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阿含宗という宗教151

1 :口下手番長151:2008/12/06(土) 21:20:52 ID:FUicKcCK
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
初めての方のためのダイジェスト版は
http://religion.bbs.thebbs.jp/1130673101/463-864
http://religion.bbs.thebbs.jp/1137513788/7-79
過去の関連スレッドは下記にあります。
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/
http://i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fetcsouko.hp.infoseek.co.jp%2F
ダウンロードして保存することをお勧めします。


2 :神の愛の証言者:2008/12/06(土) 21:53:34 ID:0CU4DplC
2GET 俺様がこのスレを汚してやる

3 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/06(土) 22:02:10 ID:vK49XYMx
有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。

4 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:23:35 ID:6vqPNoyl
スレ150
>594 :Q:2008/12/06(土) 15:28:57 ID:kJfA2Uq0
>【落武者実態レポート】
>★印象操作が大好き!!
>(縁起説が定説であるかのように見せかけた)

あなたは中村博士の文章を、
「解脱の内容は縁起ではない」
と解釈しましたね。
(あなたは「おれはそんなことは書いていない」とまた屁理屈を並べるでしょう)
だから、上記のように縁起説と書いた。
だが、中村博士は
「解脱の内容は十二縁起ではない」
と言っているのです。
悟りが縁起とは関係がないなんて学者が言うはずがない。
中村博士が言いたいことは、「釈尊の悟りである縁起とは、
十二縁起のような体系づけられたものではなく、もっと簡単なものだった」
という主張です。
縁起を説かなかったと言っているのではありません。
ところが、あなたはこれを「釈尊の悟りには縁起はない」と解釈した。
釈尊の悟りである縁起が、十二縁起として説かれたか、もっと簡潔に
説かれたかどうかなんて、学者同士で議論してもらえばいいことです。
だから、私は引用しなかった。
常の如しで、私の印象操作ではなく、あなたの読解力の問題です。

5 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:35:01 ID:6vqPNoyl
>594 :Q:2008/12/06(土) 15:28:57 ID:kJfA2Uq0
>【落武者実態レポート】
>★印象操作が大好き!!
>(縁起説が定説であるかのように見せかけた)

あなたは私が引用しなかったのを見て、「七氏め、隠し事をしたな」と確信して、
大喜びしたのですね。
あなたと違い、私はそういうインチキをこれまでしたことはない。
「こんな簡単にわかることなのに、七氏は引用しなかった。
なぜだ?」と、どうして疑問を持たないのだろう。
当然、まず自分の読解力に疑問を持つべきです。
毎度毎度、あなたは読み間違いを指摘されてきた。
また読み間違いをしたのではないかと、自分を疑ってみることです。
あなたが自分を疑わなかったのは、第一に仏教を理解していないからです。
縁起説は釈尊の根本的な教えだから、これを否定するのはいくらなんでもおかしいと
普通の仏教の知識さえあれば、まず気が付く。
しかも、中村博士は前半で十二縁起がよく言われることだと書いている。
あなたが引用した文章には古い阿含経では「簡単な縁起説が説かれている」と書いてある。
このあたりで、あなたは縁起と十二縁起との違いに気が付くべきだったのだ。
だが、あなたは気が付かず、「【落武者実態レポート】 ★印象操作が大好き!!」
と大喜びして、また自爆した。
毎回、あなたに助言していることをまた書きましょう。
私への憎しみをなくせとは言わないから、本を読んで解釈する時だけは、
その憎しみを抑えてはどうか。
でないと、あなたの国語力が低いことと、憎しみだけで書いているのが
毎回ばれてしまう・・・無駄な助言であることは知っています。

6 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:45:23 ID:6vqPNoyl
>588 :Q:2008/12/06(土) 15:07:57 ID:kJfA2Uq0
「ただ、「さとり」を意味する諸原語についていえば、
「真理にめざめること」 「真理を知ること」
「または完全にはっきりと知ること」である。」
( 同書 415,416頁)
>590 :Q:2008/12/06(土) 15:09:34 ID:kJfA2Uq0
「この句から見ると、解脱は確信を得ることと同じであると解してよいであろう。
(原始仏教の思想T 841頁)

信者さんたちは特に注目してください。
これが神通力でカルマを切るのが解脱だという桐山説の根拠だそうです。
だが、私の読解力では中村博士の解説はどう見ても、ごく一般的な解脱の説明です。
この文章のどこから、神通力でカルマを切るという意味に読みとれるのだろう。
だが、ペテン大作さんの読解力では、
「桐山解脱・・・神通力でカルマを断ちきることが解脱である。」
と如実にはっきりと読みとれるらしい・・・・。
信者さんで、ペテン大作さんに代わって、解説できる人がいたら、
通訳をお願いします。

7 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:48:29 ID:6vqPNoyl
>591 :Q:2008/12/06(土) 15:15:24 ID:kJfA2Uq0
>「解脱」とは「真理を知ること」であり、「確信を得ること」です。
>そして「知る」には人間の心を浄化する働きがある。
>それに気づけば三明とは解脱のことであると理解できます。

真理とは四諦です。
四諦とは、苦の素は煩悩であり、八正道で煩悩を切り解脱する、という教えです。
どこにも神通力でカルマを切るなんてありません。
「知る」の反対が無明です。
つまり、無明を克服することが「知る」です。
無明とは煩悩だから、解脱とは煩悩を切ることなのです。
どこにも神通力でカルマを切るなんてありません。
三明は、他人の人生や自分の人生が煩悩のままに輪廻転生しているのを確認し、
最後に、自分が煩悩を断ちきったことで輪廻からも解脱したことを
確認することです。
どこにも神通力でカルマを切るなんてありません。
「桐山解脱・・・神通力でカルマを断ちきることが解脱である。」
は成り立ちません。

8 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:52:26 ID:6vqPNoyl
>592 :Q:2008/12/06(土) 15:17:02 ID:kJfA2Uq0
>それから書き間違えたのは経典ではなくて私の説明文の方です。
>経典の方は間違えていません。
>事実とちがうことを書かないように。

これは失礼。
ただ、あなたのは説明ではありません。
ペテン大作さんは、

>見てのとおりこの繰り返し部分には「小さな煩悩を離れ」とあるだけです。 (スレ149の>168)

と、経典に「を」と書いてあるかのように引用して見せた。
つまり引用であって、説明ではありません。
あなたのこの行為が捏造ではないというなら、
読解力が低い、思い込みだけが激しい、憎悪で見えない、
ただのオマヌケ、この中から好きなのを選んでください。
複数回答も可です。

9 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:56:19 ID:6vqPNoyl
>593 :Q:2008/12/06(土) 15:25:53 ID:kJfA2Uq0
>どんな理屈をつけてもこの文が解脱者と未解脱者を指していることには変わらない。
>無駄な抵抗はやめなさい。

この件についてはすでに私は三度説明しているのだから、
あなたが私にインネンを付けたいのは読者はもう十分に理解しています。
だが、あなたの主張など成り立たない証拠に、スレ150の445での質問に
あなたは答えられない。
再度、繰り返しましょう。
私が書いた文章では、「解脱した人」であると三度にわたって断定している。
ところが、あなたの説によれば、その直後に書いた「解脱の過程」とは
「解脱していない人」という意味だという。
直前に合計四度にわたり「解脱した人」と断定しながら、
最後の一つだけ「解脱していない人」と書いているのはおかしいし、これでは意味が通じない。
あなたが唱えている説なのだから、この矛盾を説明してみなさい。
シッポをつかまえたと深追いしたら、逆襲を食らい、
何も言えなくなって、「無駄な抵抗はやめなさい」など口を拭い、
歌まで歌ってごまかしたつもりです。
どこまでみっともない男だ。

10 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 23:07:11 ID:6vqPNoyl
>596 :Q:2008/12/06(土) 15:35:48 ID:kJfA2Uq0
>中村博士の本を読めば読むほど
>七氏さんや指きたすがインチキであることが実感できます。

「ところで四禅の説は古い詩句のうちに述べられていないから、おそらく仏教が
かなり発達してから右のような長々しい経典の説明も成立したのであろう。」
(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、415頁

あなたは私がスレ150の113で引用した上記の文章を完全無視していますね。
四禅の説は古い詩句には載っていないというのです。
中村博士の説なら、四禅三明説が正しいという桐山説のほうがインチキだとわかる。
あなたは実に都合よく中村本を利用している。
中村博士が神通力についてなんと書いているか、知っているはずです。
あるいは、著作集の中で、三十七道品についてどれほどページを
割いているか、あなたは知っているはずだ。
桐山さんが、解脱するための唯一の修行法として取り上げているくらいだから、
さぞや詳細な説明があるのでしょう。
信者の皆さんに紹介してあげたらどうか。
どうして出さないのだ?
あなたはスレ150の591で三明について中村本から引用しているが、
最初から三つではなかったこと、三明の内容が決まっていなかったことや、
六神通が後世にまとめられたものであることなどをどうして引用しないのですか。
まるで故意にカットしたかのように見えるが、錯覚か。
あるいは、護摩など呪術についてどう述べているのか、紹介してみてはどうでしょう。
そうすれば、批判側と桐山さんでどちらがインチキなのかはっきりします。
ペテン大作さんの研究レポートをお待ちしております。

11 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 00:51:36 ID:S1ElhoUJ
ス レ 立 て る の 遅 い 氏 ね

12 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 03:42:12 ID:zIWiWlup
真理を言うならは真理でも仏教の真の理から
仏教の真理です。
真理だけの単語ならありとあらゆる宗教に真理の詞は存在します。
エホバをを信じる者に、これが真理だと切り込んでも
いえ真の真理はこうですよとエホバの真理を切り返されるでしょう。
そのため真の仏教の真理はのほうが良いでしょう。
聞く耳をもたせるためにへりくだることも大事でしょう。


13 :樹意:2008/12/07(日) 07:07:33 ID:Uro6Pk4f
>>1 さん乙です

片山一良氏訳 沙門果経では 小さな煩悩ではなく付随煩悩とあるようです。

  《意から成る智》
87 このようにして、心が、安定し、清浄となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
  行動に適し、確固不動のものになると、かれは、意から成る身体の創造に心を傾注し、向けます。

  注釈 manomaya-kaya-abhinimmana. 「意から成る神通」《manomaya-iddhi》のこと。神通とは
     すぐれた智《nana》、または、それによって生じる力をいう。

77 第一の禅 79 第二の禅 81 第三の禅 83 第四の禅
85 内観の智 87 意から成る智 89さまざまな神通の智 91天耳の智 93 他心の智 
95 過去の生存を想起する智 97 天眼の智 99煩悩滅の智(漏尽智) 

83 第四の禅 注釈に 曰く
  この第四禅の比喩については、つぎのように解される。〈この場合、付随煩悩がない状態によって
  「清浄」であり、輝きの状態によって、「純白」である、と解されるべきである。ーーー 」

第四禅によって既に付随煩悩がない状態が獲得され今度は 「智」に心を向ける段階に入る。
《意から成る智》とあるようにこれは修道を進めた結果生じる 《智》のカテゴリに入るわけです。




14 :樹意:2008/12/07(日) 07:58:42 ID:Uro6Pk4f
では沙門果経でも説いていますが梵網経でその戒の主なものを提示します、 

小戒 売買から離れる、 賄賂や詐欺虚偽といった不正行為から離れている  障害ーー暴行から離れる
   −−−−
中戒 踊り 歌 音楽 見世物 語り物 −−もろもろの娯楽から離れる
   八目将棋 十目将棋 虚空の将棋 けんけん遊び、山くずし、さいころ遊び −−−そのような
   賭け事や怠惰のものになるものから離れている。
   国王の話 盗賊の話、大臣の話、軍隊の話、恐怖の話、戦争の話、食べ物の話、−−親族の話、
   乗り物、村、都 町、 女性、男性、 英雄、道路、井戸端話、 先祖の話、四方山話 −−−
   このような無益な話から離れる。

   ごかまし、饒舌、なぞかけ、脅し、利益を貪り求める −−そのような騙したりホラを吹いたりする
   ことから離れる。

15 :樹意:2008/12/07(日) 08:02:00 ID:Uro6Pk4f
大戒
   肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢の占い、身体的特徴の占い、ネズミの齧りあとの占い、
   火の献供、柄杓の献供、籾殻の献供、糠の献供、米の献供、バター油の献供、油の献供、口の献供
   血の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術、土の呪術、蛇の呪術、
   毒の呪術、サソリの呪術、ネズミの呪術、鶏の呪術、寿命判断、矢の護呪、獣の輪、ーー
   このような無益な呪術による邪な暮らしから離れる。

   −−−「地震が起こるであろう」ーー「雷が発生し、これこれの結果になるであろう」 −−
   「諸星は軌道を進むであろう」 −−− このような無益な呪術による邪な暮らしから離れる。 
   
   「大雨があるであろう、」「旱魃があるであろう」「食べ物が豊富になるであろう」
   「食べ物が欠乏するであろう」「平和になるであろう」「恐怖があるであろう」「病気になるであろう」
   「健康になるであろう」とか、指算術、計算術、目算術、詩作術、詭弁術といった、このような
    無益な呪術によって邪な暮らしをしている。しかし沙門ゴータマは、そのような無益な呪術による
    邪な暮らしから離れている。

   借金のとりたて、金の貸し出し、幸運をもたらすころ、不運をもたらすことーーー神への問い
   大いなるものへの崇拝 −−− 
 
   願掛け儀礼、 願解き儀礼、鬼霊儀礼、土の儀礼、勢力回復の儀礼、精力減退の儀礼、宅地化儀礼、
   宅地の撤布儀礼、ーー供犠ーーー根と薬草との調合 −−

   




16 :樹意:2008/12/07(日) 08:15:59 ID:Uro6Pk4f
実に亜ボンでボン行として信者がやっている宗教的儀礼の殆どがここに
戒として網羅されていることになる。
ゲイカが飽和と称してやっている啖呵売も 当然ながら戒律違反。

ペテン大作氏がなんでこんな 戒蘊 に属する経典をもってきたのか
理解に苦しむが、 《意から成る智》  に到達する為には これらの戒律を
キチンと踏まえ戒蘊 を得ていなければいけない。

どっちにしろゲイカや教団経営陣が、カルト牧場経営に邁進している
ことを信者さんたちは理解されたい。
私が 投資的なことを書くのも教団がやっているのが 一種の宗教風投資詐欺行為
だからであり、 数字での判断や個々のマネジメント能力を取り戻してもらいたいと
考えるからです。




17 :樹意:2008/12/07(日) 08:28:39 ID:Uro6Pk4f
今の政治状態を考えるに二本には 政策を売りものとして考える輩か、
脱法産業 特定のカルト団体の意向を汲んだ方たちが異様に多い、
私は 指氏や七氏、 私文書氏が書いてくれる、退会マニュアル他
批判側諸兄の 有益なる書き込みを支持する立場として、こういった
匿名の批判板というインフラを 大事に考える。

政治的カルトはこういった批判板のおかげで実態が知れてしまいましたし、
マスコミが○日変態報道のようにいかにマスコミが 無茶していたかも
こういった批判板で日の目を見ている。
某国ではすでに 国民IDがなければ 公益の為の批判も書けない状況に
なったと聞く、それでは情報革命からの後退であるし、自由な批判をもとに
実りある社会にはなりようがない、
政治的カルトに限らず インチキ勢力というのは批判が嫌いですから
おそらくはこういった 板 を封じに来るものと考える。
ですから 私の場合は批判の枠がたまに広がりますがその点はご容赦願いたい。


18 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 11:44:22 ID:ncGb7GLa
樹意
こいつ最高にアホ

19 :名無しさん:2008/12/07(日) 12:55:42 ID:Rkp6peOX
経典の解釈は、結構。もう、護摩木ビジネスの阿含宗にうんざり。日本経済の復興
を祈ったあの法要は何?俗物そのもの。わが親戚に、阿含宗の信者(谷口某)がいて
大変迷惑した。とにかく、信じなければ地獄に落ちると言う。でも、私は今も生きている。
桐山某は、何様?お前も、いつか死ぬのだよ。

20 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 13:31:01 ID:VmNnK00W
中央から世論の形成を促すことは、
むかしからあることです。

21 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 14:08:18 ID:87gKvMpS
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>ユビさん。
>無意識の件の書き込みはわるいですが、しばらく控えます。
別にわるくはないですが、はい、ご自由に。

>大さんもこんな状況で、ユビさんも私の「神も仏も名無しさん」への書き込みで気分を害されていると思いますので。

私はちっとも気分を害しておりません。
ただ大日スレには書きたくても直接書けなくなったのでこちらに書いています。

>いつ書くかは今後の展開次第ですが、書かないかもしれません。

まあ一修論と同じで全然期待してないですからご自由に。
私も反論できなくなった、やーいやーいなんて勝ち誇る気はありません。
あなたが書いているように反論する気もないだけの話なのでしょうから。
ただ、
>355:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 01:28:45 ID:aeGUFg2Q
>私にしても、大さんにしても、*さんにしても、反論できないのではなく、反論しないのです。
>疲れるし、ばかばかしいから。

あなた個人だけならよいが、他人まで勝手にこのように決めつけるのは失礼に相当しますね。
仲間をつるまないで孤立して勝負しなさい。

とにかくお互いに言いたいことは言ったのですから後はギャラリー各自が判断することです。
各自が各自の価値観にしたがって参考にするでしょう。

それでは続きは後で。

22 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 14:38:40 ID:VmNnK00W
わたしの簡単な質問に対し
ユビキタスは八正道の一つについてすら
全く間違っています。
また、
あきれ果てるのが
この0点答案です。

1.鳩摩羅什も玄丞三蔵も中国人で多くのインドの仏典を中国の言葉に翻訳して
漢訳経典を作りました。その際に中国人ならではの思考とかも影響して、選ぶ漢字語句
などもインドと違う中国人に誤解されて本来の意味が歪められるものもあったかに思います。




23 :Q:2008/12/07(日) 16:06:58 ID:C3P9HPi5
前スレ>603 :神も仏も名無しさん
>私の説?
>あなたは四禅三明の説と私の説とが対立する内容だと思っているのですね。
 
またまた、そうやって話をはぐらかすのがお得意だこと。
あなたの説とは「心が統一され・・・」が解脱だという説のこと。
話の流れでそれぐらい誰にでもわかります。

>604 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
>汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>という経典の文章の意味が、解脱でないという学者がいるなら出してみなさい。
>と私から言われて、あなたは出せたのか。

「心が統一され・・・」が解脱だと言い出したのはあなただ。
だからあなたがそれを証明するのです。
それを解脱でないと主張する側が証明しろと言うのか?

私があなたをスリだと言ったとする。
あなたは身に覚えがないからそれを否定する。
すると私が「あなたがスリでない証拠を見せろ」と言い返す。
そのときあなたは何と言う?
「私がスリだという証拠を見せろ」と言うんじゃないか?
それと同じことです。

あなたのファンをがっかりさせるような
惨めな姿をさらしなさんな。

24 :Q:2008/12/07(日) 16:13:18 ID:C3P9HPi5
605 :神も仏も名無しさん
>縁起説が定説だと私が書いたという根拠を示してください。

言葉尻をつかまえても駄目です。
あなたは定説だ言わんばかりの書き方をしています。

>119 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:19:56 ID:s8pu1w+h
>「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
>不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)
>では、なんのために釈尊は解脱した時、三明の話を出したのでしょう。
>前世や輪廻する人々の姿が、釈尊の説く十二縁起の実例だからです。

十二縁起は後になってさとりの場面に挿入されたことを知ってるくせによく書けますなぁ^^

25 :Q:2008/12/07(日) 16:26:30 ID:C3P9HPi5
>>8:神も仏も名無しさん

あなたは私を買いかぶっているようだ。
「も」を「を」に書き換えて違う意味にとれるように画策するほど
私は悪智恵が働かないのです。
だが、どうしても転記ミスを捏造と言いたければどうぞと言っている。
それにね。「も」を「を」に捏造する必要すらない。
あなたの場合は「も」を「・・・さえ」の意味にとったが
「・・・もまた」の意味にとらえれば単なる追加の意味しかないわけです。
まあ、そんなことは今となってはどうでもいいこと。
文そのものが本当に解脱を意味しているかどうかが問題なのです。

>>4>>10:神も仏も名無しさん

屁理屈はいいから、
「心を統一し」が解脱だと言ってる学者の文章見せてよ、ね^^

26 :Q:2008/12/07(日) 16:28:03 ID:C3P9HPi5
あった、あった、似たようなの。

不浄観は、当然のことながら厭世観と結びついていた。
身体は不浄であると観ぜよ。
『心を統一し、よく心を安定して、不浄であると観じる想いをもって、心を修せよ。
身体についてそのなたの心を専注せよ。
切に、世を厭い嫌う者となれ。』 (Therag.1225)
(原始仏教の思想T 386頁)

「心を統一し、よく心を安定して」とは心の状態を指しているのか。

27 :Q:2008/12/07(日) 16:30:08 ID:C3P9HPi5
前スレ271 :私文書為造
>すみませんが、どなたか護摩許し状お持ちの方
>お手数ですが全文書き込んでいただけないでしょうか?

で誰も協力してくれないとは淋しい話よのぅ。
日頃の行いが悪いせいだな。

28 :Q:2008/12/07(日) 16:33:25 ID:C3P9HPi5
脱字

>>24 
>あなたは定説だ言わんばかりの書き方をしています。

あなたは定説だと言わんばかりの

29 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 16:40:13 ID:VmNnK00W

青き眼鏡をかくれば物皆青し


30 :絶対神:2008/12/07(日) 16:44:07 ID:8jkXKqY4
要するに、誰もが認める「定説」とは。
ねらーが「カス」だという事だな。
これは、どんな教祖でも認めて下さると思う!

31 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 16:53:10 ID:VmNnK00W
「汝ら修行者たちよ、生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざる
もの、構成力から生じたのではないものは存在する。もし、このよう
な生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざるものが存在しなかった
とすれば、生まれたもの、形成されたもの、造りだされたもの、構成力から生
じたものから脱出することは、けっして考えられなかったことであろう」


「汝ら修行者たちよ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。汝らに告げ
るが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、留まることもなく、死去
することもなく、転生することもなく、よりどころもなく、発展もなく、支え
もない。それが苦悩の終わりである」


32 :樹意:2008/12/07(日) 17:05:25 ID:Uro6Pk4f
>>19
> 経典の解釈は、結構。もう、護摩木ビジネスの阿含宗にうんざり。日本経済の復興

これは私の引用に対するものだと思うのでレスする。
貴方は自分がこうむった迷惑をここに書いているし、ゲイカの批判をしている。
ということはアゴンがウソで固めた団体であるのを理解したうえで書いていると
言うことになる。

この教団は阿含経を根拠に諸々の貴方が言うようなゴマ木ビジネスを展開している。
であるなら経典引用解釈をもった批判というのは貴方以外の他の方々には必要なものだとは
思わないか ?
貴方は貴方の嗜好を元にそういう見解を書いているのだろうが、貴方だってはじめから
ゲイカの欺瞞に気づいていたわけでもあるまい、誰かがその情報を与えてくれ、
その情報を斟酌したから今ゲイカを批判する立場にあると思わないのか。
どうして新たに情報をとりに来る方のことを考えない ? あなたは自分がレポートを
得て悟ったら他の方はどうでもいいのか ?
自分が迷惑をこうむったことを書くなら今迷惑している方のことも考えるのも大人の
態度ではないのか、自分の家の前にゴミが捨てられていたら騒ぐが、他の家の前だったら
自分には関係ないからそういう情報のやりとりは結構と貴方は言うのでしょうね。

私は貴方のような方に読んでもらうとは思いませんからどうぞ 亜ボーンでもレス
フィルタでも掛けて読んでください。






33 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 17:23:19 ID:87gKvMpS
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>慈水さんと如来の子孫さんの件はこうです。

>誰もお二人の煩悩など把握はできません。板に書くときは煩悩がでているが、実生活では別人のようかもしれませんよ。
>ここでは自己防衛本能が働いて、攻撃的になってしまっているのかも。

煩悩は外に見えるのですよ。
いや、掲示板に書くぐらいで煩悩が垣間見えるくらいならば、普段など何をか言わんやですよ。
書くという行為は冷静さが求められるものです。
これが実社会における話し合いの場面とかなると議論が高じてつい喧嘩になることもありましょうが。
桐山さんも悩みがある時は手紙など書いて文章化すればよいと話してますね。
冷静になって頭を使うから感情本位にならず、自分で解決策を見つけることさえある。
一修さんは私のことを人格者と評価してくれましたよね?
私の書き込み内容から相手への気遣いとか読み取ってくれたからです。
しかしリアルの私はとてもとても人格者に程遠いですよ。全然だらしないです。謙遜でなく。
リアルの私に会ったら皆がっかりしますよ。
私が人格者に見えるのは書き込みの仮装人格だからです。
もちろん私も演技してるわけでも必要以上に背伸びして賢そうに見せかける意識はありませんが、
それでもやはり書き込む時にいろいろ注意を払いますから、本来の煩悩を晒す機会など打ち消せるわけです。
だから書いた文章というものは本来のその人より理性的知性的に見えるものなんです。
ところが子孫さんにしてもジミズさんにしても隠せるはずの煩悩も隠せないほど、相手を攻撃したい
見下したい煩悩がだらしなく露呈させてしまうのですね。
ジミズさんは馬鹿キャラだからまだよいが、子孫さんなど自分が見えてないですよ。

34 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 17:37:39 ID:VmNnK00W
以下について、
ユビキタスが自ら白状しています。

女性に邪恋をいだいての愚かなたくらみ
家出
浪人
親に借金はらわせる。
破壊衝動により仏塔破壊桐山氏攻撃


35 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 17:40:46 ID:VmNnK00W
異常なまでの
無愧
無慚は、ユビキタスの特徴です。
ユビキタスは、
釈尊は考えたなどと
間違った妄説を低位レベルで展開しましすが、
すべて間違いです。




36 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 17:44:09 ID:VmNnK00W
ありのままのユビキタスの実態はそのレベルです。
桐山氏が、入信を「許さぬ」とばっさり切り捨てたのは、
破壊衝動による邪悪さゆえでしょう。
ユビキタスの破壊衝動による
異常な粘着書き込みは、
実社会において受け入れられません。


37 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 17:50:32 ID:VmNnK00W
ア−−ナンダよ
善智識とともにあり
善智識の仲間たちとともにあることは
聖なる道の全てである

38 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 17:55:15 ID:87gKvMpS
>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>慈水さんと如来の子孫さんの件はこうです。
>お二人が因縁解脱をしたと信じるという文章の前に私は、
>「阿含宗で煩悩解脱や因縁解脱ができるのか」と書いています。

>如来の子孫さんと議論されているユビさんは信じてあげることなどしないでしょうが、「お二人が切ったというなら信じましょう」ということです。

最初から信じないなどとは言ってません。具体性と客観性が全然欠落しているからそれを示してくれ
と促しているのだが、一向に出てこないのです。
私は信者さんの御利益体験談など否定しません。
どこの宗教教団でもざらにあるようにアゴン宗にだってそれは見られて何らおかしくない。
ただその御利益体験って因縁解脱の証明になるの?と皆様と一緒に客観的に検証したいのに逃げるばかりです。
個人情報を晒すことなく体験なと客観的に書けるものです。
だから自己申告だから信じないと言っているのではありません。
具体性客観性に欠けるのです。それから因縁が切れた証明になどならない。
第一そもそも因縁なんてのが客観性がない。
桐山さんが癌の因縁を切ったと自己申告してる。
それ以前に桐山さんが40代後半に癌で死ぬ運命だったなんて、どこに客観的根拠があるのですか?

39 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 18:05:50 ID:87gKvMpS
>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>如来の子孫さんと議論されているユビさんは信じてあげることなどしないでしょうが、「お二人が切ったというなら信じましょう」ということです。

ジミズさんについても然りです。
彼は観音経の梵音海潮音を聴いたと自己申告してます。
ジューンシージューンシーですか?
これが準胝観音の音なんだと言う。
どうしてジュンテイ、ジュンデイ、チュンデイ、ソンディでないのだ?
それ以前に耳鳴りがしたらなにやら解脱したことになるのか?

40 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:07:17 ID:Httqjwm6
ユビキタスは客観的に最低のクズ爺だょ。

41 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:11:40 ID:e1zbZUQm
>>1乙です。


このスレを読む方は、以下のことを前知識としてご確認下さい。
桐山とその一門の姿です。

自己愛性人格障害者
ttp://ime.nu/homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html
阿含宗会員に一般的に多いタイプです。
反社会性人格障害
ttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/p.htm
いわゆる以前サイコパスと呼ばれたものです。桐山がこれに当てはまります。
自己愛性人格障害との違いはより享楽的な点です。阿含宗会員の多くが他人を貶し
冷たく利用するが、自分の楽しみを削って宗教家畜になってるのに対して桐山は
だらしなく享楽的であるからです。

42 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:12:11 ID:e1zbZUQm
桐山が歳相応の知恵すらないアホである件。

阿含宗という宗教118
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175187272/391
391 名前:ユビキタス ◆1tAcIUMQ8o 投稿日:2007/04/14(土) 22:59:30 /v0Xny8Z
つまり蕎麦代に5千円も包んだり側近幹部の見送りに対してすら3万円も包むのは
桐山さんの金銭感覚の無さでもあるわけなんですが、極めて幼稚な見栄っ張りの
現れなわけです。
いつでもどこでも誰に対しても、俺はすごいんだぞ(何がすごいんだろう?)
と示したい。
そういう意味では彼には腹を割って話せる友人がいないことになり、極めて寂しい
人間関係です。
脳梗塞で入院中のリハビリ生活を暴露するのもその一つです。
医者はこの老人を励まします。
「管長さん、偉いですね、すごいですね、さすが修行されてきた方ですね」
「うむ、若い頃は滝に打たれたりしたものでね」
(↑事実滝に打たれた「ことはある」)
さてこうした病院内のお世辞、励ましのやりとりですら周囲に吹聴したくて
たまらない。
だから自分の因縁教学、因縁解脱教学からはヤバイはずの脳梗塞の闘病生活も
公表することなく黙していればよかったものを、彼の子供じみた自慢したい
欲望はそれをあっさりと破ってしまったわけです。

43 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:13:06 ID:e1zbZUQm
桐山は利用できない人間を冷たく切り捨てた件。

阿含宗という宗教119
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177907062/123
123 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/05/02(水) 13:00:57 6D1O/M4c
>>110 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 00:12:32 ID:dKZszJep

十数年前に先達がバタバタと癌で亡くなった。
教団の信者の最大派閥を率いていたM田先達、
関東別院の内陣は彼女のものと言われるほどの寄付をした先達、
地方道場のチーフをしていた中年の先達、
光和食品の職員をしていた若い女性。
要するに、教団の模範的な信者が次々と癌で亡くなった。
桐山さんはこれを聞いて、自分の言うことを聞かないからと言ったそうです。
癌で亡くなった桐山夫人についても「自分の言うことを聞かないから」と書いている。
日本一の無責任男は実在したのです。

44 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:19:28 ID:Httqjwm6
ユビキタスは客観的に最低のクズ爺だ。

45 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:24:39 ID:uNT3cfkA
男の分際で女物の下着に執着するヤツこそ、本当のクズと言えよう。ww

46 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:25:04 ID:e1zbZUQm
桐山は利用できない人間を冷たく切り捨てた件。(続き)

阿含宗という宗教119
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177907062/124
124 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/05/02(水) 13:04:17 6D1O/M4c
>>110 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 00:12:32 ID:dKZszJep

M田先達は教団の中で最大の信者派閥を率いるチーフで、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
桐山さんは重用していた。
桐山夫人などを除けば、M田先達は在家として最高の徳を積んでいたから、
60歳そこそこで癌で死ぬなど、教義からいったらありえない。
教義の矛盾の実例を突きつけられた桐山さんがどんな反応を示したか、
彼の性格を示すすごい光景を紹介します。
M田先達が癌の末期でヨレヨレ状態になり出てきた時、
桐山さんは見向きもしなかったのです。
M田先達は最後に桐山さんと一目会うために出てきた。
亡くなる半年ほど前ですから、かなりひどい状態だった。
前なら、桐山さんは、成績をあげているM田先達に積極的に声をかけていたのに、
この時は他の一般信者と接するのと同様で、声すらかけなかった。
亡くなった後、ご立派な戒名をつけておしまいで、
例祭という信者の集まりの時ですら、彼女の事は出さなかった。
癌の因縁が切れるかどうかよりも、仏の慈悲を持つという桐山さんが
現実には、冷酷でエゴイスト丸出しであることをあなたの両親にぜひ見てほしい。

47 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:26:00 ID:e1zbZUQm
桐山の人間性を思い知った件。

阿含宗という宗教112
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/agon01/agon112.html
の、22〜37を参照。


熱心に修行したにも拘らずガンになり自分が苦しみ、周囲にも迷惑をかけ、
立場を失い、桐山ゲイカに助けを求めた信者に対して
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)
で弱り切った質問者を責め続けたのには正直コイツは鬼だと思ったね。
普通の人なら同情の気持ちを持つべき時なのに桐山ゲイカは
信者への同情など微塵もなく、自分の不快感も露わに、
八つ当たりのように、最初から最後まで質問者を責め続け
終いにはガンで苦しみ、妻からも批判されて、泣いている信者に
「阿含宗をやめろ」と指導したのです。
さらには、サプリメントを摂っていない、例祭に来ていないと二つも因縁をつけて、
奥さんには「夫の運気を剋する因縁」をオマケにつけてあげて、
二人まとめて山門から放り出した。
本当に情けない話で、これを聴いたとき心底腹が立つと同時に
コイツは絶対聖者ではなく正真正銘の詐欺師だと悟ったね。

48 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:26:29 ID:e1zbZUQm
いわゆる解脱供養の洗い出しの正体。

解脱供養をすると必ずと言っていいほど不具合が起こる。殊に冥徳供養は人間関係が
険悪になるとだいたいみんな口を揃えて言う。割とみんなが体験する不思議現象だ。
いわば「負の験」だが、みんなは桐山が霊力がある一つの証拠と勘違いしてる。

これは要するに霊障の言いがかりを付けられた祖霊が怒ってるんだよ。
霊障が桐山の作り話で経典にも根拠がないのは121スレで明らか。また123スレの
晴雄さんの情報で「霊視」なるものも、かなりいい加減なことが判明した。

と、言うわけで、霊視とやらで降りてきた霊位は不成仏霊・霊障のホトケとか言われて
言いがかりやいちゃもんを付けられ、現実の不幸の原因と濡れ衣を着せられてるわけだ。
先祖供養どころかあべこべに先祖侮辱してるのだ。だからアレは十万もはたいて
「解脱供養」という名前の「先祖侮辱」して、祖霊を怒らせて、祟られたり蔭から支えて
頂いていたことを手抜きされてるようなもんだ。それを却って桐山の霊力だと勘違いする
のもいい加減にしなさい。

だいたい桐山は質疑応答などでこの「解脱供養の洗い出し」のことがたまに出ると、
わめくように否定する。「解脱供養に洗い出しなど無い!」と。現役会員でもこれだけは
承服できないと言う人は昔から結構居たから今でもいるのでは?
ありもしない霊力の証拠に利用しやすいのに否定するのは、洗い出しが怖くて二の足を
踏まれて申し込みが減るからだろうね。

初回申し込みの人や一般人には、普通に龍神辺りの加持祈祷を施して(桐山は一部の
行者の世界では龍神行者で通ってる)験があればさも成仏力であるかのように見せかけ
られること受け合い。

なお、この件の書き込みは客観的な検証に耐えうるモノでないことを認めます。

49 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:38:10 ID:e1zbZUQm
>>48の補足

経験者体験者以外はノーレスでお願いします。

50 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 18:38:11 ID:87gKvMpS
>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>如来の子孫さんがあまり梵行されてないという書き込みも呼んでますが、
ユビさんはどんな修行をしても阿含宗では因縁は切れないという立場ですよね。
ならば、梵行してないので、切れているわけないだろう、というつっこみもどうかと思いますが。

アゴン宗的に矛盾してると指摘しているのです。
子孫さんがアゴン宗と関係なく、俺はアゴン宗で桐山管長さんが因縁としているものを
アゴン宗で示す修行なんかしなくても切ってみせたぜと説くのならば相手にしませんが、
彼はアゴン宗の現役信者であり、批判側の批判に反論して自分はアゴン宗のおかげで因縁が切れたの
薄らいだの言っているのです。
しかしてその実態がアゴン宗で課す必須の修行をほとんどやってないとしたらどうしますか?
桐山さんがやれと促している修行なんかやらなくても因縁は切れるぜと管長を否定して批判したことになる。
だからそれはそちら的にやばいだろうと自覚を促しているのですが・・・。

51 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:39:07 ID:e1zbZUQm
退会マニュアル

・法具類は郵送や宅配で関東別院もしくは関西総本部に送りつける。最寄りの道場でも可。
・退会の旨を記した文章を添える。丁寧にするなら郵便局で内容証明を。書式はいずれも
以下の文面で充分。「阿含宗管長桐山靖雄宛 阿含宗を退会します。 以上。」
・顔を出す必要はない。その他何を言われても一切従う必要はない。(憲法第20条2項・後述)
・解脱供養、護摩木の代金などの未払いを、たとえ一筆書かされてても、精算する必要は無い。(民法第90条・後述)
・阿含宗や光和食品などから来る郵便物がうざければ、赤ペンで「受取拒否」と書いてポストに投函。

52 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:39:57 ID:e1zbZUQm
退会マニュアル解説

宝塔は貸与の建前になってるらしいので、一応送りつけて返却すること。「どういう反応するか
話のネタに見てやろう」という好事家でもない方でストレス無く退会したい人は送りつけで。
その時に退会の旨を記した文書を添えれば常識的には伝わるはずだが、今後法的措置を
とりやがるかも知れないので(ただし、多少もめることになるだけで無効。嫌がらせに過ぎない。
→憲法第20条2項・後述)内容証明を送りつけて退会の意思表示を第三者に判るようにすると丁寧。
内容証明は郵便局にいけば詳しく作成方法を教えてくれる。内容証明は同じ文面の書類を三通書き、
一通は相手、一通は自分の控え一通は郵便局で保管してくれるのだが、受け付けるとき郵便局職員が
文面をチェックするので出来る限り文章は短い方が親切。犯罪者の桐山とそれに荷担してる宗務局に
遠慮する必要も無し。

また、「道場に直接持参でないと受け付けない」「規則になってる」「入行した時点で宗規に従う
ことに同意したことになってるので従う必要がある」などとか言われても一切従う必要はない
→憲法第20条2項・後述
また、内容証明を送りつけないで法具類に退会の旨を記した文書を同梱した場合、嫌がらせ半分で
退会の意思表示と認めないと文句言ってきても取りあう必要なし。その他なんでもあなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。
また、あべこべに阿含宗が内容証明を送りつけて出頭や支払いを言ってくるかも知れませんが、
それでも従わない権利が憲法で保障されてます。

ちなみに内容証明は、相手にある意志を伝えたことを、伝えた内容と事実を公的に証明するものですが、
それだけのモノであって別に何か指示された内容に効力・拘束力があるわけではありません。所定の手続きと
料金さえ払えばどんなムチャクチャな事でも書けるのです。こけおどしに乗らないようにしましょう。

53 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:40:40 ID:qzg9f1IX
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/
>356 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:31:38 ID:aeGUFg2Q
>「神も仏も名無しさん」も芸人だったんですね。

どうせ書くなら、何かアゴン宗擁護を書いたらどうか。
ボケかツッコミかなんて、あなたが判断することではなく、観客です。
私から「オカルト大好き」と突っ込まれて、あなたの書き込みは
これで二度目だが、何か反論できたか。
無意識がどうのこうの、批判側は素人だと罵りながら、
自分では心理学の入門書すら読んだことかない、
と批判されて、言葉を濁すだけで、あなたは具体的に何も出せない。
自分がただのオカルト好きではなく、しっかりと心理学も学び、
桐山ゲイカが正しいことを確認したという内容を書けばいいだけです。
そうすれば、誰もあなたをオカルト好きとか、心理学も知らないなんて言わない。
だが、今回も上記のようなどうでもいいようなことには
反応するが、アゴン宗についての本論はまったく出てこない。

54 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:42:57 ID:qzg9f1IX
>355 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:28:45 ID:aeGUFg2Q
>しかし「怨み」ということに敏感に反応しますね。

あなたは私の書き込みを批判するのに、内容ではなく、怨みという言葉以外
何も使っていないのだ。
あなたが使った唯一の言葉に私が反応すると、敏感に反応したことになるのか。
その思い込みぶりが、いかにもアゴン宗の信者らしい。
私のどの文章から無意識を分析すると、怨みが出てくるかと質問されているのに、
あなたは今回もいっさい説明をしていない。
無意識の分析などしなくても、これまで信者が私をなじる時は、
みんな怨みという言葉を使っている。
つまり、議論では勝てないから、怨みという言葉で因縁を付けたのです。
一番手近な「石」を投げたにすぎない。
あなたが本当に分析できたら、怒りと書くはずだ。
怨みとは、私の怨みではなく、あなたが私から議論で追いつめられ、
怨みを持っていることをそのように言っているだけです。
怨みとはあなたの鏡に映った姿だ。
無意識のお勉強をしている一修行者さんはそんなことすら気が付かないのですね。

55 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:45:20 ID:qzg9f1IX
>355 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:28:45 ID:aeGUFg2Q
>私にしても、大さんにしても、○さんにしても、反論できないのではなく、反論しないのです。
>疲れるし、ばかばかしいから。
>論破したなどと勘違いしてはいけない。

運命解脱でさんざん矛盾を指摘され、何も言えなくなり、
自分の発言を撤回したのはどこの誰だ?
よくまあ、自分の書いたことを忘れて、こんなことをぬけぬけと言いますね。
あなたの主張が正しいなら、なんで撤回したのだ?
反論されるのが怖いから、一修論の題名だけのコケオドシをして
本論を出せなかった。
このあなたが「反論できないのではなく」だと??
前回と今回のクドクドと内容のない書き込みをしている暇があるなら
反論してみればいいではないか。
女子供とまで出されたら、すこしは男としての意地をみせるかと思ったら、
出てきたのは、犬の遠吠え。
あなたの所では、反論できないことを「疲れるし、ばかばかしい」というのですね。
ボコボコに殴られているほうが「今日はこのくらいで許してやる」と
言っているほうが、まだ気の利いた台詞です。
反論が「疲れるし、ばかばかしい」なら、反論など無視して、
運命解脱や一修論を出してみればいい。
・・・あ、わかった、これは笑いを狙ったのですね。
それなら、爆笑がとれました。

56 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:47:22 ID:qzg9f1IX
>355 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:28:45 ID:aeGUFg2Q
>数人に賛同されたくらいで勘違いしてはいけない。

細かいことだが、あなたの勘違いを注意する。
私は誰にも賛同など求めたことはない。
あなたは、

>私にしても、大さんにしても、○さんにしても、反論できないのではなく、反論しないのです。

などと、お仲間を募るのが大好きなようだが、同類扱いしないでほしい。
私は違う。
観客の反応を気にしていることをこんなふうに受け取ったのですね。
私の観客は、あなたと違い、お仲間ではなく、むしろ私に反発心を持っている信者です。
あなたはお仲間とマターリするのを会話とか交流と呼んでいるようだが、
私の相手は仲間ではなく、むしろ私を敵とみなしている人たちです。
私文書さんの件を出したから、私が彼と徒党を組んでいるかのように
錯覚しているのでしょう。
あなたと違い、私は批判側ともマターリしようなんて気はない。
お互いにつまらん詐欺宗教にひっかかった大馬鹿者同士以外、何もない。
考えを想像して断定するなとお説教するなら、根拠もなしに、あなたの感性を
私にあてはめるのはやめてもらいたい。

57 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:51:49 ID:e1zbZUQm
退会マニュアル解説続き

解脱供養や護摩木の代金など分納誓約書などを一筆書かされていても一切払う必要も無し。→民法第90条・後述
既に払ったお金を取り戻したい場合は個別に弁護士に相談してください。あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要はありません。

また、阿含宗が何をするのか見て笑ってやろう、このスレに情報を提供してやろうと言うのでもない
限り阿含宗や光和から送られてくる郵便物がうざいと思ったなら、赤ペンで「受取拒否」と書いて
ポストに投函すると返却されます。

また、ストレス無く退会することを主眼にして書きましたが、宝塔を勝手に処分したあと、所有権は
阿含宗にあると言って法的措置を執ってきても、宝塔貸与の約束も民法90条(後述)に基づいて
無効化出来ます。
阿含宗が喧嘩売ってきたら買ってやろうという根性ある方は宝塔など燃えないゴミに出しましょう。

58 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:52:23 ID:e1zbZUQm
ttp://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s3
日本国憲法
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

つまりどういう風に運用されるかというと、阿含宗が何を言ってきても従う義務は無いということです。
「退会するときは道場に来い」「話を聞いた上でないと受け付けない」など、強制できないことが
謳われております。
また、「入会した時点で宗規に従うものとする」「宗規に従え」あるいは宗規に従うことを誓約
させられた文書を取られていて、それがどんなに法的に調ったものであっても、一番上位の
最高法規である憲法に強制できないとある以上、一切従う義務はありません。
もちろんあべこべに阿含宗側が内容証明を送りつけて、出頭や支払いを言って来ても従う必要は
ありません。

また、「宗教上の行為でなく、単なる事務手続きの問題だ」と、言ってくるかもしれませんが、
阿含宗は「宗教法人」なのですべての事業・行為が宗教行為です。

あなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と、思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。

59 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:52:46 ID:qzg9f1IX
>355 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:28:45 ID:aeGUFg2Q
>「神も仏も名無しさん」は私のしてきた心理学分野のなにを知っているのですか。
>358 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>誰もお二人の煩悩など把握はできません。板に書くときは煩悩がでているが、実生活では別人のようかもしれませんよ。

あなたが何を勉強してきたかなんて知らなくても、
桐山さんの無意識の話をそのまま信じているのを見れば十分です。
入門すら学んだことがないから、あるいは理解していないから、
桐山さんの心理学をまだ信じていられるのです。
また、あなたの358などでの書き込みを見れば十分です。
板で煩悩が出ていて、実生活で別人だと、煩悩はないのですか。
例祭でオバサンを怒鳴りつけた時は煩悩を丸出したが、
普段の例祭では怒らないから、煩悩がないのですか。
いったい、どういう無意識を習ってきたのだ?
あなたが何を習ったかは知らないが、
まるっきり理解していないことだけはたしかです。

60 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 18:52:56 ID:e1zbZUQm
ttp://www.houko.com/00/01/M29/089.HTM#s1.5
民法
(公序良俗)
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

これはどう運用されるかというと、阿含宗桐山のウソで固めた一切合切が公序良俗に
反するので、その上で締結した解脱供養料や護摩木代金の未払い金の誓約や分納誓約を
履行する必要がないと言うことです。一番近いことで言えば天皇と無関係な褒章を衒いて
天皇の権威を利用したことですか。 阿含宗は一から十まで詐欺みたいなもので、そんなことに
カネを払う義務はなく、たとえ 法的に調った文書を一筆書かされていても、90条に基づいて
無効と言うことです。

あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と、思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要は無し。

この条文の適用でよく引き合いに出されるのは、ギャンブルの負け金借用書は無効で
履行義務がないと言うことです。ギャンブルは公序良俗に反するどころか法律で禁止まで
されてるから、いかに法的にも様式も調った文書を取られていても無効なのです。

だから、一筆書かされていても護摩木等の未払い金を払う義務は一切ありません。
人としての道?詐欺にカネ払うのですか?また、そうして貢いだカネが新たな詐欺行為に
使われるのですよ?犯罪に荷担するのですか?

また、民法90条は阿含宗が未払い金に対して告訴などの法的措置を執ってきた場合に
出番が来るのであって、多くは憲法20条2項に基づいて一切を拒否して終了です。

61 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:56:12 ID:qzg9f1IX
>356 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:31:38 ID:aeGUFg2Q
>私は逆で私が「ツッコミ」で「神も仏も名無しさん」が「ボケ」だと思ってました。

それでいつどこであなたは私にツッコミを入れたのだ?
私だけでなく観客も読み落としたようで記憶にないから、ぜひ紹介してほしい。
あなたのデビューを飾った運命解脱の話にツッコミを入れて、
シッポを掴んで振り回したのは私のつもりでいたが、そうではなかったらしい。
あなたは自分ではそれなりにアゴン宗の教義を理解しているばかりか、
無意識やチャクラなどへの深い考察までしていると自惚れていた。
だから、運命解脱なんて言葉を平気で出した。
まさか、その言葉にツッコミが入るとは予想しなかったのですよね。
予想したら、最初から因縁解脱で通したはずです。
書けば書くほど、私から内容や言葉を追求をされ、シドロモドロになって、
運命解脱も因縁解脱も同じことだと認めたかと思うと、
ついには前言撤回するしかなくなった。
もっとも、一修論という題名だけを出すという爆笑ネタを
提供してくれたのだから、「お笑い阿含信者」としてはなかなか筋が良い。
私の知る限り、こんなお笑いネタはあなたが初めてです。
子孫さんですら屁理屈でも何か書いているが、
あなたは題名だけで、中身を出さず、しかも一修論がアゴン宗を救うのだと自惚れた。
観客が白けたとすれば、あなたのこの発言に信者の多くは白けたでしょうね。

62 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 18:59:26 ID:qzg9f1IX
>356 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:31:38 ID:aeGUFg2Q
>直接管長に反抗できないから、我々会員に管長を感じ、ストレス発散ですか。

反抗???
桐山さんの詐欺を暴露することが反抗?
とてもおもしろい言葉を用いましたね。
これはあなた自身と桐山さんとの関係を示す言葉です。
あなたにとって、桐山さんは父親や先生のようなもので、
あなたは子供か生徒なのでしょう。
だから、私もそうなんだと思って、反抗なんて言葉を使った。
だが、あなたとは桐山さんへの見方が違うのです。
私には桐山さんはただの詐欺師にしか見えない。
このスレにきて他の人からの情報を読んでいよいよ確信したが、
辞める頃には、桐山さんの嘘つきぶりにかなり辟易していた。
私は嘘は最小限にしようと心がけている。
だが、あなたは嘘にとても鈍感な人ですね。
だから、桐山さんの天こ盛りの嘘を示されても何にも感じない。
嘘つきを嘘つきと見なすことは、反抗ではなく、批判です。

63 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 19:04:11 ID:e1zbZUQm
民法90条における「公序良俗に反する」例。

http://www.agon.org/news/news-2005-2006/detail/2006_08_26.html
>阿含宗本山に『紺綬褒章』授与

>06.08.26

>阿含宗本山に『紺綬褒章』授与
>阿含宗本山はこのたび、天皇陛下より『紺綬褒章』を賜りました。
>               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>この栄誉ある褒賞は、長年に亘る阿含宗のさまざまな社会活動が、
>              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>正式に認められたことを示すものです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

紺綬褒状は内閣総理大臣の名前で出される物であり、紺綬褒章は確かに天皇からいただく建前ですが決めるのは内閣府褒章局が上申して閣議決定されるものです。
また黙っててもらえるものでなく褒章局に申請してもらうものです。その基準も公益法人などに一定額以上の寄付をしたかどうかです。

http://www.agon.org/news/news_detail.html?topics=91
>8月15日発売の産経新聞に、「桐山雄管長猊下と柳田邦男氏の対談」並びに「シベリア大柴燈護摩供レポート」
>記事が掲載されました。
 ~~~~

ただの新聞広告を「記事」と詐称。

これらまるっきりウソであり、こんなウソを堂々とホームページに載せてる信じられない詐欺行為です。
(参考)詐欺の定義
ttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%BE%B5%BD&kind=&kwassist=&jn.x=35&jn.y=9&jn=%B9%F1%B8%EC&mode=0
(1)巧みにいつわって金品をだまし取ったり、相手に損害を与えたりすること。あざむくこと。ペテン。 「―にひっかかる」「―を働く」「―師」
(2)〔法〕 他人をあざむいて錯誤に陥らせる行為。民法上、詐欺による意思表示は取り消すことができ、また、詐欺による損害は詐欺者の不法行為として賠償させることができる。
→詐欺罪

64 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 19:04:56 ID:e1zbZUQm
退会マニュアル:ソフトバージョン
出来ることからしてみましょう。

◎道場に一切顔を出さない。
◎勤行を止める。
◎阿含宗グッズをすべて一箇所にまとめて目に触れないようにする。
◎勤行を止めて不具合が出たら、線香を焚いてみる。

65 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 19:05:34 ID:e1zbZUQm
退会マニュアル:ソフトバージョン解説

退会にまで踏み切れない人、まだ迷いがある人、止めたくともしがらみがある方
まずは無理しないで出来ることから始めましょう。

まず、道場には一切顔を出さないことです。道場外でする奉仕作業やイベント等
にも参加しないことです。理由もあらかじめ考えておきましょう。会費は振り込み
用紙が毎月送られて来るでしょ?

勤行も止めましょう。その他阿含宗から習った修法も止めましょう。

経典に依りますとそもそも仏舎利塔というのは「それを目にすることによって釈尊の
教えや法を思い出し、遺徳をしのぶ」存在です。だから反対に阿含宗グッズが目に
付く状態であると、いつまでも桐山の術中より抜けられません。一箇所にまとめて、
収納するか箱などに入れて、目に触れないようにしましょう。

勤行を止めると頭痛や吐き気、体がだるいなどの不具合が出て、「やっぱり法はあるんだ」と、
錯覚するかも知れません。そう言うときは線香を焚いてみて下さい。もちろん入行したとき
おまけで付いてくる時々斜めに立って灰を受けるのに小皿では間に合わないしょぼい線香立てを
使わずにちゃんと阿含宗と無関係な香炉を使ってです。線香は今まで使ってたのでも構いませんが。
フランス系のアロマテラピーと言うのは香を使う治療法として確立されたものです。
そう言う効果を法と錯覚してることが判ります。
また、長年の良いと思いこんでいた習慣を止めることによるストレスによって、不具合が出ること
もあります。これは線香焚いても治りませんが、しばらく様子を見てると解消します。ゆめゆめ
「やっぱり法はあるんだ」と、錯覚なさらぬように。

66 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 19:05:37 ID:qzg9f1IX
>357 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:34:11 ID:aeGUFg2Q
>心配しなくても「神も仏も名無しさん」の書き込みをみてなにかを感じる人は「神も仏も名無しさん」と同じ感性の人のみで、
>そんな人は書き込みを読まなくてもいずれ退会するでしょう。

あなたのいう「いずれ」とはいつを指しているのですか。
そんな曖昧な話をしているではありません。
ここの批判を読むことで桐山さんの嘘に気が付き、辞めた人は何人もいる。
その人たちが、もしも、このスレを読んでいなかったら、
「実際に辞めた時期」に辞めていたなどありえない。
確実に遅れていた。
その遅れが一日や一週間であったとしても、その人の人生は全然違ってくる。
辞めていなくても、アゴン宗に出すお金が違ってくるから、人生は変わってしまっている。
私は批判本や批判記事、周囲からの様々な情報によって桐山さんの嘘に気が付かされた。
今から振り返っても、あれらの情報はとても助かった。
それを今度は私も提供しているのです。
あなたの上記の書き込みは、とても運命解脱などと運命について
深く考察している人の発言とは思えない。

67 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 19:07:57 ID:qzg9f1IX
>357 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:34:11 ID:aeGUFg2Q
>修行を放棄し、自ら仏教徒ではないという「神も仏も名無しさん」は今後も変わることは出来ないでしょう。

修行って、まさか、アゴン宗やあなたのしていることが修行ですか?!
私が見込んだだけあって、一修行者さんはなかなかお笑いの素質がありますね。
お笑いは、本人が本気で言っているほどバカ受けする。
あなたのしていることは修行ではなく「詐欺宗教の手伝い」です。
どんなに屁理屈を並べても、阿含経には因縁解脱や霊障解脱なんてない。
死者成仏は否定しているし、如来に供養した見返りで解脱するなんて話もありません。
護摩も占いも釈尊は全面禁止です。
桐山教として売り出しているのならともかく、
こういう釈尊の教法とは似ても似つかない内容を、
あなたは阿含経の本当の釈尊が説いたと周囲に吹聴している。
釈尊への重大な裏切り行為であり、人々を嘘で騙している。
桐山教で因縁が切れて、死者を成仏させられるならまだいい。
教祖自らが因縁を丸出しにして、因縁切りなんと真っ赤な嘘だと証明し、
死者成仏の公式な事例に出している内容がことごとく嘘だとわかっても、
あなたはそれを無視し、隠して、周囲の人たちに因縁切りや死者成仏が
できるかのように、護摩木を売り、人を勧誘している。
これがあなたのしている修行とやらの実態です。
あなたの修行の中身は、人に嘘をつくことであり、釈尊への背信行為であり、
死者を冒涜するカルト宗教の手伝いをすることです。

68 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 19:10:07 ID:qzg9f1IX
>357 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:34:11 ID:aeGUFg2Q
>修行を放棄し、自ら仏教徒ではないという「神も仏も名無しさん」は今後も変わることは出来ないでしょう。

あなたのしていることは修行ではなく、霊感商法のお手伝いにすぎない。
だから、私は修行を放棄したのではなく、霊感商法のお手伝いをやめたのです。
仏教の修行なんて最初からしていなかった。
なぜなら、アゴン宗にはそんなものは最初からない。
因縁切りだの、死者成仏だの、チャクラや無意識だのと、
全然釈尊の教法とは関係のない外道の宗教なのだから、
それが仏教の修行であるはずがない。
私が最初に仏教の修行をしたのは、アゴン宗の信仰を捨てた時です。
人間には霊魂があるという我見を捨てて、
煩悩解脱をオシエにすぎないなどとバカにするのを辞めて、
これこそが釈尊の説く仏教なのだと正しく理解することで疑惑を捨て、
護摩や占いやボン行と称する貢ぎ行を捨てることで戒取を捨てた。
ごらんのように、私は身見、疑惑、戒取のうち、桐山さんに植え付けられた三結は
捨ててしまったのです。
一方、あなたはどうだ。

69 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 19:12:29 ID:qzg9f1IX
>357 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:34:11 ID:aeGUFg2Q
>修行を放棄し、自ら仏教徒ではないという「神も仏も名無しさん」は今後も変わることは出来ないでしょう。

相変わらず、外道の教えの運命解脱とやらを信じて、
カルト宗教の手伝いをして、自分では何事かチャクラや無意識について
深く理解し修行していると自惚れている。
その自惚れは、アゴン宗に入る前はなかった。
アゴン宗に入ったことで、あなたの慢心は増大した。
さらにはチャクラを開発して、運命を変えたいという
愚かな欲望に囚われている。
これも、桐山さんに植え付けられる前はあなたは持っていなかった欲望です。
アゴン宗に入ったことで、あなたの欲貪は増大した。
今でも御祈願と称して護摩木で欲望を日々増大させている。
自分の信仰をオカルトだと批判され、しかも何も反論できないものだから、
あなたは「気分を害されている」。(358)
それもアゴン宗の信者だから怒りが生じた。
つまり、あなたはアゴン宗に入ったばかりに、
霊魂を信じて身見に違反し、釈尊の教法を小馬鹿にして疑惑を持ち、
因縁解脱や護摩を信じて戒取を持ち、超能力や護摩木で欲貪を持ち、
批判されて瞋恚を持った。
仏教の修行とは、これら五下分結を減らすことです。
だが、あなたはアゴン宗に入ったばかりに増やしている。
つまり、あなたは仏教の修行とは正反対のことをしているのだ。

70 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 19:17:43 ID:qzg9f1IX
>357 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:34:11 ID:aeGUFg2Q
>修行を放棄し、自ら仏教徒ではないという「神も仏も名無しさん」は今後も変わることは出来ないでしょう。

仏教の解脱すら信じていないあなたが仏教徒であるはずがない。
釈尊の禁止事項を悉く破っているあなたが仏教の修行をしているはずがない。
と、徹底的に一修行者さんを叩くと、批判側からすら、
「北風よりも太陽であり、もっとやさしく説いてあげたらどうか」と
いう批判が出て来るのは知っています。
だが、一修行者さんには「犠牲を伴う愛」を出してもらう。
信者さんたちに、私とあなたのドツキ漫才を見せることで、
アゴン宗などただの外道にすぎず、修行だと自惚れているが、
カルト宗教の霊感商法や物売りにすぎないことに気が付いてもらうためです。
チャクラや無意識だのと偉そうにほざいても、なんにもありしゃしない。
地球救済だの、霊的な進化だの、そんなご立派なお話よりも、信者さんには
自分が今何をしているのかを、あるがままを見て、自覚してもらいたい。
アゴン宗は護摩木のかき入れ時が到来している。
欲を煽り、霊障という恐怖で追い立て、煩悩を増やすのが護摩木です。
読んでいる信者さんが、一人でも、そのことに気が付き、
一日でも早く、護摩木祈願や柴燈護摩が、釈尊の指示した修行とは正反対の
ことをしていることに気が付いてほしい。
そのためには、一修行者さんには犠牲を伴う愛を出してもらい、
舞台の上でミジメな役をしてもらうしかない。
あなたの姿を見て、信者の中には気が付く人も出てくる。
本人はツッコミだと言っているし、子孫さんやペテン大作さんと
同列に扱われることに屈辱を感じないようだから、適役です。

71 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 19:21:15 ID:e1zbZUQm
おまけ。

◎Q(klingo〜n・クリン含・ペテン大作・ペテン犬作・Q連続対・オバQ)って何物?
黒を白と言いくるめるのに必死になってる人。
論の内容より人格攻撃に必死になってる。


◎羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦って何物?
阿含宗会員かどうかは不明だが一応擁護側のコテハン。大便・栗花馨・33点とも
言われる。威張りくさったアホなハンドルを使うことや今までの態度から、
語る言葉が無いのに自己顕示欲だけが強い人物と思われ。
話し掛けてもまともな対話が成り立たないので、阿含宗の広告と思って読み飛ばしてください。

◎Beelzebub ◆YDJ4DIBPYoって何物?
房中術研究家。
普通に発言したら相手にされないので開き直って荒らしてる人。

72 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/07(日) 19:29:35 ID:e1zbZUQm
>>27 名前:Q 投稿日:2008/12/07(日) 16:30:08 ID:C3P9HPi5
>前スレ271 :私文書為造
>>すみませんが、どなたか護摩許し状お持ちの方
>>お手数ですが全文書き込んでいただけないでしょうか?

>で誰も協力してくれないとは淋しい話よのぅ。
>日頃の行いが悪いせいだな。

ああ悪かったな。人のことを偉そうに言うおまえはさぞ人望があるんだろうな。
まさか底意地の悪さでこの状況を利用した発言ではあるまい。
さっさと宗務局に質問状出して来いよ。行いの正しいおまえならさぞ謹んで受けてくれるだろう。

で、Klingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

73 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 20:13:15 ID:hLTCI4nA
修行を放棄し、自ら仏教徒ではないという「神も仏も名無しさん」は今後も反省することすらも出来ないでしょう。


74 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 20:18:45 ID:87gKvMpS
>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>これは違うでしょう。本人が気持ちを伝える気がないと言っているんだから。

本人がどうあろうと受け手である私の問題です。
なるほど彼は信者時代の擁護側のユビキタスだろうが人物などには興味なかったろうと思う。
私をどうこうしようなんて気持ちはなく、私の書く内容にだけ反レスを送り、それを耳をそばだてて
聞いてくれる(読んでくれる)数少ない読者にメッセージを 発信するのは今と変わらぬスタイルだったと思う。
で、その耳をそばだてて聞く、自分の頭で問題意識をもって考える題材にしようと情報だけは受け入れる
数少ない読者の一人に直接の対話相手だった私もいたというわけです。
つまりアンテナの立て方があなたと違っていた。
私のそれ(アンテナの立て方)は今の大日さんや退会する前の〇〇屋さんと共通だったと思う。
つまり真実は何か 知りたいです。
アゴン宗が間違っているのか間違っていないのか確かめたかったのです。
信解円通を得たかったのです。
そんなアンテナを立てた私にとっては情報を発信してメッセージを送る彼の人としての誠意ある人間性を
キャッチすることができたのです。
だから私も最初はユビキタスと名乗らない浮動ハンドルのふざけた態度を改めて誠意をもって対峙することに
決めたのです。

75 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 21:38:53 ID:87gKvMpS
>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>ユビさんが感じたのは、ユビさんに退会する資質があったからです。
>擁護側時代も退会する理由を無意識にさがしていたのでは?

資質と言うならば、退会する資質も残留する資質も誰にもあると思う。
あなたにも退会する資質があるかもしれませんよ。
だから信者である大日さんが立てたスレ限定とはいえ、アゴン宗批判者なんかをスルーせず相手にしている。
あなたの大好きな無意識がそうさせているのかもしれませんよ。(笑)
私もまさかミイラ取りがミイラになるなんて結末は当初想像だにしませんでしたよ。
私は14歳の時から43歳(退会直前)に至るまで29年間の長い付き合いであり、失業時代の苦しい
時も親から反対されてる時もこれだけはさらさらやめる気はなかった。
ある程度弁明したらスレを去り、また信仰に励もうと考えていた。
青春そのものだったと言えるわけだから、これだけは失いたくない。
無意識にも続けたい願望があった。
それがあっさりと意識による理解で崩壊したのです。
そこに至るまでは悩み苦しんだが、決断してからは小気味よい気持ちでしたよ。
29年間の自分の否定。俺ってなんてスゴイことができるんだ!と。

76 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 22:06:37 ID:87gKvMpS
>358:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/07 02:10:49 ID:aeGUFg2Q
>私はいまのところ退会する気がさらさらないから、なにも伝わってきません。

この辺が先に指摘したアンテナの違いです。
退会するしないを前提に考えている。
本当に検証しようという態度ではない。
本当に検証しようという態度ならばニュートラルなはずだ。
これを求道心という。
求めるのは「道」です。その道は固定していない。
いつでも取捨選択をするのです。その為に遍歴もする。
お宅の大将もかつて書いていたではないか。解脱への遍歴とw
法華経から密教へ、密教から阿含経へと遍歴したことになっている。
私はそもそも批判本読むの大好きでしたけどね。俺が反論してみせる。それが俺のこの宗教への
理解度を測るバロメーターみたいなものだと思っていた。
もっとも志茂田さんの宝石と、廣野さんの批判本は反論できなくてかなりショックだったが・・・
考えることを逃避した。
とにかくあなたに足りないのが本当の意味での求道心です。
だから一修論の思いつきもそうなんです。
それはあなたが疑惑をぶつけて検証してみたのではなく、最初から退会しなくて済む擁護の立場を
前提に自分なりに論としての理屈を考えた。
普通ならこれが本当に通用するのか検証するのが求道心というものです。
批判側が覗いて難癖つけようとも大日スレという信者の立ててくれたスレにその論を公開して
多くの人に意見をいただく。批判側の批判にどれだけ耐えられるか検証してみる。
完全に耐えられなくてもたしかな手応えを感じられるかどうか試してみる。
それをしないのはあなたが無意識(笑)の うちに恐れているからです。
退会しない、したくないが前提なんですから。

77 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 22:15:14 ID:c7fBxjN8

仏塔を叩き壊した

76 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 22:06:37 ID:87gKvMpS


78 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 22:22:40 ID:I6XDNJwm
七氏さんは痛いこと言うね〜、でもその通りだから何も言えね〜。

79 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 22:24:01 ID:c7fBxjN8
下劣なことを繰り返し
越法真言をその度に唱えてたそうです。

76 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/07(日) 22:06:37 ID:87gKvMpS


80 :絶対神:2008/12/07(日) 22:25:28 ID:8jkXKqY4
なにか非常な誤解をしている人がいるけど。
この世の中に元々、
「真理とか、真実」なんてないんだ。
そんなものを本気で期待していたら、「永遠に死ぬまで得られない」ぞ。
今まで縛られていたものから解放されれば、「一時的には楽になる」だろうさ。
だが、「何も変わっていない」。君は単なる人間だし。
別に大金持ちになった訳でも、超能力者になった訳でもない。
こういっちゃなんだが、「お前は単なる進化した猿の一匹」なんだよ。

答えというものは、探して見つかるものじゃない。
こう言っても、判らないと思うけど。
「答えというものは、神様が与えてくれるものです」。
「真理というものは、神様が作るものです」。
この世には、時々、「価値観を構築する能力をもった超人」が生まれてきます。
「つまり、私のようなイキガミサマが作るのが真理であり、答えです」。
お前たちは、ただ、それを唯唯諾諾と受け入れればそれでいいのです。
お前たち凡人がなにを求道しようが、永遠に答えなんて得られません。
「それが絶対真理です」。

81 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 22:26:29 ID:c7fBxjN8
修行を放棄し、自ら仏教徒ではないという
「神も仏も名無しさん」は今後も狂乱粘着したままでしょう。


82 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 22:42:14 ID:c7fBxjN8
女性は、粘着ユビキタスが怖かったのでしょうね
不気味な粘着で一方的に迷惑なことをして開き直っています。

さてそれからある日私は別院にも誘い、その後デートにも行っている(おいおい?)
彼女に電話した。
そこで衝撃の事実を聞かされた。
婚約が決まったとのことである。
私ではない。(あたりまえだ)
二股かけていたのではなく、私とのデートとの後にたまたま学生時代の先輩に
会ったところ意気投合したそうだ。
彼女は私のことも話したそうだが、彼氏は結婚を迫ったようで、結局彼を選んだ。
ユビキタスの負け〜。カワイソス。
私は三日間よくもこれだけ泣けると思えるほど泣いた。
「最後にもう一度会わないか?」
「なんで会う必要があるの?あたしそういうの男らしくないと思う」
(てめー・・・)
ようやく気持ちの整理がついてあきらめることにした。(←それしかないだろ?)
最後に電話した。
「それではお幸せに。もう電話しない」
電話を切ってまだやり足りないことを感じた。ダメもとで電話しよう。
「男子に二言あってすみません」
「・・・・・」
「ところで一つだけ聞いておきたいんだけど、前に三田で護摩木書いた時
アレ何て書いたの?」
「縁むすびって書いた」
「やったジャン。願いが叶ったジャン」(←おいおい?)
「ところでもう君とは会わない俺なんだが、今度結婚する君も本当の幸せを
つかむためにも阿含宗の入会を勧めたいのだがどうだい?」
「いいえ、私はお断りします。」

83 :絶対神:2008/12/07(日) 22:54:35 ID:8jkXKqY4
要するに、私の言いたい事は、こういう事です。

元々、「この世に道などありません」。
「道は我々、生き神が作るんです」。お前たちはただ、その後をたどってくれば、
それでいいのです。

真理を以下に端的に表しましょう。

1・私は絶対神。私以外に神はいない! ただ私に唯唯諾諾と従う事のみがお前たちの幸福!
2・神への冒涜は、いかなる理由があれ、許されない! 反抗は大罪!!

疑問はない! 一切ない! 思考を停止しろ! その無駄な思考をやめろ!!
私こそが真理! 私こそがすべて! 私こそが一切!!

真理を理解したか?
お前たちは、ひたすら、ただひたすら! 私に盲従する事によってしか
救われる事などはない!!


84 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/07(日) 22:57:11 ID:c7fBxjN8
ユビキタスは桐山氏に卑しき邪悪な本性を見抜かれ拒否されていました。
仏塔を平気でわっている本来の卑しい我がユビキタスです。

厚顔無恥さが恐ろしく卑しい

引用

宝塔を割った私が、しかし本来の我を取り戻し、大学に入ってから再入行を志すも
管長に許可を願い出る手紙が必要だった。
事情を話すと相談に応じてくれた先達は、その場で手紙を書くことを勧め
とりもってくれた。
「多分許可は下りますよ」とのことだったが、しばらくして下りた管長の
回答が、認めぬ


85 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:00:52 ID:qzg9f1IX
>>23 :Q:2008/12/07(日) 16:06:58 ID:C3P9HPi5
>356 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/07(日) 01:31:38 ID:aeGUFg2Q
>その結果、今まで「神も仏も名無しさん」は何人もの相方に逃げられてしまったんですね。
>そろそろコンビ漫才の才能がないと思ってピン芸人として本でも書いたほうがよいのでは。

ペテン大作さん、一修行者さんに言ってやってくラハイよ。
「逃げられた?何ぬかしとるねん、ヲマイ。
ヲレがいつ七氏から逃げた?
このとおり、あいつが嫌っても、蛇蝎のように嫌悪しても、ゴキや
ダニのように忌み嫌っても、ヲレは絶対に離れず、はえ取り紙ように粘着して、しつこく、
七氏がどんなに論理的に説明しようが、証拠をあげようが、
ヲレは絶対に受け入れず、同じ事をクドクドと何年にも渡って書き続けている。
この生きた霊障のホトケのようなペテン大作様を逃げたとはなんだ!
今までどれほどあいつに投げた石に当たり、自爆し、自滅し、大恥をかかされたか。
この怨み晴らさでおくものか。
七氏がコンビ解消だと言おうがなんだろうが、絶対に離れないからな。
このヲレ様の執念深さは栗花の比でないことを思い知るがいい!ベタ〜ネト〜!」

86 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:10:56 ID:qzg9f1IX
>>24 :Q:2008/12/07(日) 16:13:18 ID:C3P9HPi5
>あなたは定説だ言わんばかりの書き方をしています。

これのどこが証拠なのだ?
言葉尻もなにも、あなたが、私が定説だと書いた、と主張したのです。
だが、その証拠という文章には定説という言葉はもちろんのこと、
それに相当する説明すらない。
あなたの憎しみにかかると、書いていない文章から文字が読みとれるのですね。
釈尊の解脱の様子の一つに十二縁起が出てくる。
それを三明で確認したという経典の流れをそのまま説明しているだけです。
何度も言うが、私は釈尊の悟りの内容に一つの説があるという桐山さんの
主張が間違いだと批判しているのです。
その私が十二縁起が定説だなんていうわけがない。
中村博士の本を読んで、いくら理解の遅いあなたも私が何を言っているか
そろそろ理解したでしょう?
私は何か説を唱えているのではなく、阿含経にあるままを述べているだけです。
普通の学者たちもそうです。
釈尊の解脱の内容に定説などなく、経典によっていくつか項目があるだけです。
それを桐山さんはいろいろな説なのだと読み違いした。
元の阿含経をきちんと読んでいたら、こんな間違いは絶対にしない。
桐山さんは阿含経など、ペテン大作さん以上に読んでいないからです。
自分で阿含経を読むと、あらためて桐山さんがろくに阿含経など
読んでいないこと、あなた以上に早とちりの一知半解なことに気が付かないか。
ド素人のあなたと同じ間違いをした桐山さんが阿含経を深く理解したとか、
ブッダの知恵を持っているなんてありえるはずがない。
これがあなたの貴重な体験です。

87 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:19:19 ID:qzg9f1IX
>>23 :Q:2008/12/07(日) 16:06:58 ID:C3P9HPi5
>「心が統一され・・・」が解脱だと言い出したのはあなただ。
>だからあなたがそれを証明するのです。
>それを解脱でないと主張する側が証明しろと言うのか?

自分は何一つ質問には答えないのに、こちらの説明を無視して、
相手に執念深く答えろと迫る。
あなたのその理屈抜きの異常な執念深さは、先祖の抑圧が無意識の意識の中にあるからに違いない。
無意識のエキスパートである一修行者さんもそう思いませんか。
ペテン大作さんを見ていると、霊障って本当に怖いですねえ。
桐山ゲイカに連続解脱供養をお願いし、冥徳解脱も家系を倍に増やしなさい。
さて、ペテン大作さんと遊ぶのはこのくらいにして、
信者さんたちにとって、この議論の焦点は非常に重要です。
「桐山解脱・・・神通力でカルマを断ちきることが解脱である。」
信者さんたちはこれが正しいか間違いかに重大な関心を持ってほしい。
桐山さんは、神通力でカルマを切ることが解脱だ、と主張したいために、
釈尊の解脱とは四禅三明によるものだと主張している。
なぜなら、三明とは三つの神通力(宿命通、天眼通、漏尽通)を表すとされるからです。
つまり、桐山さんは三明という神通力でカルマを切って解脱したと言いたい。
今ここではカルマを切ることが解脱かどうかの議論はさておき、
神通力で解脱するのかどうか、という点だけに絞りましょう。
「桐山説 三明→解脱」
というわけです。
だが、こんな変な説を出しているのは桐山さんだけです。
なぜなら、阿含経には何の根拠もない説だからです。

88 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:22:56 ID:qzg9f1IX
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」 (菩提王子経)
『原始仏典 6』(春秋社、189頁)

これは釈尊が自分の解脱した時を描写した経典の一部です。
これを読めば、明らかに桐山説は成り立ちません。
この経典は釈尊が四禅が終わり、次に宿命通という神通力で
自分の前世を透視する場面です。
この描写ではすでに、「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」とある。
これらは全部同じことで、煩悩がない、つまり解脱したという意味です。
宿命通の前に煩悩をすでに消滅させ、次に自分の前世を透視したと述べているのです。
これはその後の、衆生の輪廻を見ること(天眼通)、さらに自分の煩悩が
完全になくなったことを確認すること(漏尽通)の二つの通力でも
同じ描写が続きます。
つまり、三明(宿命通、天眼通、漏尽通)の前にすでに釈尊は解脱しているのです。
そんなことは当たり前で、自分の前世や他人の前世を透視すると
どうして解脱できるのか説明がつかない。
ましてや、漏尽通は煩悩がなくなったことを確認する神通力ですから、
漏尽通を獲得する前に解脱していなければ筋が通らない。
経典を見ても、三明の内容からしても、三明の神通力で解脱するなんてありえない。
桐山説など真っ赤な嘘だとわかります。
だが、因縁付けのペテン大作さんは納得しなかった。

89 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:32:59 ID:Y9QwwZmh
「(83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。 」
(『世界の名著1 バラモン教典、原始仏典』 531頁)

ペテン大作さんが反論としてあげたのか、上記の沙門果経です。
先にあげた菩提王子経と描写がほとんど同じです。
内容も、「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」
とは、煩悩が消滅し、解脱したことを意味します。
煩悩がなくなって解脱した後に三明が出てくるのが菩提王子経、
煩悩がなくなって解脱した後に六神通力が出てくるのが沙門果経です。
だが、ペテン大作さんは前者は認めるが、後者は認めないというのです。
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ・・」が
解脱であるとどこに書いてあるのか、学者の説を出してみろと
彼は執念深く噛みついている。
ミケやトラやサビがネコだと言っている学者を出せと言っているとの同じで、
阿含経の解脱の意味を知らないペテン大作さんの無知にすぎない。
そんなことを言うなら、三明で解脱したとどこにあるのか示してみるべきだが、
そんな質問は彼は完全無視して、学者の説を出してみろと迫っている。
ペテン大作さんの無知は桐山ゲイカの成仏リキでないと治らないようだから、
放置することにしましょう。
だが、信者さんの中にはまだ超能力によってカルマをエイッとぶち切るのが
因縁解脱を信じて、「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ・・」
が 解脱だとは思えないという人もいるかもしれない。
その人のために、学者がどう言っているか、ペテン大作さんも推薦の中村博士の
解説を引用します。

90 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:35:01 ID:Y9QwwZmh
『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ

「さて、釈尊がブッダガヤーで何をさとったかということですが、これは仏典によって、
いわれていることがみな違うのです。十二因縁によって真理をさとったということが、
よく書物に書かれていますが、よく原典を読んでみると、さとった後で、
十二因縁の道理に気が付いたということになっています。
十二因縁の教えというのは、何といっても新しいのです。
『スッタニパータ』の中には、十二因縁の原型になるような、もっとシンプルな、
簡単なかたちの縁起説が説かれています。だから、十二因縁というのは、
ある時期にきちっとした体系が成り立った、その時期のものだと思います。
それから若干の叙述によると、過去世を見通したということも書いてあります。
これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。
すると、仏典の記述は一定していないわけですね。」

91 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:42:36 ID:Y9QwwZmh
「これもさとった結果、過去世を透視したのです。
過去世を透視したから、さとったのではありません。」

信者さんたちもご覧下さい。
中村博士は、はっきりと、宿命通などの神通力で悟ったのではないと書いている。
解脱(悟った)した後に過去世を透視したとある。
つまり、阿含経にある正しい順序は、
「解脱→三明」
です。
中村博士の主張が根拠のないものではないことは、
すでに示した菩提王子経や沙門果経の記述を読めば明らかです。
「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」(菩提王子経)
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」(沙門果経)
の記述が解脱を表すからこそ、その後に三明が出てくるのです。
いや、本当は、仏教の解説書でも経典でも少し読めば、
これらの記述が解脱を表すことなど当たり前なのです。
これを解脱だと解釈しないのは、仏教を理解していない人たちです。
「桐山説 三明→解脱」
なんて、真っ赤な嘘であることが、経典からも、学者の説明から
理解できたでしょう・・・ペテン大作さん以外は。
こんなことすらわからない桐山さんが解脱したなんてありえると思うか。

92 :絶対神:2008/12/07(日) 23:43:03 ID:8jkXKqY4
どうせこの世に信じられるものなんて何もないとしたら。
せめて俺だけでも信じてみないか?

一人の男と夢を見て一緒に闘い、壮絶に果てる人生だっていいじゃないか。
歴史上、そんな人生をたどった男なんて幾らでもいるぞ。

どうせ、虚無が支配する。神仏なんてなにもないようなこの世界に
生まれたんだ。

たっだら、俺が絶対神になって、この世に光をもたらしてやるさ。
この世界そのものを根底から突き崩し、変えてやる!
それが俺の生きる目的。

93 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:49:54 ID:Y9QwwZmh
「よく書物に書かれていますが、よく原典を読んでみると、さとった後で、
十二因縁の道理に気が付いたということになっています。」

>>90で「解脱→三明(神通力)」の説明の前に、長々と十二因縁のことを
出したのは、ペテン大作さんの読み間違いの説明になっているからです。
ここでも中村博士は、釈尊の悟りの内容は、
「これは仏典によっていわれていることがみな違うのです。」
と書いている。
桐山さんは学者によっていくつかの説があるのだと書いた。
だが、前に引用した菅沼先生もそうだし、中村博士もそのような説があると
言っているのではなく、経典にいくつも書いてあると述べている。
桐山さんの読み間違いです。
また、ここでも中村博士は十二縁起によって釈尊が悟ったのではなく、
悟りを開いた後で、悟りの内容を縁起で表現したのだと書いています。
信者さんたちは桐山さんを、阿含経を読破して完全に理解していると信じている。
だが、学者ですら読みとれる内容を桐山さんは理解していない。
毎度のことで、一知半解の我流解釈を並べているから、
元の阿含経と比較すると、似ても似つかない。
この桐山さんが本当に阿含経を理解していると信じられますか。
むしろ、学者の解説すらも読み間違えて、我流の解釈をしているように、
どう見ても、桐山さんは普通の読解力すらない。
念のために言うが、「桐山ゲイカは解脱した体験から言っているから、
学者と違うのは当たり前だ」という説は無意味です。
なぜなら、桐山さんは体験ではなく、阿含経の説として紹介しているのです。
つまり、桐山さんの知性がこの程度なのです。

94 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:54:51 ID:Y9QwwZmh
>>19 :名無しさん:2008/12/07(日) 12:55:42 ID:Rkp6peOX
>経典の解釈は、結構。もう、護摩木ビジネスの阿含宗にうんざり。日本経済の復興
>を祈ったあの法要は何?俗物そのもの。わが親戚に、阿含宗の信者(谷口某)がいて
>大変迷惑した。とにかく、信じなければ地獄に落ちると言う。でも、私は今も生きている。

親戚の物売りに辟易したお気持ちはよくわかります。
だが、その物売りは経典解釈と深く関係しているのです。
信者たちは、釈尊が説いた唯一の経典である阿含経を自分たちは護持していると信じている。
阿含経が釈尊が説いた経典であることはたしかです。
だが、桐山さんから教えられている内容は阿含経とは全然関係ない。
信者は似ても似つかない内容、いや、正反対の内容を釈尊が説いたと信じている。
その一つが因縁解脱です。
アゴン宗の因縁とは運命のことで、親戚は桐山さんから悪因縁を持っていると脅かされている。
もちろん、釈尊はそんなことは一言も説いていません。
親戚は、桐山さんから、横変死の因縁があると脅かされている。
これは自殺、他殺など、畳の上では死ねない運命を指します。
悪因縁で脅かされ、切りたければ、人と金を貢げと言われている。
その一つが護摩木の押し売りです。
彼らはこれを釈尊が説いた積徳行と思いこんでいる。
アゴン宗の仏様に人と金を貢げば、見返りに悪因縁が切れると信じて、
それを釈尊が阿含経で説いたと思いこんでいる。

95 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 00:00:49 ID:Y9QwwZmh
>>19 :名無しさん:2008/12/07(日) 12:55:42 ID:Rkp6peOX
>経典の解釈は、結構。もう、護摩木ビジネスの阿含宗にうんざり。日本経済の復興

釈尊は悪因縁も因縁切りも積徳行も説いていません。
全部桐山さんの作り話です。
だが、人間は理屈よりも、恐怖など感情に簡単に支配される。
あなたの親戚も、悪因縁を切って助かりたい一心で、
あなたに護摩木を押し売りし、地獄の話までして脅かし、おそらくは入信も勧めたはずです。
すべては桐山さんから恐怖心を植え付けられ、それを釈尊が説いたと
信じている無知(無明)から生じた行動です。
だから、もし機会があれば、ここでの批判を紹介して、釈尊はアゴン宗の
言っているようなことは説いていないぞと伝えてあげてください。
「ネットでの批判など悪口だ」と言うだろうが、
釈尊が護摩を禁止しているのに、どうしてアゴン宗は
禁止されたことをわざわざするのかと質問してください。
屁理屈は並べても、うまく答えられないはずです。
このように、アゴン宗の信者とは無知が原因の信仰をしている人が多い。
そこで、元信者である批判側は自分の反省を踏まえて、信者たちに釈尊が
阿含経で何を説いているのかを懇切丁寧に説明しているのです。
回りくどいようだが、釈尊は知恵を説いた。
知恵とは、自分の知性で信仰を検証することです。
だから、信者さんたちに桐山アゴン宗を鵜呑みにする前に、まず普通の知性で
阿含経の釈尊の教法と自分の信仰を比較して、正しいかどうかを
検証するように勧めているのです。

96 :神も仏も名無しさん :2008/12/08(月) 00:09:42 ID:QxVGBXZ8
>>92
スレ違いだから、皆にスルーされてるのがわからないのか?
巣に帰れよ

97 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/08(月) 01:02:57 ID:NbGm/3Lj
コピペ及び前スレッドの私に対するレスに対しての返事は
後日にして、今日は>>19についてコメントしようと思う。

>>19
否、ジャハンナムに落ちるというよりも「斉の広場」へ行くのです。
桐山先生の霊筆による死後の世界の状況は正に鬼気迫るものがある。
この世に於ける人間の寿命は大体80年程度。しかし、死後の世界の
苦しみはその何十倍にもなる。貴方も斉の広場で悲泣する人間の
1人になるのかと思うと、哀れだと思うしかない。
死後に備えた生き方こそ賢人の生き方。そう、貴方はその親戚に
ついて行けばいいのです。貴方は奴隷。唯々諾々と親戚に
服従すればいいのです。
そして、人間が考え出した仏は偶像に過ぎない。偶像崇拝だけは辞めなさい。
偶像にどのような救済能力があるというのか。困った時はいつでも
私が相談に乗ります。ここは無能の巣窟ではあるが、私のような
有能な人間が存在する事をお忘れなく。

98 :米国の告発、W田を斬る:2008/12/08(月) 01:06:42 ID:ZD1EzkE8
2008年も最後の月となりました。
お待たせ致しました。
来年のある月に米国で元職員と2件の裁判までにもなった、阿含宗と和田さんとS崎が
米国で行った詐欺、脅迫、およびW田さんの不正疑惑、などなどが写真入りで記事になります。
阿含宗がスキ入る間もないくらい、裏をとりながらのジャーナリストの取材は大変のようでした。
お楽しみにお待ち下さい。

99 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/08(月) 01:07:57 ID:0MecfYU9
釈尊は、
運命をよくする因についての説法を何度もしています。

釈尊は、
積徳ついての説法を何度もしています。

釈尊を怨念に利用するでっち上げ

ID:Y9QwwZmh


100 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/08(月) 01:15:39 ID:0MecfYU9
簡単なことを
あえて言っておく
必要があるようですね。

釈尊の縁起とは、

因果関係ではなく依存関係ですよ。

101 :絶対神:2008/12/08(月) 02:41:00 ID:bCLVHZ3C
2: 神や救世主は全世界に一人で良い。 (11

スレッドをたてたので、参照してみて。
真理が書かれているよ
これは、幸福の科学総合スレッドに書いたことのまとめみたいなもの。
ただ、あんまりうまくまとまってないけどね。
正直、もう疲れたし、後30分くらしたら、ここを去る2chは二度と覗きにこない
かもしれない。

102 :樹意:2008/12/08(月) 05:40:49 ID:RLrJRl+8
>>32
> >>19
> > 経典の解釈は、結構。もう、護摩木ビジネスの阿含宗にうんざり。日本経済の復興

アゴンの迷惑を訴えながら そのイベントの最たるものである釈尊のゴマ禁止、占い禁止の
経典引用を否定するならその訴えというのは根拠の無いものになるだろう。
単なる個人的な好悪の問題というだけということになる。
根拠のない批判というものはない、 そういうものは悪口 誹謗ということになる。
意見と事実の区分けをつけなければいけない。
迷惑を受けたと思うならその批判の足場を蹴飛ばすべきではない。



103 :樹意:2008/12/08(月) 06:09:01 ID:RLrJRl+8
>>13
自レス

> 77 第一の禅 79 第二の禅 81 第三の禅 83 第四の禅
> 85 内観の智 87 意から成る智 89さまざまな神通の智 91天耳の智 93 他心の智 
> 95 過去の生存を想起する智 97 天眼の智 99煩悩滅の智(漏尽智) 
>
> 83 第四の禅 注釈に 曰く
>   この第四禅の比喩については、つぎのように解される。〈この場合、付随煩悩がない状態によって
>   「清浄」であり、輝きの状態によって、「純白」である、と解されるべきである。ーーー 」
>
> 第四禅によって既に付随煩悩がない状態が獲得され今度は 「智」に心を向ける段階に入る。
> 《意から成る智》とあるようにこれは修道を進めた結果生じる 《智》のカテゴリに入るわけです。

83の第四の禅の次に85内観の智に入りますがこれは知見のことです、
以下引用 
85 このようにして、心が安定し、清浄になり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、
   柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになると、かれは、智見、に心を傾注し、向けます。
   片山一良氏訳 ディーガニカーヤ戒蘊篇 沙門果経 
注釈に曰く
   nana-dassana (知られるべきものを知るから智 〈nana〉であり、また知られるべきものを
   目の当たりに見るから 見 〈dassna〉である。智なる見が智見である) ここにいう
   (智見)とは、道智(magga-nana)とも果智(phala-na-na)とも一切知智(sabannuta-nana)
   とも観察智(paccavekkhana-nana)とも言われる。なお「智見」とは、〈智見〉が〈生起する
   ように〉の意

104 :樹意:2008/12/08(月) 06:34:11 ID:RLrJRl+8
要するに第四禅までいき次の段階として智見があり、87 意から成る智 に心を傾注し 最後に
99煩悩滅の智(漏尽智)がある。 以下引用

このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
行動に適し、確固不動のものになると、かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます、
彼は、
「これは苦である」と如実に知ります。
「これは苦の生起である」と如実にしります。
「これは苦の滅尽である」と、如実に知ります。
「これは苦の滅尽に至る行道である」と如実に知ります。
「これらは煩悩である」と、如実に知ります。
「これは煩悩の生起である」と、如実に知ります。
「これは煩悩の滅尽である」と、如実に知ります。
「これは煩悩の滅尽に至る道である」と、如実に知ります。
このように知り、このように見るかれには、欲の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が
解脱し、無明の煩悩からも心が解脱します。解脱したときには解脱したという智が生じます。
「生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。もはや、この状態のほかにはない」
と知ります。

煩悩滅の智の注釈に曰く、 asavakkhaya-nana 漏尽智 煩悩滅の智〈asavakkhaya〉とは、道〈magg-na〉
とも、果〈phala〉とも、涅槃i〈nibba-na〉とも、破壊〈bhanaga〉とも言われるが、ここでは「涅槃」、
或いは「阿羅漢道」「arahatta-magga〉が意味される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

105 :樹意:2008/12/08(月) 06:40:32 ID:RLrJRl+8
大まかにいうと各種の戒律より戒蘊を得、四禅と進み 解脱智見の段階がある。
第四禅において
このようにして、心が安定し、清浄になり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ
柔軟になり、行動に適し、確固不動のものになる。 
ほぼこの段階で解脱しているのだがその後 各種の智見に心を傾注し最終仕上げの段階がある。
最後に 99煩悩滅の智(漏尽智)がある。
これらを勘案するに、私の場合は七氏さんとは見解が少し違い、煩悩滅の智に心を傾注し
「阿羅漢道」「arahatta-magga〉が得られるのだろうと思います。 ただ勘違いしないで欲しいのは
あくまで 戒蘊を得、四禅と進み 解脱智見 なのであって、四禅をベースに各種の智に心を傾注する
のであって 〈智〉神通力で解脱するものではないということです。四禅を得る為には戒蘊を得ていなければ
いけないのは当然のことです。

着目すべきは 神通力とあってもこの場合は〈智〉或いは〈智見〉の扱いだということです。
四禅のベースが無ければその智は得られず 四禅は戒のベースがいる。 アゴンのように
大戒 中戒 小戒 として禁止するものをボン行と言い換えているところが議論の対象とする
ものではないということです。


106 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 10:01:14 ID:Y8ZRCxfB
>>97
斉の広場斉の広場ってw
お前有能なら斉の広場が実際にあるって証明することも簡単だろw
証明してみろ。言っとくけど、詐欺師桐山が言ったなんて証明にもならないからなw

107 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 12:17:05 ID:k0vmdnEq
>>98 告発さん

来年のある月に阿含宗の事が写真入りで記事になりますと書いてありますが、
W田さんはいつものように信者のお金を使って、雑誌社を抱え込み、記事が出ないようにすると思います。
私個人は記事になる事を願っています。



108 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 12:28:22 ID:NzvvYKLQ
ある月ある雑誌の予定でしたが
結局記事になりませんでしたって落ちです。

109 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 12:39:45 ID:0xa6rq+3
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[322]如来の子孫 08/12/08 10:41 XG4NYX7.2T
>37道品が全体で八正道は部分という考え、これが学者さん方の見解
>ですね。

子孫さんの読解力のすごさには驚かされます。
三十七道品の中に八正道が入っているなんて当たり前じゃないか。
そのように三十七道品を構成したのだから、誰が見ても、入っている。
辞書や学者の説明など持ってこなくても、三十七道品の中に八正道は入っている。
私が指摘したのは、八正道はそれらの総合目録だと言っているのです。
八正道は三十七道品という本の「目次」です。
目次には本の内容が全部入っている。
本の題名は三十七道品なのだから、目次である八正道が本の中に入っているなんて当たり前です。
本の内容は八正道という目次にすべて表されているから、
他の修行法は八正道の中に入ってしまうのも当たり前です。
子供でも、本の目次を見て、これは本の内容を表す目次だ、と判断する。
それと同じで、私の書いたことは説でもなければ、解釈でもなく、
内容を検討したら、そんなことはすぐにわかります。

110 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 12:43:25 ID:0xa6rq+3
>[322]如来の子孫 08/12/08 10:41 XG4NYX7.2T
>37道品が全体で八正道は部分という考え、これが学者さん方の見解

これを指摘されても子孫さんが理解しないのは、
理解力の問題よりも、子孫さんは内容の検討をしていないからです。
八正道の分類の中に、他の修行法が全部入っている。
切り口や詳細さが違うだけです。
桐山さんから、八正道は教えにすぎず、四神足と五力だけが法だなんて、
オカルトを教えられて本気にして、内容の検討をしていないのでしょう。
桐山さんはなんとか神通力で解脱したと言いたいからです。
桐山さんは、四神足や五力だけが修行法だなんて愚かなことを主張している。
三十七道品が作られた由来や構成を、子孫さんと同じで理解していないからです。
釈尊が最初に弟子たちに説いた四諦の「道」とは八正道であり、
亡くなる直前の最後の比丘に説いた言葉でも、八正道以外に道はないと説いている。
これを信者さんたちはどう解釈するのですか。
最初と最後に釈尊は八正道であることを強調している。
ここから見るなら、「八正道という名前で網羅される修行法」こそが
釈尊の説いた修行法です。
だが、教条的に八正道だけ説いたのだと言うと、これまた誤解が生じる。

111 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 12:50:32 ID:0xa6rq+3
>[322]如来の子孫 08/12/08 10:41 XG4NYX7.2T
>37道品が全体で八正道は部分という考え、これが学者さん方の見解

八正道と説こうが、三十七道品と説こうが、同じ内容です。
三学と言ってもいいし、四諦そのものだと言ってもいい。
全部同じことです。
七科目「英語、ビートルズの歌、リーデング、ヒアリング、英作文、英文法、英文学」
と七科目を並べられたら、これを信者さんたちは全然別なものだと思うか。
全部、英語です。
七科目の一つにある「英語」の中に、歌から英文学まで全部入ってしまう。
七科目の中の「英語」に相当するのが八正道です。
これをわざわざ、「英語は七科目の一部である」なんて言うのは、
中身を理解していない者の言い分です。
「四神足だけが法である」と桐山さんは言っている。
これは「英文法だけが英語法である」と言っているようなものです。
こんなことを言っている人がいたら、信者さんたちはどう思うか。
「この人は英語のことを何にも知らずに空想で言っている」と気が付くでしょう。
そのとおりで、桐山さんは釈尊の修行法のことを何も理解していないのです。

112 :神も仏も名無しさん:2008/12/08(月) 13:00:26 ID:0xa6rq+3
>[322]如来の子孫 08/12/08 10:41 XG4NYX7.2T
>37道品が全体で八正道は部分という考え、これが学者さん方の見解

三十七道品の七つは、深い意味があるのではなく、後世の人たちが主な者を束ねて、
このように表記したにすぎないことは、多くの学者が認めています。
三十七道品という体系を釈尊が作ったのではありません。
この点を信者さんたちはよく理解することです。
だから、経典によって100科550道品を説いている。
三十七道品は、後の人たちがまとめた代表的なものにすぎません。
桐山さんはまるで三十七道品を釈尊がまとめたかのような言い方をしている。
それが間違いだと言っているのです。
神通力でカルマを切るのが解脱だというオカルトを主張するために
四神足だけを強調している。
四神足は修行法の一つに間違いありません
だが、これだけが修行法だというのは間違いだし、ましてや
神通力で解脱するなんて真っ赤な嘘です。
その典型がスシーマ経で、三明も六神通力も持たない比丘たちが
解脱を宣言し、それを釈尊は認めている。
四神足の神通力で解脱するとか、三明で解脱するなどと言ったら、
スシーマ経をどう解釈するのですか。
慧解脱、心解脱、倶解脱も全部解脱であり、彼らはアラハンです。
実際、神通力で解脱したなんて経典は阿含経にはありません。
ありもしない解脱を信者さんたちは桐山さんから信じ込まされているのです。

113 :絶対神:2008/12/08(月) 13:23:46 ID:bCLVHZ3C
神や救世主は全世界に一人で良い。 (53)
真理が説かれたスレ。深く熟読せよ。

114 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/08(月) 23:05:27 ID:AbiYzZrK
間違っています。

ID:0xa6rq+3


115 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/08(月) 23:10:39 ID:AbiYzZrK
四禅は、仏教固有の行ではありません。

116 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/08(月) 23:11:13 ID:AbiYzZrK
四禅は、仏教固有の行ではありません。

117 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/08(月) 23:23:30 ID:AbiYzZrK
初期仏教において、

入胎の三事合和会にある
香陰の識がはたらくための因が、生存の素因とされます。
仏陀はそれを無効化された状態を
聖なる階梯とするのです。
仏陀の切り開いた「悟りの領域」の存在となったのです。

それは、すべてが仏陀の存在に担保されています。
すべてが、仏陀のさとりのプロセスにおける神通が大前提なのです。 

118 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/08(月) 23:28:23 ID:hM2/10k2
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>363:大日如来 * eu6hMsrO3Q :2008/12/08 20:49:28 ID:yXO4Jk1s
>法友「ちがうよ。だって、因縁解脱すれば来世は変わるわけだ。ならば、輪廻の先を変えることぐらい
>   変じゃないでしょう?」

下手に反論なんかすると喧嘩になって気まずくなるかもしれません。
こういう時はちょいと質問してみるとよいと思う。
「なるほど、これは素晴らしい。来世に思うがままの人生を実現できる瞑想法か。俺ももう中年で下り坂
だし、今度生まれたら若い頃からモテモテで・・・できれば今のかーちゃんとは違う女と結ばれて・・・
おっと、これ内緒だぜ。んでもって来世もまたこの瞑想法に励んで、来々世もまた違った人生をエンジョイ
するんだ。いやあ〜、命がいくつあってもいいねえ。本当に素晴らしい宗教と縁ができてよかった。
永遠の幸福だね。ところでいつ涅槃に入ろうか?こんな便利な法を得たらもう涅槃なんか求める理由がないね。
涅槃に入ったシャカって馬鹿なんじゃね?」
とか。

119 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 10:08:16 ID:pwzX/ObL
>>98
アゴン宗は雑誌社にかたっぱしからアゴン宗の広告を載せて買収していますよ。
それが桐山氏のやりかただが、氏ももはや権力も思考もないのでね。
現権力はW田さんだからW田さんが買収するでしょう。自分のことが暴かれるんでは
なおさらのことでしょう。W田さんやっきになっているんじゃないですか。
無事に出版されることを願っています。
桐山氏のことも暴いてほしいですね。



120 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:10:25 ID:TPwl2TU+
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/
>333 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 17:33:44 ID:YIC9ZlAg
>「運命というものやカルマというのは存在する。それからの脱出はできないものか」という観点は
>ありえる、と私は見ます。
>335 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 18:06:37 ID:YIC9ZlAg
>さて、>>334で言った問題点ですが、前述どおり「運命」にはカルマの力の影響が強いわけです。
>さすれば、それを何とかするためには仏教が一番となってくる。
>ところが、仏教にはそれに対する方法がありそうなわけです。

大日さんもそろそろ、批判側と信者側の大きな違いに気が付いたほうがいい。
一番大きな違いは「自論(持論)」「自説」がないことです。
批判側は、これが釈尊の説だという引用や説明はするが、
それらは自説ではありません。
だから、説明が間違っているのなら、さっさと撤回する。
一方、擁護側は自説を作っては崩され、また別な自説を作っては笑われる。
その模範は桐山さんで、桐山節を唱えるために釈尊を利用している。
一修行者さんの一修論も、あるいは前に大日さんが唱えようとした内容も、
全部、自分側に何か主張があって、理論を構築するために阿含経の釈尊を利用しようとしている。
子孫さんも桐山教に合わせるために、ハチャメチャな屁理屈を並べて、
ヲレはなんて偉いんだ、などと「年寄り脳」が自惚れている。
批判側と擁護側でくっきりと分かれていることに気が付きませんか。

121 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:11:34 ID:DGVyHcSL
買収資金集めが始まるだろうな。

122 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:14:16 ID:TPwl2TU+
>335 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 18:06:37 ID:YIC9ZlAg
>ところが、仏教にはそれに対する方法がありそうなわけです。

批判側は、私を含めて持論を持たない。
釈尊の教法とは何なのか、誰が説明しようが、それが正しければ受け入れる。
だが、信者側はそうではなく、桐山教や一修論や子孫教を構築して、
その外壁に阿含経を強引に貼り付けて、立派な説であるかのようにみせようとする。
だが、穴だらけだから、批判側に全部突き崩される。
批判側のもう一つの特徴は、すべてを説明しようとはしない、ことです。
だから、釈尊が霊魂について議論するなと言えば、それに従う。
一方、桐山さんは全部がわかったような言い方をする。
その典型が「完全仏教」です。
あの矛盾だらけの桐山教が完全仏教だというのだから、
桐山さんの知性の程度がよく現れている。
そこで、大日さんの提示している運命やカルマの話です。
釈尊は運命があるともないとも議論していない。
対象外なのです。
ならば、あなたも運命と仏教とをくっつけるのをやめてはどうか。
あなたの信仰や興味に干渉するつもりはないが、釈尊はそのようには
説いていないのだから、しばらく両者を同列に取り扱うのを保留にしませんか。

123 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:17:36 ID:TPwl2TU+
>333 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 17:33:44 ID:YIC9ZlAg
>「運命というものやカルマというのは存在する。それからの脱出はできないものか」という観点は

日本ではカルマを「前世や先祖の行為の影響力」という神秘的な力と考えている。
あなたも釈尊がカルマという言葉をこういう意味に用いたと思っていませんか。
阿含経の釈尊はそのような意味にはほとんど用いていない。
釈尊が用いたカルマとは、行為という意味です。
身口意の三業と言われるように、身体と言葉と心での行為をカルマと言った。
だから、阿含経に出てくるカルマとは行為という意味であって、
前世からの影響というような意味ではありません。
釈尊の時代にもすでにカルマには行為という意味の他に、
神秘力の意味でも用いていた。
釈尊はこれを百も承知で、行為という意味に限定した。
怪力乱神を極力避けた釈尊らしい発想です。
ところが、カルマの意味はインドでも神秘力として使われていたから、
仏教に入り込み、日本や東南アジアの仏教国では、釈尊の「行為」という
現実的な使い方が忘れられ、神秘力だけが残ってしまった。
さらには桐山さんのようなオカルト宗教家がカルマにとんでもない意味まで付け加えた。

124 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:20:46 ID:TPwl2TU+
『愛のために智慧を智慧のために愛を』210頁
「この世界には、ものごとすべてを動かしてゆくひとつの大きな力がある。
キリスト教はその力を「神」と呼ぶであろう。
シャカはそれを「カルマと」呼ぶ。」

『密教占星術T』
「この、因と縁の結びつきこそ、すべてのものを動かす原動力である。
この原動力が、前の項で述べた業である。」(149頁)
「人生とは因・縁のあらわれである。運命とは因縁のえがく軌跡だ。」(151頁)

『祈りは天地を動かす』P.77〜78
「成仏法は、「因縁解脱」の法であって、業(カルマ)を断ち切る法なのです。
それは、個人とか、社会とか、そういう区別はないのです。
この世に存在するものすべて、天地自然、生物も人工物も、すべてのきはん
(きずな・制約・束縛)を断ち切る法なのです。人間だけに限ったものではない。」

125 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:25:48 ID:TPwl2TU+
>333 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 17:33:44 ID:YIC9ZlAg
>「運命というものやカルマというのは存在する。それからの脱出はできないものか」という観点は

桐山さんは、この世界を突き動かす背後にあるのがカルマだとか、
霊障のカルマなんて、バラモン教でも説かないような変な意味まで付け加えた。
あなたが上記で用いた、「運命にはカルマの力の影響」というのは
こういう桐山流の解釈です。
桐山カルマ論を釈尊も説いたと誤解しているのではありませんか。
釈尊はそんなハチャメチャな意味でカルマは用いたことはありません。
今、あなたや私がしていること、話していること、心で思っていることが、
釈尊のいうカルマ(行為)です。
釈尊は自らをカルマ論者であると称した。
これは、桐山さんやあなたが信じているようなカルマ論ではもちろんない。
カルマを清めろとは、前世からの悪因縁を帳消しにしろという意味ではなく、
今の自分の身口意の行為に煩悩を出さないようにしろという意味です。
これが釈尊のカルマ論であり、なんのことはない、普段から説いている煩悩を
断ち切れという教法に他ならない。
だから、釈尊のいうカルマからは運命などという概念は決して出てきません。
あなたの「仏教にはそれに対する方法」とは、運命に対する方法を
指しているのだろうが、仏教にはありません。

126 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:30:27 ID:TPwl2TU+
>333 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 17:33:44 ID:YIC9ZlAg
>今現在私たちが生きていて日々起きる生活や出来事・・・これらはカルマの力や自分の作った過去世
>での因果の道理に進んでいることであり、起きることであります。

あなたのこの考えは桐山カルマ論そのものです。
逆に言うなら、釈尊の説いたカルマではない。
もう一度自分の書いたことをよく読んでください。
前世でなした何かがすべて今の自分を支配しているなんて考えは宿命論です。
桐山さんは、線路で固定された列車と、バス停にだけ停まるバスにたとえて、
自分の因縁論は宿命論ではないと言った。
バス停(悪因縁)以外はある程度自由に道を選べるから宿命論ではないというのです。
だが、アゴン宗で因縁切りをしないなら、横変死が決まっていると言うのは宿命論です。
桐山さんの詭弁にすぎない。
釈尊は桐山さんみたいにカルマ論など唱えていないだけでなく、
当時のインドでも、「すべてのものを動かす原動力」とか、
ましてや死者たちのカルマが天災人災を引き起こすなんて主張をした宗教家はいません。
あなたは宿命論にすぎない桐山カルマ論を仏教のカルマ論だと思い込まされているのです。

127 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:33:56 ID:TPwl2TU+
>335 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 18:06:37 ID:YIC9ZlAg
>ところが、仏教にはそれに対する方法がありそうなわけです。

釈尊が運命など議論しないことは、彼の説いた教法を理解すればすぐにわかる。
この世で生きていることを苦として、そこから脱出するために
煩悩を断ち切れと説いたのです。
仏教の現世否定ともとれる態度から、西洋の学者たちは仏教を
悲観主義だとまで批判した。
仏教の中身を理解していないピンボケな批判だが、釈尊がすべて苦としたことが
誤解を招いたとしても不思議ではありません。
釈尊は世俗を捨てて出家することを最善の方法と説いたのだから、
この世を捨てろと説いたのと同じです。
その釈尊が、この世をうまく生きるために、運命について考えるなんて
ありえると思うか。
だから、輪廻転生瞑想なんて間違っても仏教からは出てこない。
輪廻を苦として、そこから(結果的に)脱出することを説いているのに、
「因縁切りをして自由になったから、輪廻することにします」なんて
釈尊が説くはずがなく、大日さんが絶句したのは正しい。
まるで、「深く反省しながら服役を終えたので、晴れて泥棒稼業に戻ります」
と言っているようなものです。
もっとも、阿含経の中に輪廻瞑想と曲解できる経典はあります。
桐山さんがこの経典を本に引用するとは思えないが、
詐欺宗教の手伝いなど間接的にもするつもりはないから、紹介しません。

128 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:37:38 ID:TPwl2TU+
>335 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 18:06:37 ID:YIC9ZlAg
>ところが、仏教にはそれに対する方法がありそうなわけです。

桐山さんはいかにも釈尊が修行時代に運命学を究めたかのようなことを書いている。
阿含経には釈尊が解脱前を振り返る場面はいくつかあるが、
そんな記述を臭わせることは一つもありません。
なぜだと思いますか。
運命学などと「学」とつくから高級そうだが、ただの占い、呪術にすぎないからです。
桐山さんは、成仏に役立つ占いは禁止していないなどと屁理屈を並べ、
昔の本では、釈尊が秘かに秘伝の占いを弟子に伝えたなんて大嘘を書いている。
釈尊はあらゆる占いを禁止した、これが事実で、全てです。
つまらない占いか、高度の運命学かなんて問題ではなく、未来を占いたい、未来を知って
不幸を避け、幸せを得たいというのが欲望にすぎないからです。
釈尊は欲望を減らし、制御するように説いたのに、わざわざ欲望を
煽るような呪術を認めるはずがない。
だから、運命の話と仏教とは決して両立しません。

129 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:40:49 ID:TPwl2TU+
>335 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 18:06:37 ID:YIC9ZlAg
>さて、>>334で言った問題点ですが、前述どおり「運命」にはカルマの力の影響が強いわけです。
>さすれば、それを何とかするためには仏教が一番となってくる。
>ところが、仏教にはそれに対する方法がありそうなわけです。

そこで大日さんへの意見です。
少なくとも、釈尊は占いを禁止したのだから、
仏教に運命を持ち込み、なんとか両者をくっつけようとするのはやめませんか。
それはとても釈尊に対して失礼なことだと思う。
本人が説いてもいないし、むしろ禁止した内容を、
様々な屁理屈をつけて、あてはめようとするのは、釈尊に失礼です。
変なたとえだが、「おい、オシャカさんよ、あんたも若い頃は王子様で、
女にもてたんだろ?教えてくれよ。仏頂面してしらばっくれて、このお、色男!」
と言っているようなものです。
私もあなたも無知から、十分にこれまで釈尊に無礼を働いてきた。
だが、気が付いたら無礼はやめるべきです。
あなたが運命に興味を持ち続けるのはかまわない。
だが、仏教とは切り離すべきです。
私は読んでいて奇妙に思うのが、大日さんは、両者をごちゃ混ぜに
しているアゴン宗の因縁解脱のあり方を批判しながら、一方で、
上記のようにご自身はまだ運命を仏教に結びつけようとしていることです。

130 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:47:19 ID:TPwl2TU+
>335 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/04(木) 18:06:37 ID:YIC9ZlAg
>さて、>>334で言った問題点ですが、前述どおり「運命」にはカルマの力の影響が強いわけです。
>さすれば、それを何とかするためには仏教が一番となってくる。

仏教に自分の興味をあてはめて解釈しようとするのではなく、
釈尊が何を言っているのかを素直に聞いてみることです。
強引にあてはめた人たちの行き着いた先は輪廻転生瞑想法です。
先に申しあげたように、批判側の多くは何か新しい概念を持ってきたのではなく、
桐山さんから教えられた内容を一つ一つ捨てたら、釈尊の教法は矛盾なく
簡単に説明がついたのです。
釈尊の教法は仏陀の智慧などという難しい内容でも、
三十七道品などという煩雑なものでもない。
無学な人たちでも理解できた内容を、今日の我々が理解できないはずはない。
それを桐山さんは釈尊の教法を理解していないばかりか、説いてもいない内容を
あてはめて、ぐいぐい教法をねじ曲げたから、あちらこちらで矛盾が生じたのです。
その同じ事をあなたもまだ運命という点でしているように見える。
桐山さんがあなたの脳にはめた枠は簡単には取れない。
体験として言うなら、軽くみないほうがいい。
あなたの法友は因縁解脱から抜けられないから、輪廻転生瞑想なんて
愚かなことに何も疑問を持たない。
だが、あなたが怒るのを百も承知で指摘するなら、
運命と仏教を結びつけようしているあなたも法友と五十歩百歩です。
あなたや○○屋さんは認めないだろうが、運命に囚われているのは
桐山さんの洗脳から抜けられないからです。
その証拠に、二人ともアゴン宗に入る前は仏教と運命を一緒にするようなことは
なかったはずだ。
あなたの興味を捨てろとは言わないが、運命の話は保留にして、
釈尊が何を説いているのか、まず耳を傾けるべきです。

131 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:00:48 ID:hDqHWcfl
>>9 :神も仏も名無しさん
>直前に合計四度にわたり「解脱した人」と断定しながら、
>最後の一つだけ「解脱していない人」と書いているのはおかしいし、これでは意味が通じない。

俺が書いた「解脱の過程」にはちゃんと理由がある。
だからお前はそれを認めろ。
そしてお前がどんなに「も」を「を」に書き間違えたと言っても
それは捏造したに違いなくお前の言い分なんか聞かない。
「俺の言い分は認めろ。でもお前の言い分は聞かない」
これが七氏さん流処世術です。
人から足を踏まれると踏んだ人がどんなに謝ってもカンカンになって怒る。
でも自分が人の足を踏んでも理屈をつけて絶対に謝らない。
こういう人って世の中には結構いますよね。
実生活は知りませんが、もしこういう調子でやっていたら
周囲からかなり疎まれているでしょう。

あなたがどんなに理屈を言っても
「解脱の過程」はあなたの主張と矛盾することには変わらない。
その代わり私も書き間違えを捏造と受け取られても仕方ない。
私はあなたのミスを突くが、自分のミスも潔く認めているのです。
あなたも、たまにはこうした度量の大きさを見せてはどうか?
その方が女性ファン(居たらの話だが)には受けると思いますよ。

132 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:02:50 ID:hDqHWcfl
>>13 :樹意
>片山一良氏訳 沙門果経では 小さな煩悩ではなく付随煩悩とあるようです。
>《意から成る智》
>87 このようにして、心が、安定し、清浄となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、柔軟になり、
>行動に適し、確固不動のものになると、かれは、意から成る身体の創造に心を傾注し、向けます。

「小さな煩悩も離れ」が、片山氏訳では「付随煩悩を離れ」なのか。
やはりこの「も」は「・・・でさえ」の意味ではなく、追加の「・・・もまた」の意味だった。
このように翻訳者によって微妙に表現が変わるので、
原文の意味することを正確につかむにはやはり原典にあたらないと駄目なわけか。
しかし「小さな煩悩すらなくなり・・・」とは考えたもんだな。

>205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:574E+w79
>心が小さな煩悩すらもなくなり、煩悩から清浄になり、煩悩に対して純潔で、
>煩悩の汚れがないから安定したのです。

こういう抜け目無さが流石に七氏船長だ。

133 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:04:48 ID:hDqHWcfl
「知ること」が解脱につながるのです。



『わたくしがこのようにこれらの内的な六つの領域(六処)の
耽溺を耽溺として、患いを患いとして、出離を出離として如実に知らなかったあいだは、
神々・悪魔・梵天とともなる世界において、
神々や人間・梵天・修行者・バラモンを含む生類のうちにあって
無上の正しいさとりをさとったと称することはなかった。

ところがわたくしはこれらの内的な六つの領域の
耽溺を耽溺として、患いを患いとして、出離を出離として如実に知ったから
神々・悪魔・梵天とともなる世界において、
神々や人間・梵天・修行者・バラモンを含む生類のうちにあって
無上の正しいさとりをさとったと称したのである。
そうしてわたくしに智と見とが生じた、
「わが心は不動である。これは最後の生存である。もはや再生することはない」と。』

けっきょくこのような考察によって<心の解脱>が得られたのである。
(ゴータマ・ブッダT 405、406頁)

134 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:24:57 ID:hDqHWcfl
「心の統一」は解脱を意味していません。
次の言葉に明らかです。



そこで、尊氏はボーガ市のうちの、アーナンダ霊樹の地にとどまりながら、
修行僧たちのために、このように数多くの法に関する講話をなされた。
すなわち、戒律とはこれこれである。精神統一とはこれこれである。知慧とはこれこれである。
戒律とともに修養された精神統一は、大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、
見解の汚れ、無明の汚れから、完全に解脱する、と。
(ブッダ最後の旅 中村元訳 岩波文庫 107頁)

135 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:46:24 ID:hDqHWcfl
>>87 :神も仏も名無しさん
>自分は何一つ質問には答えないのに、こちらの説明を無視して、
>相手に執念深く答えろと迫る。

私に対して答えるのではありません。
答えなければあなたの信用が失墜するのです。
地球が丸いと主張したコロンブスは航海することで自らそれを証明した。
それと同じように自分の発言したことは自分で証明するのです。
それができて責任のある大人といえます。
あなたは、

>332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
>全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
と自信に満ちた発言をした。
残念ながら私は仏教学者の知り合いはいない。
だからあなたに聞くしかないのです。
やはり答えられないのはハッタリを言ったのですね?
あなたはネット上で読者に対して大嘘をついたことになります。
あなたがこれから何を書こうがこの人は嘘つきだ、ということになる。
読者のしのび笑いにあなたは耐えていくしかありません。

136 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:48:16 ID:hDqHWcfl
次回までには出ますよね?
学者先生の文章。
期待しています。

137 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/09(火) 17:16:43 ID:FRwXII/C
久しぶりに来たので、過去レス読むのに必死です。
まだ最新レスまで追いついてないが、私文書さんのご要望にお応えして
取り急ぎ書き込みます。

護摩許し状
○○殿
貴殿斯道熱心修行
無解(←にリッシンベン)怠行法漸進依
之護摩法初傳令免
許畢猶以修行勉励
之心掛可為肝要者
也乃(←にニンベン)而免状如件
平成○年○月○日
阿含宗
管長 桐山靖雄

以上です。
押し入れの奥のガラクタ入れダンボールから引っ張り出してみました。疲れたわ。
それにしても…
こんなくっだらねえ紙切れを何万で売ってるんだか。
アホらしい。まさに「阿呆宗」だわ。

他にもお知らせがあるのですが、追いついてから書き込みます。

138 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 19:03:13 ID:E2DFWzLL
どうでも良いが、前スレッドの>>541->>545辺りは死文書の書き込みか。
あぼーんされていて見えない訳だが、コイツストーカーみたいで
気持ち悪い。

前スレッドの548

>何をどのように論破しているのか教えてください。
過去スレのどのあたりか場所だけでもお願いします。

随分前の事だから記憶が曖昧ですが、確か阿含宗という宗教11〜19
あたりだったと思います。何を論破したかは見れば分かります。
私が論破した時、批判者側は絶望に打ちひしがれた事を
記憶しています。まあ、殆どが感情論ですからね。論破も容易であります。

139 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 19:05:03 ID:E2DFWzLL
1.桐山靖雄先生に誤謬は無い。
(思想、行為、人生のいずれにおいても、世間一般と著しく異なって、なんら誤謬は無い。
先生の超越性は世俗的な価値観に染まり切った浅い人間性を有する者には理解できない。)

2.桐山靖雄先生の毀誉褒貶は許されない。
(天皇を悪く言う事が許されないのと同じもの。先生=現人神と考えて良い。)

3.桐山靖雄先生は神乃至宇宙
(その絶対性、超越性、神掛かった人格により、演繹的に導き出される。)

4.桐山靖雄先生を尊崇(阿含宗に入信)する者には必然的に幸福が訪れる。
(世の中に普遍的事実は存在しない、というな消極的言説がこれまでの定説であったが、
桐山靖雄という不動の基準が生成された為に、必然的幸福という概念も付随して発生した。
故に、桐山靖雄先生を尊崇する者は必然的に真・善・美に近づく。)

140 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 19:06:53 ID:E2DFWzLL
宗教に対する考え。阿含宗は何故、現今も人々の拠り所になっているのか。

宗教というのは、それを長く維持したいと思えば屡々本来の姿に
回帰する必要性があると考える。そして、改革が要求されてくる訳だが
自然的に制度の改革ができる場合は最も理想的。
即ち、何の手も打たずに放置したままでいる宗教は短命で終わらざるをえない。
改革の必要性は初心に戻る事ではあるが、それが何故有益か。それは
どんな形態を取るにしても共同体である限り、その創設期には
必ず何か優れた所が存在した筈である。そのような長所があったからこそ
今日の繁栄がある訳だから。しかしながら、年月というものは
当初あった長所も、摩滅させてしまう事もある。摩滅していくのに
任せるままだと、最後には宗教自体が死に体になってしまう。
しかし、現在の阿含宗はどうだろうか。こうやって今も繁栄している。
それは桐山先生が屡々本来あるべき阿含宗の姿について思惟しているからである。
そうして、今も阿含宗は人々の拠り所になっているのである。

141 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/09(火) 19:08:06 ID:DGPB3B4e
>>137
ありがとうございます。本文はそれでしたか。
それとは別に「これで全国の密教寺院で護摩が焚けます」という内容の文書が
添付されてなかったでしょうか?本当に欲しいのはそっちの全文です。
ちなみに前スレ271の全文とそれに繋がる流れは以下のようなものです。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226550045/268-271
268 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/25(火) 16:12:48 Xz6vX/wb
>>226 :高城浄海
>私は1979年入行ですが、護摩許し状が十万円だったのは何年までですか?
>>227 :ユビキタス
>護摩許し状の御法礼が十万円で、その他に伝法料はいくらだったのですか?

確かに十万したと思ったのだが記憶違いかなあ?
あんまり昔のことなので記憶が薄れています。
私の間違えかもしれません。
「これで全国の密教寺院で護摩が焚けます」という
重々しい文句が書いてあるので
有り難たや〜という気持ちがそう思わせてしまったのかもね。

271 名前:私文書為造 ◆iCtd3oCMyM 投稿日:2008/11/25(火) 16:26:33 YZtAWP4o
>>268 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/25(火) 16:12:48 ID:Xz6vX/wb
>「これで全国の密教寺院で護摩が焚けます」という
ああ、確かにそうあったな。
これって資格商法じゃね?
すみませんが、どなたか護摩許し状お持ちの方
お手数ですが全文書き込んでいただけないでしょうか?

142 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/09(火) 19:19:29 ID:DGPB3B4e
>>138-140Beelzebub ◆YDJ4DIBPYoは、こんな香具師。


阿含宗という宗教150
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226550045/143-144

143 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/20(木) 23:50:40 ID:78k4spli
(自主規制。荒らしAA)

144 名前:Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo 投稿日:2008/11/21(金) 16:30:41 ID:JsyzLY7y
>>143といい、このスレッドを荒らす人間は大歓迎だから
>頑張ってAA貼っていこう。

143 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/09(火) 19:25:05 ID:DGPB3B4e
>>138-140Beelzebub ◆YDJ4DIBPYoは、こんな香具師。
相手にされなかったから開き直って荒らしてるという論拠。
詳しい話しの流れは145スレの以下の前後をお読み下さい。
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/agon01/agon145.htm
(以下の文章はIDが同じなので同一接続≒同一人物の書き込み)

211 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/08/08(金) 05:42:33 4vnIMgPJ
つまり各道場の責任でもって運営ということですね。
詐欺師の根城にはならんでしょう。
むしろ退会者が続出する気がする、地区道場は減っていくと思います。

212 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/08/08(金) 05:50:15 4vnIMgPJ
今は阿含宗って世間的には意味ないでしょ
なんか火たいてお祭り騒ぎだけしているっていう印象だけで
釈迦をまなびたいのならテーラワーダもあるし
チベット学びたいなら普及会だってあるし
真言密教、山岳修験はいうまでもなし
ほんきで学びたい信仰したいというものにとってほんまもんが
手に入る時代です。
いまどきこういった、まがい物ははやっていませんね。
宗教書コーナーでも桐山さんの本はほとんど消えましたw

218 名前:Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo 投稿日:2008/08/08(金) 19:37:42 4vnIMgPJ
まだそうやって批判してるのか。
情けないと思え。自分を恥じろ。
宗教を信仰するのは人の勝手だ。貴様らは批判する資格などない。

144 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 20:44:33 ID:E2DFWzLL
死文書という愚か者は私が投稿してすぐに書き込む個癖があるみたいだな。
ネットストーカーとは正しくコイツ。お前みたいな奴には悪い霊の
1つや2つ付いていても可笑しくはない。
因みに安岡正篤氏は「我々の先祖は20代遡ると100万人を越え、30代遡ると
10億超える」と発言している。
冥徳供養を勧めたいところだが、コイツはもう末期だから手遅れ。
桐山先生及び阿含宗に対してバッシングした人間は非業の最期を
遂げてきた。(所謂、因果応報。)彼もその死を遂げる
1人になるというのか。

145 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 20:45:59 ID:E2DFWzLL
平和に対する考え。確かに阿含宗は世界平和を切願しているが。

まず、何故桐山先生は「世界平和」という大きな目標を掲げているのか
という問いについてだが、先生は幼少期に関東大震災に遭遇し
その時に朝鮮人虐殺を目撃したといいます。皆さんは映画なんかで
人が殺される場面を観た事はあると思いますが、実際に観たという人は
いないでしょう。そして、大東亜戦争にも遭い、戦争が齎す悲惨な
体験を重ねてきたといいます。しかしながら、80歳後半になっても
未だにはきはきした姿を見ると「戦前生まれの方は立派だ」と感心しますよね。

そうして、パラオ島で南太平洋戦没者法要を行い、ダライ・ラマ(14世)法王と
オーラの祭典を開催したり平和活動に積極的な方です。
(私は星まつりは無価値と投稿しただけでこういう活動は賞賛するべきである。)
先生は云う。「本当の世界平和は宗教が核にならなければならない」と。
続けて云う。「慈悲、智慧、愛、これこそが人類を救う三位一体なのだ」と。

しかしながら、皆さん考えて下さい。1985年か6年だったと思いますが
中国で日中友好・世界平和祈願法要をされましたが、未だに世界平和は
実現してません。紛争もマスコミがあまり報道しないだけで世界各地で起きています。
剰え、韓国国民なんかは「竹島の為なら日本との戦争も止むを得ない」
と挑発的な発言をしています。世界は平和になるどころか
悪化していると言っても過言ではないと思います。皆さん、宗教の力をあまり
過信しない方が良いです。先生には確かに力はある。が、世界情勢には
如何せん無力なのです。

146 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 20:47:29 ID:E2DFWzLL
私と自称批判者の学力の差について。低学歴の人間が阿含宗批判!?笑止千万。

私はT大学出身である。
本当の所は慶應義塾大学(社会的地位・評価、偏差値、公認会計士・司法試験
国I合格者数、GCOE採択数、平均年収1000万円以上の企業への就職実績、伝統、そして創設者は福沢諭吉。
どの面でも早稲田大学や京都大学に比べると圧勝。)に行きたかったが、学力的に無理だったので諦めざるを得ない。
参照URL:http://www.yamagata-u.ac.jp/topics/1810/g20061014.html

私は超越している。だからこそ先生の法話も数分聞けば自ずと要点が分かる。
阿含宗に入信し、先生を尊崇している人は高学歴が多いのは事実。しかし、お前らはどうであろうか。

例えば、神も仏もカカシ(木偶の坊)は高卒か専門学校卒程度だろう。(まあどちらも論外だが。)
(因みに他の人からは大学中退程度にしか思われていない。詳しくは「阿含宗という宗教145」の596参照。)

ユビキダスは昼夜問わず、このスレ来る社会不適合者。
午前は携帯から閲覧するくらいの暇人である。(ユビキダスは中卒。投稿内容が支離滅裂。)

こんな奴らが阿含宗批判だと!? どの内容も客観性に欠ける。尚且つ、稚拙な文章である。
低学歴は法話の「法」の意味すら分からない社会不適合者。否、三証すら分からない。
寧ろ、お前ら辞めて良かったのじゃないのか。何故ならば、お前ら「仏様を冒涜」という愚行をしそうだから。
低学歴だから先生が何を仰っているのか理解できなかっただろうに。

147 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/09(火) 20:48:58 ID:E2DFWzLL
それでは、今日も頑張りましょう。清浄な心を持つ信者の皆様。

願わくば我が一切の悪業を断壊して
清浄の家、清浄の身たらしめ給え...

我れに今世楽を施し、大吉祥を与えんことを
至心に行じ奉る...

願わくば阿含宗に未来永劫栄華あらんことを...

批判者側に天罰を...

148 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/09(火) 21:18:13 ID:DGPB3B4e
>>144 名前:Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo 投稿日:2008/12/09(火) 20:44:33 ID:E2DFWzLL
>冥徳供養を勧めたいところだが、コイツはもう末期だから手遅れ。


冥徳供養を12家系もやってた私が手遅れなんだそうだ。
じゃあ、他の人は一体どうしたらいいんだろうね。

149 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 21:32:32 ID:GggUYs9w
糞バエは絶対に信者じゃあないねwww
信者なら桐詐欺ジジイを先生何て言わないはず・・・。
猊下か管長としか言わないよな〜ァwww

150 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/09(火) 22:07:00 ID:lUNTA905
初期仏教において、

入胎の三事合和会にある
香陰の識がはたらくための因が、生存の素因とされます。
仏陀はそれを無効化された状態を
聖なる階梯とするのです。
仏陀の切り開いた「悟りの領域」の存在となったのです。

それは、すべてが仏陀の存在に担保されています。
すべてが、仏陀のさとりのプロセスにおける神通が大前提なのです。 


151 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/09(火) 22:23:53 ID:bMUxFm3c
>>132:神も仏も名無しさん :2008/12/09(火) 16:02:50 ID:hDqHWcfl [sage]
>「小さな煩悩も離れ」が、片山氏訳では「付随煩悩を離れ」なのか。
>やはりこの「も」は「・・・でさえ」の意味ではなく、追加の「・・・もまた」の意味だった。
>このように翻訳者によって微妙に表現が変わるので、
>原文の意味することを正確につかむにはやはり原典にあたらないと駄目なわけか。
>しかし「小さな煩悩すらなくなり・・・」とは考えたもんだな。

パーリ原典にあたらなくても推測できることがあります。
それは実は原典には煩悩に相当する単語は必ずあるが、「小さな」「すら」「も」と直訳できる形容詞や
助詞みたいな単語はないのではないかと思う。
だってそうでしょう?ある訳者は小さな煩悩もと訳し、ある訳者は付随する煩悩と訳した。
そう書くとあなたは「いいぞ、指丼。〜すらなんて解釈した奴を否定してみせた」なんて馬鹿なことは
言いませんよね。あなたは決してゴマカシをする人ですらない。
ゴマカシとはある程度頭のよい人がすることです。
あなたは単に頭が悪いだけなんですよ。
それを解説します。

152 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/09(火) 22:45:01 ID:lUNTA905
間違っています。

151 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/09(火) 22:23:53 ID:bMUxFm3c
>>132:神も仏も名無しさん :2008/12/09(火) 16:02:50 ID:hDqHWcfl [sage]
>「小さな煩悩も離れ」が、片山氏訳では「付随煩悩を離れ」なのか。
>やはりこの「も」は「・・・でさえ」の意味ではなく、追加の「・・・もまた」の意味だった。
>このように翻訳者によって微妙に表現が変わるので、
>原文の意味することを正確につかむにはやはり原典にあたらないと駄目なわけか。
>しかし「小さな煩悩すらなくなり・・・」とは考えたもんだな。

パーリ原典にあたらなくても推測できることがあります。
それは実は原典には煩悩に相当する単語は必ずあるが、「小さな」「すら」「も」と直訳できる形容詞や
助詞みたいな単語はないのではないかと思う。
だってそうでしょう?ある訳者は小さな煩悩もと訳し、ある訳者は付随する煩悩と訳した。
そう書くとあなたは「いいぞ、指丼。〜すらなんて解釈した奴を否定してみせた」なんて馬鹿なことは
言いませんよね。あなたは決してゴマカシをする人ですらない。
ゴマカシとはある程度頭のよい人がすることです。
あなたは単に頭が悪いだけなんですよ。
それを解説します。


153 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 22:58:47 ID:TPwl2TU+
>>131 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:00:48 ID:hDqHWcfl
>俺が書いた「解脱の過程」にはちゃんと理由がある。
>だからお前はそれを認めろ。

私はペテン大作さんを「お前」などと呼んだことはないつもりだし、
あなたから「お前」などと呼ばれる筋合いはありません。
親から礼儀を教えてもらいませんでしたか。

>人から足を踏まれると踏んだ人がどんなに謝ってもカンカンになって怒る。

どう見ても、「お前」などと呼び捨てにするあなたのほうが
カンカンになって怒っているように見えますよ。

>「解脱の過程」はあなたの主張と矛盾することには変わらない。
>その代わり私も書き間違えを捏造と受け取られても仕方ない。

「解脱の過程」についてあなたと同じ意見を述べている人は一人もいません。
つまり、矛盾があるのはあなたの頭の中だけであり、
阿含経を捏造したのもあなたと桐山さんだけです。

154 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/09(火) 23:00:14 ID:bMUxFm3c
>>132:神も仏も名無しさん :2008/12/09(火) 16:02:50 ID:hDqHWcfl [sage]
>「小さな煩悩も離れ」が、片山氏訳では「付随煩悩を離れ」なのか。
>やはりこの「も」は「・・・でさえ」の意味ではなく、追加の「・・・もまた」の意味だった。

ある訳者が小さな煩悩もと訳し、ある訳者が付随する煩悩と訳した。
共通するニュアンスを考えてみましょう。
「ありとあらゆる煩悩を離れ」というニュアンスにならないか。
つまり片方は「我々の身口意の活動に付随する煩悩」と「あらゆる」煩悩を示唆した。
もう片方は、「大きな煩悩は言うまでもなく小さな些細な煩悩ですら」とこちらも「あらゆる」煩悩を
表現した。ここで訳者がわかりやすく意訳する為に使った「も」をあなたの言うとおり、並列のandに
してもよい。するとどうなるか?
「大きな煩悩も中くらいの煩悩も小さな煩悩も離れて」ということになる。
省略されていたのはやはり煩悩なのです。「あらゆる」煩悩です。
これはパーリ語ではなく日本語の話ですね、
むしろあなたの出した説の方が致命的です。
あなたは離れたのは小さな煩悩だけに過ぎず、まだ大きな煩悩は残ったままだから
解脱していないと示した。
ところが原典に「小さな」が無い(と思われる)のならば、どうするのだ?
比較を暗喩する大きな煩悩が出てくる余地がないではないか?
だいたい大きな煩悩が残っていてどこが不浄ではないと言うのだ?
あなたは七氏さんをやっつけたい為に「も」だの言葉尻を捉えるあまりに全体の理解を見失った
ただの頭の悪い人です。
経典のニュアンスも訳された表現、原典の推測からいずれも小さな煩悩「しか」離れていない
なんて読み取れない。むしろ逆なんです。

155 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 23:02:12 ID:TPwl2TU+
>>133 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:04:48 ID:hDqHWcfl
>「知ること」が解脱につながるのです。

桐山ゲイカは、「知ること」が解脱につながるなんて言っていない。
解脱とは、神通力でカルマを切ることだとはっきりおっしゃっている。
あなたは信者の分際で桐山ゲイカの解脱にイチャモンをつけるのですか。
因縁付けの総大将に向かって因縁をつけるとはペテン大作さんも大物ですなあ。

156 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 23:03:40 ID:TPwl2TU+
>>134 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:24:57 ID:hDqHWcfl
>「心の統一」は解脱を意味していません。
>次の言葉に明らかです。

それであなたが引用した文章のどこに「心の統一」とあるのですか。
私はあなたように妄想で文章は読めないのです。

157 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 23:06:53 ID:TPwl2TU+
>>135 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:46:24 ID:hDqHWcfl
>私に対して答えるのではありません。

今頃仲間を募っても無駄です。
ペテン大作さん以外に誰も質問していません。
信者たちも知性があるから、あなたほどミジメな思いはしたくないのです。
あなただけがたった独りで、年末の寒空に、執念深く、無意味に吠えているだけです。
・・・もう一人無駄吠えしているのがいますね。
私はあなたが要求したから、中村博士という大学者の言葉まで示した。

「これもさとった結果、過去世を透視したのです。
過去世を透視したから、さとったのではありません。」 (>>90)

こんなにわかりやすく中村博士が説明しているのに、
これ以上何の説明が必要なのだろう。
・・・ああ、わかった、あなたの読解力では意味が理解できないのですね。
過去世の透視というのは三明の宿明通のことです。
悟った結果、つまり解脱した結果、三明の宿明通で過去世を透視したのであって、
宿明通があるから悟ったではない、という意味です。
だから、宿明通で前世を透視している時はすでに解脱しているのです。
それならば、「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動」 が、解脱を表すのは当たり前です。
これらが解脱を表さないなら、三明の前に解脱したどうしてわかるのですか。
あなたは読解力が低い上に、中村博士の文章を斜め読みしているから理解できないのです。
黙読しないで、>>90の中村博士の文章を声を出して10回くらい
読んでみると理解しやすいですよ。
それから、質問する相手に向かって「お前」なんて言葉を使うのが正しいかどうか、
あなたのママに聞いてごらんなさい。
きっと「ペテンちゃん、そういうお下品な言葉はダメよ」と言うだろうから、
「ママ、ごめんなさい」と素直に謝るのですよ。

158 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/09(火) 23:12:02 ID:bMUxFm3c
>>133:神も仏も名無しさん :2008/12/09(火) 16:04:48 ID:hDqHWcfl [sage]
>「知ること」が解脱につながるのです。

>>134:神も仏も名無しさん :2008/12/09(火) 16:24:57 ID:hDqHWcfl [sage]
>「心の統一」は解脱を意味していません。

これもゴマカシと取ることもできるが、それよりも単に頭が悪い証明です。
解脱の条件に知ることは当たり前です。
知って実践するのです。
誰が知ることを否定した?
問題なのは何をどう知るかですよね。
勝五郎が自分の前世は藤蔵だったと知ればよいのか?
また、誰が心の「統一」「だけ」が解脱だなんて示した?
統一してその先に得た境地を経典を示しているでしょ?
いよいよあなたは視野狭窄となり盲人も同然だ。
すごく頭が悪い。

159 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/09(火) 23:21:20 ID:FRwXII/C
>>141

> それとは別に「これで全国の密教寺院で護摩が焚けます」という内容の文書が
> 添付されてなかったでしょうか?本当に欲しいのはそっちの全文です。

それを探したのですが、見当たらない。
平べったい箱の中に先ほど書き込んだ奴と、その読み下し文のみ。

もしかしたら「全国の密教寺院で護摩が焚けます」という内容(聞いた記憶は
ある)は、口頭のみで文書化されてなかったのか!?
実際はどこの密教寺院でも通用しないインチキだから、証拠となる文書は
渡してないとか?
どなたかご存知ないでしょうか!?

160 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/09(火) 23:35:57 ID:lUNTA905
間違いです。

154 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/09(火) 23:00:14 ID:bMUxFm3c
>>132:神も仏も名無しさん :2008/12/09(火) 16:02:50 ID:hDqHWcfl [sage]
>「小さな煩悩も離れ」が、片山氏訳では「付随煩悩を離れ」なのか。
>やはりこの「も」は「・・・でさえ」の意味ではなく、追加の「・・・もまた」の意味だった。

ある訳者が小さな煩悩もと訳し、ある訳者が付随する煩悩と訳した。
共通するニュアンスを考えてみましょう。
「ありとあらゆる煩悩を離れ」というニュアンスにならないか。
つまり片方は「我々の身口意の活動に付随する煩悩」と「あらゆる」煩悩を示唆した。
もう片方は、「大きな煩悩は言うまでもなく小さな些細な煩悩ですら」とこちらも「あらゆる」煩悩を
表現した。ここで訳者がわかりやすく意訳する為に使った「も」をあなたの言うとおり、並列のandに
してもよい。するとどうなるか?
「大きな煩悩も中くらいの煩悩も小さな煩悩も離れて」ということになる。
省略されていたのはやはり煩悩なのです。「あらゆる」煩悩です。
これはパーリ語ではなく日本語の話ですね、
むしろあなたの出した説の方が致命的です。
あなたは離れたのは小さな煩悩だけに過ぎず、まだ大きな煩悩は残ったままだから
解脱していないと示した。
ところが原典に「小さな」が無い(と思われる)のならば、どうするのだ?
比較を暗喩する大きな煩悩が出てくる余地がないではないか?
だいたい大きな煩悩が残っていてどこが不浄ではないと言うのだ?
あなたは七氏さんをやっつけたい為に「も」だの言葉尻を捉えるあまりに全体の理解を見失った
ただの頭の悪い人です。
経典のニュアンスも訳された表現、原典の推測からいずれも小さな煩悩「しか」離れていない
なんて読み取れない。むしろ逆なんです。


161 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 23:48:51 ID:pwzX/ObL
>>98
いよいよですか。来年のいつ頃かなあ。
久しぶりのアゴンのスキャンダルですね。記事になるのが楽しみだなあ〜。
電車の中吊りに大きく載ったらいいなあ〜。

162 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 00:05:21 ID:d58qztWj
ユビキタスは、マジでめちゃくちゃだ。勉強しな

163 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 00:58:59 ID:6ngG1b3A
なんかバカばっかりで痛々しい

164 :ラシン:2008/12/10(水) 10:06:25 ID:zEXaoddt
>131 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:00:48 ID:hDqHWcfl
あなたがどんなに理屈を言っても
「解脱の過程」はあなたの主張と矛盾することには変わらない。

私は新参批判側(Qさんより命名)ながら、しつこくえぐり続けるQさんこそ
理屈に無理が見えます。
まず第一に、”過程”はそこに至る結果も含まれることは大辞林辞書にて
既説しています。
第二に、七氏さんの指摘意図は解脱経験者とあえて解脱した初心者両方を
含めるための表現と理解できるものです。
第三に、七氏さん自身が三度も解脱者だけの資格を強調しています。
それをQさんは、あくまでも恣意的にご自分の解釈を押し付けていると、
このようにしか見えません。

>その代わり私も書き間違えを捏造と受け取られても仕方ない。
私はあなたのミスを突くが、自分のミスも潔く認めているのです。

今潔く認めたわけで、あの時点ではオチャラケていた。
しかも、認めたから認めろとの交換条件を出しているその姿勢は、
議論ではないただの子供の要求です。
「を」と「も」に関しても、Qさんの単なる転記ミスかもしれませんが、
両者の使い分け次第で、国語的に文章の意味は大きく異なります。
経典解釈を意図的に我流に誘導するつもりがなかったなら、
素直に経典の意味を示すだけでよかった。
また、七氏さんの掲示処世術などと考えるQさんこそ、
いつも詭弁で弁解し、難癖をつけていませんか?
七氏さんはたしかに舌鋒鋭く指摘するが、
それは間違いに対して論拠を示して主張しているに過ぎません。
しかし、その相手への指摘個所は必ず痛点をはずしていない。
退会した七氏さんのほうが、現役信者さんよりプラーナ経絡に詳しいようです。


165 :絶対神:2008/12/10(水) 10:11:47 ID:kf6gs8Wx
でも、よく一日、こんなところで議論しててあきないな。
こいつら。仕事とかしてんのかなあ。


166 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 10:31:21 ID:5yU1uqm8
>>165
ここが職場なんじゃん

167 :元カリフォルニア支部会員:2008/12/10(水) 11:32:31 ID:vNrQ73cI
121 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 12:11:34 ID:DGVyHcSL
>買収資金集めが始まるだろうな。

S崎さんは泣いて喜んでいるそうです。

168 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 12:34:22 ID:9du+H6PY
A宗擁護スレ
http://www2.atchs.jp/agama/
>1 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:11:46 ID:5HN+KU+2
>このスレは擁護オンリーなので、批判は無しでお願いいたします。

今の大日さんに批判を向けるのは少々心苦しい。
じっくりと自分の信仰を振り返っている時期なのに、何か書けば間髪入れずに
ミサイルが飛んでくるのでは、家の基礎工事をしたばかりなのに、
「なんで床板がないのか」と文句がくるようなもので、あなたもたまらないでしょう。
だが、他の信者さんたちのための「踏み台」だと思って耐えてください。
あなたは実に良いテーマを出してくれるのです。
そういう意味ではあなたが望んだ本当の議論です。
しかも、踏み台だってそれなりの物でなければ役に立たない。
こちらは子孫さんにペテン大作さんにハエさんですよ!
批判側だって、彼らでは、辛い。
彼らの問題点は、議論以前、なのです。
アゴン宗からも落ちこぼれたみたいな連中では
腐った踏み台と同じで、話にならんのです。

169 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 12:41:35 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2
>雰囲気というか、波動が暗いんです。まるでサングラスをかけて物を見ているような感じですね。
>人も店も暗い。

私はあなたのような意見を言う信者を見るたびに首を傾げる。
どうして、自分を疑おうとしないのだろう。
全部、原因を自分以外にあるものだと最初から決めつけている。
だが、職場が暗く見えたのは現実的な理由がいくらでも考えられる。
●その1.明るい炎を何時間も見ていて、目がおかしくなったのです。
あなたの普段の仕事は部屋の中での仕事ですよね。
別働隊だったのだから、巨大な炎を間近で何時間も見ることになった。
普段ならありえないことです。
皮膚が焼けるだけでなく、目だって網膜に焦点を結ぶのだから、
同じように焼けている。
あるいは、明るい所から急に暗い部屋に入ると、何も見えないのと似ている。
だから、あなたは数日たったら、職場の明るさが戻ったのです。
それは霊的なことが原因ではなく、あなたの目が回復しただけです。

170 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 12:45:36 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2
>雰囲気というか、波動が暗いんです。まるでサングラスをかけて物を見ているような感じですね。
>人も店も暗い。

そういうアゴン宗的な視野を捨てて、もっと釈尊の示す仏教的な視野で見ることです。
それは、視点を常に自分に向けることです。
職場が暗く見えた。
「自分はどうして普段見慣れている職場を暗く感じるのだろう」と問い直してみる。
すると、その1のような理由はあなただって簡単に思いつくはずです。
職場が霊的に暗いと一瞬でも思ったことをあなたは反省するべきです。
私に指摘されるのは腹が立つだろうが、他の信者さんたちのためにも書きます。
●その2.それって、あなたの慢心ですよね。
「自分は霊的に浄化されたのに、こいつらは霊的に汚れている」と信じている。
そういう慢心があなたに「職場が暗い→霊的に汚れている」と思わせた。
自分が霊的に浄化されているという優越感がなければ、こういう発想は絶対に出てこない。
まるで、自分の体臭を無視して、「おまえは臭い」と他人に言うようなものです。

171 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 12:49:20 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2

焚き火と言われるとあなたは腹が立つだろうが、あれは焚き火です。
釈尊も護摩を木切れを焼くと述べている。
あれが焚き火に見えず、聖火に見えるのは、桐山さんからそのように
錯覚させられているからです。
大きな焚き火のお祭りをすれば、浮き浮きした気分になるのは当り前です。
人間が火に対して特別な思いがあるのは誰しも認める。
普段は見たこともない巨大な焚き火をあなたは間近で見た、というよりも身体で感じた。
しかも、それが霊的な浄化であり、神仏が参集して、大勢の供養を受け、
気の毒な死者たちは喜んで成仏していくのだと信じていれば、
終わった後は、ひどく疲れていても、髪の毛がチリチリに焼け、皮膚が赤くなって、
足は水でグショグショに濡れ、体中ススだらけでも、心は喜びに溢れている。
達成感で疲労感はむしろ爽快感になる。
私も体験者だからその気持ちはわかる。
だが、それは世間のお祭りやコンサートでも得られる高揚感、つまりただの錯覚です。
なぜなら、自分や周囲をみてごらんなさい。

172 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 12:54:09 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2

霊的な浄化なんて考えるのではなく、自分がどれほど変わったかを見るといい。
何か「進化」しましたか。
信仰をする前に比べて、老化や社会経験の部分を除いて、
自分がアゴン宗で著しく良い方向に進んだという自覚がありますか。
自分が見えにくいなら、周囲の先達たちを見てください。
彼らが人間として浄化されたように見えますか。
中には尊敬できる人もいるが、それにしては、先達に蔓延しているあの異様な
自惚れ、お役への強い執着、下の者への差別心、あれは何なのだ?
周囲の先達が見えにくいなら、トップにいる桐山さんを見て下さい。
あなだか入信したときと比べてどうですか。
桐山さんは昔よりも金銭収奪の欲望が増えているように見える。
総本殿を作り、アゴン宗という教団への強烈な執着があるから、
「人は裏切っても、お山は裏切らない」などと、ついてきた信者を前に平気で言う。
勲章はたくさんあるのに、あるが上にも名誉を欲しがる。
長年の約束どおり弟子の育成をしなければならないのに、
そんなのは形ばかりで、演劇と映画に余生をかけるのだそうだ。
こういう彼らのどこか浄化されているのだ?
むしろ、自分の欲望や執着の自覚がなく、自分は霊的に浄化されているなどと
自惚れている分だけ、世間の人々よりもはるかに汚れている。

173 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 12:59:38 ID:ktTXsZDU
愛と信仰が本当は無いんだろうね・・・、桐山には。

174 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 13:00:28 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2

大日さんにこの件で気が付いてほしいのは、「その1(>>169)」よりも「その2(>>170)」です。
「その2」の自覚があれば、「その1」はいやでも気が付きます。
心のどこかに、「自分は霊的に浄化されているが、他の人たちはそうではない」
という慢心があるから、実際はただ目がおかしくなっているにすぎないのに、
霊的な汚れであるなどと思い込んだ。
特に、概念として間違っているのが「浄化」「清らか」の意味です。
アゴン宗では、不成仏霊を霊的不浄と罵り、浄化とか清らかとは、
不成仏霊という幽霊がいない状態を指します。
だが、釈尊の説いた清らかにこんな意味はまったくありません。
あなたは霊的な問題だと思い込んだ。
だが、他人や死者の霊的な問題ではなく、あなたの慢心なのです。
原因を悪因縁や霊障、あるいはあなたように霊的なものに求めている限りは
仮にアゴン宗を辞めても、桐山さんの手の中からは出られない。
頭の中は桐山さんから洗脳されたままです。
外に霊的な原因があるかどうかを私は議論しているのではありませんよ。
あなたの職場には幽霊がウヨウヨいるのかもしれない。
だが、釈尊の教法ではそんなことは関心の対象にすらならない。
だから、好戦経の釈尊も、大目連の目撃した肉段を嘘ではないと是認はするが、
「・・しかも説かざるは」と、関心すら示していない。(『間脳思考』136頁、初版)
肉段が桐山さんのいうように霊障のホトケであっても、
釈尊は存在を認めながらも、相手にしていない。
「歓楽街に893がいた?ああ、いるね」という程度です。
この釈尊の無関心ぶりを見てください。
桐山さんや大日さんが霊的な存在に強烈な関心を持っているのに、
釈尊は、話題に出たから、しかたなしに話し相手になっているだけです。
霊的なことが釈尊の説く教法や解脱と深く関係しているのなら、
釈尊のこの態度はあまりに奇妙ではありませんか。
しかし、釈尊の教法を理解したら、奇妙でもなんでもない。

175 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 13:07:12 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2

比丘たちも墓場に行って瞑想した。
アゴン宗流に考えるなら、霊的な不浄に満ちた場所です。
比丘たちには死者を成仏させる力なんてないし、そんな発想すらない。
彼らが墓場で護摩を焚いて浄化してなんて話は金輪際ありません。
彼らは瞑想するのに適した静かな場所として、また、欲望や執着を断つための
瞑想のために墓場に行っただけです。
死者や他人の不浄ではなく、自分の不浄を見つめ、これをなくすための修行です。
死者や他人に関心がないのではなく、彼らが霊的に不浄かどうかなんて
関心もないし、原因も求めない。
釈尊と弟子たちの関心の対象はどこまでも自己です。
だから、釈尊は「自己に帰依することをなしとげた」と言っている。
もし、大日さんが正しく仏教を理解し、これを取り入れていたら、
職場を見て暗く感じた時、自分以外のことに原因を求めたはずはない。
だが、あなたは他に原因を、それも霊的な原因を求めた。
それ自体が桐山さんから植え付けられた一種の条件反射です。
そして条件反射の回路は訓練によって強くなる。
あなたの脳は「死者→霊的不浄」「護摩→霊的浄化」という思考パターンを獲得し、
これを柴燈護摩や屋敷浄霊などで繰り返し学習し訓練し、強くなった。
その結果、あなたはいよいよ自分が霊的に敏感になったと錯覚し、
アゴン宗の教法の正しさを確信した。
だが、見てのとおり、根拠としていること自体が、
桐山さんから植え付けられた思考パターンなのです。
桐山教の正しさを示すのに、桐山さんの本を持ち出したようなものです。

176 :絶対神:2008/12/10(水) 13:09:43 ID:kf6gs8Wx
一ついいか? 根本的なところを崩して悪いがw
客観的に見ると。

「そもそも、釈迦が正しくて、桐山が間違っているという根拠はなんだい」?

桐山が仏教だから?
単に、自分の思想、宗教を広めるために(日本ではその方が広めやすい
故に)、方便として仏教を利用しているという事はないのかい?

要するに、他者にとっては、反対者の言い分も、「余り根拠になってない」
んだよね。
極端な事を言えば、結局、アゴンの人って、釈迦よりも、桐山に帰依してる
んじゃないのかい?

まあ、部外者である私にとっては、どっちでもどうでもいい事なんだが。
まあ、確かに、釈迦が世界宗教創始者の巨人で、桐山が基本的にまだ
ローカル宗教の教祖である小物である事は、当然認めるけどね。

177 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 13:11:19 ID:9du+H6PY
>2 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/08(月) 23:33:45 ID:5HN+KU+2

あなたは霊的に敏感だという。
だが、それは視力がいいとか、足が速いのと大した違いはない。
視力がいいことは仏教の修行と関係ないように、
霊的に敏感なことは仏教の修行とは関係ないのです。
だから、その能力をちょっとそこに置いたままにして、
視線を自分の心に常に向けるようにしてみてはどうでしょう。
たとえば、「なんかここは陰惨な感じのする場所だ」と、ついいつもの癖で
思っても、その場所への関心から、そのように思っている自分の心に目を向けるのです。
そこは実際に陰惨な場所なのかもしれない。
だが、その場所に陰惨と書いてあるわけではなく、陰惨だと感じたのは
自分の心なのですから、その心にのみ集中するのです。
職場という場所や社員を見るのではなく、それらを自分がどう見ているかを見るのです。
これが仏教の修行の最初の段階だが、初歩であると同時に全てです。
自分を観察し、その観察の仕方を分類したのが四念処です。
だが、四念処に囚われるよりも、まず自分を観察することです。
すると、四念処のクー、フジョー、ムジョー、ムガーなんて分類を暗記しなくても、
何を言おうとしているのか、内容が理解できるようになります。
その上で、桐山さんの四念処の説明を読めば、大爆笑です。

178 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 13:14:47 ID:9du+H6PY
>4 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/09(火) 23:07:34 ID:3///rhDk
>「阿含経」を依処としている。

これは直前に大日さんが書いた屋敷浄霊を指しているのですか。
阿含経に依ると主張するなら、せめて根拠を示してください。
あなたの空想と違い、釈尊は似非科学として土地浄霊を禁止しています。

「また、修行者・バラモンたちのなかには信者からの布施を受けながら、次のような似非科学、間違った生活
手段、すなわち願をかけること、お祈りをすること、土の家で呪文を唱えること、鬼霊の呪術、精力を増すこと、精
力を減らすこと、地相を占うこと、土地を清めること、口を清めること、身体を清めること、犠牲をささげること・・・
(中略)
しかしかれは、それらの似非科学から離れている。これがかれの戒律の一つである。」
(「原始仏典 1」春秋社、457ページ)

179 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 13:19:27 ID:9du+H6PY
>4 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/09(火) 23:07:34 ID:3///rhDk
>「阿含経」を依処としている。

「土地を清めること」で何かの報酬を得ることは間違った生活手段だとある。
アゴン宗のしている土地浄霊や屋敷浄霊はまさに「土地を清めること」そのままです。
礼金をいただいているのだから、間違った生活手段です。
他にも、「願をかけること」「お祈りをすること」とは
柴燈護摩など護摩木祈願をさせることに他ならない。
「鬼霊の呪術」とは、独古加持がそうです。
つまり、アゴン宗の修行と称する内容はすべて戒律に違反した似非科学、間違った生活手段です。
屋敷浄霊、独古加持、護摩、柴燈護摩など、いずれも釈尊は禁止した内容です。
それをまるで釈尊が説いたかのような言い方をしている。
一修行者さんにも釈尊への信仰が少しでもあるなら、釈尊が禁止したことを
まるで勧めたかのように書いたことを恥じてほしい。

180 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 13:21:18 ID:ktTXsZDU
>>176
こら、お前アホと違うかwww
インチキペテン詐欺で社会に害悪を流し続ける桐詐欺ジジイと、
千古不易の至尊の大聖釈迦牟尼仏陀とを比較する発想自体がそもそも狂っとるわいwww


181 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:42:31 ID:xh+NpUie
>>48 :私文書為造
祖霊がどのように怒っているか具体的に書けば説得力もあるのだが。
客観的でないとかノーレスで、なんて書くところに気の弱さが出ている。

>>52 :私文書為造
退会ってもめるのか?
何かひとり相撲をしてるみたいだ。

>>71 :私文書為造
>◎Q(klingo〜n・クリン含・ペテン大作・ペテン犬作・Q連続対・オバQ)って何物?
>論の内容より人格攻撃に必死になってる。

これでも論の方を大事にしてるつもりだが。
人格攻撃? 
駄目造にだけには言われたくない。

>>72 :私文書為造
>で、Klingo〜n・ペテン大作改めQよ、
>何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?

毎回おなじことを聞いて飽きないのか?

182 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:44:13 ID:xh+NpUie
少しレスが遡るのを許されたい。

>>4 :神も仏も名無しさん
スレ150
>594 :Q:2008/12/06(土) 15:28:57 ID:kJfA2Uq0
>【落武者実態レポート】
>★印象操作が大好き!!
>(縁起説が定説であるかのように見せかけた)
>あなたは中村博士の文章を、「解脱の内容は縁起ではない」
>と解釈しましたね。(あなたは「おれはそんなことは書いていない」とまた屁理屈を並べるでしょう)
>だから、上記のように縁起説と書いた。
>だが、中村博士は 「解脱の内容は十二縁起ではない」と言っているのです。

もちろんそんなことは知っていました。
594を書く前に既に引用しています。
自分で引用しておいて知らないわけがありません。
人の文章はよく読みましょう^^



183 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:44:48 ID:xh+NpUie
414 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:21:52 ID:vzmS/Yff
『さらに原始仏典の古い層では、はるかに簡単な縁起説が説かれている。
したがって律蔵などに説かれている十二支縁起説は、
原始仏教のうちでもかなりおそい時期になって、
釈尊のさとりを説く場所に挿入されたにちがいない。
ともかく散文部分の十二因縁の説は、
さとりのときに釈尊の説いたものではないということがはっきりと断定できる。』
(400頁)

前スレ594にある縁起説とは十二縁起説のことです。
ちょっと横着して省略しただけです。
紛らわしいので訂正しましょう。

【落武者実態レポート】
★印象操作が大好き!!
(十二縁起説が定説であるかのように見せかけた)

184 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:48:49 ID:xh+NpUie
>>85 :神も仏も名無しさん
>今までどれほどあいつに投げた石に当たり、自爆し、自滅し、大恥をかかされたか。
>この怨み晴らさでおくものか。

【七氏さんの自滅歴】

沙門果経意生身≠霊魂 だから 身命経意生身≠霊魂 だと主張していた。
これが成立するには 沙門果経意生身=(≒)身命経意生身 が条件になる。
ところが後になって 沙門果経意生身≠身命経意生身 と言い出したことで自滅。

意生身は解脱の過程でも作れると主張していた。
ところが最近になって意生身を作る比丘は解脱していると言い出したことで自滅。

185 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:49:55 ID:xh+NpUie
>>86 :神も仏も名無しさん
>これのどこが証拠なのだ?
>言葉尻もなにも、あなたが、私が定説だと書いた、と主張したのです。
>だが、その証拠という文章には定説という言葉はもちろんのこと、
>それに相当する説明すらない。

またそうやってとぼける。
「定説だと言わんばかりの書き方」と言ったでしょ?(>>24)

>119 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:19:56 ID:s8pu1w+h
>前世や輪廻する人々の姿が、釈尊の説く十二縁起の実例だからです。

何も知らない人がこれを読んだら、
十二縁起説はブッダがさとりの時に説いたのだと信じますよ。
あなたは後世になってブッダのさとりに挿入されたのを
中村本で読んでいながら119を書いた。
よく書けるものだと感心します。
そういえば例の蘭のときもそうだった。
赤松論文を読んでいながら作り話を書いていました。
印象操作は本当に好きみたいですね。

186 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:50:45 ID:xh+NpUie
>>91 :神も仏も名無しさん
>中村博士は、はっきりと、宿命通などの神通力で悟ったのではないと書いている。
>解脱(悟った)した後に過去世を透視したとある。
>つまり、阿含経にある正しい順序は、
>「解脱→三明」
>です。

どこに宿命通と書いてあるのか?
引用された文章だけでは宿命通のことかどうかわからないではないか?
おそらくこれは四神足のことを指しているのだと思われる。
『ゴータマ・ブッダT』の中にも似た記述があるからです。
七氏さんも当然知っているはずだ。
四神足で人の生まれ変わりを見たという記述のあとにこう書いてある。
『ところで以上の文句は釈尊がさとりを開いたのちの
心境を叙するところに述べられているのである』(410頁)
四神足の透視はさとりを開いたあとに出てくるというわけです。
あなたはそれ見たことかと狂喜するかも知れない。
ところが上の引用文のあとにこう続く。

そうして最後に次のように結んでいる。
『このように四神足が修練され豊かにされたときに、
もろもろの煩悩の汚れがほろぼされることによって、
汚れなき心の解脱・知慧の解脱をこの世において、
みずから証知し、現証し、具現して住する』
けっきょく四神足に関する考察によって解脱を得たというのである。
(411頁)

187 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:55:54 ID:xh+NpUie
さとりを開いた後に四神足で人の過去世を見て
やはり人は生まれ変わるんだな、と確認して
それで話は目出度くおしまいになるはずだが、
何故かその後に四神足を修練することで解脱したとある。
では四神足の前の「さとり」とは一体何だったのか?
これを読んでおかしいと思いませんか?

この四神足について博士は別の本にこう書いています。

『四神足―――四つの自在力を得る根拠。
超自然の神通力を得るための四種の基。
つまり不思議に境涯を変現する通力である。
それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 岩波文庫 234、249頁)

 
・・・四神足はさとりを得るための実践修行法の一つである・・・

これが博士の結論です。

あなたはこれを何と説明するのか?

188 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:58:05 ID:xh+NpUie
私が学者の根拠を要求したのは四神足ではなく宿命通です。
この経典の冒頭にある 「このように心が統一され・・・」を
どこの仏教学者が解脱だと解釈しているのかと聞いているのです。
そうすれば少なくともこの経典では解脱後に過去世を透視したことになるからです。
だがその根拠も出せないようです。
あなたは三明と解脱を分離させようと必死になっているが無駄なことです。
その理由はあなたが既に書いています。

『さて、釈尊がブッダガヤーで何をさとったかということですが、
これは仏典によって、いわれていることがみな違うのです』
(『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ)
またあなたはこれも引用してくれた。
>「このようにいろいろと説かれているために「さとり」とはなにか、
>ということを一語で表明することは非常に困難である。」
>(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、415頁)

解脱(さとり)は、経典によって説くところが違うのです。
一つの経典がこうであるからといってそれで決まりというわけではない。
あなたは三明の前に解脱していると言っているが
その解脱(さとり)自体、何をもって解脱と言うのかすらはっきりしていないのです。
そういう状況で「解脱→三明」という論理を展開しても無意味ではないか?
自分で博士の言葉を引用していながらそれに気づきませんか?
もう少し知性があると思っていたのだが私の買かぶりでしたか。

189 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 16:36:33 ID:fldZXnBi
今朝の新聞に『仏陀の真実の教えを説く』の広告が載ってました。桐山さんは
出版屋ですか宗教屋ですか只の詐欺師ですか。

190 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 16:42:03 ID:ktTXsZDU
インチキペテン詐欺師にして町の拝み屋以下の悪徳宗教屋ですが、
平河出版は良い本も沢山出してるのでよけいに白けますwww

191 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 17:52:25 ID:1DXDR4ZD
>>186
> おそらくこれは四神足のことを指しているのだと思われる。

恣意的なすり替えをした上で自説をカタルなよ。桐山くんそっくり。

192 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 18:43:44 ID:YYamDbwX
ちょっとコンビ二いてくる
       _ , ― 、,__
     ,−:::::::::::::::::::::::::::::::ヽ_
    ,':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
    (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)
   (:::::::::::::::::ノ'ー'ー'ー'ー'ー'ー'ヽ::::::)
  (:::::::::::::::::ノ  (●)  (●)::::)  
   (:::::::::::::)     (__人__) |ー'  
   `ーヽ    ・  `⌒´ /    
       \_   ー __ノ    
     ./          \,    
     /   ,     .    、 'i
    ./   r´    人.    ヽi
    i   人_,、__ノ  ヽ、_,,_ノ.|
    |   /  ゚        ゚ .|.|
    |  /(       .з   .iノ
   _.しゝ ヽ_______,ノ
  _ノ_.ノ__.\.i,___,    ∞   _ノ
 |ヽ /_.__\ 'ヽ、     ./ |
 |# |++++| .  'ヽ、,_ノ  .i
  ヽ|++++|     ノ    i
    ̄ ̄ ̄i ̄    ./.    .|
        i    ノ ヽ   i
        |   /   .\  |、_
       ,/  /     ヽ、__つ
      .と__,,ノ     


193 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 19:01:48 ID:YYamDbwX
          ヘ-+------+--+-----+ヽ_
          /:::|:::::::|:::::::::::::/::::::/::::::::::::::/:::::::/`\_
       / ̄\::::::|:::::/:::......-―――--..........__/:::::::::::::::\
   ┌ー ̄::::::::::::ヽ::|:::..-^ ̄            ^ ヽ、:::::::::\
   ヽ::::::::::::::::::::::::::::/                  \::::::::ヽ
    ヽ:::::::::::::::::::::::/             ::::       \:::::ヽ
    ヽ::::::::::::::::::/              ::::::::        \::::|_
     ):::::::::::::::|              ::::*:::::        ヽ:|::::ヽ
     /::::::::::::::::|              ::;;;;:          l::::::::ヽ
    /::::::::::::::::::|             ノ::ii:ヽ::          l::::::::::|
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    |


194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
 いろいろ、喧しいことで、結構です、是というのも皆、桐山師があまりに
多忙を極め過ぎ、信者や弟子の個人指導が出来なくなっているせいです。
つまり、著作に書き込んだことが、此方に及ばなかった苦情を言ってるのでは、
有りませんか?では、桐山師指導の実例を一つ書き込みます。
20年以上前の地方道場のことですから、掻い摘んで書きますが、事実です。
或る独身,20代の女性が、入信されました、毎月の例祭当日でしたから 桐山師から
直に、本尊の御霊(おみたま)が入った法具をいただきました。
 一応当日の儀式等が、終了してから桐山師が、この独身女性に個人指導しますから
呼びなさい と職員から、申し伝えました。
指導室でこのような事を、言われたとか(あなたは、若い女性では有りますが、
 結婚してはいけませんよ。)
其の後、結婚して、子供を生んだのですが、とても育てずらい障害あり、
夫は、逃げる様なかたちで離婚、彼女は、子供が6歳ぐらいのときに、残して死去したのです。
これら。一連の出来事を、私が知ったのは、彼女の死後数年が経過してからのことでした。
彼女は、長年の病気が治ります様にと願い入信したとか、ききました。
この実話を語りましたのは、私の古くからの知人です。
 信じようと信じまいと、桐山師の個人指導が必要な信者は人生大変です。
この死去した、女性と、私は単に顔見知りくらいでした。
知人にあの女性最近、見かけないけど、と話したところ、教えてくれたのです。
 桐山師を長年見ていますが、たった一人で切り回していますから、丁寧な
(個人指導)と(世間に布教する)が、中々上手く回っていかないのですな。




195 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 20:50:44 ID:u0HGrEFF
>>194
桐山さんに能力があるかどうかわかりませんが、
結果が出せなければ、お金を集めるべきではありません。
お金を取って結果を出さない。これを世間では詐欺と言います。

196 :流しの名無し:2008/12/10(水) 21:52:10 ID:K8LlNQZC
195;さんへ、それは其のとうりです、但しこの女性は、指導を条件付きで受け入れたのだ
    と思います。
    知人曰く 故人は個癖の強い人柄だった。
    私的には、長年にわたり桐山師を見てきて、面白かったですよ。  
    真言密教の作法を 習ったり 出来ましたね、専門の坊さんはかなり怒りましたが、
    改めて弘法大師の事績に触れることや伝統を私なりにも理解できたからです。
    桐山師の(能力有無)についての見解はともかく、ご自身が多忙すぎました。
    これは、桐山師ご自身が痛感されていることでしょう、この先は、省略します。
    
    
      

197 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/10(水) 22:18:28 ID:FZ7RaHU8
>>159 名前:沙羅 ◆CRkFRvt2RQ 投稿日:2008/12/09(火) 23:21:20 ID:FRwXII/C

確かに間違いは無いと思うんですがおっしゃる通り口頭だったかも知れません。
文書で在れば資格詐欺的で民法90条を盾に霊感商法で訴えたい人の材料の一つとなるはずなのですが。

198 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/10(水) 22:19:11 ID:FZ7RaHU8
>>181 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/10(水) 15:42:31 ID:xh+NpUie
>毎回おなじことを聞いて飽きないのか?

おまえは宿題をやれとかトイレに入ったら流せとか口を酸っぱくして言う
親や先生や先輩とかにそう言う悪態を吐いてたのか?

で、Klingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

199 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:35:26 ID:9du+H6PY
>>183 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:44:48 ID:xh+NpUie
>前スレ594にある縁起説とは十二縁起説のことです。
>ちょっと横着して省略しただけです。
>紛らわしいので訂正しましょう。

私が>>4で、
>(あなたは「おれはそんなことは書いていない」とまた屁理屈を並べるでしょう) (>>4)
と、わざわざ書いたとおりのことを始めた。
無駄です。
では、なんのために中村博士の文章を引用して、私を批判したのだ?
十二縁起のことを書いていると理解していたら、
あなたの前スレの594は何のために書いたのだ?
私の何を批判したのだ?
あなたは二つも勝手な思い込みをしていた。

思い込み1.七氏は縁起説を定説だと主張している。
思い込み2.中村博士は縁起説など定説ではないと否定した。

どちらもあなたの読み違いと思い込みで、何の根拠もない。
第一に、私は縁起説を定説だなどと言った覚えはなく、あなたの言いがかりです。
第二に、あなたは、中村博士が「十二縁起」は後で成立したと書いているのを
「縁起説」を否定したのと読み違いをして、私の間違いを見つけたと大喜びした。
中村博士の文章を読み違いして、私の揚げ足を取れるとばかりに突進してきたが、
いつものオオドジの自爆で大爆笑です。
それをまた何の意味もない見苦しい言い訳をしゃあしゃあと書き並べる。
実に恥知らずのペテン大作さんらしい。

200 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:38:55 ID:9du+H6PY
>>184 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:48:49 ID:xh+NpUie
>ところが最近になって意生身を作る比丘は解脱していると言い出したことで自滅。

そうそう、意生身と言えば、ペテン大作さんが沙門果経を出してくれたおかげで、
桐山さんの「意生身=霊魂」説の嘘がはっきりしたのでしたね。
これはあなたが最初にこのスレで紹介したのだから、あなたのお手柄です。

>>185 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:49:55 ID:xh+NpUie
>赤松論文を読んでいながら作り話を書いていました。

赤松論文の内容を歪めて引用したのはあなた自身です。
まったく逆の意味に読み違いをして、私をやっつけてやろうと
意気揚々として出てきて、自滅して、観客の大爆笑を買った。
こうやって自滅するのもあなたの毎度のパターンなら、
自分のしたことをこうやって私がしたかのように書くのも毎度のパターンです。
さすがは桐山さんの信者だけのことはある。

201 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:40:40 ID:9du+H6PY
>>186 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:50:45 ID:xh+NpUie
>どこに宿命通と書いてあるのか?
>引用された文章だけでは宿命通のことかどうかわからないではないか?
>おそらくこれは四神足のことを指しているのだと思われる。

これはおもしろい。
ペテン大作さんよれば、四神足と三明(宿明通、天眼通、漏尽通)とは違うそうです。
四神足でどんな神通力が得られるのか、
また、それは三明の宿明通とどう違うのか、簡潔に説明してほしい。
では、お偉いペテン大作様の御説を拝聴しましょう。
はい、どうジョ。

202 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:46:06 ID:9du+H6PY
>>188 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:58:05 ID:xh+NpUie
>解脱(さとり)は、経典によって説くところが違うのです。

子孫さんとあなたの理解力にはしばしば絶句させられる。
釈尊の説いている悟りの内容が経典によって違う、
何項目もあると、私がずっと言い続けているのです。
これだけ何度も説明されても、こんなこともあなたは理解できないのですね。
釈尊の悟りの内容は大まかに3〜5くらいの項目がある。
これを桐山さんは、学者たちが学説を唱えて、互いに主張しているかのように嘘を書いている。
学者たちはそれぞれが別な主張をしているのではなく、
経典にある悟りの内容をただ列記しているのです。
それを桐山さんは学者の別々の説だと思い込んだ。
桐山さんは自分の「神通力による解脱」説に凝り固まり、
ろくに経典すら読んでいないし、学者の説明も理解する知性がないからです。
そして、あなたはこれだけ根拠を示されて説明されてもまだ理解できない。
あなたは知性でも桐山さんの弟子ですね。
あなたに説明しても無駄なのは知っているから、信者さんたちのために説明しましょう。

203 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:52:04 ID:9du+H6PY
「このうちで、成道の意義を説く経典の記述には、四聖諦や十二縁起などの
ような理法の体得によるとするもの、四念処・四正勤・四如意足、五根、五力、
七覚支、八聖道などの実習するもの、五蘊・十二処などの諸存在の観察によるとするもの、
四禅・三明によるとするものなどがあります。」 (『釈迦のことば』菅沼晃、115〜116頁)
「さて、釈尊がブッダガヤーで何をさとったかということですが、これは仏典によって、
いわれていることがみな違うのです。」(『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ )

ペテン大作さん以外の信者さんたちは菅沼先生も中村博士も同じことを
述べているのがわかるでしょう。
学者たちは悟りの内容について説を唱えて争っているのではなく、
経典の悟りの内容はいくつか項目があり、統一されていないと説明しているのです。
ところが、桐山さんは、悟りの内容について「三つの説がある」と紹介して、
次のように書いている。

「これによると、ブッダは十二縁起によって悟ったのではなく、悟りは
四禅三明の智慧によって悟り、
その後に悟りの内容を十二縁起によって瞑想したのだということになる。
この説が最も多い。」(『般若心経瞑想法』124頁)

つまり、四禅三明説がもっとも学者たちの唱える説であるかのように述べている。
菅沼先生や中村博士の説明を読めば、これが真っ赤な嘘だとわかる。
桐山さんの嘘の一つ目は、学者たちが様々な説を唱えているという点です。
説を唱えているのではなく、経典に出てくる項目を並べているだけです。
嘘の二つ目は、四禅三明が最も多いという主張です。
中村博士の文章を読んでもわかるように、特定のどれかに決めることはできないと述べている。
神通力で解脱するという桐山説がさも学者に支持されているかのように
みせかけるために書いた嘘です。

204 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:54:21 ID:9du+H6PY
>>188 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:58:05 ID:xh+NpUie
>そういう状況で「解脱→三明」という論理を展開しても無意味ではないか?

「解脱→三明」とは引用した中村博士が述べていることです。
信者さんたちはペテン大作さんがおもしろい誤解をしていることに
気が付きましたか・・あ、これは失礼、彼のゴチャゴチャした文章を理解できるのは
私やユビキタスさんのような付き合いの長い人でないと無理でした。
おもしろい誤解とは、桐山さんと同じ誤解をしている点です。
それは、「悟り」と「悟りの内容」を一緒にしている点です。
学者たちは「悟りの内容」を議論しているのであって、
「悟り」そのものを議論しているのではありません。
なぜなら、釈尊が悟ったことが大前提だからです。
これが誤解されやすいから、中村博士は、

「これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。 」(『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ)

とわざわざ強調した。
悟った結果、過去世を透視したのだから、「悟り→三明」「解脱→三明」です。
過去世の透視とは、「悟った内容」「解脱の内容」にすぎません。
これは次のようなたとえをするとわかりやすい。

205 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 22:58:44 ID:9du+H6PY
>188 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:58:05 ID:xh+NpUie

解脱をエベレスト登頂にたとえましょう。
登頂に成功した釈尊は、周囲を見渡すと、自分がかつて登頂しようと
試みて失敗したルートも見える(宿明通)。
他人がもっと下のほうで別な道を歩いているのも見えるが、その道では
グルグルと山の周囲を回るばかりで、山頂まで到達できないのもわかる(天眼通)。
これらは一番高い所から見るから、よく見えるのです。
最後に改めて周囲を見渡すと、たしかに自分がいるところが最も高く、
そこよりも高い所はないから、ここが山頂なのだと確認する(漏尽通)。
このたとえでわかるように、山頂からの確認そのものが登頂(解脱)ではありません。
登頂はこれらの確認の前にすでに終わっているのです。
「悟り(解脱)→三明」の順序です。

206 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 23:03:18 ID:9du+H6PY
>188 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:58:05 ID:xh+NpUie

釈尊は登頂について、なぜ登頂が必要なのか、ルートはどのように選ぶべきか、
登山の技術とはどのようなものかなど、自分の悟りの内容を述べた。
それらが四諦、八正道などです。
だから、悟りの内容が経典にはいくつもあるのです。
三明で解脱するなんて言ったらおかしいことに気が付きます。
自分の過去の登山ルートや、他人の登山ルートや、ここが頂上に間違いない
と確認することが、登頂ですか?
これは登頂の結果得られたものであって、登頂そのものではありません。
三明で解脱したなんて言う人がいたら、釈尊の悟りとは何かを理解さえ
していない人だとわかる。
それが桐山さんです。
桐山さんが解脱などしたはずがないのです。
だから、解脱と解脱の内容と区別のつかない素人のペテン大作さんと
同じ間違いをしている。
そもそも桐山さんは登るべき山がどれかを理解していないのですよ。
釈尊の登頂した山は漏尽解脱(煩悩解脱)であって、
因縁解脱なんて山は、阿含経という地図には最初から載っていません。
因縁解脱は桐山さんが勝手に作り出した空想上の山です。
山すら間違えている人が登頂したはずはない。

207 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/10(水) 23:19:18 ID:JGFzLBCM

釈尊の教えを
そもそもから
間違えています。

ID:9du+H6PY


208 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/10(水) 23:30:59 ID:c0fKBLlI
>>194:流しの名無し :2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
> 一応当日の儀式等が、終了してから桐山師が、この独身女性に個人指導しますから
>呼びなさい と職員から、申し伝えました。
>指導室でこのような事を、言われたとか(あなたは、若い女性では有りますが、
> 結婚してはいけませんよ。)

なかなか興味深い証言です。
非常に珍しいことですね。桐山さんが例祭当日に自分から指名して面接なんて。
こちらから申し込んだわけでもないのに面接だなんて。
あなたはこれを桐山さんの指導が当たって、桐山さんの指導に背いて結婚した彼女が不幸になった
ものと捉えているのでしょうか?
ただ最悪の不幸な結末はいただけない。だからこれは指導不足である。
つまり、
> いろいろ、喧しいことで、結構です、是というのも皆、桐山師があまりに
>多忙を極め過ぎ、信者や弟子の個人指導が出来なくなっているせいです。

しかし十分な時間をかけて指導していれば結婚を思い止まらせ、命を救うことができた。
ともあれ結婚は不幸を招くことまでは「当てた」のだから。
と、こう言いたいのでしょうか?
どうもあなたの言いたいことがよくわかりません。
しかしこれって本当に桐山さんの指導だったのでしょうか?
考えてみましょう。

209 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/10(水) 23:57:05 ID:c0fKBLlI
>>194:流しの名無し :2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
> 一応当日の儀式等が、終了してから桐山師が、この独身女性に個人指導しますから
>呼びなさい と職員から、申し伝えました。
>指導室でこのような事を、言われたとか(あなたは、若い女性では有りますが、
> 結婚してはいけませんよ。)

おかしいとは思わないか?
桐山ゲイカに面接を願い出て指導を仰ぎたい信者がたくさんいる。
それこそ切羽詰まった悩みの人もいるでしょう。重病等命のかかった問題を抱えている人もいる。
しかしそんな信者でも桐山さんに面接指導などできるものではない。
多忙なのかなんなのか知らんが。
ところがこの事例はなんとも掟破りである。エコヒイキと言ってよい。
おっと、キーワードを出すと最終結論が読まれてしまうな。
え?それはもうわかっている?まあまあ…(笑)じっくり攻め崩していきましょうw
結婚してはならないという指導も桐山さんにしてはおかしいと思わないか?
もし悪い因縁を持っていたら因が縁を引き寄せ結婚してしまい、なんだか知らんが悪い運命を遂行してしまう。
わかっちゃいるけどやめられない。ムシが好かない相手とは絶対に結婚したくないが、逆に明らかに悪い縁
でもムシが好いてしまったら止めようがない。
だから結婚してはいけないよではなく、とにかくその変な悪因縁を切ることに邁進しろと説くしかない。
因縁解脱に邁進させるのが第一です。
しかし例祭で入行したのだから、それはスタートラインに立ったわけだ。
後は尚且つ念押しで因縁を出さないように心構えを説くことだ。
いいかい?因縁が解けるまで結婚してはならんよ、がまんじゃぞ、と。
一応言葉による教えの方も説いておく。教えと法の両面から攻めて因縁に対抗するのが最善というものだ。
と簡単に納得するか?このエコヒイキ指導を。
それはそうとこの彼女はどうして桐山ゲイカの指導に背いて結婚してしまったのだろう?

210 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/11(木) 00:20:14 ID:uymKr4xH
>>194:流しの名無し :2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
>指導室でこのような事を、言われたとか(あなたは、若い女性では有りますが、
> 結婚してはいけませんよ。)

結婚してはいけない理由をきちんと説明してくれたのでしょうか?
それはきちんと説明すべきです。あなたにはこれこれこういう悪い因縁がある。
結婚してもうまく行かず不幸な結末が待っている。
だから結婚だけは因縁が切れるまで控えるべきだ。と、こんこんと諭す。
この作業が省かれているのでしょうか?
何?多忙でそこまで説明する時間がない?
アホ言え。自分から面接に呼んでおいて、どうして肝心なことを説明しない?
説明すれば安易に結婚することもなかったろうに。
何?教えを守らなかった彼女が悪い?
桐山ゲイカはあんなに親身に指導してくれたのに。
とあくまでも桐山さんを擁護するか?
しかしとにかく結末は悲惨でしたね。

>其の後、結婚して、子供を生んだのですが、とても育てずらい障害あり、
>夫は、逃げる様なかたちで離婚、彼女は、子供が6歳ぐらいのときに、残して死去したのです。

因縁切りの行に励んでこのザマか?(尚、くれぐれも実在したこの女性には失礼とお詫び申し上げておきます。
今回題材に使わせていただくことにより、彼女の死を少しでも世のため人のために役立つように
考えているわけです)
このような結末の引き金になったのは禁断の結婚をしてしまったからか?
違うでしょう?桐山因縁論によると結婚が原因ではない。その奥にある因縁こそが元凶です。
その因縁が解けなかった。長年の病気も治らなかったんじゃないかな?
彼女も妙ですね。結婚したはいいが、どうも予言(?)通り悪い局面に立った。
ゲイカ!あの時のご指導を守らずにごめんなさい!と目が覚めるはずなんだが。
なんかその辺の懺悔談とか聞こえてこないような気がする。

211 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/11(木) 00:44:21 ID:uymKr4xH
>>194:流しの名無し :2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
>或る独身,20代の女性が、入信されました、毎月の例祭当日でしたから 桐山師から
>直に、本尊の御霊(おみたま)が入った法具をいただきました。
> 一応当日の儀式等が、終了してから桐山師が、この独身女性に個人指導しますから
>呼びなさい と職員から、申し伝えました。

さてどうも解せない不公平なエコヒイキかつ効果なき指導のようだが、最初から指導などと真面目に
受け止めることが馬鹿馬鹿しいのではないでしょうか?
発想を変えればよい。
何?みなまで言わんとももうわかっているとな?
まあそう言わんと真っ正直から指摘しましょう。
上記の文の中に答えがある。
はい、わかりますね。20代の独身女性ということです。
これが男だったら俺もこんな当たり前の想像をせずに済んだのに。
20代の独身女性なんて当時のアゴン宗でも珍しくないだろって?
ええ、昔も今でも珍しくない。
ただこの女性が美人であったかどうか容姿など問わないが、桐山さんの好みのタイプではなかったのかな?
アゴン宗は桐山王国です。
みな桐山さんに尊敬の念を抱いてひれ伏す。
それを上から目線で 眺めて満足するのが桐山さんの趣味です 。
ましてや、わ、若いおんにゃ、おにゃのこちゃんまでもが、ゲイカ、ゲイカと・・・。
羨ましいのう。(ヨダレが垂れてきた)
もう快っ感!よし!ここはワシの王国だ。あの好みの娘を面接に呼んでみよう。
これ、職員よ。手配しなさい。
もちろんその場で押し倒したり、口説いたりしませんよ。そんなヤバいことはできない。
どうせED気味だし。
あくまでも面接です 。結婚は控えなさい。(君みたいな可愛い娘渡したくない!=心の声)
そんな他愛のない交流でもおじさん嬉しいんじゃよ。一種のデートじゃよ。職権乱用の。
このエロジジイが。

212 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/11(木) 01:23:57 ID:uymKr4xH
>>或る独身,20代の女性が、入信されました、毎月の例祭当日でしたから 桐山師から
>直に、本尊の御霊(おみたま)が入った法具をいただきました。
> 一応当日の儀式等が、終了してから桐山師が、この独身女性に個人指導しますから
>呼びなさい と職員から、申し伝えました。

まあそこまでエロな話でなくても、これは桐山さんの気まぐれに過ぎない。
面接はひょっとしたら願い出ていたと言うか、導きの先達を通じてこんな女性がいますと悩みが上申
されたのかもしれない。偉い先達のつてで。それなら話を聞いてやろうかと桐山さんは気まぐれを示す。
理由はもちろんおにゃのこだからです。特別サービスです。
入信の目的に長年の病気の克服もあったようだが、桐山さんにはそんなことどうでもいい。
若い女性の興味なんて恋愛と結婚しかないんだろと偏見を持っている。
で、結婚の話を出す。結婚はしちゃいかんよと。
本当に気まぐれな指導です。
結婚後不幸になったなんて桐山予言でもなんでもない。
なんか予言が当たったかのように見えただけです。
もし彼女に強い指導があり、その指導に呪縛されていたと言うのなら、ここでこそ一修行者さんの大好きな
無意識の暗示も悪い方に作用してしまっていることも仮説として考えられますよ。
結婚してはいけないよと言われたにも関わらず、条件つきかなん知らないが結婚した。
無意識に罪の意識がある。桐山さんに変な指導を受けなければ無縁のはずの罪の意識が。
結婚したら運命を狂わすという余計な恐れを持たされてしまった。その暗示が逆に不幸な結婚後の人生に
影響を与えてしまったかもしれない。
桐山さんの指導とやらは余計だったんです。
気まぐれなことはやめてくれと故人に代わって言いたい。

213 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 07:54:06 ID:Kc8EHMe+
ユビキタスは白痴認定


214 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/11(木) 12:14:36 ID:uymKr4xH
A宗擁護スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/6/

大日さんにお願いではなくアドバイスしたいのだが、新たにスレを立てた時は既存のスレにでも
紹介誘導してもらえませんかね?
私も昨日ここでのレスを読んで、初めていつの間にか新スレが立っていることに気付いたわけです。
そうでなければずっと気が付かない。
これでは人は集まってきませんよ。
常連の私でさえ気付かないのですから。
それからさらに余計なアドバイスで、遡って改める必要はないのだが、このようにテーマごとに細分化して
スレッドを立てることは一見整然としているように見えるが、実はこれではただでさえ少ない(失礼)
書き込みが分散され、さらに投稿者もどこに書くか迷い、そんなこともあってか、つい書き込みが
遠退いてしまう恐れもあります。
むしろ単一スレの方がいろんなネタで盛り上がる可能性が高いと思う。
荒らしや場違いは困るが、私はいろんな考えの人が自由に意見を述べ合う雑居文化が好きなんですよ。
下手をすると、どのスレもあなたの日記帳にしかならなくなる。
しかし日記帳は日記帳として、読者であるこちらも興味深いですけどね。
あなたの心境、考えの変化が綴られるのは貴重な資料です。

215 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 12:37:15 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
> いろいろ、喧しいことで、結構です、是というのも皆、桐山師があまりに
>多忙を極め過ぎ、信者や弟子の個人指導が出来なくなっているせいです。

貴重な体験談をありがとうございます。
ただ、流しさんとは意見が少々違います。
桐山さんの問題点は多忙ではありません。
そんなこと言ったら、他の宗教家だって同じような立場です。
ましてや桐山さんは一日数時間しか眠らず、それでいて、徹夜を毎晩繰り返すような
他人の何倍という体力と能力を持っていると自称していた。
その彼が作り上げた教団が、大教団にはるかに及ばないのを見れば、
多忙が原因などでないことは明らかです。
教団を大きくするだけの能力がないのです。
今のアゴン宗は中小企業です。
ここ百年を見ても、一代で百万人規模の巨大宗教を作り上げた宗教家は少なくない。
つまり、桐山さんは数万人程度の教団を作る程度の能力しかないのです。
「彼は勉強さえすれば東大に入れた」なんて言い訳は成り立たないのと同じです。
教祖のために言い訳を考えてあげるのではなく、現実をよく見ることです。

216 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 12:40:39 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
> 桐山師を長年見ていますが、たった一人で切り回していますから、丁寧な
>(個人指導)と(世間に布教する)が、中々上手く回っていかないのですな。

なぜ、たった一人で切り盛りしているのですか。
これも桐山さんに才能がないからです。
能力のある人材を見抜く能力も、人材を育てる能力もない。
桐山さんは他人の因縁を透視する能力があるなんて、
なんでも他人をお見通しだと自慢するが、実際は他人の才能を見抜く力なんてない。
その証拠に、誰も信用していない。
自分の作り上げた大事なアゴン宗を誰かに盗まれはしまいかという疑心暗鬼の塊です。
人を信用していないから、人が育たない。
桐山さんが半世紀かけて作り上げた弟子の筆頭は、
犯罪を疑われているW田さんと、何でもイエスマンのF田さんです。
人材育成での桐山さんの最大の欠点は、彼が他人への愛情がない点です。
自己愛ばかり強くて、その分、他人への愛情が少ないから、「子供」が育たない。
ガキ大将が砂場で、いつも一番よい役をして、オモチャを全部自分のものにして、
他の子供たちを自分の家来として使うことしか考えないのと似ている。
職員や先達への評価もデタラメです。
自分に直接貢いだ者やお気に入りだけを極端にヒイキにする。
ああいうことをすると、優秀な人材が真っ先に逃げ出す。
私は一般信者だったから、遠目に桐山さんを見ていたにすぎないが、
それでも、これでは人材育成がされず、教団は大きくならないと思っていた。
あなたは桐山さんのそばで長年見てきたというのに、
こんなことすら気が付かないとは、いったい桐山さんの何をどう見てきたのだ?

217 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 12:43:56 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
>つまり、著作に書き込んだことが、此方に及ばなかった苦情を言ってるのでは、
>有りませんか?では、桐山師指導の実例を一つ書き込みます。

批判を「喧しい」と揶揄し、桐山さんの問題点が多忙だけだという
ところを見ると、あなたはろくに批判を読んでいませんね。
本に書いたことを実行してくれなかったから、批判していると思っているのですか。
もう少し批判を読んでから書いたほうがいいですよ。
我々は、
「桐山さんは大嘘つきの宗教詐欺師だ」
と批判しているのです。
本に書いていること、法話で話していることなど、アゴン宗の教義のほぼ全部がウソです。
あなたが書いているように、因縁解脱も霊障解脱も桐山さんは何一つ実証できなかった。
超能力開発の餌をぶら下げたが、指導内容はただの金集め人集めに
水浴びと焚き火で、もちろん、ただの一人の超能力者も出ていない。
これらを実行できなかったのは忙しいからではなく、全部「嘘だから」です。
桐山さんが超能力や因縁切りの力を持っていたが、
忙しくてそれが実行できなかったのでありません。
最初からそんなもの何もなかったのです。
彼には超能力はもちろん、因縁や霊障を透視したりする力もない。
彼の才能とは、それらの力があるかのようにまず本人が思い込んで、
それを堂々と宣言して人を騙すのが平気なことです。
つまり、詐欺師の才能です。
その証拠があなたが出した事例です。

218 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 12:48:54 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
>指導室でこのような事を、言われたとか(あなたは、若い女性では有りますが、
> 結婚してはいけませんよ。)

ユビキタスさんが書いていることと重複、追加します。
あなたははっきりとは書いていないが、要するに、
結婚するなというのに指導に従わなかったから死んだと言いたいらしい。
つまり、桐山さんが結婚したら死ぬだろうと透視して、
その透視がズバリ当たったと言いたいようですね。
書いていて矛盾を感じないとは、ずいぶんあなたは物事を短絡して考える人だ。
占いを好きな人によく見られる解釈の仕方で、
占い師の予言そのものは曖昧なのに、客が現実に合わせて解釈して、
当たったかのように占い師と客が錯覚し、互いに共鳴しあう。
あなたはこの話を聞いたのは、彼女の死後ですよね。
つまり、桐山さんの指導内容を彼女から生きている時に直接聞いたのではなく、
死後に一連に経過と一緒に聞いたのではありませんか。

219 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 12:53:51 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC

「あなたは、若い女性では有りますが、結婚してはいけませんよ。」
という指導内容をあなたは誰から聞いたのかという点です。
これはとても重要なことで、
「管長→女性→流しさん」なら二次情報として信用度はまだあるが、
「管長→女性→法友→流しさん」なら三次情報にすぎず、信頼度はかなり低い。
伝言ゲームは人数が増えるほど信用度が低くなるし、
ましてや、間に入った二人はある偏見を持っている。
法友もあなたも桐山さんの超能力を信じており、
占いが好きな客が占い師に話を合わせてしまう傾向のある人たちだからです。
私がここまでいうのは、おそらくは病気の指導で面接したはずなのに、
病気については何もなく、結婚という関係のない話だけが出ているからです。
あなたは、桐山さんが「結婚→死ぬ」と運命を透視したという前提だから、
何の疑問も持たないのだろうが、私は桐山さんなんて透視どころか、
占いも当たらない事例を知っているから、信用していない。
桐山さんが結婚の御指導願いでわざわざ面接するはずはない。
どうみても、病気で指導を受けたはずなのに、なんで結婚の話が出てくるのか、
なんで病気の指導が出てこないのか、読んでいる信者さんたちもこの奇妙な点に気が付きましたか。
これは理由は簡単です。

220 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 12:57:41 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
「あなたは、若い女性では有りますが、結婚してはいけませんよ。」

女性のかかえる悩みは病気だったが、最大の関心が結婚だったからです。
独身の二十代の女性だったという。
この話がいつ頃なのかわからないが、どう見てもここ十年ではない。
二十〜三十年前まで女性は二十代前半で結婚するのが当たり前だと思われていた。
二十代だというこの女性も当然、結婚願望が強く、彼女の最大の関心事だった。
だが、普通の女性と違い、彼女には病気という大きな障害があった。
つまり、彼女が桐山さんに御指導願いを出したのは、項目は病気だったが、
その願いは、早く病気を治して結婚をしたい、結婚できるだろうか、
良い相手がみつかるだろうか、というものです。
結婚願望が強かったのは、桐山さんが結婚をするなと言ったにもかかわらず、
彼女が結婚したのを見てもわかる。
女性の入行の動機は「長年の病気」だという。
宗教を頼り、結局亡くなったところをみると、今の医学ではなかなか治らない病気なのでしょう。
ところが、本人は年齢もあって結婚を熱望していた。
これが桐山さんの前に座った時の彼女の状況です。
病気の内容を聞いて、簡単に治らないことくらい桐山さんにだってわかった。
ところが、女性の関心事は病気よりもとにかく結婚です。
「結婚はどうでしょう」「いつころできますか」「相手はどんな人ですか」と
病気をそっちのけにして、しつこく聞いたはずです。
そこで、信者さんたちにもALCになったつもりで考えてほしい。

221 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 13:02:49 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
「あなたは、若い女性では有りますが、結婚してはいけませんよ。」

目の前に、医者でも簡単に治せないような病気を抱えた女性が、
自分の病気をそっちのけにして、「結婚はどうでしょうか」としつこく聞く。
あなたの目の前の密教占星術の盤には、大凶や中吉が並んでいて、大吉は一つもない。
霊障秘伝を見ると、「長病は死す」とある。
(念のために言うが、私はこの種の占いは、体験的にまったく信用していない)
どう助言しようかと、返事をためらっていると、「結婚はどうですか」とまた質問する。
内心、「おいおい、結婚、結婚て、そんなことよりも、病気が先だろう。
死んだら、結婚も何もないんだからさ。それにその病気のままでは、
結婚相手に重荷を背負わせるようなものだ」と思うが、口には出せない。
だから、「結婚はさておいて、まず病気を治すことに専念されてはどうですか。
良い医者と巡り会えるように、護摩木祈願をしてはどうでしょう」と助言する。
相手の女性は、この助言に大いに不満であり、顔にそれが出ている。
普通の相談係はここで溜息をつき、解脱供養や冥徳供養などを勧めるにとどまる。
ここで、桐山さんが相談係ならどうでしょう。

222 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 13:10:44 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
「あなたは、若い女性では有りますが、結婚してはいけませんよ。」

信者さんたちはご存じないだろうが、桐山さんは非常に短気な人です。
相手の女性が、結婚についてしつこく質問し、不満そうな顔をすると、
桐山さんはこれだけでカッとなります。
「おれの指導に文句を言うのか、この女!」これが桐山さんの内心です。
例祭で、「桐山ゲイカは嘘つきです」とオバサンに言われた瞬間、
すでに桐山さんは顔つきがかわった。
あの時はまだ多くの信者の前だから、すぐには怒鳴りつけなかったが、
相談は一対一だから、そうではない。
十数年前、今は亡き銀座ビルで職員や修行者採用のための面接を行った。
桐山さんに質問され、緊張した信者が小声でぼそぼそと話したのが
気に入らないとばかりに、「何を言っているのかわからないんだよ!」と
怒鳴りつける声が廊下まで鳴り響いたという。
皆さんはこれを例外なのだと思うだろうが、むしろ、あれが普通の桐山さんです。
こういう桐山さんですから、病気の相談なのに結婚の話をしつこく質問する信者にキレタ。
「結婚するな!」
と吐き捨てるように言ったのでしょう。
もちろん、これは私の推測にすぎない。
だが、他にも桐山さんから直接指導を受けた人が、指導通りにしても
うまいくいかないと食い下がった時、どういう反応を桐山さんが示したか
という事例を2〜3知っています。
その中には、ある職員の体験談として発表されているものもあります。
指導どおりにしてもうまくいかいという訴えに、桐山さんが
ヒステリーを起こして怒鳴りつけただけなのに
それを愛情溢れる御指導として「気づかせていただいた」などと語っていた。
これをまた信者たちはまじめな顔で聞き入っていた。
信者から繰り返し言われると、桐山さんは自分を責められたかのように思い、
ヒステリーをおこすのが常です。

223 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 13:14:51 ID:Kc8EHMe+
ユビキタスは白痴認定

224 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 13:20:11 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
「あなたは、若い女性では有りますが、結婚してはいけませんよ。」

女性が死んだことにも桐山さんの助言とは関係ありません。
結婚したから死んだのではなく、おそらく病気が原因で亡くなったのでしょう。
あなたは「結婚→死亡」と信じているが、脈絡がないのです。
たとえば、子供を産むのが負担になり亡くなったというなら、
桐山さんの、結婚するな、とも予知による助言ともとれる。
だが現実は、子供は生まれ、彼女が亡くなったのはその六年も後です。
つまり、結婚したことによって死亡したのではありません。
結婚と死亡との間には何の脈絡もないのだから、桐山さんの予知は外れている。
子供に「育てづらい障害」があったというのだから、障害児が生まれたようです。
これも、まるで桐山さんが、だから結婚するな、と言ったかのような書き方ですね。
だが、桐山さんは結婚するなと言っただけで、結婚したら、
障害児が生まれるなんて言っていませんよ。
あなた方はまるで桐山さんがこれらの不幸を全部予想したかのように信じている。
障害児が生まれる可能性は、彼女の病気にある。
親がアルコール中毒の場合、障害児が生まれる可能性は極めて高いのと同じで、
長期的な病気で様々な薬を服用していただろうから、それが原因の可能性があります。
このように見れば、桐山さんの予言と、彼女にふりかかった様々な不幸は何の脈絡もない。
あなた方が勝手にくっつけて解釈しているだけです。

225 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 13:30:12 ID:NpsNa3BQ
>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
「あなたは、若い女性では有りますが、結婚してはいけませんよ。」

この事例は、桐山さんの予知能力よりも、彼には何の力もないことを示している。
因縁切りとは、運命を変えるための法です。
予想どおりになるなら、何のための法だ?
子供が6歳の時亡くなったというのだから、彼女は桐山さんの指導を受けてから、
少なくとも6年以上、行をしていたことになる。
千座行時代なら、満願を二回です。
桐山さんの予言通りになったというなら、仏舎利行(千座行)が何の役にも
立たなかったことになる。
桐山さんの占い師としての能力を信じるなら、宗教家としての能力を
否定することになるし、逆もまたしかりです。
桐山さんに時間がなく、指導できないからではなく、運命を透視する力も
なければ、運命を変える力もないのに、あるかのように嘘をついている事に問題があるのです。
本当に力があるなら、直接指導などなくても、理屈抜きに多くの信者が付き従う。
あなたは桐山さんを長年見ていておもしろかったというが、
これ以外に、どんな超能力を見たのか、ぜひ紹介してほしい。
桐山さんと勤行して竜神が現形するのを目の前で見たというすごい体験談が
紹介されたことがあるが、桐山さんの手品で説明がついた。
奇蹟のアゴン宗などと、奇蹟という言葉を連呼するが、桐山さんの超能力を
直接見たという人はきわめて少ない。
読んでいる信者さんたちも知りたがっているはずでだから、
ぜひ、桐山さんの超能力を紹介してください。

226 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/11(木) 17:37:33 ID:uymKr4xH
>>194:流しの名無し :2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
194:流しの名無し :2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
> いろいろ、喧しいことで、結構です、是というのも皆、桐山師があまりに
>多忙を極め過ぎ、信者や弟子の個人指導が出来なくなっているせいです。
>つまり、著作に書き込んだことが、此方に及ばなかった苦情を言ってるのでは、
>有りませんか?では、桐山師指導の実例を一つ書き込みます。

と、著書にあれだけ華やかに書かれている桐山さんの個人面接指導がたまたま我々に及ばなかったから
苦情を言っているだけなので、それでは実例を示してあげましょうとだしたこの「一例」は、こちらに
出すにはちとやば過ぎるネタではありませんか?
どうして相談者が子供を残して死んでしまう、因縁の切れない最悪の結末の例を出さなくてはならないのか?
これなら桐山さんが多忙とやらでなくて面接指導がいくら行われたところで意味がない。
桐山さんの復権を画策するならばもっとマシな指導例を出さねば逆効果です。
今回の報告により桐山さんの信用は余計に失墜した。
一例と言うからには他にあなたの知る個人指導例はあるのか?
おそらくないから書けないのでしょう。
そう、我々は桐山さんの個人指導を受けて、その面接の時に不思議な洞察力による指摘で舌を巻いた
なんて報告を聞かない。
桐山さんが著書で書いている内容はすごい。
しかしその当事者が見当たらず、信者から体験談として上がるのは、どこの教団でも聞かれる
ありふれた御利益談に過ぎない。
このギャップは何なのか?
著書が小説だということに他なりません。

227 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 21:47:30 ID:7u06z/7H
>>197:私文書為造 ◆iCtd3oCMyM 2008/12/10(水) 22:18:28 ID:FZ7RaHU8

>おっしゃる通り口頭だったかも知れません。

私の記憶では「全国の密教寺院で護摩がたける!と言うけど、この許し状だけでは
密教寺院への紹介文(病院の紹介状みたいに、医師の私がこう診断したので
先生宜しくお願いします〜みたいに)阿闍梨であるワタクシ桐山がこの者に護摩法伝授したので宜しくお願いします〜にはならんのでは?」と思いました。

>文書で在れば資格詐欺的で民法90条を盾に霊感商法で訴えたい人の材料の一つとなるはずなのですが。

それを避けたんでは?と思います。
そもそも「阿闍梨」ではないコスプレニセ僧侶だし書けないよね〜w

228 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 21:52:38 ID:7u06z/7H
さて、やっと追いついたので書き込みます。
とっくに退会して会報も来てないというのにこんなんキタ━━━(゚∀゚)━━━!!

●大阪道場建立移転・護摩壇御奉安について

晩秋の候、ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。
さてこのたび、大阪地区では新道場建立移転と護摩壇御奉安の二つの誓願の
達成に向けて活動させていただくこととなりました。
昭和六十年十月に現在の道場へ移転してから、はや二十三年の歳月が経ちましたが、
設備等の老朽化も進み、また信徒数のに対して道場が手狭であること、
テナントビルの一角であるため時に自分たちの思うような活動が充分にできない
ことなどから、新道場建立は大阪地区信徒にとって長年の願いでありました。

229 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 21:56:47 ID:7u06z/7H
つづき

しかし、現在の道場が交通の便の非常に良い立地条件であることなどから、
候補地が定められず、なかなか具体的な話が進むまでには至りませんでした。
このたび現在の道場の近隣の土地にご縁をいただくことができ、今こそ
新道場建立を、そして護摩壇御奉安をはじめ高度な修行が行える環境づくりを
自らの手で行っていかなければならないとの思いから、発心した次第です。
本年はイスラエルにおいて大柴燈護摩供が奉修され、阿含宗の真の世界平和
実現に向けての確かな一歩が歴史に刻まれました。

230 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 21:59:28 ID:7u06z/7H
つづき

管長猊下の大聖業成就のため、大阪地区信徒一同一丸となって修行に
精進してまいりたいと思います。
そのためにも、まずは自分たちの足元をしっかりと安定したものにすべく、
新道場を中心とした地域霊的浄化の輪を広げていく活動を、引き続き地道に
続けてまいりたいと思います。
新道場建立に向けて活動を開始した以上、大阪地区全体で誓願達成に向けて
総力を挙げて取り組みますが、道場建立には莫大な費用が見込まれますので、
皆様のお力添えをいただければ幸いです。
何卒、趣旨をご理解のうえ、ご協力賜りますよう心よりお願い申し上げます。
合掌
平成二十年十一月吉日
阿含宗大阪道場発起人一同

231 :流れ雲:2008/12/11(木) 21:59:29 ID:jslRx2tX
まだやってたんですね(笑)
要するに、すぐに答えが知りたい人、誰かに正解を教えて欲しい人、
依頼心が強い人と、自分で道を探そうとしている人、騙されようがバカに
されようが人のせいにすることなく、自分の感性と責任で道を求めている人
との意見の違いでしょう。
意見が一致することは、絶対にありません。。。
あえて言えば、日常生活の中で不可思議なことに遭遇する頻度が少ない人達は
密教や禅には向いていないと感じます。
社会経験の豊富な人、艱難辛苦を舐めた人ほど、若くとも感性の鋭い人ほど不可思議
な出来事を認める傾向があります。
桐山管長の書籍の一部分や発言の一部を切り取って議論しても、何も得る事がないのは
自明のことです。



232 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 22:04:31 ID:N2QDT/Uk
いや、その桐山ってとんでもないインチキペテンのカルト詐欺師なんだがwww





233 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 22:18:19 ID:7u06z/7H
つづき

建立基金誓願
四○○○口(一口 十万円

●大阪新道場建立予定地について
このたび、新道場建立に向けて始動することとなりました。道場建立の際には、
まず基金を募集してから場所を決めるのが通例ですが、大阪の場合、管長猊下が
すでに土地を用意してくださっているという、大変有り難い条件でのスタート
となります。これは、地区道場では前例のないことです。
このようなご厚意にお応えすべく、大阪地区会員一丸となって新道場建立に
向けて精進いたしましょう!

以上です。
@じゅうまんえん×よんせん=四億!400,000,000!400000000!
宗教家畜搾取もたいがいにしとけ。
道場が手狭て…私が在籍当時でも、呆話が始まる頃にはガラガラやったやん!

あ、ご呆施は常の如くいろんなヒンズー教由来の仏フィギュアとかです。

234 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 22:52:58 ID:7u06z/7H
●わが弟子たちに 阿含宗管長 桐山靖雄
むかし、仏陀が法を説くため、精舎(道場)をお建てになるときには、
仏陀おんみずから弟子たちとともに、木を切り、土をならし、柱をお立てになられたと聞く。
後世になってもこれは変わらず、シナでも日本でも師と弟子と力を合わせて
法堂を建てた。師は、法を伝え教えを残すため、弟子は、法を学び教えを聴くため、
ともに土にまみれ、汗を流して道場を作った。
いま、私たちも法の錬磨のため、道場の建立にふみきった。
私は、あなたにこの法をつたえる場をつくるため、全生命をこの完成に傾注しようとしている。
弟子のあなたも師の私とともに立ち上がってほしい。
私が丸太をかつぐとき、あなたはその丸太のそっちがわをかついでくれ。
私が柱を立てるとき、あなたはそれをささえていてくれ。〜中略〜
むかしだったら、あなたもわたくしといっしょに土を掘り、材木を運び、
柱を立てることだろう。だが、現在においては、それができない。資金づくりがそれにかわった。
土を掘り、材木を運び、柱を立てる―。それが現在では、浄財をあつめ、
浄財をささげることになった。〜後略〜

また嘘ばっかり。

235 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 22:55:25 ID:2A7Dv12g
>>201 :神も仏も名無しさん
>これはおもしろい。
>ペテン大作さんよれば、四神足と三明(宿明通、天眼通、漏尽通)とは違うそうです。
>四神足でどんな神通力が得られるのか、
>また、それは三明の宿明通とどう違うのか、簡潔に説明してほしい。

そうかそうか、四神足と三明は同じだったんだ!!
これはいいことを聞いたぞ。

>>204 :神も仏も名無しさん
>中村博士は、
>「これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
>さとったのではありません。 」(『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ)
>とわざわざ強調した。
>悟った結果、過去世を透視したのだから、「悟り→三明」「解脱→三明」です。

ふーん、四神足も「解脱→四神足」の順番なんだ。
じゃあ、これはどういう意味なの?


>>187 :神も仏も名無しさん
>『四神足―――四つの自在力を得る根拠。
>超自然の神通力を得るための四種の基。
>つまり不思議に境涯を変現する通力である。
>それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 岩波文庫 234、249頁)

 
・・・それらはさとりを得るための実践修行法の一つである・・・

では、お偉い「変態プライズ号船長七氏様」の御説を拝聴しましょう。
はい、どうジョ。

236 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 22:59:18 ID:hl3dE6B+
>>231 :流れ雲:2008/12/11(木) 21:59:29 ID:jslRx2tX

桐山さんに依頼心が強く、こんな状態でもまだお導き活動をしている
責任感のない人とは確かに意見が一致することはないでしょうね。
せめて他人を、霊感商法に巻き込まないでいただきたい。


237 :沙羅 ◆CRkFRvt2RQ :2008/12/11(木) 22:59:50 ID:7u06z/7H
おまけ

●法施を授ける意義について

わたくしは寄付を集めるために、仏さまのご分霊の入った曼荼羅やご尊像を
差し上げたことは一度もありません。〜後略
(ダルマチャクラ 2001年7月号より)

( ゚д゚)、ペッ

238 :大乗仏教:2008/12/11(木) 23:17:29 ID:VEINF6M2
批判サイドは阿含宗を名乗ったから批判したといい
阿含宗といわなければ批判しなかったんだと言っていたけど
阿含宗を改め華厳正宗に改名したら
本当に批判は止めるのかな?

239 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 23:31:50 ID:2A7Dv12g
欲求不満のヒステリ女は
定期的にここを訪れて唾を吐いていくのか。

よほど溜まってるんだねえ。

240 :神も仏も名無しさん :2008/12/11(木) 23:34:39 ID:qVb5HMBU
>>239
そんな悪口書いてないで、桐山さんの擁護をしたらどう?

241 :○○屋:2008/12/12(金) 00:43:48 ID:hav8kDfd
ああ・・・そういえば私が知っている面接指導を受けた例は3例ほどありますが
すべて女性です。20代ばかりですね。詳しい内容は書きませんが、似たような
指導があったことを記憶しています。あまり詮索されると良くないのでこの件には
レスがあってもお答えしません。

242 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/12(金) 00:51:55 ID:Y+q+Ne8T
>>241:○○屋 :2008/12/12(金) 00:43:48 ID:hav8kDfd
>ああ・・・そういえば私が知っている面接指導を受けた例は3例ほどありますが
>すべて女性です。20代ばかりですね。

いや、それだけでも貴重な証言です。
ありがとう。
内容なんて聞いても、実はどうでもよいことになると思います。

243 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 08:32:12 ID:OwvFrSy3
沙羅・・・・・もうすぐ沙羅不要www

244 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/12(金) 08:55:31 ID:Y+q+Ne8T
>>231:流れ雲 :2008/12/11(木) 21:59:29 ID:jslRx2tX
>要するに、すぐに答えが知りたい人、誰かに正解を教えて欲しい人、
依頼心が強い人と、自分で道を探そうとしている人、騙されようがバカに
されようが人のせいにすることなく、自分の感性と責任で道を求めている人
との意見の違いでしょう。

上記の依頼心の強い人がアゴン宗を続ける信者であり、自分で道を探そうとする人、自分の感性と責任で道を求める人は
退会した批判側の元信者に多いと思います。
結局信者さんは自分の頭で考えておらず、自己が確立されていない。

>社会経験の豊富な人、艱難辛苦を舐めた人ほど、若くとも感性の鋭い人ほど不可思議
>な出来事を認める傾向があります。

全く逆だと認識しています。
社会経験が豊富で艱難辛苦を舐め尽くした人こそ、こんな妄想と甘えのアゴン宗などに騙されない。
感性、と言うよりも感傷(己の欲望と煩悩による)に左右されない知性を持った人は、不思議な力を
一般論的に認めても、アゴン宗の正体はそれと区別します。

>桐山管長の書籍の一部分や発言の一部を切り取って議論しても、何も得る事がないのは
>自明のことです。

その一部と言うのがいくつもあり、その内容が致命的なのです。
よい例が信州の18人の武士を霊視して、それを成仏させて霊障を解いたという 話ですが、不成仏霊と
なる以前の生前にそんな武士など実在しないとわかってしまったのです。
となると桐山霊視も霊障も成仏法も全て嘘、インチキとなり、桐山教は破綻しました。

245 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/12(金) 09:08:39 ID:Y+q+Ne8T
>>238:大乗仏教 :2008/12/11(木) 23:17:29 ID:VEINF6M2
>批判サイドは阿含宗を名乗ったから批判したといい
>阿含宗といわなければ批判しなかったんだと言っていたけど
>阿含宗を改め華厳正宗に改名したら
本当に批判は止めるのかな?

止めません。
桐山ブッキョーが阿含経に反逆している事実などは批判点の一部に過ぎません。
桐山さんが仏教すら標榜しない桐山教であっても、やっていることは嘘、インチキに基づく霊感商法の
宗教詐欺なんだから、批判は続きます。

246 :アンチ詐欺師真寿雄:2008/12/12(金) 09:34:27 ID:AGGiAgmp
>>238
アンタ、あほちゃう。
桐山の糞ジジイは、あごん以前に密教超能力を説いていたの。
念力で火を付けて護摩焚いたんだといって、変身の原理とか言う
駄本かいて、インチキで金儲けしてたんだ。
あごんだろうが、密教だろうが、観音慈恵会だろうが、桐山が
主宰してる限り、インチキ・詐欺、批判撲滅対象なんだよ。
しょせん、桐山はオウム麻原の親玉という位置づけでしか歴史には
名を残しませんね。
まあ、桐山は生きているうちに伝統仏教にしようともくろんでいる
のだろうが、もうどうにもならないのだよ。
桐山じゃなく、ボケ山になりつつあるのだよ。




247 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 09:43:40 ID:+goaIw65
けんいち・・・・
いまさら なにをいいだすんだ
まわりをまきこんでおいて・・・
けんいち



248 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 09:56:22 ID:pfMKvWkM
>米国で行った詐欺、脅迫、およびW田さんの不正疑惑、などなどが写真入りで記事になります。

ずっと楽しみにお待ちしていました。がんがんやりましょう。

249 :ラシン:2008/12/12(金) 11:47:39 ID:TiFJcUVg
>>186 :神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 15:50:45 ID:xh+NpUie
>どこに宿命通と書いてあるのか?
>引用された文章だけでは宿命通のことかどうかわからないではないか?
>おそらくこれは四神足のことを指しているのだと思われる。 (Qさん)

>>201 :神も仏も名無しさん
>四神足でどんな神通力が得られるのか、
また、それは三明の宿明通とどう違うのか、簡潔に説明してほしい。<

>>235
そうかそうか、四神足と三明は同じだったんだ!!
これはいいことを聞いたぞ。(Qさん)

このようにQさんは、七氏さんの質問に答えることなく逆質問で答えることは、
議論としての公平さに欠けています。

【宿命通】:〔専門〕 仏 六神通(ろくじんずう)の一。
       自他の過去の出来事や生活をすべて知ることのできる超人的能力。
(三省堂大辞林)
ということで引用文は、宿明通と判断できます。

250 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:32:23 ID:2UvaqzXO
>>235 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 22:55:25 ID:2A7Dv12g
>では、お偉い「変態プライズ号船長七氏様」の御説を拝聴しましょう。

あなたが何を誤解しているのかわかりますよ。
だが、あなたの国語力の低さをなんで毎回私が補助しなければならないのだ?
三明と四神足の何がどう違うのか、あなたが分からないと、
なんで私が説明しなければならないのですか。
ペテン大作さんて、周囲からチヤホヤされて育てられたワガママな子供みたいですね。
何でも命令すれば周囲は動くものだと思っている。
人を罵りながら、教えろなんて、いったい、あなたはどこのお偉いさんなのだ?
案外、あなたはそういう育てられ方をしたのかもしれない。
視野が狭いから、勝手に自分で議論を拡大させて、
関係ないことに一人ではまりこんで、偉そうに他人に説明しろと始まる。
そんなことまで桐山さんの真似をするなと何度も言われましたよね。
わからない時は、礼儀正しく、相手に頭を下げて、教えてくれと頼むのです。
あなたはその横柄な態度で、これまでどれほど損をしたことか。
現実社会でも似たようなものでしょう。

251 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:38:16 ID:2UvaqzXO
>>235 :神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 22:55:25 ID:2A7Dv12g
>では、お偉い「変態プライズ号船長七氏様」の御説を拝聴しましょう。

私は議論相手でも礼儀を尽くす人なら、説明しないなんて言わない。
これも何度もあなたに言いました。
私は大した知識があるわけでもないし、知識の出し惜しみはみっともないし、
むしろ知識は互いに共有し、その上で議論すべきだと思っているからです。
三明と四神足の違いなんて大した内容ではなく、説明は一行で済んでしまう。
だが、あなたみたいな人に教えてあげようという気にならない。
教えればまた言葉尻をとらえて、因縁を付けようと待ちかまえているだけだからです。
あなたみたいな人は、顔にご飯粒をつけたまま電車に乗るしかない。
ここは三明と四神足の違いを議論する仏教スレではない。
知りたければ自分で調べなさい。
>>239の文章はなんのまねだ?
前にもあなたは同じようなことを書いて、私から批判されましたよね。
あなたのしたことは、他人を罵ったつもりで、人前でズボンを
下ろしたようなものです。
恥知らずで横柄で礼儀知らずな上に、品性下劣とくれば、
アゴン宗の信者としては申し分ありませんね。

252 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:41:45 ID:2UvaqzXO
>>231 :流れ雲:2008/12/11(木) 21:59:29 ID:jslRx2tX
>要するに、すぐに答えが知りたい人、誰かに正解を教えて欲しい人、
>依頼心が強い人と、自分で道を探そうとしている人、騙されようがバカに
>されようが人のせいにすることなく、自分の感性と責任で道を求めている人

あなたの文章は信者と批判側とを比較しているのだろうが、
何をどう言いたいのかよくわからない。
アゴン宗の信者を正確に描写するなら、次のようになります。

「桐山さんからすぐに答えを教えてほしい人、桐山さんの答えだけが正しいと思っている人、
桐山さんへの依頼心が強い人と、自分で道を探しているつもりで桐山さんの手の中に入っている人、
騙されているのを教えられても気が付かず、相変わらず霊障や悪因縁のせいにして、
自分の感性が正しいと慢心を持っている人。」

253 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:45:10 ID:2UvaqzXO
>>231 :流れ雲:2008/12/11(木) 21:59:29 ID:jslRx2tX
>社会経験の豊富な人、艱難辛苦を舐めた人ほど、若くとも感性の鋭い人ほど不可思議
>な出来事を認める傾向があります。

話をはぐらかし、一般論に持っていくのはよくありませんよ。
あなたのいう不可思議な出来事を私もユビキタスさんも認めないと言ったことはありません。
あなたが紹介した女性の例は桐山さんの力でも何でもなく、
現実的な説明が可能であり、むしろ、桐山さんに力がないことの証明に
なっていると批判したのです。
あなたは彼女の事例を桐山さんの力の証明だと信じていた。
それはあなたの上記の説明にある感性の鋭さではなく、
思い込みが激しいにすぎないことを、ユビキタスさんと私が指摘したのです。

254 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:49:05 ID:CrXuf2Lo
>>231 :流れ雲:2008/12/11(木) 21:59:29 ID:jslRx2tX
>社会経験の豊富な人、艱難辛苦を舐めた人ほど、若くとも感性の鋭い人ほど不可思議
>な出来事を認める傾向があります。

上記の文章は、まるで自分こそが経験豊かで、苦労して、感性が鋭いと言いたいようですね。
どうしてそんなにアゴン宗の信者とは自惚ればかり強いのでしょう。
むしろ、あなたの感性はとても鈍い。
本尊は偽仏舎利、経典は捏造、僧侶の資格は嘘で三宝偽物。
桐山さんは脳梗塞で夫人はガンで、因縁解脱は真っ赤な嘘。
霊障話の根拠の、信州幕末の上意討ちの話は嘘、ソンディの話も嘘。
念力の護摩は手品で、モンゴルの奇蹟は天気予報。
これだけの桐山さんの嘘を見ても、あなたは何も感じないのですよね。
どう見ても、あなたの感性はかなり鈍い。
というよりも、麻痺しているというが正しいかもしれない。

255 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:52:24 ID:CrXuf2Lo
>>238 :大乗仏教:2008/12/11(木) 23:17:29 ID:VEINF6M2
>批判サイドは阿含宗を名乗ったから批判したといい
>阿含宗といわなければ批判しなかったんだと言っていたけど
>阿含宗を改め華厳正宗に改名したら
>本当に批判は止めるのかな?

批判をもう少し丁寧に読んだほうがいい。
「阿含宗といわなければ批判しなかった」とは、阿含経に関する部分ですよね。
アゴン宗という名前だけひっこめて、相変わらず阿含経を依経とするなら、
オウムが名前を変えただけなのと同じで、何も変わらない。
阿含経を依経としなくても、批判の大半は消えません。
一つには、桐山さんの嘘とは阿含経に関する部分だけではありません。
たとえば、本尊、経典、僧侶の資格という三宝偽物は消えない。
なぜなら、経典は阿含経だからではなく、阿含経の「捏造」に問題があるからです。
霊障解脱や因縁切りなんて、密教にもありません。
こんなもの大乗仏教にすらない。
なぜなら、いずれも近代の日本の新興宗教が作った概念だからです。
超能力開発も嘘ですよね。
つまり、阿含経をひっこめて、華厳正宗と名前を変えても、
教義のほとんどやはり嘘なのです。

256 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 12:56:14 ID:CrXuf2Lo
>>238 :大乗仏教:2008/12/11(木) 23:17:29 ID:VEINF6M2
>阿含宗を改め華厳正宗に改名したら
>本当に批判は止めるのかな?

あなたのもう一つの間違いは、「万引きしても品物を返せば罪はなくなる」と
主張しているような部分です。
仮に、アゴン宗の看板を下ろし、阿含経をひっこめても、桐山さんの
なした宗教犯罪行為は消えない。
阿含経を使ってどれほどの嘘をばらまいたか。
まるで釈尊が阿含経で死者成仏やカルマ解脱を説き、
物を貢げば解脱が得られると説いたかのような嘘を吹聴し続けた。
しかも、桐山さんはそれを宗教的な犯罪だとは認めていない。
つまり、看板を下ろすだけなら、万引きしても、品物を棚に戻して、
「おれは万引きなんぞしていない」と開き直っているようなものです。
為したことの罪は消えないし、本人も反省もしていないのだから、
二重の意味で、彼の罪は変わらない。

257 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 13:00:09 ID:CrXuf2Lo
>>238 :大乗仏教:2008/12/11(木) 23:17:29 ID:VEINF6M2
>阿含宗を改め華厳正宗に改名したら

アゴン宗の看板を下ろすという仮定自体が成り立たない。
桐山さんはアゴン宗という名前は変えません。
なにせ、それを振り回して、伝統仏教をぶった斬るのが彼の快感なのです。
「ヲマイラ、偽経典を元にした偽仏教じゃねえか!」と言えば、
伝統仏教は沈黙するしかなくなる。
それが桐山さんにはとてつもなく快感なのです。
その批判は桐山アゴン宗そのものにあてはまり、
偽仏教どころか、アゴン宗は外道にすぎないだが、
幸い、信者の多くは気が付かないから、
桐山さんはお山の大将で、自分が仏教の頂点にいると自惚れられる。
アゴン宗という看板は桐山さんの勲章であり、坊主たちを叩き切る刀でもあるから、
捨てるはずがない。
桐山さんは伝統仏教から排除されたことで、激しい憎しみを持っていることを
あなたは知らないのか。

258 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 13:04:16 ID:CrXuf2Lo
「同時に、こういう卑劣きわまる策を弄する連中と、これ以上、付き合っていることに嫌悪を感じ、
「そんなに邪魔なら、消えてやるよ」と密教界からサヨナラする決心をした。
以前から、釈尊直説の経典、「阿含経」に興味を感じて研究していたので、これを好機と
みて、阿含宗を立てることを決意したのである。」(『変身の原理』558頁)

上記の「卑劣きわまる策を弄する連中」とは伝統仏教の人たちのことです。
実際は卑劣でもなんでもなく、桐山さんの前科や学歴詐称、僧籍詐称、阿闍梨詐称を
暴露したのだから、事実をただ公表しただけです。
桐山さんの悪事なのだから、彼のほうこそ卑劣です。
だが、桐山さんは逆恨みして、復讐を誓っている。
そのためにアゴン宗を立宗したのだとはっきり書いている。
これが出家前の文章ならともかく、完全解脱して
有余依涅槃の聖者を宣言した後の2002年に書かれた文章です。
桐山さんがどれほど他人を逆恨みして、復讐心の強い性格か
この一文を見てもわかります。
この桐山さんが復讐のネタである阿含経を捨てるはずがない。
桐山さんは阿含経を蘇らせ、アゴン宗を立てた自分は大天才だと
自惚れているのですよ。
自惚れだけでできているような桐山さんが、自惚れを自分から捨てるはずがあるまい。
無意味な仮定を作って批判側をあれこれ言う前に、
こういう自惚れと憎しみを垂れ流しにしている桐山さんと、
これを聖者だと崇拝している自分をよく見ることです。

259 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 13:07:54 ID:CrXuf2Lo
「●わが弟子たちに 阿含宗管長 桐山靖雄
むかし、仏陀が法を説くため、精舎(道場)をお建てになるときには、
仏陀おんみずから弟子たちとともに、木を切り、土をならし、柱をお立てになられたと聞く。」(>>234)

三十年も前から使っている古い原稿ですね。
信者さんたちに申しあげるが、上記は嘘です。
釈尊は精舎を作ったりはしていません。
精舎の寄付は受け付けた。
だが、釈尊自らが、精舎を寄付しろとか、ましてや自分で建てるなんてしていません。
釈尊と比丘たちの大原則をよく覚えておくことです。
それは
「与えられない物は受け取らない」
つまり、自分から「くれ」と要求することはない。
上記のような呼びかけなど絶対にありえないのです。
そういうと、托鉢があるではないかというでしょうが、あれは「くれ」とは言っていない。
家の入り口に黙って鉢を持ったまま立っているだけです。
托鉢というと、日本の虚無僧の托鉢が有名だから、あんなふうに
鐘をならしたり、お経を唱えて請求するものだと思っているが、
釈尊時代の比丘たちの托鉢はまったく別です。
いっさい請求せず、鉢に食べ物を入れられても、御礼も言わない。
仏教の比丘とはこんなふうに愛想が悪かったから、
食べ物がなかなかもらえず、飢餓状態にあったことが経典にはしばしば出てきます。
だから、経典ではさかんに供養するように説いているのです。

260 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 13:11:34 ID:CrXuf2Lo
「●わが弟子たちに 阿含宗管長 桐山靖雄
むかし、仏陀が法を説くため、精舎(道場)をお建てになるときには、
仏陀おんみずから弟子たちとともに、木を切り、土をならし、柱をお立てになられたと聞く。」(>>234)

有名な祇園精舎はスダッタ長者が釈尊に申し出て寄付したものです。
釈尊が、「精舎がほしい」なんて言ったのではありません。
差し出されて、それが必要なら、釈尊は黙って受け取る。
ましてや、寄付の御礼に仏像フィギアを差し出すなど絶対にありえない。
法施なんて名前がついているが、法施とは法を施すこと、
つまり、釈尊の教法を他の人にも伝えることです。
アゴン宗のように因縁解脱や霊障解脱なんて嘘の教法ではなく、
釈尊の説いた漏尽解脱の教法を伝えることが法施です。
信者さんたちは金を出して、その見返りに徳と仏像フィギアを受け取っている。
これは仏教では絶対にありえない。
一つには、釈尊が供養の見返りに何かを授けるということはありえない。
徳を含めて、何もくれません。
供養すれば、釈尊が徳を授けるという阿含経があるなら出してみなさい。
信者さんたちは三供養品の三福道がそれだと信じているが、
三供養品にはそもそも供養なんて言葉は一言も出てこない。
如来の所で功徳を積むとは、三善根といって、如来の教法に従い、
貪瞋癡という煩悩を断ち切るという意味です。
あの釈尊が三福道なんて見返り信仰を説くわけがない。

261 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 13:20:11 ID:CrXuf2Lo
「●わが弟子たちに 阿含宗管長 桐山靖雄
むかし、仏陀が法を説くため、精舎(道場)をお建てになるときには、
仏陀おんみずから弟子たちとともに、木を切り、土をならし、柱をお立てになられたと聞く。」(>>234)

信者さんたちは金を寄付すると釈尊が徳を授けると信じている。
その徳で因縁切りができて、好運が降ってくると信じている。
だが、スダッタ長者の晩年は財を失い、貧しくなったことが伝えられている。
あれほど釈尊や比丘たちに供養をし続けて、巨大な徳を積んだ人なのだから、
当然、因縁が切れて、好運が舞い込んできたはずなのに、現実はまったく逆だった。
桐山さんの話と違うではないか。
徳を積んで因縁を切るとか、好運を得るなんて釈尊は説いていないからです。
そんなのは桐山さんの嘘です。
スダッタ長者は如来や比丘たちに供養することで、大きな果報を来世は受けるでしょう。
だが、それは彼が為した善業の果報です。
釈尊や比丘が授けたものではない。
しかも、アラハンに供養したからこそ善業であり、善果が得られるが、
アゴン宗のどこにアラハンがいるのですか。
信者さんたちは清浄な行いをするアラハンでなく、欲望と執着、憎しみと怒りに満ちた
桐山さんに、彼の欲望のために金と労力を提供しているにすぎない。
仮にアゴン宗の本尊が本物の仏舎利でも、釈尊は自分の遺骨に金を出せとは説いていない。
仏舎利を見て、彼の説いた教法である煩悩を捨てた清らかな行いを思い出し、
自分で実践しなさいと説いているのです。
アゴン宗は釈尊の教法とは全然違うのに、本物であるかのように人々を騙している。
こういうアゴン宗の道場を建立するのは善業どころか、
オウムの手伝いをするのと同じで、悪業そのものです。
釈尊が禁止した護摩や占いをする教団の手伝いをすることは
釈尊の教法に逆らうことです。
信者さんたちは、財布が寒くなって、夜店の仏像フィギアを得るだけでなく、
悪業という、取り消しのできない重荷をあなた自身が背負うことになる。
桐山さんの話を鵜呑みにするのではなく、よく自分の頭で考えてください。

262 :神も仏も名無しさん :2008/12/12(金) 17:51:26 ID:iHDkN5KX
>>241、242
そういえば、かつての法友が面接指導を受けました。
当時20代の女性でした。

やはり性別、年齢限定の面接指導?

263 :神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 19:52:15 ID:XDSFHxaV
            __,,,,_
          /´      ̄`ヽ,
        / 〃  _,ァ---‐一ヘヽ
       i  /´       リ}     _________
        |   〉.   -‐   '''ー {!   /
        |   |   ‐ー  くー |   |
         ヤヽリ ´゚  ,r "_,,>、゚'} <宗教はすばらしい!
       ヽ_」     ト‐=‐ァ' !   |最高ですか?
        ゝ i、   ` `二´' 丿   \
          _/ r|、` '' ー--‐f´      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ミミ´⌒´ヽ  ー-` '-ー^ヽ⌒彡
   ミミ    ィ   ,  ヽ  , )` ミ彡
  ミミ   ノ^   ー  /⌒\ 'ヽ  彡
  ミ  ,,,ノ       (   ´ll` ) Y´゙ ミ
 ミミ  <ミ       |  ‖ |  ! ミミ
  彡  \       |  ‖ |  ノ_ミミ
   彡、__ ヽ.ー   |  ‖ |ノ  ソ、
      〈J .〉 ヾ、.:|  ‖ |ミヽ-´
      ミ""    ;;;ノ  , 丿彡
      ミ彡   イミミシミミシ ミ彡
      ミ   ミミ `ー^ー' ヽ 彡
     ミミ ` 彡   ミミ  彡
     ミミ  彡    ミ  彡
     〉  イ      〉  |
    /  ::|      (_ヽ \、
    (。mnノ       `ヽ、_nm


264 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/12(金) 21:17:15 ID:Y+q+Ne8T
>>262
また20代女性ですか?
差し障りなければ、どんな状況で面接が実現したのか教えてください。
〇〇屋さんの方はレスしないと宣言されてますから、こちらもその意志を尊重して質問しませんが。
「流し」さんは例祭当日にタボーなゲイカの面接が実現したようですが。
私が当初入行した1974年の頃はまだ次に1回面接指導日が ありましたが。
平河町の東京本部でしたが、土日月と例祭があって、面接指導日はそれが終わった火曜日あたりの平日でした。
朝の7時からお伺い書の受付で、のんびり行ったら受付締切です。
回答が下りるのが午後になるのかしら。
面接せよと回答が下りた者のみ面接が許されるわけです。
勤め人も学生も平日の1日を費やさねばなりません。
しかしこの「流し」さんは地方道場の話と書いていた。
20年以上前の話と書いていたが、北海道、東北、東海、北陸、九州等の桐山さん親修の例祭が行われる
本部道場は東京や京都みたいに恵まれてはおらず、年に1回程度で、1日のうちになんでもまとめて
やってしまうでしょうが。
1977年の東海本部は年に数回だったろうが平日の晩に例祭が行われましたよ。
そういう状況ならば地方で例祭当日に面接をやっちまってもいいわけだが、仮にやるにも限られる。
予めの根回し、ゲイカの気まぐれなエコヒイキがなければならない。

265 :神も仏も名無しさん :2008/12/12(金) 22:59:58 ID:iHDkN5KX
>>264
>>262です。
おそらく20数年前、関西総本部での事だったと思います。
その彼女が「ご指導願い」を出していたのが、「面接」に
つながったように記憶しています。
相談内容は「結婚ではなく、学業について」で、桐山さんは
静かに彼女の話を聴いて、応えたとの事。
(内容はご容赦ください)
ユビキタスさんの言う様なシステムだったかどうかは、聞いて
いないのでわかりません。

266 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/12(金) 23:27:36 ID:Y+q+Ne8T
>>265
ありがとうございます。
内容は結構です。
流しさんの事例も20数年前ならば、こちらも20数年前ですか。
関西総本部に指導願いが出されていたからと言って、誰もが出しさえすれば面接を受けられるとも思えません。
やはり桐山さんに酔って何らか線引きがされていると思われます。
学業の相談ですか?
指導願いを出す人の中には病気のこととか、もっと切羽詰まった深刻な問題を抱えていた人も多かろうに
どういう優先順位なんでしょうかね。

267 :神も仏も名無しさん :2008/12/12(金) 23:31:03 ID:iHDkN5KX
そうですね。
当時も
「もっと切羽詰った人もいるだろうに、学業で面接?」
と思いました。本人には言わなかったけど。


268 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/13(土) 00:06:54 ID:cYh/iEca
2ch用意見スレ 1
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/2/

>99:大日如来 * eu6hMsrO3Q :2008/12/10 16:44:11 ID:p4Yq56Cc
>でも、自宅に帰っても外の風景もどこかの店などを見ても「暗い」とは思わなかったのですね。
>なので、護摩焼けはしていないと思ってたし、偏見・慢心ではないです。

職場だからでしょう。
20年くらい前の別動隊をやってる時で、まだ若い頃だろうが、若い若くない年齢に関係なく仕事なんて
ものはいつもいつも面白いものではない。
面白くないこともたくさんあり、寧ろその方が多い。
人間関係の煩わしさもあるし、利益とコストの追求で、自分の理想のままに邁進などできやしない。
寛げる自宅とか、関係ない近所の店などとは土台意識レベルが違い過ぎます。
あなたは無意味な自己満足とはいえ、あの灼熱地獄であり、しかし尊い法の坩堝で護摩木投入という
価値あると信じたお役を全うして、ハイな気分になれた。
それは貴重な体験だと宝にした。
しかしそれは終わった。自宅で寛いでまたやはり真摯に仕事に励まねばならない職場に戻ったが、
何かが不満である。あの結界修行の時のような燃えるものがない。
理屈でなくそう感じる。
つまり一種の「燃え尽き症候群」です。
しかしこんなセンチメンタルは日常の厳しさ(修行などでなくても)に戻り、また慣れを取り戻すと
消えるものです。
職場と結界体験のギャップ(どちらが価値あるかはがさておいて)大きいから暗く見えるのでしょう。

269 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/13(土) 00:36:37 ID:cYh/iEca
>>264
訂正
誤:「流し」さんは例祭当日にタボーなゲイカの面接が実現したようですが。
私が当初入行した1974年の頃はまだ次に1回面接指導日が ありましたが。

正:「流し」さんが報告してくれた彼女は例祭当日にタボーなゲイカの面接が実現したようですが。
私が当初入行した1974年の頃はまだ月に1回面接指導日がありましたが。


270 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/13(土) 09:01:34 ID:cYh/iEca
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>以前、慈水さんとの煩悩のやりとりでつっこまれ、煩悩の定義を説明しなかったのに、ずいぶん詳しいような表現ですね。
>煩悩が把握できたら解脱に近いと思いますが。
>また同じ煩悩でも階層があるような気もしますがどうでしょうか。

ほう?私がいつどんな形でジミズさんに煩悩の定義を説明できなかったと言うのでしょうか?
赤子が無垢の件ですか?
私は書いた。赤子がいくら不快だからと言って泣き叫び、お母さんのおっぱいを貪るように求めたとて
それを赤ん坊の克服すべき課題の煩悩だなんて説かない。
それは生存の為の本能ですからね。
しかし成長するにしたがってかならず不要な煩悩を身に付けていくことはわかっている。
すなわち煩悩を内在していると言える。
しかしアゴン宗のように先祖霊の祟りを恐れたり、自分の不幸の原因としたり、根拠ない運命を恐れたり
それを回避するためにせっせと焚き火をしたり特定団体に労働奉仕して点数を稼いだりなんて行為は
赤ん坊に約束などされていないわけです。
そういう意味で赤子は無垢と表現したのをジミズさんなどは理解されなかったようだ。
煩悩の定義なんて簡単ですよ。
むさぼり、いかり、にくしみ、おごり、ぐち、おろか、慢心・・・。
小学生でも理解していることで、何も難しいことはない。
あなたの言うようにそれはまず理解して自覚することから始める。
しかしこれを断ち切るなんてことは容易ではありません。
それは習気として習慣になっているのですから。
だから根気よく努力し続けなければならない。
階層があるのはその通りで情意に根ざすものよりも理知上の誤った見解を改める方が容易でしょう。
要は減らしていけばよい。

271 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/13(土) 09:30:45 ID:cYh/iEca
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>自分の実践でつかんだものではなく、知識として得たもので真実をつかんだと思っているのですか。
>知識と理論で阿含宗を偽と判断しただけで、真実をつかんだのとは程遠いでしょう。

真実とは人生の真理とか仏教の真理ではなく、アゴン宗の正体です。
これを把握するのに特別な実践は要りませんよ。
アゴン宗はありきたりの読経や瞑想の真似事の他は看板だけだし、参考の為にも他の修練すらする
必要はない。ただし、その人がもともとアゴン宗など抜きにしても、ヨーガとか気功などが好きならば
大いにやればよいが、アゴン宗の嘘を見抜くのにはそれはほとんど必要ない。
アゴン宗の嘘を見抜くには寧ろ知識レベルの情報で十分だ。
なるほどアゴン宗の実態や展開によっては、こちらもなんらかの修行実践と成果 が比較の為にも必要
だったかもしれない。
しかし敵は見事にボロを出してくれたのです。
その代表的なのが18人の武士です。
霊とか霊障とかそれを一般論的に否定することは私にもできません。
釈尊はそれについて考えるなと示したその知識を示すしかできません。
しかし18人の武士にみられるような桐山さんの霊視のインチキ、霊能力の嘘は、目撃しなくても
自分で調べられ、知識だけでいい加減にその馬鹿馬鹿しさを判断して見限ることができます。
それでも、もうちと実践体験してからなんて考える未練がましい愚か者ではない。

272 :樹意:2008/12/13(土) 12:49:22 ID:EOk9v6sv

麺嬢のしおり

語魔樫免許おめでとうございます。 ここに麺嬢をお授けいたします。
これで、あなたは、蜜叫寺院のいずれにおいても「浮萄胡麻」を執する
ことができるようになりました。
但し、まだ処澱ですから、遺志でいえばインターンというところです。
さらに呆の深奥を目ざして酒行に都戸眼られますよう記念しております。

極意
処澱  なんたらかんたら。

なお、 駐澱  いよいよ煤む
    憶澱  用薬煤無
    憶非澱 意世意世 R酢
「芯憶非澱」になると、全部の分掌が河離ます。、
また、この麺嬢市は大鷹談歯という特殊な環歯を餅意てあります。
怒慮苦してここまで板った穴侘は、さらに省尽を傘寝手 豚の斉呆を
夜に洪眼、笈畝催眠の特を妻連ことを説に記念いたします。

 孔侘のマスオ訓より。 ( ̄ー ̄)ニヤリッ


273 :樹意:2008/12/13(土) 12:56:10 ID:EOk9v6sv
>>251

> 恥知らずで横柄で礼儀知らずな上に、品性下劣とくれば、
> アゴン宗の信者としては申し分ありませんね。

毎度のことながら しびれるね〜。  目頭が熱くなるな。


274 :樹意:2008/12/13(土) 12:59:36 ID:EOk9v6sv
マスオ訓も 20代の女性ばかり面接したがる 
色気好きの 爺さんやったわけね。

こうも目撃証言がそろうというのも ネット時代の特徴でありがたいもんですな。



275 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/13(土) 15:11:55 ID:cYh/iEca
371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY

求道者、求道心の問題、質問についてはまた晩にでもレスしますねー。
予告より遅れても必ず約束は果たしますよー。
文章は頭の中では完成してますから。

276 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 15:41:41 ID:yKGjiSFp
さてお待たせしました。

>>250 :神も仏も名無しさん
>あなたが何を誤解しているのかわかりますよ。
>だが、あなたの国語力の低さをなんで毎回私が補助しなければならないのだ?
 
私が>>186で、>どこに宿命通と書いてあるのか? と言ったのを、
「宿命通と四神足は違うだろ?」という意味で言ったと思ったのですか?
あなたの台詞を真似すれば
「あなたは一体どういう読解力をしているのだ?」
>どこに宿命通と書いてあるのか?
と言ったのは、これによって四神足を持ち出したかったからです。
だがあなたの方から
>>235 >ペテン大作さんよれば、四神足と三明(宿明通、天眼通、漏尽通)とは違うそうです。
と言ってくれたことでこちらも仕事がし易くなりました。
私は何のためらいもなく四神足を持ち出せるわけです。
ありがとう。

277 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 15:57:09 ID:yKGjiSFp
>>90 :神も仏も名無しさん
>『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ
>「それから若干の叙述によると、過去世を見通したということも書いてあります。
>これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
>さとったのではありません。
>すると、仏典の記述は一定していないわけですね。」

これが「解脱→三明」の学術的根拠だそうです。
この本にある「若干の叙述」というのは四神足経典の一つを指します。(>>186

ゆえに仏伝における成道の伝説は当時のこのような伝統を受けているのである。
 『このように四神足が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、
もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。
すなわち卑賎なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、・・・・・・以下略す』
 ところで以上の文句は釈尊がさとりを開いたのちの
心境を叙するところに述べられているのである。
そうして最後に次のように結んでいる。
 『このように四神足が修練され豊かにされたときに、
もろもろの煩悩の汚れがほろぼされることによって、
汚れなき心の解脱・知慧の解脱をこの世において、
みずから証知し、現証し、具現して住する』
 けっきょく四神足に関する考察によって解脱を得たというのである。
(『ゴータマ・ブッダT』 410、411頁)

278 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:03:20 ID:yKGjiSFp
四神足によって人の生死を見たという記述が
釈尊がさとった後に書かれているのです。
それを博士はブッダ入門で
「さとった結果、過去世を透視したのです」と言ったのでしょう。
しかし、これをもって三明とは解脱後に獲得するものだと博士が断言しているわけではありません。
たまたまこの記述ではそうなっているだけかも知れない。
経典の作者がどういう意図で書いているのかもわからない。
だから若干の記述ではこうなっているよ、というだけの話で終わっています。

博士はこの経典に対してこう述べるにとどまった。
「けっきょく四神足に関する考察によって解脱を得たというのである。」
これがこの経典に対する博士の解釈だといえるでしょう。
この結論は次の言葉にも表れています。
>>187 >『四神足―それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 234、249頁 中村元訳、岩波文庫)

この世で「解脱→三明」などといった珍奇な説を必死になって唱えているのは
七氏やユビキタス他若干の批判側に過ぎません。
仏教学者を含めた大多数の人にとってそのようなことには関心すら無いのだから
こうなって当然と言えますね。

279 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:06:14 ID:yKGjiSFp
それから余談ですが 『ブッダ入門』の引用部分で博士が言いたいのは
「解脱→三明」ではなく七氏さんが引用した部分の後に出てきます。


『けれども、別に一定していなくても、それでかまわないのだろうと思います。
それからどういう結論が得られるのかというと、
第一には、仏教そのものが特定の教義をもっていなかったということです。
・・・・・・
第二に、特定の教義がないということは決して無思想ということではありません。
・・・・・・
それから第三に、人間の理法というのは固定したものではなく、
具体的な生きた人間に即して展開するものである、ということができるでしょう。』
(『ブッダ入門』 131、132頁)

280 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:08:39 ID:yKGjiSFp
>>206 :神も仏も名無しさん
>三明で解脱するなんて言ったらおかしいことに気が付きます。
>三明で解脱したなんて言う人がいたら、釈尊の悟りとは何かを理解さえ
>していない人だとわかる。

今度は「三明→解脱」の記述を紹介します。


『正しい禅定によって精神が統一し、統一した精神によって誤りない正し智慧が得られ、
そこに阿羅漢果という最後のさとりも得られるのである。
第十五の宿住隋念智乃至第十七の漏尽智は三明とも云われ、
阿羅漢果のさとりに達する時には、必ずこの三明が得られるとされるのであり、
釈尊も菩提樹下で三明を得ることによって、さとりを得て仏陀となったとせられている。』
(『原始仏教』 208頁、水野弘元著、平楽寺書店)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.「精神統一」 → 「智慧」→ 「阿羅漢果のさとり」 という順です。

2.「三明」→「さとり」 という順です。

281 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:14:44 ID:yKGjiSFp
『以上のように見て来ると、何れの項目の修行法も、それだけでよい筈であるが、
更にいくつかの項目を段階的に修行させる場合もある。
最初の仏弟子となった五比丘は、初転法輪の説法によって、
四諦八正道の教えを聞いて初歩のさとりを得たが、
その後彼等は五蘊の無常・苦・無我の説法を聞き、五蘊を観察思惟することによって、
阿羅漢果のさとりを得たとせられている。
また一つの型となっている修行道の一つに、
先ず出息入息を整える安般念から出発して精神を統一させ、
次に四念処の観法に進み、それが十分に得られると、更に七覚支の修行に入り、
七覚支が習熟し終わってはじめて明(vijja)の智慧と解脱(vimutti)とが得られて、
さとりに至るとするのがそれである。(14)

(14)この修行過程が述べられている経典としては、
例えば雑阿含巻二九(八一0経)、相応部五四、一三などがある。
(『原始仏教』 203頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「四諦八正道」→「初歩のさとり」→「五蘊の観察思惟」→「阿羅漢果のさとり」 という順です。


「安般念」→「四念処」→「七覚支」→「明の智慧と解脱」→「さとり」 という順です。

282 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:16:46 ID:yKGjiSFp
次はヘルマン・ベックというヨーロッパを代表する仏教学者(故人)による
解脱についての解説です。
これがまたおもしろい。


『したがって、修行者が絶えず努力して達成しようとする目標は解脱であり、
それは感性的な欲求の滅却〔愛尽〕にほかならない。
その滅却は逆観の縁起説によれば、
"欲求を完全に離れて迷妄を滅却すること"〔無明愛絶滅〕によって達成される。
そして、この滅却は補足されている言葉を見てもわかるように、
仏教によれば、単なる表象や想像や哲学的論証によって可能になるのではなくして、
そのためには脱俗的な瞑想の道を実際に歩まなければならない。
その道は、まず "正しい行為"〔正行〕によって倫理的に清らかになることから始めて、
超感性的能力〔神通〕と高度の認識〔知慧〕とを通過し、
場合によっては何度も生まれかわってから始めて達成されることもある。』
(仏教 (下)131頁、べック著、岩波書店)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
解脱を達成するには、超感性的能力〔神通〕と
高度の認識〔知慧〕とを通過する必要があるというわけです。

283 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:21:35 ID:yKGjiSFp
【落武者実態レポート】
★印象操作が大好き!!
(十二縁起説が定説であるかのように見せかけた)

>>113 :神も仏も名無しさん
>さらに、これらの説の中で普通最も言われているのは十二縁起です。
>「普通よく引かれるのは、律蔵の記述に従って釈尊が十二因縁の理を
>さとったということである。」((『ゴータマ・ブッダ T』中村元、392頁)

と、ここまで書いて次を書かなかった。

『またチベット『律蔵』および漢訳『有部律破僧事』によると、
釈尊はすでにさとりを開いたあとで、
しばらくたってから十二因縁を観じたのであり、
縁起説とさとりのあいだに本質的な連関は存在しない。』
(398頁)
『さらに原始仏典の古い層では、はるかに簡単な縁起説が説かれている。
したがって律蔵などに説かれている十二支縁起説は、
原始仏教のうちでもかなりおそい時期になって、
釈尊のさとりを説く場所に挿入されたにちがいない。
ともかく散文部分の十二因縁の説は、
さとりのときに釈尊の説いたものではないということがはっきりと断定できる。』
(400、401頁)

284 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:26:29 ID:yKGjiSFp
>>199 :神も仏も名無しさん
>あなたの前スレの594は何のために書いたのだ?
>私の何を批判したのだ?
>あなたは二つも勝手な思い込みをしていた。
>思い込み1.七氏は縁起説を定説だと主張している。
>思い込み2.中村博士は縁起説など定説ではないと否定した。
>どちらもあなたの読み違いと思い込みで、何の根拠もない。

あなたは>>113を書く前に博士の著作(398、400、401頁)を読んで、
十二因縁はさとりの時に説かれたものではないことを既に知っていた。
既に知っていながら
>「普通よく引かれるのは、律蔵の記述に従って釈尊が十二因縁の理を
>さとったということである。」
とだけ書いて十二因縁にとって不利な記述を書かなかった。
これは明らかに読者に対して十二因縁を有利に見せようという意図が感じられる。
>>24の「定説だといわんばかりの表現」とはそれを指しています。
もう一点。
私もあなたと同じく400頁を読んでいたので
原始仏典には十二因縁より簡単な縁起説が説かれていることを知っていた。
私が前スレ594で十二縁起説を縁起説と書いたのは
縁起と十二縁起を誤解していたせいだとして批判材料にしたければそれもよし。
それで気が済むならそうしてください。

285 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:34:22 ID:yKGjiSFp
>>200 :神も仏も名無しさん
>赤松論文の内容を歪めて引用したのはあなた自身です。
そうやって話を振ってくれるから何度もこれを取り上げられる。
あなたには感謝する。


【落武者実態レポート】
★印象操作が大好き!!
(そのためには創作までする)

七氏さんはこの論文を読んでいました。

赤松論文9頁目 (原文のまま)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「盂蘭盆を梵語のullambanaの音写であるとか、
イラン語のurvanのことであるとか、
という見解の相違を生じさせた原因はほかでもなく、
「盂」と「盆」との間に「蘭」という一字が存在するためであろう。
経題が元来、盂蘭盆経ではなく、盂盆経であったならば、
おそらくこうした混乱は起こり得なかったはずである」


読んでいながらこう書きました。


286 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:35:22 ID:yKGjiSFp
s111->508 :名無しさん@3周年
>学者たちは1400年の間、「月のウサギはモチをついてる」
>「いや、あれはニンジンを食べているのだ」と議論していたようなものです。
>509 :名無しさん@3周年
>まるで、建物の大きなドアが目の前にあり、入口と表示してあるのに、
>「裏側にあるのだ」「二階から入る特殊な構造ではないか」などと
>最近まで大学者たちが知恵と時間を使い議論していたようなものです。
s115->185 :名無しさん@3周年
>盂蘭盆は器のことであり、倒懸や霊魂では経典の本文の意味が通じなくなるのです。
>経典を読んでみれば、素人でもわかることを、学者たちはああでもないこうでもないと議論してきた。
>なにせそういう説を出すのが彼らの仕事ですから、仕方ありません。
>つまり、盂蘭盆を倒懸だとか、霊魂だという人は盂蘭盆経を丁寧に読んでさえいないのです。

287 :樹意:2008/12/13(土) 18:23:22 ID:EOk9v6sv
「−−− バラモンよ、慧は戒によって浄められ、戒は慧によって浄められます。
戒があるところには慧があり、慧があるところには戒があります。
戒がある者には慧があり、慧がある者には戒があります。また、戒と慧は、
世の最上のものと言われます。−−−−−略ーーー」

「それでは、バラモンよ、その戒とは何でしょうか。その慧とは何でしょうか」
ーーーー
 片山一良氏訳 ソーナンダ経 〈ディーガニカーヤ〉 
後は沙門果経と同じ。 
>>14-15
>>15
> 大戒
>    肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢の占い、身体的特徴の占い、ネズミの齧りあとの占い、
>    火の献供、柄杓の献供、籾殻の献供、糠の献供、米の献供、バター油の献供、油の献供、口の献供
>    血の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術、土の呪術、蛇の呪術、
>    毒の呪術、サソリの呪術、ネズミの呪術、鶏の呪術、寿命判断、矢の護呪、獣の輪、ーー
>    このような無益な呪術による邪な暮らしから離れる。


288 :樹意:2008/12/13(土) 18:43:25 ID:EOk9v6sv
片山一良氏 沙門果経解説より

ーー後半では、仏教の沙門の、現世における果報として、聖なる戒蘊・感管の防護。
念と正智。満足、或いは四禅、また、内観の智・意からなる智・神通の智・天耳の智・
他心を知る智・過去の生存を想起する智・天眼の智・煩悩滅の智という八明が示され、
最後に最上の解脱の智に触れられる。第一義的には、「沙門」という道〈=八正道〉による。
阿羅漢を最上とする「果」〈=四果〉の完成を説くところに、その主旨がある。
「梵網経」が「仏」をめぐって仏教の基本的な立場を表明するものに対し、本経は比丘
といういわば「仏弟子」をめぐってそれを闡明する。
経蔵中、これがまた、教義的にも、実践的にも、最重要の位置を占める一経であることは言う
までもない。第二経以下、第十三強までの戒蘊篇はすべて、本経に深く関わる内容を
持っている。

沙門果経で説く 慧 明 智 これらは 戒蘊篇にあるものだという認識を持ってもらいたい。
戒のキチンとした議論なく ただ 明や神通力 の議論をしたのではまったく仏教としての
意味がないこととなる。

ゲイカの擁護やアゴンの話にはどう考えてもならない議論であり、七氏さんと遊んでもらいたいなら
少しは他の方への配慮を考えるべきだし、単に仏教の知識遊びがしたいなら
スレ違いということになろうかと思う。

といっても無駄だろうが。 ww


289 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 18:49:01 ID:BjNrG6dO
>>283 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:21:35 ID:yKGjiSFp
>【落武者実態レポート】
>★印象操作が大好き!!
>(十二縁起説が定説であるかのように見せかけた)

中村博士は、釈尊は十二縁起説をそのまま説いたのではない、と述べているだけです。
それは中村博士の説にすぎない。
あなたは私が十二縁起ではなく、縁起と書くべきだったと言いたいらしいが、
なんで私が中村説だけを採用しなければならないのですか。
私は学者ではないから、釈尊が縁起を唱えたか、十二縁起を
唱えたかなんて議論には興味がない。
普通の学者たちが十二縁起を引用し、桐山さんもこれを引用したから、
私もそれを引用しただけです。
最初から、こんなことは議論の対象ですらない。
あなたがしたことは、この両者についての議論などではな。
中村博士の文章を読み間違えて、縁起説を否定したと思いこんだ。
中村博士は十二縁起を否定しただけで、縁起を否定したのではない。
だが、私が十二縁起を定説として唱えていると決めつけているあなたは、
私をこれでやっつけてやれるとばかりに意気揚々として出した。
実は、あなたが十二縁起と縁起との区別が付かないという恒例の
オマヌケ、大ドジ、自爆だった。
あなたは私がレスを付けなくなるまで、執念深くレポートと称して、
>>285-286のように書き続けるでしょう。
もちろん、あなたの勝利ですよ。
シツケが悪くて無駄吠えする犬に勝てるなんて私は思っていない。

290 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 18:52:43 ID:c5acjESM

桐山氏は、完全仏教です。すべての意味が含まれます。

291 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:01:18 ID:BjNrG6dO
>>276 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 15:41:41 ID:yKGjiSFp
>さてお待たせしました。

樹意さんも書いているように、ここは仏教スレではない。
また、仮にそうだとしても、現実世界でもそうであるように、
誰もペテン大作さんなどお待ちなどしていません。
あなたが276以降で引用して説明している内容は、
四神足と三明との違いを理解していないから、バカげたことを堂々と書けるのです。
あなたの無知を治療するのがこのスレの主旨ではない。
学者があげている釈尊の解脱の内容の中に、なぜ四神足が出てこないのか、
あなたは不思議に思わないか。
中村博士は、あなたの引用した本では四神足だと書いているのに、
その中村博士すらも、別な本で解脱の内容の紹介・解説するときは四神足だとは書いていない。
だが、これは何の矛盾もない。
あなたが四神足と三明の違いを理解していないから、
自説の裏付けになると錯覚しているだけです。

292 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:03:19 ID:BjNrG6dO
>>278 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:03:20 ID:yKGjiSFp
>しかし、これをもって三明とは解脱後に獲得するものだと博士が断言しているわけではありません。
>たまたまこの記述ではそうなっているだけかも知れない。

どうしてこういうデタラメを堂々と書くのだ?
中村博士がはっきりと断言している。

「これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。 」(『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ)

悟った後に透視したと書き、次に透視したからさとったのではないと書いている。
これほど明瞭に書いているのをどうしてあなたは勝手に否定するのだ。
四神足や三明についての自分の理解力の低さを棚に上げ、
他人の文章に勝手な解釈を加えないことです。
中村博士の上記の文章も、あなたが引用した中村博士の四神足での解脱の
話も、何の矛盾もありません。
と言われても、何のことかわからないでしょう?
矛盾しているように見えるのはあなたが理解していないからです。

293 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:06:33 ID:BjNrG6dO
>>278 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:03:20 ID:yKGjiSFp
>「けっきょく四神足に関する考察によって解脱を得たというのである。」

「考察」という字が見えませんか。
中村博士は「解脱の内容」を考察する部分を含めて解脱と言っているのです。
前に書いたように学者たちは、「解脱」と「解脱の内容」とを明瞭に区別などしない。
なぜなら、神通力でカルマを切ったなんてオカルトを言っているのは
桐山さんと信者たちだけで、釈尊の解脱とは煩悩を断ちきったことで
あることは大前提だからです。
エベレストの登頂のたとえで言えば、エベレストに登頂するのは、
どの段階が登頂なのかなんて誰も議論しないのです。
登頂してから周囲を見渡し、確認した内容を含めた一連を登頂、
つまり解脱としているのです。
だから、樹意さんが、私が解脱と解脱の確認を厳密に区分けするのを見て、
必ずしも賛成しないと書いていた。
実は私は樹意さんに賛成です。
あなたみたいに「解脱の過程」と書いたとたん、それは解脱そのものを含めない、
などと屁理屈を言う人がいなければ、私もそんな厳密な区分けなどしたくない。
登頂した瞬間だけが登頂で、その後は登頂の確認だなんて、区別するのは本当は意味がない。
同様に、解脱と解脱の内容は本来区分けして考えるべきではない。
だが、桐山さんのような神通力でカルマ解脱をするなんて嘘を並べる教祖と
ペテン大作さんみたいな三明と四神足の違いもわからないのに、
屁理屈だけ並べる人を相手にするには、厳密に区別しないと議論にならない。
ペテン大作さんなどどうでもいいが、私は信者さんたちに
仏教の解脱とは、神通力でカルマを断ちきることではない、ということを
理解してもらいたいだけです。
だから、あえて両者を区別して使っている。
学者たちはそんな区別はしないだけです。
私が引用した中村博士の文章はその中では例外的です。

294 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:11:07 ID:BjNrG6dO
>>280 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:08:39 ID:yKGjiSFp
>1.「精神統一」 → 「智慧」→ 「阿羅漢果のさとり」 という順です。
>2.「三明」→「さとり」 という順です。

これも同様です。
学者たちは「解脱」と「解脱の内容」との区別などつけていない。
普通は解脱の前後を含めて、解脱というのです。
「三明」→「さとり」などではなく、三明も含めて普通は解脱というのです。
だが、今議論しているのは、どの段階で煩悩を断ちきったのかという
厳密な区切りです。
エベレストの山頂に足を置いた瞬間はいつなのかという問題です。
普通の登頂は、登頂した瞬間などと厳密には定義しない。
周囲を見渡し位置確認して、間違いないことを確信し、
旗を立て、記念撮影をしたことも含めて、「登頂に成功した」と報告する。
水野博士も同様に、解脱を確認したことも含めて解脱と述べている。
水野博士はあなたと違い、神通力でカルマを切って解脱したなんて
前提で物を書いているのではありません。
釈尊の解脱の描写を見れば、その前にすでに煩悩を断ちきっている。
これを前提として、その後の三明で解脱を確認することを含めて解脱と描写しているのです。
繰り返すが、本来の仏教の解脱とは、解脱の過程、
つまり解脱する前の悪魔との戦い、そして解脱、
解脱した後の確認の一連の流れを含めて、解脱というのです。
だが、今の議論はそうではない。
どの段階で煩悩を断ちきったのか、桐山説だったら、
どの段階でカルマを神通力で断ち切ったのかが議論の焦点です。

295 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:15:18 ID:BjNrG6dO
>>278 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:03:20 ID:yKGjiSFp
『四神足―それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 234、249頁 中村元訳、岩波文庫)

これがどうかしましたか。
あなたの頭では四神足と出てくると、何でも私への反論になると
思いこんでいるようだが、中村博士はあたりまえのことを書いているだけです。
三十七道品は釈尊の説いた修行法であり、四神足はその一つです。
そして、四神足は八正道の中に含まれる。
だから、あなたが引用した上記の経典の中でも、
釈尊は八支の道以外に道はないとスバッダに説いている(150頁)。
もし四神足と八正道が違うなら、この矛盾をあなたはどう説明する?
釈尊は八正道だといい、中村博士は四神足だという。
四神足は八正道の中に入っているから、矛盾しないのです。
釈尊がここで四神足を説いた理由は何だと思いますか。
如来は神通力を獲得しているから、いくらでも長生きできると言うためのものです。
解脱の話をしたくて、四神足を出したのではありません。
中村博士は一般読者にわかりやすいように四神足を説明しただけです。

296 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:18:07 ID:c5acjESM
釈尊は

弟子に

神通をみせなさいといって

神通を起こさせています。


初期経典


297 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:18:20 ID:BjNrG6dO
>>279 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:06:14 ID:yKGjiSFp
>『けれども、別に一定していなくても、それでかまわないのだろうと思います。

相変わらず、絶句したくなるような国語力ですね。
この中村博士の文章のどこが「解脱→三明」の否定になるのだ?
中村博士が言いたいのは、解脱の内容を説明した経典には
「これだけ」というものはないと言っているのです。
菅沼先生もそれを書いていたように、解脱の内容は
たった一つだけ、というものはなく、複数なのです。
十二縁起も四禅三明もその一つです。
複数だから、経典を比較すると一定していないかのように見える、
と中村博士は書いているのです。
これは前から他の学者も言っていることをただ繰り返しただけです。
桐山さんは釈尊が四禅三明で解脱したと学者たちが最も主張していると書いた。
だが、中村博士の上記の説明は、この桐山説を否定している。
わざわざ桐山説を否定するために引用してくれて、ありがとう・・
・・私に投げたつもりの石が桐山さんに当たっただけですよね。

298 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:20:21 ID:BjNrG6dO
>>281 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:14:44 ID:yKGjiSFp
>「安般念」→「四念処」→「七覚支」→「明の智慧と解脱」→「さとり」 という順です。

あなたはこれを引用しながら、おかしいとどうして思わないのだ?
このどこに「神通力→解脱」があるのだ?
学者の説明と桐山さんの主張は真っ向から対立していることに気が付かないか。
桐山さんは、四神足の神通力でカルマを切って解脱すると説いた。
どこに四神足があるのだ?
桐山さんに言わせると、四念処や七覚支はオシエにすぎず、
これでは神通力が生じないからカルマは切れない。
桐山さんが説いたのは、呼吸法によってチャクラを動かし、
その後どうつながるのか知らないが、四神足で神通力を得て、
カルマを切って解脱するのだという。
だが、あなたが引用した学者の説明のどこに、神通力で解脱するとあるのだ?
あなたの読解力では、勝手に、「明の智慧と解脱」→「さとり」などと書いているが、
水野博士の説明はそうではなく、四念処と七覚支の修行によって解脱すると言っているのです。
この二つの修行法で解脱して、解脱を得たと確認すると言っているのです。
神通力で解脱するなんて書いてありません。

299 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:21:10 ID:c5acjESM
仏教は山登りで譬えられません。

釈尊がきりひらいた道ではありません。

釈尊の教えをでっちあげています。

ID:BjNrG6dO

300 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:22:33 ID:BjNrG6dO
>>282 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:16:46 ID:yKGjiSFp
>解脱を達成するには、超感性的能力〔神通〕と
>高度の認識〔知慧〕とを通過する必要があるというわけです。

どういう国語力をしているのだ。
これもあなたが引用した中村博士や水野博士の説明と同じことを述べているに
すぎないし、批判側がこれまで述べたままです。
釈尊など一部のアラハンたちが三明六通という神通力を持っていたことは
事実であり、ベックもそれを述べているにすぎない。
だが、三明六通を持たなければ解脱できない、アラハンでないと言ったら、
毎度出すスシーマ経をどうあなたは解釈するのだ?
私はあなたと違い、持論を唱えているのではなく、阿含経に残されている釈尊の
言葉や描写をできるだけ矛盾なく説明するにはどうしたら良いかと考えているのです。
ベックの説明も典型的なアラハンのたどった道には間違いない。
事実、そういうアラハンたちがいたのだ。
だが、これが全てであるなんて言ったら、スシーマ経など矛盾してくる。
二大弟子と呼ばれたサーリプッタが神通力の一つを持たなかったばかりか、
神通力を目的として修行したことはない、とはっきりと断定しているのを
あなたはどう解釈するのだ?
ベックは嘘を書いているのか。
違います。
ベックはただ典型的なアラハンの模範コースを示したにすぎない。

301 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:24:33 ID:BjNrG6dO
>>282 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:16:46 ID:yKGjiSFp
>解脱を達成するには、超感性的能力〔神通〕と
>高度の認識〔知慧〕とを通過する必要があるというわけです。

解脱するのに、通過とはどういう意味ですか。
桐山さんやあなたは神通力で解脱するのだから、
神通力を通過するなんておかしい。
神通力を獲得して解脱すると表記するべきなのに、通過です。
理由は簡単で、神通力は「解脱の確認」だからです。
確認だから、通過なのです。
八正道で解脱して、三明で解脱したことを確認して、
解脱したと自覚する知恵が生まれる。
ベックの説明は従来の学者たちの説明から外れておらず、
桐山さんやあなたのような「カルマの神通力解脱」なんて成り立ちません。

302 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:24:38 ID:c5acjESM
桐山氏の完全仏教は、「愛」が土台となって以下をすべてを含んでいるのです。

・人間社会

・王族の釈尊供養

・バラモンの釈尊供養

・長者の釈尊供養

・出家沈黙派

・出家活動派


縦ばかりでなく
横の自己前世に対する自覚のない活動は、汚れていきます。
信は、全か無かというものなのです。


303 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:27:55 ID:c5acjESM
初期経典

神通で識をこえる。


香陰 意生身 識をこえる

304 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:28:40 ID:c5acjESM
釈尊の教えをでっちあげています。

ID:BjNrG6dO

305 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:29:39 ID:BjNrG6dO
>>282 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:16:46 ID:yKGjiSFp
「それは感性的な欲求の滅却〔愛尽〕にほかならない。」
「その道は、まず "正しい行為"〔正行〕によって倫理的に清らかになることから始めて、」

ペテン大作さんは神通力の話ばかり着目して、どうして上記の文章を見ようとしないのだ?
信者さんたちもよく見てほしい。
ベックの示す解脱の定義とは「愛尽」だというのです。
ご存じのように、これはタンハー(愛)という煩悩を滅却(尽)すること、
つまり漏尽解脱(煩悩解脱)です。
カルマ(悪因縁)を断ち切るなんてどこにもない。
しかも、その方法とは「正行」、つまり八正道だというのです。
これによって、神通力と解脱の知恵(解脱したという自覚)を獲得するという。
八正道で漏尽解脱することで、人によっては三明を獲得し、
自分が解脱したという知見が得られるという、普通の説明です。
桐山さんのように、神通力でカルマを切るなんてどこにもない。
学者の本を読めば読むほど、桐山さんの神通力によるカルマ解脱なんて
真っ赤な嘘だとわかる。
だが、ペテン大作さんの本の読み方を見ていておもしろいのは、
むしろ、逆の解釈をして、確信していることです。
これは桐山さんもあなたと同じ国語力のレベルだということです。
同じレベルだから、何をどう読んでも、カルマ解脱にしか読めない。

306 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:30:58 ID:c5acjESM
初期経典

神通を以て

智恵の眼を生じる

輪廻転生の仕組みに組み込まれている状態像から

ある存在する領域、さとりの領域にはいる。

輪廻の終焉。

それを神通を以て伝える



307 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:31:50 ID:c5acjESM
釈尊の教えをでっちあげています。

ID:BjNrG6dO


308 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:33:09 ID:DXzZlKk7
輪廻の終焉。
ってあるんですか?


309 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:36:43 ID:c5acjESM
比丘たち、物質的存在の領域より物質的存在のない領域はすぐれ、
それより消滅、すなわちさとりの領域はすぐれている
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
物質的存在の領域に達した者と、物質的存在のない領域にとどまる者とは、
さとりの領域を知らず、再び迷いの生存に行く。
物質的存在の領域を知り尽くして、物質的存在のない領域によくとどまり、
さとりの領域で完全に精神的自由を得た人々は、死を捨てた者である。
煩悩がなくなり、正しく目ざめたほとけは、身をもって不死の領域に触れ、
執着のもととなるこの心身を離れ、執着のよりどころを離れたことを明らかにし、
愁いのない、けがれを離れた道を説く

310 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:37:04 ID:FDl58ROp
>>282 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:16:46 ID:yKGjiSFp

ペテン大作さんは相変わらず私の質問を無視しているから、何度でも繰り返しましょう。
三明でどうやってカルマ解脱するのだ?
自分と他人の前世を透視しただけで、どうやってカルマを断ちきるのだ?
三明のうちの漏尽通とは解脱したことを確認する(解脱知見)だから、
この段階ではすでに解脱している。
ということは、三明で解脱するなら、宿命通と天眼通で解脱することになる。
自分と他人の前世を透視することとカルマを切ることとどう脈絡するのだ?
ペテン大作さんはいいから、他の信者さんたちにも真剣に考えてほしい。
桐山さんは四禅三明の神通力によって釈尊は解脱したのだと言っている。
だが、神通力の中身である宿命通と天眼通はどう見てもカルマを切ることではない。
ではどうやって神通力で解脱したのですか?
呼吸法やチャクラの話はいいから、仮に三明を獲得したとして、
どうやって前世からの報いであるカルマ(悪因縁)を断ちきるのだ?
説明がつきませんよね。
こうやってちょっと考えてみれば、桐山さんの言っていることは、
矛盾どころか、支離滅裂であることに気が付きませんか。

311 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:38:29 ID:c5acjESM
存在する
さとりの領域が大前提となっているのです。

312 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:44:48 ID:DXzZlKk7
>>311
輪廻に終演があるとすると
はじめがあり、終わりがあるということでしょうか?


313 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 19:46:27 ID:c5acjESM
存在するさとりの領域は、神通を以て識をこえていくさきなのです。
法を実践するものは仏陀によって担保されているのです。
施には出世間の施と世間の施があります。
仏陀に担保された施は法を実践することになります。
先祖供養は出家においては内的な施といえます。
先祖供養は在家においては外的な施といえます。
繁栄のためにしきたりをつづけるということにふくまれています。
それ災害等を避けうる不滅の道とうけとることが今日までの仏教の展開にふくまれています


314 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:51:10 ID:DXzZlKk7
すみません。初心者な者ですから。
形而上過ぎてよくわかりません。
失礼しました。

315 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 20:11:16 ID:391GBkBW
>七氏
うそをつくな

316 :7市:2008/12/13(土) 20:19:28 ID:DXzZlKk7
嘘ついていませんよ。
おら 仏教 あまり知らん。


317 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 20:28:10 ID:DXzZlKk7
普通の人にも わかるように 輪廻が終わることを
説明しないと 仏教は
ある特定名人しかわからないものとなってしまいます。

318 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:03:30 ID:hc6ltrfy
(色究竟天を越える・識を越える)のが、釈尊の出世因果(悟り)の教えです。(神通を以て)
→は、神通を以てつたえる。ダンマが顕わになる。
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー縁生」ー「苦諦」−「世間因果」
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー縁生」ー「集諦」−「世間因果」
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー寂滅」ー「滅諦」−「出世因果」
「法」→「因縁」ー「聖道法」ー「縁起ー寂滅」ー「道諦」ー「出世因果」


世間因果
苦は果
集は因
出世因果
道は果
滅は因
このプロセスをおこすのが、「神通を以てつたえる。ダンマが顕わになる。」ということなのです。
それがおきる根と力と仏機が合致して 渇きが消失するのです。
仏陀の遺志を継ぐ者、
真理の法を継ぐ者には、四の弟子がある。
それでは、この四の弟子は、如何なるものか。

第一には、男性の出家の修行者、比丘である。
第二には、女性の出家の修行者、比丘尼である。
第三には、男性の在家の修行者、優婆塞である。
第四には、女性の在家の修行者、優婆夷である。
以上の者が、神通を以って、
弟子を育てない限り、法の系は絶える。
それは、弟子にとってりの苦しみである。

319 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:11:02 ID:hc6ltrfy
このように四神足が修練され豊かにされたときに、
種種なる過去の生涯を想いおこした。
すなわち、1つの生涯、2つの生涯、3つの生涯、4つの生涯、5つの生涯、
10の生涯、20の生涯、30の生涯、40の生涯、50の生涯、
百の生涯、千の生涯、千百の生涯を、
また、幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、幾多の宇宙成立破壊期を。

「われはそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、
これこれのカーストであり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受し、
これこれの死に方をした。そこで死んでから、かしこに生まれた。」と、
このようにかたちや名称とともに種種なる過去の生涯を想いおこしたのである

ダンマが顕わになるとき

言語は、その力を失う


320 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:15:37 ID:hc6ltrfy
世尊は、問わずして彼の困惑を知り
神通を以って残る二つを知らしめた。
信が生まれ喜び彼は帰ることができた。

母と子を仏陀の神通により救われた父のもてなしの供養をお受けくださいと。
仏陀と比丘たちは、先にこの供養をうけた。

蓮華色比丘尼は神通を以って一緒にいた比丘尼を守った。

目蓮尊者は神通を以て鉄柵を生じ守らんと

賓頭盧尊者によって病が癒され聖なる戒を守り生天した。

仏陀のした数数の預言は、
ビルマ・タイ・スリランカ僧たちから
神通占いといってもよいとされています。

321 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 22:23:44 ID:egmRmqU6
間違っていますwww

>>320
仏陀は占いはどのようなものであれ否定し排除されています。
もっとパーリ語聖典を真面目にお勉強なさいな・・・www
詐欺師に洗脳されたアタマでは理解できないかな〜ぁwww

322 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:27:58 ID:hc6ltrfy
〇修行者よ、生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざる
もの、構成力から生じたのではないものは存在する。もし、このよう
な生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざるものが存在しなかった
とすれば、生まれたもの、形成されたもの、造りだされたもの、構成力から生
じたものから脱出することは、けっして考えられなかったことであろう

〇修行者よ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。汝らに告げ
るが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、留まることもなく、死去
することもなく、転生することもなく、よりどころもなく、発展もなく、支え
もない。それが苦悩の終わりである


323 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:30:24 ID:hc6ltrfy
仏陀のした数数の預言は、ビルマ・タイ・スリランカ僧たちから
神通占いといってもよいとされています。

予言は、神通なのです。


324 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:34:11 ID:hc6ltrfy
たしかに次のことを世尊は説かれた、
尊ぶべきお方が説かれた、と私は聞いている。
「比丘たち、これら三つの眼がある。三つとは何か。
肉眼、超人的な眼、智慧の眼である。
比丘たち、これらは、まことに、三つの眼である」
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
肉眼、超人的な眼、最高の智慧の眼、これらは三つの眼を、
すぐれた人は説かれた。肉眼はやがて超人的な眼の生ずる道であり、
☆“その眼によって智慧が生じた。”
智慧の眼は最高である。その眼を得ることによって、
すべての苦しみから自由になる。このことをもまた世尊は説かれた


325 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 22:34:42 ID:egmRmqU6
間違ってますwww


>>323
やはり詐欺師に洗脳されたオツムでは理解できないのですねwww
まぁ、仏陀の教えを仏教詐欺師の洗脳信者に理解せよと言うのが無理だったかwww

326 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:38:59 ID:hc6ltrfy
肉眼、超人的な眼、智慧の眼の三つの眼で自ら予め見たことを言う。

肉体の眼だけで占うのではありません。

仏陀のした数数の預言は、ビルマ・タイ・スリランカ僧たちから
神通占いといってもよいとされています。

予言は、神通なのです。

比丘たち、物質的存在の領域より物質的存在のない領域はすぐれ、
それより消滅、すなわちさとりの領域はすぐれている
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
物質的存在の領域に達した者と、物質的存在のない領域にとどまる者とは、
さとりの領域を知らず、再び迷いの生存に行く。
物質的存在の領域を知り尽くして、物質的存在のない領域によくとどまり、
さとりの領域で完全に精神的自由を得た人々は、死を捨てた者である。


327 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 22:42:42 ID:egmRmqU6
間違っていますwww


>>326
やはり理解できないのか、愚かな・・・www

328 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:42:59 ID:hc6ltrfy
釈尊

落ち穂を拾って修行している人でも、
妻を養っている人でも、

乏しき中からわかち与える人は、
法を実践することになるであろう


329 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:45:47 ID:hc6ltrfy
ビルマ・タイ・スリランカ僧たちは、
肉眼、超人的な眼、智慧の眼の三つの眼を
実際に理解している聖者達です。

肉眼、超人的な眼、智慧の眼の三つの眼で自ら予め見たことを言う。
肉体の眼だけで占うのではありません。
「仏陀のした数数の預言」は、
ビルマ・タイ・スリランカ僧たちから
神通占いといってもよいとされています。




330 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/13(土) 22:48:09 ID:hc6ltrfy
ビルマ・タイ・スリランカ僧たちは、
肉眼、超人的な眼、智慧の眼の三つの眼を
実際に理解している聖者達です。

聖者を非難し、誤った見解をもち、
誤った見解にもとづく行為を蓄積している人々が、
肉体が滅んだ死後、不幸な境涯、悪い所、苦しみの境涯、
地獄に生まれるのを、私(釈尊)は見たのである。
さらにまた、比丘たち、
自分で知ったこと、自分で見たこと、自分で理解したことを
私(釈尊)は説くのである


331 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 23:04:13 ID:t+MAC6l3
阿含宗のホームページより抜粋
>知能を高めるシステムを持つ「智慧の宗教」でなければ、
>破局へとつき進むこの地球を救うことはできないと、桐山管長は言うのです。

>>194 :流しの名無し:2008/12/10(水) 19:03:06 ID:K8LlNQZC
>桐山師を長年見ていますが、たった一人で切り回していますから、丁寧な
>(個人指導)と(世間に布教する)が、中々上手く回っていかないのですな。

阿含宗の会員は、なぜ桐山管長が、長年たった一人で切り回さなければならない
のか考えたことはないのでしょうか?
知恵はないのですか?



332 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 23:46:55 ID:4XX72WeY
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[381]干柿しわ雄 08/12/13 22:18 /g8XGhb9Vf
>煩悩解脱がというのはどんなのを言うのかしらんが、
>ただ単に煩悩だけがなくなったからといって輪廻から脱することなど
>できるわけないだろw
>あほくさ

いいですなあ、さっすがは干柿さん。
どうせアゴン宗なんて「外道凡夫の数」なんだから、
この際、干柿さんのように開き直って、「何が煩悩解脱だ。あほくさ!」と
釈尊を罵ってもらえれば、わかりやすい。
干柿さんのこういういさぎよい所はなかなかたのもしいですよ。
桐山さんにしても、あるいは他の信者にしても、
因縁キリや超能力獲得が目的なら、仏教なんて名乗らなければいいのです。
阿含経がどうのこうのと余計なことを言っているから矛盾を
突かれて、ペテン大作さんや一修行者さんみたいに
バカげた屁理屈をアアタラコウタラと並べて、挙げ句が笑い物です。
未練がましいですよね。
干柿さんのようにオシャカなんかパッと捨てて、外道として開き直るのが一番です。

333 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 23:53:13 ID:4XX72WeY
>[381]干柿しわ雄 08/12/13 22:18 /g8XGhb9Vf
>あほくさ

信者さんたちも干柿さんを見習ってほしい。
あなた方は釈尊なんて信じていないのだから、煩悩解脱なんて
「あほくさ」と捨てて、因縁切りや霊障解脱の外道の教えに専念することです。
こういう干柿さんのような人がいると、どうして釈尊が信仰を説いたかよくわかる。
八法の最初は信じることです。
私はあれを最初聞いた時、奇妙な感じがした。
合理的で現実主義的な釈尊が信仰という感情的なものを最初に出している。
その理由が干柿さんやアゴン宗の信者を見ればわかる。
あなた方はまったく釈尊の教法を信じようとしない。
漏尽解脱こそが解脱であり、輪廻から解き放たれる方法だと
釈尊が繰り返し説き、その阿含経を読誦しながら、内容を信じていない!
最初から仏教なんか見向きもしない人たちならまだしても、
口先は仏教信仰を名乗りながら、その釈尊が煩悩解脱を説くと、
これを完全無視するばかりか、禁止したことを積極的に行い、
一番肝心な煩悩解脱に向かって、教祖は小解脱、信者は「あほくさ」。
すごい光景だ。
あなた方は釈尊をまったく信じていないし、信じたいとも思っていないのだ!
だから、禁止された護摩や占いを平気でやっていられるのですね。

334 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 23:56:26 ID:4XX72WeY
>[381]干柿しわ雄 08/12/13 22:18 /g8XGhb9Vf
>あほくさ

釈尊が解脱した時、「法を説いても自分は疲労をもって報いられるだけだ」
と法を説くのをためらったのも干柿さんや信者さんたちを見ればよくわかる。
いくら説明しても、目の前に釈尊の教法そのものを示されても、
釈尊の言葉をわかりやすい現代語で繰り返し並べられても、絶対に信じようとしないのだ。
「あほくさ」
首をふりながら去ったウパカと似ている。
もっとも彼は後に帰依してちゃんと解脱している。
干柿さんの「あほくさ」を信者さんたちは他人事だと思わない方がいい。
あなた方も言葉にこそ出さないが、釈尊に向かって「あほくさ」と言っているのです。
因縁解脱こそが大解脱であり、煩悩解脱を小解脱だと罵っている。
つまり、釈尊の解脱は「あほくさ解脱」だと信者全員がいっているのです。

335 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 00:01:24 ID:MxBrCI+/
>[381]干柿しわ雄 08/12/13 22:18 /g8XGhb9Vf
>あほくさ

宗教の最初はやはり信じるか、信じないかなのでしょう。
たしかに、煩悩を断ちきったからといって輪廻が止まるなんて
証拠はどこにもありません。
なにせ、解脱した人たちは戻ってこないのだから、証言のしようがない。
釈尊の言葉を信じるかどうかだけです。
釈尊の神通力を信じるかどうかだけです。
彼の三明の神通力によれば、自分と人々の過去世が煩悩によって輪廻転生し、
苦しむ様子を如実に見て、苦の元となっているのが煩悩であることを確認し、
しかも、その煩悩を完全に断ち切ったことによって、
もはや自分が解脱して、輪廻することはないと確認したそうです。
だが、これもまた釈尊と弟子たちがそのように言っているだけで、
我々には確認のしようもない。
この釈尊の言葉を信じるかどうかにかかっている。
それにしては、信者さんたちは釈尊の神通力だけは信じるのですね。
神通力で確認した内容は信じないが、神通力だけは信じたい。
それも、三明のような神通力ではなく、カルマを切る神通力を
持っていたと信じたい。
よくまあ、そうやって釈尊を小突き回しますね。
釈尊の説いた解脱を教祖は小解脱と罵り、信者は「あほくさ」と小馬鹿にする。
アゴン宗は釈尊への信仰がないのだ。
信者さんたちは干柿さんに教えてもらった現実をよく自覚して、
・自分は釈尊への信仰はない、
・自分は外道凡夫の数である、
と自覚したほうがいいですよ。

336 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 00:19:27 ID:OQS/gyBJ
釈尊

落ち穂を拾って修行している人でも、
妻を養っている人でも、
乏しき中からわかち与える人は、
法を実践することになるであろう

初期経典で釈尊は、功徳を願えと説いています。
長者は功徳を積んでいて長者となった。
功徳を積めるようになるようにと説いています。
在家の施と出家の施は、相互に依存し成立していると説いています。

仏陀の遺志を継ぐ者、
真理の法を継ぐ者には、四の弟子がある。
それでは、この四の弟子は、如何なるものか。

第一には、男性の出家の修行者、比丘である。
第二には、女性の出家の修行者、比丘尼である。
第三には、男性の在家の修行者、優婆塞である。
第四には、女性の在家の修行者、優婆夷である。
以上の者が、神通を以って、
弟子を育てない限り、法の系は絶える。
それは、弟子にとってりの苦しみである。

337 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 00:22:24 ID:7itfL19c
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>阿含宗以外でも求道的なことは行っている。
>では、ユビさんはどうなのですか。
>過去の書き込みから判断して特に団体に所属してなにかやっているようでもない。

>自然体に生きることを宣告されているようで、それは人としては、宣言できることは尊敬に値しますが、求道心とは程遠い。
>私に本当の意味で求道心が足りないというのなら、ユビさんの求道心を説明してください。

私の求道心、ってか求道心のある人はいかに動くべきかということを自他の事例をあげて論じ、
一修行者さんが真に一求道者さん略して一求さんになる為にはいかにあるべきかを論じたい。
(好き好き好き好き好き好き♪アイシテル♪頓知が鮮やかだよ一求品♪)
私はアゴン宗の信者だからと言って求道者でないなんて言わない。
やめるとかやめないも関係ない。求道者の問題は別なんです。
その前に前提だけ押さえておきたい。
批判をする私が必ずしも求道者と呼ばれる何かをしている必要はないのです。
私は何も求めずのんべんだらり、享楽的に生きているごくつぶしでもよいのです。
いや、慢性欲情男でもパンティ泥棒でもかまわないのです。(そう書くとまた若干一名が喜ぶな)
そんな求道者に程遠い私が言うから批判は当たらなということにはならないのです。
説得力に欠けるように見えるのは、本質がわかっておらず、痴漢の私が指摘してもその批判内容が
正しければ批判は通用するのです。
それでも地球は回ると説いた人がいるが、それでも桐山さんは嘘つきで、アゴン宗はインチキだ。
そんなネタを出しているだけで、実は私なんかどうでもよい。
このスタンスを大前提にしたいが、それだけではつれないので、もっと掘り下げる。

338 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 00:24:34 ID:OQS/gyBJ
外道の邪見の内容です。
間違い。

335 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 00:01:24 ID:MxBrCI+/


339 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 00:27:03 ID:OQS/gyBJ
堕落者の邪見の内容です。
間違い。

337 名前:ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 00:22:24 ID:7itfL19c

340 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 00:31:41 ID:OQS/gyBJ
堕落者の邪まさ。

「最後にもう一度会わないか?」
「なんで会う必要があるの?あたしそういうの男らしくないと思う」
(てめー・・・)
ようやく気持ちの整理がついてあきらめることにした。(←それしかないだろ?)
最後に電話した。
「それではお幸せに。もう電話しない」
電話を切ってまだやり足りないことを感じた。ダメもとで電話しよう。
「男子に二言あってすみません」
「・・・・・」
「ところで一つだけ聞いておきたいんだけど、前に三田で護摩木書いた時
アレ何て書いたの?」
「縁むすびって書いた」
「やったジャン。願いが叶ったジャン」(←おいおい?)
「ところでもう君とは会わない俺なんだが、今度結婚する君も本当の幸せを
つかむためにも阿含宗の入会を勧めたいのだがどうだい?」
「いいえ、私はお断りします。」
「そうか、わかった。それでは今度こそさようなら」
電話を切る。


341 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 00:37:29 ID:OQS/gyBJ
その女の人に
もう一度
土下座しながら
電話して
2ちゃんねるの
粘着ユビキタスは僕です。
って叫び
もう三日間泣くとか
職場で2ちゃんねるの
粘着ユビキタスは僕です。
とか
親に2ちゃんねるの
粘着ユビキタスは僕です。
とか
言ったとしても
皆、同じく
不気味と感じるだけでしょう。


342 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 00:51:01 ID:7itfL19c
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>では、ユビさんはどうなのですか。
>過去の書き込みから判断して特に団体に所属してなにかやっているようでもない。

その通りです。折に触れて何度も表明しているように何も宗教に関する活動、信仰、修行をしてません。
それをするのが狭義の求道者ならば私は求道者なんて呼ばれる代物ではない。
いいなあ、おまえは求道者でなく何も問われぬお気楽身分で、俺がそんな奴に求道者とはかくあるべき
と説教されるのかよっ!とあなたは不満でしょうが、これは仕方がない。
そちらがアゴン宗なんて選んで求道者面してるのだから、こちらは厳しく突っ込むだけだ。
但し私も求道者だったからアドバイスするのですがね。

>自然体に生きることを宣告されているようで、それは人としては、宣言できることは尊敬に値しますが、求道心とは程遠い。
>私に本当の意味で求道心が足りないというのなら、ユビさんの求道心を説明してください。

退会後の私の選んだ道、求めた道は普通の凡夫の道です。
私が生涯においてアゴン宗、桐山教と出逢わなかったらどうしていたろう?と考える。
当たり前に自己努力して自分の人生を構築していたはずです。
もちろんアゴン宗信者時代も自己努力で人生を構築していたのですが、退会したからにはもはや
因縁解脱なんて求めない、仏教が説く煩悩のあさましさは理解して、それに囚われる己の醜さだけは
念頭に入れて人生を送りたいが、さりとて「解脱」の為に特別な修行をする気はありません。
それは程度もんで減らせればよいなと考える。
その結果輪廻は止まらなくとも気にしないで、今現在を精一杯に生きたい。
つまり平凡な一般人として当たり前のことをするだけです。
だから尊敬なんかされなくても結構です。
求道心というのは決して特別な道に進むことではないと思う。
それは人生に対して常に迫られる真摯な選択だと考える。
その実例を自他挙げる。

343 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 01:12:21 ID:OQS/gyBJ
桐山氏はユビキタスを見抜いていました。」
ユビキタスは桐山氏に本来の我を見抜かれ認めぬと拒絶されていました。
仏塔破壊という最大悪業を犯し意味不明の開き直りをしている
悪意にみちた欲望がユビキタスの本性です。
引用

宝塔を割った私が、しかし本来の我を取り戻し、大学に入ってから再入行を志すも
管長に許可を願い出る手紙が必要だった。
事情を話すと相談に応じてくれた先達は、その場で手紙を書くことを勧め
とりもってくれた。
「多分許可は下りますよ」とのことだったが、しばらくして下りた管長の
回答が、認めぬ、それだけでした。

344 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 01:15:25 ID:OQS/gyBJ
簡単即答といいつつも
散々と引き延ばした揚句
馬鹿まるだしの大恥をかいてしまった
珍しいほど恥ずかしく頭悪い

ユビキタスの零点答案です。

1.鳩摩羅什も玄丞三蔵も中国人で多くのインドの仏典を中国の言葉に翻訳して
漢訳経典を作りました。その際に中国人ならではの思考とかも影響して、選ぶ漢字語句
などもインドと違う中国人に誤解されて本来の意味が歪められるものもあったかに思います。
そんな感じですからその訳も多岐の語句が使われる可能性を有していると思います。
一つの訳語に囚われないことですね。


345 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 01:23:10 ID:OQS/gyBJ

獄鬼は、仏塔破壊者を団地の焼却炉を使い永遠に攻めます。

346 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 01:34:17 ID:7itfL19c
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>私に本当の意味で求道心が足りないというのなら、ユビさんの求道心を説明してください。

アゴン宗の信者にも求道者はいます。
過去にいたし、今でもいる。
過去にいた例を一人あげると、それはラシンさんです。
彼はこの批判スレを読んで当初は不快なだけだったが、その鋭い指摘に悩み考えるようになった。
そして自分で阿含経なども勉強して自分の頭で考えた。
そして6年の歳月を経てついに退会を決意して実行した。
実はその6年間のラシンさんは求道者だったのです。
退会に至る結果につながったから求道者なのではない。
真剣に悩み考え、自分をごまかさずに正直だったのです。
この信解円通を求める態度が求道心そのものだったのです。
そしてその悩み苦しんで、自分の頭で考え検証を行い、自問を繰り返した。
これこそが本当の修行だったのです。
修行とは決して特殊な瞑想ゴッコても呼吸法でも体技ではなく、自己との真摯な対話です。
そう言えば批判スレを読んでここにレスしていた6年前の私もまた求道者だった。
私は擁護が目的ではなく、己の信解円通を得る為に検証した。
明らかに不利と思われるネタも敢えてこちらから出して意見を求めた。
F田さんが例祭で解脱供養の護摩まで焚いてるそのいつのまにか身に付けた成仏法、成仏力の疑問、疑惑です。
不利を承知で敢えて批判側に投げ掛けたのは真実を知りたい真摯な気持ちからです。
これは求道心であったと思う。
そして現役信者の中にも求道者はいますよ。
大日如来さんです。彼は今年の9月に批判スレを読んでから、本当に悩み考えている。
その自問の現れが一連の大日スレの書き込み綴りです。最近は批判専用のスレも立てた。
あの日記こそが彼の求道心の現れです。
では同じ信者でありながら、あなたと大日さんはどう違うか?

347 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 01:57:42 ID:7itfL19c
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>私に本当の意味で求道心が足りないというのなら、ユビさんの求道心を説明してください。

一修行者さんが一求道者ではないとは言わない。
あなたもいろいろと考えている。 そして考えたのが一修論だという。
それは求道心の現れから作った一修論であると思われる。
ならばその一修論をこういう匿名ゆえに個人情報の洩れぬ安全な掲示板に出して書いて評価を待つべき
だと思う。
本当に信解円通の検証をしたい求道心があるならば、自分で論を立てて自己満足をするのではなく
晒してみる。批判があるかもしれない。
しかし批判してくれるならばありがたい。
一緒に考えようでないか。また新たに論を立て直して補強できるものならばする。
あなたにとってもチャンスは大きい。
思えば私も論を立てて示したものだ。
私はあなたがそういう謙虚かつ真摯な態度で一修論を示したらあなたを求道者と認める。
中身なんか実はどうでもよい。
別に煽ってなんかいませんよ。私は一修論なんて最初から興味ないから、出してくれなんて懇願しません。
出したかったらどうぞという感じです。
しかしあなたが勇気を出して、批判側の人も信者の人も私の考えた一修論を読んで意見をくださいと
示したら、私はその勇気ある態度に尊敬の意を表してマジレスをつけます。
中身はひょっとして稚拙かも知れない。
しかし稚拙ならば余計に誠意を込めていろいろ指摘してさしあげます。
あなたを求道者と認めて。
しかし考えたけどもったいないから出さないなんて、思わせぶりに示しているくらいなら、ああ、
求道心が足りないんだなと冷笑して、七氏さんではないが、どつき漫才の相方として利用するだけの
存在です。

348 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 04:12:53 ID:lkqfa4Fa
>ユビキタスと名乗るカス

おまいは最低だ。

349 :凡人28号:2008/12/14(日) 05:20:02 ID:4Q9DvGu0
もし、輪廻転生が事実だとしても記憶の持ち越しはできないということを
以前、書き込みさせていただきました。
他にも持ち越しできるものと持ち越しできないものがあるだろうと思います。
前世の自分を自分と考えるのか他人と考えるのか
来世の自分は自分というよりも別人ではないのか
どこまでを自分と定義すればいいのか考えれば考えるほどわからなく
なります。
来世には幸福になりたい、と考えることは悪いことではないが、来世の
自分を今の自分が実感できるわけではないので無意味なことでは
ないでしょうか?それどころか来世までも自分に執着している間は
輪廻転生が止むことはないと思います。
来世に宿題を持ち越さないように今をがんばるしかないですね。

350 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 10:43:03 ID:KUV3VU0F
釈尊

確かに、未来には、種々の僧伽が現れよう。
しかし、それでも、
僧伽の布施には果報がある。


351 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 10:54:24 ID:KUV3VU0F

仏陀

さとりの領域

無色界
〜〜〜〜
色界
欲界
i
i
i
i
i

352 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 11:01:28 ID:KUV3VU0F
あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は
業論者、業果論者、精進論者であった 。

信仰を持って〈与えること〉が
実にいろいろと 讃め称えられた。
しかし〈与えること〉よりも
『法の句』のほうがすぐれている。
昔の善き人々、それよりもさらに昔の善き人々も
知恵を備えて、ニルヴァーナにおもむいた

この、信なき親族たちのなかにあって、
たとえ、一者であっても、信あり、思慮ある者は、
眷属たちの義のために、法に依って立つ者とし、戒を成就した者と成る。
慈しみで批判して、わたしは、親族たちを叱咤した
比丘たちのなかにあって、親族や眷属たちへの愛で、為すことを為して。
彼らは去り行き、命を終えたが、彼らは、三十三天の安楽を得た。
わたしの兄弟たち、そして、母は、欲のままに欲する者たちとなり、喜び楽しむ。


353 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 11:03:42 ID:KUV3VU0F
この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、
もの惜しみをしない人々が、
ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、
修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、
彼らは天界に生まれて、そこで輝く。
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
また〔来世には〕他人の蓄えた財物を、
他化自在天のように、喜び楽しむ
現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる



354 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 13:53:59 ID:7itfL19c
2ch用意見スレ 1
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/2/

>101:大日如来 * eu6hMsrO3Q :2008/12/14 07:04:42 ID:rEh+VHt6

>さて、2chユビさんの意見に。(私宛)

この2ちゃんねるの>>214に私が大日さんへのアドバイスとして書いたことに対するご返事です。
今せっかくここまで築き上げた成果をリセットするのは、こちらももったいない話なので、そのままで
よいと思います。
総合スレだけでよいと思ったのはあくまでも私の個人的な好みですので、大日さんなりの考えがおあり
のようですので、そのまま進められればよいかと思います。
ただ新スレを立てた時に、この2ちゃんねるやザのスレに出張してまで宣伝する必要はありませんが、
ご自分のchsのスレの代表的なスレ、例えば意見交換のスレなどに、今度新しいテーマのスレを立てました
と紹介誘導していただけると、こちらも助かりますし、多くの人が集められると思います。
私もchsのトップに行くとどのスレがどのくらいのレス数で進行しているか一目でわかり、そこを見ることに
よって新スレが立ったことを知ることができることは知っていました。
しかし私は個別のスレごとに登録してしまうので、わざわざトップに戻るということは滅多にしないのですね。
毎回毎回chsのトップから入るということをしないので、見落とす方が多いわけです。
あと、お互いに睡眠時間は削らずに健康第一ののんびりペースでいきましょう。


355 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 13:58:18 ID:lkqfa4Fa
オシャカさまからすれば、ユビキタスは地獄に堕ちるわけなんだ。自業自得だわw



356 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 14:10:38 ID:3vBQkE+d
いや堕地獄は、詐欺師桐山とその痴信者なのだが・・・www

357 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 14:10:51 ID:7itfL19c
>>355
それでも桐山さんは嘘つきであり、アゴン宗はインチキです。

358 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 15:08:36 ID:7itfL19c
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>しかし、むしろ私は退会して自分ひとりで7科へ挑戦しているという人がいれば、それだけで認めますよ。

例えばジミズさんなどはもうとうの昔にやめてしまっている非信者です。
しかしそんな立場でも彼なりに道を模索してその成果とやらを公開している。
彼なりにという割には桐山さんの「念力」とか「密教占星術1」とか「チャンネルをまわせ」等の
桐山さんのネタを
引用しているだけで、全然オリジナリティがないが。
また桐山教を踏襲しているのかと言うと、そうではなくむしろ反逆している。
解脱供養ゼロの彼がどうしてアナゴンなのか?
しかしそんなジミズさんでも自分なりに何らか道を求めている人ならば、この人の意見は参考にしてもよい
と認めるというわけですか?実行委員長や栗花さんなども含めて。
しかしこの態度はおかしい。
どうして相手の立場にばかり注文をつけて、自分の城を守ることだけに専念できないのか?
私の擁護側時代は専守防衛熊本城を旨としてました。
相手がどうあろうが自分の指摘されたことだけを相手にする。こちらから注文したり攻撃しない。
信解円通で検証しなければならないのは自分んとこの事情だけだからです。
だからどんな口の悪い人の指摘でも考える。
例をあげる。
「俺は三塁側内野スタンドの外野寄りに座って観戦していたが、今のホームランは明らかにポールを
巻いた。ファールだ」
「お前は野球をやっているのか?」
「今、野球はやってない。サッカーをやっている」
「サッカーか…まあ何もしてない奴よりは意見を参考にする価値はあるかな」
「はあ?スポーツを全然やってない人が見ても、今のはファールはファールよ」

359 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 15:54:50 ID:CKg0z5vG
少し前のレス読んだら、ユビキタスって国立千葉大出なんだね。
これで人気と顔だけでなく、学歴でも七氏を上回ったわけだ。
七氏涙目(TT)

360 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:11:22 ID:vChXflrk
「解脱→三明」が成り立たないことを文献で証明しましょう。
ヘルマン・ベックの(『仏教「下」―教理―、岩波文庫』には
仏陀が涅槃に至るまでの修行過程が詳細に語られています。 

仏陀の瞑想は四段階あります。

『瞑想の四段階については、前に述べた『長部経典』の主要な章節のほかに
他の多くの経典に一定の形式で叙述されている(たとえば、「増支部経典」3・25頁、4・410頁、419頁)
この点では、北伝のサンスクリット語仏典も一致している。
すなわち、「ラリタ・ヴィスタラ」では、若い菩薩がジャンブ樹のもとで瞑想したことや、
菩提樹のもとで悟りを開いたことを述べているが、
菩薩が瞑想してまさに仏陀になろうとする場面を記述するにあたって、
パーリ語仏典で用いられているのと同じ言葉で四段階を説明している。

第一段階では、あらゆる卑しい欲望から離脱することに成功しているが、
なお様々な対象物を表象することは存在していて、
その離欲に起因する喜ばしい愉楽の感情が全身にみなぎっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第二段階では、瞑想者は対象物をもはや表象せず、
その精神は全く落ちつき、統一体として集中されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第三段階では、喜ばしい愉楽の感情も消え去り、瞑想者は冷静と正念正知にとどまり、
歓喜を超越した至福が全身にみなぎる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後の第四段階では、瞑想者は苦楽等のあらゆる感性を捨て去り、
純粋な正念正知とにとどまり、全身に霊的光明と清純とがみなぎる。』
                                  (55、56頁)

361 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:12:29 ID:vChXflrk
瞑想の主要段階のことを「静慮」といいます。
第一段階なら第一静慮、第四段階なら第四静慮です。

『静慮は、仏教では瞑想の四つの主要段階すべての意味で用いるが、
「ヨーガ・スートラ」ではもっと狭義に用いる。
三昧についても同様で「ヨーガ・スートラ」では瞑想の最高段階ないし
本来の意味での“沈思”に対する名称であるが、
仏教では最も霊的精神統一ないし瞑想の領域全体に対する一般的名称である。
そこで、仏教では三昧と静慮とが大体同じ意味で用いられる。』
(56頁)

362 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:20:32 ID:vChXflrk
涅槃に至るプロセスはどうなっているか?

『「長部経典」の瞑想の章節(「沙門果経」64節以下)にもとづいて、以上描写してきたが、
そこで瞑想の段階は第四静慮までしか及んでいない。
これに対して、それ以上の意識段階ないし瞑想段階(いわゆる〔処〕は
「布E婆楼経」などで説かれている。
しかし仏教では第四静慮がとくに重視されている。
仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
(81,82頁)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「滅尽定にまで到達した後に、後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、
そこから改めて第四静慮に上昇し、ついでこの第四静慮から涅槃に入る」
つまり、 
「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」・・・→「涅槃」
という順になります。
仏陀は入滅の前に戻ったのだから「第四静慮」は涅槃には含まれません。

363 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:21:38 ID:vChXflrk
では、沙門果経の神通力はどの瞑想段階なのか?

『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。
それは、あらゆる欲情〔煩悩〕、感覚的および超感覚的な対象についてのあらゆる表象、
悦楽とか苦痛とかというあらゆる感覚、そのようなものから完全に解放されている段階なのである。
この状態に入った修行者は、汚点のない純白な衣服を頭からすっぽりかぶったようなものだと言われている。

「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。
また、仏教で言うあらゆる英知も同様であって、
それらの英知はふつうこの宗教の教義内容と言われているものと関係がある。

―『「長部経典」の瞑想の章では(「沙門果経83節)、次のように述べている。
「このようにして、精神的要素〔心〕が集中され、純化され、明朗に遍く照らされ、
あらゆる不純や俗世の煩悩から解放され、柔軟かつ従順で、堅固かつ不動となってしまうと、
その人はこの精神的要素を洞察的観照(もしくは観照的洞察〔智見〕にふりむける」。』
(81,82頁)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
沙門果経の神通力は第四静慮の状態から生じるとあります。
第四静慮ということは涅槃前、すなわち解脱前です。
つまり沙門果経の神通力は解脱前の状態から生じるのです。

364 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:23:23 ID:vChXflrk
沙門果経の神通力はすべて第四静慮(解脱前)の状態から生じます。

沙門果経
83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。

85)また、このようにして心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は思考から成り立つ身体(意生身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。

87)また、比丘は心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
さまざまな超能力(神通)に心を傾け、心を向けます。

89)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は、神のような耳(天耳通)に心を傾け、心を向けます。

91)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は(他人の)心を洞察する知(他心通)に心を傾け、心を向けます。

93)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住通)に心を傾け、心を向けます。

95)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は、生命あるものの死と生に関する知(死生通)に心を傾け、心を向けます。

97)また、このように心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は汚れの滅尽に関する知(漏尽通)に心を傾け、心を向けます。


365 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:29:29 ID:vChXflrk
「このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、」
という文章は解脱を意味していないのです。
同じことが他の経典についても言えます。

<黄廬園経>
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)
〔和訳〕
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」

<宿命に関する引用経典>
このように心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔らかで、巧みで確立し不動となったときに過去の生涯を想いおこす智に心を向けた。 
こうしてわれは種々の過去の生涯を想いおこした。 (ゴータマ・ブッダT、412頁、中村元)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、」

「このように心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔らかで、巧みで確立し不動となったときに」

これらは何れも解脱前の状態を指しています。
つまり「解脱→三明」は成り立たないのです。

366 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:32:01 ID:vChXflrk
以上です。

「解脱→三明」説は真っ赤な嘘です。

367 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 17:05:27 ID:7itfL19c
>>359
レスする必要もないが・・・
片方の学歴しか示されてなくてどうして比較ができるのよ?
顔の件はユビキタスの自称だし。
自称と言えば・・・早稲田中退には負けるよ。

368 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 17:10:38 ID:vChXflrk
>>362
>仏陀は入滅の前に戻ったのだから「第四静慮」は涅槃には含まれません。

この文章は変ですね。
削除します。

「第四静慮」は解脱ではないかと反論するでしょうが
「第四静慮」と涅槃との間に意識段階・瞑想段階があるので
「第四静慮」=涅槃(解脱)とは言えないでしょう。
もし「第四静慮」=涅槃であったら
沙門果経の83節以降は修行のプロセスとしては存在しなくてもいいことになります。
しかしベック氏は沙門果経を仏陀の修行法として最重視しています。
それを考えると83節以降は解脱への重要なプロセスと考えるのが普通だと思います。
いずれにしても反論するのなら
「心が正しく定まり(統一し)・・・」の文が
確かに解脱を意味しているという文献的証拠を出してもらわないといけませんね。

369 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 17:58:18 ID:Nao0Hpkn
>>366 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:32:01 ID:vChXflrk
>以上です。
>「解脱→三明」説は真っ赤な嘘です。

何がどう「以上」なのですか。
恒例のあなたの一方的な解釈の羅列ですよね。
前に注意したが、ここをあなたのお勉強のメモ帳代わりにするのはやめなさい。
あなたが「ぼくチャン、こんなにたくさんお勉強したんだよ」とノートを見せれば、
親が誉めてくれた時代はもうだいぶん昔に終わっている。
自分の頭ではまとめられないから、ダラダラとたくさん並べると、
視野の狭いあなたは自分の主張が裏付けられたかのように錯覚するようだ。
だが、あなたの今回の書き込みもすでに反論された内容を無視して
同じ事を繰り返しているにすぎない。
どうして一番重要な点を反論しないのだ?
「三明→解脱」なら、三明でどうやってカルマを切るのか説明してみなさい。
自分や他人の前世を透視するとどうしてカルマが切れるのだ?
それなら前世を透視できる霊能者は解脱できることになる。

370 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:03:35 ID:Nao0Hpkn
2ch用意見スレ 1
http://www2.atchs.jp/agama/#th1
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

私は元信者で、アゴン宗の解脱とはどういうものかを知っているし、
干柿さんのこの種の発言もこれが初めてではなく、
ここ数ヶ月だけでも何回もあり、レスをつけたのも初めてではありません。
だから、大日さんと私の、干柿さんの書き込みへの解釈が違うのではなく、
毎度の無理解と不勉強ぶりに皮肉を書いたのです。
彼が仏教そのものを「あほくさ」と言っているのではなく、
批判側に言ってることはくらい気が付いています。
だが、その投げた石が批判側ではなく、釈尊に当たっていると指摘したのです。
彼の主張が釈尊への罵倒になっていることに気が付かないのはお幸せだと書いたのです。
だが、干柿さんや大日さんが何を言いたいのかもよくわかる。
そして、この点もこれまで何度も私は説明してきた。
単に私の主張や解釈ではなく、具体的に経典あげ、学者の解説を引用し、
仏教辞典を引用した。
子孫さんがザでどこかの辞典から、解脱とは、煩悩を切ることと
輪廻から脱出することの二つがあると書いてあるから、煩悩を切ることだけが
解脱ではないと主張している。
では、聞くが、輪廻からどうやって脱出するのだ?
なんのことはない、仏教では煩悩を切るから輪廻から脱出するのです。
つまり、子孫さんの辞書でも、煩悩を切ることだと説いている。
辞書にすら書いていることをなぜ、大日さんには違和感があるのでしょう。
批判側に目を向けているが、それはあなた自身に原因があるのですよ。

371 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:13:21 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

干柿さんには、桐山さんが講義した阿含経にも、
煩悩解脱が出てくることをスレ150の524以降で説明した。
桐山さんの引用した経典の大半に出て来るのは煩悩解脱だけです。
私ではなく、桐山さんが選んだ経典にある解脱が
ことごとく煩悩解脱の説明をしているのですよ。
いったい信者さんたちはどこの何を読んでいるのだ?
干柿さんは何度説明されても、絶対に受け付けないばかりか、
そもそも私のこれらの指摘など読んでもいない。
頭から小馬鹿にしている。
「七氏ごときが何をいうか・・・」これが彼の頭の中です。
干柿さんのここでの「行歴」は長老で、私と同じように、スレの始め頃からいる。
最初は桐山信仰にバリバリに固まった信者で、論戦を挑んだが、
桐山擁護なんて誰がやっても勝てるはずがない。
その悔しさで、私に猛烈な反発心を持っている。
彼の最後の拠り所だった「聖なるバイブ」も、それを発していた関東別院のカスケットが
実は長年、馬の骨すら入っていない空だったとわかり、崩壊した。
空のカスケットの件はたまたま元職員が書き込んだことだが、
あれは干柿さんに仏様が垂らした蜘蛛の糸、つまりチャンスだったのでしょう。
だが、彼は屁理屈を言ってチャンスを捨てた。
干柿さんはアゴン宗信仰を擁護するための理屈も証拠も出すことができない。
だが、慢心が強く、頑迷な性格で、自己否定したくないから、アゴン宗にしがみついている。
こういう現実の自分自身を彼が見ないためにも私に強烈に反発しているのです。
だから、私がAだと言えば、Aではないと彼は言う。
干柿さんが煩悩解脱に猛烈に反発する背景の一つ目がこのような内容です。
二つ目は大日さんにも共通する背景です。

372 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:18:49 ID:Nao0Hpkn
「解脱・・仏教では煩悩から解放されて自由な境涯になることをいう。」(『岩波仏教辞典』)

辞典にはっきりとこのように解脱とは、漏尽解脱であると書いてある。
大日さんが読むのも初めてではないはずだ。
だが、あなたも、いくら経典や辞書の説明を羅列されても「しっくり来ない」。
私はすでにその理由をあなたに何回も説明している。
本来なら、私に説明されなくても、あなたが「しっくり来ない」理由を
自分で心を省みて、その理由を探るべきなのだ。
だが、あなたは自分のおかしさ、矛盾に目を向けず、相変わらず批判側に向けている。

>そういうと「またA宗の信者は洗脳が解けてない」といわれそうですが、逆に言えば批判派の方の
>みな一様に同意されている『煩悩解脱オンリー』が気味が悪いです。

批判側は同意しているのではない。
書いてあることをあるがままに認めているだけです。
だから、私も他の批判側も、もし釈尊の説く解脱が漏尽解脱でないという
根拠なり証拠が明瞭にあるなら、さっさと意見を変えます。
私も批判側も持論や特定の教義にしがみついているのではなく、
阿含経の釈尊が何を説いているかを正しく知りたいだけです。
あなたが「気味が悪い」と感じるのは、批判側が気味悪いからではなく、
あなたの中にそれを感じさせる、「何か」が残っているからです。
「何か」がなんであるか、まだわかりませんか。
私が説明するよりも、大日さん自身が気が付き、自覚してほしかった。

373 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:22:31 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

桐山さんから因縁解脱、カルマ解脱、神通力による解脱を植え付けられ、
そこから抜けられないのです。
簡単に言えば、洗脳です。
あなたは若い頃、桐山アゴン宗を学び、真の仏教に会合したと喜んだ。
坊さんたちのただの倫理道徳の実践を説くような仏教ではなく、
チャクラやクンダリニーを覚醒し、超能力を持ち、神秘力で
カルマを断ちきって、自由自在の境涯を得る、これこそが真の解脱なのだ!!
こういう桐山教に強く感動したのです。
あなただけでなく、私を含めた多くの元信者もそうです。
桐山さんは一般人が持つ俗物坊さんへの反発心を巧みに利用した。
あいつらの説く仏教など倫理道徳仏教であり、本物ではない、というものです。
これを密教時代には超能力という形で説き、アゴン宗になってから、阿含経を利用して、
シャカの成仏法とラベルを張り替えて説いた。
坊さんたちを足蹴にすることで、アゴン宗の優越性を強調した。

374 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:26:33 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

「倫理道徳ではない仏教の真の解脱とは何か、それが因縁解脱である。
煩悩解脱なんて、道徳にすぎない。
仏教にもあるが、それは程度の低い、幼稚園クラスの人たちに
説いたものにすぎない。
煩悩をなくせなんて、教えられなければわからないような
程度の低い連中に説いた教えにすぎない。
こんな程度の低い、ただのオシエを体得するために、
オシャカさんは麻麦の行という死ぬほどの苦行をしたというのか。
伝統仏教の坊さんたちは、因縁に苦しんだことがないから、
つまらない倫理道徳をシャカの教えだと信じているのだ。
オシャカは、死にものぐるいで因縁を切る方法を発見したのだ。
当時の人たちが彼に殺到したのも、彼がその神通力を現したからであって、
ただの道徳を説いたからではない」

あなたも私もこういう桐山さんの立派な弁舌を聞いて感動し、そして、騙された。
あなたが煩悩解脱という言葉に違和感があり、批判側に気味悪く感じるのは
桐山さんのこういう説があなたの脳に深く染みついているからです。
だが、桐山さんのこういう説明は無知と妄想から作り上げた仏教小説にすぎず、
阿含経の釈尊の教法から見たら、まったくの間違いです。

375 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/14(日) 18:28:46 ID:7itfL19c
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY

>しかし、むしろ私は退会して自分ひとりで7科へ挑戦しているという人がいれば、それだけで認めますよ。

7科も歯科も馬鹿も、あなた方とはもはや求めるものも違う。
あなた方は因縁解脱を求めていた。
しかし釈尊の説く解脱とは煩悩の解脱しかなかった。
それはそちらも認めざるを得ず、それならば煩悩解脱が運命解脱につながってくれればいいさと
説明できない屁理屈でやはり桐山因縁解脱を離さない。
つまり煩悩を大切に手放さずに煩悩解脱を目指そうとするナンセンスな話です。
そんな人たちが37道品を求めたとて笑わせる。
こちらは因縁解脱だか運命解脱なんて求めること自体煩悩だと悟っている。
因縁解脱なんて求めない。諦めたのではなく、その道が間違っていると捨てたのです。
では本当の煩悩解脱を目指すか目指さないかなんて、あなた方に関係ない話です。
あなた方の理想、目的と違うのだから、あなた方には参考にもならない。
甲子園を目指す人に対して、俺は花園を目指しているぜと言ったとて、あなた方の甲子園出場には
役立つ話ではない。
私は37道品も求めてない。
私の求道心はせめて人倫に悖らない自分であろうという指針です。
悪いことはしたくない。
それは釈尊の道とも共通であるが、解脱には至らない。
それでよいと思ってる。それでも因縁解脱を目指すあなた方より煩悩を離れている。
37道品は道徳なんてヌルイものではない。
私はそこまで極める気はないが、ヌルイ道徳でも遵守する方が、あなた方のような詐欺教団に与する
よりも人倫に悖らない。
7科を目指さねば評価しないなんて言ってる奴の方が求道をわかってない。
身の程知らずなんです。
道徳の価値をめない奴がどうしてそれを飛び越えた超道徳しか求めない?
あなたは煩悩のなんたるかすらわからない。理解するだけなら子供でもできるそれが。

376 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:29:38 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

桐山さんの説の誤りであり、あなたが最も信じているのが、
煩悩を切ることを倫理道徳、オシエにすぎないとしている点です。
釈尊の説いた漏尽解脱のために修行法には、もちろん、倫理道徳に相当する部分が多い。
それどころか、仏教の倫理道徳は普通よりもはるかに厳しい。
それが戒律です。
戒律のない仏教など存在しない。
戒律をバカにしたり、無視したら、もはやそれは仏教ではない。
出家が、異性と交わり、財産をもち、他人の三倍飯を食い、
囲碁に興じ、護摩や占いという呪術をするなどありえない。
桐山さんは上座部仏教を戒律仏教として小馬鹿にしていた。
自らが戒律を守った上で、彼らを批判するなら資格もあろうが、
自らは俗人以上に戒律を破り、好き放題なことをしながら、
仏教の戒律を守る人たちをあざ笑うとは、なんなんだ、この男は?

377 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:36:40 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

大日さんはじめ、アゴン宗の信者さんたちがまず改めるべきは、
「戒律を小馬鹿にしてはいけない」
ことです。
桐山さんは戒律なんか大嫌いな人だから、自分が守らなくてもいいように、
言い訳のために戒律を侮蔑する態度をする。
信者たちも汚染されている。
とんでもない間違いです。
仏教の出家になることを受戒といいます。
出家とは、戒律を守ることを誓うことだからです。
それがどれほど大事なことかは、わざわざ日本仏教が鑑真を招いたことをみてもわかる。
戒律を正式に授けられなければ、その者は比丘ではない。
在家信者も五戒を守ることをもって信者となる。
つまり、戒律とは仏教そのものであり、戒律のない仏教などありえないのです。
仏教徒が戒律をオシエなどと小馬鹿にするのもおかしい。
アゴン宗では桐山さんという戒律を破り放題の男が出家を自称しているから、
信者たちは感覚が鈍っているが、とんでもないことなのですよ。
戒律を破ってもいいように、倫理道徳やオシエにすぎないと
小馬鹿にしているのです。
こういう桐山さんの小手先のゴマカシにそろそろ気が付いてください。
阿含経に説かれた仏教から見たら、ものすごく異様な光景なのですよ。
阿含経を護持しながら、護摩や占いをするなんて、
警察が泥棒や人殺しをしているのと同じくらい異様な光景です。

378 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:43:34 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

煩悩が倫理道徳やオシエで簡単に消せるものなら、やってみせてくれ。
桐山さんも信者たちも偉そうに、煩悩解脱などオシエにすぎないかのように
言うが、やってから言ってみなさい。
桐山さんであれ、信者であれ、オシエすら守っていないではないか。
守りさえすれば簡単にできる、などというのはそれ自体が自惚れという煩悩です。
煩悩をなくすだけで解脱するなんておかしいなどというなら、煩悩をなくしてみなさい。
「煩悩は切ったが、輪廻が止んだようには見えないぞ」と実証してみればいい。
やれませんよね。
アゴン宗には煩悩を切った人など一人もいない。
やれもしないことをどうしてあなた方はそうやって偉そうに小馬鹿にした調子で言うのだ?
桐山さんも干柿さんも煩悩丸出しの俗物の分際でありながら、
「煩悩を切る?くだらん」などと小馬鹿にしている。
一修行者さんも、自分の煩悩の自覚すらないから、自惚れを丸出しにしている。

379 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:49:10 ID:Nao0Hpkn
>102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。
>371:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/13 02:07:02 ID:pvb8qoxY
>しかし、むしろ私は退会して自分ひとりで7科へ挑戦しているという人がいれば、それだけで認めますよ。

煩悩を切ることを小馬鹿にする信者を見るたびに、その人が三十七道品を
念仏のように唱えているだけで、中身を検証したことも、実践しようしたこともないのがわかる。
大日さんも四念処の解説を並べただけで、どうして実践しないのですか。
一修行者さんなどさも自分は求道者であり、批判側はそうでないかのような
毎度の自惚れの垂れ流しをしているが、彼も四念処などしたこともない。
なぜなら、四念処を実践したら、あのような自惚れの垂れ流しなどできなくなる。
四念処の基本は、四六時中自分の身口意の三つの行為に常に注意を向けて(止)、
その中に煩悩が出てくるのを見つけたら、それを四つの立場から検証し、
考察し(観)、それらの煩悩を捨てるべきものであると知性で理解するのです。
四六時中とは、眠っている間も含めます。
食事中もトイレも瞑想中もまったく同じです。
瞑想だけでするのではありませんよ。
そういうタワケた解釈をすると、安那般那念経法を呼吸を説いた経典だなんて
ピント外れな解釈をするようになる。
安那般那念経にも、上記の四念処の説明がそのまま載っているのを知っていますか。
普通に読めば目の前に書いてあるのに、呼吸法だなんてオカルトを信じている
から多くの信者さんたちは気が付かない。
しかも、四念処は顔をしかめながらするのではなく、
喜びと軽やかさに心を満たしながらするのです。
これが書いてある経典も樹意さんが何度か引用してくれた。
「精進落としに、ビールでもグビッとやっか」とか
「ウヒョー、きれいなネーチャン!」などは一切無しです。
これのどこがオシエ、どこが倫理道徳なのだ?
苦行そのもので、よくまあ、出家する人がいるものだと感心してしまう。

380 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 18:59:59 ID:Nao0Hpkn
102 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/14(日) 07:22:08 ID:LBMyNQsg
>まあ、「あほくさ」までは同意ではありませんが、煩悩解脱オンリーというのはどうも、ですね。

前に四念処を真似事でいいから、三分やってみなさいと勧めた。
大日さんもしていませんよね。
これを四六時中でなくても、まだらでもいいから、心がけたら、絶対にアゴン宗にいられない。
これはあなたにアゴン宗をやめなさいと説得しているのではない。
煩悩に着目し、それに意識を向け、これを嫌悪し、捨てようとしたら、
アゴン宗が煩悩の巣窟であることに気が付くからです。
自分が修行だと思っていたことも、煩悩増大にすぎないことに気が付く。
一修行者さんや干柿さんがこれを実践などしたこともないのは、
彼らの文章に煩悩が丸出しになるのを見れば十分です。
信者側はよく、批判側は修行なんかしていない、と言うが、
大日さんも四念処の立場から批判側の書き込みを読んでみるといい。
俗人だから煩悩を出していないとは言わないが、批判側の大半が
それに気を付けて、抑えるように勤めているのが感じられませんか。
自分の身口意の行いに常に心を向けるという修行を学び、
それを少しでも心がけると、自然にそのようになります。
これを本格的に訓練して体得した人が、オバサンに「嘘つき」と
言われたくらいで、切れて、暴力を働くなんてありえないのです。
四念処を正しく理解したら、これを瞑想だという桐山さんが
四念処を体得どころか、理解もしていないのがわかる。
アゴン宗は今護摩木のかき入れ時で、欲望を煽るに夢中です。
信者は信者で、功徳というラッキーを得ようと目の色を変えている。
上から下まで煩悩の嵐、餓鬼祭です。
四念処を理解し、少しでも実習すれば、アゴン宗が煩悩という汚物だらけの
所だと気が付き、居ろと言われても居られない。
指摘されなくても、桐山さんから漂う煩悩の異臭に耐えられなくなる。
大日さんはまだ自分がどういう所にいるか気が付かないだけです。

381 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 19:16:34 ID:5nOug6BF
煩悩とは?ということを突き詰めて修行いくと、
世間の八正道は道徳的であるとの見解がでてきとも
無理はないことです。
社会的な背景の大きな違いが、その理由となります。
世捨て修行者と社会との関わりが、現代では成立しません。
世捨て無しでの求道を機能させることが難しいのです。

澄み切った状態像も崩れるとゴーダマシタルタは自覚したのです。
究極に澄み切った状態像も崩れるとゴーダマシタルタは自覚したのです。




382 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 19:28:29 ID:3vBQkE+d
アホですねwww

>>381
仏教の初歩的な知識も理解も無い愚者www

383 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 19:33:53 ID:5nOug6BF
それからまた
神と一体となり苦を苦としない解決法を極めつづけた。
大宇宙と小宇宙の同調(梵と真我)による
苦を苦としないことよりもさらなる先・・
さらに尽すための深化する閉鎖系の苦行は、
最後に自分で自分を持ち上げることを繰り返しても
持ち上げることはできないことにたとえられます。

禅定と施、これが仏陀の開眼の鍵であり奥儀なのです。

釈尊「出世間の施と世間の施、
出家と在家はお互いに支えあって聖なるおしえが成立する。」
「禅定という花は、施という根にとって支えられている。」


384 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 19:36:04 ID:5nOug6BF

澄み切った状態像も崩れるとゴーダマシタルタは自覚したのです。
究極に澄み切った状態像も崩れるとゴーダマシタルタは自覚したのです。

釈尊の二人の師匠には煩悩の活動はありませんでした。

385 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 19:43:23 ID:5nOug6BF
輪廻転生の仕組みすべてからが
仏陀に担保されている修行の対象であるのです。
○過去にさとりを開いた仏たち、また未来にさとりを開く仏たち、
また多くの人々の憂いを除く現在の世の仏、
正しい教えの師であるこれらすべての人々は、
過去に住したし、
現在住し、
また未来に住するであろう。
これが諸仏のあいだの決まりである。

(仏陀)
(さとりの領域)

無色界
〜〜〜〜
色界
欲界
i
i
i
i
i


386 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 19:47:55 ID:5nOug6BF
以下は、世間の正見です。

輪廻転生の仕組みすべてからが
仏陀に担保されている修行の対象であるのです。
○過去にさとりを開いた仏たち、また未来にさとりを開く仏たち、
また多くの人々の憂いを除く現在の世の仏、
正しい教えの師であるこれらすべての人々は、
過去に住したし、
現在住し、
また未来に住するであろう。
これが諸仏のあいだの決まりである。


387 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 19:49:55 ID:5nOug6BF
以下は、世間の正見です。

仏陀の妙相である
左右の眉の真ん中にある
一束の巻き毛が輝き、
何千万という世界を明るく照らす。
太陽や月が光を失うことがあっても、
衆生は光を獲得した。

388 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 20:08:44 ID:3vBQkE+d
387はただの妄想癖のある信者www

389 :樹意:2008/12/14(日) 22:07:10 ID:uN7vyH7b
>>366

>>369

Q氏改めペテン大作氏は毎度ながら ゲイカの擁護にもならん、ただただ七氏さんと
遊びたいだけのレスを続けるようだ。
戒蘊の大事を説く教典群なんぞ持ち出したら アゴンの批判にしかならん。
沙門果経は解脱の道筋順序も説いているわけだから、戒の大事から四禅に進み明智を得る
いつもの仏陀の説明でしかない。
ただゲイカに洗脳食らった方たちにおいては神通力をベースに明智が得られると刷り込まれて
いるだろうから経典の順序を無視した読み方をするのは十分考えられる。
ちなみに沙門果経で説かれるのは十智八明です。 〈智も明も同じ--〉
四禅において付随煩悩がない状態によって「清浄」であり、輝きの状態によって「純白」
であると解されるべきである、と片山氏の注釈にはある。
〈おそらくは学者さんによってこの部分は異論があるものと推測される。〉


390 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 22:09:56 ID:5nOug6BF
釈尊
もし自己が愛しいものと知ったならば、
自己をよく護れ。

賢者は、
夜の三つの区分のうちの一つだけでも、
目ざめていなければならない。


釈尊の初期経典において
互いに依存しあう世間の施と出世間の施
根底的に相互の依存性に支配される縁起
禅定によって涅槃へのプロセスが守られるのです。
世間の正見による意識的ではない眠りのみの生活では、
そのプロセスはリセットされてしまい、
しかも解決するべき働きをさらに強めてしまいます。
純粋な世捨てを選択をしない現代の社会構造の中においての修行では、
仏陀経典を読むことと禅定を深めることは
大切に継続するべきことです。

391 :樹意:2008/12/14(日) 22:10:20 ID:uN7vyH7b
この段階でほぼ解脱の域にはあるのだが涅槃〈阿羅漢道智〉ではない、と私は解釈する、
なぜなら仏陀は
梵網経において第四禅を根拠に現世涅槃論〈五種〉を説く者達を批判しているからです。
即ち〈62見〉に含まれる、囚われた見地であることを説明されている。
随って四禅は次の〈智見〉〈明智〉の段階の足場として機能するのではと考える。
四禅の足場によって智見に心を傾注し、道智〈magga-nana〉を得る。それが即ち
解脱=明智であると考える。 
辞典にあるように解脱し解脱したことを確認するでもほぼ同じことです。
七氏さんの説明のように山頂に上り周囲を見渡し確認するでも同様であり、釈尊の
無我の教えにおいて出家し教えの通り四禅まで進んだなら明智〈阿羅漢道智〉を得るのに
対して時間を要すわけでもない。それこそ歩みの一歩の違いがあるかないかというところで
ありましょう。
煩悩滅の智に心を傾注し、確認し、
「生まれは尽きた、梵行は完成された。なすべきことはなされた。もはや、この状態の
 他にはない」 
となるわけです。 
ただしこの見解は解脱の定義を〈阿羅漢道智〉に絞った見解であることを理解されたい。
また、解脱に四種ある。〈四沙門果〉〈預流道、一来、不還道〉〈阿羅漢道智〉
解脱の範疇を預流道からとしたなら、とっくの果てに解脱を果たし最終の解脱である
「阿羅漢道智」を確認したということにもなろうかと思う。

392 :樹意:2008/12/14(日) 22:12:13 ID:uN7vyH7b
こんなのが何でアゴンカルトのような 戒を蹴っ飛ばした団体の擁護に出てくるのか
理解に苦しむ。

なお四神足の説明は以前したかと思いますが、
欲による定 「精進」「心」「観察」 欲というのはセヤドーによると涅槃への意欲
であり精進は八正道の正精進と同意なのは仏教辞典にある。 観察はいうまでもない。
片山一良氏訳ジャナバサバ経注釈では、これらは 「欲による定」「精進による定」
「心による定」「観察による定」と言われる。

また近行禅は「足」であり、初禅〈第一禅〉は「神」である。近行をともなう
初禅は「足」であり、第二禅は「神」である。以上にように前分は「足」であり、
後分は「神」である。このようにこの場合の意味が知られるべきである。−−
とあります。

要するに沙門果経で各種神通を〈智〉として紹介していることからもわかる通り
そのベースとなる
正定〈初禅〜四禅〉を形を替えて紹介しているに過ぎない。




393 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 22:17:06 ID:5nOug6BF
釈尊の初期経典に何度もでてくる
意生による心身においての
生存の素因と輪廻の潜在力の無効化をわすれてはいけません。

間違っています。外道の邪見です

389 :樹意:2008/12/14(日) 22:07:10 ID:uN7vyH7b
391 :樹意:2008/12/14(日) 22:10:20 ID:uN7vyH7b


394 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 22:23:37 ID:5nOug6BF
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー縁生」ー「苦諦」−「世間因果」
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー縁生」ー「集諦」−「世間因果」
「法」→「因縁」ー「縁起法」ー「縁起ー寂滅」ー「滅諦」−「出世因果」
「法」→「因縁」ー「聖道法」ー「縁起ー寂滅」ー「道諦」ー「出世因果」
世間因果
苦は果
集は因
出世因果
道は果
滅は因
このプロセスをおこすのが、「神通を以てつたえる。ダンマが顕わになる。」ということなのです。
それがおきる根と力と仏機が合致して 渇きが消失するのです。
仏陀の遺志を継ぐ者、
真理の法を継ぐ者には、四の弟子がある。
それでは、この四の弟子は、如何なるものか。

第一には、男性の出家の修行者、比丘である。
第二には、女性の出家の修行者、比丘尼である。
第三には、男性の在家の修行者、優婆塞である。
第四には、女性の在家の修行者、優婆夷である。
以上の者が、神通を以って、
弟子を育てない限り、法の系は絶える。
それは、弟子にとってりの苦しみである。


395 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 22:26:56 ID:5nOug6BF
たしかに次のことを世尊は説かれた、
尊ぶべきお方が説かれた、と私は聞いている。
「比丘たち、これら三つの眼がある。三つとは何か。
肉眼、超人的な眼、智慧の眼である。
比丘たち、これらは、まことに、三つの眼である」
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
肉眼、超人的な眼、最高の智慧の眼、これらは三つの眼を、
すぐれた人は説かれた。肉眼はやがて超人的な眼の生ずる道であり、

☆“その眼(肉体の眼・超人的眼)によって智慧が生じた。”

智慧の眼は最高である。その眼を得ることによって、
すべての苦しみから自由になる。このことをもまた世尊は説かれた


396 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/14(日) 22:36:16 ID:5nOug6BF
三学系統だけの特化だけではありません。

初期仏教において
在家で釈尊の教えにふれただけで阿羅漢果をえられた
ごく普通に生活している女の子等々の例がたくさんあります。

釈尊

落ち穂を拾って修行している人でも、
妻を養っている人でも、
乏しき中からわかち与える人は、
法を実践することになるであろう

怨みは怨みによって鎮まらない。
怨みを忘れて、
はじめて怨みは鎮まる。

賢者は、
夜の三つの区分のうちの一つだけでも、
目ざめていなければならない。

おのれを抑えることと、
多くしゃべらずにじっと考えることは、
あらゆる束縛を断ち切るはじめである。


397 :樹意:2008/12/15(月) 07:02:26 ID:PDSU6EJc
>>392

> また近行禅は「足」であり、初禅〈第一禅〉は「神」である。近行をともなう
> 初禅は「足」であり、第二禅は「神」である。以上にように前分は「足」であり、
> 後分は「神」である。このようにこの場合の意味が知られるべきである。−−
> とあります。

心不毛経という四神足を説く教典がある。
五の心の束縛 五の心不毛が捨てられ断たれているなら
この法と律とにおいて、増大、増進、広大を得るであろうというものです。
次いで四神足が説かれ、次いで覚りが可能であると説かれる。
後は 雛鳥が自分で殻を破り出てくるという、話になる。
これらは 十五の部位を備えた比丘はこれらの道果を得るということです。
曰く十五とは〈五の心不毛の捨 、五の心の束縛の断、四の神足、努力〉
片山一良氏訳 マッジマニカーヤ 心不毛経

注釈に
「神通」〈iddhi〉とは《成功(ijjhana)、或いは完成(nip-phatti)、獲得
(patilabha)の意味によって神通である》「足」(pada)とは 《基礎(padaka)、
あるいは足場(pada-tthana)となるもの》の意

八正道の正定は(初禅〜四禅》を指し、各種(明智)は(神通)として紹介されて
いる。 八正道のうち正定を除く他の支は 正定を支えるものとしての位置づけがある。
超能力でカルマを切るなんてのは お笑いでしかないわけです。


398 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 08:02:19 ID:gQXKO7Dw
樹意=馬鹿だなwww


399 :ラシン:2008/12/15(月) 11:57:44 ID:/DSPUDpc
>365 :神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 16:29:29 ID:vChXflrk
<黄廬園経>
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)
〔和訳〕
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」

涅槃の境地を桐山本でも確認できます。↓
「無老無死無愁憂戚無穢汚無上安穏の涅槃」を上記文に対比すれば、
和訳自体もおかしいが、それを飛躍させて「憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」の
この一文の作証しぬは、憶宿命智通を覚りて解脱したという意味にもなりません。
文脈の後先を考えれば、自他の過去世を知る能力を得て、証しを作った、証明した
と、読むほうが矛盾しない。
それでは何を証明したか?
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し不動心を得、」
を憶宿命智通で証明した、憶宿命智通ですでに解脱していることを証明した。
との意味に取れます。
「清浄にして穢無く煩無く」は”無愁憂戚無穢汚”に該当し、
「柔軟にして善く住し不動心を得、」は”無上安穏”であることを表しています。
つまり解脱の境地です。

400 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 12:39:16 ID:XUx9Dp19
2ch用意見スレ 1 http://www2.atchs.jp/agama/
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>でも、それが嫌われる理由でもあることは頭に置いて見たほうがいいのではないかと老婆心。

毎度同じ意見をありがとうございます。
あなたも一修行者さんも干柿さんも単に自分の耳に痛い批判に強い拒絶をしているだけです。
反論できればまだ溜飲も下がるだろうが、自分の信仰を逃げ場がないほどに
ことごとく批判される。
長年、積み上げてきた信仰を足で一撃されて、崩され、面子もプライドもズタズタにされる。
ひどく傷つく。
普通の人はほぼ全員が最初はそうです。
だが、時間がたつと微妙に人によって反応が違うようになる。
その反応を全員が同じだとあなたも一修行者さんも書いているが、違います。
あなた方のような反応が例外だとは言わないが、全員ではありません。
全員が同じように桐山アゴン宗と一体化して、慢心が強ければ同じ反応だろうが、
幸い、一体化も慢心も人によって程度の差がある。
人間だから慢心はほぼ全員が持っているだろうが、程度の差があるのです。
また、批判されているのは自分ではなく、桐山アゴン宗だと気が付く人もいる。
桐山アゴン宗と自分の信仰との一体化が強い人は批判に大きく傷つくが、
元々、両者に距離がある人は、むしろ、さっさと離してしまうから、
桐山アゴン宗をどれほど批判されても、もはや痛みは感じない。
だから、少し時間がたつと、人によって反応が違ってくる。
これは沈黙している読者も同様です。

401 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 12:43:05 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>でも、それが嫌われる理由でもあることは頭に置いて見たほうがいいのではないかと老婆心。

あなたや一修行者さんが私に同じ意見を言うのは、
私が信者への思いやりが足りない、という主張の他に、
あなた方の慢心が似た程度であることを示している。
今回も、私が、あなたの考えは桐山さんからの洗脳なのだと批判した。
ものすごくムカツイタのでしょう?
仏教についてあれこれ議論しているつもりが、「ヲマイの意見は洗脳だ」と
批判されても、あなたは何も反論できない。
正面から全面否定され、まるで人格まで否定されたような不快を感じた。
何も言えないから、自分を省みるのではなく、相手、つまり私を批判する。
「七氏にこそ原因であり、彼は桐山憎し、アゴン宗憎しであり、
他人への思いやりが足りないのだ」
思いやりが欲しいほどあなたは傷ついているからです。
今もこうやって腹の中を分析されるのは、あなたは猛烈に不愉快であり、
猛烈に私に反発心を沸き立たせているのはわかる。
それを百も承知でやっています。
それは何度も言うように、あなたを何とかしたいのではなく、
読んでいる信者さんたちをなんとかしたいからです。

402 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 12:50:33 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>でも、それが嫌われる理由でもあることは頭に置いて見たほうがいいのではないかと老婆心。

読者の中にはあなたに共鳴して、「七氏め」と反発心だけ生じる人もいる。
だが、あなたと同じように、煩悩だけで解脱するとは信じられないと
思っていた信者の中には、私の説明を聞いて、自分もまだ洗脳されているのだろうかと
疑う人も出てくるのです。
なぜなら、読者の信者は大日さん本人ではないから、あなたほどには直撃を受けない。
あなたや一修行者さんが私への反発心から聞く耳を持たなくなっても、
全員がそうではないのです。
どうせ、全員をなんとかするなんてできるはずがない。
誰かを犠牲にすることで、誰かが自力ではい出してくる。
しかも、犠牲といっても、見捨てているのではない。
あなたの間違いを懇切丁寧に何度でも指摘している。
煩悩の説明だけでなく、あなたが何を誤解しているか、
その背景まで指摘して説明するなんて、学者ですらできない。
元信者であり、あなた同様に仏教の素人の私だからできるのです。
単に、あなたはそれをされるのが不愉快この上ないだけです。
それをどう解決するかはあなた自身の問題であり、私は関係ない。

403 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 13:00:26 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>でも、それが嫌われる理由でもあることは頭に置いて見たほうがいいのではないかと老婆心。

一修行者さんが、ユビキタスさんや青柿さんのような穏やかに話ぶりに、何か納得しましたか。
私にはとても一修行者さんが前に進んだようには見えない。
むしろ、最初出てきた時には認めていたことすら撤回して、
一修論なんてガチガチの擁護を始めたのだから、後退した。
それとも、彼が一修論を出したのは、七氏に攻撃されてかえって頑なになったとでも言うか。
いい年をした男がそこまで他人のせいにするのなら、物笑いでしかない。
慢心を鼻先にぶらさげたまま、ここに出てきて滔々とアゴン宗を擁護した。
こういう身の程知らずは何もあなた方が初めてではない。
桐山さんから完全仏教なんだとしつけられて、自分たちくらい
仏教を理解している者はいないと自惚れている。
あなたも知っているように、アゴン宗では珍しくもない先達の姿です。
また、信者が異常に威張っているのは新興宗教では珍しくもない。
私は信者時代、大作さんの信者と議論して、議論内容以前の問題として、
頭から人を小馬鹿にしたような、あまりの鼻持ちならない自惚れぶりに驚いた。
だが、振り返ってみると、アゴン宗だって似たようなものです。
入行した頃、先達や職員が異常に威張っているので、よほどエライのだろうと
話を聞いても、あまり知性が高いようにも、知識があるようにも、
人格的に優れているようにも見えず、ただのイバリンボだった。
桐山さんの慢心ですっかり汚染された人たちです。
だが、それは彼らだけでなく、あなた方も、かつての私も程度の差が
あるだけで、桐山さんの慢心に汚染されている。
慢心があるから、あなたは煩悩を切るだけで解脱することに疑問を持つなどと書いたのです。
あなたは気が付いていないのだろうが、釈尊本人に文句をつけたのと同じなのですよ。
そして、懇切丁寧に根拠を示され、暗にそれを指摘されても、あなたは
釈尊に失礼を申し上げたと反省するのではなく、私への反発心だけが残った。
自分への慢心があるから、釈尊の言葉すら受け付けられないのです。

404 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 13:04:17 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>でも、それが嫌われる理由でもあることは頭に置いて見たほうがいいのではないかと老婆心。

自分たちこそが釈尊の説いた真の仏教を信仰し、
これを成就した桐山ゲイカをいただく立派な教団だと自惚れていた。
そのまま2ちゃんねるという現実の世界に出てきたから、
いきなり顔面にパンチを食らい、足払いをかけられた。
桐山さんからもらった正宗を振り回しても、オモチャだと笑われるだけで、
実際なんの効果もない。
あなた方は二重、三重にショックだったはずだ。
桐山さんからもらった金貨を出したら、鉛の偽物だと批判されたばかりか、
いきなり逮捕され、通貨偽造や詐欺でムショに入れられたようなものです。
プライドをもって金貨を出したのに、ものすごい屈辱を受けた。
自分たちは何も悪気などなく、真の道を求める求道の精神で信仰をしてきたのに、
このような扱いはあまりにひどいと、あなたも一修行者さんも思っている。
それが数年前ならともかく、わずか数ヶ月前なのだから、
あなたの傷はもちろん癒えてはいない。
それどころか、癒え始めた傷を七氏がまたナイフを突き立ててくる。
しかも、漫才の相手だなどと、さらに批判してくるのだから、
七氏は桐山憎しに凝り固まっているのだ、というのが大日さんの感覚ですよね。
わかりますよ、でも、現実はまったく違います。

405 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 13:09:06 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>でも、それが嫌われる理由でもあることは頭に置いて見たほうがいいのではないかと老婆心。

自分がどんな気持ちでここに出てきたか思い出してごらんなさい。
今の大日さんとはかなり違っている。
慢心を鼻先にぶらさげ、「批判側などナンボのもんじゃ!」と出てきた。
だから、私からいきなりその慢心の鼻先をへし折られて、
あなたはカッとなって怒鳴り声すら出してしまった。
あなたは内心、私から煽られたと思っているのなら、それは間違いです。
あなたが感じた痛みは、自分で壁に激突したからに他ならない。
つまり慢心の鼻先をへし折ったのは私ではなく、現実というあなたがぶつかった壁です。
その後も反撃にでようとするが、現実や事実という壁にことごとく跳ね返された。
あなたの賢い点は、アゴン宗と桐山ゲイカの教法は通用しないことに
短期間に学習して、体制を建て直した点です。
だが、痛みだけは強烈に残っているから、私への反発心は大きい。
しかも、今でも何か書けば、正面から反撃を食う。
その痛みの元をもう一度よくみてください。
私でもなく、現実という壁でもなく、あなたが最初に突撃してきた慢心がすべてです。
その慢心はどこで獲得したのだ?

406 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 13:19:36 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>それこそ私も一さんと同様で、「憎くてものを言っているようにしか見えない」ですね。

元々あなたが持っていた慢心だけでなく、大半は桐山さんから植え付けられたものです。
桐山さんが、自分の犯罪なのに、ムショに入れられたという世間への
逆恨みからくる「憎しみ」と、芥川賞がもらえるくらいの才能があったという
「慢心」で作り上げたアゴン宗の中に、あなたが長年浸かっていたから、
憎しみと慢心が身体に染みついてしまったのです。
だから、あなたは慢心をぶら下げ、私の批判を憎しみと受け取る。
あなただけではなく、干柿さんも、一修行者さんも同じようなことを言う。
たまたま偶然、行歴の長い三人が、憎しみと慢心がキーワードになるのはおかしい。
三人とも、同じ「漬け物桶」の中で長年、漬け物になっていたから、
同じ味になっただけです。
あなた方は私の憎しみだと言うが、それはあなたの信仰している教祖の臭いです。
その証拠はもう一つある。

407 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 13:40:17 ID:XUx9Dp19
>104 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 09:49:36 ID:BPweDU02
>それこそ私も一さんと同様で、「憎くてものを言っているようにしか見えない」ですね。

あなたは指摘されるまで、桐山さんの激しい憎しみや復讐心に気が付いていましたか。
十分には気が付いていませんよね?
いや、今でも私の指摘をあなたは納得していない。
信者の多くが、桐山さんの憎しみの強さに気が付かない。
だが、たとえば『変身の原理』の後書きのように、何十年たっても、
自分を批判した相手を桐山さんは絶対に忘れず、激しい口調で罵倒した。
『君は誰の輪廻転生か』の斉の広場での阿鼻叫喚の描写は
桐山さんの激しい憎しみや妬みがそのまま出ている。
大作さんを罵る時の桐山さんは、批判などではなく、激しい嫉妬だった。
私の憎しみを指摘するなら、どうしてあれほど強烈な桐山さんの憎しみに
あなたは気が付き、嫌悪しないのだ?
老婆心から忠告するべきです。
こういう激しい憎しみと復讐心と慢心に満ちた教祖の元で長年信仰していれば、
自ずとその臭いが移ってしまうものです。
それを自覚して、自分から臭いを消す努力をしない限り、ずっと残る。
老婆心などと他人の臭いをあれこれ言う前に、「漬け物桶」にまだ入ってるあなた自身の
臭いをもっと気にした方が良い。

408 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/15(月) 15:10:02 ID:oXpGlDDa
ID:XUx9Dp19さんは、桐山氏を欲望の対象としていた人です。
側室坐核に桐山氏への狂信と本能的欲望が結びついて
勝手な自己洗脳状態が解けていないままだから、
桐山氏への攻撃に変換されたままで
洗脳回路が止められないままの機能に突き動かされ
批判書き込みをするわけです。
か弱い甘ったれたストーカーと同じです。
まあ甘えた反抗期の子供が親を目の敵にする段階の
心理的爆発とにかよっていますが、
段階としては、親の次となる
親とは別の自己の理想モデルをさがし入信したパターンです。
発達段階で自己の理想モデルを
桐山氏として心に深く刻み込んでしまったのでしょう。
そこには、性欲が絡んでいますからややこしいわけです。
ストーカーが対象者のもつ
友人などのコネクションに嫉妬し
対象者の誹謗をするのと同じですね。

409 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 16:01:50 ID:t5w3FOVl
ギャアテイは、信者じゃあ無いwww
ただのアホの荒らしです・・・。
みなさまスルー願いますwww

410 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 16:53:56 ID:9PU11nXg
われは神なり。ベルゼブブなり。

411 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 20:55:24 ID:em5icHRM
>>362
>そこで瞑想の段階は第四静慮までしか及んでいない。
>これに対して、それ以上の意識段階ないし瞑想段階(いわゆる〔処〕は
>「布E婆楼経」などで説かれている。


解脱するには第四瞑想の上に進まねばならない。

『ヨーガ派によれば精神統一〔凝念〕・瞑想ないし観想〔静慮〕・静観〔三昧〕
という三段階の上にはさらに無種子三昧があり、
この三昧によって潜在意識の構成力〔行〕に打撃を加え、
したがって、それによって再生への萌芽が絶滅される。
仏教の道が目指す目標もそれと同じである。
しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。
これらの意識状態のことは、『沙門果経』における瞑想の章節には出ていないが、
その他の多くの仏典の箇所にて言及され、詳述されている。』
(『仏教「下」―第二部教理―』 59、60頁 ベック著、岩波文庫)

412 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 20:57:46 ID:em5icHRM
第四瞑想(静慮)の上には何があるか?

『第四瞑想段階のすぐ上が“虚空の無限性の界”〔空無変処〕、
その上が“意識の無限性の界”〔識無変処〕、
その次の段階が“虚無の界”〔無所有処〕、
それに続いて、“意識と無意識を超越した界”〔非想非非想処〕にまでのぼる。
これに続くのが最後の段階であり、
これによって修行者は現世の肉体において達成し得る最高の目的を達成する。
これを“知覚意識〔想〕と感覚とを(意志によって)絶滅すること”〔想受滅〕と名づけ、
あるいは単に“絶滅”〔滅〕ともいう。
「増支部経典」四・四一〇ページ以下においては、
四の瞑想段階と、それに続く四の界の段階(ついに滅尽にいたる)とを
九の“次々に滞在すること〔次第住定〕”の九の状態として記述してある。』
(60頁)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
滅(涅槃)までのプロセスはこうなります。

瞑想段階・・・ 「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」→
意識段階・・・ 「空無変処」→「識無変処」→「無所有処」→「非想非非想処」→「滅(涅槃)」

413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM
素人があーだこーだと理屈を捏ねたところで埒があきません。
結局は文献で決まるのです。
以上をまとめるとこうなります。

『再生への萌芽を絶滅するには第四瞑想段階よりもさらに上にある
意識状態の諸階梯〔識住〕をすべて経過して進まねばならない。』(59頁)

『仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験された。』(60頁)

『これらの意識状態のことは多くの仏典の箇所にて言及され、詳述されている。』(60頁)

『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。 』(82頁)

『「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』 (82頁)

(『仏教「下」―第二部教理―』 ベック著、岩波文庫)



沙門果経で神通力を発揮している比丘は第四静慮の状態だということです。
だから当然、解脱はしていません。
83節以降、冒頭で繰り返し説かれる文句、
「このようにして心が安定し・・・」 は解脱を意味していません。
また、解脱していない比丘が神通力を使っているのだから
「解脱→三明」は成り立ちません。
「解脱→三明」は真っ赤な嘘です。

414 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 22:03:41 ID:em5icHRM
次は「解脱→三明」説の文献上における(唯一の)根拠です。

『それから若干の叙述によると、過去世を見通したということも書いてあります。
これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。』 ( 『ブッダ入門』中村元、131ページ)

>>277で書いたように、これは次の記述を指しているのだと思われます。

『ところで以上の文句は釈尊がさとりを開いたのちの
心境を叙するところに述べられているのである。』
(『ゴータマ・ブッダT』 411頁 中村元、春秋社)

博士の全集で原始仏教に関する本は8冊ほどありますが
上の引用文の他には該当するものが見当たりません。
七氏さんもこれには反論しない、というか触れようともしませんね。
「四神足で過去を見通したことがさとった後に書いてある」という内容です。
さて、これをどう解釈するか。
たまたま、その経典に書いてあっただけじゃないの?とか
さとった後に書いてあるのは作者が書く順番を間違えたんじゃないの?とか
色々批判できそうです。
でもこれ以上書くとしつこく絡まれそうなのでやめておきます。
これが七氏さんの唯一の根拠なのだからきっと必死になって反論してくるでしょうから。

415 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 22:05:09 ID:em5icHRM
ところでその博士が
『四神足―――それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 岩波文庫 234、249頁)
と書いていることについて、
七氏さんは四神足は八正道に含まれるから「これでいーのだ」と言っています。
そして神通力でいくらでも長生きできると言いたくて四神足を出しのだ、
とも言っています。
だが「さとりを得るための実践修行法の一つ」という言葉は
明らかに「解脱→三明」とは違った意味になることには変わりません。
七氏さんはどんなことでも自分に有利な解釈をするのがうまいですね。
ここで私も七氏さんの真似をしてみましょう。

『ブッダ入門』の過去世の話は
解脱した後に過去を見たことを言いたいのではなくて
仏典の記述が一定していないことを言いたかっただけです。
『ブッダ入門』は人間ブッダに迫ろうという内容だから
なるべくブッダの神秘的な色あいを出したくなかったのです。
『ブッダ入門』は博士の講演を基に加筆された本であり
内容は一般読者にわかりやすいようになっているのです。
(そういえば活字もでっかいな)

どうですか?
似てませんか?

416 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/15(月) 22:20:49 ID:p/Nj8f+M
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>375:大日如来 * eu6hMsrO3Q :2008/12/15 09:20:55 ID:BPweDU02
>>しかし、むしろ私は退会して自分ひとりで7科へ挑戦しているという人がいれば、それだけで認めますよ。

>私も同じ考えですね。必ずA宗信者でなければいけない、とか逆に無所属は駄目、とは思いません。
>真摯に考えトライしている人は私もその方を尊みます。

蛇足かも知れませんが、誤解のないようにあと一つ補っておくと、私もアゴン宗を離れてから
真の仏教を理解して、アゴン宗と関係なく解脱への道(因縁解脱ではない煩悩解脱)を目指して
何らか実践する人を尊敬しないとは言いません。
(ジミズさんは全然尊敬しませんが)
私は出家までする気はないが、南伝の上座仏教の国に行って出家修行する人までいるかもしれません。
そういう人を私も否定しません。
しかし私が言いたいのは、そのような純粋な尊敬ではなく、おかしな差別意識です。
おかしな差別意識とは、そういう実践をしている人でなければ聞く耳持たぬという狭い了見です。
1+1=2であることを証明する為に、東大生の言うことでなければ信用ならぬなんて言う人はいない
でしょう。
仏教の高い悟りとか私も修行して体験したわけでもなくわかりません。
しかしアゴン宗の正邪を論じるのにそこまで行く必要はありません。
これって明らかに客観的にわかる嘘だろ?これって明らかに煩悩丸出しだろ?と一般人の立場で
批判すれば十分だからです。
仏教の高みに登らなくても凡人の立場でアゴン宗という穴を指摘できます。
皆さんに聞きたいが、そのような修行をしてる人を参考に見るのはよいが、何を基準にその成果を
評価するのでしょうか?
まさか超能力なんて子どもみたいなことは言わないでしょうね?
東南アジアでも旅行しながら考えてください。
まず知識からの勉強のし直しです。

417 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:18:52 ID:XUx9Dp19
>>413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM
「これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。 』(82頁)
>沙門果経で神通力を発揮している比丘は第四静慮の状態だということです。
>だから当然、解脱はしていません。

ベックの文章とペテン大作さんの結論とは違いますよ。
ベックは第四禅が出発点、前提と書いているだけで、
神通力を発揮しているのが第四禅の状態だなんて書いていない。
どうしてあなたはこういう小手先のゴマカシを毎回するのだ?
経典の四禅三明は、四禅の後に三明が出てくるのだから、ベックの書いていることは
経典にあるそのままで、何も新しいことなどありません。
あなたは文章をつぎはぎして、上記のような勝手な解釈を並べて、
いかにも「解脱→三明」ではないかのように見せかけただけです。
あなたが引用したベックの文章のどこから、「三明→解脱」と出てくるのですか。
ましてや、どこにも神通力でカルマを切るなんて話は出てこない。

418 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:21:10 ID:em5icHRM
>>389 :樹意

圓寂坊の書斎
http://www.enjakubo.com/singon3.html
「仏教」 上下巻  (ヘルマン・ベック著) 岩波文庫

『この本はまず第一にお勧めしたい本です。
ドイツ人の書いた本ですが、仏教とはどのようなものであるかという端的な問いに
ほぼ完全に答えてくれます。
一読されて後にも、もし人からいろいろなことを言われて、
迷わされたりした時など、大変役に立つ本です。絶対オススメ!!(^^)d 』

渡辺照宏(「仏教」上下巻の翻訳者)

『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%85%A7%E5%AE%8F

片山一良(駒沢大学教授)

『ウィキペディア(Wikipedia)』記載無し

419 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:22:12 ID:XUx9Dp19
>>413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM

>>362は、あなたの読解力の低さを指摘するのはこのスレの主旨ではないから
無視したが、経典や学者の解説と、あなたの最後に出した結論とは違います。

「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」・・・→「涅槃」 (>>362)

これまた、いかにもペテン大作さんらしいペテンです。
正確には、

「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」→「涅槃」

あなたは第四禅の後に「・・・」を入れることで何かあるかのように見せかけた。
だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
第四禅で入滅したのなら、三明は解脱にはいらないことになる。
ほらね、もっと混乱したでしょう?
憎しみで視野が狭く直線でしか見えないあなたには理解できないだけで、
四禅や解脱の関係は何も難しいことはない。
どうしてあなたが理解できないかは明らかです。
理解しようとしているのではなく、自分の考えを強引にあてはめようとしているからです。
一行一句にあなたはそれをやり、ねじ曲げる。
あなたや桐山さんは自分の考えをあてはめるためなら、
上記のような小手先のゴマカシをすることがなんともない。
それをしている内は、簡単な内容も理解できませんよ。
行き着く先は、桐山さんのように外道であり、あなたは
ご飯粒を顔をつけたまま電車に乗ることになる。

420 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:25:15 ID:em5icHRM
>>417
>ベックは第四禅が出発点、前提と書いているだけで、
>神通力を発揮しているのが第四禅の状態だなんて書いていない。

『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。 』(82頁)

『「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』 (82頁)

421 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:27:01 ID:XUx9Dp19
>>414 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 22:03:41 ID:em5icHRM
>次は「解脱→三明」説の文献上における(唯一の)根拠です。

『これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。』 ( 『ブッダ入門』中村元、131ページ)

これは学者が具体的にはっきりと書いた文章です。
あなた以外の人には、三明で解脱したのではない、と読める。
この一文でもう結論が出ているのです。
一方、あなたは「神通力でカルマを切って解脱する」という説の
経典の根拠も、学者の説も何一つ出していない。
しかも、あなたは三明と四神足の違うもわからないようだ。
私が引用した文章を唯一などとバカにするなら、あなたの神通力説を
支持する学説をたくさん出してみなさい。
今回も一つもありませんね。
学者の説を適当に切り張りして、グチャグチャと並べることで、
いかにもそうであるかのように見せかけているだけです。
それから、私が反論していないとか、無視しているといろいろと
書いているが、反論してほしければ、もっとわかりやすく書きなさい。
前は読者のためと思って、あなたの文章を読み返し、
意味を理解し、読者のために説明して、それから反論した。
だが、もはや、そういうやり方は読者の支持が得られない。
私が反論しないとすれば、すでに反論が終わっていて、
同じ事の繰り返しになり、読者が飽きてしまうからか、
あるいはあなたの書いている文章が意味不明だからです。
たとえば、>>415であなたは「似てませんか」と、私の真似をして皮肉を
書いたつもりだろうが、似ているかどうかよりも、何をどう真似したのか、
何を言いたいのか、どこが皮肉なのか、さっぱりわからない。
あなたと長い付き合いのある私すらわからないような文章は、一般の読者は完全にわからない。
唯一わかるのは、あなたが強烈な憎しみの持ち主だということだけです。

422 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:29:56 ID:em5icHRM
よく読めよ、ヴォ家。

>>419
>正確には、
>「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」→「涅槃」
>あなたは第四禅の後に「・・・」を入れることで何かあるかのように見せかけた。
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。



しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。
(59、60頁)

423 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:32:48 ID:em5icHRM
七氏先生は老眼なのか知らん?
もうそろそろ引退かな?

424 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:35:13 ID:XUx9Dp19
>>420 :神も仏も名無しさん :2008/12/15(月) 23:25:15 ID:em5icHRM
『「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』 (82頁)

「状態から生じる」のと、「状態」が同じなのですか。
「種から芽が生じる」なら芽は種の状態と同じなのか。
どうしてそんなに国語力がメチャクチャなのだ?

425 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:37:11 ID:XUx9Dp19
>>422 :神も仏も名無しさん :2008/12/15(月) 23:29:56 ID:em5icHRM
>よく読めよ、ヴォ家。

罵る前に、あなたこそ経典を読んだらどうか。
釈尊は第四禅から涅槃に入ったのです。

「第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた」
(『ブッダ最後の旅』160頁)

426 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:38:13 ID:em5icHRM
もうこんな時間ですね。
帰りましょう。
七氏さんは一晩中、屁理屈でも考えていてください。
おやすみ。

427 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:41:50 ID:em5icHRM
帰ろうとしたらこんなレスが。

>>424
>「状態から生じる」のと、「状態」が同じなのですか。

七氏涙目(TT)

428 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:45:18 ID:em5icHRM
>>425
>罵る前に、あなたこそ経典を読んだらどうか。
>釈尊は第四禅から涅槃に入ったのです。
>「第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた」
>(『ブッダ最後の旅』160頁)

別の本を持ち出してどうする?
七氏号泣。

429 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:47:01 ID:em5icHRM
難民になりたくないので本当に帰ります。

430 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/15(月) 23:48:48 ID:SmiqmiV6
ID:XUx9Dp19さんは、桐山氏を欲望の対象としていた人です。
側室坐核に桐山氏への狂信と本能的欲望が結びついて
勝手な自己洗脳状態が解けていないままだから、
桐山氏への攻撃に変換されたままで
洗脳回路が止められないままの機能に突き動かされ
批判書き込みをするわけです。
か弱い甘ったれたストーカーと同じです。
まあ甘えた反抗期の子供が親を目の敵にする段階の
心理的爆発とにかよっていますが、
段階としては、親の次となる
親とは別の自己の理想モデルをさがし入信したパターンです。
発達段階で自己の理想モデルを
桐山氏として心に深く刻み込んでしまったのでしょう。
そこには、性欲が絡んでいますからややこしいわけです。
ストーカーが対象者のもつ
友人などのコネクションに嫉妬し
対象者の誹謗をするのと同じですね。

431 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/15(月) 23:53:37 ID:SmiqmiV6
簡単即答といいつつも
散々と引き延ばした揚句
馬鹿まるだしの大恥をかいてしまった
珍しいほど恥ずかしく頭悪い

凡人未満脳
ユビキタスの零点答案です。

1.鳩摩羅什も玄丞三蔵も中国人で多くのインドの仏典を中国の言葉に翻訳して
漢訳経典を作りました。その際に中国人ならではの思考とかも影響して、選ぶ漢字語句
などもインドと違う中国人に誤解されて本来の意味が歪められるものもあったかに思います。
そんな感じですからその訳も多岐の語句が使われる可能性を有していると思います。
一つの訳語に囚われないことですね。


432 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/16(火) 11:29:11 ID:voxJbyNd
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>376 : 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/15(月) 23:38:37 ID:LRnDfm8g
>四神足の根拠も特にあるわけではなく、
>神通力→自在→無意識の制御、制圧→運命解脱
>にならないかと考えたのです。
>青さんに教えてもらったので、他のページも見たのですが、むしろ、
>第二章の
>「大きな果報と大きな功徳」が運命解脱につながる表現として理解可能ですし、
>第六章の
>「一身が多身となれば、多身が一身となる。
>消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
>全ての世界に出現する、これが、神足通である。」
>がクンダリニー覚醒時に体験できる意識の状態であると考えられると思います。
>で、あくまでもこれによって釈尊が因縁解脱を説いたということではなく、またこの力で煩悩解脱するのだと説いたわけでもなく、
>「このような力をツールとして利用し煩悩解脱するのだ」
>と説かれたと思うわけです。
>そして重要なのは第八章ではないかと思うのですが、考察中です。

クックックッ
上記が一修論だなんて言わないが、一修論なんて読まなくてもわかりそうな
ものだ。
上記の文は論などでない。字でもない。絵です。子供のいたずら書きに綴った絵
となんら変わらない。
つまり、言葉が並んでるのを読んで、こんなふうに展開するんじゃないかなー
と夢想を綴っただけです。
こんあ程度の頭脳だから、羯諦さんの意味不明の文章を読んで、さもわかったかの
ように「ありがとうございました。またご指導お願いします」などと書ける。
もちろん通訳せよと言われても何もできない。こんな曖昧な理解はかえって
羯諦さんに失礼というものだ。
さすがフィーリング世代だ。言葉はいらないぜ。フィーリングで感じようぜ。ベイベ。

433 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/16(火) 11:40:53 ID:voxJbyNd
>376 : 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/15(月) 23:38:37 ID:LRnDfm8g
>第二章の
>「大きな果報と大きな功徳」が運命解脱につながる表現として理解可能ですし、

http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/jinsoku2.htm

↑を読んでどこに運命解脱など読み取れるのか?六神通が述べられている。
六神通については第六章で詳しく個別に解説されています。
どこにも運命解脱を意味する内容は書かれていない。

>そして重要なのは第八章ではないかと思うのですが、考察中です。

http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/jinsoku5.htm

第八章を読んで何をフィーリングで感じ取ったか?
退縮だの内側だの外側だの単語を目にして、ここに何か隠された秘密があるのでは?
とこのお子ちゃまは夢想したわけです。
だってフィーリングじゃん。フィーリングで行こうぜ!



>第六章の
>「一身が多身となれば、多身が一身となる。
>消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
>全ての世界に出現する、これが、神足通である。」
>がクンダリニー覚醒時に体験できる意識の状態であると考えられると思います。
>で、あくまでもこれによって釈尊が因縁解脱を説いたということではなく、またこの力で煩悩解脱するのだと説いたわけでもなく、
>「このような力をツールとして利用し煩悩解脱するのだ」
>と説かれたと思うわけです。
>そして重要なのは第八章ではないかと思うのですが、考察中です。


434 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/16(火) 11:42:14 ID:voxJbyNd

ああ、ごめんなさいね。
下の方のコピペ部分を消し忘れました。

435 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/16(火) 11:45:03 ID:voxJbyNd
>そして重要なのは第八章ではないかと思うのですが、考察中です。

http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/jinsoku8.htm

第八章を読んで何をフィーリングで感じ取ったか?
退縮だの内側だの外側だの単語を目にして、ここに何か隠された秘密があるのでは?
とこのお子ちゃまは夢想したわけです。
だってフィーリングじゃん。フィーリングで行こうぜ!

↑すみません。リンク箇所(第八章)を貼り間違えました。
こちらで対応を。


436 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/16(火) 11:57:20 ID:voxJbyNd
>376 : 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/15(月) 23:38:37 ID:LRnDfm8g
>第六章の
>「一身が多身となれば、多身が一身となる。
>消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
>全ての世界に出現する、これが、神足通である。」
>がクンダリニー覚醒時に体験できる意識の状態であると考えられると思います。
>で、あくまでもこれによって釈尊が因縁解脱を説いたということではなく、またこの力で煩悩解脱するのだと説いたわけでもなく、
>「このような力をツールとして利用し煩悩解脱するのだ」
>と説かれたと思うわけです。

http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/jinsoku6.htm

これが釈尊の説いた神足通という神通力です。
四神足を実践してこういう神通力を得ることも可能なんです。
他の経典にも出てきますよ。
ところで上記の描写を読んで、思い出しませんか?
桐山さんもこの描写を著書に書いているのですよ。
「21世紀は智慧の時代」です。
桐山さんはこれを読んで釈尊らしからぬ荒唐無稽な表現と書いています。
そして、思うにこれはニルヴァーナを得た人の心象風景ではなかろうかと
結論付けています。
しかしこれが四神足を修行して六神通を得る、その神通力の一つなんですよ。
桐山さんによると七科三十七道品で一番肝心要の法は四神足だという。
その四神足で得られる神通力を心象風景ではなかろうかと書いたわけです。
うーん。この神通力を身につけなかったわけですね。
もちろんクンダリニーの覚醒体験がそれだったとも述べてすらいない。
一修行者さんによると、心象風景をツールに無意識にアプローチしていくのだそうだ。



437 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:02:25 ID:QMchk1Fc
ユビキタスは勉強できてないね。っーか基地外か

438 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:32:28 ID:jIh0OjIb
>>428 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:45:18 ID:em5icHRM
>別の本を持ち出してどうする?
>七氏号泣。

別な本とは、>>425の『ブッダ最後の旅』のことですか。
以下を>>411,>>422で引用したのはあなたであって、私ではない。

「これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。 」
(59、60頁)

・・・あ、わかった。
『ブッダ最後の旅』が『大般涅槃経』と同じ経典だと知らないのだ。
自分で引用しておいて確認もしないのが、いかにも付け焼き刃のペテン大作さんらしい。
無知は必ずしも恥ではない。
だが、自分の無知を知らないのは無恥です。
ましてや、自分の無知を棚に上げて、「七氏号泣」などと書くのは傲慢です。
前はあなたの自爆ネタに笑いすぎて涙が出るほどだったが、
どうやら、笑いをとるための自虐ネタではなく、本当に無知と無恥と慢心から
来る自爆らしいことに気が付いてからは、笑う気にもならなくなった。
私に投げたつもりの仏教の専門書や阿含経が跳ね返ってあなたの顔を直撃し、
それでも憎しみで目をテラテラさせて、罵りと仏教用語を叫びながら、
壁に向かって突撃するあなたの姿は異様であり、気味が悪いだけです。

439 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:35:52 ID:jIh0OjIb
2ch用意見スレ 1、A宗擁護スレ
http://www2.atchs.jp/agama/
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。
>5 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:43:42 ID:Xb2u34dc
>霊障の影響

自灯明などと唱えながら、霊障解脱の功徳など書いているのは、
いかに自灯明の意味を理解せずに使っているかよくわかる。
あなたは「我流のやり方」を自灯明という意味に使っているが、
自灯明にはそんな意味はありません。
自灯明は単独の言葉ではなく、法灯明とペアで用いられる。
釈尊の教法によって自らを修行の対象とすることを意味している。
釈尊の教法とは、自己が対象であり、自己以外ではありません。
このことを知れば、霊障なんて持ち出すことはありえない。
霊障があるかないかを議論しているのではありませんよ。
仏教の修行や信仰の対象は自己のみであり、自己以外のいかなるものも
対象にはならないという意味です。
霊障とは自己ではない。
だから、こんなものを修行や信仰の対象にする宗教を外道というのです。

440 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:40:16 ID:+1JK1Zfi
ぎゃははははーーーーーーーー
さーすがーー 。言ぅよねーー 立派だわ。
二人とも負けず嫌いなんだ、感心。

441 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:40:29 ID:jIh0OjIb
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。
>5 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:43:42 ID:Xb2u34dc
>霊障の影響

あなたは自分が霊感に優れており、霊障があることは感覚的にも
とらえているから、修行には絶対必要なのだと信じている。
自分が感知しているから、自灯明だと言いたいらしいが、
仏教の自灯明を理解しない解釈です。
感覚的にとらえようが、霊障のホトケが実在しようが、
それは自己の外にあるものであり、自灯明でいう自己ではありません。
釈尊は霊障解脱など説いていないから、法灯明でもない。
つまり仏教ではなく、外道の教えです。
仮に霊障があるとしても、釈尊は自己以外のものにすぎない霊障なんて
相手にしなかったことは、好戦経を何度も引用して示した。
だが、あなたは、というよりも、あなたも聞く耳を持たない。
好戦経の釈尊の「・・しかも説かざるは」という一語を
あなたはどう受け止めているのだ。
釈尊は肉段、つまり桐山さんのいう霊障のホトケの、
「存在は認めるが、自分は説かない」と言っているのです。
あなたは釈尊を大霊能者であり、仏陀だと認めるでしょう。
その大霊能者が、霊障のホトケなど無視しろと説いている。
なのに、どうして、そうやって霊障解脱の功徳なんて書いているのだ?
しかも、アゴン宗がことごとく霊障の解脱の功徳を得ているならまだしも、
「どこの新興宗教にもある奇蹟」以上のものはない。

442 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:43:56 ID:jIh0OjIb
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。

釈尊は霊障だの運命だのと、普通の人に認知できないものを
なんとかしろなどと説いていない。
自己は、他人はできなくても、自分だけは認識できる存在です。
釈尊は、どうにもならない他人ではなく、どうにかなる自分をなんとかしろと説いた。
また自灯明の場合、自己を変えるのは自己です。
だが、あなたの出した霊障解脱とは何ですか。
桐山さんの霊能力によって死者が成仏して、その御利益を受けたという話です。
他者の力に頼っている。
これのどこが自灯明だ?
自灯明とは他者に頼らないことです。
釈尊はアーナンダに向かって、「おれに頼るな」と言っているのです。
先生が生徒に、「自分の勉強なのだから、自分でやれよ」と言っているのと同じです。
だから、導師の法力で霊障のホトケを解脱するなんて、
できるかどうかではなく、発想自体が仏教ではありえない。
自灯明という大原則からいって、導師の法力に頼るなんてありえないからです。

443 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:47:28 ID:jIh0OjIb
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。

自灯明は法灯明と一対です。
釈尊のいう法とは、煩悩を断ち切ることです。
霊障解脱でも、因縁解脱でも、運命改造でもない。
自灯明という言葉を使うなら、どうしてあなたは法灯明を無視するのか。
法灯明にありもしない霊障解脱の話をなぜそこでまた繰り返すのですか。
しかも、批判側から、桐山さんの実例や、アゴン宗の公式な
霊障解脱の実例が成り立たないことを示され、さんざん批判されたことです。
それらを完全無視して、自灯明などといいながら、その直後から、
自灯明の教えに反するようなことを堂々と書き並べる。
それは釈尊への侮辱だと気が付かないか。
オウムがポアを殺人の意味に用いたのと同じで、
あなたにその気がなくても、釈尊の言葉だけ自分に都合良く利用し、
内容はいっさい無視するのは、釈尊を小馬鹿にしたのと同じです。
桐山さんがそれをさんざんやっている。
煩悩を出さない清らかな行いを意味する梵行を、
御利益をもらうためのあさましい行為の意味にすり替えた。
煩悩をなくすように法を伝えることを意味する法施を、
夜店のオモチャのような物を買わせる意味にすり替えた。
煩悩を切ることを意味する解脱を、好運をもらうという御利益解脱にすり替えた。
煩悩を断ち切って供養に値するという意味の応供を、
人と金を貢げば御利益をくれるという御利益如来の意味にすり替えた。
これらは単に釈尊の用いた意味を歪めたという悪業だけでなく、
多くの人に意味を誤解させたという点で、たいへんな悪業です。
あなたはまだ桐山さんの真似をするのか。

444 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:53:54 ID:jIh0OjIb
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。

自灯明を言うなら、アゴン宗によって煩悩がどれほど減ったか、
その功徳を書くべきです。
恥を知るなら、書けませんよね。
減らすどころか、増やしている。
霊障解脱自体が御利益信仰、つまり煩悩を増やす信仰です。
因縁切りなどの教義だけでなく、護摩などのイベント、占いなど
アゴン宗の修行のほぼ全部が法灯明に反することをしている。
唯一、心解脱と称して、煩悩をなくことを説いているが、
それすらも、内容をよく見ると、教団や桐山さんに疑問を持ったり、
疑いを持つことを心の因縁と称しているにすぎないのがわかる。
従順な宗教家畜になれと言っているのが、アゴン宗の心解脱です。
しかも、煩悩を切るのでさえ、自灯明はありえず、
仏様からの功徳で初めて切れるのと桐山さんは書いている。
アゴン宗のどこを切っても、自灯明も法灯明もない。
こういう環境にどっぷりつかって、桐山漬け物状態になっていたあなたが
私に捨て台詞代わりに自灯明を使っても意味がないばかりか、
こんなふうに逆手に取られるだけです。

445 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:57:21 ID:jIh0OjIb
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。

こんなふうに自灯明一つにも徹底して批判されるから、
あなたはますます私に反発心を持つ。
だが、自灯明の問題だけで限って見るなら、あなたの間違いであって、
私の憎しみではないことは明らかですよね。
私は仏教の本来の意味と、アゴン宗での信仰をあり方を示し、
あなたの自灯明は正しくないと指摘したにすぎない。
あなたは私が仏教の知識があると誉めてくれた。
だが、実は私には知識があるのではなく、仏教を普通に理解しているにすぎない。
アゴン宗や大日さんは普通に仏教を理解しようとせず、今回の自灯明のように、
我流で自分に都合の良いように使い回しているから、言葉一つにも矛盾が出てくる。
その最悪の模範演技をしているのが>>428のペテン大作さんです。
彼が何を言いたいのか、あなたは信者仲間として理解できますか。
解脱や神通力について何事か言いたいらしいまでわかるが、
具体的な内容は私が通訳しないと無理でしょう。
彼は阿含経や学者の説を持ち出して、桐山擁護をしようとしているのです。
あなたが霊障解脱でアゴン宗を擁護しようとしているのと同じです。
もっとも、あなたと違い、ペテン大作さんの目的はアゴン宗擁護ではなく、七氏撃滅です。

446 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 13:01:12 ID:jIh0OjIb
>105 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/15(月) 23:31:21 ID:Xb2u34dc
>自灯明で行く。結論はそこです。

必死に擁護したなれの果てがペテン大作さんです。
アゴン宗を擁護するのはかまわないが、それをすればするほど、
あなたは釈尊の教法からは遠ざかる。
釈尊の教法など興味ないというなら、自灯明なんて使わないことです。
私が干柿さんに皮肉を書いたように、「仏教なんか関係ねえ」と開き直るのは
一つの手なのです。
あなたは私が干柿さんの書き込みを理解していないと思ったようだが、
あなたは私の書き込みの意味を理解していないのです。
中途半端に仏教を使いながらのアゴン宗擁護は矛盾するだけだから、やめたほうがいい、
外道は外道らしく、釈迦なんか捨てて、開き直ったほうがいいと書いたのです。
仏教について書かれれば、私は遠慮せずに批判し、あなたは反論できないから、
ひたすら気分が悪く、私への反発心が増大するだけです。
これを言うのは、大日さんにはペテン大作さんと違い、自分のミスに対して
かなりの学習能力があると思っているからです。
アゴン宗の矛盾の多くはアゴン宗を名乗ったことが原因です。
インド古代密教(なんのこっちゃ)を標傍する桐山教なら、
一修行者さんのように、未だに桐山さんから超能力開発法を教えてもらえると
信じる信者はいるのだから、教義としてはそれほど矛盾はしなかった。
だが、桐山さんの大きな誤りは阿含経に手を出してしまったことです。
欲望と執着と憎しみが人の何倍と強い彼が、あろうことか
これらの煩悩を断ちきれという阿含経に手をだしたから教義すら矛盾を生じた。
大日さんも未だに桐山さんと同じことをしていることに気が付きませんか。
アゴン宗と阿含経は決して両立しない。
桐山さんは批判など無視したし、騙せる信者がいたから宗教として残っている。
だが、ここでは違います。
あなたが仏教や阿含経を混ぜながら、アゴン宗を擁護するなら、批判側は遠慮しない。
私が桐山憎しで反論しているのではなく、自灯明一つがそうであるように、
矛盾したことをあなたが書いているのです。
無駄な努力であり、あなた自身が不愉快になるだけです。

447 :ラシン:2008/12/16(火) 14:04:26 ID:TqwvaB/R
-神足相応 第五章-
ある婆羅門が、長老アーナンダに、こう尋ねた。
「友よ、欲を断ち切れる、道は存在するのか。」
「婆羅門よ、欲を断ち切る、その道は存在する。」
「婆羅門よ、欲を断つのに、四つの段がある。
それでは、この四つの段とは、如何なるものか。
第一に、欲求を以って修める、欲如意足である。
第二に、精進を以って修める、勤如意足である。
第三に、集中を以って修める、心如意足である。
第四に、思索を以って修める、観如意足である。」
「友よ、欲を断つために、欲を持とうとする。これでは、矛盾していると、言えないだろうか。」
「婆羅門よ、遥か彼方の地に行きたい者が、遥か彼方の地に着いたら、欲求は如何なるか。」
「友よ、行きたい、という、欲は消えるだろう。」
「婆羅門よ、遥か彼方の地に行きたい者が、遥か彼方の地に着いたら、精進は如何なるか。」
「友よ、行きたい、という、勤は消えるだろう。」
「婆羅門よ、遥か彼方の地に行きたい者が、遥か彼方の地に着いたら、集中は如何なるか。」
「友よ、行きたい、という、心は消えるだろう。」
「婆羅門よ、遥か彼方の地に行きたい者が、遥か彼方の地に着いたら、思索は如何なるか。」
「友よ、行きたい、という、観は消えるだろう。」

「婆羅門よ、だからこそ、このように言える。
阿羅漢になる欲は、阿羅漢果を迎えて止滅する。
阿羅漢になる勤は、阿羅漢果を迎えて止滅する。
阿羅漢になる心は、阿羅漢果を迎えて止滅する。
阿羅漢になる観は、阿羅漢果を迎えて止滅する。」

「妙なることだ、友よ、稀なることだ、友よ。
今日から、命が尽きるまで、仏法に帰依し奉る。」

448 :ラシン:2008/12/16(火) 19:20:57 ID:TqwvaB/R
>277 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 15:57:09 ID:yKGjiSFp
>『このように四神足が修練され豊かにされたときに、
もろもろの煩悩の汚れがほろぼされることによって、
汚れなき心の解脱・知慧の解脱をこの世において、
みずから証知し、現証し、具現して住する』

この時点で明解に解脱していると表現されています。

>『四神足―――それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 岩波文庫 234、249頁)
>『このように四神足が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、
もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。
すなわち卑賎なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、・・・・・・以下略す』

四神足は解脱を得る一修行であって修すれば三明六通という能力も備わる。
「清浄で超人的な天眼」とは修練によって得た宿明通だと分かる。
四神足で過去世を見たのではなく、三明のうちの宿明通で見通したと、
解釈出来るものです。
つまり、四神足を修して煩悩を止滅し(解脱)、後に四神足で得た宿明通で、
過去世を見た。
ー引用ー
「四禅には、想の滅する無想定が含まれている。さらに想とともに受も滅する滅尽定が
別に説かれている。
想と受が滅すれば、それよりも粗い他の心理作用はすべて滅してしまい、
無意識の領域の「細心」と、心所としては「触」のみが残存すると考えられている。
(この滅尽定は無色界の非想非非想処定に含まれている。)」
平川彰「法と縁起」春秋社384頁

この解説によれば四禅からニルバーナに入ったという『大般涅槃経』の記述は、
七氏さんの指摘通りで矛盾しません。

449 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 21:01:23 ID:5BAkkYqt
今生から来世の記述が阿含経にあります。
行いによって、
来世は天界であるか三悪道阿修羅であるかについてかかれています。
これは転生後についての話です。
転生後に限った話でしょうか?
今生における今より先が、
良いじょうたいであるか悪いじょうたいであるか?
その答えも行い(カルマ)によるというものなのです。


阿含経には、運命解脱の記述があるのです。


450 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 21:03:58 ID:5BAkkYqt
釈尊

家のあるもの家をすてたものーお互いが依存しあい
聖なるダンマの顕現が成就する。

451 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 21:07:58 ID:5BAkkYqt
家あるものに幸せをもたらす
四つの徳目が存在する。
誠実
ダンマの顕現
堅固

この四つが整い
家あるものが幸せになる(善き果報がえられる)

452 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 21:30:40 ID:5BAkkYqt

在家信者におけるダンマの顕現の一面として
今生において転生があったごとくの働きをもたらします。
(幸せには、四つの徳目が備わらないといけません)
ダンマの顕現はカルマの清算をもたらすという一面もあります。
(良いことがおきます。
悪いことがおき悪きカルマ清算されてしまいます。)

出世間の幸せはダンマの顕現に従うことです。
ダンマに従って死を選ぶことも
出世間の幸せであるとおしえにあります。
出世間の善き果報なのです。

453 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 21:36:11 ID:VgFt965j
七氏さん、

夕べは泣き明かしましたか?


454 :樹意:2008/12/16(火) 21:37:09 ID:AfWatEhk
>>418
>>413

> 「解脱→三明」は成り立ちません。
> 「解脱→三明」は真っ赤な嘘です。

嘘がどうのこうのではなく、単なる解釈の違いであり、見るポイントが
違うだけのことです。 登頂において足の指が先に掛かったのか
かかとが先か?という議論に似て、些少な違いを議論の題材に載せるのはいかがな
ものかと思う。

私は前回Q氏の個人情報がたとい種有無局であろうが漏れるのは
好ましくないとして あなたを庇った記憶がある。
アゴンという団体は 暴力系の団体と繋がっていますからね、 どなた様であろうと
暴力の洗礼を受けるのは好ましくありません。
しかしながらその後あなたは私に食って掛かったかと記憶している。



455 :樹意:2008/12/16(火) 21:38:28 ID:AfWatEhk

今回も私は尊敬する七氏さんとは異なる意見を表明した。
といっても 七氏さんが提示した根拠とは意見が異なるわけではありませんが。

私のスタンスは☆さんの意見であってもなるほどと思った意見は取り入れ、それまでの意見は
引っ込めるスタンスです。
ですから、批判側であるとか擁護側であるとかの垣根はありません。
その意見が正しいのか否か。 或いは社会性があるのかはたまた、子孫達の為になるのか否か
ただそれだけです。

そもそもQ氏においては、ゲイカが不浄仏霊の根拠とした意生身と 沙門果経で説く 意から成る
智 を同列に扱った前科がある。
4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)と不浄仏霊と同じな道理があるわけがない。
まして、ゲイカは仏陀が戒として定めるものを平気で破りあろうことか、それをイベントとして
売り物にしている。
七氏さんとてご自分の時間を裂いてあなたにレスを返している。 スレッドの趣旨に反して
七氏さんと遊んで欲しいならその旨彼にお断りした上で 宜しくお願いしますと言うべきだ。
と思う。



456 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 21:41:16 ID:5BAkkYqt
滅諦の
滅は、制御 制止 堰き止め という意味です。
“ なくす ”“ 切り離す “”“ 消滅 ”などは、
釈尊の最終的な正しいアプローチとは違います
雑阿含経
第七八四〜
世間の八正道と
聖の八正道は
ここで学べます。
八支が十になってはじめて“すべてとなった=無学”となります。
プロセス上ですべてとはなっていません。
プロセス上では、影響しあい依存しあい重なり合い成立しています。
桐山氏でやってると裏目にでた人たちがいた。
正目のでた人もいる。裏目にでるのには理由があります。
理由はいろいろありますが、最初がまずいです。
桐山氏は、自分の団体をつくったときに入門希望の人たちへの人選が緩くて
甘すぎます。入門希望者を適切に振り分けることと
入門時以前の霊系にたいする適切な指導の二点について
零に近い弱さがあります・・・・・・
裏返ったひとが、否定の材料に釈尊を出すのは間違っています。
釈尊のおしえをすべて網羅したうえでみると
釈尊のおしえのなかに桐山氏でやってることが含まれてしまいます。
べつな切り口での批判ならあってしかるべきです。
仏陀釈尊を中心とした集まりでさえ、
いろいろな問題がありました。
僧団の問題のために
釈尊が最初やっていてやめてしまったこともあります。

457 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:09:07 ID:VgFt965j
今度は別の角度から見て「解脱→三明」なんて可笑しい、という話です。

>「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
>不動心を得、・・・」(黄廬園経)
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
>柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、
>しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると・・・」(沙門果経)
>このように心が統一され、清浄で、きよらかで、汚れなく、
>やわらかで、巧みで、確立し不動となったときに・・・」
(三明の引用経典。ゴータマ・ブッダT、410頁)

上の経典に出てくるのと同じ言葉がここにもいくつか出てきます。


ヨーガ根本経典(ヨーガ・スートラ)
第一章 三昧
(一) これから「ヨーガの解説」(が述べられる)。ヨーガは三昧であり、心の状態を指す。
(三三) 心の清澄とは、心が専念状態になって、安定した状態をいう。
(三四) あるいは、呼吸の吐出と保持とによって(心の安定が得られる)。
(三五) あるいは、対象を伴った(感覚器官の異常な)はたらきが生ずるとき、
     (それは)心の不動の原因となる。
(三六) あるいは、憂いを離れ、光輝ある(はたらきが生ずるとき心の安定が得られる)。
(三七) あるいは、愛欲を離れた(聖者たちの)心を(凝念の)対象とする
     (ヨーガ行者の)心(は、安定を得ることができる)。
(三八) あるいは、夢や睡眠における知を(凝念の)対象とする(心も、安定に達することができる)
(三九) あるいは、何でも望むものを瞑想することからも(心の安定が得られる)。
(四〇) 彼(ヨーガ行者)の支配力は、極微のものから極大のものに及ぶ(心の安定を保持している)。
(『世界の名著1 バラモン経典・原始仏典』 211〜216頁、中央公論社)

458 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 22:10:11 ID:5BAkkYqt
ダンマの顕現が世間の幸せであるか出世間の幸せであるか。
これをとりちがえてはいけません。
○幸せな家あるものは、輪廻転生時のカルマの清算し天界。
○釈尊のおしえで
重き荷物も分ければよいということにより、
今生でのダンマの顕現により守護されつつカルマの清算。
等々の良いパターンが成果としてでないのは、
徳目の条件がそろっていない場合でもあるのです。





459 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 22:14:47 ID:5BAkkYqt
良いパターンか
裏目に出るか

本尊には誓願があります。本尊が変わった良い面と曖昧になった面、
そして、密教修験と在家信者しかも修行者、その維持管理、等々。

よくやっている反面で生かされてこないのは、
かわいそうでもありますが、
自己責任そして結局の実態は自業自得というだけのことです。


460 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:15:36 ID:VgFt965j
>>457の続き

「心の清澄」、「心の不動」、「憂いを離れ」といった言葉、
黄廬園経や沙門果経なんかに出てくるのと似てますよね。
「心の安定」なんてそのまんまです。
これを見たら両者は似てるというより同じものではないですか?
ヨーガ経典にあるこれらの言葉はヨーガ行者の心の状態を指したものです。
だから仏典の方も、比丘の心の状態を指すのにこれらの言葉を使った。
こう考えるのが普通だと思います。

このヨーガ経典を見れば
「心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、」
という文句は解脱の意味である、なんて解釈はお笑いでしかない。
比丘が解脱してないのだから「解脱→三明」もお笑いです。

461 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/16(火) 22:15:41 ID:5BAkkYqt
良いパターンか
裏目に出るか

本尊には誓願があります。本尊が変わった良い面と曖昧になった面、
そして、密教修験と在家信者しかも修行者、その維持管理、等々。

よくやっている反面で生かされてこないのは、
かわいそうでもありますが、
自己責任そして結局の実態は自業自得というだけのことです。


462 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:22:57 ID:VgFt965j
『仏教「下」―第二部教理―』翻訳者の言葉より


『英国のリス・デヴィズの『仏教』(1880年)とドイツのオルデンベルクの『仏陀』(1881年)とは
仏教の開祖に関する概説書として各国語に訳され、広く影響を及ぼした。
どちらもパーリ語仏典を資料とするもので、それは歴史的な仏陀の真説を伝えるもので、
これによって仏教の最古の実態を明らかにすることができると称する。
我が国の学者はこれに漢訳「阿含部」「律部」の資料を加味し、“根本仏教”または“原始仏教”などと称した。』

『リス・デヴィズやオルデンベルク、ないしはその同調者たちは
必ずしも先入観なしにパーリ語仏典を客観的に考察したのではない。
十九世紀末の実証主義的な風潮を反映し、かつまたプロテスタント倫理を意識していたように思われる。
そこで、いわゆる“原始仏教”は奇跡や超自然を含まず、健全な社会道徳を説くものであるから、
近代社会の常識と違反しないという点を強調したのである。
我が国でもそれに倣って“原始仏教の実践哲学”を論じ、
“縁起説の論理主義的解釈”を試みる者さえ現れた。
しかし、そのような“原始仏教”の知識が仏教そのものの理解にはあまり役に立たず、
またわれわれ日本人の精神生活の上に得るところがなかったことは近時、反省されている。』 

463 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:23:42 ID:VgFt965j
『英国、ドイツ、北欧などの新教諸国におけるパーリ語仏典研究に対して、
主としてフランス、ベルギー、ロシア、ポーランドなどの旧教国の学者は
同じころサンスクリット語、チベット語、漢訳等の資料をも総合的に研究し、
仏教は理論的な哲学というよりも、むしろ最初から実践的な宗教であった、
という見方を強調する傾向があった。
この傾向を代表する学者(シャイエル、レガメイ、ロモットなど)の重要な著作が出たのは
第二次大戦以後であるが、同じような意見を表明した学者は20世紀初期にもいた。
ここに紹介するドイツのベックもその一人である。』
(158、159頁)

464 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:47:37 ID:VgFt965j
樹意はかまって欲しいのか?

>>455 :樹意
>そもそもQ氏においては、ゲイカが不浄仏霊の根拠とした意生身と 沙門果経で説く 意から成る
>智 を同列に扱った前科がある。
>4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)と不浄仏霊と同じな道理があるわけがない。

4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)??
その解釈はあなたが読んだ本での解釈です。
たぶん片山さんあたりからの情報でしょう。
だがベックの解釈はそれとはちがいます。

>>454 :樹意
>嘘がどうのこうのではなく、単なる解釈の違いであり、見るポイントが
>違うだけのことです。
と、自分で書いておきながら
早速、自分の解釈を押し付けてくるところがいかにもあなたらしい。

おっと、こんなこと言っても無駄だった。
はやく医者に行きなさい。
近代医学こそがあなたの救いとなるでしょう。

465 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:53:51 ID:VgFt965j
>>411
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。

>>412
「増支部経典」四・四一〇ページ以下においては、
四の瞑想段階と、それに続く四の界の段階(ついに滅尽にいたる)とを
九の“次々に滞在すること〔次第住定〕”の九の状態として記述してある。』

これが決定打でしょうね。

466 :神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 23:10:52 ID:QMchk1Fc
ユビキタスはめちゃくちゃだ。

467 :○○屋:2008/12/17(水) 00:02:54 ID:upmrUTXQ
>>>455 :樹意
>>そもそもQ氏においては、ゲイカが不浄仏霊の根拠とした意生身と 沙門果経で説く 意から成る
>>智 を同列に扱った前科がある。
>>4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)と不浄仏霊と同じな道理があるわけがない。

>4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)??
>その解釈はあなたが読んだ本での解釈です。
>たぶん片山さんあたりからの情報でしょう。
>だがベックの解釈はそれとはちがいます。

横レスですが、ここの指摘は「意生身」の解釈で、不成仏霊であるか
沙門果経で説く 意から成る 智 であるかの点です。

「4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)??」の出典や言葉の定義
、解釈などを議論の焦点にずらすの姑息で見苦しく感じます。




468 :樹意:2008/12/17(水) 03:11:43 ID:T6cPLhDR
>>464
> 樹意はかまって欲しいのか?

私はおまいさんと違ってゲイカを批判するネタになればいいだけだからして
別段おまいさんのような方との議論を望んでいるわけではない。
私は批判ネタになるようなものだけ ピックUPするだけの事
私はしょっちゅう脱線しているようでいて、スレの趣旨には外れない。

> 4禅の更に上にある(明智)(涅槃と同列の智)??
> その解釈はあなたが読んだ本での解釈です。
> たぶん片山さんあたりからの情報でしょう。
> だがベックの解釈はそれとはちがいます。

沙門果経でキチンと順序を示して説いているものを動かせる道理はないだろう。
ゲイカではあるまいに、引用と解釈 意見と事実は分けて考えるのが
世間一般常識です。
沙門果経その他 戒蘊篇で説かれる修道の順序に随って書いただけのことです。
アゴンやQ氏は神通力だの超能力だのにしか目がいかないし、それを軸に考えるから
戒も定もなしに一足飛びに 慧 の議論にいこうとする。


469 :樹意:2008/12/17(水) 03:17:20 ID:T6cPLhDR
戒は先に示した通り、ゴマ 占い 先祖の話、霊的な話 宅地の清め、将棋  要するに
邪な呪術は禁止、総本山でゴマを焚き 囲碁をするなんてのは阿含経をよりどころに
するなんてのがウソだという一番の証拠です。
戒   ゴマ 占い 禁止
定   初禅〜四禅
慧(明智)(解脱)  

沙門果経での第四の禅の番号は 83 84  内観の智 85.86 意からなる智 87.88
煩悩滅の智 99 100

四禅において (清浄で純白な心によって満たし) その次の段階である
(各種の智見に心を傾注する段階)へ進む。

解脱(阿羅漢道)(涅槃)は煩悩滅の智 に心を傾注し向け
「このように知り、このように見るかれには、欲の煩悩からも心が解脱し、
生存の煩悩からも心が解脱し、無明の煩悩からも心が解脱します。解脱した
ときには、解脱したという智が生じます。」
片山一良氏訳 ディーガニカーヤ 沙門果経。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長くなるので引用しませんが四聖諦を確認というか知り 完全に解脱する。
他の方が翻訳されたものでも同じだと思いますよ。
ちゃんと書いてある。 これが解脱(涅槃 阿羅漢道智)を得た瞬間であり、
それを確認する瞬間です。 解脱を四沙門果とせず(涅槃)(阿羅漢道智)とするなら
この瞬間がそうです。


470 :樹意:2008/12/17(水) 03:31:02 ID:T6cPLhDR
四禅において (清浄で純白な心によって満たし)
《付随煩悩がない状態によって清浄であり、輝きの状態によって「純白」」である》
状態を作りだし 篇《kasina カシナ》の順、逆 などの十四種の行相により
八等至において自在になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまでが 戒定慧 の定の段階   ここから先が《慧》 の段階になる。
こう書くとQ氏などは、ほれミロ まだ解脱していないではないかと書くだろうが
これは仏陀が説く沙門果経即ち仏教としての四禅であり 四禅に達したなら
「かれは、この身体を、清浄で純白な心によって満たし座るのです。−−−」
意図的に煩悩を退ける操作が入り、梵網経で批判する四禅をもって現世涅槃論を
説く方たちの表現とは一歩進んだものです。
付随煩悩を退けた段階でほぼ 解脱したといっても言いぐらいです。
しかしながらやはり《涅槃》は《煩悩滅の智》による最後の仕上げがいると思われる。

梵網経 現世涅槃論
「しかし友よ、確かにこの我は、楽を断ち、苦を断ち、以前にすでに喜びと憂いが
消滅していることから、苦もなく楽もない、平静による念の清浄のある、第四の禅
に達して住む、−−−−」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

即ち、登頂において かかとが先かつま先が先かの議論と同じようなもので仏陀の修道法に
おいて四禅まで達したなら《明智》《解脱》は最後の一歩ぐらいの差なのです。


471 :樹意:2008/12/17(水) 03:52:50 ID:T6cPLhDR
>>470

四禅は四禅でありますから、そうたいした違いはないのでしょうが 
まぁ 現実に仏陀は四禅をもって 現世涅槃論を説く方を批判されている。
その上に道智があり 道智 をもって最後の仕上げをする。
沙門果経は戒(大中小)と定(四禅)明を慧(八明)によって説かれていますが
同じ戒蘊を説くソーナンダ経は「智慧」を定(四禅)と慧(八明)によって説いている
ようです。 (定も慧として説いたと経典もあるということです。) 


472 :樹意:2008/12/17(水) 04:00:46 ID:T6cPLhDR
>>397

> > また近行禅は「足」であり、初禅〈第一禅〉は「神」である。近行をともなう
> > 初禅は「足」であり、第二禅は「神」である。以上にように前分は「足」であり、
> > 後分は「神」である。このようにこの場合の意味が知られるべきである。−−
> > とあります。

> 注釈に
> 「神通」〈iddhi〉とは《成功(ijjhana)、或いは完成(nip-phatti)、獲得
> (patilabha)の意味によって神通である》「足」(pada)とは 《基礎(padaka)、
> あるいは足場(pada-tthana)となるもの》の意
>
> 八正道の正定は(初禅〜四禅》を指し、各種(明智)は(神通)として紹介されて
> いる。 八正道のうち正定を除く他の支は 正定を支えるものとしての位置づけがある。
> 超能力でカルマを切るなんてのは お笑いでしかないわけです。

先に根拠をあげて説明しましたが、四如意足はこれ初禅から四禅《正定》の別名です。
意欲をもった禅定 近行定を足場に初禅 初禅を足場に二禅と進む様をいうわけです。
要するに禅那に励むよう薦めたのが趣旨でほんでもって、それにあたり 
心不毛を除くよう説いている。 比丘たちへの業処を考え
 戒を納め定に専注すべき方たちには 四如意足を説いたということなのです。
全ては八正道のうちなのです。 (滅諦)


473 :ラシン:2008/12/17(水) 11:42:07 ID:nywcCPTV
釈尊はラーマプッタに師事し非想非想処定を得ても解脱しなかった。
煩悩があるかぎり戻れば元の木阿弥となるのは、樹意さんが指摘しているように
戒と慧が不足していたからです。
煩悩の滅尽が解脱へ誘うのですから、禅定はその手助けでしょう。
釈尊は苦行も捨て去り、四禅を修して涅槃に到達したのですから、
必ずしも四無色定が四禅の上位に位置すると考えるのは早計です。
むしろ解脱者が趣ける定が九の滅尽定であり、涅槃の追体験という位置付けになる。
つまり、第四禅と滅尽定とは等しい境地だと判断できます。
それにしてもQさんが示す引用は結果自分の首を締めている。
警察官が必要で、きちんと警察手帳を示しながらオレは消防士だと言うに等しい
その度胸には驚きます。

474 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:26:09 ID:oqzlzZXE
>>473 聞いてきました。http://c.2ch.net/test/-/psy/1226841824/44-48
それにより得た考えですが、どうも解脱コースは2コースあるのかも
1、四禅〜非想非想処定まで行い、その次に観禅によりアラカンになりアラカンになってから滅尽定を行う。

2、四禅まで行い、その次に観禅によりアラカンになる。この場合 滅尽定は行えない。

その他、最初から観禅を行う。上記の止禅による訓練を四禅まで行ってないのだからインスタントな観禅であり、アラカンにはなれないがそれなりに効果ある

475 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:35:30 ID:mG0IY2kR
2ch用意見スレ 1
http://www2.atchs.jp/agama/
>106 名前: ○○屋 2008/12/16(火) 16:24:45 ID:kmJk9zAs
>私からすると、名無しさんは明らかに、傲慢で、人に対してヤユするようなやり方を感じます。
>Qさんはくどいが、名無しさんは黙って聞く、とか、静観するとかって出来ないんじゃないかとおもいます。
>その意味で性格的にバランスを欠いていると納得せざるをえません。

本人宛ではなく、本人のほうも見ないで、こうやってあなたは私を批判する。
これが性格のバランスのとれた人のすることなのですね。
こうやって自分のことでもないのに、腹を立てている七氏について
口を出さないでいられないのだから、あなたこそ静観できないタイプです。
あなたと違い、私は自分が性格的にバランスがとれているなんて自惚れはありません。
大日さんも、悔し紛れに、煩悩解脱を説きながら煩悩を出しているなどと私を腐すばかり。
あれだけ具体的に彼自身のことを書かれて、こんな皮肉しか返せないのかと、
性格のバランスのとれていない私は、情けない人たちだと思う。
私は毎度、お二人にも、相手を批判する時には、具体的にどの文章がそれなのかを
指摘しないと、ただの悪口ですよ、と言うが、決して、二人ともそれをしない。
根拠も示さず、相手を批判するのは罵りであり、
性格のバランスの取れている人のすることではありません。
大日さんと二人で「七氏め!」とそちらで傷の舐めあいをするのもいいでしょう。

476 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:39:44 ID:mG0IY2kR
>106 名前: ○○屋 2008/12/16(火) 16:24:45 ID:kmJk9zAs
>Qさんはくどいが、名無しさんは黙って聞く、とか、静観するとかって出来ないんじゃないかとおもいます。

私がペテン大作さんのすべてにレスをつけていると思っているのですね。
数回のやり取りで、彼が同じことを繰り返したら、私がレスをつけるのを
やめていることにあなたは気が付いていないようだ。
また、彼のように枝葉末節や支流に議論をもっていっても、
私は議論の主旨である「神通力でカルマを切るのが解脱」という桐山説の
批判からは一歩も出ていない。
でも、あなたにはそのようには読めないのでしょう。
黙って聞く、静観するなどと、一見大人びたことを書きながら、
私との議論で反論できなくなったことを、自分は黙って聞いた、
静観しただけだ、と自己弁護しているのですよね。
キツネが食べ損ねたブドウをすっぱいというのと同じです。
それは大人びた態度ではなく、ただの言い訳、自己弁護です。
ただ、静観できない、とはまた良いことを書いてくれた。
実は、○○屋さんにレスをつけたいと思っていたことがあるのです。
でも、あなたが相当に私を嫌っているのを知っているから、
静観しようかと思っていた。
私が静観できない性格だとせっかく書いてくれたのだから、書きましょう。

477 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:44:18 ID:mG0IY2kR
>[276]○○屋 08/12/03 12:19 D-zHciV
>2ちゃんねるで、勉強して試験で高い点数をとる云々の例えがありましたが、あれは 頓珍漢な例えですね。折り込み済みの人生との比較検討が必要だからです。

これはもろに私の書いたことへの皮肉だが、私はレスを付けなかった。
静観できないという私が静観することもあるのが分かりましたか。
何がどう頓珍漢なのですか。
○○屋さんがスレ150の505で
>十二支因縁が運命を暗示しているからさ。
と書いた。
何人もの人から、仏教には運命なんて関係ないと手を変え品を変えて
説明され、私からは仏教に運命を持ち込むのは桐山さんの洗脳から
抜けられないからだと言われても、あなたはどこ吹く風だった。
ユビキタスさんから丁寧に説明されても、性格のバランスの
とれている○○屋さんの答えは、
>十二支因縁が運命を暗示しているからさ。
あれだけユビキタスさんから説明されても、その言葉に耳を傾けるなり、
内容的に反論するならともかく、完全無視して、同じことを繰り返した。
あなたのは静観ではなく、他人の意見の無視です。
こういうあなたのどこが「黙って聞く」なのだ?
これは黙って聞くのではなく、「黙って無視する」というのです。
子孫さんやペテン大作さんが反論を完全無視して自説をどこまで唱えるのと大して違わない。
あなたのその馬耳東風ぶりを私は150の507で勉強にたとえて書いた。
先生はただ勉強しろと言っているだけなのに、
何をどう説明されても、運命に解釈する愚かな学生のたとえです。
頓珍漢どころか、今のあなたの姿そのものです。

478 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:48:17 ID:mG0IY2kR
>[276]○○屋 08/12/03 12:19 D-zHciV
>2ちゃんねるで、勉強して試験で高い点数をとる云々の例えがありましたが、あれは 頓珍漢な例えですね。折り込み済みの人生との比較検討が必要だからです。

あなたは何をどう説明されようが、運命という観点から「抜けたくない」。
何が何でも運命で仏教を見たいのですよね。
私が507でたとえたように、勉強と大学の合否は運命という観点から見られないことはない。
だが、馬鹿げた観点です。
先生はそんなことは説いていない。
同様に、釈尊の十二縁起は運命なんてまったく関係ない。
それを強引に運命であるかのようにあてはめるのは、
大学の合否に運命を考える生徒と同じです。
「折り込み済みの人生」とは何のことですか。
その後あなたはいきなり釈尊の常見と断見を出しただけで、何も説明していない。
どこにその「折り込み済みの人生」とやらがあるのだ?
仏教には、「折り込み済みの人生」なんてありません。
何も言えなくなり、こんな意味のない反論をしているのだから、
頓珍漢はあなたのほうです。

479 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:54:50 ID:MIr0mrXT
毎日読んでるけど
どっちもどっち、五十歩百歩だよ。

480 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:56:45 ID:mG0IY2kR
>[276]○○屋 08/12/03 12:19 D-zHciV
>2ちゃんねるで、勉強して試験で高い点数をとる云々の例えがありましたが、あれは 頓珍漢な例えですね。折り込み済みの人生との比較検討が必要だからです。

○○屋さんの議論は、ちょうどペテン大作さんの霊魂の議論と似ている。
釈尊は霊魂の有無については議論しなかった。
だが、凡人の我々は、輪廻の主体が何であるかを知りたい。
議論するなと言われると、いよいよ、いったいそれは何かと考えたくなるのが人の常です。
あなたもこれに似ている。
「運命の主体である我を否定している」などと書いてるが、
経典のどこに「運命の主体」なんて文章があるのだ?
自分の興味や関心に応じて、勝手な解釈をどこまでも広げようとする。
自分の興味ならまだいいのです。
あなたもペテン大作さんも、その追求の背後には共通した人物がいる。
それが桐山さんです。
桐山さんに仏教とは運命や霊魂の話なのだというオカルトを植え付けられた。
だから、仏教の何を示されてもあなたや一修行者さんや大日さんも
条件反射のように運命に話を結びつける。
自分の反応が異様だとは三人とも気が付いていませんね。
私から洗脳だと指摘されると、慢心ばかり強いから、検証しなおすのではなく、
「なにを言うか、七氏ごときが。オレ様が洗脳されているだと?
管長の説を鵜呑みにしたのではなく、自分なりに深く深く考察したのだ」と
強烈に反発するばかり。
洗脳や条件反射でないなら、運命なんて阿含経のどこにもないのに、
どうしてそれを執念深く出そうとするのだ?

481 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 12:59:58 ID:mG0IY2kR
>[276]○○屋 08/12/03 12:19 D-zHciV
>2ちゃんねるで、勉強して試験で高い点数をとる云々の例えがありましたが、あれは 頓珍漢な例えですね。折り込み済みの人生との比較検討が必要だからです。

運命についての考察とやらを出そうにも、何にもないから、ただ、
>十二支因縁が運命を暗示しているからさ。
のような根拠のないことを書き並べるだけ。
こういうあなたのどこが他人の意見を静かに聞いたことになるのだ?
あなたのしていることは他人の意見を黙って聞き流し、静観ではなく、
声高に自分の意見を並べているだけです。
こういうあなたがよくまあ他人に、黙って聞く、静観する、
性格のバランスが取れていない、などとお説教を垂れるのものだと、
あまりの慢心ぶりに、毎度驚かされる。
あなたはアゴン宗を辞めてもまだ桐山さんの呪縛から抜けられないのです。
○○屋さんは金銭的にはアゴン宗から離れたのだろうが、
相変わらず、仏教を見る目は桐山教から離れられない。
だから、運命など説いていない釈尊の教法を、わざわざ運命の
観点から見ようとする。
かなりの重病だと思ったのは次の文章です。
あまりにひどい文章なので、よほどレスをつけようかと思ったが、
あなたは私に反発するばかりで受け入れないだろうと
私は静観することにした。
だが、今回、レスをつけるチャンスをあなたがくれた。

482 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 13:03:27 ID:mG0IY2kR
>[367]○○屋 08/12/12 08:46 r60b7I2zOE
>釈尊「そもそも運命とは何か?それはカルマの法則(因果の法則)に
>よるところが大きいが、カルマの法則は「我」の煩悩に因る。我とは何かを考えるとその答えは容易に理解できるであろう。」

なんですか、これ!?
これを読んだ時、私の印象を率直に申しあげるなら、内容以前の問題として、
○○屋さんは釈尊への信仰心が薄いということです。
これがジョークで書いているのならまだいい。
だが、あなたはかな〜り本気でこれを書いている。
せめて、経典を示し、現代語で意訳しているというならまだいい。
経典の根拠もなく、もちろん、学者たちがこのような解説をしているはずもなく、
あなた個人の考えにすぎない内容を釈尊に口パクで言わせている。
どうしてこんなにあなたは釈尊に対して無礼なのだろう。

483 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 13:08:21 ID:7FWNDGJ5
>[367]○○屋 08/12/12 08:46 r60b7I2zOE
>釈尊「そもそも運命とは何か?それはカルマの法則(因果の法則)に
>よるところが大きいが、カルマの法則は「我」の煩悩に因る。我とは何かを考えるとその答えは容易に理解できるであろう。」

釈尊がどこで「運命とは何か」と言ったのですか。
あなたは運命というと高尚なものだと思っているようだが、
当時のインド宗教から見たら、低劣な呪術にすぎない。
運命というなら、常見、断見が有名です。
運命が決まっている、運命などないという両極端の意見だが、
釈尊はこれに対して第三の見解を出したのではなく、両者の否定です。
つまり、彼は運命があるかないかすら議論しないと宣言したのです。
常見、断見の否定とは、内容の否定である同時に、運命など取り扱わないと言っているのです。
こういう釈尊が「運命とか何か」なんて言うはずがあるまい。
カルマの法則って何ですか。
あなたの使ったカルマの法則とは、運命を議論したいのだから、
前世で為したことの報いのことですよね。
つまり、アゴン宗や世間一般に使われる意味に使っている。
釈尊はそういう意味でカルマを使ったことはほとんどない。
釈尊のいうカルマとは身体と言葉と心での行為を指します。
身体と言葉と心で悪いことをするのを悪業といい、その報いが来ることは説いている。
だが、前世の報いというような意味でカルマの法則など説いてはいません。
これを説いたのはバラモン教です。
過去の話をしているのではなく、今、この瞬間の身体と言葉と心での
行為に煩悩が出ないように正しい行為をせよと説いているのです。
釈尊の説くカルマには、どこにも運命なんて考えはありません。

484 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 13:11:54 ID:7FWNDGJ5
>[367]○○屋 08/12/12 08:46 r60b7I2zOE
>釈尊「そもそも運命とは何か?それはカルマの法則(因果の法則)に
>よるところが大きいが、カルマの法則は「我」の煩悩に因る。我とは何かを考えるとその答えは容易に理解できるであろう。」

「我の煩悩」とは何?
煩悩の分類や説明はずいぶんたくさんあるが、「我の煩悩」という表現は
初めて聞いた。
これは具体的にどういう煩悩を指すのですか。
そんなものは阿含経にはなく、あなたの発明ですよね?
「我」を考えれば、とあなたは簡単に書いているが、
これだけでも本一冊になるくらい議論が行われている。
それをただ「考えれば」と言われても、いったいどの説の「我」なのか
さっぱりわかりません。
「我→煩悩→カルマの法則→運命」と言いたいようだが、
このように一つ一つの言葉を見ると、実は何の根拠もない内容を
ただ仏教用語をつなぎ合わせて、それらしくみせかけているだけです。
カルマの法則や我の煩悩など、現実の阿含経の教法とも、また学者の解説とも
違う内容をあたかも釈尊が説明しているかのように書いている。
あなたの意見として書くのは自由だが、それを釈尊が言っているかのように
書くことに、あなたの信仰心は痛みを感じないのですか。

485 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 13:13:19 ID:MIr0mrXT
でも、
七氏さんの文章は好きですよ。 ハッと気付かされる内容も多い。
Qのような訳の分らん文章はないし
学者の本を読む前に七氏さんの説明に目を通してますよ。

486 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 13:15:41 ID:7FWNDGJ5
>[367]○○屋 08/12/12 08:46 r60b7I2zOE

○○屋さんだけでなく、信者さんたちももっと自分たちが
釈尊にひどいことをしていることに気が付いて、痛みを感じてほしい。
釈尊が因縁解脱や霊障解脱を説いたとか、神通力で解脱したとか、
護摩や占いを容認したとか、死者の成仏を説いたとか、運命改造を説いたとか、
ありもしないことや否定したことをあたかも釈尊が説いたかのように信じ、
これを周囲に宣伝し、宣伝するアゴン宗を擁護している。
それは、釈尊への反逆であり、侮辱であり、背徳行為です。
いくら信じるのは自由だと言っても、釈尊が否定し、禁止したことを
逆に、これを奨励したかのように説くのはひどくはありませんか。
その一つ一つを阿含経などの根拠を示し否定されても、
○○屋さんや一修行者さんや大日さんは、まだ運命解脱に執着し、
その根拠を阿含経にあるかのように書いている。
どうしてそんなに執念深いのでしょう。
間違いだと気が付いたら、さっさと直せばいいではないか。
何も我々は仏教の専門家ではなく、素人の在家にすぎないのだから、
間違っていたら、それを修正すればいいだけです。
ところが、絶対に認めたくない。

487 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 13:21:50 ID:7FWNDGJ5
>[367]○○屋 08/12/12 08:46 r60b7I2zOE

頑迷に、執念深く、釈尊も運命を説いたと主張し、それを批判されると、
黙って聞けない、静観できない、性格のバランスを欠いている、頓珍漢だ、
煩悩を出しているなどと、相手が悪いかのように言い返す。
私には○○屋さんや一修行者さんや大日さんが、ペテン大作さんとは違い、
性格のバランスを欠いているようには見えない。
三人は子孫さんと違い、普通の知性と普通の精神を持っているように見える。
だが、こんな運命なんて、ただの占いという呪術に、どうしてそこまで執念深く
取り憑いているのか、理解できない。
釈尊は占いを捨てろと言っているのだから、まず彼の言葉を信じて、
捨てられないなら、せめて運命など考えることも中止するべきではないか。
自分のわずかばかりの知識で、運命の話を無理矢理阿含経に押し付けるのではなく、
釈尊の説いた仏教とは何かを学ぶために、一年生から始めるべきです。
この三人の共通点の一つが行歴が長い。
信者に教える立場にある人すらもいる。
なまじ自分がエライと思っているから、自分を真っ新にして、学び直すことができないのです。
だが、それはただの慢心にすぎない。
他の信者さんたちも、釈尊の説く仏教など何も理解していないのだと
いう自覚を持って、最初からすべてを勉強し直すべきです。
今までの知識にしがみつくと、簡単なことすら理解できなくなることを
この三人が模範を示しているのです。

488 :勉強家:2008/12/17(水) 13:34:33 ID:HsQC8RFf
オンシンタマニダトウンソワカはどういう意味でしょうか。

489 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:16:04 ID:wC3cIhCF
>>421 :神も仏も名無しさん
>『これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
>さとったのではありません。』 ( 『ブッダ入門』中村元、131ページ)
>これは学者が具体的にはっきりと書いた文章です。
>あなた以外の人には、三明で解脱したのではない、と読める。
>この一文でもう結論が出ているのです。

学術書でもない220頁の講演録に書かれた一文が
「解脱→三明」の根拠ですと言ってすましていられるのだから
七氏さんとはとんだ食わせ者です。
ゲイカもこれを読んだら爆笑されるに違いありません。
私は博士の言葉の裏付けを探してあなたに示した。

『ところで以上の文句は釈尊がさとりを開いたのちの
心境を叙するところに述べられているのである。』
(『ゴータマ・ブッダT』 411頁 中村元、春秋社)

過去世を見た話がさとりを開いたあとの部分に書いてある。
これが裏付けの中身です。
これがどれほどの意味を持つのだろうか?
私は二度もこれに触れているのだがあなたは何も言わない。
裏付けなどどうでもよく、とにかく博士が言ったのだ、
と主張するだけでは子供と同じです。

490 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:17:11 ID:wC3cIhCF
>一方、あなたは「神通力でカルマを切って解脱する」という説の
>経典の根拠も、学者の説も何一つ出していない。

はて、もうすでに三つ出していますが。

>>187 
『四神足―それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 234、249頁 中村元訳、岩波文庫)

>>280
『正しい禅定によって精神が統一し、統一した精神によって誤りない正し智慧が得られ、
そこに阿羅漢果という最後のさとりも得られるのである。
第十五の宿住隋念智乃至第十七の漏尽智は三明とも云われ、
阿羅漢果のさとりに達する時には、必ずこの三明が得られるとされるのであり、
釈尊も菩提樹下で三明を得ることによって、さとりを得て仏陀となったとせられている。』
(『原始仏教』 208頁、水野弘元著、平楽寺書店)

>>282
『したがって、修行者が絶えず努力して達成しようとする目標は解脱であり、
それは感性的な欲求の滅却〔愛尽〕にほかならない。
その滅却は逆観の縁起説によれば、
"欲求を完全に離れて迷妄を滅却すること"〔無明愛絶滅〕によって達成される。
そして、この滅却は補足されている言葉を見てもわかるように、
仏教によれば、単なる表象や想像や哲学的論証によって可能になるのではなくして、
そのためには脱俗的な瞑想の道を実際に歩まなければならない。

491 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:18:23 ID:wC3cIhCF
つづき

その道は、まず "正しい行為"〔正行〕によって倫理的に清らかになることから始めて、
超感性的能力〔神通〕と高度の認識〔知慧〕とを通過し、
場合によっては何度も生まれかわってから始めて達成されることもある。』
(仏教 (下)131頁、べック著、岩波書店)

492 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:35:11 ID:wC3cIhCF
>>419 :神も仏も名無しさん
>あなたは第四禅の後に「・・・」を入れることで何かあるかのように見せかけた。
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
>>425 :神も仏も名無しさん
>罵る前に、あなたこそ経典を読んだらどうか。
>釈尊は第四禅から涅槃に入ったのです。
>「第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた」
(『ブッダ最後の旅』160頁)

えぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ?!?!?!?!?!

あなたは第四禅からニルヴァーナに入れると思っているのですか?

一体全体、どういう読解力をしているのだぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ?!?!?!?!?!

前の部分をよく読むのです。

493 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:36:57 ID:wC3cIhCF
『ブッダ最後の旅』159、160頁

ここで尊師は初禅(第一段階の瞑想)に入られた。
初禅から経って、第二禅に入られた。
第二禅から経って、第三禅に入られた。
第三禅から経って、第四禅に入られた。
第四禅から経って、空無辺処定に入られた。
空無辺処定から経って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から経って、無所有処定に入られた。
無所有処定から経って、非想非非想定に入られた。
非想非非想定から経って、滅相受定に入られた。
 そのとき若き人アーナンダは尊者アヌルッダにこう言った。
「尊い方、アヌルッダよ。尊師はニルヴァーナに入られました。
友、アーナンダよ、尊師はニルヴァーナに入られたのではありません。
滅相受定に入られたのです。」

そこで尊師は滅相受定から経って、非想非非想定に入られた。
非想非非想定から経って、無所有処定に入られた。
無所有処定から経って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から経って、空無辺処定に入られた。
空無辺処定から経って、第四禅に入られた。
第四禅から経って、第三禅に入られた。
第三禅から経って、第二禅に入られた。
第二禅から経って、初禅に入られた。
初禅から経って、第二禅に入られた。
第二禅から経って、第三禅に入られた。
第三禅から経って、第四禅に入られた。
第四禅から経って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた。

494 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:46:35 ID:wC3cIhCF
最初と後では順番が逆になっています。
ブッダは最初、初禅から始まって滅相受定まで行き、
そこからニルヴァーナには入らずに逆のコースを経て初禅まで戻り、
今度は初禅から第四禅まで進んでそこから直にニルヴァーナに入ったのです。
ベックはそのことを言っているのです。

>『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
>後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
>ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』 (>>362
>『これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
>仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。』 (>>411)

ブッダの場合は最初に滅相受定まで行っていたから
二度目には第四禅から直接ニルヴァーナに入れたのです。
最初に全部の意識段階を経験していたからそれが出来たわけです。
しかし修行者の場合は初禅から滅相受定までの九つの段階を経験しなければ
ニルヴァーナに到達することはできないのです。

495 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:49:20 ID:wC3cIhCF
中村博士もこう書いています。

『以上の九つの心的状態は、後代の仏教教学では「九次第定」と呼ばれている。
四禅・四無色・滅受想定の九種の禅定をいう。
これらの九つを一つの定ずつ進むので名づける。』
(『ブッダ最後の旅』 296、297頁)

あなたは、ブッダが第四禅からニルヴァーナに入ったという一文を読んで
第四禅から直接ニルヴァーナに入れると思い込んでいた。
だからこう書いたのです。

>>419 :神も仏も名無しさん
>あなたは第四禅の後に「・・・」を入れることで何かあるかのように見せかけた。
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。

これであなたの仏典の知識がどれほどいい加減かはっきりしました。

>>438 >・・・あ、わかった。
>『ブッダ最後の旅』が『大般涅槃経』と同じ経典だと知らないのだ。

などと人のことを笑ったつもりが逆に自分の無知をネット上に晒してしまったのです。
自分の教学を誇っていたあなたが何という失態だろう。
これはもう号泣どころではすまない話です。

496 :○○屋:2008/12/17(水) 15:54:25 ID:vSdnLnvy
あれ?

あの頓珍漢な喩え噺は名無しさんだったの?これは失礼しました。どれもこれも『名無し』だから、わかりませんでしたよ。

いつも色々と教えていただき、感謝しています。あのようなレスもするんですね。文体やスタイルがまるきり違うので別人かと思っていました。

わたしと名無しさんを五拾歩百歩なんて、言うもんじゃないですよ、名無しさん。

497 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 16:00:50 ID:wC3cIhCF
七氏さんの一昨日(月曜)夜の狼狽振りは眼をみはるものがありました。

私が書いた
>>363『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。』
『「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』

がまったく目に入らずに

>>417 :神も仏も名無しさん
>ベックは第四禅が出発点、前提と書いているだけで、
>神通力を発揮しているのが第四禅の状態だなんて書いていない。

と言い出し、

498 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 16:01:37 ID:wC3cIhCF
同じく私の書いた
>>411『しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。』

にもまったく眼がいかずに

>>419 :神も仏も名無しさん
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
>第四禅で入滅したのなら、三明は解脱にはいらないことになる。

と書いた。

そして極めつけは
>>424 :神も仏も名無しさん
>「状態から生じる」のと、「状態」が同じなのですか。
>「種から芽が生じる」なら芽は種の状態と同じなのか。
>どうしてそんなに国語力がメチャクチャなのだ?

と訳のわからぬ理屈を言い出すのを見て
かなり慌てているのがわかりました。
これは日頃の七氏さんには見られない非常に珍しいことです。

499 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 16:15:13 ID:wC3cIhCF
>>468 :樹意
>私はおまいさんと違ってゲイカを批判するネタになればいいだけだからして
>別段おまいさんのような方との議論を望んでいるわけではない。

だったら今後はレスを付けてくるなよ。
それから>>454で私を庇ったとか言ってるが
あなたに庇ってもらわなくても自分から個人情報など出さない。
恩義を売られても迷惑なだけです。

それより早く病院にいきなさい。

500 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 16:26:23 ID:wC3cIhCF
>>487 :神も仏も名無しさん
>なまじ自分がエライと思っているから、自分を真っ新にして、学び直すことができないのです。
>だが、それはただの慢心にすぎない。
>他の信者さんたちも、釈尊の説く仏教など何も理解していないのだと
>いう自覚を持って、最初からすべてを勉強し直すべきです。

それは自分のことだって、
七氏さん。

501 :神も仏も名無しさん :2008/12/17(水) 17:46:19 ID:CVzB9ndZ
Qさん、コテハンつけるのやめたのは何故?
自分に自信があるのなら、もとのQに戻せばいいのに。
ややこしすぎる。

あと、大日さんと○○屋さんって、自分の事を棚にあげて
「煩悩が出てる」なんて恥ずかしすぎ。
そいうえば、信者時代何かと
「あの人は因縁が出てる」
なんて言っていた信者がいたなー

502 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 18:08:39 ID:sm9OdKda
>>496 いつも色々と教えていただき、感謝しています

平静を装うのも大変みたいですね。
皮肉っぽくさらりを書いたつもりでしょうが、
○○屋さんの動揺と怒りが手に取るように伝わってきます。
無視するのは悔しいし、といって、まともに反論もできない。

心の内がよく伝わってくる文章です。

503 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/17(水) 19:58:36 ID:O2eyUn2w
間違っています。

473 :ラシン:2008/12/17(水) 11:42:07 ID:nywcCPTV
釈尊はラーマプッタに師事し非想非想処定を得ても解脱しなかった。
煩悩があるかぎり戻れば元の木阿弥となるのは、樹意さんが指摘しているように
戒と慧が不足していたからです。
煩悩の滅尽が解脱へ誘うのですから、禅定はその手助けでしょう。
釈尊は苦行も捨て去り、四禅を修して涅槃に到達したのですから、
必ずしも四無色定が四禅の上位に位置すると考えるのは早計です。
むしろ解脱者が趣ける定が九の滅尽定であり、涅槃の追体験という位置付けになる。
つまり、第四禅と滅尽定とは等しい境地だと判断できます。
それにしてもQさんが示す引用は結果自分の首を締めている。
警察官が必要で、きちんと警察手帳を示しながらオレは消防士だと言うに等しい
その度胸には驚きます。


504 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/17(水) 20:05:17 ID:O2eyUn2w

 生存の素因と潜在勢力を捨て去っています。
 それからのエピソードです。
 で、完き〜

505 :樹意:2008/12/17(水) 21:18:54 ID:T6cPLhDR
>>501
> Qさん、コテハンつけるのやめたのは何故?
> 自分に自信があるのなら、もとのQに戻せばいいのに。

Q氏はコテハンつけると読まずにスルーされるから名無しで書き七氏さんの看板を
使うようになった。結局は誰かに構って欲しいのだろう。
というか彼の文章はROM者の視線を意識し、 ポーズは取るのだが
いかんせん、相手の言葉尻を捕まえようとするだけだから その主張や意図を理解するのに
ヒジョウな努力が必要とされる。 

506 :樹意:2008/12/17(水) 21:39:30 ID:T6cPLhDR
>>499 神も仏も名無しさん sage 2008/12/17(水) 16:15:13 ID:wC3cIhCF
> だったら今後はレスを付けてくるなよ。

まぁ自意識過剰なのはよくわかるが、場所柄というものはわきまえるべきだろうな。
私は別段特定の方に恩義を売るとかいう意図はありませんし、どなたさまであろうと
個人情報を晒すのは遺憾である旨書いただけのことです。
これも何度か説明しているのだがあなたが読まないだけのことです。
後ね、 Qさんもこのスレッドが長いのだから、スレの趣旨ぐらいキチンと読みなさいな。
脱線の樹意がこういうことを書くのもなんだけど。
このスレッドの批判対象はアゴンでありゲイカであってQさんの個人的な興味や
七氏さんとのジャレアイが主ではないの。 解る ?
アゴンの批判スレッドに意見やら寄せたら それに対してコメントが入るのは当然の
ことであって、議論になる成らないは別の問題です、ましてアナタの場合は
七氏さんの言葉尻を捕まえるのに必死で肝心のゲイカやらアゴンの話題が どこかへ
行ってしまうし、Qさんの場合は自分の都合の悪い質問やら完全にスルーするし
沙門果経は戒の大事を説く経典なのに肝心の 戒 に対する議論はしないでしょう
Qさんの場合。
戒定慧 と修道が進むのに戒律に違背するということは、元の水が汚水だという
事です、元が汚水なのに慧の清浄水が出てくるはずないでしょう。
ビルで喩えるなら基礎が腐って倒壊しかかっている。 屋上で眺めなんぞ議論して
いる場合でもないわけだ。

507 :樹意:2008/12/17(水) 21:50:38 ID:T6cPLhDR
場所柄をわきまえないのを
七氏さんは居間でオシッコという喩えをされているようですが、
私ふっと思い出したのが ○京駅のコンコースで衆人監視の中 ズボン下ろして
○nチしている方を思い出した。 (汚いな〜 )
戒律違反をボン行と言い換えてショウバイしている団体の批判をするのに、
四禅から先の智見の議論なんて逆にもったいない。
私ず〜と思っていましたが、なんでこんなもん持ち出したのか理解に苦しむ。

 、

508 :ラシン:2008/12/17(水) 22:20:33 ID:x5EXiAPS
>505 ヒジョウな努力が必要とされる。

よ〜くわかります。
グジャ愚じゃで、自滅しているのが、、、。
解脱は四禅で始まると解釈できる。
四無色定の位置づけと意義を理解していないからですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>七氏さんの一昨日(月曜)夜の狼狽振りは眼をみはるものがありました。

笑いもここまで意識して振られると、ただ呆れるばかりです。
狼狽を隠したのは間違いなく Qさんですね。
自分で提示した経典すら、何のかを把握していません。
七氏さんのその指摘には答えられず、悔し紛れの弁解は
ただ見苦しい、、。
桐山教を擁護すればこのように矛盾が必ず生じるという
典型ですね。
いくらQさんが誤魔化そうとしても、
普通の人間はあなたの苦しい弁明としか、受諾できない。
あなたはそれほど世間を見下し、馬鹿にしている裸の似非行者です。
あなたが簡単に思うほど、回りはバカでもなく狼狽もしていません
出家した釈尊はラーマプッタに師事し、非想非想処定を得ても
解脱しなかった、ご存知ですよね。
これをあなたはどう受けとめるのか?
四無色定の位置づけが、これであなたに理解できるのか?
四禅との相違をもって回答できますか?

509 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:02:22 ID:7FWNDGJ5
>>489 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:16:04 ID:wC3cIhCF
>過去世を見た話がさとりを開いたあとの部分に書いてある。

悟りを開いた後とは、解脱した後という意味ですよね。
解脱した後で、三明で自分の過去世を透視したという話ですから、つまり、
「解脱→三明」
となり、あなたは私の説を支持するような文章をわざわざ引用しているのです。
中村博士が他の本では正反対のことを言っていると本気で信じているのですか。
どういう読み方をしているのだろう???
私が引用した文章も、あなたが引用した文章も、どちらも解脱の後に、
過去世を透視したと書いている。
「解脱→三明」
と中村博士は言っている。
どうやらあなたは逆の意味に取っているらしいが、
私は普通の国語力しかないので、あなたのように文意を逆には読めません。
あなたは桐山説である、三明という神通力で解脱した、つまり、
「三明→解脱」
を証明しなければならないのですよ。
私はそれを批判して、「解脱→三明」だと言った。
あなたがしたことは全く逆で、私の説をわざわざ証明してくれた。
だから、あなたが何度でも触れてくれても、レスをつける必要がなかったのです。

510 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:04:52 ID:7FWNDGJ5
>>490 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:17:11 ID:wC3cIhCF
>はて、もうすでに三つ出していますが。

三つとも全部反論が済んでおり、どこにも
「神通力でカルマを切って解脱する」なんて説明はありません。
あなたは何一つ証明していないのです。

『四神足―それらはさとりを得るための実践修行法の一つである。』
(『ブッダ最後の旅』 234、249頁 中村元訳、岩波文庫)

あなたが証拠とした中村博士の文章をよく読んでください。
四神足が解脱のための修行法であるなど当たり前です。
あなたが証明しなければならないのは、神通力でカルマを断ち切ることです。
あなたの妄想脳では、四神足と聞いただけで神通力でカルマを断ち切ることと
一致するのだろうが、そんなことはどこにも書いていない。
四神足が神通力と関連していることは事実でしょう。
だが、四神足とは煩悩を断ち切るための修行の一つです。
神通力でカルマどころか、煩悩を切るという話すら出てきません。

511 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:08:54 ID:7FWNDGJ5
>>490 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:17:11 ID:wC3cIhCF
釈尊も菩提樹下で三明を得ることによって、さとりを得て仏陀となったとせられている。』
(『原始仏教』 208頁、水野弘元著、平楽寺書店)

これもすでに反論したように、学者たちのいう解脱とは、
というよりも、仏教でいう解脱とは、解脱の内容も含めたものを指すのです。
だから、十二縁起から四禅三明も全部解脱(の内容)です。
水野博士の記述はこういう普通の意味での解脱を指しているにすぎない。
三明で解脱を確認することも解脱の内容です。
そんなことは菅沼先生の解説など、何度も何度もあなたにすでに説明した。
しかし、今、議論しているのは、解脱の内容を含めた解脱ではなく、
アゴン宗のカルマ解脱、仏教の漏尽解脱が、神通力で
行われたかどうかを検証しているのです。
宿明通や天眼通で前世を透視すると、なんでカルマが切れるの?
三明はカルマどころか、煩悩を断ち切る神通力ですらなく、
解脱したことを確認する神通力です。

512 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:12:29 ID:7FWNDGJ5
>>490 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:17:11 ID:wC3cIhCF
『したがって、修行者が絶えず努力して達成しようとする目標は解脱であり、
それは感性的な欲求の滅却〔愛尽〕にほかならない。

これも>>305で私はすでに反論している。
三つの文献とも、私がすでに反論したのをあなたは完全無視して並べるだけ。
これのどこが「神通力によるカルマ解脱」の根拠になるのだ?
どこにそのような文章が書いてあるのですか。
ここまで来ると、議論よりも、あなたの知性の問題なのです。
書かれていない文言があなたには読めるらしい。
あなたが引用した文章は、ごく普通の解脱の解説です。
どこにも神通力によるカルマ解脱なんてありません。

513 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:17:10 ID:7FWNDGJ5
>>495 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:49:20 ID:wC3cIhCF
>あなたは、ブッダが第四禅からニルヴァーナに入ったという一文を読んで
>第四禅から直接ニルヴァーナに入れると思い込んでいた。

私があなたが引用した>>493の文章を読まないで引用したとでも思っているのですね。
文章の前後を読まずに、勝手な解釈をするのはあなたがこれまでに何度もした。
だが、私は一度もそんなことはしたことがない。
この経典のこの部分が長い文章ならともかく、たった2頁ほどの文章を読まずに、
あなたからのこんな程度の反論も予想せずに書いたと思うか。
私が先に引用した文章は、あなたが>>493で引用した部分の一部というか、
最後の文章です。
だが、文章全体を私が読みもしないで、引用したとあなたは思うのだ?
本を持っている方なら、『ブッダ最後の旅』159〜160頁を開けてみてください。
読むまいと思っても、目に入る文章です。
それをペテン大作さんは、私が読まないで引用したと思って、
>>492のように、一人で阿波踊りを踊っている。

514 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:21:19 ID:7FWNDGJ5
>>495 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:49:20 ID:wC3cIhCF
>あなたは、ブッダが第四禅からニルヴァーナに入ったという一文を読んで
>第四禅から直接ニルヴァーナに入れると思い込んでいた。

私が、あなたが引用した文章からいきなりあの経典をどうして出せたと思いますか。
この釈尊の入滅の瞑想の話は有名だからです。
あなたが知らなかっただけです。
ザで子孫さんが、釈尊が細かい戒律は変えて良い、と述べているのを
「ヲレが発見した!」と喜んでいた。
これも同じ経典の有名な話です。
ところが、自分の無知を棚にあげて、子孫さんは自分のエラサに大喜びし、
あなたは「七氏、破れたり!」と小躍りした。
>>492のペテン大作さんは、七氏をやっつけたと勝利の阿波踊りをしている。
信者さんたちもごらんなさい。
アゴン宗の信者とは無知と無恥と傲慢だといつも言うとおりです。

515 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:31:49 ID:7FWNDGJ5
>>495 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:49:20 ID:wC3cIhCF
>あなたは、ブッダが第四禅からニルヴァーナに入ったという一文を読んで
>第四禅から直接ニルヴァーナに入れると思い込んでいた。

『仏陀最後の旅』は阿含経の中でも、物語になっているから、
読みやすいし、インドの仏跡を巡礼する人たちは持ち歩くくらいです。
単にあなたや子孫さんが知らないだけです。
私はあなたが引用した内容を知らないとどこに書きましたか。
また、私は何か間違ったことを書きましたか。
四禅から釈尊が入滅したと書いただけです。

>第四禅から直接ニルヴァーナに入れると思い込んでいた

などとあなたは批判しているが、経典にはそのとおり書いてあります。
四禅から「ただちに完きニルヴァーナに入られた」。
私の書いたことと経典の記述には何も違いはない。
経典にあるがままに私は書いただけです。
私は、釈尊が九つの瞑想をしていないなんて書いていませんよ。
では、あなたは何を笑っているのだ?
勝手に、私が前後を読まないと決めつけているだけですよね。
それはあなたの頭の中での勝利にすぎない。
憎しみばかりで、勝手に私がミスをしたと思いこんで、
独りで阿波踊りを踊っていられるとは、お幸せな人だ。

516 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:43:42 ID:7FWNDGJ5
>>493 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 15:36:57 ID:wC3cIhCF
>『ブッダ最後の旅』159、160頁

ペテンさんのことだから、こうやって私をあざ笑うために
出てくるだろうと、ひっかけたのではありませんよ。
私はペテン大作さんのようにそこまで底意地は悪くない。
信者さんたちにも四禅から釈尊が入滅したという奇妙な事実に着目してほしいからです。
また、経典の難しい漢字を書き写す手仕事をペテン大作さんに
お願いしたかったからです。
あの性格なら、私をやっつけたい一心で必死に書き写してくれるだろうと期待した。
そして、期待に応えて、ペテン大作さんが>>493で引用してくれたように、
釈尊は1番目の初禅から9番目の滅相受定まで行き、それを逆に戻り、
また、初禅から四禅まで行き、入滅した。
なぜ四禅からなのかは私なりの意見はありますが、スレの主旨からずれるし、
噛みつこうと待っている輩の前で説明するのは無意味だから、省略します。
それよりも、信者さんたちに釈尊の入滅について気が付いてほしいことがあるのです。
釈尊は有余依涅槃から無余依涅槃に入ったのだから、ある意味でこれが最終的な解脱です。
だが、どこにも三明六通などの神通力は出でこない。
入滅の際、釈尊はただ瞑想の階梯をたどっただけです。
肉体のカルマを切るのが無余依涅槃なら、どうしてここで
神通力でエイッと肉体のカルマをぶち切って、完全解脱しなかったのでしょう。
仏教の解脱がカルマ解脱でもなければ、神通力でカルマを切るのでもないからです。
これだけでも「神通力でカルマを切るのが解脱」という桐山説が
真っ赤な嘘だとわかるでしょう。
桐山さんの説が、釈尊の入滅一つをとっても、嘘だとわかります。

517 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 00:10:11 ID:sWwbmMy8
Qさん、Qさん。
一つ質問じゃがの、あなたは釈尊が入滅する場面を持ち出しているのだが・・・
釈尊というのは入滅する以前は解脱した ことがなかったのか?
釈尊は35歳の時、菩提樹の下で悟りを開き、以後45年間伝道生活を続けたのだが、実は死ぬ直前まで
解脱してなかったのか?
あなたは私のこの問いを笑うだろう。
しかしどうして私がこんな問いをするかわかるか?
要するに入滅という一生に一度の限られたシーンだけ題材に持ち出して・・・
あんた何が言いたいの?
アゴン宗スレでなにがしたいの?
神通力によって解脱を得るというのがあなたや桐山さんの考えだ。
つまり神通力で死ぬと説きたかったのか?最初の議論の段階から。

518 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 00:26:50 ID:sWwbmMy8
しっかし子孫さんも煩悩出しまくりだなあ。

519 :樹意:2008/12/18(木) 00:27:42 ID:lMJ7BiWG
沙門果経で説く、四禅から先 智見に心を傾注する段階は 
内観の智 意から成る智 神通の智 天耳の智 他心を知る智
過去の生存を想起する智 天眼の智 煩悩滅の智

これら全て以下のような書き出しで始まる。
「このようにして、心が安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、
彼は、 −−−−−  」

内観の智の
注釈に 智なる見が智見である ここにいう(智見)とは、道智 (magga-nana)とも果智
(phala-na-na)とも一切智(paccavekkhana-nana)とも観智(vipassana-nana)ともいわれる。
 −−−
片山一良氏訳 沙門果経注釈
内観の智の段階ですでに 一切智 −−− 観智 道智の段階に入る。

先に仏陀が梵網経で批判する四禅の状態と、沙門果経で説かれる四禅の状態には若干違いがある
と書きましたが、沙門果経で清浄で純白な心で満たし(付随煩悩を離れ)
の段階ですでに 慧 の段階に入っているものと思われる。
先スレから 七氏さんが書かれてきた

>解脱した彼らでなければ作り出せないのが意生身です。
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

で何も矛盾するところはない。
要するに 戒定慧 解脱 智見 ただそれだけのことです。


520 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 00:29:19 ID:sWwbmMy8
くそっ!自分で書いて投稿した文章が確認できん。
どうでもよい文章投稿したはずみで復旧すると思ったのにー。

521 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 00:33:12 ID:sWwbmMy8
読めた読めた。
読文智、読文明、読文通で自分の書いた文が読めたところでおやすみなさい。

522 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 08:02:55 ID:XI2GoZZK
ユビキタスは基地外

523 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 10:28:23 ID:jc8t6OBt
オイ! ちゃんと書いてくれよ。


524 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 12:30:11 ID:jIDimAnm
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/
>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>以前、管長は、「仏教をやろうと思ったら、阿含経をやるしかない。
>阿含宗がいやでも阿含経をやるしかないのです。」といわれました。
>ユビさんはまだ50歳前後ですよね。まだまだ挑戦できると思いますよ。
>私より煩悩少なそうだし。

桐山さんの「阿含経をやる」とは、阿含経を錦の御旗にして、
オカルト仏教にすぎない桐山教を売り込むことです。
「阿含経をやる」とは本来、阿含経に書いてあることを守り、実践することです。
だが、桐山さんのしたことは、阿含経に書いてある禁止事項を破り、
阿含経に書いていないことを、書いてあるかのように宣伝して売り物にした。
これは「阿含経をやる」のではなく、阿含経を使って人を騙したにすぎない。
一修行者さんも未だにその嘘の片棒を担いでいる。
しかも、それを知る前ならともかく、これだけはっきり明瞭に
アゴン宗の嘘を指摘されても、まだこうやって批判側に皮肉を並べながら、
強く擁護するのだから、あなたのしていることは「阿含経をやる」ではなく、
阿含経を悪用した詐欺宗教のお手伝いにすぎない。

525 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 12:33:32 ID:jIDimAnm
>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>以前、管長は、「仏教をやろうと思ったら、阿含経をやるしかない。
>阿含宗がいやでも阿含経をやるしかないのです。」といわれました。

解脱の定義すら違う宗教を仏教とは言わない。
一修行者さんは未だに、釈尊は因縁解脱も説いたなどと信じているようだが、
因縁解脱と書いてある阿含経を出せた人は一人もいない。
信者さんたちも不思議に思わないか。
釈尊が一生かけて説いたのが因縁解脱なら、なぜ因縁解脱という言葉が
阿含経の中に出てこないのだ?
ザで子孫さんが意味もわからず経典から○○解脱を羅列している。
だが、あれほど羅列しても、ついに因縁解脱は出せないのです。
一修行者さんも未だに釈尊が因縁解脱を説いたという説に固執している。
思考を停止させ、強引な屁理屈や無知は妄想だから並べられても、
経典の根拠は現実だから示せません。
彼らだけではない。
桐山さんだって出せなかった。
阿含経講義の阿含経にただの一度でも因縁解脱など出てこない。
出てくるのは、ひたすら漏尽解脱(煩悩解脱)です。
子孫さんや一修行者さんはいいから、他の信者さんたちは
そろそろ釈尊が因縁解脱を説いたという無知から解脱しませんか。
今の時代にそんなことを信じるのは「大乗経典は釈尊が説いた」と言うのと
同じくらい馬鹿げたことです。

526 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 12:41:46 ID:jIDimAnm
>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>以前、管長は、「仏教をやろうと思ったら、阿含経をやるしかない。
>阿含宗がいやでも阿含経をやるしかないのです。」といわれました。

アゴン宗は霊障解脱なんてものまで売り物にしている。
海外で柴燈護摩をする理由は霊障解脱です。
それも釈迦の成仏法で霊障解脱するのだとそうだ。
釈尊は死者成仏を否定した人です。
この事実を信者さんたちはよく見ることだ。
信者さんたちは釈尊が死者成仏を説いたと信じているが、まったく逆で、
できないと否定したのです。
阿含経にはただの一つも死者を成仏させろなんて言っている経典はありません。
むしろ、死者に何をどう祈ろうが、死後の行き先は変えられないとはっきり言っている。
好戦経での肉段、桐山さんのいう霊障のホトケへの釈尊の無関心ぶりを見てださい。
「肉段は見えるが、説かない」、これが釈尊の返事です。
霊障のホトケを説かないと釈尊は言っているのですよ。
なのに、アゴン宗は霊障のホトケの成仏を最大の売り物にしている。
これのどこが「阿含経をやる」ことになるのだ?
「阿含経をやる」どころか、むしろ、正反対のことをやっている。

527 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 12:45:54 ID:jIDimAnm
>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>以前、管長は、「仏教をやろうと思ったら、阿含経をやるしかない。
>阿含宗がいやでも阿含経をやるしかないのです。」といわれました。

「阿含経をやる」とは禁止事項も守ることです。
だが、アゴン宗は桐山さんからして、出家の戒律を完全に無視して、
ことごとく徹底的に破りまくっている。
在家の五戒すら桐山さんは全部破っている。
桐山さんは戒律を守らないのではなく、積極的に破っている。
「阿含経をやる」とはまず戒律を守ることなのですよ。
これは信者さんたちもよく自覚したほうがいい。
「阿含経をやる」と称して、それでいながら、戒律を守る上座部仏教を
戒律仏教だと小馬鹿にする。
アゴン宗が教祖から信者まで戒律を積極的に破りまくっていることを
正当化するために、上座部仏教を踏み台にしている。
それでいて本音を隠して、お金を出して取り入り、権威だけは利用させてもらう。
本当に恥知らずな行為です。
戒律を無視したら、もはや仏教ではありません。
アゴン宗は戒律どころか、初歩的な禁止事項すら守っていない。

528 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 12:49:29 ID:jIDimAnm
>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>以前、管長は、「仏教をやろうと思ったら、阿含経をやるしかない。
>阿含宗がいやでも阿含経をやるしかないのです。」といわれました。

釈尊がなぜ護摩や占いなど呪術を禁止したか、
その理由は言葉で説明するよりも、アゴン宗を見るのが一番わかりやすい。
なにせ、日本の仏教教団でこれほど明瞭な禁止事項を逆に最大の売り物に
している教団はないからです。
今も初護摩と星まつりに向けて、護摩木や護摩札など売り込みに必死です。
信者は信者で目の色を変えて、欲望をかなえてもらおうとお願い事を木切れに書き、
夜店のガラクタのような法施を手にいれるために、大金を払う。
人間を9種類に分けるという馬鹿げた占いで運勢を見てもらう。
人間を6種類に分けているにすぎない無意味な天命殺を恐れている。
好運会などと、週刊誌の占いまがいのことに一喜一憂する。
信者の心は占いで好運を得ようと欲望を増大させ、
天命殺への無意味な恐怖心を増やしている。
「阿含経をやる」とは欲望や恐怖を制御し、減らしていくことだと
信者さんたちは知っているか。
あなた方はアゴン宗に入ったばかりに、逆に欲望や執着や恐怖を増やしている。
こういうアゴン宗の実例を見れば、護摩や占いなどの呪術をなぜ釈尊が
禁止したかは明らかです。
煩悩を減らす修行に逆効果しかないからです。

529 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 12:59:34 ID:jIDimAnm
>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>以前、管長は、「仏教をやろうと思ったら、阿含経をやるしかない。
>阿含宗がいやでも阿含経をやるしかないのです。」といわれました。

仏教徒が護摩を拝むのは恥ずべき行為です。
仏教徒が占いをするのは恥ずべき行為です。
これを在家がこっそりとやるのなら、凡夫だから、と言い訳もできる。
アゴン宗はこれを最大の売り物にして堂々とやっている。
「阿含経をやる」どころか、正反対のことをあまりに堂々としているから、
信者さんたちはこれが阿含経の釈尊に違背しているという自覚すらない。
まるで、スーパーから堂々と物を運び出すから、誰も泥棒だと気が付かないようなものです。
信者さんたちが桐山教を信じるのは信仰の自由だ。
だが、今は情報の届かない江戸時代ではありませんよ。
自分でいくらでも本当の仏教について調べられる。
アゴン宗は仏教ではないし、やっていることは阿含経の教法とは
正反対の行為だということにそろそろ気が付くべきだ。
子孫さんや一修行者さんのように、さして良くもない頭で妄想の言い訳を考えるのではなく、
現実の釈尊が何を説いたのかをあるがままに理解することです。
間脳を開かないと理解できないなんてのは、信者さんたちに
真実の釈尊の教法を知られてはまずいからと桐山さんが仕掛けた罠です。
中学生程度の国語力があれば十分に理解できる。
釈尊を信仰し拝みながら、禁止したことを堂々とやるのはあまりに歪んだ信仰です。
「阿含経をやる」という桐山さんの言葉を信じるなら、アゴン宗にはいられない。
釈尊を信じるなら、アゴン宗にはいられない。

530 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 18:06:02 ID:WklmWLLu
一修行者とか大日如来って、周回遅れのランナーみたいだな。しかも二周遅れ。

531 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/18(木) 21:53:15 ID:55lGaWZJ
怨みは怨みによって鎮まらない。
怨みを忘れて、
はじめて怨みは鎮まる。

532 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 21:58:54 ID:pPIfFGHw
>>513 :神も仏も名無しさん
>私があなたが引用した>>493の文章を読まないで引用したとでも思っているのですね。
>この経典のこの部分が長い文章ならともかく、たった2頁ほどの文章を読まずに、
>あなたからのこんな程度の反論も予想せずに書いたと思うか。

その言葉、待ってました!!
あなたからその言葉を聞きたかった。
第四禅から入滅したのは二回目の時であって、
その前にブッダは滅尽定まで経験していたのです。
あなたは全部知っていたんですよね。
知っていながらこう書いたのだ。

>>419 :神も仏も名無しさん
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
>第四禅で入滅したのなら、三明は解脱にはいらないことになる。

533 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 21:59:59 ID:pPIfFGHw
そして私が再び
422 :神も仏も名無しさん
>仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。

と書いたことに対して、あなたは
>>425 :神も仏も名無しさん
>罵る前に、あなたこそ経典を読んだらどうか。
>釈尊は第四禅から涅槃に入ったのです。

と同じ言葉を繰り返した。
私の書いたことなど完全に無視して
ブッダは第四禅から涅槃に入ったことだけを書いた。
事情を知らない読者なら
「へえぇ、ブッダは第四禅から涅槃に入れたんだ」と思い込むでしょう。
つまりここでもあなたは得意の印象操作を行ったのです。

それにしてもこうも素直に乗ってくれるとは
あなたって余程人がいいのか、それとも・・・

534 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/18(木) 22:11:14 ID:55lGaWZJ
今生から来世の記述が阿含経にあります。
行いによって、
来世は天界であるか三悪道阿修羅であるかについてかかれています。
これは転生後についての話です。
転生後に限った話でしょうか?
今生における今より先が、
良いじょうたいであるか悪いじょうたいであるか?
その答えも行い(カルマ)によるというものなのです。
阿含経には、運命解脱の記述があるのです。
釈尊
家のあるもの家をすてたものーお互いが依存しあい
聖なるダンマの顕現が成就する。
家あるものに幸せをもたらす
四つの徳目が存在する。
誠実
ダンマの顕現
堅固

この四つが整い
家あるものが幸せになる(善き果報がえられる)
在家信者におけるダンマの顕現の一面として
今生において転生があったごとくの働きをもたらします。
(幸せには、四つの徳目が備わらないといけません)
ダンマの顕現はカルマの清算をもたらすという一面もあります。
(良いことがおきます。
悪いことがおき悪きカルマ清算されてしまいます。)
出世間の幸せはダンマの顕現に従うことです。
ダンマに従って死を選ぶことも
出世間の幸せであるとおしえにあります。
出世間の善き果報なのです。

535 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/18(木) 22:16:06 ID:55lGaWZJ
滅諦の
滅は、制御 制止 堰き止め という意味です。
“ なくす ”“ 切り離す “”“ 消滅 ”などは、
釈尊の最終的な正しいアプローチとは違います
雑阿含経
第七八四〜
世間の八正道と
聖の八正道は
ここで学べます。
八支が十になってはじめて“すべてとなった=無学”となります。
プロセス上ですべてとはなっていません。
プロセス上では、影響しあい依存しあい重なり合い成立しています。
桐山氏でやってると裏目にでた人たちがいた。
正目のでた人もいる。裏目にでるのには理由があります。
理由はいろいろありますが、最初がまずいです。
桐山氏は、自分の団体をつくったときに入門希望の人たちへの人選が緩くて
甘すぎます。入門希望者を適切に振り分けることと
入門時以前の霊系にたいする適切な指導の二点について
零に近い弱さがあります・・・・・・
裏返ったひとが、否定の材料に釈尊を出すのは間違っています。
釈尊のおしえをすべて網羅したうえでみると
釈尊のおしえのなかに桐山氏でやってることが含まれてしまいます。
べつな切り口での批判ならあってしかるべきです。
仏陀釈尊を中心とした集まりでさえ、
いろいろな問題がありました。
僧団の問題のために



536 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 22:16:21 ID:pPIfFGHw
>>515 :神も仏も名無しさん
>四禅から「ただちに完きニルヴァーナに入られた」。
>私の書いたことと経典の記述には何も違いはない。
>私は、釈尊が九つの瞑想をしていないなんて書いていませんよ。

それは最初から書く気などないからです。
あなたにとってそんな不利なことを絶対に書くわけがない。
ブッダの場合は第四禅から涅槃に入った。
しかし比丘が第四禅から涅槃に入れるわけではありません。
比丘が涅槃に入るには九つの階梯があるのです。

537 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 22:24:24 ID:pPIfFGHw
>>501 :神も仏も名無しさん
>Qさん、コテハンつけるのやめたのは何故?
>自分に自信があるのなら、もとのQに戻せばいいのに。
>ややこしすぎる。

コテハンやめたのには別に意味はありません。
ご不便をおかけしますがしばらくは名無しで行きます。

538 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/18(木) 22:33:15 ID:55lGaWZJ
ダンマの顕現が世間の幸せであるか出世間の幸せであるか。
これをとりちがえてはいけません。
○幸せな家あるものは、輪廻転生時のカルマの清算し天界。
○釈尊のおしえで
重き荷物も分ければよいということにより、
今生でのダンマの顕現により守護されつつカルマの清算。
等々の良いパターンが成果としてでないのは、
徳目の条件がそろっていない場合でもあるのです。

良いパターンか
裏目に出るか

本尊には誓願があります。本尊が変わった良い面と曖昧になった面、
そして、密教修験と在家信者しかも修行者、その維持管理、等々。

よくやっている反面で生かされてこないのは、
かわいそうでもありますが、
自己責任そして結局の実態は自業自得というだけのことです。

539 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/18(木) 22:34:22 ID:55lGaWZJ
「汝ら修行者たちよ、生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざる
もの、構成力から生じたのではないものは存在する。もし、このよう
な生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざるものが存在しなかった
とすれば、生まれたもの、形成されたもの、造りだされたもの、構成力から生
じたものから脱出することは、けっして考えられなかったことであろう」


「汝ら修行者たちよ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。汝らに告げ
るが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、留まることもなく、死去
することもなく、転生することもなく、よりどころもなく、発展もなく、支え
もない。それが苦悩の終わりである」


540 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 22:39:14 ID:uACT/+z9
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>398 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/18(木) 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>求道」という言葉ですら、「阿含宗否定」という前提での定義ですか。
>「阿含宗を偽と判断できた人は求道者であり、そうでない人は多少、求道心があっても自分のほうが煩悩から離れている」ですか。
>さらに「退会できない人は煩悩がなんたるかわかってない」ですか。

その全く逆のことを書きました。アゴン宗の信者だからと言って求道者ではない
なんてことはないと書きました。退会するしないに関係なく道を求める真摯さ
が見られれば、その人は、その宗教が正しかろうと間違っていようと、求道者
には違いないと認める立場です。
ここで私が判断する真摯さの指標とは「信解円通」です。
アゴン宗はこのスレなどでさんざん批判を受けています。
この事実をあなたは知っている。知っていながら無視、スルーする人も
多い中で、あなたはこんな批判スレの内容にレスしている。
しかしその態度を私は評価します。やはり自分の信仰にケチをつけられたのだ。
黙っているわけにはいかない。しかしそれは相手に対してではなく、自分の信仰は
他人からケチをつけられようが、そんな内容には反論してみせて、自分の信仰の
揺るがないことを示す。逆にその反論という作業がされていないと、自分の
信仰に対する疑惑を拭えないまま、自分をごまかして信仰を続けることになる。
こうなるともはや真摯な求道者とはいえませんね。
一修行者さんんも一修論で説明できると豪語したのだから、それが真実ならば、
内容の優劣はさておき、その態度は求道心から来るものと評価します。
しかしいつまでも隠し持って示さないならば、なんだ?他人に示して、少ない
信者でかまわないから同意を得てもらおうとか、自分が苦心して考え出した
一修論がどこまで通用するものか確認したいと思わないならば、その求道心も
大したことないじゃないかと評価する、と書いたのです。


541 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 22:56:00 ID:uACT/+z9
駄目だ。遅すぎるわ。ここ。
帰りの電車の中で携帯で書いた方がよっぽど早いわ。

542 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 22:56:33 ID:pPIfFGHw
>>509 :神も仏も名無しさん
>あなたは私の説を支持するような文章をわざわざ引用しているのです。
>中村博士が他の本では正反対のことを言っていると本気で信じているのですか。
>どういう読み方をしているのだろう???

過去世を透視した話が悟りを開いた後に書かれている。
それだけの話が一体どれほどの意味があるというのか、
と私などは思うのですが、これって変ですかね?
しかも引用された経典は一つきりで他には無いのです。
あなたにとっては「解脱→三明」を証明する唯一の文献だから
それにすがる気持ちもわからぬではないが、
「解脱→三明」の根拠としてはあまりにも貧弱ですよ。

話は変わって、
もし「心が安定し・・・」の部分が解脱を意味しているのなら
それは有効な根拠にもなり得るが、>>457>>460にも書いたように、
これは「ヨーガ・スートラ」にも出てくるような言葉であり
とても解脱の意味には受け取れません。
またベックの『仏教』にも出てくるが解脱という解釈はしていません。
結局、あなたはこれについては何一つ根拠を出せなかったのだから
話になりません。

あなたにとっては中村博士の言葉だけが頼りなのですね。
博士もこれを知ったらさぞかし喜ばれるか、それとも当惑されるか、
ぜひ本人に聞いてみたいところです。

543 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:00:01 ID:pPIfFGHw
意正成身とは何か。

『仏陀の言うところに従えば、英知は思弁的悟性〔伺察〕の結合ではなく、
高度な洞察眼的直観の成果〔神通〕である。
それは“正しい瞑想”〔正定〕によってのみ得られる。
かつまた、その瞑想はすでに第一段階として説明したような自制的訓練〔戒律〕
を基盤としなければならない。
瞑想が進んで第四静慮にいたり、内面的純粋性、霊的清澄、精神集中からなる段階に達するが、
それは修行者の全身をすっぽり包みこむ白い衣にたとえられる。
さらに進んで、ある境地まで達すると、あたかも葉鞘から茎が出てくるのと同じように、
肉体から五体を具えた霊体〔意正成身〕が抜けて出てくるのである。
そして、修行者は、一本の糸にたとえられる霊的原理が自分の肉体を貫いているさまを
外からながめるような思いをする。
こうして修行者は、その霊体において、
あの多く神通と名づけられる高度の霊力を発揮する器官を具えることになる。
その能力のうち、三つの神通力、耳ざといこと、他人の考えを見抜くこと、
これらはすでに前章で述べた。
これらの能力の次に、さらにそのうえ、三つの能力が続くが、
これらもやはり、仏教によれば全く瞑想に基づく。
瞑想者はそれらと同時に高度の英知ないし知識の領域に入る。
如来は菩提樹のもとで三重の智慧を獲得し、
それを達成することによって菩薩から仏陀の位にのぼったのであるが
今、ここでいう三つの能力もそれと同じものである。』
(仏教 (下) 94、95頁、べック著、岩波書店)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第四静慮にいたり肉体から五体を具えた霊体〔意正成身〕が抜けて出てくる。
修行者は、意正成身によって神通という高度の霊力を発揮する器官を具える。
六つの神通力は瞑想に基づいている。
如来は三重の智慧を獲得し達成することによって仏陀になった。
その三重の智慧とは三つの神通力のことである。

544 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:04:44 ID:pPIfFGHw
第三の英知とは何か?

『以上説明したのは、この世の生涯のくりかえし、
業および生死の循環〔輪廻〕についてである。
このような仏教の英知から直接に結果として現れるものが、
仏教でいう第三の英知である。
それは苦悩と苦悩の克服とについての英知である。
その英知は、苦悩、苦悩の起源、苦悩の絶滅、
苦悩の絶滅にいたる道であると説かれていることは周知の如くである。
『「長部経典」の瞑想の章においても、
苦悩を説く文を既知事実として引用している個所がある。
そこでは、第三の偉大なる英知
(瞑想中に霊体の分離によって得られる高度な能力で、
ふつう神通とよばれるもののうちの第六番目のもの)を叙述し、
瞑想者が第四静慮の精神統一状態に達して、
世俗の苦悩という迷妄〔漏〕を滅する知識に専念し、
そこで、「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、
これは苦悩の消滅である、これは苦悩の消滅にいたる道である」と認識する。
この“英知”にしても、世俗の存在についての思弁ないし抽象的価値判断というようなものではなくて、
瞑想上の省察からただちに得られる成果なのである。
このことは、『長部経典』の瞑想の章においてとくに強調され、
次のような具体的な実例を示している(「沙門果経」九八節)。
山の湖の水が澄んでいて底まで見える。
眼のよい人がそこにきて、貝がらや小石や魚の群れを見て、ひとりごとを言う。
「この湖は澄んで透明であり、その底にはこのような貝がらや小石があり、
魚の群れが澄んでいる」と。』

第三の英知(第六番目の神通力)とは
苦悩と苦悩の克服についての英知である。
それは瞑想上の省察から得られる成果である。

545 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:08:58 ID:pPIfFGHw
解脱とは何か?

『これと同じように、瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、
その心はあらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。
その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、これは苦悩の絶滅である、
これは苦悩の克服にいたる道である、これは俗世の迷妄である、これは俗世の起源である、
これは俗世の絶滅である、これは俗世の絶滅にいたる道である」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。
「沙門果経」によれば、およそこの世において到達されうる修行生活の成果としては、
このような英知が最高なものであり、これ以上高く秀でた英知はまたとない、という。』
(仏教 (下)103、104頁、べック著、岩波書店)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第四静慮の精神統一によって世俗の汚れと煩悩から解放され、
従順で思うままになった心が俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である、・・・・・・、これは俗世の絶滅にいたる道である」
と認識することによって 
〔欲漏〕、〔有漏〕、〔無明漏〕から解放される。
これが「解脱」です。

546 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:14:29 ID:pPIfFGHw
再出

『ヨーガ派によれば精神統一〔凝念〕・瞑想ないし観想〔静慮〕・静観〔三昧〕
という三段階の上にはさらに無種子三昧があり、
この三昧によって潜在意識の構成力〔行〕に打撃を加え、
したがって、それによって再生への萌芽が絶滅される。
仏教の道が目指す目標もそれと同じである。
しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。
これらの意識状態のことは、『沙門果経』における瞑想の章節には出ていないが、
その他の多くの仏典の箇所にて言及され、詳述されている。』
(『仏教「下」―第二部教理―』 59、60頁 ベック著、岩波文庫)

547 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:29:23 ID:pPIfFGHw
>>301 :神も仏も名無しさん
 >>282 :神も仏も名無しさん
 >解脱を達成するには、超感性的能力〔神通〕と
 >高度の認識〔知慧〕とを通過する必要があるというわけです。

>解脱するのに、通過とはどういう意味ですか。
>桐山さんやあなたは神通力で解脱するのだから、
>神通力を通過するなんておかしい。

あなたが言う「神通力で解脱する」とは
「エイヤッ!」と九字を切るとか、念力で解脱するという意味ですか?
ゲイカがそう言ったのですか?
言ってないでしょう。
三明で解脱するということですよね。
あなたはそれを批判していたはずだ。

ベックが言う「通過」とは意識状態を経験するという意味です。

>>546
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。

七氏さんて何もわかってないんですね。
相手をするこちらも疲れてしまいます。
批判するならもっともっと勉強してください。

548 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:33:44 ID:pPIfFGHw
七氏さん、この意味、わかりましたよね?

>>282
『したがって、修行者が絶えず努力して達成しようとする目標は解脱であり、
それは感性的な欲求の滅却〔愛尽〕にほかならない。
その滅却は逆観の縁起説によれば、
"欲求を完全に離れて迷妄を滅却すること"〔無明愛絶滅〕によって達成される。
そして、この滅却は補足されている言葉を見てもわかるように、
仏教によれば、単なる表象や想像や哲学的論証によって可能になるのではなくして、
そのためには脱俗的な瞑想の道を実際に歩まなければならない。
その道は、まず "正しい行為"〔正行〕によって倫理的に清らかになることから始めて、
超感性的能力〔神通〕と高度の認識〔知慧〕とを通過し、
場合によっては何度も生まれかわってから始めて達成されることもある。』
(仏教 (下)131頁、べック著、岩波書店)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
解脱を達成するには、超感性的能力〔神通〕と
高度の認識〔知慧〕とを通過する必要があるというわけです。

549 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 23:34:23 ID:sWwbmMy8
>398:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/18 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>一部の具体的な語句を並べてこれが定義などというのは間違いです。
>だから定義はできないと慈水さんにつっこまれてしまうのです。

私がどうジミズさんに突っ込まれて答えられなかったか、その内容を書いてごらんなさいよ。
私はジミズさんとの議論で負けた記憶がない。
煩悩を具体的な内容で説明できなくて、どう対処するのですよ?
簡単に克服できるなんて誰も書いてませんよ。
しかし具体的に何が煩悩なのか理解せずにどう対処する?
煩悩の整理分類なんて、それこそアビダルマでも六大根本煩悩だの20随煩悩とその内容を具体的に
示しているではないか?
あなたなりの煩悩の定義を書いてごらんなさいよ。
何?言葉で示せない?

>あと一修論ですが、書いてもユビさんには理解できませんよ。
>無意識の把握の経験がないんですから。
>皆で考察といってもどうせ理屈での考察でしょう。
>コンピュータには無理なんです。無意識も宗教も。

論というものは立てたならば、それが常に証明できるものとは限りません。
全く違った思想とか立場で論は展開されます。
唯物論と唯心論、観念論は正反対の立場でしょ?
どちらが正しいかなんて永久に答えは出ない。
しかし皆、それなりの論を示すでしょ?
クシャ論にしても然り。唯識論にしても然り。ユガ師地論にしても然りです。
読んだからと言って決して万人に理解納得、支持されるものではありません。
しかしそれでも説いて示したのが、古今東西の「論」です。
だから論と言うのは立てたからには示さねば意味がない。
潔く世の中に問いかけるのです。
あなたにはその潔さが無い。それで一修論があるぞなんて、こけおどしのお笑いです。
それならば最初から看板すら示さない方がよい。

550 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:44:09 ID:pPIfFGHw
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 様

毎回楽しく読ませていただいております。

>>340は読みながら○らしそうになりました。

>>408の分析はとても鋭い指摘だと思います。

これからも頑張ってください。

Qより

551 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 23:49:39 ID:sWwbmMy8
>398:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/18 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>結局ユビさんの言いたいことは、
>「私は仏教は信仰してません。でも阿含経を読むと、たとえ修行しなくても阿含宗は間違いだとわかります。」
>だからこんな煩悩だらけの私でも阿含宗の会員よりはましです。」
ということですか。
全国のユビキタスファンが泣いています。

大方その認識で間違いないでしょう。
煩悩解脱なんてできなくても、その逆のこと、すなわち不当にして不要の煩悩を増やす道など否定できて
当たり前です。
ファンが泣こうが喚こうが知ったことではない。
妥協なんかしませんよ。私は常に一人です。

552 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:52:22 ID:pPIfFGHw
>>505 :樹意
>Q氏はコテハンつけると読まずにスルーされるから名無しで書き七氏さんの看板を
>使うようになった。結局は誰かに構って欲しいのだろう。

私から構って欲しいと言われたことを
そのまま間接的に言い返しただけですね。
そういう行為は七氏さんに鋭く指摘されますよ。

病院の予約は取れましたか?

553 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:59:14 ID:jIDimAnm
>>533 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 21:59:59 ID:pPIfFGHw
>ブッダは第四禅から涅槃に入ったことだけを書いた。

そのとおりです。
釈尊は第四禅から入滅している。

「第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた」
(『ブッダ最後の旅』160頁)

この事実を私は書いただけです。
印象操作などしていない。
阿含経の釈尊が第四禅から入滅しており、あなたが引用した学者も
そのように説明しているのに、ペテン大作さんは、

「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」・・・→「涅槃」 (>>362)

などと、さも第四禅から先に進んでから入滅したかのように書いた。
あなたは鬼の首でもとったかのように、昨夜、>>493をわざわざ書いたが、
そんなことはあなたがすでに>>362で引用して示しているのです。
でも、あなたは>>362で引用したのに、いつものように一知半解の斜め読みして、
上記のような理解をしていたから「・・・」を入れてしまった。
そこを私から突っつかれた。
私は経典にある事実をそのまま書き、あなたは経典とは違う印象を与えるような書き方をした。
あなたは都合の悪いことは相手がしたかのように錯覚する脳の持ち主らしいが、
印象操作をしたのは私ではなく、あなたです。
事実は、釈尊は第四禅から直接入滅したのです。

554 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:00:59 ID:V2eghjpq
>>536 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 22:16:21 ID:pPIfFGHw
>しかし比丘が第四禅から涅槃に入れるわけではありません。
>比丘が涅槃に入るには九つの階梯があるのです。

どこにそのように書いてあるのか、元となる阿含経や学者の説を示してください。
あなたの説によれば、9つの瞑想の段階が解脱への道だという。
では、ペテン大作さんは、三明の神通力によってカルマ解脱するという説を
捨てて、9つの瞑想の階梯で解脱するという説に移行したのだ。
ずいぶん話が違うではないか。
桐山さんは9つの瞑想によって解脱するとは説いていない。
四禅三明の神通力でカルマ解脱したのだという。
あなたは神通力でカルマ解脱したという桐山説を支持するために、
学者の説を引用し、その中にある釈尊の入滅の話を持ちだした。
ところが、いつの間にか、神通力によるカルマ解脱ではなく、
9つの瞑想階梯で解脱という桐山さんとは違う説を出した。
ずいぶんいい加減ですね。

555 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/19(金) 00:02:03 ID:sWwbmMy8
>398:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/18 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>ユビさんも他の人から攻撃されてたいへんですね。
>私への煽りでストレス発散するのは大目に見ましょう。

最近誰か私を攻撃してますか?
Qさんは七氏さん専科だし、ザのスレでは子孫さんが「ラシンくん」を相手に煩悩丸出しで空しい
攻撃を繰り返している。
〇〇屋さんとは「パンティさん」をめぐって昔そんなことが あったなあと怒っているのではなく
お互いに戯れている構図はあなたにも読めましょう。
昔から変わらぬマイペースで批判を続ける私に、仕事などでストレスはあっても、掲示板交流に
ストレスなどありませんよ。
擁護側の方こそ批判 を浴びてストレスが 溜まっているだろうと気遣っています。

556 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:04:20 ID:jIDimAnm
>>542 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 22:56:33 ID:pPIfFGHw
>過去世を透視した話が悟りを開いた後に書かれている。
>それだけの話が一体どれほどの意味があるというのか、
>と私などは思うのですが、これって変ですかね?

はい、十分にあなたは変な人です。
あなたは「三明→解脱」だと主張してきた。
ところが、あなたが出した中村博士の説明は「解脱→三明」です。
私をやっつけたつもりで詭弁を並べている内に、いつのまにか、
逆のことをあなたは主張していたのです。
そして、七氏が沈黙しているのは、返事できないからだとばかりに大喜びして、
返事を迫った。
あなたの自滅ぶりを私から指摘されて、

>それだけの話が一体どれほどの意味があるというのか、

などと、都合が悪くなると他人事のようにしらばっくれる。
あなたって本当に男らしくない人ですね。
意味があるもないも、それを議論してきたのです。

>過去世を透視した話が悟りを開いた後に書かれている。

とは、私がこれまで主張した「解脱→三明」です。
私の説が正しいことをあなたが証明してくれた。
だったら、もう議論は終わりです。

557 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:08:21 ID:V2eghjpq
>>543 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:00:01 ID:pPIfFGHw
>第四静慮にいたり肉体から五体を具えた霊体〔意正成身〕が抜けて出てくる。
>修行者は、意正成身によって神通という高度の霊力を発揮する器官を具える。
>六つの神通力は瞑想に基づいている。
>如来は三重の智慧を獲得し達成することによって仏陀になった。

何度も言うように、仏教では解脱とは「解脱の内容」も全部含むのです。
ベックも、菅沼教授も、他の学者たちも、十二縁起や
三明を含めた過程を含めて、解脱というのです。
だから、解脱にはいくつもの項目がある。
それを樹意さんもその立場から解脱を説明している。
あなたが引用したベックの説明もそれらの一つにすぎない。
だが、今ここで議論しているのは、
「神通力でカルマ解脱した」という桐山説が正しいかどうかです。
ベックは神通力の説明をしているだけで、神通力で煩悩を切るとは言っていなし、
ましてやカルマを切るなんて一言もない。
あなたが引用したどこにも、神通力でカルマ解脱したなんて説いていない。
桐山説をなんら証明していません。

558 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:10:37 ID:V2eghjpq
>>543 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:00:01 ID:pPIfFGHw
>第四静慮にいたり肉体から五体を具えた霊体〔意正成身〕が抜けて出てくる。

あなたは桐山意生身が間違いだと認めるのですね。
桐山さんは意生身とは霊魂だと主張している。
だが、ベックの説明だと、霊魂でもなんでもなく、第四禅で出てくるものらしい。
どう見ても、桐山さんのいう霊魂とは違います。
わざわざ学者の説まで出して、桐山意生身の間違いを指摘してくれてありがとう。
信者さんたちもよく見て下さい。
桐山さんは意生身とは霊魂だと言った。
だが、学者ばかりか、信者のペテン大作さんですら、意生身とは
第四禅で出てくるものであって、霊魂ではないと認めている。
桐山さんがいかに嘘つきかわかったでしょう。

559 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:14:28 ID:V2eghjpq
>>544 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:04:44 ID:pPIfFGHw
>第三の英知(第六番目の神通力)とは
>苦悩と苦悩の克服についての英知である。
>それは瞑想上の省察から得られる成果である。

あなたは学者の文章を長々と引用しているうちに
すっかり自説が支持されたかのように思うらしいが、
ベックの説明は派手やかなだけで、何も新しいことは述べていない。
第三の英知とは、漏尽通のことですよね。
すでにここで何度も説明しているように、
自分が煩悩を完全に消滅したと確認する能力であり、仏教の知恵の一つです。
煩悩を断ち切った後にそれを確認する能力だから、
煩悩を断ち切ったのはこの神通力よりも前なのです。
しかも、ベックは第三の英知でカルマを断ち切ったとは書いていない。
「苦悩」の元は煩悩ですから、「苦悩の克服」とは煩悩を切ることです。
だから、批判側が言っているように、これは漏尽解脱の説明にすぎない。
どこにも、「神通力でカルマを切るのが解脱」という桐山解脱などありません。

560 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:16:58 ID:V2eghjpq
>>545 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:08:58 ID:pPIfFGHw
>〔欲漏〕、〔有漏〕、〔無明漏〕から解放される。
>これが「解脱」です。

そのとおりです。
どこにもカルマ解脱も霊障解脱もありません。
解脱とは、漏尽解脱だとあなたも認めるのですね。
桐山さんはそれを小解脱だとバカにした。
桐山さんの間違いを認めるのですね。
曖昧にして、コソコソと逃げまどわないで、はっきりと
「桐山ゲイカの因縁解脱は間違いであり、仏教の解脱とは漏尽解脱である」
と認めたらどうか。
・・と、あなたにそんな勇気を求めても無理ですよね。

561 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/19(金) 00:19:07 ID:VP00cFCI
>398:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/18 00:27:03 ID:wDMt7A0g
>羯諦さんは、別の道から阿含経の尊さを発見し、ある程度極められているように思われます。
私も羯諦さんの批判側の否定は多少問題ありと思いますが、修行の参考になる書き込みに感謝しています。

羯諦さんについては批判側をどう否定するのも自由です。
しかしその表現に問題ありで(態度ではありません)、意味不明の言葉を並べるだけで、批判側の
どの主張にどう反論しているのか、要するに会話が成立しないのです。
だからあなたが参考になると言うならば、どう参考になったか、こちらにわかるように示してみなさい。
所詮あなたはこの人、いろいろ引用して、いろいろな言葉を駆使して、なんかいろいろ知っていそうだな
とフィーリングで感じただけで、その実何もわかっちゃいない。
そういうのを「知ったかぶり」というのです。
所詮あなたの論なんてこの程度だと思います。
だから私が昔促したでしょう?
一修論は公に示さなくても、必ずノートなりパソコンファイルなりに言葉で書いてまとめて保存しなさいと。

562 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:23:04 ID:V2eghjpq
>>547 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:29:23 ID:pPIfFGHw
>あなたが言う「神通力で解脱する」とは
>「エイヤッ!」と九字を切るとか、念力で解脱するという意味ですか?
>ゲイカがそう言ったのですか?
>言ってないでしょう。
>三明で解脱するということですよね。

なぜ、一番肝心な質問にあなたは答えないのだ?
話をそらさないで、あなたの引用したベックの説明のどこにカルマ解脱が
あるのか答えてみたらどうか。
長々と引用して、さも自説が証明されたかのような書き方をしているが、
ベックの説明には、神通力でカルマを断ち切ったなんて、一言もありません。
彼は経典にある普通の神通力の話をしているだけであって、
カルマ解脱も、神通力でカルマを切るという桐山さんの説など影も形もない。
なんのためにあなたは引用しているのだ。
こうやって神通力の話を引用して、目くらましをしたつもりですよね。
神通力についてわかりきった内容をダラダラとたくさん引用する必要はないから、
「釈尊は神通力でカルマを切り、解脱した」というベックの文章を示しなさい。

563 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:29:56 ID:V2eghjpq
>>548 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:33:44 ID:pPIfFGHw
>解脱を達成するには、超感性的能力〔神通〕と
>高度の認識〔知慧〕とを通過する必要があるというわけです。

これもあなたに逆に何度も質問した。
スシーマ経の神通力を持たない解脱者たちをあなたはどう説明するのだ?
彼らの解脱を釈尊が認めたが、神通力を持たなかった。
サーリプッタが他心通という神通力を持たなかったこと、
また神通力獲得を目的とはしないという彼の宣言をどう説明するのだ?
ベックの説明は経典の最大公約数のような話をしているにすぎない。
だから、彼の説明にあてはまらないアラハンはいくらでもいた。
神通力など持たないアラハンは実在したのだ。
それともサーリプッタは落第生か。
いつまでもダラダラとここをあなたの読書のメモ代わりにするのはやめて、
ベックの説明のどこに「神通力によるカルマ解脱」があるのか
それだけを示しなさい。

564 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/19(金) 00:34:54 ID:nmgEVcab
比丘たちよ、汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少
しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれ
といずれが多いであろうか

大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少な
く、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます

比丘たちよ、それとおなじように、わたしが証知して、しか
も、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いので
ある。



565 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/19(金) 00:49:07 ID:nmgEVcab

業と命があっても

煩悩が“無効化”されているのが

預流、一来、不還、独覚。






566 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/19(金) 00:51:18 ID:nmgEVcab
お寒い空気を感じたりもしました・・・・・
(今たいへん)

>新店舗
中沼源太郎 05/12/24 15:48 8y5ysqedoP
みんながんばっているね。ほんとうに感心します。
新店舗はできたが忙しく労働しています。そんなわけで
なかなかここにも書き込めないわけです。

青柿くん(旧 クソガキ君)、自分のことを擁護派の善玉にしちゃ
いかんよ。どうせならば擁護派はひとつにして、特殊派閥として
大王の使者さんだけ別格扱いにしてもらわないと。使者さんの
書き込みの相変わらずのチンケさには脱帽している。

それではみなさまメリークリトリス!
よいお年を!
パッピーニューイヤー!


567 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/19(金) 00:53:19 ID:nmgEVcab
お寒い空気を感じたりもしました・・・・・
 ↓
>整体の真髄
>つづきはまた
[73]中沼源太郎 06/09/09 12:05 eK/VAg6FIM
>>70
偉大なる整体指導者:野口晴哉は「バイブル(新約)」のなかに
整体の真髄が多く説かれているといわれました。
確かに潜在意識についての教えが書かれていますね。わたしなども
クリスチャンではありませんが、朝目覚めて、1ぺージよみます。

チベットの占い(「モ」もしくは「タモ」という)について
書くようにします。ダイスを用いた占いもありますが、
パクチェンというゲームがあり、これの起源と「モ」の起源は
おんなじです。続きはまた。

中沼源太郎でした。以後よろしくどうぞ!

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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