID:Sr3ztkK8
>>284>>287
面白かったよ〜
ユビキタス@菩薩さんも最後は踊りだすしかなかったのですね。
こういうレスだったら大歓迎です。

323 :樹意:2009/01/11(日) 16:36:09 ID:X5cOLb9v
>>311
フフン、般涅槃と有余涅槃の違いを教えてやったのにごまかし
にかかったのがやっと3回目だった大作さん、
今回の私の書き込みをどう応用するのか楽しみだね〜。

毎度毎度泣きべそかくんじゃ可哀想なことだ、
ネタは書いてやったからまた笑わしてくれ。☆

324 :準胝如来 ◆PvdGdGfMwg :2009/01/11(日) 16:43:02 ID:hhGOuqRC
このスレッドでは信州の全藩を調べた結果、「18人の霊障武士は存在しない」
ということになっていますが、実は反論の余地があります。
「『信州某藩』はカムフラージュで、実は別の地域の藩での出来事だ」と
いうものです。

堤家は佐久市に本籍があるので信州の事情には詳しく、桐山家が信州にある
ことにしてそれらしい話を作り上げたが、実は桐山家は信州ではなかった
という反論です。(信州の全藩だけを調べたことを逆手にとった反論)

そうなると「18人の霊障武士は存在しない」を証明するには全国の藩の
状況を調べなければなりません。

幸い、雄山閣から「藩史大事典」全8巻が出ていて、藩の状況を調べること
ができる。これを図書館で調べれば結論を得ることができるだろう。
誰か調べませんか?

325 :準胝如来 ◆PvdGdGfMwg :2009/01/11(日) 16:45:07 ID:hhGOuqRC
別の問題提起です。

「上意討ちの指導者に命じられた剣術指南番の桐山源三郎」は存在したか?

上意討ちに出かけた桐山源三郎は何歳位と思っていますか?
私は漠然と40歳台か50歳台、若くても30歳台後半くらいだろうと思っていた。




しかし幕末の時点で20歳台半ばまで達していないのです。

こんな若さで「家中の侍たちの腕は、みなわかっている」藩の剣術指南番?
上意討ちの指導者に命じられた?

信じられますか。

326 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:47:25 ID:Sr3ztkK8
>>283 :ラシン:2009/01/10(土) 19:23:29 ID:7KI6ujLR
>私見も何も、仏教の基本を知れば自ずと理解できる範囲です。
>私はここ批判側から示唆され学んだ内容で、因縁解脱もカルマ解脱も無い。

あなたや七氏は煩悩に非常に拘るようだ。
ならば、
ゴータマが菩提樹の下でさとりを開いたとき
煩悩を無くしたからブッダになったという経典を示してください。

327 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:50:50 ID:Sr3ztkK8
>>323 :樹意:2009/01/11(日) 16:36:09 ID:X5cOLb9v
>今回の私の書き込みをどう応用するのか楽しみだね〜。

別に患者さんの書き込みを応用する気はない。
というより読んでいない。
今回は嘘つき軍団に樹意がいなかったのが悔やまれる。

328 :樹意:2009/01/11(日) 16:52:49 ID:X5cOLb9v
信州でないとしたらゲイカは嘘を云ってきたと云う事になる。
成仏法の根拠にごまかしがあるなら
成仏法も嘘と云う事だ。
調べるまでもない。

329 :樹意:2009/01/11(日) 17:01:47 ID:X5cOLb9v
>>327
フハハハ WWW
教えてもらったら ありがとうだろう。
皆さん嘘なんて書いてないだろう。
おもしれ〜

俺見解使ったら笑ってやるから頑張れや。£♪

330 :樹意:2009/01/11(日) 17:02:29 ID:X5cOLb9v
>>327
フハハハ WWW
教えてもらったら ありがとうだろう。
皆さん嘘なんて書いてないし〜

俺の見解使ったら笑ってやるから頑張れや。£♪


331 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 17:10:51 ID:Sr3ztkK8
>>262 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:57:03 ID:QCsLXd9i
>>263 :神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 17:58:24 ID:QCsLXd9i
>>329 :樹意:2009/01/11(日) 17:01:47 ID:X5cOLb9v
>>330 :樹意:2009/01/11(日) 17:02:29 ID:X5cOLb9vな

ダブらせるの多いね。
批判側に動揺が現れているな。

332 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 17:13:47 ID:Sr3ztkK8
>>319、>320、>>321
ちゃんと読めよ。
批判側の嘘つきさんたち。
樹意がイライラしてるぞ。

333 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 17:15:17 ID:Sr3ztkK8
>抜けた。

>>319、>320、>>321

>>319>>320>>321

334 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 17:20:46 ID:Sr3ztkK8
そういえば樹意ってこんなことを書いてたよな。
古傷に触ってやるか。


>216 :樹意 :2006/04/02(日) 13:36:43 ID:yAjozueS
>ゲイカは意生身なる造語を作ったり 同じ意味の運用で異次元の五蘊なる
>頓珍漢な説明を書いたりしていますから ゲイカの本しか読まないクリン含氏
>などはそれに沿った理解になるのはいたし方ないことです。

335 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 17:41:07 ID:78MbTlPO
樹意と言えば三協アルミww

336 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 17:44:49 ID:HEFVrLJ8
如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀
竹園。時有婆蹉種出家。來詣佛所合掌問訊。
問訊已退坐一面。白佛言。瞿曇。欲有所問。
寧有閑暇見答以不。佛告婆蹉種出家。
隨汝所問。當爲汝説。婆蹉種出家白佛言。
云何瞿曇。命即身耶。佛告婆蹉種出家。
命即身者。此是無記。云何瞿曇。爲命異身異耶。
佛告婆蹉種出家。命異身異者。此亦無記。
婆蹉種出家白佛。云何瞿曇。命即身耶。
答言無記。命異身異。答言無記。
沙門瞿曇有何等奇。弟子命終即記説言。
某生彼處某生彼處。彼諸弟子於此命終捨身。
即乘意生身。
生於餘處。當於爾時。非爲命異身異也。
佛告婆蹉。此説有餘。不説無餘。婆蹉白佛。
瞿曇。云何説有餘不説無餘。佛告婆蹉。
譬如火有餘得然非無餘。婆蹉白佛。我
見火無餘亦然。佛告婆蹉。
云何見火無餘亦然。婆蹉白佛。譬如大聚熾火疾風來吹。
火飛空中。豈非無餘火耶。佛告婆蹉。風吹
飛火即是有餘。非無餘也。婆蹉白佛。
瞿曇。空中飛火。云何名有餘。佛告婆蹉。
空中飛火依風故住。依風故然。以依風故。
故説有餘。婆蹉白佛。衆生於此命終。
乘意生身往生餘處。云何有餘。佛告婆蹉。
衆生於此處命終。乘意生身生於餘處。當於爾時。
因愛故取。因愛而住故説有餘。婆蹉白佛。
衆生以愛樂有餘染著有餘。唯有世尊得彼無餘成等正覺。
沙門瞿曇。世間多縁請辭還去。
佛告婆蹉。宜知是時。婆蹉出家聞佛所説。
歡喜隨喜。從坐起而去


337 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 17:49:24 ID:HEFVrLJ8
如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀
竹園。時有婆蹉種出家。來詣佛所合掌問訊。
問訊已退坐一面。白佛言。瞿曇。欲有所問。
寧有閑暇見答以不。佛告婆蹉種出家。
隨汝所問。當爲汝説。婆蹉種出家白佛言。
云何瞿曇。命即身耶。佛告婆蹉種出家。
命即身者。此是無記。云何瞿曇。爲命異身異耶。
佛告婆蹉種出家。命異身異者。此亦無記。
婆蹉種出家白佛。云何瞿曇。命即身耶。
答言無記。命異身異。答言無記。
沙門瞿曇有何等奇。弟子命終即記説言。
某生彼處某生彼處。彼諸弟子於此命終捨身。
即乘【意生身】。
生於餘處。當於爾時。非爲命異身異也。
佛告婆蹉。此説有餘。不説無餘。婆蹉白佛。
瞿曇。云何説有餘不説無餘。佛告婆蹉。
譬如火有餘得然非無餘。婆蹉白佛。我
見火無餘亦然。佛告婆蹉。
云何見火無餘亦然。婆蹉白佛。譬如大聚熾火疾風來吹。
火飛空中。豈非無餘火耶。佛告婆蹉。風吹
飛火即是有餘。非無餘也。婆蹉白佛。
瞿曇。空中飛火。云何名有餘。佛告婆蹉。
空中飛火依風故住。依風故然。以依風故。
故説有餘。婆蹉白佛。衆生於此命終。
乘【意生身】往生餘處。云何有餘。佛告婆蹉。
衆生於此處命終。乘【意生身】生於餘處。當於爾時。
因愛故取。因愛而住故説有餘。婆蹉白佛。
衆生以愛樂有餘染著有餘。唯有世尊得彼無餘成等正覺。
沙門瞿曇。世間多縁請辭還去。
佛告婆蹉。宜知是時。婆蹉出家聞佛所説。
歡喜隨喜。從坐起而去


338 :準胝如来 ◆PvdGdGfMwg :2009/01/11(日) 17:57:47 ID:hhGOuqRC
>>328 :樹意 :2009/01/11(日) 16:52:49 ID:X5cOLb9v
> 信州でないとしたらゲイカは嘘を云ってきたと云う事になる。

今となっては私は信じてはいませんが、ゲーカを信じたい擁護側が
反論する余地となりうるので、この反論の余地を叩き潰してしまいたい
ということです。

339 :ラシン:2009/01/11(日) 17:58:00 ID:AVvRx51r
>326 :神も仏も名無しさん
あなたや七氏は煩悩に非常に拘るようだ。
ならば、
ゴータマが菩提樹の下でさとりを開いたとき
煩悩を無くしたからブッダになったという経典を示してください。

阿含経などでは いくらでもあるでしょう。
あなたが見たくないだけです。
煩悩を表す語句は、何種もありますことを先に述べておきます。
Qさんの性癖から言えば、煩悩と言う言葉や仏陀になったという
文言が無いぞ、と言いかねませんので、あしからず。

ー抜粋ー
さとりを得ようと思うものは、欲の火を去らなければならない。
干し草を背に負う者が野火を見て避けるように、さとりの道を求める者は、
必ずこの欲の火から遠ざからなければならない。(パーリー四十二章経)

黄金の粗金を溶かして、そのかすを去り、錬りあげると貴い黄金になる。
心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去ると、どんな人でも、みなすべて
同一の仏性を開き現すことができる。(大般涅槃経)

よろこびによって束縛されているのが世界というものである。
想いが世界を動かしている。
渇いた心を捨てることで、ニルヴァーナとなる。(スッタニパータ ウダヤ学生の問い)





340 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:05:11 ID:Fjm/fHAE
>>312 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:24:20 ID:Sr3ztkK8
>江原啓之の「霊視」に矛盾 霊視した父はご存命だった

Eさんはこの件を説明しており、また彼の霊視の是非はここでの議論の対象ではありません。
前世を透視するというなら世の中にいくらでもいるが、
その彼らは解脱宣言などしないと言っているのです。
霊視の是非なら、桐山さんが議論の対象です。
桐山さんの霊視があれだけデタラメなのに、
彼のどこが天眼通、宿命通なのだ?
まだ鹿頭バラモンの件はどうなりましたか。
あなたはいつもこうやって一番重要な点を返事せずにゴマカス。

341 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:06:44 ID:Fjm/fHAE
>314 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:42:39 ID:Sr3ztkK8
>「滅尽定が解脱だ」という文章を出したのです。(>>236>>237

だが、あなたの説明では第四禅も解脱ではないのですよね。
では、第四禅から滅尽定に至るまでのどこで解脱したのですか。
また、滅尽定が解脱なら、アナゴンがどうしてこれを修することができるのですか。
辞典を小馬鹿にするなら、学者の文章なんか引用しなければいい。
自分の都合の良い使い方をせずに、辞典に書いてある滅尽定の意味を
そのままに受け入れることです。
アナゴンでも到達できる滅尽定は解脱などではありません。

342 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 18:12:05 ID:HEFVrLJ8
初期経典の釈尊の教え

「転生の意生身」と「解脱のプロセスの意生身」があります。

解脱のプロセスの意生身は、
「色界定」の四禅(非苦非楽)において
物質領域に依存していないで新たに形成された身体。
物質領域に依存していない諸感覚器を
完全に備え形成された身体
(☆物質領域の制限.束縛.依存のない全て諸々の感覚系)
新たな意生身として物質領域(肉体)依存から抜き出ます。
(鞘から剣.蛇の脱皮.のたとえ)



343 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:12:14 ID:Fjm/fHAE
>>314 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:42:39 ID:Sr3ztkK8
>経典は知らないがベックはこう書いています。
>彼がどの経典を指しているかはわかりませんが。

他人のせいにするのは責任逃れというのです。
釈尊が三明で解脱したなどと書いてある経典はありません。
ベックの解脱についての説明でも「三明で解脱した」なんてありません。
事実あなたは、毎回、同じ文章を引用して、「そのように解釈できる」と
述べているだけで、「三明で解脱した」という文章そのものは示せない。
それは、あなたの読解力不足から来る勝手な解釈です。

344 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:19:47 ID:Fjm/fHAE
>>316 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:52:07 ID:Sr3ztkK8

何度も書くが、根拠を引用したら、あなたの説明を書きなさい。
あなたが316で引用した内容が、私の274へのどのような反論になっているのか、
これでは何もわからない。
引用した文章にどんな意味があるのですか。
「↓」をただ示して「読め」という意味なのだろうが、
読んでもわからないから、274で反論したのです。
それでは嫌がらせのために大量貼り付けをしている羯諦栗花さんと同類ですよと
警告したつもりだが、意味がわかりませんでしたか。
こういうことをするのは説明ができないからですよね。
あなたの頭では結論があるのに、それを文章で説明することができない。
なぜなら、それはあなたの思い込みや勝手な解釈にすぎないからです。
それで、ただ文章を引用し、「さあ、読んで、オレ様と同じ解釈をしろ」と
他人に命じている。
あなたがこういうことを繰り返すなら、羯諦栗花さん同様に、
会話も議論も成り立たない相手として無視するしか方法がなくなる。
私ほど丁寧にあなたの屁理屈に付き合う相手なんて、現実世界では皆無ですよね。
こういうやり方では、あなたはまた孤独に陥り、彼に一歩近づくだけですよ。

345 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/11(日) 18:22:43 ID:5grUYf9h
>>322:神も仏も名無しさん :2009/01/11(日) 16:33:41 ID:Sr3ztkK8 [sage] >>284>>287
>面白かったよ〜
>ユビキタス@菩薩さんも最後は踊りだすしかなかったのですね。
>こういうレスだったら大歓迎です。

あらら?あのかしまし娘菩薩をあなたの説に対する完敗の踊りと見てましたか?
あれはあなたに対する皮肉を綴ったものだったのですが。
菩薩とはゴータマが悟りを開いてブッダになるまでの呼称として使われています。
先日書きました渡辺照宏の「仏教 第二版」(岩波文庫)にも「仏陀の生涯」の章で、成道を果たす
瞬間までボサツを使い続けています。
またバローなど持ち出すまでもなく、ベックの「仏教(上)」でも「伝説上の仏陀」の「仏陀の成道物語」
の章で、ボサツを使用していることは全く同様です。
ボサツがいつブッダに切り替わったのも明らかであり、菩提樹の下で最後の悟りを開いた時で
ちょうど夜明けの時に暁の明星が現れた時とされてます。
地球の回る音を聴いたかどうかは定かではありませんがw
ですから、まだ瞑想の途上であるかしまし菩薩その1さんはブッダでないとなります。
なぜならブッダとは覚者であり、真理を悟った人だからです。
実はこの未ブッダと未解脱を混同しているところに、大作さんのゴマカシというよりも本人も気付かぬ
穴がある。

うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
ブッダ目指して修行すも〜♪
解脱してないったらありゃしない♪

この歌詞に問題があるのです。
最後は解脱してないったりゃありゃしないではないのです。
ブッダじゃないったらありゃしないにすべきなんです。

346 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:26:05 ID:Fjm/fHAE
>>317 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:09:02 ID:Sr3ztkK8
>そして「心が統一され・・・」の文句が解脱ではないという事実と
>どういう風に結びつくのか?

あなたがベックやバローの文章を持ち出したのですよ。
あなたが自説を証明するために自分で出しておきながら、
どう結びつくのかと私に質問するなんて、
ペテン大作さんの心は統一されておらず、支離滅裂なようですね。
私は「心が統一され・・・」が解脱だという根拠をすでに示した。
あなたが絶対に認めないだけで、議論は終わっています。
あなたはそれに反論するためにバローの文章を出したのでしょう?
自分が何をしようとしていたのか思い出しましたか?
あなたはバローの文章を出して、三明の最初の段階では菩薩と使っているから、
三明の前はまだ解脱していないと主張したのでしょう?
だが、バローは解脱したはずの後にも菩薩を用いていることに
あなたは書き込んだ後に気が付いた。
あなたの>>163主張が成り立たないことがわかって、
反論される前に>>171で自分で否定してみせた。
私もあなたの171の意見に賛成で、バローは明瞭に菩薩を使い分けてはいません。
だから、あなたの主張の根拠は崩れており、それも私が反論する前に自滅したのです。
時々、あなたはこんなふうに議論の支流に入り込み、議論のテーマばかりか、
自分が何をしているのか、忘れてしまうらしい。
昼飯に何を食べたか、思い出せますか?

347 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:28:47 ID:Fjm/fHAE
>>318 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:17:35 ID:Sr3ztkK8
>もしそうだったらよかったのにね〜
>でも・・・・・・
>残念です、本当に残念です。

残念なのはあなたの読解力です。
私の文章がそんなふうに読めるのでしょうね。
私はあなたが引用した文章の範囲で書いたのです。
それはあなたが>>171で書いたとおりです。

>だがもしそうだとしたら、その時点で菩薩は解脱者となるのだから
>次に登場するときは菩薩であってはおかしい。

宿命通でも天眼通でもその後は菩薩と表記されている。
そればかりか、漏尽通を得た後の表記でも、

「この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。」(>>161)

と、相変わらず菩薩という呼び名です。
つまり、三明で解脱したはずなのに、相変わらず菩薩と呼んでいる。
あなたは「菩薩→三明→アラハン」と主張したいのだろうが、
バローはそんな区別はしていません。

348 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:36:05 ID:Fjm/fHAE
>>319 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:21:50 ID:Sr3ztkK8
>『ブッダの教え』(大東出版社)の第一部の見出しを列挙してみると、
>“菩薩”が登場するのは 「三つの知恵の獲得」 までであり、
>「ふたりの商人との出会い」からは菩薩に代わり “ブッダ” が登場します。

何を当たり前のことを鬼の首でも取ったかのように説明しているのだ?
菩提樹から立ち上がった後の釈尊がアラハンであるなんて当たり前です。
あなたにご説明いただかなくても、学者の文章など引用しなくても、常識です。
何度も説明しているように、普通、解脱とは「解脱の過程」「解脱の内容」を含めるからです。
ここでいう解脱の過程とは、菩提樹の下に座り、立ち上がるまでのことを指します。
釈尊は解脱した後、菩提樹から立ち上がる前に解脱を確認し、内容を検証していった。
こういう解脱知見を含めた「解脱の過程」のすべてを普通は解脱というのです。
だから、あなたが>>316で私が引用した菅沼先生の文章を転記してくれたように、
解脱の内容についていくつもの項目があるのはこれが理由です。
菩提樹から立ち上がった後の釈尊はアラハンに決まっている。
菩提樹から立ち上がるまでの間に釈尊は解脱したのだが、
その間の釈尊を菩薩とアラハンの明瞭な区別などしない。
三明は解脱の過程の最後に出てくる解脱の知見、つまり解脱したことを
確認する内容だから、その後の釈尊がアラハンと呼ばれるのは当たり前です。
これをもって三明で解脱したなんてことにはなりません。

349 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:40:22 ID:Fjm/fHAE
>>321 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:29:34 ID:Sr3ztkK8
>菩薩がブッダに切り替わるのは見出しだけではありません。
>本文もそれと一緒に切り替わっています。

いいえ、なっていません。
あなたが引用したのは、菩提樹から立ち上がった釈尊の話で、
そんなピンボケな反論をしてもなんの意味もない。
なぜなら、立ち上がった後の釈尊がアラハンであることは議論の余地がない。
今議論しているのは、三明で解脱したのかどうかという点です。
バローは菩提樹から立ち上がった後の釈尊をアラハンとして区別しているだけで、
立ち上がる前の三明を成就したことをもってアラハンと言ったのではありません。
その証拠をすでに>>277で指摘したのに、無視ですね。

「タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、
この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。」(>>161)

これはあなたが引用したバローの文章で、まだ立ち上がる前です。
あなたの説が正しいなら、「菩薩は三明の知恵を生み出しアラハンになった」とあるはずです。
だが、アラハンが知恵を生み出したとある。
「この知恵」とは三明のことです。
バローははっきりと「アラハンが三明を生み出した」と書いているのです。
あなたのように菩薩が三明によって解脱してアラハンになったというなら、
アラハンが三明を生み出してという表現が矛盾することは
ペテン大作さんの国語力でも理解できますよね?

350 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 18:44:07 ID:HEFVrLJ8
五つめの阿那含

uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者

色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。

351 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:44:31 ID:Fjm/fHAE
>>315 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:44:56 ID:Sr3ztkK8
>重要だと言っているだけで他には無い、とは言っていません。

どうしてペテン大作さんてこういう口先のゴマカシをするのだろう。
あなたは、漏尽通で解脱すると書いた。
だが、仏教も桐山さんも、漏尽通は煩悩が滅したことを知る知恵だと定義している。

「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
これがもっとも重要である。」(『般若心経瞑想法』124頁)
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(『岩波仏教辞典』)

漏尽通が重要かどうかを議論しているのではありません。
あなたとは明らかに定義が違うといっているのです。
あなただけが、漏尽通について違うことを言っている。
仏教にもなく、アゴン宗にもない主張だから、スレ違いです。

352 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 18:47:16 ID:HEFVrLJ8
仏陀釈尊は六神通です。

間違っています。

ID:Fjm/fHAE

353 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:47:45 ID:Fjm/fHAE
>>326 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:47:25 ID:Sr3ztkK8
>煩悩を無くしたからブッダになったという経典を示してください

あなたの読解力からして、こんなことだろうと思った。
中村本であれだけ丁寧に釈尊の解脱の過程を説明されても、
あなたは釈尊が煩悩を切ったのがどこなのか理解できないのですね。
値段の高い学術書などあなたには猫に小判です。
あなたの説では、漏尽通で解脱するらしい。
では、漏尽通によって「何を」どうすると解脱するのだ?
仏教では煩悩を切ることで解脱するとされている。
だが、あなたはこの説には納得していないから、
上記の質問をしていることになる。
なぜなら、もしあなたも仏教の解脱が漏尽解脱であると信じているなら、
漏尽通で煩悩を切ると信じていることになるから、上記の根拠を要求する必要はなくなる。
つまり、あなたも桐山さんと同じで、仏教の解脱とは漏尽解脱ではないと
信じていることになる。
信者としては当然であり、あなたのその姿勢は正しい。
だから、私はあなたに何度も因縁解脱を説明するように求めているのです。

354 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 18:50:25 ID:HEFVrLJ8
釈尊の切り開いた道

阿含経

得阿那含。
種種神通境界。
天眼天耳。
他心智。
宿命智。
生死智。
漏盡智。
皆悉得。


355 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 18:50:51 ID:HEFVrLJ8
釈尊の切り開いた道

阿含経

得阿那含。
種種神通境界。
天眼天耳。
他心智。
宿命智。
生死智。
漏盡智。
皆悉得。


356 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:51:54 ID:LgXdCa7R
>>326 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:47:25 ID:Sr3ztkK8
>煩悩を無くしたからブッダになったという経典を示してください

他人にこのようなことを要求する前に、あなたがアゴン宗の因縁解脱を説明し、
釈尊が菩提樹の下で悪因縁を切って解脱したという経典を示すべきだ。
なぜなら、ここは仏教スレではなく、アゴン宗批判スレだからです。
桐山さんは神通力でカルマ解脱したと説いていると私が書いたら、
あなたはなんの事だと疑問を出した。
それなら、因縁解脱を説明してくれと毎度毎度書いているが、
一向にあなたは書こうとしない。
しかも、桐山さんは漏尽通は煩悩がなくなったことを確認する神通力だと書いているのに(>>351)、
あなたは漏尽通で解脱するのだと主張し、桐山さんの説明と一致しない。
ベックもバローも中村博士も、解脱とは漏尽解脱であることを前提として説明している。
だが、あなたが信じている解脱は、上記の質問からしても、
どうやら漏尽解脱ではないらしい。
解脱の定義があなたと学者たちが違うのに、学者たちの文章を自説の根拠にして、
解脱についてあれこれ主張しても意味がない。
学者たちの「橋」の解説を根拠に、あなたは「箸」の主張をしているようなものです。
桐山さんの説とも、学者の説とも違うのだから、今までのあなたの引用はすべて無駄です。
無駄でないというなら、まずアゴン宗の因縁解脱について説明し、
あなたはアゴン宗の因縁解脱を信じているのかどうか、
これまでの解脱とは漏尽解脱のことか、それとも因縁解脱のことなのか、
立場をはっきりさせてほしい。
これをしない限り、あなたが何をどう引用しようが無意味です。

357 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 19:03:35 ID:HEFVrLJ8
解脱のプロセスの意生身は、「色界定」の四禅(非苦非楽)において
物質領域に依存していないで新たに形成された身体。
物質領域に依存していない諸感覚器を 完全に備え形成された身体 を形成。
(☆物質領域の制限.束縛.依存のない全て諸々の感覚系)
そして、四如意足の止、四如意足の観により種々の神通を得ます。
得阿那含。 種種神通境界。 天眼天耳。 他心智。 宿命智。 生死智。 漏盡智。
皆悉得。
「阿那含」が四禅における四神足によっての 種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる 滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。
初期経典にある(阿含経)
釈尊が切り開いた解脱へのプロセスです ☆>>291>>292
阿那含は五つの天
  色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙

無明

358 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 19:15:07 ID:HEFVrLJ8
釈尊の切り開いた道

得阿那含。 種種神通境界。 天眼天耳。 他心智。 宿命智。 生死智。 漏盡智。
皆悉得。
・・・・・
漏を尽さんと悪業が苦行とともにあれば、すなわち悪業は消散する。
漏を尽さんと善業をまもり善業を積み重ねれば、善業は集積する。
善業と悪業を同じく等しめ漏を尽くし
善業も悪業もこえる
善業もなく悪業もなく
智が生じ功徳により満たされる
【 五つめの阿那含 】
uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者
(色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。)
四禅にて智拳を得てから
すぐに 無色界禅定に移行しません。
無色界禅定の境涯の前に必要な瞑想を行います。


359 :樹意:2009/01/11(日) 19:36:10 ID:83kww+bj
>>356

> これまでの解脱とは漏尽解脱のことか、それとも因縁解脱のことなのか、
> 立場をはっきりさせてほしい。
> これをしない限り、あなたが何をどう引用しようが無意味です。

昔から Q改めペテン大作さんは 仏陀の立場でもなければゲイカの
立場でもない、主張をしてきましたからね。
議論における主張の立場がないのですから、議論ではありません。
ただたた 七氏さん憎しで言葉尻を捕まえるためのものです、
反論に詰まると自分が引用した学者さんのせいにして逃げ回る。



360 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 19:38:14 ID:HEFVrLJ8
釈尊の切り開いた道についての理解。

初期仏教において
[釈尊は、
生天と解脱に役立つ苦行を否定していません。
苦行を全否定していません。認めている苦行もあります。]

阿含経

修行者「仏陀釈尊は苦行を全否定している。苦しい荒行をしている修行者を否定している
こういった噂は本当ですか?苦行の否定は、仏陀釈尊の教えとして正しいものですか?」

釈尊
「仏陀は、神通によって
一部の荒行をした修行者が悪趣にいったことを知っている。またいくことを知っている。
一部の荒行をした修行者が善趣にいったことを知っている。またいくことを知っている。
一部の少ない苦行をした修行者が悪趣にいったことを知っている。またいくことを知っている。
一部の少ない苦行をした修行者が善趣にいったことを知っている。またいくことを知っている。
これらのすべて苦行者たちについて、やって来るところ、これから行くところを、
また死後再び生まれかわることを知っている。
そのようであるゆえ、
仏陀が、どうしてすべての苦行を非難することがあるのか。
仏陀が、すべての苦行を非難することはない。」



361 :樹意:2009/01/11(日) 19:42:06 ID:83kww+bj
>>334

ばっかだな〜 古い話なんか出したら お前さんが赤松論文改ざんしたのも
出てくるだろう。
ゲイカといい 大作さんといい改ざんがすきだからな〜
私はあえてそういうのは今回出さなかった。 
それに意生身ネタは 私はキチンと訂正したし、 そもそも
ゲイカの引用した意生身は 翻訳者の超訳 誤訳 が指摘されるものです。
まぁ引用すると長くなるので 控えますがね。



362 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 19:43:25 ID:MUd8LS9T
360
そんなこと原始仏教を齧った者なら誰だって知ってるよwww
常識ジャン・・・、ギャアテイは今頃知ったのwww

363 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 19:45:58 ID:HEFVrLJ8
釈尊の切り開いた道

得阿那含。 種種神通境界。 天眼天耳。 他心智。 宿命智。 生死智。 漏盡智。
皆悉得。
・・・・・
漏を尽さんと悪業が苦行とともにあれば、すなわち悪業は消散する。
漏を尽さんと善業をまもり善業を積み重ねれば、善業は集積する。
善業と悪業を同じく等しめ漏を尽くし
善業も悪業もこえる
善業もなく悪業もなく
智が生じ功徳により満たされる
【 五つめの阿那含 】
uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者
(色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。)
四禅にて智拳を得てから
すぐに 無色界禅定に移行しません。
無色界禅定の境涯の前に必要な瞑想を行います。


364 :樹意:2009/01/11(日) 19:53:40 ID:83kww+bj
>>335
> 樹意と言えば三協アルミww

三協アルミだしたのは 私じゃありません、 
インチキして防火認定とったのがばれて 厳しいようですね。

本当に雇用だけがとりえの会社になったようです。
このご時世 まぁしばらくはガマンが必要ではないでしょうか。

宗教の世界はインチキしても ゲイカのようにのうのうと していられますが
実業の世界はホント厳しいです。





365 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 20:06:37 ID:HEFVrLJ8
釈尊のおしえ

人々は、因縁があって善い境域におもむくのである。
人々は、因縁があって悪い境域におもむくのである。
人々は、因縁があって完きやすらぎにおもむくのである。



366 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/11(日) 22:03:12 ID:7GGn32bK
>>365
で、君はこのスレを縁に悪い境域におもむくのだな。

367 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:11:36 ID:14dyv+BR
>>347 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:28:47 ID:Fjm/fHAE
>そればかりか、漏尽通を得た後の表記でも、
>「この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。」(>>161)
>と、相変わらず菩薩という呼び名です。
>つまり、三明で解脱したはずなのに、相変わらず菩薩と呼んでいる。

そりゃ当たり前です。
「この、菩薩が」と言うのは

『こうして精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき、
数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。』

という菩薩を指しているのです。
実際は第三の知恵を得た菩薩はこの時点で解脱したのです。
だからこの後、
『無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。
タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
無碍の認識を得た。』

となって如来が登場するのです。
まともな読解力があれば理解できることです。

368 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:16:47 ID:14dyv+BR
>>348 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:36:05 ID:Fjm/fHAE
>これをもって三明で解脱したなんてことにはなりません。

いやそういうことになります。
三明を獲得する前は菩薩だったのですよ。
それが獲得した後はずっとブッダとして登場するのだから
三明の獲得でブッダになったことは明らかです。

369 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:23:40 ID:14dyv+BR
>>349 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:40:22 ID:Fjm/fHAE
>今議論しているのは、三明で解脱したのかどうかという点です。

あなたはその話に持って行きたいのだろう?
だが私が指摘するのはそこではない。
三明を得る前に菩薩であったかブッダであったかということです。
あなたは三明を得る前にブッダであると言った。
その根拠として「心が統一され・・・」が解脱を意味することを挙げた。
だが私はそれは嘘であると指摘した。
その証拠としてバローの記述を取り上げたのです。

370 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:31:25 ID:14dyv+BR
>>349 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:40:22 ID:Fjm/fHAE
>その証拠をすでに>>277で指摘したのに、無視ですね。
 >「タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、
 >この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。」(>>161)
>これはあなたが引用したバローの文章で、まだ立ち上がる前です。
>あなたの説が正しいなら、「菩薩は三明の知恵を生み出しアラハンになった」とあるはずです。
>だが、アラハンが知恵を生み出したとある。
>「この知恵」とは三明のことです。
>バローははっきりと「アラハンが三明を生み出した」と書いているのです。


>>161 :神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 14:59:22 ID:Ax0BDv35
『この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。』

この時点で菩薩はブッダになったのです。
だから、

『タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
無碍の認識を得た。』

となって如来、阿羅漢が登場する。
何の不思議もありません。

371 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:36:08 ID:14dyv+BR
>>351 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:44:31 ID:Fjm/fHAE
>漏尽通が重要かどうかを議論しているのではありません。
>あなたとは明らかに定義が違うといっているのです。
>あなただけが、漏尽通について違うことを言っている。
>仏教にもなく、アゴン宗にもない主張だから、スレ違いです。

何を根拠にそういうことを言うのだろう?
これを読んでいないのですか?


>>314
瞑想者はそれらと同時に高度の英知ないし知識の領域に入る。
如来は菩提樹のもとで三重の智慧を獲得し、
それを達成することによって菩薩から仏陀の位にのぼったのであるが
今、ここでいう三つの能力もそれと同じものである。』
(仏教 (下) 94、95頁、べック著、岩波書店)

372 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:44:57 ID:DG0PcfUS
もう気がつきなよ。
馬鹿が脱落して批判しても馬鹿丸出しして見苦しいだけだね。




373 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:47:06 ID:14dyv+BR
>>353 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 18:47:45 ID:Fjm/fHAE
>あなたの読解力からして、こんなことだろうと思った。
>中村本であれだけ丁寧に釈尊の解脱の過程を説明されても、
>あなたは釈尊が煩悩を切ったのがどこなのか理解できないのですね。

結局はそんな経典など無いんですよね。
だったらはっきりそう書きなさい。
男らしくないですよ。
あなただって三明で解脱したという経典を示せと要求していたではないか?
人が自分と同じことを要求することには耐えられないわけか。
自己本位な人ですね。

374 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:57:58 ID:14dyv+BR
嘘つきさんたち。
この中に答えは出ているのです。


『三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。

 菩薩がこうして精神を集中したとき、精神を縛るきずなは放棄され、
尽き果て、精神は一点のくもりもなく澄みわたり、
しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守るようになっていた。
すると彼は数々の前世の認識をみずからまのあたりに見た。自身で自身の前世を知った。』
(『ブッダの教え』 52頁)


『四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。 』

「菩薩は・・・」とあるのだから
前の第四禅では解脱していないのです。
だから次の
『菩薩がこうして精神を集中したとき、精神を縛るきずなは放棄され、』
とあるように
「菩薩」が文の冒頭に出てくるわけです。

第四禅では解脱していない。
三明の前で解脱はしていないのです。
だから「心が統一され・・・」には解脱の意味は無いのです。
簡単で誰にでもわかる話です。

375 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:05:47 ID:14dyv+BR
>>339 :ラシン:2009/01/11(日) 17:58:00 ID:AVvRx51r
>阿含経などでは いくらでもあるでしょう。

あるでしょうとは何ですか?
てっきり読んでいるのかと思った。
自分で読んでもいないのに
>あなたが見たくないだけです。
とはどういうことですか?
私は見たことがないのであなたに聞いたのです。
何ていい加減な人なんでしょうね。

376 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:08:19 ID:14dyv+BR
いや、いかん、いかん。
相手は嘘つきだったんだ。
熱くなっちゃいかん。

377 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:11:45 ID:14dyv+BR
>>345 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/11(日) 18:22:43 ID:5grUYf9h
>うちは未熟な菩薩でやんす〜♪
>ブッダ目指して修行すも〜♪
>解脱してないったらありゃしない♪

それって菩薩音頭ですか?

378 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/11(日) 23:18:34 ID:5grUYf9h
322:神も仏も名無しさん :2009/01/11(日) 16:33:41 ID:Sr3ztkK8 [sage] >>284>>287
>面白かったよ〜
>ユビキタス@菩薩さんも最後は踊りだすしかなかったのですね。
>こういうレスだったら大歓迎です。

>>345の続きです。
ここでいうブッダとは、煩悩を離れて解脱を得た人という意味だけではなく、煩悩が尽きてなくなった
ことが真の解脱であり、これにより輪廻すらも止み、苦から脱する道だと悟るわけです。
つまり観察と思索により真理を悟る、認識する。
大作さんも力説していた認識ですよ。正しい認識を得てブッダとなる。
正しい認識を得る前提としてその煩悩を解脱していたわけです。
わかりますか?菩薩がブッダに成るにも段階がある。まず煩悩を離れる。これが解脱です。
次に観察と思索を深めて煩悩解脱こそが第一なんだと認識を得る。自らも解脱を果たしたと知る。
つまり解脱知見です。
そしてここに真理の悟りが完成する。夜明けの暁の明星光る中それは成し遂げられ、ブッダになったわけです。
この段階を経た一連の中で最も重要で不可欠なのは煩悩から解脱を果たしているということです。
かしまし菩薩くんはその1でこれを果たしていた。
だからその2、その3を経てその4で解脱知見を完成させて、ブッダになったことを「自覚」した。
釈尊伝を綴る時、このブッダの自覚までを便宜上菩薩と呼ぶことにしている。
しかしその内実はその1で肝心要の解脱を得ているのだから、ブッダも同然なんです。
つまり未熟な菩薩ではない。グレート菩薩でありブッダにも等しくなっている。
我々が問題にしたのはブッダの厳密な定義ではない。
内実の解脱だけです。
菩薩は解脱を得ていた。

379 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:23:51 ID:14dyv+BR
>グレート菩薩
グレート草津っていたな。

>菩薩は解脱を得ていた。
○女は○妻だったというわけか。

380 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:26:31 ID:14dyv+BR
樹意は嘘つきのグループに入りたくないか?

381 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/11(日) 23:27:54 ID:NPr9wqhD
間違っています。

378 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/11(日) 23:18:34 ID:5grUYf9h


382 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:45:52 ID:LgXdCa7R
>>368 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:16:47 ID:14dyv+BR
>それが獲得した後はずっとブッダとして登場するのだから
>三明の獲得でブッダになったことは明らかです。
>>369 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:23:40 ID:14dyv+BR
>その証拠としてバローの記述を取り上げたのです。

それが成り立たないことを、私はあなたの引用した文章から証明した。

「この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。」(>>161)

第三の知恵を得た人を菩薩と呼んでいる。
あなたの説から言ったら、第三の知恵を得たらアラハンであって、菩薩ではない。
だがバローはそんな区別はしていないのです。

383 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:49:23 ID:LgXdCa7R
>>370 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:31:25 ID:14dyv+BR
>『タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
>無碍の認識を得た。』
>となって如来、阿羅漢が登場する。
>何の不思議もありません。

不思議かどうかではなく、普通の国語力で文章をよく読んでごらんなさい。
「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」
つまり、「解脱者は三明を生み出して無碍の認識を得た」と書いてあるのです。
「解脱したアラハンが三明を生み出した」と書いてあるのですよ。
あなたの説が正しいなら、「菩薩が三明を生み出した」と書いてもいいはずです。
だが、そうは書いていない。
しかも、「無碍の認識を得た」とある。
無碍とは、なにものにも囚われない自由自在というくらいの意味だから、
ここでは解脱を指しているのでしょう。
三明によって「無碍を得た」というなら、三明で解脱したともとれる。
だが、「無碍の認識を得た」ですから、解脱したという認識、つまり解脱知見を
得たと言っているのです。
バローは「アラハンは三明を生み出し、自分が解脱したという認識を得た」
と書いているのです。
どこにも、「菩薩が三明で解脱してアラハンになった」とは書いていない。
あなたの解釈は間違いです。

384 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:52:12 ID:LgXdCa7R
>>371 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:36:08 ID:14dyv+BR
>何を根拠にそういうことを言うのだろう?
>これを読んでいないのですか?

根拠は>>351で示したばかりです。
まったくあなたは私の文章など読んでいないのですね。
仏教でもアゴン宗でも、漏尽通とは煩悩がないことを確認する能力です。
あなたが引用したベックの文章のどこに「三明で解脱した」とあるのですか。
何度引用されても、書いていないことは読めません。
あなたの勝手な解釈です。

385 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 00:00:03 ID:LgXdCa7R
>>373 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 22:47:06 ID:14dyv+BR
>結局はそんな経典など無いんですよね。

経典に漏尽解脱がない!!??
新春の大爆笑です。
ペテン大作さんは本気で質問していたのですね。
本当にないと思っていたのだ!
あなたが読誦している経典の応説経のどこを読んでいるのだ?

「我れ知見を以っての故に諸漏を尽くすことを得たり」
「彼の比丘は終に漏尽解脱を得ること能わず」
「自然に漏尽し心解脱を得ん」
「諸漏を起こさず心解脱を得たり」

アゴン宗の基本的な二つの阿含経の一つの中に、漏尽解脱が
繰り返し繰り返し出ているのに、二十年以上も読誦して、
あなたはまだ意味を理解していないのだ!!
どこかの阿含経ではなく、あなたが信仰している教団で採用された二つの
重要な阿含経の一つに繰り返し出てくるのに、あなたは
>結局はそんな経典など無いんですよね。
という!!
要するに、呪文みたいに唱えているだけで、意味なんて理解していないのだ!
自分の無知を棚に上げて、他人を責めるその恥知らずぶりがいかにも桐山さんの信者らしい。
あなたがどれほどみっともない自爆をしたか、せめてそれを恥じる心があれば思うが、
それは無い物ねだりなのはよく知っている。
恥じることなどなく、また屁理屈を並べて、逆に批判側が何かミスをしたかのように
あざ笑うんでしょう?
そういうのを恥の上塗りというのです。

386 :ラシン:2009/01/12(月) 00:04:11 ID:Xe0Q5UpY
『こうして精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
 澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を
 守る精神を得たとき、数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。
 無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。
 タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、
 この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た。』

Qさんのための文章解釈、中学生編です。
「修行者(菩薩)が最終的に堅固な位置を守る精神を得たとき(解脱時)、
 数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た=煩悩が尽くされたという認識を
 得た(解脱知見)。
 つまり、無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす
 との解脱したことを認識する漏尽智が生じた。
 この修行者(菩薩)が阿羅漢となって、この漏尽智という知恵を生み出したことで、
 無碍の認識を得た(完全なる確信を得た)。」 

”覚者は、この知恵を生み出したがゆえに”→主語と述語の認識度です。
誰がこの知恵を生み出したか、は一目瞭然です。
女の子が成長し女性(覚者)となって子を産めると同様に、
子供を宿し出産可能な状態はすでに女性であって女の子ではない。
子供を産んだのは出産可能な女性(覚者)、つまり過去の女の子(菩薩)ではない。
いや〜Qさんにへの解説は、なんかバカらしい感じとなる。


387 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/12(月) 00:11:30 ID:4LWoUWdn
三明について
Majjhima Nikaya71を見てください。(英語のところ)

http://www.mettanet.org/tipitaka/2Sutta-Pitaka/2Majjhima-Nikaya/index.html
ちなみに
Majjhima Nikaya71は、
ヴィバサナ主義の団体では、外しや無理やり曲解した説明いるのをみかけます。

388 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/12(月) 00:13:51 ID:4LWoUWdn
間違っています。

ID:LgXdCa7R

389 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/12(月) 00:14:35 ID:4LWoUWdn
三明について
Majjhima Nikaya71を見てください。(英語のところ)

http://www.mettanet.org/tipitaka/2Sutta-Pitaka/2Majjhima-Nikaya/index.html
ちなみに
Majjhima Nikaya71は、
ヴィバサナ主義の団体では、外しや無理やり曲解した説明しているのをみかけます

390 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/12(月) 00:19:39 ID:4LWoUWdn
仏陀は六神通。

仏陀釈尊のおしえ

・・・阿羅漢は三明を得てはじめて仏陀を正しくとらえることができ
仏陀について正しく語ることができ、
それについてそしりをうけることがない。

391 :ラシン:2009/01/12(月) 00:23:32 ID:Xe0Q5UpY
>アゴン宗の基本的な二つの阿含経の一つの中に、漏尽解脱が
繰り返し繰り返し出ているのに、二十年以上も読誦して、
あなたはまだ意味を理解していないのだ!!

七氏さんのご指摘の通り、
ザビビでも子孫さんという信者さんが、同じ状況を示していた。
多分、Qさんは「いいやオレ様は菩提樹下の釈尊が」と拘るでしょうが。
ピッパラ樹下の悟りが、その後の釈尊の説法すべての原点であり、
その内容を表しているのですから、それを否定することは意味が無い。
どちらにしろ、アゴン聖典である応説経にすら因縁解脱など無く、
漏尽解脱=煩悩を尽くして解脱する、とあるだけです。
Qさんも、日々の聖典読誦は、ただの経の空読みだったことがバレタ。
Qさんの批判側が煩悩に拘るとは、よく言えたセリフで苦笑しますね。
どう言おうが、Qさんの抜いた刀では七氏さん論を切れません。
何故なら、詭弁と言い訳の竹光を振り回し、スレからも外れています。

392 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 01:29:35 ID:531CsSr5
いまだにID:14dyv+BRは新春短歌を創らない

393 :神も仏も名無しさん :2009/01/12(月) 02:20:52 ID:GYgRSL2v
>>372
未だにアゴン宗の欺瞞に気づかない愚かな人は、
そうやって、「批判の何が馬鹿」なのかを書く
事ができないんですね。
それって、すごく恥ずかしい事ですよ。

394 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 02:33:15 ID:VJ7/HKPY
俺は、大学で原始仏教を勉強してたから、ギャアテイが正しいとわかる。ギャアテイの勝ちは、白痴にはわからないだけだよ。原始仏教スレにおいで。


395 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 02:52:31 ID:7tlKGmJT
↑嘘付け、この白痴野郎がwww
おまえは中学もろくに行ってねえ低脳白痴だよwww

396 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 05:13:26 ID:VJ7/HKPY
白痴に騙されるようなやつは、
もっとヤバイ白痴だろ。

397 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 08:04:30 ID:5jMZvm4W
>>396 うまいね。はい。ハクチー(拍手)

398 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 09:05:27 ID:h4JYrvTf
Qの返答はもうひらきなおりのオンパレードだな。
会話になってないよ。
この先もずぅ〜とこのパターンを続けるのかね?
イライラしてくるな、ばかばかしく読んでられないわい。
納得のいく返答ができないならもうやめれ。




399 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/12(月) 09:25:50 ID:0t0+P9NZ
>>394
名無しのギャートルズといいウンコ虫大王といい、大学にこだわる人が擁護側に多いね。
ペテン大作はどうだったかな?

400 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/12(月) 09:30:20 ID:0t0+P9NZ
>>398
>ばかばかしく読んでられないわい。

それが擁護側の目的。
黒を白と言いくるめることなど出来ないし、おなじ黒を白と言いくるめるなら阿含宗と
無関係な話しでスレを埋め、あなたのように読者が厭足感を出せば擁護成功。

401 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/12(月) 09:57:30 ID:l3GFz3Bs
>>324:準胝如来◆PvdGdGfMwg :2009/01/11(日) 16:43:02 ID:hhGOuqRC
>このスレッドでは信州の全藩を調べた結果、「18人の霊障武士は存在しない」
>ということになっていますが、実は反論の余地があります。
>「『信州某藩』はカムフラージュで、実は別の地域の藩での出来事だ」と
>いうものです。

その考えは私が擁護側信者だった時に思い付いたが出さなかったネタです。
18人の武士にも反論してみと言われて、ひょっとして信州ではないのかもしれないと思った。
しかしそれを書かなかったのは、根拠がないだけではなく、ならばどうして信州の藩にありもしない
上意討ちの始末記という恥にすらなる話の濡れ衣を押し付けなければならないのか?
どこの地域だか伏せておきたかったら単に某藩とだけしておけばよい。
また今となっては、それがどこであろうと伏せておく必要もない。必ず歴史の明るみに上がっている
話のはずだからです。
ズバリ〇〇藩と書けばよい。まさか現代に上意討ちの仇に孫の桐山さんを斬りに来るのはいないw
しかしお祖父さんが最後まで藩の名は家族にも明かさず、信州自体がお祖父さんのカムフラージュかも
しれませんね。本当は上州からやって来たとか。

>幸い、雄山閣から「藩史大事典」全8巻が出ていて、藩の状況を調べること
>ができる。これを図書館で調べれば結論を得ることができるだろう。
>誰か調べませんか?

具体的な資料の提示をありがとうございます。いずれこういう資料も調べてみたいが、あなた自身も
含めて、調べた地域だけでも発表していってはどうか?
上州にはなかったとか。そうすれば効率よくできる。
どこの藩であろうと必ず記録に残るはずなんだから。
そうすれば池田屋事件などと並んで教科書にも載るような全国区のネタだ。

402 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/12(月) 10:17:44 ID:l3GFz3Bs
>>325:準胝如来◆PvdGdGfMwg :2009/01/11(日) 16:45:07 ID:hhGOuqRC
>上意討ちに出かけた桐山源三郎は何歳位と思っていますか?
>私は漠然と40歳台か50歳台、若くても30歳台後半くらいだろうと思っていた。
>しかし幕末の時点で20歳台半ばまで達していないのです。

これは本当にその通りです。このスレとザのスレで同時平行でこのネタが検証されたことがある。
鳥羽源三郎は桐山さんのお祖父さんなんだからおおよその生年を推定できます。
桐山さんはお祖父さんが亡くなったのは、ある本には79歳と書き、ある本には84歳と書くほど
桐山さんの記憶もいい加減だが、「密教・超能力の秘密」では、桐山さんが3歳くらいの頃、
木刀を持ってお祖父さんと対峙して「目ん目が怖い」と泣いた時、お祖父さんは80を過ぎていたという。
84歳説をとりましょう。またこの木刀の話の同年に容態悪くなり死去したと仮定しましょう。
すると桐山さんは1921年生まれだから、3歳で1924年。
84歳没なら1940年生まれになる。
これがギリギリ昔まで遡れるリミットです。それ以上は無理です。
すると大政奉還が1867年、源三郎さんは27歳になる。
現実にはお祖父さんは木刀の時よりももう少し長生きしたろうし、上意討ちは大政奉還よりももっと
前だから20代前半は極めて妥当な線です。

403 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/12(月) 10:20:38 ID:l3GFz3Bs
訂正
1940年→1840年

404 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:00:59 ID:qqJaUY33
>>382 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:45:52 ID:LgXdCa7R
>それが成り立たないことを、私はあなたの引用した文章から証明した。
>「この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。」(>>161)
>第三の知恵を得た人を菩薩と呼んでいる。

呼んでいません。
擁護側から忍び笑いが聞こえてきそうです。
第三の知恵を得る前は菩薩だったのです。
その菩薩が第三の知恵を得たから
タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]
と呼んで明確に区別しています。

見出しを御覧なさい。
>>374
『三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。』

バローは四段階の瞑想を経た段階を菩薩と呼んでいます。
どこにも如来とか阿羅漢とかブッダとか書いていません。
その菩薩が三つの知恵を獲得してブッダとなった。
だから次章の「ふたりの商人との出会い」からは菩薩ではなく
「ブッダ」となっているのです。
バローの説明は明瞭です。
あなたのいうように第三の知恵を得た人が菩薩だったら
見出しと食い違ってしまいます。
強弁を続けても理に合わないことは通用しません。
諦めることです。

405 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:12:40 ID:qqJaUY33
>>383 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:49:23 ID:LgXdCa7R
>「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」
>つまり、「解脱者は三明を生み出して無碍の認識を得た」と書いてあるのです。
>解脱したアラハンが三明を生み出した」と書いてあるのですよ。
>あなたの説が正しいなら、「菩薩が三明を生み出した」と書いてもいいはずです。

それは>>370ですでに書きました。
「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」
の前にある
『この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。』
の部分で菩薩は如来となったのです。
だから「菩薩が三明を生み出した」ではなく
「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」
になるのです。
何の不思議もありません。
同じことを何度も言わせないでください。
時間の無駄です。

406 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:16:35 ID:qqJaUY33
>>384 :神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 23:52:12 ID:LgXdCa7R
>あなたが引用したベックの文章のどこに「三明で解脱した」とあるのですか。
 
すでに示していることを無視しないでください。
時間の無駄に繋がります。


『瞑想者はそれらと同時に高度の英知ないし知識の領域に入る。
如来は菩提樹のもとで三重の智慧を獲得し、
それを達成することによって菩薩から仏陀の位にのぼったのであるが
今、ここでいう三つの能力もそれと同じものである。』
(仏教 (下) 94、95頁、べック著、岩波書店)

407 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:20:10 ID:VJ7/HKPY
出た!白痴W

408 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:21:45 ID:qqJaUY33
>>385 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 00:00:03 ID:LgXdCa7R
>経典に漏尽解脱がない!!??
>新春の大爆笑です。

話をすり替えないことです。
私があなたに要求したのは


>>326
>ゴータマが菩提樹の下でさとりを開いたとき
>煩悩を無くしたからブッダになったという経典を示してください。

という経典です。
そんなものは無いというのならそう書けばよいのです。
言い訳は必要ありません。

409 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:37:48 ID:qqJaUY33
>>386 :ラシン
>Qさんのための文章解釈、中学生編です。
>「修行者(菩薩)が最終的に堅固な位置を守る精神を得たとき(解脱時)、

それが成り立たないことは>>160で明らかです。
もしあなたの言うように
「修行者(菩薩)が最終的に堅固な位置を守る精神を得た時点で
修行者が解脱していたら、
次に出てくるこの文章をなんと説明しますか?


『菩薩が専心によって精神を集中してしまい、精神を一点のくもりもなく澄みわたらせ、
すべてのきずなから解き放ち、その汚れを一切消滅させ、
しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守るようにしおおせたとき、
彼は生きとし生けるものの生と死を知った。
澄みきった天眼のおかげで、生きとし生けるものの生と死を見た。』

一度解脱したのに菩薩が出てくるわけがないですよね?
だからあなたの言うのは間違いです。

しかしそんな面倒なことを言わなくても
すべてはこの記述に現れています。

『三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。

三明を獲得する前は菩薩だった。
これが全てです。

410 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:47:28 ID:qqJaUY33
>>398 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 09:05:27 ID:h4JYrvTf
>Qの返答はもうひらきなおりのオンパレードだな。
>納得のいく返答ができないならもうやめれ。

納得のいく返答はしているが
相手側が拒否していては仕方ありません。

>>407 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:20:10 ID:VJ7/HKPY
>出た!白痴W

このように相手を罵っても
あなたの同胞が嘘つきである事態は一向に変わりません。
相手を罵る暇があるのなら、
あなたが率先して相手をギャフンと言わせればいいのです。

411 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:55:36 ID:qqJaUY33
>>393 :神も仏も名無しさん :2009/01/12(月) 02:20:52 ID:GYgRSL2v
>>372
>未だにアゴン宗の欺瞞に気づかない愚かな人は、
>そうやって、「批判の何が馬鹿」なのかを書く
>事ができないんですね。
>それって、すごく恥ずかしい事ですよ。

恥かしいのはあなたですよ。
批判側の一部は、
誰が見ても嘘だとわかることを延々と繰り返し
相手から指摘されても屁理屈で押し通そうとする。
見ていてとても浅ましい限りです。
あなたはそれを支持するのだから愚かな人です。

412 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 17:07:46 ID:qqJaUY33
>>389
羯諦さんて凄いな。
尊敬しちゃう。

413 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 17:10:27 ID:qqJaUY33
>>374 :神も仏も名無しさん
>第四禅では解脱していない。
>三明の前で解脱はしていないのです。
>だから「心が統一され・・・」には解脱の意味は無いのです。
>簡単で誰にでもわかる話です。

>第四禅では解脱していない。
これは削除させていただきます。
色々とあるからね、フフ・・・・・・

414 :樹意:2009/01/12(月) 17:11:22 ID:6T0L3SMP
ヤレヤレこのネタも一年続きそうだな W W

415 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:05:33 ID:aHsDzOIr
>>413 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 17:10:27 ID:qqJaUY33
>第四禅では解脱していない。
>これは削除させていただきます。
>色々とあるからね、フフ・・・・・・

今まで、さんざん第四禅では解脱していないと吠えて、
ユビキタスさんに罵声まで浴びせていたのに、謝罪もせずに撤回するのは
いかにもペテン大作さんらしいズルサです。
「第四禅で解脱していない」を撤回するなら、解脱していたと認めるのか。
それもしないんでしょう?
批判側を攻撃しようと策を練ったが、第四禅で解脱していないと
主張すると矛盾することに気が付いた。
いかにあなたがその場しのぎの屁理屈を並べているかよくわかる。
「フフ・・」と舌をペロッと出してごまかそうとするあたりは
いかにも桐山さんという銀狐の信者らしい。

416 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:09:27 ID:aHsDzOIr
>>404 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:00:59 ID:qqJaUY33
>擁護側から忍び笑いが聞こえてきそうです。

あなたの説を支持する擁護側とは尊敬する羯諦栗花さんだけですね。
>羯諦さんて凄いな。
>尊敬しちゃう。
>>412の一文には、忍び笑いどころか、今年二度目の大爆笑です。
孤立無援のあなたにしてみれば、ゴキでもダニでも、敵の敵は味方です。
私は書いてある文字通りに読んでいるだけで、あなたのような勝手な解釈はしていない。

「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」

文章の主語は解脱者(覚者)であり、解脱者が知恵を生み出したとはっきりと書いてある。

>「この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。」(>>161)

この文章も、菩薩が第三の知恵を得たと書いている。
バローはこれらの文章では、あなたのような厳密な区別などしていない。
何よりも、バローは「三明で解脱した」なんて一言もない。
何度も言うが、仏教学者の解脱の内容は、今我々が議論しているような
「ここからが解脱」などという内容ではない。
あなたの勝手な解釈です。

417 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:13:04 ID:aHsDzOIr
>>408 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:21:45 ID:qqJaUY33
>話をすり替えないことです。

すり替えているのはあなたですよね。
アゴン宗の因縁解脱の話はどうなったのだ?
ベックやバローのいう解脱と因縁解脱とどう関係しているのかも説明しない。
何度要求されても答えない。
どうしてだ?
あなたの主張が根底からひっくりかえってしまい、何も書けなくなるからですよね。
ベックやバローのいう解脱とは漏尽解脱です。
だが、あなたは釈尊の解脱が漏尽解脱だとは信じていないようだ。
では、あなたが示した彼らの文章は何等あなたの主張の根拠にならない。
どこまで菩薩でどこからがアラハンかなんて議論も意味をなさない。
今までの議論は全部ご破算です。
菩薩がどうの、滅尽定がどうのといくら言っても、解脱の定義が違うのだから、
「箸」と「橋」の議論をしているようなもので、何の意味もない。
くどくどと同じ国語の読解力の問題を蒸し返すのではなく、
まず、あなたのいう解脱とは因縁解脱なのか、漏尽解脱なのかをはっきりさせなさい。

418 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:17:34 ID:aHsDzOIr
>>408 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:21:45 ID:qqJaUY33
>話をすり替えないことです。

あなたのいう解脱が因縁解脱だというなら、二十年間、応説経を
読みながら、意味も理解できずにいたということになり、やはり新春大爆笑です。
まず、アゴン宗の因縁解脱についてあなたの説明をしてください。
私の因縁解脱についての説明のどこがどう間違っていたのかも、
桐山さんの文章を引用して、指摘してください。
因縁解脱の阿含経の根拠、学者の解説もお忘れなく。
今まであなたが引用した学者の説は全部漏尽解脱を前提としているから、
あなたの説の根拠にはいっさいならない。
議論はスタートまで戻ります。
あるいは、仏教の解脱が漏尽解脱だと認めるなら、あなたはアゴン宗の
因縁解脱を嘘だと認めるのか。
どちらでもいいから、男なら、まず自分の立場をはっきりさせなさい。
ペテン大作さんは「二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった」。
さすがの詭弁家のペテン大作さんでも、なかなか屁理屈が思い浮かばない。
それを選択したくないから、あなたはバローやベックの
解説を何度も何度も出して、そっちに逃げようとしているのでしょう?
さあ、どうするか、皆さん、着目してください。
ペテン大作さんは訳のわからん大量の屁理屈を並べて読者を煙に巻き、
「批判側が答えられなかった」と逆のこと言って高笑いをしながら、逃げきると予想します。
正月ですから、賭けでもしましょうか。

419 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:19:05 ID:aHsDzOIr
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/#th1
426 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2009/01/11(日) 00:20:00 ID:fF1IzYi6
阿含宗関連の板に運命解脱(因縁解脱)について書き込むと、
批判側の人に引用されてしまい、考察目的の人も書き込みにくくなってしまうので、
運命解脱や無意識への探求やクンダリニーおよびチャクラに関する書き込みはSNSで行ってます。
運命というものや、無意識の影響が存在していると思う方は目的解決のために情報交換しましょう。


420 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:24:27 ID:aHsDzOIr
>426 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2009/01/11(日) 00:20:00 ID:fF1IzYi6
>阿含宗関連の板に運命解脱(因縁解脱)について書き込むと、
>批判側の人に引用されてしまい、考察目的の人も書き込みにくくなってしまうので、

専ら引用して批判したのは私だから、反論しておきます。
引用することでさも信者が書き込みしにくいかのように書き方だが、
そもそも、一修行者さんと大日さん以外、誰か書き込みましたか。
「書き込みにくく」なったのは他の人ではなく、一修行者さんですよね。
それも「書き込みにくく」なったのではなく、反論できなくなったのです。
あなたの主張はアゴン宗の教義からも外れている。
運命解脱の矛盾を指摘されて、発言を撤回せざるを得なかったのを忘れましたか。
一修論などと偉そうな名前だけ出して吠えたが、切れ端すら出せない。
出さなくてもわかりますよ。
チャクラだの潜在意識だのと、あなた自身意味すらわからない空虚な言葉の羅列ですよね。
いい年をしてよくいつまでも子供っぽい空想の世界で遊んでいられるものだ。

421 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:30:25 ID:aHsDzOIr
>426 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2009/01/11(日) 00:20:00 ID:fF1IzYi6
>阿含宗関連の板に運命解脱(因縁解脱)について書き込むと、
>批判側の人に引用されてしまい、考察目的の人も書き込みにくくなってしまうので、

私があなたの運命解脱という言葉を批判した理由の一つは、
アゴン宗では使われていない言葉や概念を勝手に作りだしているからです。
ザにいる説教老人が典型だが、師に対して失礼だとは思わないのですね。
桐山ゲイカは完全仏教と言っているが、あなたから見て
不完全だから、一修論を打ち立てたのでしょう。
アゴン宗は欠陥だらけだと言っていると変わりない。
何をしようとしているか、意味はわかりますよ。
桐山アゴン宗の教義が矛盾だらけだから、なんとかそれを
合理的に説明して自分で納得しようとしているうちに、
いつの間にかアゴン宗とは関係ない方向に話が進むばかりか、
時としてアゴン宗を否定するような説まで唱えることになる。
その一つとして運命解脱を唱えてあなたはここに登場した。
自分では冷静に客観的にアゴン宗を評価しているつもりですよね。
だが、私から運命解脱とは何だと質問された。
まさかそんな質問が来るとは予想もしなかったから、
あなたはしどろもどろ、右往左往して、結局、運命解脱=因縁解脱だと認めた。
だが、あなたと大日さんの大きな違いは自分のミスや欠陥を
認めて体制を建て直すのではなく、また同じ事を繰り返そうとする点です。
無駄な努力です。
一修論など聞かなくても、運命解脱の言葉の使い方をみれば、
信仰を持った人がよくはまる空虚な言葉の遊びだと見当がつく。
それはあなたの書いた一ヶ月前の次の言葉にもよく現れている。

422 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:33:56 ID:aHsDzOIr
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>自分の実践でつかんだものではなく、知識として得たもので真実をつかんだと思っているのですか。
>知識と理論で阿含宗を偽と判断しただけで、真実をつかんだのとは程遠いでしょう。

「真実」という言葉をあなたは使っている。
あなたのようなタイプの人はたいていこういう抽象的な言葉を使うことで、
何事か自分は高度な内容を議論し、求めているかのように錯覚して自惚れる。
まるで一修行者さんは、実践して、真実をつかんだかのような書き方ですね。
一修行者さんに限らず、アゴン宗で「真実」なるものを
つかんだ人って、どこにいるのだ?
知識すら間違っている連中のどこが「真実」だ?
知識と理論が間違っているアゴン宗を信じているあなたのどこが真実だ。
嘘だらけのアゴン宗を信じながら、ぬけぬけと「真実」などという
言葉を使えるあなたの図太い神経に驚く。
麻原彰晃が人類救済や慈悲を説いているようなものです。
慢心というガスで浮いて、あなたの足は地についていない。
知識と理論だけではない一修行者さんが実践したことがイスラエル護摩です。
真実を求めるあなたのご立派な焚き火の修行の結果を見てください。

423 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:39:32 ID:aHsDzOIr
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>自分の実践でつかんだものではなく、知識として得たもので真実をつかんだと思っているのですか。
>知識と理論で阿含宗を偽と判断しただけで、真実をつかんだのとは程遠いでしょう。

多くの子供たちを含む八百人以上のパレスチナ人がイスラエルに殺された。
あなたの信仰する桐山ゲイカはイスラエルに“共感”を表明し、
パレスチナ難民には共感は表明しなかった。
イスラエル護摩に参加したのだから、あなたもそうなのでしょう。
チャクラがどうのこうの、真理がどうのと偉そうに吠えているが、
これがあなたの修行とやらの真実だ。
あなたが出した護摩木代金は、今パレスチナ人を殺しているイスラエルの
為政者たちに直接渡っている。
あなたがパレスチナの子供たちの殺戮に間接的に手伝いをしたのだ。
空虚な脳内の真理ゴッコをしているうちに、殺戮に手を貸した。
しかも、驚くことは、この事実を見ても、まだあなたは自分の為したことに
慄然とすることもなく、閉鎖社会で真理ゴッコを続けるのだという。
あなたは自称仏教徒ですよね。
そのあなたが出した金が子供たちの殺戮に使われたのですよ。
「殺されても殺さない」という徹底した非暴力を原則とする仏教なのに、
間接的にも、人殺しに金を出してしまった。

424 :樹意:2009/01/12(月) 18:48:11 ID:qTMMZPEC
>>413 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 17:10:27 ID:qqJaUY33
>第四禅では解脱していない。
>これは削除させていただきます。
>色々とあるからね、フフ・・・・・・

>>251 神も仏も名無しさん sage 2009/01/10(土) 16:58:03 ID:dJGXuvQU

> >バローの文章のどこに三明で解脱したと書いてあるのですか。
>
> えっ、これが私から嘘吐きと言われたことに対する反論なのですか?
> 嘘でしょう、これですか?
> とうとう嘘つきさんも降参したわけですね。
> 「心が統一され・・・」の文句は解脱ではない。
> 私の主張に対して異論がないことを認めたのですね。



425 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:49:14 ID:aHsDzOIr
>426 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2009/01/11(日) 00:20:00 ID:fF1IzYi6
>運命というものや、無意識の影響が存在していると思う方は目的解決のために情報交換しましょう。

あなたがこの眼前の事実にまったく無関心で、他人事のように上記のように
言っていられるその神経が私はまるで理解できない。
いったいあなたの信仰心や宗教とは何なのだ?
目の前に子供の血だらけの遺体が転がっていても、
あなたはそんなものはまたいで、「無意識とは何か」「真理とは何か」と
腕組みをして考え、ペテン大作さんは菩薩と如来の違いについて考えるらしい。
もっと自分たちの為したことを振り返ってみるべきだ。
あなたは中東の平和のためにイスラエル護摩に参加した。
護摩を焚くために、武力を厭わないイスラエルに共感を表明し、
為政者に金を渡して媚び、嘆きの壁に頭をつけ、へつらい、許可をもらった。
その為政者たちが子供たちを虐殺した。
こういう流れに、あなたは「関係ない」と言えるらしい。
だから、上記のようなのんびりしたことを書いていられるのですよね。
サリン事件の後でも、まだ麻原彰晃を信じてオウムに残った連中と同じです。
口先でどんなきれい事や高尚なことを言っても、
現実の行動こそがあなたの本心を表している。
他の信者さんたちもよおく自分の為したことを振り返ってほしい。
でないと、また同じ間違いを繰り返しますよ。
先祖の抑圧や運命の反復などではなく、自分が反省をしないから、
自分が同じ間違いを繰り返すのです。
信者さんたちは星まつりにむけて、また同じ間違いを繰り返すのですか。

426 :樹意:2009/01/12(月) 18:50:21 ID:qTMMZPEC
ペテン大作さんが今まで批判側をウソツキと罵ってきた根拠が 
第四禅で解脱したしないの議論だったわけだが、 その発言を撤回した
のだったら今までの暴言も撤回するべきだろうな。
必ず撤回しろよな 大作さんよ。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が調べた結論は >>302-305 に示してある、八正道にある正定は
大念処経にあるように初禅〜第四禅 この欲界定止禅のバックボーンをベースに
観禅〈ビパサナ〉に入り阿羅漢道智を得るというものです。
ですから、初禅の段階で解脱する方もあればオーソドックスに第四禅から
観禅に入る方もいるというものです。
滅尽定は当然のことながら正定の範疇には説かれているわけでもありません。
もしかしたらQさんは私の論は採用しないといいつつ これを使って逃げに
入ったのかもしれませんね。 どうせどっちの立場にもつかないのだろうし。

あと、仏陀釈尊は一切智でありますが、三明に対応する阿羅漢 或いは
単に阿羅漢道智の方もいるとのことです。




427 :樹意:2009/01/12(月) 18:55:44 ID:qTMMZPEC
>>423

> あなたが出した護摩木代金は、今パレスチナ人を殺しているイスラエルの
> 為政者たちに直接渡っている。

http://img.2ch.net/ico/nono.gif
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は10日、
イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザ地区侵攻で、「非人道性」が指摘されている
「白リン弾」を使用している可能性が高いと指摘した。を使用している可能性が高いと指摘した。

骨までよく燃える爆弾だとのことです。
不善業の果報というものはあるようですので、信者さんたちは
アゴンという団体に資金提供したその結果というものの因縁を
よく勘案下さい。 
不善業を積んで運がよくなると思うのか ?


428 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/12(月) 19:43:57 ID:0t0+P9NZ
批判側擁護側両方とも聞いてくれ。
単に煽ってムチャクチャにしたいヤツが居るようだから脊髄反射しないで気を付けてくれ。

(IDに注目)
394 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/12(月) 02:33:15 VJ7/HKPY
俺は、大学で原始仏教を勉強してたから、ギャアテイが正しいとわかる。ギャアテイの勝ちは、白痴にはわからないだけだよ。原始仏教スレにおいで。
396 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/12(月) 05:13:26 VJ7/HKPY
白痴に騙されるようなやつは、
もっとヤバイ白痴だろ。
407 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/12(月) 16:20:10 VJ7/HKPY
出た!白痴W


ペテン大作、おまえも煽られるんじゃねえよヴォケ。

>>410 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/12(月) 16:47:28 ID:qqJaUY33
>>>407 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:20:10 ID:VJ7/HKPY
>>出た!白痴W
>
>このように相手を罵っても
>あなたの同胞が嘘つきである事態は一向に変わりません。
>相手を罵る暇があるのなら、
>あなたが率先して相手をギャフンと言わせればいいのです。

429 :ラシン:2009/01/12(月) 19:58:52 ID:Xe0Q5UpY
>409 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:37:48 ID:qqJaUY33
>一度解脱したのに菩薩が出てくるわけがないですよね?
だからあなたの言うのは間違いです。

Qさんに何度もご説明したように、第三人称の主語の問題です。
アスリート、競技者が金メダルを貰うまで、競技し勝利し確認しても競技者、
その状況の主語は競技者であり、すでに勝者であり、金メダルを貰って金メダリスト
という身分が確立したに過ぎない国語的解釈の範囲です。

>しかしそんな面倒なことを言わなくても
すべてはこの記述に現れています。

『三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
 菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。

この表現で使用される語句が必ずしも仏教用語ではないので、
一般的辞典に依ります。
純化:まじりけをなくし、純粋なものにすること。「精神を―する」
透徹:すきとおっていること。澄みきっていること。また、そのさま
   筋が明確にとおっていること。一貫していること。また、そのさま。
   「―した論理」「―した洞察力」「工夫、精密なるを要し、解悟、―なるを要す」
解悟:悟ること。気がつくこと。
つまり上記文章は、二つに分けらられます。
”純化透徹させたのち、”この”のち”までが解脱であり解悟の説明。
”三つの知恵を、順を追って獲得した。”で、三明を獲得した。
正しく素直に文章を読めば、Qさんのような苦しい解釈は不要です。
そこで、肩肘を張らず、七氏さんの質問にまともに向き合う勇気を
示してください。
批判側はあなたの細々とした矛盾、誤謬をしつこく追及していないのですから。
ここのスレの主旨を尊重する大人の態度を期待します。

430 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 12:37:45 ID:c5RxpI7G
こんにちは

431 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:21:35 ID:uObH1eS8
こんばんわ。
快晴続きで空気が乾燥しているね。

>>415 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:05:33 ID:aHsDzOIr
 >>413 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 17:10:27 ID:qqJaUY33
 >第四禅では解脱していない。
 >これは削除させていただきます。
 >色々とあるからね、フフ・・・・・・
>今まで、さんざん第四禅では解脱していないと吠えて、
>ユビキタスさんに罵声まで浴びせていたのに、謝罪もせずに撤回するのは
>いかにもペテン大作さんらしいズルサです。
>「第四禅で解脱していない」を撤回するなら、解脱していたと認めるのか。
>それもしないんでしょう?

>>426 :樹意:2009/01/12(月) 18:50:21 ID:qTMMZPEC
>ペテン大作さんが今まで批判側をウソツキと罵ってきた根拠が 
>第四禅で解脱したしないの議論だったわけだが、 その発言を撤回した
>のだったら今までの暴言も撤回するべきだろうな。
>必ず撤回しろよな 大作さんよ。


432 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:21:58 ID:uObH1eS8
君等は勘違いしてるようだね。
第四禅では解脱していませんよ。
だから三明の前で解脱はしていないのです。
「第四禅で解脱していない」=「三明の前で解脱はしていない」です。
私が「第四禅では解脱していない」を削除させてもらうと言ったのは
「三明の前で解脱はしていない」と書けば意味を伝えるのに十分だから
余計な言葉を省きたかったからです。
少ない文章の方が聞き手の印象に残りやすいからね。
君等は 「ペテン大作め、途中から第四禅が解脱していないことに気づきおったか」
と心が躍ったのだろうが残念でした。
君等の誤解を招いたようだから
>>413:神も仏も名無しさん
 >第四禅では解脱していない。
>これは削除させていただきます。
は撤回しましょう。

433 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:24:00 ID:uObH1eS8

sageるの忘れた。

434 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:34:54 ID:uObH1eS8
>>416 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:09:27 ID:aHsDzOIr
>「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」
>文章の主語は解脱者(覚者)であり、解脱者が知恵を生み出したとはっきりと書いてある。

菩薩が解脱して如来となった後だから
「解脱者が知恵を生み出した」でいいのです。

>「この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。」(>>161)
>この文章も、菩薩が第三の知恵を得たと書いている。
>バローはこれらの文章では、あなたのような厳密な区別などしていない。

おいおい、学者がそんないい加減な態度をとるわけないでしょうが。
バローは、菩薩とブッダを厳密に区別しています。
彼は、菩薩が第三の知恵を得たと書いている。
如来、阿羅漢、ブッダが得たとは書いていません。
あなたは自分が間違っていることをわざわざ説明してくれている。
ご苦労様です。

435 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:41:15 ID:uObH1eS8
>>417 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:13:04 ID:aHsDzOIr
 >>408 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:21:45 ID:qqJaUY33
 >話をすり替えないことです。
>すり替えているのはあなたですよね。
>アゴン宗の因縁解脱の話はどうなったのだ?
>ベックやバローのいう解脱と因縁解脱とどう関係しているのかも説明しない。
>何度要求されても答えない。
>どうしてだ?

どうしてだ?と聞かれても
私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。
あなたが「三明→解脱」が嘘だと言い出したことに対して
意見を述べているだけです。
話の発端を思い出してください。
途中から議論のテーマをすり替えないことです。

436 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:48:29 ID:uObH1eS8
>>418 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:17:34 ID:aHsDzOIr
>あなたのいう解脱が因縁解脱だというなら、二十年間、応説経を
>読みながら、意味も理解できずにいたということになり、やはり新春大爆笑です。
>まず、アゴン宗の因縁解脱についてあなたの説明をしてください。

見苦しい・・・

「ゴータマは菩提樹の下で煩悩を無くしたからブッダになった」

という経典は出せないのか。

437 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:53:49 ID:uObH1eS8
>>405 :神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:12:40 ID:qqJaUY33
>「覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、 無碍の認識を得た」
>の前にある
>『この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
>無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。』
>の部分で菩薩は如来となったのです。

如来となったのは上の部分より少し前ですね。
訂正します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  『解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。 
  「わたしにとって、数々の生は涸らしつくされた。浄らかな行いがなしとげられ、なすべきつとめは果たされた。
  わたしはもはや二度と生をうけることはない」
  この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
  無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。
  タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
  無碍の認識を得た。』(『ブッダの教え』 54、55頁より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。』 
この部分が解脱を表しています。
そして次の
「わたしにとって、数々の生は涸らしつくされた。浄らかな行いがなしとげられ、なすべきつとめは果たされた。
わたしはもはや二度と生をうけることはない」
が、さとりの内容です。
長尾雅人博士は、この文句は
「仏陀や阿羅漢のさとりの内容を示す定型句である」
と説明しています。
(『世界の名著T』 537頁)

438 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:54:55 ID:uObH1eS8
『ブッダの教え』(大東出版社)の中で
バローは「菩薩」と「ブッダ」を明確に区別しています。
まず見出しの部分には

『三つの知恵の獲得
 四段階の瞑想を経て精神をすみずみまで純化透徹させたのち、
菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。』
(52頁)

と書かれています。
「菩薩は三つの知恵を順を追って獲得した」
とあるのだから
三明を得る前は菩薩だったことになります。
これだけで「解脱→三明」は嘘であるとわかります。

439 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 17:07:53 ID:uObH1eS8
次に本文です。

『菩薩がこうして精神を集中したとき、精神を縛るきずなは放棄され、
尽き果て、精神は一点のくもりもなく澄みわたり、
しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守るようになっていた。
すると彼は数々の前世の認識をみずからまのあたりに見た。自身で自身の前世を知った。』

『菩薩が専心によって精神を集中してしまい、精神を一点のくもりもなく澄みわたらせ、
すべてのきずなから解き放ち、その汚れを一切消滅させ、
しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守るようにしおおせたとき、
彼は生きとし生けるものの生と死を知った。
澄みきった天眼のおかげで、生きとし生けるものの生と死を見た。』

『菩薩がこうして精神を集中し、澄みわたらせて、すべてのきずなを投げうち払いのけ、
澄みきって一点のくもりもない、しなやかで統御しやすく、しかも堅固な位置を守る精神を得たとき、
数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。その認識は彼の前に現れた。
不純なものを涸らしつくす認識について考えるうちに、彼は現実に即して苦を知り、
苦のみなもとを知り、苦を止めることを知り、苦を止めることにつながる道を知った。
これらの聖なる真理を得て、それらを彼は現実に即して知った。
現実に即して不純なものを知り、不純なものを止めることにつながる道を知り、それらを現実に即して知った。
こうするうちに、彼はそのように知り、そのように見た。彼の精神は欲望の不純さから解放され、
彼の精神は生きることの不純さから解放された。
解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。』


440 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 17:09:27 ID:uObH1eS8
菩薩は精神を集中することで
自身の前世を知り、生きとし生けるものの生と死を見て
数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た結果、
欲望の不純さ、生きることの不純さから解放されて
解脱したのです。
菩薩がここで解脱したことは
次に「さとりの定型句」が来ていることでわかります。

『 「わたしにとって、数々の生は涸らしつくされた。
浄らかな行いがなしとげられ、なすべきつとめは果たされた。
わたしはもはや二度と生をうけることはない」 』

菩薩は『解放されるやいなや、みずからの解脱の認識を得、思った。』
の時点で解脱したのです。
前から解脱していたのなら「さとりの定型句」がここに出てくるわけがない。

『この、菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。
無知は終わり知恵が現れ、闇は終わり光が現れ、不純なものを涸らしつくす認識が生じた。
タターガタ[如来]、アルハット[阿羅漢]、すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、
無碍の認識を得た。』

菩薩は第三の知恵を得た結果、如来、阿羅漢、完全なる覚者になりました(メデタシ)。
菩薩が如来、阿羅漢、完全なる覚者になったのだから
「解脱→三明」ではなく
「三明→解脱」になります。

441 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 17:10:23 ID:uObH1eS8
そしてこの後、次章でブッダが出てきます。

『ふたりの商人との出会い
 次の有名なエピソードのもともとの主題はきわめて単純である。
ふたりの旅の商人がウルヴィルヴァーを通りかかり、そこで出会った修行者、
すなわちいまやブッダとなった人物に、少々の食べ物を施し、それによって俗人としての義務をはたす。』

バローの説明は菩薩とブッダを厳密に区別しているのがわかります。

442 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 17:12:56 ID:uObH1eS8
馬鹿は死ななきゃ治らないと言うが
批判側の嘘つきどもを見ているとつくづくそう思いますね。
これでは教団から脱落するのも頷けます。
それでも性格が素直ならまだ救いがあるが
ねじくれているときたもんだから、
いくら仏の慈悲でも救えません。

443 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 19:08:37 ID:jmClHylF
>>435
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。

因縁解脱を離れての話しなどもうやめれ。
つまらん。

444 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/13(火) 20:06:14 ID:JRvoVxYD
>>435
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。

出て行けよ。

445 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/13(火) 21:46:07 ID:LPhATLwV
>>435:神も仏も名無しさん :2009/01/13(火) 16:41:15 ID:uObH1eS8 [sage]
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。

つまり、今議題になっている解脱の話、解脱は三明より前か後かという話は、桐山さんの説く因縁解脱とは
関係ない、別物だと認めるわけですね。
桐山さんの常日頃説いている解脱とはベックやバローの説くそれとは異なると。

446 :ラシン:2009/01/13(火) 22:37:50 ID:G2XSybS7

Qさんは文章を読み分けしたくない?出来ない? さて、どちらだろうう?

『すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。』

アラハトがこの知恵を生み出したとの、七氏さんの先述されていた頂門の一針こそ、
正鵠を得たご指摘、と判断できますので、
再度、私なりの補説をQさんへ提示させていただきます。

受験合格者(覚者)は、合格通知を見たが故に、合格者は自分が合格したことを
つぶさに確認出来た(今後二度と予備校に通うことは無いと自覚した)。

国語的には、つまり、知恵を生み出して解脱したわけではない。
解脱して知恵を得たが故に、解脱したと言う認識を得た、と解釈できる。
となれば、解脱した後に”この知恵を生み出した”と理解できる。
これが、この著者の基本的見解ですから、著述前後の解説には、
これに倣い従う解釈が全般に生じることは、必然であり、当然でしょう。
ということで、Qさんは、スレの本分に戻るべきではないでしょうか。

447 :樹意:2009/01/13(火) 22:47:05 ID:fBZNwqJ6
>>432 神も仏も名無しさん 2009/01/13(火) 16:21:58 ID:uObH1eS8
> 君等は勘違いしてるようだね。
> 第四禅では解脱していませんよ。
> だから三明の前で解脱はしていないのです。

>  >第四禅では解脱していない。
> >これは削除させていただきます。
> は撤回しましょう。

ばっかだな〜 せっかく教えてあげたんだから そのまんま曖昧にして
おけばいいものを w w w 
ほんじゃ トドメをさしてあげますかね。


448 :樹意:2009/01/13(火) 22:50:50 ID:fBZNwqJ6
Q氏改めペテン大作さんがあまりにうるさいので、キチンと引用ご説明いたします。
少し長くなりますが、ご勘弁の程お願いします。

片山一良氏訳 ディーガニカーヤ 大篇 大念処経 補注 396p
26.
「正定」としての「四禅」について、次のように言われる。〈もろもろの禅(jhana)は、
前分(pubbabhaga)においても、道の刹那(maggakkhana)においても種々である。
すなわち、前分においては等至(samapatti 禅定)によって、道の刹那においては
種々の道によって、種々である。なぜなら、ある者には、第一道(初道)が第一禅(初禅)
のものとして生じ、第二道なども第一禅のものとして、あるいは、第二禅などのいずれかの
禅のものとして、生じるからである。また、ある者には、第一道が第二などのいずれかの
禅のものとして、第二(道)なども第二などのいずれかの禅のものとして、或いは第一禅
のものとして生じるからである。このように、四の道はいずれも禅と同じもの、あるいは
同じでないもの、あるいは一部分同じものとなる。ただし、その《(四)道の》この区別
《禅による全同、全非道、一部分同の区別》は、基礎となる禅の決定(padakajjhana-niyama》
によって生じる。
基礎となる禅の決定によって、まず、第一の禅の獲得者には、第一禅から出て、観を行って
いるときに生じる道は第一禅のものになる。ただし、この場合、道支(magganiga 八道支)と
覚支(bojjhanaga 七覚支)は満ちたものになる。第二禅から出て観を行っているときに生じる
道は第二禅のものになる。ただし、この場合、《正思惟がないから》道支は七になる。
第三禅から出て、観を行っているときに生じる道は第三禅のものになる。ただし、この場合、
道支は七、《喜覚支がないから》覚支は六になる。この仕方《つまり、道支、覚支、が七、六
であること》は、第四禅から出て、非想非非想処に至るまで、である〉と。


449 :樹意:2009/01/13(火) 22:56:03 ID:fBZNwqJ6

樹意注 九出世間法〈四道・四果・涅槃〉 これは387p 他 あっちこっち書いてある。
    四道というのは 預流道 一来道、不還道、阿羅漢道、ーーー
    すなわち 初禅で預流 第二禅で一来道、第三禅で不還道、四禅で阿羅漢道の場合も
    あるが 対応しない場合もあるということです。ですが、正定の状態で阿羅漢道を得る
    ということを示しているわけです。 すなわち解脱です。

大念処経 263p 
また比丘たちよ、「正定」とは何か。  −−−
正定注釈 八 samma-samadhi.〈これは、前分において世間〈定〉であり、後分において
出世間〈定〉であるから、正定と言われる〉。

265p 
このようにまた、比丘たちよ、比丘は四の聖なる真理である法において法を観つづけて住むのです。
注釈 〈以上、(1)出入息(2)四威儀、(3)四正知(4)三十二様相、(5)四界確定、
       (6)〜(14)九墓地、(15)受随観、(16)心隋観、(17)蓋把握、
       (18)蘊把握、(19)処把握、(20)覚支把握、(21)諦把握、という
    21の業処が述べられている。そのうち、(1)、(4)、(6)〜(14)の十一は
    安止の業処である〉。 −−−−−略ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仏陀が滅道として示した初禅〜四禅の場合は 前分世間定 後分出世間定 
また上記〈1〉〜〈14〉は止禅 その後 出世間定である観禅に移行するわけです。

450 :樹意:2009/01/13(火) 23:05:16 ID:fBZNwqJ6
以前引用しましたが 片山氏だけの説明だけでは理解が厳しいので 旧セヤドーHPより
再度引用します。

Q1 通常、禅那(jhaana)は何種類ありますか?

A1 禅那には二種類ある。それは世間禅(lokiya-jhaana)と出世間禅(lokuttara-jhaana)である。

 世間禅とは、すでに解説したとおり初禅、第二禅、第三禅と第四禅である。これらは世間禅である。

修行者が観禅(vipassanaa)を修行した結果、行捨智(sankhhaupekkhaa-nyana)に到達して、名と色、
因と果の無常または苦または無我の本質を覚知・照見するとき、同時に強力に禅那法の三相を識別する
ことができる(ようになるが、また)修行者が初禅法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見している
ときに涅槃を証悟したなら、その道智と果智は初禅道智と初禅果智であるという。それらを初禅と
呼ぶのは、その道智と果智の中に五禅支が含まれているからであるが、これらの修行の到達レベルは
出世間禅である。

ーーー2禅と3禅は 省略 −−−

同様に、第四禅禅那法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見しているときにも、修行者は涅槃を証悟
することができる。このときの道智と果智は第四禅法といい、これも出世間禅である。その道智と果智
の中には二種類の禅支が含まれているが、それは即ち捨と一境性である。

同様に、修行者が無色界禅禅那法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見しているときにも、涅槃を証悟
することができる。そのときの道智と果智もまた第四禅法というのは、これらの道智と果智の中に
二種類の禅支、即ち捨と一境性が含まれるからである。これらは止観行者の状況である。


451 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 23:09:10 ID:2KBxHCiq
>>435 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:41:15 ID:uObH1eS8
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。
>途中から議論のテーマをすり替えないことです。

テーマをすり替える??
何をピント外れなことを書いているのだ。
あなたとの議論は、桐山さんの「三明という神通力によるカルマ解脱」なんて
嘘だという批判から始まった。
ここでカルマ解脱とは因縁解脱のことです。
なぜなら、桐山さんは、釈尊は因縁解脱してアラハンになったと主張しているからです。
この私の批判に対して、あなたは反論してきたのです。
私は、ペテン大作さんは信者なのだから、「神通力によるカルマ解脱が仏教の解脱」
という桐山説を信じた上で反論したものと思っていた。
だが、途中から、あなたは「なんだそれ」と言い出した。
だから、私はあなたに、因縁解脱を説明しなさい、と言ったのです。
信者なのだから、こういう質問をされたら、大喜びで説明をしなければならないのに、
あなたは何度質問されてもしない。
すり替えているのではなく、あなたが私に「なんだそれ」と疑問を示したから、
では、正しい因縁解脱とはどのようなものか説明してはどうかと言っているのです。
テーマと関係ないどころか、アゴン宗の重大なテーマであり、
私の説明を否定したのだから、あなたが説明するのは当たり前です。

452 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 23:12:32 ID:2KBxHCiq
>>435 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:41:15 ID:uObH1eS8
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。
>途中から議論のテーマをすり替えないことです。

ペテン大作さんのいう解脱が、因縁解脱なのか漏尽解脱なのか、
あなたははっきり述べていない。
学者の文献をいくら引用しても、あなたがどちらの意味で用いているか
わからないのでは、議論にならない。
どちらの意味に使っているのかわからないから、
>>432-442のあなたのたくさんの引用は無意味です。
たとえば、アゴン宗と仏教では応供の意味が違う。
梵行も法施も意味がまるで違います。
同様に、アゴン宗と仏教では解脱の定義か違う。
>>432-442にある解脱とは、因縁解脱のことか、それとも漏尽解脱のことか。
私はそれをはっきりさせるように要求しているのだから、
あなたとの今回の議論にも沿っており、このスレの主旨にも沿っている。

453 :樹意:2009/01/13(火) 23:14:31 ID:fBZNwqJ6
いまだ禅那に到達していない純観行者は、四種類の色法(業生、心生、時節生、食生)と欲界名法
(kaamaavacara-naama-dhamma)の無常、苦、無我の本質を覚知・照見する。色法についていえば、
実際に観禅の対象となるのは、十八種類の真実色であり、名法についていえば、純観行者の観禅の
対象は、ただ欲界の名法のみである。欲界の名法とは、六門心路過程、即ち眼門心路過程、耳門心路過程
・・・である。純観行者はいまだ禅那に到達していないので、禅那法の無常、苦、無我を覚知・照見する
ことはできない。そのため、彼らは、ただ色法と欲界名法の無常、苦、無我だけを覚知・照見する
ことになる。

純観行者はこれらの名法または色法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見することによって涅槃を証悟
することができる。そのとき、彼らの道智と果智は、やはり初禅法と呼ぶことができる。なぜであるか?
彼らの道智と果智の中には五禅支、即ち尋、伺、喜、楽、一境性が含まれているからである。
これは世間禅ではなく、出世間禅である。

454 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 23:16:16 ID:2KBxHCiq
>>435 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 16:41:15 ID:uObH1eS8
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。

たぶんペテン大作さんは25年以上の信者だと思うが、
その人が「アゴン宗の因縁解脱の話など知りません」とは、どういう意味?
昨今、入行したばかりの信者ではあるまいし、長年、ここでアゴン宗を
擁護してきたあなたが、今さら因縁解脱を知らないって、どういう意味なのですか。
知っていますよね?
知っているが、答えられないのです。
あなたの今の立場は前門の虎、後門の狼みたいなもので、うっかり答えたら、自滅する。
私の>>418の予測どおり、必死に>>432-442で引用を大量に羅列して、
私をあざ笑いながら、煙に巻こうという作戦でしょう?
間に一番重要な>>435を一つだけ入れて、前後を大量引用と罵りを並べることで、
批判側が見過ごすようにごまかそうとした。
ペテン大作さんらしい姑息な手法です。
だが、残念ながら、批判側はその手には乗らない。
あなたが一番レスをつけて欲しくない435にレスをつけた。
どうしますか。
質問に答えるか、それとも、>>443さんの言うように、議論をやめるか、
>>444さんの言うように、出ていくか、好きなほうを選んでいいですよ。

455 :樹意:2009/01/13(火) 23:18:44 ID:fBZNwqJ6
前スレより
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。

仏陀が説いた 滅道である八正道 正定 の中身というのは出世間禅那法である観禅〈ビバサナ〉
が入っているわけです。しかしながら 止禅〈世間禅〉のみの初禅〜四禅もあるわけで
止禅のみでは道智には達しない。
それと梵網経で仏陀が批判された、四禅をもって涅槃だという方々の描写もこれに近い描写と
なっています。
初禅〜四禅はおのおの五蓋煩悩に対応し定の間はとどめるものですが、定から出たなら煩悩が
出てくる。
ですから他の批判者の方々とは一線を引いたわけです。 私はこの風景は止禅の風景だと思って
います。ですが 沙門果経 他正定を説く経典を根拠に上げる限りは、初禅〜第四禅にて
解脱 〈四道〉を得ることにかわりないわけです。

さあ、Qさん改め大作さんよ、批判者たちを ウソツキ呼ばわりした罪をお詫びなさいな。 
www 



456 :樹意:2009/01/14(水) 00:36:55 ID:c7bLJBhj

Qさんのおかげで調べが進みましたので、ある意味感謝ではありますが、
おおよそ、経典の解釈程度のもので ウソツキ呼ばわりはいけない。
ウソツキというのは ゲイカのように 嘘八百で人様の時間その他盗ってしまうことを
いいます。
こういうのを霊感商法と批判し、世間様に害がある。
仮に経典解釈に間違いがあったとしても、世間様には害が無い。

結果からいくなら 罵った分Qさんが恥をかき、 また一段と信用を
貶としてしまったということになりましょう。



457 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 09:44:12 ID:tJoskueu
Qはこの先も一人芝居を続けるのかね?
おまいのつまらん芝居などもう誰も見たくないわい。
キリヤマに教わった芝居が出来んのならもうここで踊る必要なし。
とっと出て行け!

458 :樹意:2009/01/14(水) 12:34:13 ID:c7bLJBhj

Qさん改め大作さんへ、 私が引用したものにも突っ込みどころが一つあります。
常々私が書いてきたものでもありますから答えは 探せばみつかることでしょう。
突っ込めるのであれば突っ込んで御覧なさい。
といっても信憑性を持たせるには 私が持っている資料を書き込む必要があります。

こういう登頂するにかかとが先かつま先が先かなんていう議論は ゲイカのような
破戒団体、イベント業者を批判するにはなん等意味の無い議論です。
Qさんは常の如く 戒の指摘、ゲイカのウソ八百の指摘を無視されますが
戒清浄なしに定も慧もない。 

ただQさんのおかげで 正定 の正しい意味が浮かび上がったのは事実ですから
その点は感謝いたします。




459 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 12:35:47 ID:heKrJknS
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[977]如来の子孫 09/01/14 10:59 .QvT09SfYz
>ところが、ユビ元さん達の発想にはその中間が抜けてますね。
>六度行とは六人導き行のことだ、とくる。いかにも成果主義という
>か、単純すぎるね。「修行読本T」には千座行のことが詳しく解説
>されてますが、導き行のことは触れてないでしょ?
>初座、中座、満座、において、いかに煩悩・因縁を切っていくか、
>説いてます。

「修行読本T」は1978年に出た本です。
アゴン宗になる前の千座行時代から、初座、中座、満座のそれぞれで
最低一人、合計三人を導くことはすでに言われていました。
ただ、それが強くは言われていなかっただけです。
この本でも、導きを強く言っていないが、施としての「みささげ」「ご供養」を
強調し、これが阿含経で「三福業道」として説かれていると書いている。
三福業道は、もちろん、後に桐山さんが作りだした「三福道」のことです。
中身については十年後に、『末世成仏本尊経講義』で取り上げており、
簡単に言えば、導き、金を出すこと、労働奉仕のことです。
だから、「修行読本T」には文章として導きはないが、内容としてはあります。
しかも、「修行読本T」の事実上の更新版として出た旧『修行者座右宝鑑』には
はっきりと導きのことが書いてある。

460 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 12:39:38 ID:heKrJknS
「百日の内に、報恩の導きをなすべし。報恩の導きを済まぬうちは、ひとり立ちの
行者の資格はないものと知れ。
報恩の導きを済ませてはじめて一人前の修行者である。」
(旧『修行者座右宝鑑』232頁、1980年)

はっきりと初座で少なくとも一人導けと書いてあります。
この時期、あまり導きを強調する必要がなかったのは、
『変身の原理』が角川から出るなど、知名度が高くなり、
本だけで人が集まっていたからです。
80年代は、『守護霊を持て』の大ヒット、そしてチラシ配布と映画会を
セットにした大梵行という布教が始まって、個々人が導きをしなくても、
新しい信者が押しかけた時期です。
だから、個々の信者に導きを課行として出す必要もなかった。
ところが、80年代前半をピークに、潮が引いたように人が来なくなった。
そこで桐山さんが考えたのが、三人導きの課行で、達成者には
因縁を霊視してあげるというオマケ付きだったが、さしたる効果がなかった。
もう一つが仏舎利を買ったのを利用して、時間のかかる一日一座の勤行を廃止して、
布教と奉仕に切り替えたが、これも入行者数にはさほど効果がなかった。
80年代後半、信者は減り続けていた。
幸いというか、バブル経済で収入は逆に増えたから、
信者数の減少があまり表面にはでなかったのです。
信者獲得のために次に出したのが千座六度です。

461 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 12:45:23 ID:heKrJknS
「千座六度の行は、千座を初座、中座、満座に分け、各座で二人ずつ、
合わせて六人をお導きし、その過程で因縁解脱に必要な徳を積んでいく修行である。」
(『阿含宗報』51号、1991年、1頁)

千座六度の行について、子孫さんが言うような、導き以外のことについて
詳しく書いてある資料があれば、ぜひ紹介してほしい。
子孫さんはいかにも千座六度に深い教えがあるかのような書き方をしているが、
そんな説明はどこにあるのだろう。
上記の記述は、わざと導きの部分だけを引用したのではありません。
『阿含宗報』の一面トップの記事の、本文の最初に出てくる。
>>220でも引用したように、85%にまで増大した横変死の因縁に対応するために、
もっと導きをして徳を積まなければならないから、
導きの課行を増やしたとはっきりと桐山さんも述べている。
どう読んでも明瞭に「千座六度=6人導き」です。
他の意義など桐山さんはいっさい説明していません。
わかりやすく言えば、「勧誘して信者を増やせ」と言っているのです。
それは次の回答でも強調されている。

462 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 12:55:32 ID:heKrJknS
「だいたい六人の人を導けたならば、六十人だって導けるはずです。
ですから六人というのは、あくまでも一つの目安にすぎない。
六人導ける人だったら六十人だって導けないはずはないでしょう。
時間さえ許せば。」(『ダルマチャクラ』質疑応答集、39号、1992年)

これは、「六人導けなくても、赤房がほしい」という質問への桐山さんの答えです。
5頁に渡り回答があるが、内容は上記に代表されるように、導きの話だけです。
子孫さんの頭では、千座六度には何か深い教えがあるかのように思っているようだが、
5頁に渡る桐山さんの説明のどこにそれがあるのかぜひ教えてほしい。
そんなものありません。
上記の文章のように、とにかく6人と言わず、60人を連れて来い、
というのが、桐山さんの回答です。
当時を知る信者さんたちも同様の印象を持っていませんか。
千座六度だけを見るのではなく、十年、二十年の桐山さんの言動を
鳥瞰図的に見ると、彼の本音が見えてきます。

463 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 13:08:49 ID:heKrJknS
1985年 三人導き・・・3人
1991年 千座六度・・・6人
1996年 13救いの輪・・13人
1999年 地球が壊滅した!!??
2010年 地球は二度目の壊滅?

2000年以降、ふたたび千座六度が強調されるようになったらしいが、
ごらんのように、数字だけみると、
1→3→6→13
と、ノルマが右上がりにのびている。
信者さんたちはこれが地球壊滅の危機を表しているとまだ信じますか。
どう見ても、この数字は「桐山さんの欲望の指数」です。
桐山さんは、百万人規模の大教団にすることが目標だった。
百万人なら巨大教団であるだけでなく、政治的な影響力を持つことができる。
今の桐山さんは議員にお金を届けるほうだが、百万人規模になれば、
議員が票とお金欲しさに訪ねてくるようになる。
だから、桐山さんはなんとか百万人規模の教団が欲しかった。
80年代前半は勢いがあったが、中頃には萎んだので、
信者に導きをさせようと必死になった。
80年代後半には、本も一般人には売れなくなっていたし、チラシの効果もなくなった。
残る手段は、信者を脅かして導きをさせることです。
だから、横変死85%で信者を脅かして、6人導きをさせようとしたが、失敗。
そこに数字の得意な婿殿局長の「今の信者が一人あたり13人導けば、
信者数は百万人になる」という皮算用を採用したのが、13人救いの輪です。
受け皿も作らず、嘘デタラメの餌だけをまいて、信者を増やそうとしても無理です。
笛吹けど踊らずのままで、地球壊滅の年を迎えてしまった。
このように長期の桐山さんのやり方を検証すれば、
桐山さんは信者に導きをさせて徳を積ませるのが目的ではなく、
大教団にするという彼の欲望のために導きをさせていたのがよくわかる。
だから、桐山さんは外と内で顔を使い分けているのが次の事例です。

464 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 13:21:42 ID:heKrJknS
修正
>>463のノルマ一覧表に最初の一行が抜けていました。
次のようになっています。

1980年 旧『修行者座右宝鑑』・・・初座の1人
1985年 三人導き・・・3人
1991年 千座六度・・・6人
1996年 13救いの輪・・13人
1999年 地球が壊滅した!!??
2010年 地球は二度目の壊滅?

465 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 13:29:51 ID:heKrJknS
「・・・、解脱宝生行を完全に修行したとはいえません」(『仏陀の真実の教えを説く』19頁、2007年

これは一切事経の説明の一文です。
この文章の原文となった『ダルマチャクラ』のほうでは、

「・・・、千座六度の行を完全に修行したとはいえない」(30号、1991年)

と書いてあります。
千座六度の行をカットして、解脱宝生行に入れ替えたのです。
おかしくありませんか。
今でも千座六度の行は生きているはずです。
ところが、一般向けの本ではわざわざカットしている。
千座六度がわかりにくければ、脚注をつけて、「六人を勧誘すること」と説明すればいい。
ところが、解脱宝生行などと書いている。
つまり、外に対しては、勧誘をさせていることをはっきり示すと、
人が来ないから、見えないように、千座六度を消して解脱宝生行にしたのです。
桐山さんの狐のようなズルサに気が付きませんか。

466 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 13:33:54 ID:heKrJknS
「・・・、解脱宝生行を完全に修行したとはいえません」(『仏陀の真実の教えを説く』19頁、2007年
「・・・、千座六度の行を完全に修行したとはいえない」(30号、1991年)

本当に導きが大切なら、堂々と書けばいいことで、隠す必要などありません。
機関誌は信者用だから、千座六度の導きをさせるために、
阿含経の釈尊が説いたかのようにみせかけた。
だが、一般の本では、読者の拒絶反応をなくし、阿含経の講義であるかのように
見せかけて誘いこむために、千座六度を隠してみせた。
教団に取り込んでしまってから、千座六度を出して導きをさせる。
露骨だか、実に桐山さんの本音がわかりやすい。
桐山さんは信者の勧誘が積徳行で、それで解脱すると言っている。
だが、釈尊はそんなことは言っていません。
法を伝えることの重要性は説いている。
だが、それは伝えるだけで、その結果など問うていないし、
ましてや、その功徳で解脱するなんて説いていない。
信者さんたちは桐山さんの欲望の道具にいいようにこき使われ、
釈尊が説いていない「導きの積徳行による因縁解脱」を信じている。
信者さんたちが、イワシの頭を信仰するのは自由だが、ここに引用した資料を
普通の知性で検証し、桐山さんが何をしたいのか考えてみてください。

467 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/14(水) 16:54:01 ID:Nvel28Qy
間違っています

426 :樹意:2009/01/12(月) 18:50:21 ID:qTMMZPEC
ペテン大作さんが今まで批判側をウソツキと罵ってきた根拠が 
第四禅で解脱したしないの議論だったわけだが、 その発言を撤回した
のだったら今までの暴言も撤回するべきだろうな。
必ず撤回しろよな 大作さんよ。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が調べた結論は >>302-305 に示してある、八正道にある正定は
大念処経にあるように初禅〜第四禅 この欲界定止禅のバックボーンをベースに
観禅〈ビパサナ〉に入り阿羅漢道智を得るというものです。
ですから、初禅の段階で解脱する方もあればオーソドックスに第四禅から
観禅に入る方もいるというものです。
滅尽定は当然のことながら正定の範疇には説かれているわけでもありません。
もしかしたらQさんは私の論は採用しないといいつつ これを使って逃げに
入ったのかもしれませんね。 どうせどっちの立場にもつかないのだろうし。

あと、仏陀釈尊は一切智でありますが、三明に対応する阿羅漢 或いは
単に阿羅漢道智の方もいるとのことです。




468 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/14(水) 16:56:06 ID:Nvel28Qy
Majjhima Nikaya71を見てください。(英語のところ)

http://www.mettanet.org/tipitaka/2Sutta-Pitaka/2Majjhima-Nikaya/index.html
ちなみに
Majjhima Nikaya71は、
ヴィバサナ主義の団体では、外しや無理やり曲解した説明いるのをみかけます。

その他も間違っています。

樹意 ID:c7bLJBhj



469 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 17:03:17 ID:eRUqxFOs
ギャテイさん分かりやすい解説ありがとう

470 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/14(水) 17:16:24 ID:Nvel28Qy
霊査 きりやましのおじいさんは九州に・・・

471 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/14(水) 18:14:58 ID:Nvel28Qy
Majjhima Nikaya71を見てください。(英語のところ)

http://www.mettanet.org/tipitaka/2Sutta-Pitaka/2Majjhima-Nikaya/index.html
ちなみに
Majjhima Nikaya71は、
ヴィバサナ主義の団体では、外しや無理やり曲解したのをみかけます。

その他も間違っています。

樹意 ID:c7bLJBhj


472 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 22:16:13 ID:sGGUwO3S
すでに批判が敗北している件
樹意あさましい。

473 :ラシン:2009/01/14(水) 23:46:18 ID:x7e/We1J
>472 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 22:16:13 ID:sGGUwO3S
すでに批判が敗北している件
樹意あさましい。

樹意さんの提示された
>片山一良氏訳ディーガニカーヤ大篇大念処経 補注<
を理解できないようですね。
樹意さんの解説は、
四禅であり世間禅と出世間禅、四禅の種類重複と観行の道支、
各禅那に内在する五禅支故の涅槃の証悟の意義は、前提に有する
戒と梵行の必須条件が存在すること。
どこにも三明などが、解脱に介在することなどは出て来ません。
色法の無常、苦、無我の本質は煩悩の覚智であること、
道智と果智を導く戒行こそ四種色法と欲界名法という煩悩の滅と、
分かります。
これこそ釈尊の菩提樹下の四禅成道を裏付けるものです。
初禅から第四禅における観禅と止禅、ヴィパッサナーとサマタを
明解にし、止禅の四禅と観禅の違いを正定に基づいてよく解説されています。
この樹意さんのどこが、 あさましい(品性が卑しくさもしい下劣で見苦しく情けない)
のですか?

474 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/15(木) 00:01:11 ID:U/iJuxy0
>>469:神も仏も名無しさん :2009/01/14(水) 17:03:17 ID:eRUqxFOs
>ギャテイさん分かりやすい解説ありがとう

>>472:神も仏も名無しさん :2009/01/14(水) 22:16:13 ID:sGGUwO3S
>すでに批判が敗北している件
>樹意あさましい。

まさかこういうことを一言書くことによって、少しでも優位に立てると錯覚しているのではないでしょうかね?
私には寧ろ逆効果のあまりに悲しいお笑いに過ぎません。

>>470:羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 :2009/01/14(水) 17:16:24 ID:Nvel28Qy
>霊査 きりやましのおじいさんは九州に・・・

おっ!桐山さんのおじいさんの上意討ちは信州ではなく、九州で起きたことだったとか、ネタでも
つかみましたか?
それとも芝刈りに行ったとかいうオチでもあるのですか?
>>469さん、よくわかりましたか?

475 :樹意:2009/01/15(木) 00:21:56 ID:MgqiYc0n
 ガザ市で活動するノルウェー人医師が地元テレビに語ったところによると、軍は米国開発の
新兵器DIME(高密度不活性金属爆薬)を使った疑いがあるという。
DIMEは超高濃縮炭素に金属粒を詰めた兵器で、人体の表面をほとんど傷つけずに骨や内臓
を高温で焼いてしまう。殺傷力が高く、発がん性も強いとされる。

信者さんたちはこの現実から目をそらすべきではない。
ゲイカはことあるごとに世界平和 世界平和と唱え 焚き火を焚いてきたが、
現実世界動かすことができる金銭的な供与をした、その業をいうものを考えてほしい。
人が死ぬということは、扶養されている家族も迷惑するということです、戦災孤児がまた
沢山できる。 

残留孤児たちの養父母の為といいながら金銭を集め それが実際渡らず、結局は
宣伝費とシナ仏教界へ渡っただけという。過去もある。
他人の善意を利用して集めた金員が、結果孤児を生み出す資本となったのでは
これほどの悪業は無い。

武器に限らず 人と物が動く には金銭的な流れがある、信者さんたちは金銭的な計算を
することをゲイカによって拒否する教育を施されていますが、金銭の流れを観察する
癖をつけるべきです。 
何処へどう使ったか それが完全に把握できるなら それが現実を一番現すのです。



476 :神も仏も名無しさん :2009/01/15(木) 00:53:55 ID:e6h54EhU
>>469
>>472
負け犬の遠吠えにしか見えません。
違うのなら、何がどう批判側がおかしいのか、丁寧に
詳しく解説してください。

477 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 08:07:17 ID:Rm0yJ/pK
ギャアテイさんの教えてくれたリンクでわかる。
終了w終了w

478 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/15(木) 09:41:53 ID:l/eIhjZn
>>477
「桐山の本を読め。それですべて解る」と言ってるようなもんか。

479 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 11:13:39 ID:XqPdvITz
本と言えば
本のケースのデザインで横尾忠則さんのグラフィックアートがあったはず
空海の絵のアレ・・・
あの絵はどんな伝手で彼に描いてもらったのか?
桐山と横尾さんは今でもお付き合いがあるのでしょうか?
彼は70歳を過ぎてるよね。

480 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 11:36:54 ID:XqPdvITz
アレは「密教誕生」だった
けっこう難しい本だったが、小説として読むのが正解でしょう
角川書店の「仏教の思想1〜12」からのパクりがあったはず?

481 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 12:26:20 ID:Rm0yJ/pK
リンク先での71経典を読めば、
明白です。

482 :ラシン:2009/01/15(木) 13:02:49 ID:7dvrzuZv
>481リンク先での71経典を読めば、明白です。

あなたは、その71を理解できたようですから、
批判側の解釈に対して何が違い、樹意さんの示された解説を
どの部分で覆せているのか、明白というなら、ご教示してください。

483 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 13:39:05 ID:Rm0yJ/pK
>>ラシンさん
英語のところを開いてください。
原典も勉強の仕方のあるサイトでわくわくしています。

484 :ラシン:2009/01/15(木) 15:11:54 ID:N1O4376+
>英語のところを開いてください。
原典も勉強の仕方のあるサイトでわくわくしています。

ありがとうございます。
英語は不得手で自動翻訳で読んでいますが、少し難しいですね。

485 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:12:01 ID:nfCphLwg
ラシンとやら。
現実の世界に戻してやるよ。

486 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:12:46 ID:nfCphLwg
>>446 :ラシン:2009/01/13(火) 22:37:50 ID:G2XSybS7
>『すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。』
>アラハトがこの知恵を生み出したとの、七氏さんの先述されていた頂門の一針こそ、
>正鵠を得たご指摘、と判断できますので、

頂門の一針どころか、溺れる者は藁をも掴むですね。
自分に都合のよい文句だけを摘み出し、他は削除するという「ズル」はしないことです。
『覚者は、この知恵を生み出した』 という文句が「解脱→知恵」の根拠だそうだが
それではこの文句の前に出てくる「菩薩」はどうなったのだ?
こちらは都合が悪いから黙殺するわけか?

『菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。 』
『すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。』

この二つの文句の関係をわかり易く喩えると

「少年が得たものは金の鉱脈だった」
「億万長者は金の鉱脈を生み出した」

となります。
少年は金の鉱脈を得たことで億万長者になった。
それを「億万長者は金の鉱脈を生み出した」と言い換えた。
これと同じです。
菩薩は「第三の知恵を得た」ことで覚者になった。
それを「覚者は、この知恵を生み出した」と言い換えたのです。

487 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:13:55 ID:nfCphLwg
>>446 :ラシン:2009/01/13(火) 22:37:50 ID:G2XSybS7
>『すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。』
>アラハトがこの知恵を生み出したとの、七氏さんの先述されていた頂門の一針こそ、
>正鵠を得たご指摘、と判断できますので、

しかもこれは決定的なことだが、『覚者は、この知恵を生み出した』
に相当する文句は実は『沙門果経』には出てこないのです。
沙門果経では比丘が認識を得て解脱して、
その後に「さとりの定型句」が出たところで終わりです。
だから「覚者は、この知恵を生み出した」に執着して
これを「解脱→知恵」の根拠にすることはできないのです。
しかも菩薩は「第三の知恵を得た」以外に四箇所も出ている。
これではどう考えたって「解脱→知恵」なんて結論は出てこない。
あなたは「菩薩」が計五ヵ所も出ていることについて何と説明するんだ?
あなたのやっていることは都合のよい文句だけを取り出して
「解脱→知恵」だと言っているに過ぎない。
その溺れる者の哀れさには擁護側の涙すら誘います。

488 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:16:03 ID:Q6AEZOr3
最近の桐山はボケが進んで詐欺本も書けんのか
阿含経講義Uはどうなったの?

489 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:24:56 ID:nfCphLwg
>>447 :樹意:2009/01/13(火) 22:47:05 ID:fBZNwqJ6
>ほんじゃ トドメをさしてあげますかね。
>>448 :樹意:2009/01/13(火) 22:50:50 ID:fBZNwqJ6
>Q氏改めペテン大作さんがあまりにうるさいので、キチンと引用ご説明いたします。
>>449 :樹意:2009/01/13(火) 22:56:03 ID:fBZNwqJ6
>樹意注 九出世間法〈四道・四果・涅槃〉 これは387p 他 あっちこっち書いてある。
>>450 :樹意:2009/01/13(火) 23:05:16 ID:fBZNwqJ6
>以前引用しましたが 片山氏だけの説明だけでは理解が厳しいので 旧セヤドーHPより

これがトドメだそうです。
入院患者が病院を抜け出してフラフラされては困りますな。
第四禅の説明など持ち出したところで批判側の一部は嘘つきには変わりません。
何が嘘つきなのかまだ理解していないようですね。

>>163
>七氏やユビキタスは「解脱→三明」を言いたいために
>瞑想する比丘を解脱者に仕立て上げその解脱者が三明を確認している、
>という風に仏典の意味を作り変えてしまった。
>本当に悪質で許されない行為をしたのです。

嘘つきの意味がわかりましたか?

490 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:27:46 ID:nfCphLwg


>545 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:08:58 ID:pPIfFGHw
>瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
>すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
>今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。

ベックは「瞑想者がこのようにして解脱すると・・・」と書いている。
彼はここで比丘が解脱したと解釈しているのです。
九八節に入る前に比丘は解脱してここで解脱を確認しているのではない。
彼の解釈が正しいことはこの後、さとりの定型句が続くことでわかる。
「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」
この文句は解脱直後のブッダの言葉として仏教書にも紹介されています。

そしてバローの方は>>438>>439>>440に書いたとおり
『菩薩は三段階からなる目覚めを構成する三つの知恵を、順を追って獲得した。』
『菩薩は数々の前世の認識をみずからまのあたりに見た。』
『菩薩は生きとし生けるものの生と死を知った。』
『菩薩は数々の不純なものを涸らしつくす認識を得た。』
『菩薩は第三の知恵を得た』
と書いている。

これがバローの解釈です。
これのどこから「解脱した比丘が解脱を確認した」
という意味が出てくるんだ?
ベックもバローも「心を統一され・・・」の文句
を解脱だとは解釈していない。
それを解脱だと言い張るから嘘つきです。

491 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:30:21 ID:nfCphLwg
>>444 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/13(火) 20:06:14 ID:JRvoVxYD
>出て行けよ。

反論できないから出て行けとしか言えなのです。

492 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:35:39 ID:nfCphLwg
>>164>>168で引用したレスは全部嘘です。
さあ閻魔に舌を抜かれぬうちに謝りなさい。
これで忠告するのは四度目です。
人間誰しも間違いはするものです。
それを認めても決して恥ずかしいことではありません。
さあ、嘘つきさんたち、
勇気を出してください。

493 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/15(木) 17:36:43 ID:l/eIhjZn
>>491
勝手に都合の悪いところ切り取るなよ。




444 名前:私文書為造 ◆iCtd3oCMyM 投稿日:2009/01/13(火) 20:06:14 JRvoVxYD
>>435
>私はアゴン宗の因縁解脱の話など知りません。

出て行けよ。

494 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/15(木) 17:39:01 ID:l/eIhjZn
>>492
>>164>>168で引用したレスは全部嘘です。

その>>164-168のウソがどのように人を騙して財物や労力・時間をくすねるのか理解できんが、
とりあえず今までにそんな目にあった人は居ない。

人の財物や労力・時間を泥棒した桐山をどうして信用するの?

495 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/15(木) 17:40:43 ID:l/eIhjZn
>>492
>人間誰しも間違いはするものです。
>それを認めても決して恥ずかしいことではありません。

それは先ず桐山に言えよ。
「犯罪行為・経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

496 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/15(木) 17:43:33 ID:l/eIhjZn
>>492
>さあ、嘘つきさんたち、
>勇気を出してください。

おまえこそ勇気出して九識を霊魂とする根拠を質問状宗務局に出しにいけよ。

497 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 18:20:13 ID:PEScku8N
Qよ、つまらん猿芝居はもう止めろ。
他流の参考書ばかり書き写してなんになる? もっと桐山流で見事に舞ってみろ。
正面から「因縁解脱の舞」を踊ってみせろよ。
そんな踊りじゃ「ひょっとこ踊り」にも負けてるわ。
つまらんのだよ、おまいの踊りは。
見るに耐えない踊りだ、酒がまずくなる。
あ〜いやだね。

498 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 19:14:46 ID:r4/qQ69h
初期仏教の釈尊の教えより

阿含経より

世尊説法又有上者。謂識入胎。入胎者。・・・・・・

499 :ラシン:2009/01/15(木) 19:15:16 ID:7dvrzuZv
>436
それではこの文句の前に出てくる「菩薩」はどうなったのだ?
こちらは都合が悪いから黙殺するわけか?

『菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。 』
『すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。』

修行者"菩薩"が、得たものは、いわゆる第三の知恵(漏尽智)と呼ばれる。
アラハトは、この漏尽智を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。
"無碍の認識を得た"とは、どういう意味か分かりませんか?
何の障害も無い解脱したという認識を得た、つまり漏尽智を得たということです。
上記両文のどこにも解脱したとは表現されていず、解脱以降の話です。
(受験生は既に試験で合格を果たし)
その受験生が合格発表を見たゆえに、合格者という認識を得た。
ここで言う受験生は、すでに合格者です。
同様に、菩薩は主語であり、第三人称だと先述しています。
応説経でも漏尽解脱を得た比丘を彼の比丘と言い表しているのと同じですよ。
Qさんの主語が菩薩だからいまだ解脱者ではないという判断は間違いです。

>「少年が得たものは金の鉱脈だった」
「億万長者は金の鉱脈を生み出した」

やめたほうがいい、たとえが、国語的にまったく成立していません。
「億万長者は金の鉱脈を生み出した」なんて誰も理解できない文章ですね。

>しかもこれは決定的なことだが、『覚者は、この知恵を生み出した』
に相当する文句は実は『沙門果経』には出てこないのです。

私は、Qさんあなたが提示した文章を普通に読解したに過ぎない。
ましてや、ご指摘の比丘は、何の認識を得て解脱したのです?

500 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:03:53 ID:h8O2WG5t
桐山さんにとって、最後の星まつりになるかもしれないなぁ。

501 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:20:00 ID:2Z/buuLC
>>489 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:24:56 ID:nfCphLwg
>嘘つきの意味がわかりましたか?

あなたは今、前後を虎と狼に道をふさがれている、と私は格好よく描写して
あげたが、実際は、前と後ろにあなたが掘った穴があるだけです。
因縁解脱を信じていると言ったら、今までの学者の引用は全滅だし、
かといって、因縁解脱を否定したら、アゴン宗の信仰は成り立たない。
学者の本を錦の御旗にして、意気揚々と私を二ヶ月近くも攻撃したつもりで、
結果は、自分で掘った穴に前後をふさがれて立ち往生。
これが今のペテン大作さんの姿です。

502 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:23:11 ID:2Z/buuLC
>>489 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:24:56 ID:nfCphLwg
>嘘つきの意味がわかりましたか?

私はあなたが「オシャカは因縁解脱を説いた」という説を
いつもの詭弁で書かないだけ、まだあなたは正常だと思っている・・これ皮肉ではなく、
ほんとうに誉めているのです。
ザでは、説教老人が何をどう説明されようが、釈尊は因縁解脱を説いたとして譲らない。
彼がザに登場した最初の頃に、桐山さんの本を根拠として出したから、私が反論した。
桐山さんすらも阿含経に因縁解脱があるという証明ができず、
適当に縁起の法を持ち出してごまかしていた。
教祖ですら説明できないのに、信者に説明ができるはずがない。
だが、そんなことは説教老人はきれいに忘れている。
他に、一修行者さんも釈尊が因縁解脱を説いたという説です。
一修行者さんは、実は釈尊が因縁解脱など説いていないことに読んで知って、
最初は因縁解脱を説いたと肯定せずに、他の手法でごまかそうとして、
私からシッポをつかまれた。
選択を迫られて、どっちの道を選ぶかと見ていたら、因縁解脱を説いたという説を選択した。
つまり、一修行者さんは釈尊ではなく、桐山さんを選択した。
これは一修行者さんがこれまで何を信仰してきたかをよく表している。

503 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:26:25 ID:2Z/buuLC
>>489 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:24:56 ID:nfCphLwg
>嘘つきの意味がわかりましたか?

信者たちが釈尊と桐山さんとどちらを選択するだろうと
いつも私は興味深く見ている。
同じアゴン宗の信者といっても、その信仰の中身は人それぞれです。
ましてや、ここはお互いに顔が見えないのだから、なおさらわからない。
こういう究極の選択を迫られた時、どう反応するかを見れば、
その人の信仰心がよくわかる。
桐山さんの山のような嘘をいくら示されても、なんともない人。
「嘘をつかない」は基本的な仏教の戒律の一つなのに、
解脱者である桐山ゲイカの説いた事のほとんどが嘘だとわかっても、
ショックを受ける様子もなく、あなたや説教老人のように
開き直りの屁理屈を並べる人たちがいる。
これがあなた方がこれまでどんな心で何を信仰してきたかをよく表している。
口先では釈尊を信仰しているかのように言っているが、
実際は欲望や執着や依存で信仰しているにすぎない。
だから、あなたも嘘だらけのアゴン宗が平気なのです。

504 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:31:07 ID:2Z/buuLC
>>489 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:24:56 ID:nfCphLwg
>嘘つきの意味がわかりましたか?

私は信者時代すら、アゴン宗の嘘、矛盾がいやだった。
ペテン大作さんと違い、人並みの羞恥心があるからです。
世間では、新興宗教を信じている連中は、教祖に簡単に騙されるほどオツムが弱く、
何かに頼らないといられないほど精神も弱く、
あるいは、神仏に何事がねだるような欲深い人間だと思われている。
私は、「いや、アゴン宗は、偽経典を信じる伝統仏教とは違いますよ。
釈尊直説の阿含経を護持し・・・」と正論を言いたかった。
だが、アゴン宗の教義は、あれも嘘、これも嘘、え?それも嘘!と
時間がたてばたつほど嘘がばれてくるし、普段の桐山さんの法話にも
丁寧に聞いていると前と違うことや、明らかな嘘がよく混じる。
宗教なんだから100%を理屈で説明できるなんて思っていないが、
桐山さんが理屈で説明している部分までが嘘だとなると話にならない。
最初、私は桐山ゲイカを擁護して言い訳を考えていたが、途中でやめた。
なぜなら、そんな矛盾したことを信じて擁護したら、
オツムと精神が脆弱すぎて批判精神すらも失ったシンコー宗教の
依存信者だと認めることになるからです。
それでも今に比べたら、当時の私は桐山さんの嘘のほんの一部しか知らなかった。
だが、ペテン大作さんはもっと大量の桐山さんの嘘を目の前にしても
なんともないんでしょう?
桐山さんの嘘に嫌悪どころか、好ましいのでしょう?


505 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:34:27 ID:2Z/buuLC
>>492 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 17:35:39 ID:nfCphLwg
>さあ、嘘つきさんたち、

あなたが信じているアゴン宗では、釈尊が因縁解脱を説いたなんて大嘘をついている。
本尊は真正仏舎利だというが、実は誰も発掘したことかない正真正銘の偽仏舎利。
依経とする三供養品の三福道などは桐山さんの捏造。
桐山さん本人は僧侶の資格すらなく、しかも、偽大僧正、偽阿闍梨。
つまり、アゴン宗は仏法僧の三宝偽物。
教祖が密教食事件で有罪になり、脳梗塞になり、夫人はガンで死んだのだから、
夫婦そろって、因縁解脱なんて真っ赤な嘘であることを立証した。
霊障の根拠としての十八人の霊障武士もソンディの生まれ変わりも真っ赤な嘘。
霊障のカルマによる地球壊滅の話も嘘。
超能力は手品の念力護摩に、天気予報を使ったモンゴルの奇蹟。
今では雪駄もはけない桐山さんに超能力などあろうはずもなく、
能力開発した人は皆無だから、これも嘘。
つまり、桐山さんが宗教家として作りだした因縁解脱、霊障解脱、超能力開発は全部嘘。
他にも学歴詐称だの、他の宗教家からのパクリだのと桐山さんの嘘つきぶりには事欠かない。
結局、桐山さんの作りだしたアゴン宗とはほぼすべてが嘘です。
そして、ペテン大作さんはそこの信者です。
これらの嘘を知る前の信者ならともかく、あなたは知ってから戻った。
嘘宗教の総本山にいる嘘つき宗教家の桐山ゲイカの信者であるあなたが
どのツラさげて「嘘つきさんたち」なんて言えるのですか。
もちろん、理由は知っています。
恥知らずだからです。

506 :神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 22:40:35 ID:2Z/buuLC
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』7頁
「わたくしは、少なくとも宗教家だけはこの世の中がどんなに悪くなっても、
真実をいわなければいけないと考えております。」
「その宗教家が嘘であることを重々承知の上で、信者に真実ではないことを
真実であるかのように説教する。これは絶対に許されないことです。」

この桐山さんの厚かましいこと、恥知らずぶりを見て下さい。
ペテン大作さんを見るたびに厚かましさ、図々しさにあきれるのだが、
そのあなたでも桐山さんの厚顔無恥をこえることはできない。
アゴン宗の教義のほとんどが嘘デタラメでも、「真実をいわなければいけない」そうです。
解脱の定義からして嘘を信者に教え続けて半世紀。
自分がしたことは見ようともせず、「これは絶対に許されないことです」。
まるで、麻原彰晃が「命を救おう」とか、今のイスラエルが
「平和が大切だ」と他人にお説教しているような光景です。
上記の桐山さんの姿と「さあ、嘘つきさんたち、」というペテン大作さんの姿は、
規模が違うだけで、同じです。
自分の嘘や矛盾はどこ吹く風で、鉄面皮で他人にお説教を始める。
あなたやザの説教老人をみるたびに、世の中には桐山さんと同じで、
口先と違い、実際は嘘が大好物な人たちがいることを勉強させられます。

507 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:06:35 ID:r4/qQ69h
阿含経の釈尊の説法

「阿那含」が四禅における四神足によっての
種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。

阿那含は五つの天
 
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙

無明


508 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:07:24 ID:r4/qQ69h
一心修習神通智證

一心修習證天耳智

一心修習證他心智

一心修習宿命智證

無明永滅大明法生

闇冥消滅光曜法生

一心修習見生死智證

見生死智證

斷除無明生於慧明

捨離闇冥出智慧光

一心修習無漏智證

心得解脱得解脱智

斷除無明生於慧明

捨離闇冥出大智光

無漏智明


509 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:13:06 ID:r4/qQ69h
釈尊の切り開いた道
初期仏教の釈尊の教え
阿含経より

そして、
色界の四禅から
無色界の定へと
すぐには移行しないで、
森の瞑想をおこないます。

510 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:21:58 ID:r4/qQ69h
おさらい
ここで思い出しましょう。

此れあれば彼れあ、
これ生ずれば
かれ生ず
此れなければ
彼れなし
これ滅 すれば
かれ滅す

511 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:24:35 ID:r4/qQ69h
此れあれば彼れあり
これ生ずれば
かれ生ず
此れなければ
彼れなし
これ滅 すれば
かれ滅す

この瞑想が成立できる状態像が必要なのです。


512 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:38:56 ID:r4/qQ69h
〇修行者よ、生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざる
もの、構成力から生じたのではないものは存在する。もし、このよう
な生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざるものが存在しなかった
とすれば、生まれたもの、形成されたもの、造りだされたもの、構成力から生
じたものから脱出することは、けっして考えられなかったことであろう

〇修行者よ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。汝らに告げ
るが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、留まることもなく、死去
することもなく、転生することもなく、よりどころもなく、発展もなく、支え
もない。それが苦悩の終わりである
○比丘たち、物質的存在の領域より物質的存在のない領域はすぐれ、
それより消滅、すなわちさとりの領域はすぐれている
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
物質的存在の領域に達した者と、物質的存在のない領域にとどまる者とは、
さとりの領域を知らず、再び迷いの生存に行く。
物質的存在の領域を知り尽くして、物質的存在のない領域によくとどまり、
さとりの領域で完全に精神的自由を得た人々は、死を捨てた者である。
煩悩がなくなり、正しく目ざめたほとけは、身をもって不死の領域に触れ、
執着のもととなるこの心身を離れ、執着のよりどころを離れたことを明らかにし、
愁いのない、けがれを離れた道を説く


513 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:41:16 ID:r4/qQ69h
○たしかに次のことを世尊は説かれた、
尊ぶべきお方が説かれた、と私は聞いている。
「比丘たち、これら三つの眼がある。三つとは何か。
肉眼、超人的な眼、智慧の眼である。
比丘たち、これらは、まことに、三つの眼である」
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
肉眼、超人的な眼、最高の智慧の眼、これらは三つの眼を、
すぐれた人は説かれた。肉眼はやがて超人的な眼の生ずる道であり、
☆“その眼によって智慧が生じた。”
智慧の眼は最高である。その眼を得ることによって、
すべての苦しみから自由になる。このことをもまた世尊は説かれた


514 :樹意:2009/01/16(金) 04:45:40 ID:vE7wFG7/
>>489
> 第四禅の説明など持ち出したところで批判側の一部は嘘つきには変わりません。

>>431
> >>426 :樹意:2009/01/12(月) 18:50:21 ID:qTMMZPEC
> >ペテン大作さんが今まで批判側をウソツキと罵ってきた根拠が 
> >第四禅で解脱したしないの議論だったわけだが、 その発言を撤回した
> >のだったら今までの暴言も撤回するべきだろうな。
> >必ず撤回しろよな 大作さんよ。
> ↓
>>432 神も仏も名無しさん 2009/01/13(火) 16:21:58 ID:uObH1eS8
> 君等は勘違いしてるようだね。
> 第四禅では解脱していませんよ。
> だから三明の前で解脱はしていないのです。

>  >第四禅では解脱していない。
> >これは削除させていただきます。
> は撤回しましょう。

調べもせずただ開き直っただけのようですね。 
私の 「正定」の説明は次の通り (>>448 >>449 >>450 >>453 >>455
恥を知らないというのは 便利な機能がついた頭と云えよう。
場所柄も弁えず、恥も知らない。 

515 :樹意:2009/01/16(金) 04:58:31 ID:vE7wFG7/
>>489
> 第四禅の説明など持ち出したところで批判側の一部は嘘つきには変わりません。

大作さんは今まで批判者の方々を ウソつきであると罵ってきた、私は根拠を添えて
反論したわけですから 根拠には根拠を添えた反論をした上でないと ウソツキ呼ばわりは
できないこととなる。 故にペテン大作さんのとるべき道は お詫びするか根拠を
添えた反論の後、これこれこういう理由で この文章はおかしいのではないか。?
という論調をとらないといけない。

私は反論のヒントを出して、調べることも促している。キチンと調べるならば、
反論をしてROM者の方々をケムにまくこともできたでありましょう。
それに対しても私は反論を用意している。
ちなみに私が参考資料として出している片山氏の本は一冊1万前後でありますから
全巻そろえるとなると楽しいことになるのではないでしょうか。 www
これとセヤドー解説はほぼ一致したものとなっているようです、阿含経というのは
正定の業処の解説でありまして、なんといいますか 凄い の感があります。
ゲイカのものは なんといいますか ○ミ レベルのものでしかありません。
それは各自調べるなら判別のつくしろものです。

516 :樹意:2009/01/16(金) 05:51:47 ID:vE7wFG7/
>>514
>>515
撤回しておきます、 いつものベックの引用ですが 調べもせずと書くには表現が芳しくない。

私の 正定の説明は (>>448 >>449 >>450 >>453 >>455
正定で解脱し 何故に正定とよばれるかというと 止禅と観禅 (ビバサナ) 双修だからです。
要は観禅にて 出世間禅を修し、道智を得るということです。

>>99 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:25:03 ID:mvII+9BE
>あなたが今回引用した>>52-53の文章でも、今まで引用した学者の解説でも
>どこに「三明で解脱する」「滅尽定で解脱する」とあるのだ?
>あなたの解釈ではなく、「三明で解脱する」「滅尽定で解脱する」と
>書いてある文章を出してみなさい。

Qさんはスレの趣旨に則り キチンとこれに答えて下さい。

私の方の見解は引用した通りです。 (>>448 >>449 >>450 >>453 >>455

占いをして ゴマを焚いて
収益事業をする この教団がその解脱やら 沙門果があるという 根拠も出してください。
偽仏舎利で信者を騙す行為に関しても キチンと答えて下さい。


517 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 07:47:15 ID:rOjN1vtR
樹意は本当あさましいね。負け犬w

518 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 08:37:42 ID:r7Ze6EMt
会員の皆さん、定額給付金が出ても偽仏舎利・偽僧侶・幹部のオバサンに貢ぐのはいけません。仏教辞典と阿含経の解説書(桐山本はダメょ)を買いましょう。

519 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/16(金) 08:45:59 ID:vxRJN+3t
>>517
↑理由を一切言わずに人格攻撃してるのが阿含宗の姿です。

520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V
http://takusen2.seesaa.net/article/112679068.html

521 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:02:39 ID:rOjN1vtR
必死な負け犬w樹意はあさましい。


522 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:33:47 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

信者さんたちはブログを読んで、情けないと思わないか。
520さんは、この記事を誇りたいらしいが、私は信者時代から、
その感覚は理解できなかった。
世俗的なことをして、何になるのだ?
世俗的な面で有名になるのがそんなにうれしいか。
信者さんたちはそんなことをするために信仰をしているのですか。
アゴン宗の総本殿が囲碁というゲーム(囲碁をバカにしているのではありません)
の会場に使われ、そこに来た客はただ立派な建物と庭に感心するだけ。
これでは京都にある伝統仏教の観光寺院と同じです。
本来なら、そこに真の仏教を行じる修行者たちがたくさんいて、
来た人たちが、その修行する姿に感心し、
「ここではどんな信仰をしているのですか」と質問するはずなのに、
ブログの主はまったく関心を示していない。
ただの立派な建物と庭のある京都のお寺でしかない。
信者さんたちはこんなふうに世俗的に有名になることを目指して信仰をしているのですか。

523 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:38:00 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

釈尊の二大弟子の一人サーリプッタは、托鉢する比丘の立ち振る舞いを見て、
ただ者ではないと、後で声をかけて、釈尊に帰依した。
比丘は自分の立ち振る舞いに煩悩の出ることを常に監視していたから、
普通の人とは様子が違うのです。
仏教では瞑想も托鉢も同じです。
精舎に王様が行くと、たくさんの比丘たちがいるのに、あまりに静かなのを見て、
自分を暗殺しようとしているのかと疑った程だったという。
一方、アゴン宗はどうでしょう。
建物や庭はご立派だが、そこで熱心に修行する信者もおらず、
していることは仏教では禁止されているゲームです。
どんなに知的なものでも、仏教では囲碁のようなゲームは禁止です。
在家信者が個々人でやるのは勝手だが、釈迦仏教では出家のいる教団が
主催して囲碁をするなんてありえない。
異様な光景です。
アゴン宗はこんなふうに根本仏教を名乗り、阿含経を依経とすると言いながら、
釈尊が禁止した基本的なことを守らないばかりか、
むしろ、それを売り物にしている。
護摩、占い、囲碁など、隠れてこっそりやっているのではなく、
最大の売り物にしている。
護摩も占いも囲碁も、釈尊は禁止したのです。
それを出家を自称する桐山さんは積極的に売り物にしている。
こういう現実に信者さんたちは矛盾を感じないのだろうか。

524 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:42:53 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

アゴン宗の教義からいってもおかしい。
三福道の教義からいっても、信者さんたちの仏様への供養は、
仏の教法を広めることに使われて初めて功徳となるのです。
オシャカ本人がお金を受け取ったのではなく、真の仏教を広めるという
オシャカの仕事に使われるから、それが功徳となるのです。
だが、囲碁に金を出すことがどうして真の仏教を広めたことになるのだ?
桐山さんは仏教文明とか社会活動などと大袈裟な標語を使っているが、
囲碁は仏教とは関係がない。
事実、ブログの主の反応を見ても、アゴン宗の教法などにはなんの関心も寄せていない。
多くの人たちは、桐山さんをお金持ちの囲碁のパトロンとしかみなしていない。
こういう社会活動は俗人たちの活動と何も変わりない。
囲碁に金を出し、中国に小学校を建て、スリランカに奨学金を作るなら、
アゴン宗でなくても、世俗の団体は他にもある。
先方はアゴン宗を金持ちのパトロンとしか見ていません。
全然、真の仏教を広めることにならない。
事実、囲碁の関係者、中国の小学校関係者、スリランカ人で
アゴン宗の教法を受け入れたなんて話は皆無です。
つまり、信者さんたちの出した金は仏の教法を広めることに
使われていないのだから、功徳になりません。

525 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:47:01 ID:jqaqw0/d
信者のお金が囲碁のトーナメント戦の賞金に消えていくのに
喜んでいてどうするの?
なさけないね〜
もう完全に逝かれているよ。

526 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:48:08 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

桐山さんが囲碁を売り物にしている理由ははっきりしている。
一つは彼の趣味であるのと、もう一つは囲碁に資金を出すことで
自分の知名度を高めることです。
だから、「桐山杯」などと自分の名前を付けている。
囲碁は日本の文化でもあるから、そこに金を出すことで
文化人の仲間入りをしたつもりです。
簡単にわかりやすく言えば、「売名行為」です。
桐山さんのこの種の行為は昔から一貫していて、わかりやすい。
「エラクなりたい」のです。
だから、名誉や勲章をたくさん欲しがる。
仏教や阿含経なんてエラクなるための道具にすぎないから、
護摩や囲碁の禁止事項でも気にしない。
桐山さんはエラクなりたいだけだからいいとして、問題は信者さんたちです。

527 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:51:27 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

お金は信者さんたちの懐から出ている。
あなた方が仏様への供養だと思って出したお金は、仏様の仕事のためではなく、
桐山さんの遊興と売名のために使われているだけです。
釈尊の名前を使い、禁止された護摩や囲碁に使われている。
釈尊は供養に功徳など返さないが、今、仮に釈尊が供養に功徳を返すとして、
禁止したことをしている信者さんたちに功徳を返してくれると思うか。
釈尊が禁止した護摩を最大の売り物にして、禁止した囲碁に金を出して、
それで釈尊が信者さんたちに徳を授けてくれると思うか。
三福道では、如来と法と聖衆に功徳を積むことになっている。
だが、如来と法と聖衆が禁止した護摩や囲碁に金や労力を出して、
それで功徳を授けてくれるはずがない。
アゴン宗の教義においてすら矛盾しているのです。

528 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:54:56 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

信者さんたちの出しているお金がただ桐山さんの遊興や売名に
使われるだけなら、実はあまり大した問題ではない。
それだけでは済まないのが今回のイスラエル護摩です。
信者さんたちの出した金が直接イスラエルの政治家に渡っており、
その政治家たちがパレスチナ人を殺している。
子供を含む千人以上も殺戮された。
パレスチナ人たちは逃げることもできず、食糧、電気、水、医薬品もなく、
爆撃や地上部隊に殺されるのを待つしかない。
自分がその立場なら、想像するだけでもゾッとする。
信者さんたちはこの殺戮に間接的にお金を出してしまった。
これは今までの海外での柴燈護摩とは決定的に違う点です。

529 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 12:58:28 ID:6LwYU9p9
>520 :阿含桐山杯よ永遠に:2009/01/16(金) 09:02:01 ID:ns7FLP9V

信者さんたちが護摩木で仏に供養したつもりで出した金は
回り回って、パレスチナ人を殺した一発の弾になった。
あなた方にそんな気がないのは、私は元信者だから良く知っている。
だが、信者にその気がなくても、教団はイスラエルに金を渡した。
もはや、そんな気はなかった、知らなかったでは済まされないのです。
桐山さんは自分の野望のためなら、パレスチナがどうなろうが気にしない。
むしろ、他人の不幸は蜜の味で、もっと霊障で人々を脅かすでしょう。
だが、信者さんたちは本当にそれでいいのか。
あなたが供養のつもりで出した護摩木一本は、釈尊が禁止した護摩や
遊興に使われるだけでなく、殺戮にまで間接的に手を貸してしまったのですよ。
桐山さんは売名行為のためにも、今後も同じようなことをする。
今、信者さんたちは星まつりに向けて、護摩木などに金を出している。
そのお金は桐山さんの欲望のために使われる世俗的なお金にすぎないから、
今回と同様に、人々に幸不幸の両方をもたらす。
そこで積んだ悪業は、桐山さんが受け取るだけでなく、
信者さんたちも受け取る。
信者さんたちは先祖の積んだ悪業が子孫に不幸をもたらし、
また運命の反復を信じている。
ならば、あなた方の子孫は今のパレスチナ人と同じ目に遭うことになる。
あるいは、信者さんたちは輪廻転生を信じているのだから、
あなた自身が、次はパレスチナ人のような立場に生まれ変わることになる。
釈尊を裏切り、自分と子孫を不幸にしてまで、ただの焚き火をしたいのですか。

530 :ラシン:2009/01/16(金) 17:13:59 ID:NEYe9OTO
>513 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/15(木) 23:41:16 ID:r4/qQ69h
肉眼、超人的な眼、最高の智慧の眼、これらは三つの眼を、
すぐれた人は説かれた。肉眼はやがて超人的な眼の生ずる道であり、
☆“その眼によって智慧が生じた。”
智慧の眼は最高である。その眼を得ることによって、
すべての苦しみから自由になる。このことをもまた世尊は説かれた

羯諦さんは良い例示をしてくれました。
ただし、羯諦さんの示された最高の智慧を三明に当てはめることは出来ません。
釈尊の法は智慧の仏教と言われていますが、その智慧とは遍智であり、遍智とは文字通り
「あまねく知る」ことで、四諦の道理を”無漏”の智によって知ることです。
スマナサーラ長老の解説によれば、それは執着の無い智慧を超越した智慧で、
ありのままを見ると解脱が起こると言われています。
この智慧は、神通力の類ではない悟りを得る無心で、ありのままを見る智慧との意味ですから、
遍智と言われます。


531 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 17:27:38 ID:Td+WE5n+
まちがっています 

530 :ラシン:2009/01/16(金) 17:13:59 ID:NEYe9OTO


532 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 17:29:57 ID:Td+WE5n+
間違っています

樹意

論外に間違っています

ID:6LwYU9p9

533 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 17:33:58 ID:Td+WE5n+
肉眼、超人的な眼、最高の智慧の眼、これらは三つの眼を、
すぐれた人は説かれた。肉眼はやがて超人的な眼の生ずる道であり、
☆“その眼によって智慧が生じた。”
智慧の眼は最高である。その眼を得ることによって、
すべての苦しみから自由になる。このことをもまた世尊は説かれた

超人的な眼=六神通〜三明

534 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 18:29:05 ID:r7Ze6EMt
桐山さんが亡くなれば会員数はさらに激減。囲碁オープン戦のスポンサーも辞めざるをえないな。

535 :樹意:2009/01/16(金) 20:40:20 ID:vE7wFG7/
アナゴンでも修する滅尽定で解脱するというのは完全に論破されたことですが
そもそも
三明で解脱するというがこれは Qさんがゲイカが説いた神通力で解脱するという
論拠にしたいが為に出している。であれば議論の前提条件がまるっきり違うことになり、
アゴンの因縁解脱の論拠となるならこれまた前提条件が違うということになる。
《月でウサギが餅つく件なんだが、ウサギの種類はなんだろうね。》
この点をはっきりさせないで議論するなら 月にウサギがいることを前提にして
(つまりは認めた状態で議論が進む )
こういうのは論点先取のインチキになる。 《アホダラ氏》がよく批判していた議論の手法です。
つまりQさんは常の如く自分の主張における立場をあきらかにしていない。
片方は単なるウサギさんの議論という前提で話を進め 最後に月に生息するウサギの話
だったなんてのは 議論を根底からひっくり返す サブマリン特許みたいなものです。

ただ智慧の議論だけだったらスレ違いで、この板にはそぐわない。
他の方たちが出て行けと云うのは至極当然のことでしょう。

536 :樹意:2009/01/16(金) 20:43:12 ID:vE7wFG7/
私は大念処経引用を示して 正定 とは初禅〜第四禅であると示し、何故に(正定)と
呼ばれるかというと止禅だけでなく観禅が入っているからだと説明した、すなわち
議論の基準そのものが違うという指摘をしたわけです。
Qさんは四禅 三明 の議論において (沙門果経、大バリニッバーナ経、
ヨーガスートラ、ジャイナ経、−−− )
甚だしい場合は 仏教以外のものまで持ち出している、阿含経の中での議論であっても
三明を持ち出さず 阿羅漢道 不還道 を説いているものがある、三明が解脱の
絶対条件ならばそれらをどう説明するのか。
例えば先に引用した 一乗道と呼ばれる念処経 大念処経などは三明を説かず
完全智、不還果となっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
解脱(阿羅漢道智)を議論するだけなら 三明を持ち出さない(この場合は漏尽智
を除く) ものもあるということです。
前提も はっきりしない上 キチンと調べていないから根拠も仏教以外からもってきたり
定の深さを基準にしてみたりしてその勝手に決めた基準の上で議論をしようとする。
話がかみ合わないのは当然のことです。




537 :樹意:2009/01/16(金) 20:53:05 ID:vE7wFG7/
決定の話(観 道 涅槃)の各語によって確定した話(vavatthana-katha)、
絶対門による話(nippariyaya-kkatha)が知られるべきである。
ただし、相対門(pariyaya)によれば、これらすべてはまた、道の同義語にも
なり、涅槃の同義語にもなる。

片山一良氏訳 ディーガニカーヤ大篇U マハーゴービィンダ経補注 343p

観(ビバサナ)道 涅槃 これはセットであり、相対的にはこれが(道)涅槃
の同義語だとのこと、 これは基準になるわけです。

セヤドー旧HPより
Q20 修行者が名法を識別するとき、他心通を具備することはありますか?

A20 外にある名法を識別するには、二種類の方式がある。一つは観禅
(vipassanaa)で、もう一つは他心通(cetopariya-nyana)である。他心通とは、
他人の心のなかの意念を知る能力である。この種の神通は、簡単に他人の心を知る
ことができるために、他心通を具備している人は、他人の心を個別に識別すること
ができる。反対に、観智は他人の心を知ることはできない。観智はただ外側の名法を
丸ごと識別するものであり、個別に識別するのではないからである。観智は、
「これは男性、これは女性・・・」と識別することはできず、外側にある世界
を全体的に識別するだけで、個別の対象を研究するわけではない。ゆえに観智は、
他人の心を知ることはできない。

純観行阿羅漢(suddhavipassanaa-arahant)も、内側と外側の名・色法を識別する。
彼らは、禅那と神通を修行しないので、神通を持っていない。しかし彼らは阿羅漢を
証悟することはできる。このように、観禅の領域と神通の領域とは異なっているのである。

538 :樹意:2009/01/16(金) 21:02:11 ID:vE7wFG7/
Q4−7 仏陀は大阿羅漢であった。それならば、仏陀とその他の阿羅漢の弟子、
例えばシャーリープトラ尊者とモッガラーナ尊者とはどのような違いがあるので
しょうか?

A4−7 仏陀の阿羅漢道は、必ず一切知智(sabbannyuta-nyana)と相応して
いなければならないが、弟子の阿羅漢道は違う。弟子の阿羅漢道は以下の智慧
と相応している。上首弟子の菩提(注23)(aggasaavaka-bodhi)、または
大弟子菩提(mahaasavaka-bodhi)、または普通の弟子の菩提(pakatisaavaka-bodhi)、
それらはあるときは四無碍解智(patisambhidaa-nyana)と相応し、あるときは六神通
(abhinnya)に相応し、あるときは、三明(注26)に相応する。あるときは、
純粋に阿羅漢道に過ぎない。しかし、決して一切知智(sabbannyuta-nyana)とは相応
することはできない。例えば、シャーリプトラとモッガラーナ尊者の阿羅漢道は、
一切知智と相応しないが、仏陀の阿羅漢道は一切知智に相応するだけでなく、
仏陀の全ての徳行とその他各種の智慧を具備している。

これは片山一良氏 注釈にも同様の文があったようです。 
六神通に対応する阿羅漢 三明に対応する 阿羅漢 普通の阿羅漢 しかしながら
阿羅漢道智を得たなら それで生活の終わりで、仏陀は五蘊を前提とした
神通力をそんでも 享受しますか?とスシーマに説いている。



539 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 21:39:32 ID:nIQfNDdj
この爺さんまだ生きてんの・・・?

540 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 22:14:28 ID:rOjN1vtR
樹意は論破された負け犬w
樹意終了済w

541 :樹意:2009/01/16(金) 22:17:38 ID:vE7wFG7/
片山氏の経典と注釈 及び 補注 ほんで パオセヤドーの旧HPを読んでみるに
名 色 苦諦である五蘊 心身の観察 縁起の観察がが観禅(ビバサナ)のメインの
ようです、 コンピュータが処理するような感じで、精神(心)と身を極限まで観察し、
無常 苦 無我 を悟る、 一秒を更に数億回まで分割するような感じのようです。

過去世 未来世というのも観禅で (因縁)縁起の観察ということで 縁摂受智
(paccaya-pariggaha-nyaana) 運命というよりはどういう業がどういう果を結んで
いくかの観察のようです。 ですから阿羅漢果までいくような方は他人の過去世
やらまでは見ないようですが自分のものは観察するようではあります。
釈尊の大弟子のような方で八定を得た方は自然 三明のような神通力が出るようですが
沙門果経で説かれる、沙門は八等至を得た方を呼ぶようですから 
(片山氏注釈にある)  85節 内観の智とありますので この場合は 観(ビバサナ)
が説かれている。
従って、 この場合は四禅の状態で 観禅をしている状態を指すわけです。
ですから 84節の四禅の状態で 阿羅漢を得ているかというとそういうわけでもないと
いうことです。 そもそもが沙門果経で説かれるのは 八明 です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
四禅の中にこの 観(ビバサナ)を納めて説く場合もあるようですから 沙門果経だけ
の引用であれば、四禅の描写ではまだ解脱というわけにはいかないわけです。
Qさんは 四禅三明の議論に先に書いたように(沙門果経、大バリニッバーナ経、
ヨーガスートラ、ジャイナ教、菩提樹下成道、他ーー )出しているわけですから
これも基準が定かではない。

ここでも議論の前提が違うわけだし、他の五明を無視した議論を
していると批判するわけです。

少し他の批判者の方に不利になる文章だと思いますが、ご理解の程お願いします。



542 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 22:22:09 ID:b72C42Zk
阿含経

得阿那含。
種種神通境界。
天眼天耳。
他心智。
宿命智。
生死智。
漏盡智。
皆悉得。


543 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 22:29:33 ID:b72C42Zk

凄く間違っています。

樹意 ID:vE7wFG7/

544 :ラシン:2009/01/16(金) 23:22:09 ID:34BV5akf
>533 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 17:33:58 ID:Td+WE5n+
 超人的な眼=六神通〜三明

そうでしょうか? 実は知っているのでしょうが、、、

七氏さんは、その反レスの”ケ”論へ解答を求めているのですよ、常に、、。
では、六神通のうちの三明を吟味しましょうか?
一、過去世を見通せる宿住智(宿明)、二、未来を見通せる死生智(天眼明)、
三、煩悩を滅尽したことを知覚する(漏尽明)です。(岩波仏教辞典)
この三種の”眼”のどこに、>すべての苦しみから自由になる< =解脱を
表現する意味があるのですか? ありませんよね。
アゴン宗信者の習癖は、語句や言葉に惑わされ、誠に見苦しい様相を呈す。
しっかりと仏教用語を把握できない未熟が、常に存在しておりますよ ね。
それはなぜか、、?
常に桐山教に視点を置いているからであり、
批判側の主張見解を封じ込めるためのみの目的で、経典学説の文章を探し、
意気揚々と抜いた刀が、なんと実は誤釈であって、振り回した論調は、
竹光で切れなかった、という現実を見ることに直面することになるのです。
羯諦さんほどのお方が、Qさんの無知蒙昧に付き合うと、、、
斯様に矛盾を呈してしまう、   残念ですね。


545 :神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 23:41:45 ID:r7Ze6EMt
>>540

一番の負け犬は、キリ山師こと包み鱒尾くんだよぅ。一生ウソつきっ放し。

546 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 23:46:18 ID:b72C42Zk
>544 :ラシン:2009/01/16(金) 23:22:09 ID:34BV5akf

そのようなバイアスは持っていませんし、意図していません。
また、論破といった勝ち負けのある話などしていません。

過去現在未来にわたる仏陀の御身と
パーリと漢訳の三蔵を基本にしているだけです。

547 :神も仏も名無しさん :2009/01/17(土) 00:22:04 ID:2IyyyE8B
>>540
そうやって、根拠も何も書かず他人を罵ってる人が
「立派な人間」には見えませんよ。
信者の質がバレますね。

548 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/17(土) 00:26:49 ID:8C8pI8dm
釈尊の切り開いた道
阿含経より

そして、
色界の四禅から 無色界の定へと すぐには移行しないで、
森の瞑想をおこないます。森の瞑想から地の瞑想をおこない、
無色界の定へと 移行していきます。
此れあれば彼れあり
これ生ずれば
かれ生ず
此れなければ
彼れなし
これ滅 すれば
かれ滅す
この瞑想が成立できる状態像が必要なのです。
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー縁生」ー「苦諦」−「世間因果」
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー縁生」ー「集諦」−「世間因果」
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー寂滅」ー「滅諦」−「出世因果」
「法」→「因縁」ー「聖道法」ー「縁起ー寂滅」ー「道諦」ー「出世因果」

世間因果
苦は果
集は因

出世因果
道は果
滅は因


549 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/17(土) 00:33:17 ID:8C8pI8dm
アッサジ尊者

もろもろの法は

因に縁って生ずる

にょらいは因をときたもう。

もろもろの法の滅についても

如来はときたもう。


550 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/17(土) 00:36:11 ID:8C8pI8dm
〇修行者よ、生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざる
もの、構成力から生じたのではないものは存在する。もし、このよう
な生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざるものが存在しなかった
とすれば、生まれたもの、形成されたもの、造りだされたもの、構成力から生
じたものから脱出することは、けっして考えられなかったことであろう

〇修行者よ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。汝らに告げ
るが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、留まることもなく、死去
することもなく、転生することもなく、よりどころもなく、発展もなく、支え
もない。それが苦悩の終わりである


551 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 08:59:07 ID:bcbsaCBm
結局のところ、ちゃんと教学を学び熱心に修行している擁護派って…いないのねぇ。

552 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 09:34:18 ID:15jsnsmg

負け犬の遠吠えw

553 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 09:56:04 ID:bcbsaCBm
三億数千万円で偽の舎利を買い、阿含経解釈は間違いと捏造、得度受戒も伝法灌頂も受けてない阿闍梨様。ソンディは異母兄に育てられたのに異母兄の生まれ変わり?実在しない武士から霊障でんぱ!生きてる人に解脱供養はひどいでしょ。
仏陀釈尊に背を向けて、こんな爺さんに貢いでる会員て…負け犬だよね。

554 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 10:49:24 ID:15jsnsmg

負け犬w

555 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 11:08:26 ID:bcbsaCBm
仏陀釈尊が禁じた、護摩、現世利益の祈祷、死者供養、占い、囲碁などの遊興、性関係、飲酒、非時食…これらをことごとく破って阿含宗を名乗るとは!
仏陀釈尊に背を向けて、こんな爺さんに貢いでる会員て…負け犬だよね。はい、お手!

556 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 12:19:54 ID:15jsnsmg

負け犬必死w


557 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/17(土) 12:46:05 ID:AQCJ/y/t
>>551
>ちゃんと教学を学び熱心に修行

それをしたら矛盾がいくらでも出てくるから結局「おかしい?」という心を殺して
自分で自分にウソをついて続けることになるんだよね。
ペテン大作も本当に会員なら内心ものすごく辛いはずだよ。
ギャーテーは根がバカで小難しい教学で飾り立てて悦に入ってるだけだから、楽そうだが。

558 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 12:49:08 ID:bcbsaCBm
暴力団との黒い癒着。右翼に巨額の金をとられても合法的に対処できない後ろ暗さ。因縁解脱宣言したのにあっというまに罰金刑。
仏陀釈尊に背を向けて、こんな爺さんに貢いでる会員て…負け犬だよね。はい、お座り!

559 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 13:49:34 ID:15jsnsmg
負け犬必死w

560 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 14:05:42 ID:bcbsaCBm
>>559

> 負け犬必死w

ありがとね負け犬く〜ん。これで新しく読み始める人も、阿含宗の恥ずかしい間違いの数々、それに対するある種の会員の負け犬的反応がよく理解できたと思います。
こういう原点に立ち返った書き込みも大事だよなぁ。

561 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 17:34:28 ID:ZS0hIHri
>>559
あなたは何年在籍してますか?
私は15年ほど在籍し約2年半位いここを読み続けてついに洗脳が解けました。
過去スレも丹念に読みましたね。
完全に桐山教の呪縛が解けた。
だからもう因縁返しも怖くないし桐山も詐欺師にしか見えない。
あなたもゆっくりでいいから
過去スレを読まれることを薦めます。

562 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 17:37:41 ID:15jsnsmg
負け犬の遠吠えwwww

563 :ラシン:2009/01/17(土) 17:39:42 ID:YbYkcnyB
>546 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/16(金) 23:46:18 ID:b72C42Zk
そのようなバイアスは持っていませんし、意図していません。
また、論破といった勝ち負けのある話などしていません。
過去現在未来にわたる仏陀の御身と
パーリと漢訳の三蔵を基本にしているだけです。

そうですか、こちらの認識不足で申し訳ありません。
羯諦さんが示される阿含経は、勉強になります。
できれば経典名も示していただければ、ありがたい。
ただ、私もここのスレの主旨を尊重していますので、
アゴン擁護となる経典掲示法には、私も分かるなりに解釈し、
批判の材料とさせていただきます。

564 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 23:09:43 ID:8sn5cesf
ゴーカートの老害が登山

565 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 23:40:59 ID:QCYWOO23
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[1008]○○屋 09/01/17 14:12 4erQ842sPZ
>一つの意図をもって他人の意識を誘導するような「やり方」にたいして、スマートさにかけるのではないかとわたくしは感じる。

「誘導」というなら、具体例を出さない○○屋さんこそ、
読者に私への嫌悪を誘導している。
あなたが本当に腹を立てているのは、[1010]で書いた、あなたへの分析ですよね。
だが、[1004]の書き方だと、まるで私が桐山さんを詐欺師に仕立てているかのような書き方です。
○○屋さんは、「まだあなたは洗脳から抜けていない」と分析されたことが
腹立たしいのでしょう?
私があなたの書いた内容に反論するだけでなく、洗脳というあなたの主張と
関係ない方向にもっていかれたとして、腹を立てた。
あなたは気が付いていないだろうが、私なりに少しは遠慮しているのです。
なぜあなたが何度もこの件を蒸し返し、しつこく食い下がるのか、
あなたの現実生活から背景を推測して書けば、事実かどうかは別として、
読者にはそれなりの説得力があるでしょう。
何年も○○屋さんの文章を読んできたから、説得力のある推測は書けます。
つまり、あなたの書き込みに足払いをかけることはできる。
だが、あなたはそれを「誘導」だと反発し、もっと激怒するし、
ここの本筋からも外れてしまうから、やりません。
私を含めた批判側も読者もそんなことは望んでいない。

566 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 23:46:25 ID:QCYWOO23
>[1004]○○屋 09/01/17 11:38 4erQ842sPZ
>簡単に述べると、有罪判決の決定していない詐欺行為に、犯人はケシカラン、と喧伝しているように感じるのである。

あなたのこの批判に正面から反論するのも簡単です。
桐山さんが宗教詐欺師なのは明らかだからです。
だが、あなたの本音は桐山さんの話ではなく、自分を分析されたことでの不快感ですよね。
こういうのを区別してほしいのです。
私の○○屋さんへの分析に腹を立てるのはかまわない。
だが、それを桐山批判と一緒にしないでほしい。
前もそれを書いたのです。
それをされると、私はまた反論せざるを得なくなる。
あなたが両者を混ぜて出せば、またしても、私はあなたが
桐山擁護をしているとして、もっと洗脳を指摘するしかなくなる。
すると、○○屋さんはもっと腹を立てる。
だんだんエスカレートして、議論はあらぬ方向に行く。

567 :神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 23:53:26 ID:QCYWOO23
>[1008]○○屋 09/01/17 14:12 4erQ842sPZ
>一つの意図をもって他人の意識を誘導するような「やり方」にたいして、スマートさにかけるのではないかとわたくしは感じる。

私の提案は、あなたの腹立たしさと、アゴン宗批判を区別してほしい、というものです。
あえて提案というのは、比較するのも失礼だが、あなたはペテン大作さんとは違い、
自分を抑える冷静さがあると思っているからです。
あなたは自分が分析されたことの腹立たしさと、
私のアゴン宗批判とを重ねて、両方が正当でないかのような書き方をしている。
両者を区別してほしいのです。
私の批判対象は桐山さんであり、○○屋さんではない。
だが、私への腹立たしさから、あなたが事実上桐山さんの前に立てば、
反撃せざるを得なくなります。
桐山さんの前に立たないでほしいと提案しているのです。
あなたの気分の悪さ減らすためにも、気分の悪さと桐山批判とを区別してほしいのです。
心理学や潜在意識に関心を持つなら、なおさら、自分の心を分析して、
両者を明瞭に分けてほしい。

568 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/18(日) 00:07:06 ID:znLKC+qH
>>563 :ラシン:2009/01/17(土) 17:39:42 ID:YbYkcnyB

仏陀の御身によって
いまの貴方に適している経典をお知らせします。

第百二七経 瞑想によって神々に転生する(有勝天経)Anuruddha Sutta
春秋社版 原始仏典 第七巻 中部経典W

仏弟子の告白 テーラーガーター
アヌルッダ長老  


569 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/18(日) 00:26:32 ID:McwjodEY
>>568
>春秋社版 原始仏典 第七巻 中部経典W

こんなバカ高い本もギャーテーが持ってたら豚に真珠もいいとこだ。

570 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/18(日) 00:27:26 ID:McwjodEY
おっと、つい他人の持ち物を妬んでしまった。今のは反省します。

571 :神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 08:38:40 ID:nK3c8k5b
>>570

会員で、栂尾コレクションを買ったけど、ほとんど読めてない人がいましたよ。

572 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/18(日) 11:23:13 ID:McwjodEY
>>571
そんなこと聞かせて嫉妬心を煽らないで下さい(笑)。

573 :樹意:2009/01/18(日) 12:40:31 ID:cR+qDl3h
>>518
> 会員の皆さん、定額給付金が出ても偽仏舎利・偽僧侶・幹部のオバサンに貢ぐのはいけません。
仏教辞典と阿含経の解説書(桐山本はダメょ)を買いましょう。

同意。 
天下の愚法が 額界台作さんの意向で決まるようです。
800万世帯として還流が1000奥 半分として500奥。 戦巨資金としては
十分でありましょう。
アゴンにもそのおこぼれがあるでしょうから 1万人が還流させたとして、1奥。
確かに信者の数=経済力ではありましょう。 ゲイカが導きに固執したのもうなづける。

定額休符金の総額は2兆程といいますから、年間の道路予算とほぼ同等
みんなから公金として集め、それを公的事業に配分する理念とは間逆です。
やるべき事業はいくらでもあり、医師不足で妊婦がたらいまわしされた挙句死亡したなんて
痛ましい事件を尻目に、−−−雇用対策にも事業資金は必要です。
不況風が吹き失業者が多々出ている時期に見事なまでの愚策。

真の意図を隠して本来向かうべき公的事業を殺してしまうのですから 資金をドブに
捨てたよりたちが悪い。 

願わくばアゴンのゲイカとその患部が、イスラエルでやったような信者さんの悪業に
直結する政治的な使い方をしないようにと思う。



574 :樹意:2009/01/18(日) 13:04:16 ID:cR+qDl3h
>>540

ご指名ありがとうございます。

ある意味批判する方としては いじる必要が無い分 楽。
ゲイカの提示するものと 本物を並べるだけでいいわけですからね。
あとは読む方が判断すればいい。 

Qさんや子孫さんのおかげで調べましたが、本当にゲイカって 詐欺師だな〜
とマリアナ海溝より深い確信が得られたわけです。

本来の成仏法のコアとなる部分は 観禅(ビバサナ)のようです、観禅の足場に
止禅が必要で、止禅の足場に戒がいる。
ゲイカは梵行という奉仕行でアナゴンまでいくだとか云っていますが、
仏陀は教団の仕事に沈溺するのを諫め、とっとと 観禅に修行をするように
説いています。 これは生きているうちにしかできない。

安般念の場合も 定の指標である 似相やら 禅相やらキチンと こまごま
指標 注意点、などこれでもか ! というぐらい整備された修行道です。
登山道は厳しいが、手すりやら、階段やらがキチンと整備され、これが
頂上まで続く。 
ゲイカのはお話にならない、 比べ物にならない。 笑いもでない 
骨董でいえば 猫またぎ 。   そういうことです。



575 :神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 13:19:08 ID:/XGaQPyO
負け犬樹意 w

576 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/18(日) 15:13:23 ID:NQBlYmv9
間違っています

574 :樹意:2009/01/18(日) 13:04:16 ID:cR+qDl3h
>>540

ご指名ありがとうございます。

ある意味批判する方としては いじる必要が無い分 楽。
ゲイカの提示するものと 本物を並べるだけでいいわけですからね。
あとは読む方が判断すればいい。 

Qさんや子孫さんのおかげで調べましたが、本当にゲイカって 詐欺師だな〜
とマリアナ海溝より深い確信が得られたわけです。

本来の成仏法のコアとなる部分は 観禅(ビバサナ)のようです、観禅の足場に
止禅が必要で、止禅の足場に戒がいる。
ゲイカは梵行という奉仕行でアナゴンまでいくだとか云っていますが、
仏陀は教団の仕事に沈溺するのを諫め、とっとと 観禅に修行をするように
説いています。 これは生きているうちにしかできない。

安般念の場合も 定の指標である 似相やら 禅相やらキチンと こまごま
指標 注意点、などこれでもか ! というぐらい整備された修行道です。
登山道は厳しいが、手すりやら、階段やらがキチンと整備され、これが
頂上まで続く。 
ゲイカのはお話にならない、 比べ物にならない。 笑いもでない 
骨董でいえば 猫またぎ 。   そういうことです。


577 :病弱名無しさん:2009/01/19(月) 00:16:44 ID:mGT6yG/T
>>575 >>576←この2名の人物は、クズですから〜(爆
        ↓
575 :神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 13:19:08 ID:/XGaQPyO
負け犬樹意 w

576 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/18(日) 15:13:23 ID:NQBlYmv9
間違っています


578 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 02:04:48 ID:ls0fm9xT
負け犬樹意が必死な件www

579 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 11:27:28 ID:mGT6yG/T
この者は栗花馨です(桐山靖雄=堤マスオからの回し者・提灯持ち)
    ↓
576 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

580 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 13:16:05 ID:dLqaO2uC
ぎゃあていって馬鹿だねwww
キリ爺みたいな最低の詐欺師信じてるんだからwww

581 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:16:39 ID:Mbgr0rd2
>>499 :ラシン:2009/01/15(木) 19:15:16 ID:7dvrzuZv
>菩薩が夜の最後の時間帯[後夜]に得たものは、いわゆる第三の知恵と呼ばれる。 』
>すなわち完全で完璧なる覚者は、この知恵を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。』
>修行者"菩薩"が、得たものは、いわゆる第三の知恵(漏尽智)と呼ばれる。
>アラハトは、この漏尽智を生み出したがゆえに、無碍の認識を得た。
>"無碍の認識を得た"とは、どういう意味か分かりませんか?
>何の障害も無い解脱したという認識を得た、つまり漏尽智を得たということです。

樹意の大好きな片山教授の翻訳を見つけました。
やっぱり君らは嘘つきだった。

582 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:19:21 ID:Mbgr0rd2
<煩悩滅の智>

このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになると、
かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます。かれは、
『これは苦である』と、あるがままに知ります。
『これは苦の生起である』と、あるがままに知ります。
『これは苦の滅尽にいたる道である』と、あるがままに知ります。
『これらは煩悩である』と、あるがままに知ります。
『これは煩悩の生起である』と、あるがままに知ります。
『これは煩悩の滅尽である』と、あるがままに知ります。
『これは煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに知ります。
このように知り、このように見るかれには、
欲望の煩悩からも心が解脱し、
生存の煩悩からも心が解脱し、
無知の煩悩からも心が解脱します。
解脱したときには、解脱したという智が生じます。
『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
(原始仏教 第2号 沙門果経 (中山書房仏書林) 67、68頁)

583 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:30:06 ID:Mbgr0rd2
『このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになると、』

とはどういう意味か?
脚注にはこうあります。


「カシナ(遍)の順、逆など十四種の行相により、
<八種の禅定(samapatti)において自在になっていること>をいう。」 
(同書55頁)

また片山教授の別の本には


『ただし、ここにいう「心が安定し」には
四禅に四無色定を含む八等至の自在が意味されている。』
(『パーリ仏典入門』 大法輪閣 96頁)

ははぁ、確かに解脱に近いことは近い。
しかしあくまで解脱ではないのです。

584 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:36:01 ID:Mbgr0rd2
他の部分の脚注を見ると

『もろもろの煩悩を滅する智』


「asava-khaya-nana.漏尽智。」 (67頁)


『欲望の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無知の煩悩からも心が解脱します。』

    解脱します→ 「vimuccati.<道の獲得の瞬間>(magga-khana)を示す語。」


『解脱したときには、解脱したという智が生じます。』

    解脱したときには→ 「vimuttasmim.<果の獲得の瞬間>(phala-khana)を示す語。」
    解脱したという智→ 「nana.<観察智>(paccavekkhana-nana)をいう。」

(以上68頁)

585 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:45:50 ID:Mbgr0rd2
比丘は、もろもろの煩悩を滅する智(漏尽智)に心を傾注した結果、
欲望の煩悩・生存の煩悩・無知の煩悩から心が解脱して
解脱したという智(観察智)が生じた。

こういうい意味になります。
解脱した比丘が解脱を確認したなんていう解釈は出鱈目です。
少なくとも沙門果経においてはそういう解釈はできません。
学者がそう解釈しているのですよ。
批判側の一部は「解脱→三明」を証明したいためにインチキ解釈をしています。

586 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:48:05 ID:Mbgr0rd2
このネタは一年どころか当スレが続く限り使えます。

ここに来る信者たちは嫌でもこれに触れるわけです。


587 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:53:38 ID:Mbgr0rd2
樹意も批判側を擁護しているからには嘘つきの仲間と見なします。
七氏、ユビキタス、ラシンに加えてあげましょう。
これで批判側は一網打尽です。


>>164>>168で引用したレスは全部嘘です。
さあ閻魔に舌を抜かれぬうちに謝りなさい。
これで忠告するのは五度目です。
人間誰しも間違いはするものです。
それを認めても決して恥ずかしいことではありません。
さあ、嘘つきさんたち、
勇気を出しましょう。

588 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 17:00:56 ID:KZH3Uslx
このスレに来る人は、『嘘つき』という言葉で、桐山靖雄こと包み鱒尾を連想してしまう。

589 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 19:17:41 ID:KqhKWMY3
桐山靖雄はウソこき
ウソこきだ。

590 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 19:21:54 ID:dLqaO2uC
まあっ、あの爺さんほど釈尊を侮辱し仏法を冒涜したアホはいないわなwww

591 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 19:31:35 ID:Fm87MYS6
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いています。

批判している人達は、
わけのわからないまま私論や部派仏教の諸説を持ち出していては、
稚拙でいけないと思います。
その辺りを心得ていないままの批判意図での感情論がそもそもにあるから
だらしない嘘の私論になってしまうのです。
出家修行して成就するくらいの気概はないのかと思います。

上座部も客観的には桐山氏との対比につかえません。
観禅主義=釈尊ではありません。
冷静に観れば、日本に来ている上座部仏教は、呪術とともにあります。
桐山氏に対してみれば、基礎となっている資料に関して
決して侮ることのできない数量を整理して持っていると感じられます。
桐山氏は阿含経を相当勉強していないとできない斬新な発想を実行しています。
この部分は批判しないで認めるべきことであると思います。
組織運営上でのあれこれについて、
きちんとした行動と発言が生かされてないままの批判については、
擁護者批判者共にだらしなさを感じるだけです。
論外にだらしない人には、地獄に堕ちるとしか感じません。

592 :樹意:2009/01/19(月) 19:32:57 ID:TpYmWk17
>>583 神も仏も名無しさん sage 2009/01/19(月) 16:30:06 ID:Mbgr0rd2

> 「カシナ(遍)の順、逆など十四種の行相により、
> <八種の禅定(samapatti)において自在になっていること>をいう。」 
> (同書55頁)

> 『ただし、ここにいう「心が安定し」には
> 四禅に四無色定を含む八等至の自在が意味されている。』
> (『パーリ仏典入門』 大法輪閣 96頁)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

>>300 樹意 2009/01/11(日) 11:59:53 ID:83kww+bj
> これ書くとペテン大作さんなどは小躍りして喜ぶかもしれませんが

>>301 樹意 正定の説明 2 2009/01/11(日) 12:03:26 ID:83kww+bj
>
> 片山一良氏訳 85節 内観の智 
> このようにして、心が安定し、清浄となりーー略ーー 彼は智見に心を傾注し
>
> この心の部分の注釈 
> 「遍 (kasina カシナ)の順、逆など十四種の行相により、〔八等至(八種の禅定 attha-samapatti)
> において自在になっていること)をいう〕
するように〉の意。

>>541 樹意 月のウサギ5 2009/01/16(金) 22:17:38 ID:vE7wFG7/

> 沙門果経で説かれる、沙門は八等至を得た方を呼ぶようですから 
> (片山氏注釈にある)  85節 内観の智とありますので この場合は 観(ビバサナ)
> が説かれている。


593 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 19:39:05 ID:Fm87MYS6
間違っています。

樹意 ID:TpYmWk17


594 :樹意:2009/01/19(月) 19:40:49 ID:TpYmWk17
>>327 神も仏も名無しさん sage 2009/01/11(日) 16:50:50 ID:Sr3ztkK8
> >>323 :樹意:2009/01/11(日) 16:36:09 ID:X5cOLb9v
> >今回の私の書き込みをどう応用するのか楽しみだね〜。
>
> 別に患者さんの書き込みを応用する気はない。
> というより読んでいない。
> 今回は嘘つき軍団に樹意がいなかったのが悔やまれる。

>>300  >>301 >>541  樹意 作  www
応用というよりは そのまんま。  一生懸命調べたんだろうな。
うま しか 過ぎて  大爆笑。   wwww  読む方がため息出る。
般涅槃と 涅槃の違いも教えてあげて ごまかしに掛かったのが 3回目だっけ。
しかも 般解脱がどうのこうのと 自分で造語したりして。

殆ど批判側から教えてもらったもんでしょう。 
教えてもらったらありがとうといいなさいな。 
ということは 批判側の云うことを追認したわけだね 面白すぎ。



595 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 19:43:57 ID:dLqaO2uC
ぎゃあていは、分けの分からないままの妄想的解釈で学者先生方を冒涜していけないと思いますwww
妄想ではあまりにもだらしなさを感じるだけですwww
妄想なだらしない人には、地獄に堕ちるとしか感じませんwww

596 :樹意:2009/01/19(月) 19:46:49 ID:TpYmWk17
いや〜 しかし 
こりゃ 3年ぐらいは 笑いが取れそうだな。 www
キチンと 議論のネタ用意してたのに わたしゃ 拍子抜けしちまっただよ。

こりゃ Qさん改め ペテン大作さんの為に 保存しなきゃいけないな。 www

597 :樹意:2009/01/19(月) 20:58:06 ID:TpYmWk17
>>582

私が持っているのは大蔵出版 ディーガニカーヤ 戒蘊遍T ですからもう少し
細かな注釈が入ります。

三明で解脱するんだったら 何で大念処経とか 説かれない経典があるのか説明しろ
だとか Qさんに質問していますがどうせ答えないでしょうから 私の方でご説明いたします。
どうせまぁ 少したったら批判側の説明をこれ見よがしに 掲げるでしょうから 
また藁ってあげましょう。  wwww
もっとも こんなことは 破戒イベント業者であるゲイカの批判にはもったいない議論で
はあります。

では煩悩滅の智から、 
savakkhaya-nana 漏尽智。〈煩悩の滅(asavakkhaya)〉とは、道(magg-a)とも、果
(phala)とも、涅槃(nibba-na)とも、破壊(bhanaga)とも言われるが、ここでは「涅槃」,
はるいは、「阿羅漢道」(arahatta-magga)が意味される。
すなわち 道も含めて説いているということです、表記から分かるように四禅の状態から
他の神通を間に挟んでいないことを着目されたい。

読んでもらうと分かる通り 解脱したことを確認するというのは 書いてある。
> もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
この部分です。 んで、片山氏注釈にも −−−−略ーー或いは煩悩滅尽の状態(kilesa-kkhayabhava)
のために、なずべき道(magga)、修習(bhavana)、務め(kicca)が、私にはない、と知る。
或いはーーーー略ーーー

ではせっかくQさんが引用してくれたので 区分して説明します。

598 :樹意:2009/01/19(月) 21:00:11 ID:TpYmWk17
>>582
> <煩悩滅の智>
>
> このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
> 付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになると、
ーーーーーーー 四禅の状態ですーーーーーーーーーーーーーーーー
> かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます。かれは、
> 『これは苦である』と、あるがままに知ります。
> 『これは苦の生起である』と、あるがままに知ります。
> 『これは苦の滅尽にいたる道である』と、あるがままに知ります。
> 『これらは煩悩である』と、あるがままに知ります。
> 『これは煩悩の生起である』と、あるがままに知ります。
> 『これは煩悩の滅尽である』と、あるがままに知ります。
> 『これは煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに知ります。
ーーーーこれは大念処経では諦把握の業処、或いは法念四聖諦観 −−−
> このように知り、このように見るかれには、
> 欲望の煩悩からも心が解脱し、
> 生存の煩悩からも心が解脱し、
> 無知の煩悩からも心が解脱します。
> 解脱したときには、解脱したという智が生じます。
ーーーー片山氏注釈はこの部分 観察智 −−−−−
> 『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
> もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
ーーーこの部分先に引用した続き、今存在している蘊の相続より後の
蘊の相続が、私にはない。ーーー  
> (原始仏教 第2号 沙門果経 (中山書房仏書林) 67、68頁)

旧セヤドーの十六観智によると 
十四、 道智(magga-nyaana)
十五、 果智(phala-nyaana)
十六、 省察智(paccavekkhana-nyaana)

599 :樹意:2009/01/19(月) 21:04:39 ID:TpYmWk17

先に引用した通り 道智 修行門を説く場合 相対門と絶対門が意識され
この場合は 相対門として説明されているということで、絶対門としてみるなら 
> もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
この部分が 解脱したことを確認する部分ということになるわけです。

ですから ペテン氏がなにやら 批判側を罵っているようですが、彼の場合は
かわいそうな方ということで 生暖かく見守ってあげるのがいいのではないでしょうか。
wwww
四禅の状態で観(ビバサナ 業処)を修し、道智果智を得る省察する
別段そのまんまのことです。
しかも 四禅の状態であるのはこれまた説かれている。(書かれている、)
滅尽定というのも出てこない。 そういうことです。
書かれていることを そのまんま読めばいいのです。




600 :樹意:2009/01/19(月) 21:16:27 ID:TpYmWk17

おまけ 。

沙門果経 85節 内観の智 は 四禅の状態で 五蘊の観察 無常の観察をする
旨説かれているようですが、これは 大念処経でいうなら 蘊把握 処把握の業処であります。
これは 大念処経での業処の番号でいくと、 (18)蘊把握 (19)処把握 (20)の覚支把握の
業処は端折っているようですが、その次に来るのが、(21)の(蘊把握)の業処という
ことになり、ここまで引用した、煩悩滅の智の表記と繋がるわけです。

三明の部分の注釈でも 説明できますが、Qさんのためにとっておきたいと
考えています。

以上。



601 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/19(月) 21:20:27 ID:G/nFgV0V
>>586:神も仏も名無しさん :2009/01/19(月) 16:48:05 ID:Mbgr0rd2 [sage]
>このネタは一年どころか当スレが続く限り使えます。
>ここに来る信者たちは嫌でもこれに触れるわけです。

クックックッ、どうぞご自由に続けなさい。1年と言わず、5年でも10年でも。
時々はこうしてレスしてあげるさ。
あなたがベックであれバローであれ沙門果経であれ、そういう正しい話を読者に示してくれるのは
こちらも助かりなのだ。
つまり桐山解脱論を否定してくれる。
読むたびに解説するたびに理解は深まるのだよ。読者もね。
だからずっと貼り付いていてくれたまえ。
アゴン宗信者の鬼気たる狂態を晒す効果も含めて。
死んでも死にきれないのだろ?

>>585:神も仏も名無しさん :2009/01/19(月) 16:45:50 ID:Mbgr0rd2 [sage]
比丘は、もろもろの煩悩を滅する智(漏尽智)に心を傾注した結果、
欲望の煩悩・生存の煩悩・無知の煩悩から心が解脱して
解脱したという智(観察智)が生じた。
>こういうい意味になります。
>解脱した比丘が解脱を確認したなんていう解釈は出鱈目です。

確認ではないですか?あなたが書いた「観察」智がそれを物語っている。
桐山さんは人が解脱して悟ってブッダになる最後の究極の転換を「観察」なんておとなしい平凡な智
としましたか?

>>486:神も仏も名無しさん :2009/01/15(木) 17:12:46 ID:nfCphLwg [sage]
>沙門果経では比丘が認識を得て解脱して、
>その後に「さとりの定型句」が出たところで終わりです。

桐山さんは解脱を得ることを「認識」などという平凡でおとなしい智にしていないのですな。

602 :樹意:2009/01/19(月) 21:20:39 ID:TpYmWk17
>>600

> 業処は端折っているようですが、その次に来るのが、(21)の(蘊把握)の業処という

失礼 (21)は 諦把握 です。 

603 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 21:26:30 ID:Fm87MYS6
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いています。
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いているのは常識です。

批判している人達は、
わけのわからないまま私論や部派仏教の諸説を持ち出していては、
稚拙でいけないと思います。
その辺りを心得ていないままの批判意図での感情論がそもそもにあるから
だらしない嘘の私論になってしまうのです。
出家修行して成就するくらいの気概はないのかと思います。

上座部について客観的には桐山氏との対比につかえません。
観禅主義=釈尊ではありません。
冷静に観れば、日本に来ている上座部仏教は、呪術とともにあります。
桐山氏に対してみれば、基礎となっている資料に関して
決して侮ることのできない数量を整理して持っていると感じられます。
桐山氏は阿含経を相当勉強していないとできない斬新な発想を実行しています。
この部分は批判しないで認めるべきことであると思います。
組織運営上でのあれこれについて、
きちんとした行動と発言が生かされてないままの批判については、
擁護者批判者共にだらしなさを感じるだけです。
論外にだらしない人には、地獄に堕ちるとしか感じません。

604 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 21:30:08 ID:Fm87MYS6
釈尊の初期仏教ではありません。
間違っています

樹意 ID:TpYmWk17

まったくの論外

ユビキタス ◆oGqIQwSRtg ID:G/nFgV0V


605 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 21:35:32 ID:dLqaO2uC
ぎゃあていは、そんな嘘を言ってはいけないと思いますwww
詐欺師キリ爺さんがどんな斬新な発想を実行しているのですか・・・?
実行しているのは、嘘と脅しとペテンでひとからお金を巻き上げる事だけです。
この部分は真実として認めるべきことであると思います。
嘘つきぎゃあていにはだらしなさを感じるだけです。
論外にだらしないぎゃあていには、地獄に堕ちるとしか感じませんwww

606 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/19(月) 21:43:26 ID:G/nFgV0V
>>486ではなく、
>>487:神も仏も名無しさん :2009/01/15(木) 17:13:55 ID:nfCphLwg [sage]
の方でしたな。
桐山さんは悟りを観察智だの認識だのとしてません。
「超脳思考をめざせ」あたりでは、悟りとは生理的に変わってしまうこととしています。
おそらくクンダリニーの覚醒にも似た生理的激変による飛翔としている。
それを観察だの認識だのと言われては、桐山さんも立つ瀬がないではありませんか?
どこまでも足をすくうのが好きなのですね。
その通り。第三の智たる漏尽智は観察によって得られた「認識」の智なのです。
つまり解脱したことを確認できた、認識できた智であります。
自分が解脱したことを認識できたということは、人が解脱することとはどういうことなのかわかり、
人を指導しようものならば、何をどうさせれば解脱に向かうのかを理解認識できたということです。
つまり真理を認識理解した。ゆえに悟りであり、覚者であり、ブッダに成ったと言えるのです。
つまりは求道者、修行者たる菩薩の卒業です。
あなたの認識不足はこの菩薩を解脱していないと認識していることです。
菩薩は実は三明の観察の前に解脱はしていたのです。
しかし解脱知見はまだだった。
だから神通力を駆使してまでも追認したのです。
追認した結果、解脱はしていたのだと悟ったのです。
さあ、これから解脱するために何か特殊な技術を使おうと言うのではなく、解脱を果たしていたから
観察だけで解脱を果たしていたという認識を得たのです。

607 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 22:01:06 ID:Fm87MYS6
初期仏教での三明は、
部派仏教群に移る過程において
縁起認識=仏陀説法(仏塔仏伝派)と
四諦認識=仏陀説法(修行論構築派)にわかれています。
(ブッダゴーサ(上座部大寺派)は、その両方の系統を含み伝えています。)
北伝阿含もパーリ経典の編纂の流れもそれぞれ知る必要があります。

釈尊の初期仏教についての真義について知る必要があります。

608 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/19(月) 22:01:10 ID:G/nFgV0V
>>487:神も仏も名無しさん :2009/01/15(木) 17:13:55 ID:nfCphLwg [sage]
>しかも菩薩は「第三の知恵を得た」以外に四箇所も出ている。
>これではどう考えたって「解脱→知恵」なんて結論は出てこない。
>あなたは「菩薩」が計五ヵ所も出ていることについて何と説明するんだ?

菩薩がまだ解脱知見の悟りまで得ておらぬブッダではなく、その途上なんだから解脱してない未熟者
という固定観念があなたの迷妄です。
これを皮肉って私はかしまし娘の菩薩を唄った。

うちは未熟な菩薩でやんす♪
ブッダ目指して修行すも♪
解脱してないったりゃありゃしない♪

この歌が嘘なんですよ。
ブッダの悟りを得るまでの釈尊を後世の人は便宜上ボサツと呼び、称した。
完全たるブッダの悟りに至るまでは段階がある。
まず解脱を得る。
それから解脱知見を得て、自分の既に解脱していることを知る。
つまりケンシロウは「おまえは既に死んでいる」と宣告するが、釈尊ケンシロウは「我は既に解脱している」と自分に
宣告したのです。
あたたたたたと解脱したのは、ビ!デ!ブ!よりももっと前だったのです。
自分の解脱のみならず、解脱の真理を悟ったボサツは真なるブッダになった。
しかしブッダの自覚 を得るより先に解脱だけはしていたと、我々は言いたいのです。
読者の皆さん、わかりましたか?

609 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 22:03:58 ID:Fm87MYS6
釈尊の初期仏教ではありません。
間違っています

樹意 ID:TpYmWk17

まったくの論外

ユビキタス ◆oGqIQwSRtg ID:G/nFgV0V


610 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/19(月) 22:13:12 ID:G/nFgV0V
戒定慧解脱解脱知見の五分法身を磨ようす
という護身法を呪文みたいに唱えてないで、解脱と解脱知見があることを認識しなさい。
解脱知見を得る条件とは、既に解脱を得ていることです。

最後にかしまし娘の原曲を示しておきましょう。

うちら陽気なかしまし娘♪
誰が言ったか知らないが♪
女三人寄ったら♪
かしましいとは愉快だね♪

まあ、三節目を省略して替え歌にしたわけです。

611 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:19:50 ID:Sw5GSR5e
>>585 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:45:50 ID:Mbgr0rd2
>解脱した比丘が解脱を確認したなんていう解釈は出鱈目です。

どうやったら、片山先生の文章からこういう解釈が出てくるのですか。
本当に、ペテン大作さんの読解力にはいつも驚嘆させられる。
片山先生がどこで「三明で解脱した」「漏尽通で解脱した」と書いているのですか。
自分で都合の良いように拡大解釈しただけで、どこにもそんなことは書いていない。
ベックやバローの場合と同じです。
ところが、本には書いていないのに、あなたは読める!?
さすがは妄想宗教のアゴン宗の信者だけのことはある。

612 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:22:23 ID:mGT6yG/T
この者は桐山靖雄(堤マスオ)の現役信者です。
輪廻転生瞑想法とか言うのが大好きなのでしょう。
あわれな宗教家畜、否、単なるクズですねぇ〜。
      ↓
609 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

613 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:23:20 ID:mGT6yG/T
この者は桐山靖雄(堤マスオ)の現役信者です。
輪廻転生瞑想法とか言うのが大好きなのでしょう。
あわれな宗教家畜、否、単なるクズですねぇ〜。
      ↓
609 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

614 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 22:25:09 ID:Fm87MYS6

阿含経を深く知ると金剛界胎蔵界不二の法は、
釈尊の法と合致している教えとわかります。
桐山氏はこれをやったことは、評価されるべきことです。
桐山氏は相当量の資料を集めていると感じられることは、
いろいろあります。安易に侮るべきではありません。

宗教組織において末端からの批判レベルとは別に
侮れない部分が歴然とあります。
それがあったから魅かれた人もいると思いますが、、、、



615 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:26:30 ID:Sw5GSR5e
>>582 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:19:21 ID:Mbgr0rd2
>解脱したときには、解脱したという智が生じます。
>>585 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:45:50 ID:Mbgr0rd2
>比丘は、もろもろの煩悩を滅する智(漏尽智)に心を傾注した結果、
>欲望の煩悩・生存の煩悩・無知の煩悩から心が解脱して
>解脱したという智(観察智)が生じた。

あなたが引用し、また書いているとおりです。
漏尽智とは、「解脱したという智」(>>582)です。
漏尽智とは、「解脱したという智(観察智)が生じた」(>>585)のです。
つまり、煩悩が消滅して解脱したと観察する智慧が生じたと言っているのです。
だから、あなたが>>582で引用した経典も四諦を洞察している。
なぜあるがままに四諦を洞察できるかというと、
すでに苦の原因を探り、その元の煩悩を知り、それらを滅したからです。
すでに四諦を成就して、自分の解脱内容を確認するのが漏尽智です。
漏尽智で確認する時には、すでに煩悩を滅しているのです。

616 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:30:24 ID:Sw5GSR5e
>>586 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:48:05 ID:Mbgr0rd2
>ここに来る信者たちは嫌でもこれに触れるわけです。

すでに何度も書いているが、漏尽智の内容については、
仏教もアゴン宗でも意見が同じで、議論の余地はありません。
ペテン大作さんだけが異論を叫んでいるだけです。
このスレは、アゴン宗の批判スレですから、
漏尽智で解脱したというあなたの説はここではまったくお呼びではありません。
スレ違いですから、議論したければよそに行ってください。
それよりも、一番肝心な因縁解脱の話はどうなったのですか。
あなたのいう解脱とは漏尽解脱と因縁解脱のどちらを指しているのだ?
学者のいう解脱とは漏尽解脱であって、因縁解脱ではない。
因縁解脱を擁護するペテン大作さんが、漏尽解脱の解説をしている学者の
説を出してきて、何の意味があるのだ?
「箸」の話をしているペテン大作さんが、「橋」の解説をしている学者の
説を出しているようなものです。
桐山さんのいう解脱は因縁解脱だから、彼を擁護したいのなら、
まず因縁解脱が解脱だと説いている阿含経と学者を示しなさい。
因縁解脱と漏尽解脱を曖昧なままにして、学者の本を何冊引用しても無駄です。

617 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:36:18 ID:Sw5GSR5e
「・・法と律こそが釈尊の仏教、原始仏教、教えの内容である。」
「・・法と律がその根幹において異なるものではなく、不離一体であることに注意したい。」
(『パーリ仏典入門』片山一良、24頁)

ペテン大作さんはせっかく安くない本を買っても、一番肝心な所を読んでいない。
上記を見てごらんなさい。
沙門果経で何を説いているのか、あなたは基本を理解していない。
神通力を説明しているのではなく、戒定慧を説明しているのです。
樹意さんから何度も指摘されても、今の今まで気が付かなかったでしょう?
三つがまとまってはじめて解脱にいたるのです。
戒がなければ、定もなければ慧もない。
もちろん、解脱なんてするはずがない。
これらはバラバラでありません。
樹意さんから何度も指摘されても、何のことか理解できなかったのでしょう?
「戒定慧解脱解脱知見」を呪文のようにとなえるだけで、
全然内容を理解していないからです(と、みんなから言われている)。
桐山さんは戒がないどころか、護摩を売り物にして積極的に破っている。
こんな桐山さんには沙門果経で説かれた定や慧があるはずがない。
桐山さんには戒もなく、定もなく、慧などあるはずもなく、
したがって、ぜったいに解脱なんてしていません。
インチキ解脱者と、読解力皆無の信者はぴったりの組み合わせです。

618 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:42:14 ID:dLqaO2uC
ぎゃあていは、嘘をつかないほうがいいと思いますwww
金剛界胎蔵界の法は真言密教からキリ爺がパクッただけですよwww
個人の解脱を求める釈尊の初期仏教と最後の大乗仏教である密教は全く異なる
精神的地盤から出たものですよwww
キリ爺の妄説など侮る値打ちもありません、・・・糞ですwww

619 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 23:00:01 ID:Fm87MYS6
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いています。
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いているのは常識です。

「初期仏教での三明は、
部派仏教群に移る過程において
縁起認識=仏陀説法(仏塔仏伝派)と
四諦認識=仏陀説法(修行論構築派)にわかれています。
(ブッダゴーサ(上座部大寺派)は、その両方の系統を含み伝えています。)
北伝阿含もパーリ経典の編纂の流れもそれぞれ知る必要があります。
釈尊の初期仏教についての真義について知る必要があります。 」

釈尊の初期仏教ではありません。
間違っています

ID:Sw5GSR5e

620 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 23:03:10 ID:Fm87MYS6

阿含経を深く知ると金剛界胎蔵界不二の法は、
釈尊の法と合致している教えとわかります。
桐山氏はこれをやったことは、評価されるべきことです。
桐山氏は相当量の資料を集めていると感じられることは、
いろいろあります。安易に侮るべきではありません。

宗教組織において末端からの批判レベルとは別に
侮れない部分が歴然とあります。
それがあったから魅かれた人もいると思いますが、、、、


621 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/19(月) 23:18:40 ID:Fm87MYS6
阿含経に

如来金剛心

化作

無量

無量仏

といった言葉があります。



622 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 00:04:04 ID:mGT6yG/T
正しい意見です。羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦(栗花馨)は大間違い!
   ↓
618 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 22:42:14 ID:dLqaO2uC
ぎゃあていは、嘘をつかないほうがいいと思いますwww
金剛界胎蔵界の法は真言密教からキリ爺がパクッただけですよwww
個人の解脱を求める釈尊の初期仏教と最後の大乗仏教である密教は全く異なる
精神的地盤から出たものですよwww
キリ爺の妄説など侮る値打ちもありません、・・・糞ですwww

623 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/20(火) 00:59:17 ID:QmRkns9p
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いています。
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いているのは常識です。

「初期仏教での三明は、
部派仏教群に移る過程において
縁起認識=仏陀説法(仏塔仏伝派)と
四諦認識=仏陀説法(修行論構築派)にわかれています。
(ブッダゴーサ(上座部大寺派)は、その両方の系統を含み伝えています。)
北伝阿含もパーリ経典の編纂の流れもそれぞれ知る必要があります。
釈尊の初期仏教についての真義について知る必要があります。 」

釈尊の初期仏教ではありません。
間違っています

ID:Sw5GSR5e


624 :樹意:2009/01/20(火) 04:27:22 ID:PsXHbCXa
>>537 樹意 月のウサギ3 2009/01/16(金) 20:53:05 ID:vE7wFG7/
> 決定の話(観 道 涅槃)の各語によって確定した話(vavatthana-katha)、
> 絶対門による話(nippariyaya-kkatha)が知られるべきである。
> ただし、相対門(pariyaya)によれば、これらすべてはまた、道の同義語にも
> なり、涅槃の同義語にもなる。

> 片山一良氏訳 ディーガニカーヤ大篇U マハーゴービィンダ経補注 343p
>
> 観(ビバサナ)道 涅槃 これはセットであり、相対的にはこれが(道)涅槃
> の同義語だとのこと、 これは基準になるわけです。

>>600 樹意 煩悩滅の智 W 2009/01/19(月) 21:16:27 ID:TpYmWk17

> 沙門果経 85節 内観の智 は 四禅の状態で 五蘊の観察 無常の観察をする
> 旨説かれているようですが、これは 大念処経でいうなら 蘊把握 処把握の業処であります。

つっこみが入るまえに書いときます。
要するに観禅(ビバサナ)のことです。 真の成仏法のコアの部分です。五蘊(心身)を
極限まで観察するとのことです。 (無常、苦、無我) 

要するに五蘊は《苦》であるというのが 苦諦です。 究極色法 究極名法 を観察する
のだそうです。(セヤドーによると )
願いもご利益も 霊魂があるという考えも五蘊への執着を増す要因でしかないわけです。
宗教としても哲学としてみても完成度が高いと私などは思います。
この連綿と繋がってきた仏陀の権威を使って 間逆のイベントをやるのがゲイカな
わけです。
 
ただのイベント業者にしかすぎないのです。




625 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 04:28:31 ID:w2571c/H
早く寝ろよ、朝になっちまうぞ。

626 :樹意:2009/01/20(火) 05:45:38 ID:PsXHbCXa
>>625

過去スレを読めば 私が朝方書いているのを確認できるでしょう。
というか 朝3時 4時に起きて仕事している方なんかは実社会では沢山います。
アナタの生活習慣は ゲイカと同じで宵っ張りの 昼寝タイプなのでしょうか。  wwww

627 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 07:55:06 ID:M3kzm3B9
原始仏教については、
ギャアテイが正しい。


628 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 08:29:20 ID:l0Nu0iRk
ぎゃあてぃなんてどうでもいい。桐山靖雄の間違いと悪業を暴きましょう。

629 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 10:42:20 ID:V9RwUydg
桐山靖雄は日本のガン
ガンは取り除かないとダメ
ガンを死滅させろ

630 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 10:50:59 ID:V9RwUydg
宗教を食い物にして
信者を騙し醜く太った桐山はガンそのもの
宗教界のガン、桐山
ガン細胞は死滅させろ


631 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 14:10:06 ID:w2571c/H
>>626
まぢレスされるとは思わなかったなwww
ごめん笑っちまった。許せ、樹意殿。


632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>592、>594、>596 、>597、>598、>599、>600 :樹意
>601 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg
>615、>616、>617 :神も仏も名無しさん

話が長いんだよ、眠くなるぜ。
嘘つきさんたちの言いたいのは
漏尽通で解脱して阿羅漢になるのではない、
ということです。
そしてそれを証明するために理屈を並べたのだが
肝心なところが抜けています。
つまり、漏尽通で解脱して阿羅漢になるのではないとしたら、
比丘はどこで阿羅漢になったのか、という問題です。
魑魅らは第四禅を終えた比丘がそれに当たると言った。
つまり「心が安定し」の文句が比丘の解脱を意味しているのだと解釈した。
しかし、ベックはこの比丘を「瞑想者」、バローは「菩薩」だと表現している。
そして片山教授は
八種の禅定において自在になっている状態だと書いている(>>583)。
学者たちは誰もこの比丘を阿羅漢だとは解釈していない。
「心が安定し」の文句は阿羅漢ではなかったのです。
魑魅らは大嘘つきだった。
これで話は終わりです。
更にこの話に続きがあるとしたら
阿羅漢ではない人間が沙門果経98節に入って
目出度く阿羅漢になったのだから
それは98節で阿羅漢になったということです。
98節には何が説かれているか?
漏尽智ですね。
だから漏尽智で阿羅漢になったことになります。

633 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:27:47 ID:PzoUHHpw
>>582の続き

『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。

の意味です。


生まれは尽きた→ 「khina jati.道(magga)が実践されていないことから生じうる
一蘊有、四蘊有、五蘊有における一蘊、四蘊、五蘊の生まれは、
すでに道が実践されたことから、無生法性に到達して尽きている。」

梵行は完成された→ 「vusitam brahmacariyam.ここにいう梵行とは<聖道の梵行>(maggab)のこと。
七種の学人(satta sekha 阿羅漢以外の七輩)は、凡夫の善人と共に梵行の生活をする。
これに対し、煩悩を滅した人(阿羅漢)は生活を終えた人(vuttha‐vasa)である。
それゆえかれは、自己の梵行生活を観察して「梵行は完成された」と知る。」

なすべきことはなされた→ 「katam karaniyam.四諦において四種の道(=四向)
と知・断・証・修とによる十六種の務めが完成した。
それぞれの道によって捨断されるべき煩悩は捨断され、苦の根源は断たれた。」

(『原始仏教 第2号 沙門果経』(中山書房仏書林)68,69頁)

634 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:30:55 ID:PzoUHHpw
比丘は、もろもろの煩悩を滅する智(漏尽智)に心を傾注した結果、
欲望の煩悩・生存の煩悩・無知の煩悩から心が解脱して
解脱したという智(観察智)が生じた。
その内容は
『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
もはや、この世に生まれかわることはない』
ということでした。

635 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:37:12 ID:PzoUHHpw
原始仏教とは何と清清しい世界なんだろう。
それに比べて批判側のレスは何と汚いんだろう。

星祭りを目前に控えて批判側の大嘘が発覚しました。
今年もきっと盛大なお護摩が焚かれるでしょう。
批判側の煩悩がお護摩によって焼き尽くされることを
心よりお祈り申し上げます。

合掌。

636 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 17:06:27 ID:zuzQDdmy
原始仏教は清々しいが、キリ詐欺阿含宗はなんと汚いのだろうwww

キリ爺は嘘つきだもんねwww

637 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 17:23:24 ID:V9RwUydg
Qは何を勘違いしてるんでしょうか??
オバカですね〜
羞恥心が完全に欠乏してますよ
オバカが仏教を解説するなんて
お笑いにもなりませんな
こんななんじゃ桐山にも見放されるわ



638 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 17:35:39 ID:3N0zCm6V
あのう・・・

桐山さんの阿含宗って、法華経〜密教に転身した団体でしょ。
あとから阿含経とかいって、阿含宗と名乗りだしたが、やってることは
護摩焚きと誤魔化しでしょ。
星まつりやって、護摩焚いて、大黒踊りやってる原始仏教なんかあるん
でしょうか。
ここでいくら原始仏教の知識を披露しても無駄ですよ。
桐山さんが完全な詐欺師かどうかということがテーマなのですからね。
原始仏教云々なんかお呼びじゃありませんね。


639 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 17:44:54 ID:pe7kRVMr
【ザ】が閉鎖されたようだね
向こうの住人はどうするのか
ここに来る?
新しいスレを2ちゃんで立てるのか?

640 :塗り変えられた原始仏教:2009/01/20(火) 17:47:19 ID:JfotDEj+
原始仏教を極めれば、その者は全て捨て去り乞食を選び
さらに奥を極めれば余生も捨て去る。
清らかに滅道する。
                     
                       合唱

ただ単に死後に救いを於くならばすバラモン教の死後による魂の救いとなんら変わらん。
それをやらかしたのが釈迦滅後の500年後の在家行者を捨て去った。
根本仏教とされる小乗所以の出家修行造反集団ほうである。
今の大衆部に堕落してしまったが当時の大衆部のほうが根本仏教にほど近いが
僧も在家からの布施欲で堕落したいったのも事実だ。


641 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 17:51:47 ID:zuzQDdmy
↑誤字脱字多し・・・、しかも仮名をwww
もっと文章の練習を。

642 :ラシン:2009/01/20(火) 18:04:17 ID:z4CSGF0k

Qさんは、欣喜雀躍、小躍りして会心のお気持ちのようです。
ま、ご自分では積年の恥の恨みを果たせたと、満足いている。
しかしながら、ベックやバーロなどを読む前に、
小一「アヒルの赤ちゃんあいうえお」からご勉強されたほうがいかがか。
主語が菩薩、比丘となっているから解脱前との解釈に翻弄され、本文が分からない。
修養とその成果を説明しているのですから、第三人称がそのまま使われている。
漏尽通は解脱したと知る成道者の智慧であることは、桐山さんも認めている。
しかし、それさえ知らなかったQさんが、桐山さんに反旗を翻す構図は面白い。
基本は漏尽解脱であり、煩悩を尽くした比丘が漏尽智に心を傾注し、
解脱認識を得たのであって、Qさんの解釈では漏尽智でどうやって解脱するのか
辻褄が合いません。
漏尽は戒清浄なくしては成り立たないと、樹意さんに何度も指摘されても
理解でいないようで、漏尽智であっという間に解脱するようです。


643 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 18:41:00 ID:jNkzDX/C
Q?おいらは別人だ。
掲示板は即席投稿当て字の世界だゆるせ。
カルトもこの世に破壊と騒乱の種子となるが
出家主体の原始仏教もこの世を滅ぼす学問だ。
宇宙からの抹消登録を目指してる人にはそれでよいかな。

これからの人類に必須とされるプラウト精神の
意識改革も手遅れで人災か天災か大破壊による再生立て直しになるのかな?。




644 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 19:06:27 ID:n6px8taR
我は神なり。ベルゼブブなり。

645 :ベルゼブブの原点を探る:2009/01/20(火) 20:11:15 ID:2xEY/FQX
キリスト教でいうベルゼブルとは元々異教のバール神を
蝿の王とあなどったのが始まり。
原型がバール神である神は日本にもインドにも中国にもユダヤ教に
も偏在している。
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/0-55.htm
バール神=牡牛は宇宙の中心を象徴した天文遁甲の中心の宿を牛宿にある。
信仰の原点はシュメールに戻り色んな宗教がそこから派生し
論争と戦いの輪廻を繰り返している。

人に存在する蛇の遺伝子かな。

646 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 21:55:19 ID:o74J9Ezg
>>632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>比丘はどこで阿羅漢になったのか、という問題です。

問題なのではなく、ペテン大作さんは読んでもわからないのでしょう?
「かのペテン大作はついに漏尽解脱を理解せず」というところでしょう。
あなたは沙門果経を読んでも、バローやベック、片山先生の解説を読んでも、
どこで解脱したかわからないんでしょう?
あなたの書き込みを読んで、そんなことだろうと思った。
だから、滅尽定の話が出てくると、滅尽定で解脱したなんて始めた。
あの反応を見たとき、あなたは何にも理解しておらず、
狭い視野のまま、目の前の文章をただ解釈しているのがよくわかった。
念のために言うが、あれはあなたを試すために出したのではありませんよ。
あなたが勝手にそのように解釈しただけです。
批判側は何度も何度も解脱についてすでに説明しているのに、
あなたはまったく気が付かない。
批判側の説明なんて受け入れてなるものかという強烈な反発心と、
桐山さんと同じで、ある瞬間にビビッと解脱したなんて思っているからです。
そういうアニメ解脱を信じている限り、釈尊の解脱は理解できません。
滅尽定の解釈で落とし穴に落ちた時、あなたは気が付くべきだったのだが、
慢心と憎悪ばかり強く、反省心がないから、同じ間違いを繰り返す。

647 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 21:57:32 ID:o74J9Ezg
>>632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>比丘はどこで阿羅漢になったのか、という問題です。

あなたは学者の解説を読んだ時、滅尽定で解脱したと読めた。
ところが、実際は違っていた。
今もあなたは漏尽通で解脱したかのように読める。
ところが、辞典の解説は違っている。
ところで、八解脱はどうした?
八解脱というのだから、解脱か、解脱の階梯に違いないはずなのに、
その中には漏尽通も滅尽定も出てこない。
八解脱で自分の付け焼き刃の知識を披露して批判側を圧倒してやろうと思ったら、
私から落とし穴があるぞと警告された。
ヤバイと気が付いて、あなたは出すのを止めたのでしょう?
そろそろ、自分が同じパターンの間違いをしていることに気が付いたらどうか。
学者の説明を読むと、漏尽通、滅尽定、八解脱とあちらこちらで解脱しているように見える。
「じゃあ、どれが解脱なんだ?!わからん」、これがあなたの上記の本音です。

648 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 22:02:54 ID:o74J9Ezg
>>632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>だから漏尽智で阿羅漢になったことになります。

「<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力.」(『岩波仏教辞典』)

あなたは漏尽通で解脱すると主張しているが、
では、岩波仏教辞典を編纂した学者たちは、ペテン大作さんよりも知識がないのか?
あなたが根拠とした沙門果経はこれらの学者たちが訳したものであり、
中村博士もその一人です。
あなたよりも沙門果経をよく知っているし、あなたが引用した部分も読んでいるし、
ベックの本も読んだはずです。
その中村博士が、神通力で解脱するのではないと書き、
仏教辞典では、漏尽通は解脱を確認する能力だとある。
これが間違いというのだから、ペテン大作さんは仏教学者よりもエライのか?
二百人からの学者たちが編纂した『岩波仏教辞典』に書いてあることが
間違いだと、ド素人のペテン大作さんは言うのか。
勝手な解釈をするのではなく、学者たちの書いていることをまず素直に受け入れ、
自分の解釈と照らし合わせて違っていたら、ド素人の自分の解釈が
間違っているのではないかと疑うのが当然です。
だが、慢心と憎悪ばかり強いペテン大作さんは自分を疑うなんて気はない。
桐山さんと同じで、自分の判断が正しいという前提で文章を強引に自説にあてはめようとする。
だから、桐山さんが仏教の解脱について一生間違い続けたのと同じで、
「かのペテン大作はついに漏尽解脱を理解せず」。

649 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 22:08:24 ID:o74J9Ezg
>>632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>だから漏尽智で阿羅漢になったことになります。

ペテン大作さんは、どうせ話など聞く耳を持たず、この文章も読みもしないから、
「かのペテン大作はついに漏尽解脱を理解せず」で放っておきましょう。
信者さんたちはペテン大作さんを反面教師にしてほしい。
ペテン大作さんは、いくら専門書を開いても、勝手な解釈をあてはめるから、
字が読めるだけで、意味が理解できない。
これは、信者さんたちも同じなのですよ。
三福道だの因縁解脱だのと勝手な解釈を阿含経にあてはめるのではなく、
まず、書いてあるとおりの文言を受け入れ、桐山さんのオカルト解釈は後にして、
学者たちがどのように解釈しているのか聞いてみるべきです。
桐山さんから、阿含経は間脳の書である、などと教えられて、
間脳を開いて霊的な能力がないと阿含経の意味などわからないと信じている。
寝言です。
釈尊は一般庶民に普通の言葉で説いた。
間脳を開かないと分からないなんていったら、当時の庶民はどうやって理解したのですか。
桐山さんは、信者さんたちに阿含経を自分の知性で読んでほしくないから、
「お前らも学者もわからない」と暗示をかけているのです。
桐山さんの解釈を阿含経にあてはめるのではなく、素直に読んでみることです。
ペテン大作さんのように、桐山説を擁護するために学者の解釈を持ち出すのではなく、
彼らがどのように解釈しているのか、ありのままに読んでみることです。
すると、少なくとも因縁解脱なんてどこにもないことに気が付きます。

650 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 22:13:32 ID:o74J9Ezg
>>632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>だから漏尽智で阿羅漢になったことになります。

もう一つ信者さんたちに、ペテン大作さんを反面教師にしてほしいことがあります。
それは、自分で理解できないような難しい仏教用語を振り回さないことです。
釈尊の教法を理解するのに煩雑な仏教用語など必要ありません。
中村博士が岩波文庫から出している阿含経の教法以上のことなどありません。
あそこにはそんな難しい仏教用語など出てこない。
漏尽通、四禅、滅尽定など、詳しい内容を理解する必要すらありません。
こういう言葉や、修行の体系化を必死にやったのが部派仏教です。
煩瑣な内容をああでもない、こうでもないと議論し、体系づけている内に、
何事か理解したつもりだったろうが、いつの間にか釈尊の教法から外れてしまった。
それがアビダルマの中に残っています。
桐山さんの大好きな七科三十七道品とはその体系化の一つです。
阿含経に合わせて、下手くそに体系化したから、かえって訳がわからなくなって、
後世、オカルト宗教家の詐欺ネタに使われた。
もし、このような複雑な体系が修行に必要なら、どうやってチューラパンタカは解脱したのですか。
簡単な詩句すら覚えられなかった彼は明らかな知的障害者です。
念のために言うが、釈尊が上根と下根の成仏ホーを説いたなんて真っ赤な嘘です。
あれは桐山さんの作り話です。
釈尊の教法は出家と在家ですら、基本は同じです。
頭の良いサーリプッタも、知的障害のあったチューラパンタカも同じ修行をした。

651 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 22:21:10 ID:o74J9Ezg
>>632 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:20:05 ID:PzoUHHpw
>だから漏尽智で阿羅漢になったことになります。

一部の学者や僧侶は煩雑なアビダルマで仏教を説明してみせる。
だが、その理解がなければ解脱できないなら、チューラパンタカはどうやって解脱したのだ?
九次第定のように、説明されても何のことかよくわからない瞑想を
簡単な詩句すら覚えられない彼がどうやって体得するのですか。
そんなことで解脱したのではないからです。
知的障害者でも理解できるような内容だったからです。
中村博士の訳した岩波文庫の阿含経にそのまま繰り返し説いてあります。
ところが、たぶん知的障害のないはずのペテン大作さんは理解できない。
簡単な経典が理解できず、煩雑な仏教用語を振り回して、
使い慣れないものだから、自分に斬りつけている。
信者さんたちの多くも、理解できないからこそ、アゴン宗にいられる。
私も最初読んだ時、よくわからなかったから、他人をバカにするつもりはない。
アゴン宗徒の場合、桐山さんから超能力による解脱とか、間脳開発とか、
あるいは漏尽解脱を小解脱して小馬鹿にする態度を身につけてしまっているから、
目の前に書いてあっても読めないのです。
それではペテン大作さんと同じになってしまう・・・というと、信者さんたちは
「侮辱する気か!」「その言葉はひどすぎないか」と反発するでしょう。
もちろん、私はそんな卑しめた言葉を信者さんたちに投げつけるつもりはありません。
だから、彼と同列にならないためにも、しっかりと何度でも読んでください。

652 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 22:24:32 ID:o74J9Ezg
>>635 :神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 16:37:12 ID:PzoUHHpw
>原始仏教とは何と清清しい世界なんだろう。
>それに比べて批判側のレスは何と汚いんだろう。

因縁解脱の説明はどうなったのだ?
あなたが引用した文章のすべては漏尽解脱についての解釈です。
それをまるで因縁解脱の根拠であるかのようにごまかしているペテン大作さんの汚さはどうだ?
私からの毎回の指摘を完全無視して、あなたは因縁解脱については
一言も触れようとしない。
その薄汚さはどうだ?
あなたのその薄汚さこそがいかにも桐山さんの信者らしい。
仏教の「汚い」とは、何度も説明したとおり、煩悩を指します。
>>582のような経典を引用しても、まだ理解できないとは驚きです。
桐山さんは、仏教の解脱とは因縁解脱だと説いている。
だが、あなたが引用した文章のどこにも因縁解脱などない。
因縁解脱なんて桐山さんの真っ赤な嘘だからです。
嘘をついて人々を騙し、護摩木で金を集めている。
あなたはその手伝いをしている。
教祖も信者も釈尊の教法とは全然違う解脱を宣伝に用いて、
煩悩丸出しにして、金集め人集めをしている。
煩悩を丸出しにしている桐山さんとペテン大作さんこそ、
仏教的には「汚い」のです。

653 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/21(水) 00:43:37 ID:mhWojgyi
┌──────────┬────────────┬──────────────┐

│自覚道(佛陀、辟支佛) │→(十二縁起 四諦)→苦→信法→戒→定→慧→解脱→證解脱 │

├──────────┼────────────┼──────────────┤

│他覚道(声聞四雙八輩) │→(四預流支)→(四 諦)→淨信→戒→定→慧→解脱→證解脱 │

├──────────┴────────────┼──────────────┤

│● → → → → 世、俗八支正道 → → → → → ◎ → 聖、出世間八支正道 → ○│

├───────────────────────┼──────────────┤

│ (有漏)十 善 業 道 │ 「十正行、十無学法」 │

└───────────────────────┴──────────────┘




654 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/21(水) 00:47:30 ID:mhWojgyi
間違っています
 ↓
ID:o74J9Ezg

655 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/21(水) 00:48:09 ID:mhWojgyi
間違っています
 ↓
ID:o74J9Ezg

656 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/21(水) 00:54:37 ID:mhWojgyi
色觀色。初解脱。
内色想觀外色。二解脱。
淨解脱三解脱。
度色想滅有對想不念雜想住空處。四解脱
。度空處住識處。五解脱。
度識處住不用處。六解脱。
度不用處住有想無想處。七解脱。
滅盡定。八解脱

657 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/21(水) 01:01:22 ID:mhWojgyi
信解脱 彼分解脱
定解脱 鎮伏解脱
慧解脱 正断解脱

658 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/21(水) 01:04:49 ID:mhWojgyi
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いています。
初期仏教では、漏尽知→四諦→仏陀、阿羅漢となることを説いているのは常識です。

「初期仏教での三明は、
部派仏教群に移る過程において
縁起認識=仏陀説法(仏塔仏伝派)と
四諦認識=仏陀説法(修行論構築派)にわかれています。
(ブッダゴーサ(上座部大寺派)は、その両方の系統を含み伝えています。)
北伝阿含もパーリ経典の編纂の流れもそれぞれ知る必要があります。
釈尊の初期仏教についての真義について知る必要があります。 」

659 :樹意:2009/01/21(水) 07:19:22 ID:hVW6Mqfe
>>632

>>327 神も仏も名無しさん sage 2009/01/11(日) 16:50:50 ID:Sr3ztkK8
> >>323 :樹意:2009/01/11(日) 16:36:09 ID:X5cOLb9v
> >今回の私の書き込みをどう応用するのか楽しみだね〜。
>
> 別に患者さんの書き込みを応用する気はない。
> というより読んでいない。
> 今回は嘘つき軍団に樹意がいなかったのが悔やまれる。

>>300  >>301 >>541  樹意 作  www
>>300 樹意 2009/01/11(日) 11:59:53 ID:83kww+bj
> これ書くとペテン大作さんなどは小躍りして喜ぶかもしれませんが

片山教授の引用はかなり前から私が引用し、当スレにおいては スデに(>>301)から
指摘している。 しかも 私がこれを書くとペテン大作氏が応用し使うだろう指摘も
>>323)でしている。 ペテンさんは、上記反応を示し、小躍りして
それを使用した。
まぁ、樹意のことを病院いけだの 患者だの 病院抜け出してきたのかだの 散々罵った
割りにはその指摘をちゃっかり 使わないといいつつ 使ってきたという恥ずかしい
人がペテン大作さんというわけだね。 
私を患者と罵ってレッテル貼ったのは アナタなんだから、患者の指摘を採用したアナタは
いったいなんとお呼びすればいいのだ。 ?

病原菌か? 寄生虫か ? ミジンコか ?   −−−− 
初涅槃の議論のときもそうだが、私が教えてあげたのだよ。
アナタはいったい誰と議論しているの ?
あなたは私樹意の意見や引用を採用したのだ、であるなら それをもって樹意の意見を
批判するネタになりようがないではないか 。

660 :樹意:2009/01/21(水) 07:33:10 ID:hVW6Mqfe
 アゴンという宗教152
> >>101 :神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 00:28:54 ID:mvII+9BE
> >ユビキタスさんも書いているように、そもそもあなたいう解脱が
> >何を指しているのか、まだ説明されていない。
> >アゴン宗の因縁解脱とはどのような内容か。
> >それはベックのいう解脱とどう関係しているのか
> >墓穴を掘ることがわかっているから、無視しているのでしょう?
>
> もう何度も説明しているのだが七氏さんにはさっぱり理解できない。
> 仏典には三明の解脱も滅尽の解脱も或いは他の解脱も説かれている。
> 仏典に説かれる解脱は一種類ではない。

もともと ペテン大作さんの場合は 解脱の定義すらあきらかじゃない。
八解脱なんてのも持ち出している。 引用経典も沙門果経だけではない、
アゴンの因縁解脱なのかの説明もない。
四禅で解脱するか否かの議論であれば 大念処経のように三明を説かず完全智を説く経典を
どう説明するのかの質問にも答えたことはない。 
煩悩滅の智にしても 法念四聖諦観から観察智 後有を受けざるまで 絶対門での説明を
我々批判側はしている。 
事細かに 文章のどの部分に どういう注釈が入っているまで説明している。
一般的に経典を説明する場合 相対門での説明がある。



661 :樹意:2009/01/21(水) 07:39:35 ID:hVW6Mqfe

>>537 樹意 月のウサギ3 2009/01/16(金) 20:53:05 ID:vE7wFG7/
> 決定の話(観 道 涅槃)の各語によって確定した話(vavatthana-katha)、
> 絶対門による話(nippariyaya-kkatha)が知られるべきである。
> ただし、相対門(pariyaya)によれば、これらすべてはまた、道の同義語にも
> なり、涅槃の同義語にもなる。

(観 道 涅槃)を相対門では 道、涅槃と説明する場合もある。
これを絶対門で批判するなら (観 )は涅槃とはいえない。
今回煩悩滅の智に関しても 説明した通り。 
道の刹那 解脱の刹那の文章は示されている。 その前後を含めて相対的に
煩悩滅の智 へ心を傾注しとある。 

ペテン大作さんの場合は 相対門さへ超えて アゴンの因縁解脱とどう関係があるのか
までの茫洋とした範囲で自分の立場を明らかにせず批判側を嘘つき呼ばわりする。 
言葉尻を捕まえる事に汲々するなら そりゃ便利だろうが、キチンと立場をあきらかに
するべきだろう。 アゴンの解脱なのか相対門なのか 絶対門なのか 。

批判側は相対門 絶対門での引用 説明をこなしている。 そもそも語句に拘るだけの議論であるなら
ここはアゴンというイベント宗教業者の批判板だから 板違い。 破戒だしね。


662 :神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 08:18:54 ID:Z+WJDoSx
>>樹意
あんた、もう既に論破されいてるよ。


663 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/21(水) 08:46:47 ID:HLm0FEv/
ザのスレ、いよいよサドンデスですね。
四十一章始まったばかりのところでしたが、四十章を無事使いきり、終わりました。
当初スレ立てしてくれた大いなる涅槃さん、途中からスレ立て引き継いでくれた服部社長さん、
終盤を引き継いでくれた社長代行さん、長い間ありがとうございました。
いろんな人がいましたね。
眠り猫ブッダさん、トラベラーさん、大王の使者さん、如来の子孫さん・・・ん?皆同一か?
孫 青柿さんもここから出ています。最初はX27号さんでしたっけ。
フジウスさん、中沼源太郎さん(桐止ハルオさん)も出てきた貴重なスレでした。
皆様、お疲れ様でした。

664 :孫 青柿(あおがき):2009/01/21(水) 11:35:14 ID:ZB3qAGlU
>>663 お疲れ様でした。いきなり終わりました。
もう、「阿含宗と桐山氏について」も終了なのでしょうか?
ユビvs☆ ももう見れないし他の掲示板に移しても無意味でしょうか

665 :神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 11:56:49 ID:Z+WJDoSx
>>ユビキタス孫青柿
スレ違い荒らしは、やめようね。よそに行ってください。


666 :ラシン:2009/01/21(水) 12:03:36 ID:gGxsfjSH

Qさんのトリックがあるようですが、意識的か独善解釈により無意識か?
桐山さん同様トリック好きなのか?
>>582 :神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 16:19:21 ID:Mbgr0rd2
<煩悩滅の智>
このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになると、
かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます。かれは、
『これは苦である』と、あるがままに知ります。
ー中略ー
解脱したときには、解脱したという智が生じます。
『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
(原始仏教 第2号 沙門果経 (中山書房仏書林) 67、68頁)

これはQさんの沙門果経の正確な写しであると、信用いたしますと、
上記<煩悩滅の智>は智慧の宗教たるゆえんですから、<煩悩滅の智>は整合します。
戒清浄を段階的に修養し、最終段階で智慧によって煩悩滅を為すのですから。
しかしQさんは、>>585において”比丘は、もろもろの煩悩を滅する智(漏尽智)
に心を傾注した結果、”といきなり自己解釈を挿入していますね。
<煩悩滅の智>を(漏尽智)と括弧書きにして自説を主張する補強にした。
私は、沙門果経やベック本を持っていませんのでQさんの提示に従っていますから、
違うなら、<煩悩滅の智>が”漏尽智”だとの経典なり、学説をご提示願えますか?


667 :神も仏も名無しさん :2009/01/21(水) 16:11:45 ID:7u9Pv1U6
>>665
頭大丈夫か?
アラシはぎゃーていだろ

668 :神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 17:01:57 ID:fJ4+MUMr
阿含の法具っていくらぐらいするの?
なんか不動明王の像とかプラスチック製?の宝玉みたいのとか
どんどん増えていくんだけど・・・


669 :神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 17:10:26 ID:/qm4yzAN
でるでるアゴングッズ


670 :樹意:2009/01/21(水) 21:49:53 ID:hVW6Mqfe
>>666
> 違うなら、<煩悩滅の智>が”漏尽智”だとの経典なり、学説をご提示願えますか?

横レス失礼、 ラシンさん私が注釈を持っていますから引用します。
>>582  の引用をそのまま読めばいいだけです、
文章中 煩悩を滅する智に心を傾注しとありますが、その注釈を紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
savakkhaya-nana。漏尽智。〈煩悩の滅(asavakkhaya)〉とは、道(magg-a〉とも、
果(phala〉とも、涅槃(nibba-na〉とも、破壊(bhanaga〉とも言われるが、
ここでは「涅槃」、あるいは「阿羅漢道」(arahatta-magga)が意味される。
片山一良氏訳 沙門果経 煩悩滅の智 注釈。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>>582  に 引き続き四聖諦 を如実に知るという風景が描写されていますが
要するに観禅(ビバサナ)内観の智に引き続き 四聖諦を完全に如実智見する。
これが煩悩滅の智でその次に観察智 省察智がきて仕上げになるわけです。
道の刹那も煩悩が尽きて 後有 を受けないのを確認するのもこの
文章の中に説かれているわけです。
文章中には 道智も 果智も 省察智も書いてある、
道の刹那も書いてある。

要するに省察智である漏尽智にこの 法念四聖諦観 を包含してしまったわけです。
或いは 煩悩が尽きたことを確認する智 という省察智の説明をつけた。
広くいうなら(観 ビバサナ)であり、内観の智です。

旧セヤドーの十六観智によると 
十四、 道智(magga-nyaana)
十五、 果智(phala-nyaana)
十六、 省察智(paccavekkhana-nyaana)

671 :樹意:2009/01/21(水) 21:52:59 ID:hVW6Mqfe
相対門として 道智 果智 を省察智(漏尽智)の中に包含して説いたのは文章からも
図れるわけです。
作業としては内観の智の段階でほぼ終了していて、内観の智の注釈には以下のように
ある。

ここにいう〈智見〉とは、道智(magga-nana)とも果智(phala-na-na)とも一切智
(sabbannuta-nana)とも観察智(paccavekkhana-naana)とも観智(bivassana-nana)とも
いわれる。
片山一良氏訳 内観の智 注釈 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ですからまぁ この文章自体が内観の智(本来の成仏法)である 観禅をほぼ終了(要するに
解脱し)
解脱を得て最後に仕上げた部分と言えますね。 だから これに漏尽智の名を冠するのも
私としてはうなづけるわけです。
Qさんは 言葉尻を捕まえて印象操作するだけの方ですから、相対門として翻訳者が
説明しているものも 絶対門として説明するものもごっちゃにしますが、 細かく言うなら
道の刹那の描写は文章中にある。 だけれども全部が全部刹那刹那として説明するわけでも
ないですからね。
その前後の文章をもってきて 漏尽智(省察智)の名を冠するのもあり得るわけです。

四禅の状態で観(ビバサナ)を修行し 果智 を得る 大念処経には三明は説かれていませんが、
その流れはキチンと示されています。
この沙門果経においても四禅の状態であるのが示されその後 最後の仕上げである、法念四聖諦
が説かれるということです。



672 :樹意:2009/01/21(水) 22:01:34 ID:hVW6Mqfe
要するに製造業の現場やら 建設業の現場で
製品ができて、製造 完成 検査 確認 の流れを
完成検査 製品が完成したのを確認すると 名づけたようなもんです。

別段おかしなことはありやせん。
Qさんのつっこみどころは 言葉尻を捕まえるだけですから
検査 確認の中に 最終検査 手直しがあるのはおかしいとかいっているようなもんで
まぁ  因縁つけてるだけのもんです。
wwww

673 :樹意:2009/01/21(水) 22:10:30 ID:hVW6Mqfe
旧セヤドー hpより、根拠はおそらく(道清浄論)
十六観智とは、
一、 名色識別智(naamaruupa-pariccheda-nyaana)
二、 縁摂受智(paccaya-pariggaha-nyaana)
三、 思惟智(sammasana-nyaana)
四、 生滅随観智(udayabbaya-nyaana)
五、 壊滅随観智(bhanga-nyaana)
六、 畏怖現起智(bhaya-nyaana)
七、 過患随観智(aadiinava-nyaana)
八、 厭離随観智(nibbidaa-nyaana)
九、 欲解脱智(muncitukamyataa-nyaana)
十、 省察随観智(patisankhaa-nyaana)
十一、 行捨智(sankhaarupekkhaa-nyaana)
十二、 随順智(anuloa-nyaana)
十三、 種姓智(gotrabhu-nyaana)
十四、 道智(magga-nyaana)
十五、 果智(phala-nyaana)
十六、 省察智(paccavekkhana-nyaana)






674 :樹意:2009/01/21(水) 22:12:22 ID:hVW6Mqfe

行捨智まできたなら、ほぼ涅槃です、  行(サンカーラ) 誤れる思い込みを 見破った
段階ですからね。
十支縁起が 十二縁起になる。 彼は我見の 思い込みを超えるまでの到達をしたわけです。
尺取虫が いったりきたりしなくなる段階に入るのです。
そもそも ゲイカが本物だったらこんな説明は 入行して 一週間目には理解している。
そういことです。





675 :阿含宗ホームページより:2009/01/21(水) 22:17:30 ID:+wxGeFJb
第36回阿含の星まつりスペシャルサイト公開
http://www.agon.org/hoshi2009/index.html

676 :ラシン:2009/01/21(水) 22:58:17 ID:doXPcemH
>671 :樹意
その前後の文章をもってきて 漏尽智(省察智)の名を冠するのもあり得るわけです。

樹意さん、詳細なる補説をありがとうございます。
以前言われていた、つま先と、かかとのご指摘に充分に頷けるものです。
また、ご説明にある相対門と絶対門の分岐点は、学者でも絶対的なる
明確性に置いて区別出来ていないように思われます。
私なりに解釈すれば、戒清浄の成果が成就される煩悩滅の状態は、
禅那においてまた刹那において、人により異なるタイムラグが生じるようですね。
そこで、七氏さんのご指摘にもある漏尽智の辞書による解釈から判断しますと、
決してQさんの強弁する漏尽智で解脱したとは、賛同得心出来かねるものです。
このことに拘るのは、一見ここのスレの主旨から乖離しているようですが、
この解釈を誤りますと、仏教には桐山さんのような超能力解脱の可能性を
容認する誤解が、これからも まかり通る危惧を覚える所以です。
樹意さんのご説明によれば、解脱〜解脱知見が抱合された経典への学説と、
解釈できます。
これは常々、七氏さんが提示されている学説の解脱解釈の抱合性と
よく一致しております。

>細かく言うなら道の刹那の描写は文章中にある。 
だけれども全部が全部刹那刹那として説明するわけでもないですからね。

それは伝承経典の特異性なるリフレインに、学者がまともに付き合った
学説の存在性であり、Qさんが誤解してしまう陥穽と感じます。
承前、解脱到達への解釈は微妙ですが、釈尊の思想と中村博士等幾多の
仏教学者の仏説の基本を踏まえますと、七氏さんの解釈は理解しやすく、
その本道をよく解説されていると判断出来ます。
そこには、桐山流因縁解脱もカルマ解脱、霊障解脱も入る込む隙は
全くありませんね。


677 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/21(水) 23:52:15 ID:HLm0FEv/
漏尽通で解脱を得るのだ。
仮面ライダーの変身みたいなものよ。
ライダ〜〜〜・・・変身!
ろ!じん!つー!
これでボサツは解脱してブッダになるのです。
一番初期の仮面ライダーよりかっこいいだろ?
本郷猛はバイクに乗ってベルトに風を受けただけで変身してしまう。
「おい、猛。バイクで奥多摩にでもツーリングしようや」
「おう!」
「風を感じるんだ。気持ちいいぜ」
「うん、気持ちいい・・・」
「おい?本郷。おまえ何変身してるんだよ。敵もいないのに、みっともねー」

678 :樹意:2009/01/22(木) 03:06:46 ID:zRaoI+Jt
>>676 

> 決してQさんの強弁する漏尽智で解脱したとは、賛同得心出来かねるものです。
> このことに拘るのは、一見ここのスレの主旨から乖離しているようですが、

んにゃ 別段スレ違いでもないですよ、
煩悩を滅する智に心を傾注しとあるでしょ、 んで、四聖諦ーー
『これは煩悩の滅尽にいたる行道である』と如実に知ります。 −−

これは大念処経に詳細に説かれていますから、書いてみましょうか。
31、
つぎに、比丘たちよ、「苦の滅尽にいたる行道という聖なる真理」とは何か。
これは聖なる八支の道です。すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、
正精進、正念、正定です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
んで、正定の説明は私のした説明である 初禅〜第四禅。
比丘たちよ、これが「苦の滅尽にいたる行道という聖なる心理」といわれます。
んで、ジャナバサバ経には 七の禅定の眷属が正定の完全な修習のためにとあります。

679 :樹意:2009/01/22(木) 03:08:30 ID:zRaoI+Jt
滅道である(八聖道)で解脱し涅槃を得るのであり、そのうちの正定の修習の
為にほかの七は要件となるわけです。さらには なんで正定というかというと
止禅だけでなしに、観禅(ビバサナ)が入っているからだと以前私は書いたわけです。
引用すると長くなりますのでかいつまんで書くと、
大念処経 諦把握の部補注には 七覚支の次にきて、洞察するのだと。
ほんでこの諦把握の業処の説明は25なのだがその前の24は(消滅による
「完全な滅尽」などの一切は「涅槃」nibba-naの道義語である。−−−
とあります、ちなみに23は捨覚支の説明です。

念処の補注
たとえば、東から来るものたちが東方の産物を持ち、東の門から都へと入るように、
身随観によって来る者たちは、十四種により、身隋観を修習し、身隋観の修習の威力
によって生じている聖道(ariya-magga)によって、一の涅槃へと入る。
ーーー受隋観によってーーー心隋観によってーーー法隋観によってーーー略ーーー

セヤドーの引用にあるように 修行者の条件によって業処を割り振り、正定(止観)
によって解脱する。んで、最後に四聖諦を洞察するのですよ。
だから、今まで七氏さんや他の批判者の方の指摘で間違いはないのです。

それとね、仏陀は転法輪において四諦八正道 (中道)を説かれたのですから
それから外れることはないのです。
Qさんは 言葉尻を捕まえるのが仕事ですから、どんどん ゲイカの教えからすら
外れる お方 なのです。 ただそんだけ。



680 :樹意:2009/01/22(木) 03:17:45 ID:zRaoI+Jt
ゲイカの洗脳が効いているからでしょうか、 神通力で パッと 解脱する
イメージが信者さんやQさんにある。 だから自分で引用した文章を
調べもしない。

今回も 漏尽通で パッと解脱するイメージで 食ってかかっている。
まぁ ゲイカも 修習を八正道ではないと誤魔化したわけですからね、
タヌキもタヌキ あ、銀キツネでしたっけ。 www

ちなみに 沙門果経 神通注釈は
神通とは、すぐれた智(nana)またはそれによって生じる力をいう。

とのこと 神通(三明)で解脱するようなものではありません。
あくまで 滅道は八正道です、ですから 破戒イベントをやらかして
解脱するようなことはないのです。




681 :樹意:2009/01/22(木) 03:22:48 ID:zRaoI+Jt
>>680

> まぁ ゲイカも 修習を八正道ではないと誤魔化したわけですからね、

この部分訂正 道諦を八正道ではないと誤魔化した。 www 


682 :神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 08:34:39 ID:eoHXsPG8
そういえば、星まつりは参拝者数もすごいごまかしだよね。京都駅からのバス、タクシー、ツアーバス、どう計算しても48万人にはならんでしょう。しかも、参拝者数も護摩木も減っている。だから地方巡業、海外巡業が必要なのか。

683 :神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 08:41:20 ID:dYQ5lUaY
セヤドーって
原始仏教の論文かいてる東大の学生に
解釈の矛盾を指摘され、
あっさり論破された1 セクトでしょ。
消えたはず


684 :神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 10:50:20 ID:djrT1qMV
>>683
もう少し 詳しく、

685 :ラシン:2009/01/22(木) 11:43:14 ID:d2UfP5by
>679
セヤドーの引用にあるように 修行者の条件によって業処を割り振り、正定(止観)
によって解脱する。んで、最後に四聖諦を洞察するのですよ。
だから、今まで七氏さんや他の批判者の方の指摘で間違いはないのです。

樹意さん、納得できました ありがとうございます。

686 :マハー・河童サ:2009/01/22(木) 11:45:33 ID:i0pHcY2B
原始仏教に人生設計など御法度
後は死を待つ余生のみ
並の人なら鬱病を発症するだろう段階をもって
サマディで意識をマインドさせ意識を転化させる
教団があれば最後に残るのはサンガと流布のみとなり
極めたらサンガと流布も捨て娑婆を捨て山に入るもよし
この世を去るも良し、それが原始仏教だ。

687 :マハー・河童サ:2009/01/22(木) 12:32:05 ID:NYKhdKwD
四念処 自分観察

比丘は自分の身体の中に頭から足に至るまで
種々の不浄物が充満しているのを観ぜよ。
私の身体の中には髪、髦、爪、歯、粗細薄膚、皮、
肉、筋、骨、心、腎、肝、肺、大腸、小腸、脾、胃、
摶糞、脳、及び脳根、涙、汗、涕唾、膿、血、肪、
髄、涎、痰、小便が充満していると観察せよ。
比丘は身体の中の諸々の物質を観ぜよ。私の身体の中は、
個体、液体、気体、エネルギー、空間、記憶があると観ぜよ。
ちょうど子牛を殺し、皮を剥いで地面に敷き、六つに切り分けるように、
個体、液体、気体、エネルギー、空間、記憶があると観ぜよ。
比丘は屍を観ぜよ。一日から七日わど経った屍が烏や狼に食われ、
あるいは火に焼かれ、あるいは腐乱して壊れて行くのを観ぜよ。
私の身体もいずれはこのようになり、免れることは出来ないと。
比丘は屍が腐乱して骸骨になって連なっているのを観ぜよ。
私の身体もいずれはこのようになり、免れることは出来ないと。
比丘は皮を剥いで筋肉だけが連なっているのを観ぜよ。私の身体もこのようになっているのを観ぜよ。
比丘は骨がバラバラに放置されているのを観ぜよ。頭蓋骨、鎖骨、胸骨、肋骨、
脊柱、骨盤、腕の骨、足の骨が散乱しているのを観ぜよ。私の身体もこのようになっており、
いずれはこのようにバラバラになると。
比丘は骸骨が散乱し、粉々に壊れているのを観ぜよ。私の身体もいずれはこのようになると。

上座仏教は自分だけにとどまらず様々な死者死体の瞑想を行う。




688 :樹意:2009/01/22(木) 12:33:45 ID:zRaoI+Jt
>>683

私は論拠を片山教授だろうがセヤドーだろうが増谷博士だろうが提示して批判示してある、
ゲイカのように根拠をいじったり したわけではない。 何か問題でもあるのか ?
セヤドーは本の出版すら金銭の授受になるとかいって対策を講じる方のようですしね、
私が引用してきたHPの和訳にしろ、監修すらせず 翻訳させてくれといった方にただ許可を
与えただけのようです。ですから翻訳者の方が責任の一切は自分にあると書いてある。
いかに戒律を大事にしているかということです。
ゲイカだったらそうはいかない。 

別段 セクト扱いしようが その都度中身を指摘すればいいのですよ、セヤドーの場合全て
経典根拠が示されていますからね、事細かに。 
アナタも中身で議論すればいいじゃないか。ゴマを焚いて占いをして 戒清浄になるのか否か。
智見清浄が成り立つのかどうか 。 ほら 議論して御覧なさいよ。
その中から今回 正定 の説明をみつけ方山教授の翻訳 注釈からその裏づけをとった、他のものに
してもそうです、根拠を清浄道論によるものはその旨書いてある。

私なんぞが議論の相手にしている方などは 増谷博士そのものを否定するような方もいますしね。
アナタのようなことを言うだろう方が出てくるのは 計算済みです。
ですから裏づけを取ったものを提示している、根拠を調たい方は調べ直して反論するなり
納得するなりの流れとなる。

そもそもここはセクトアゴンカルト批判板です、しかしながら批判するに 私はアナタのような
レッテル貼っただけの根拠を示さない批判というものをしてはいないし、そういう行為も否定
してきた。
根拠が示されているのだから正面から議論すればいいのではありませんか。 


689 :樹意:2009/01/22(木) 12:46:17 ID:zRaoI+Jt
>>685
> >679
> セヤドーの引用にあるように 修行者の条件によって業処を割り振り、正定(止観)

誤解のないように書いときますが、 先に引用した 念処の補注は 片山一良氏の
大念処経 穂注になります、
すなわち セヤドーも言及していますが、片山教授の念処の補注にもあるという 
ことです。
修行者の条件によって、 業処が割り振りされるのは子孫さんとの議論で出た、
結集経にもあることです。  
要するに 味気ないように見える阿含経ですが、業処の説明やら 観禅によって得た
風景を示しているのが多々あるということです。 縁起の法もしかり。





690 :神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 14:04:10 ID:dYQ5lUaY
じゃヒントね。
引用してるセ○ドー
元オウムの人がほにゃららで閉鎖



691 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 04:23:01 ID:uRZd35Oa
おはようございます。

692 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 08:55:38 ID:lIoFOXSA
今年は、新聞広告はもう出たのかな?

693 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:36:04 ID:y5q9Cq2H
>>666 :ラシン:2009/01/21(水) 12:03:36 ID:gGxsfjSH
>Qさんのトリックがあるようですが、意識的か独善解釈により無意識か?
>桐山さん同様トリック好きなのか?
>>672 :樹意:2009/01/21(水) 22:01:34 ID:hVW6Mqfe
>Qさんのつっこみどころは 言葉尻を捕まえるだけですから
>検査 確認の中に 最終検査 手直しがあるのはおかしいとかいっているようなもんで
>まぁ  因縁つけてるだけのもんです。
>wwww

因縁付けてるのは自分なのですがね^^
他の批判側はいい加減に他の話題に振りたいのだが
この両名はその空気を読めず、
あくまでシツコク食い下がっております。
すべて無駄な努力です。

「解脱→三明」が成り立つには
もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し向ける前に
解脱して阿羅漢になっていなければならない。
これが大前提なのです。
ところが「心が安定し」に解脱の意味はなかった。
すなわちこの段階で比丘は阿羅漢にはなってはいない。
この事実で「解脱→三明」は跡形もなく崩れ去ったのです。

694 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:38:22 ID:y5q9Cq2H
>>582
<煩悩滅の智>

>このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
>付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになると、
    
この時点では比丘は阿羅漢にはなっていません。
そして次のステップ。 


695 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:38:53 ID:y5q9Cq2H
>かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます。かれは、
>『これは苦である』と、あるがままに知ります。
>『これは苦の生起である』と、あるがままに知ります。
>『これは苦の滅尽にいたる道である』と、あるがままに知ります。
>『これらは煩悩である』と、あるがままに知ります。
>『これは煩悩の生起である』と、あるがままに知ります。
>『これは煩悩の滅尽である』と、あるがままに知ります。
>『これは煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに知ります。
>このように知り、このように見るかれには、
>欲望の煩悩からも心が解脱し、
>生存の煩悩からも心が解脱し、
>無知の煩悩からも心が解脱します。
>解脱したときには、解脱したという智が生じます。
>『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
>もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
 
これで阿羅漢になりました。
ということは
阿羅漢ではない人間が
>かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます。かれは、
から始まって
>もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。
の間で阿羅漢になったのです。
だから「三明→解脱」になるのです。
これは小学生にも理解できる内容です。
この両名の頭の悪さには本当に驚かされます。
この話題はこれからも取り上げるのでお楽しみに。

696 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:39:54 ID:h/lJu/x9
お呼びじゃない。



697 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:43:42 ID:y5q9Cq2H
『沙門果経 Samannaphala-sutta (サーマンニャパラ・スッタ)
 第一義的には、「沙門」という道(=八聖道)による、
阿羅漢を最上とする「果」(=四果)の完成を説くところに、
その主旨がある。
『梵網経』が「仏」をめぐって仏教の基本的立場を表明するのに対し、
本経は比丘といういわば「仏弟子」をめぐってそれを闡明にする。
経蔵中、これがまた、教義的にも実践的にも
最重要の位置を占める一経であることは言うまでもない。』
(『原始仏教 第二号』 2頁)

698 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:45:11 ID:y5q9Cq2H
>696 :神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 15:39:54 ID:h/lJu/x9
>お呼びじゃない。

嘘つきのお仲間です。

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