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阿含宗を考察する002

1 :初めてのスレ立て:2008/09/26(金) 21:07:34 ID:ECvgq/w+
001のスレ主の大日如来さんがアクセス制限でスレが立てれないようなので
僭越とは思いましたが代わりに立てました。

1 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/09(火) 06:43:05 ID:5OOhvSoE
このスレッドは阿含宗を考察する目的で立てました。
擁護が目的ではありませんが、あまりにも批判が多いのと批判板だけしか存在していないので立てた次第。
どちらかというと中立で行ければ、と思っています。(どちらに傾くかは今後次第で)
取るに足りない批判や中傷、罵詈雑言、荒らし行為や論破は無視の方向でw
おおよそ、擁護派を受け入れる板だと思ってください。ただし、擁護陶酔はなるべくしないように。
また、ここの板の趣旨は私、HN大日如来が主なので批判派やその他私の理にそぐわない苦情は受け付けませんw
それをご理解して書き込みください。

001はこちら
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220910185/l50

関連スレはこちら
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220843936/l50

2 :神の愛の証言者 ◆IHSXPiND6Q :2008/09/26(金) 22:34:34 ID:aLF8O+kY
2GET

3 :孫 青柿(あおがき):2008/09/27(土) 10:17:39 ID:gtEkkwdO
前スレ>528 一修行者さん、良薬口に苦しという言葉もありますよ。本当は丁寧に間違いを指摘してくれる七誌さんのような人こそ親切なのです。
カルトのメンバーには人権なしとか勝手に思い込み信者の方々をげらげら笑ってるような人はあまりよくないですね。

たしか密教占星術1を読むと、仏教って占星術がルーツとなってるらしくってゲイカもそれが正しいかどうかを確かめるために仏道修行されたそうですよ。
内容はかなり忘れましたが、生まれたときにその人の運命が分るのは人が三世に渡って輪廻してる証しであるそうで、ゲイカも密教占星術の的中率が高いからこそその奥にある輪廻というものを突き詰めたく仏門に入った。
また仏教自体も占星術の証しとして生まれたもので、なんとゲイカと釈尊は2千数百年離れていながら全く同じ動機で同じ道を歩んだことになる。
もちろんこんなのはデタラメに決まってますが、信者さんが 「もともと占星術で割り出すことなど宗教の行うことではなく、
「占い師」の仕事と思ってます」なんて書いてしまってはゲイカの立場ってものがないじゃないですか。
それとも、占星術などやってる宗教家などはまともな宗教家じゃない、と言いたいのですか?

4 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 12:16:02 ID:iAeM6kGA
おまえは、前世からずっと神経症のままなんだな。

5 :一修行者:2008/09/27(土) 15:29:37 ID:T66wV2K0
>>529
>>530
>>531
>>532
ユビキタスさん。
長文の回答、ありがとうございます。
そのわりにこんな一言で恐縮ですが、心がこもっていると受け取ってください。
>>533
表現が難しいので、行き違いは生じるつもりで書きますが、
孫 青柿さんは管長批判の一環としてこの内容を提示されたと思うわけですが、
皆さんがされている管長批判の内容が事実であっても、間違っていても、その中間であっても
私なりの結論が出ているからどうでもいいと書いたのです。
だから私にこういう情報の提示は無駄です。
ではその結論はなにかと言われてもそれはこのような公の掲示版に書くべきことではないと思ってますし、
まあ、ユビキタスさんや孫 青柿さんや大日如来さんと直接会えるなら語ってみたいとも思います。
私は、会員であることも個人の自由、退会も自由と思ってますので、
退会された人に「戻れば」とも言いませんし、たとえ自分が退会しても「やめろ」とは言わないわけです。

6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>>534
回答を拒否しているからといって、私が感情的になっていると考えるのは間違ってますね。
極めて冷静に判断しているつもりです。
自分に認識できる部分では間違いなく。
ユビキタスさんだって神も仏も名無しさんの文法が論理的がおかしく、
まるで鏡を見て話されてるようだということはご存知のはずです。
内容ではなく会話のマナーとも言えます。
これは須陀恒の定義の部分を読まれたと思いますので、その指摘だけで十分でしょう。
かってに管長の擁護と受け取って断定してしまう。
いちいち始めたらきりがない。
ユビキタスさんは同じ、いわゆる批判側だから顔をたてて指摘しないだけでしょう。ほかの方も。
だけどユビキタスさんの指摘でないと神も仏も名無しさんは聞かないと思いますよ。
あと、神も仏も名無しさんの基本姿勢として、
現役会員が登場すると、会員というだけで感情を煽り立てる表現をする。
そして会員が冷静に回答しても、あなたは、私に腹が立っているなどと書き、
さらに感情を煽り立てようとする。
そしてそのやり方に乗ってしまい、少しでも品の悪い言葉を発すると、
阿含宗の会員は煩悩まるだしだと言うのでしょう。
だから私にはそのやり方は通じませんよ、会員を退会させたいのなら、
せめてユビキタスさんのようなやり方をしたほうがいいですよ、と言っているのです。
その確信犯的態度を感じるからいわゆる無視をしますし、
あそこまで行くと他人の煩悩をあおる悪業行為だと思うのです。
語り口調はよくいるタイプだと思ってますよ。
>>535のことを再度書きますが、私が須陀恒がイコール身見断じ、
だけではないことくらいわかっていても、ここは身見をテーマとしたことすらわからない。
そしてこれは退会された人にとっても仏教を修行する上で重要なことなので、
「阿含宗抜きに考えて」と書くと、ここは阿含宗のスレという。

7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
つづき
このような返信内容をユビキタスさんはどう考えているのですか。
ここだけはユビキタスさんも必ず回答すべきだと思いますね。
おそらくデジタル的思考回路が強すぎて、
すべてデジタル的に納得できないと気がすまない性格かもしれませんね。本質は真面目な人かもしれませんが。
大日如来さんの勉強不足の件は私にもいえます。
ただ、あれだけ、自分の発言を反省できる人なのですから、
まともに付き合える大人じゃないですか。
一度くらいは気にせずに。
ユビキタスさんの辛辣は私と似ているのであまり気にならないわけです。
あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。
あたかも私が十二因縁を運命上の十二種の因縁だと誤解しているように書かれてると思いますが、
だからあえて「釈迦は悪い運命から解脱したと管長が言ったのなら、
それは管長の間違い。」と補足しているわけです。


8 :一修行者:2008/09/27(土) 16:17:32 ID:T66wV2K0
>>3
孫 青柿(あおがき)さん。
上記にも書きましたが、神も仏も名無しさんは目的が違うので論点をずらしてしまうのです。
そして、それはあなたの方だと書く。
だからまともな会話などできるわけありません。
そして私と神も仏も名無しさんどちらに問題があるかなど、
当然いわるる批判側の人は神も仏も名無しさんを支持するでしょうし、
しかしそれが正しいということにはなりません。
いちいち微妙な表現に食いついていては会話にならないのです。
もともと言葉には限界があると思います。
孫 青柿(あおがき)さんだって、私が「本当に苦しんだことあるのか?」という発言をしたと
勘違いして私に同じ言葉を返しますと、書かれましたが、
私はいちいち、そんなこと言ってませんなどと、書き込みませんでした。
それはある程度良識のある人なら、若干の誤解があっても、心の中では、
「わかってもらえる人だから、まあいいか。」と納得できてしまうわけです。
神も仏も名無しさんだって、いろいろ人生で苦労はされていると思いますし、
内容にも関心できるところはあります。
だから一言でいうと、「程よい限度を知らない」という表現があてはまる、
と私は思うわけです。

9 :一修行者:2008/09/27(土) 16:18:49 ID:T66wV2K0
ついでに大日如来さんの100%否定発言の擁護をしておきます。
私は阿含宗擁護派ではありませんが、大日如来さん擁護派決定?
だれだっていわゆる批判側の人を100%否定など思ってませんよ。
ユビキタスさんの言われた無財の七施など誰だって道徳的にいいことなんてわかってますからね。
だからそんな例では大日如来さんの100%発言を否定する内容にはならないのです。
大日如来さんはそんな意味で100%と書いたのではない。
だから言葉には限界があり、それに食ってかかり何度も繰り返し書き込む神も仏も名無しさんに私と同じ、
うんざりするのでしょう。
他人との会話は応用力をもって行いましょうと、私は思います。

>占星術などやってる宗教家などはまともな宗教家じゃない、
>と言いたいのですか?

まともな宗教家じゃない、とまでは言いませんが、
最初は占星術を利用しても法力があるなら、そちらの方で行うべきだとは思ってます。


10 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/27(土) 21:05:20 ID:DWIrOtMt
「初めてのスレ立て」さん、ありがとうございます。しばらく立てれないので時間を空けて
立てようと思ってましたが、大変助かりました。深く御礼申し上げます。

また、このスレが立つまでの間、体調回復と過去ログ閲覧に努めましたが、いやあ汗顔の
至り極まりないですね。読むのも大変だけど学びは大きいですね。これじゃあ擁護派が負け
るのも無理は無いです。

その他色々考えましたが、結局発言を残すにはBBSがいいですね。雑音が多いけどそれは
仕方ない。また雑音無しの方向でも考えましたが、それも今は考え中ですね。
ちなみにMixiはやめました。自分向きなのが無いからです。結局は今後の様子を見て
それにあわせて考えようかと。(このBBSも同様です)HPも考え中です。

ザBBSの第六章を拝見しましたが(まだ途中ですが)あれをみて占星術への考え方が
変わりましたね。また自分の中で答えも出ました。さすが批判派、ですね。あと、自分に
近い考えの方もいましたね。本当にいろんなことを学ばせていただいています。

11 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/27(土) 23:03:00 ID:vjERAzT8
>>6:一修行者 :2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0 >>534
>回答を拒否しているからといって、私が感情的になっていると考えるのは間違ってますね。
>極めて冷静に判断しているつもりです。

いえ、あなたが回答を拒否することを責めたことはありません。
誰にも黙秘権というものはあり、なんでもかんでもアホみたいにレスを付ける
よりは沈黙を守る方が賢明な場合もあるし、こちらも相手の沈黙をかえって好ましく
観察していることさえあります。
大日さんなどに厳しく問いかけていながら、実は回答も要求していないケースは多い。
ここでは「答える、答えない」で感情的になっているぞなんて指摘ではなく、
青柿さんのユーモラス性とか、私のなんだかと表面にだけ目が行って、もっと
本質的な内容を考えてみたらどうかとアドバイスしたわけです。
偏見を捨てて考えたらどうかという、まあ老婆心みたいなものですね。
受け入れなくてもよいが、こちらもチョイ横から口を挟んでみたくなった次第。
エチケットの話をするならば、相手を低学歴と罵ったり、バカと言ったり、
セクハラ攻撃とかする輩ですかね。
残念なことにアゴン宗の擁護側の一部にこういうのがいることは私も不本意だが。
しかし議論の中身において、思考停止した信者が陥りがちな心相を鋭くついて
くるのはマナー違反ではない。
おまえら全員バーカなんて言ってないのです。
あくまでも自分で自分の心に問いかけてみてはどうかと促しているのです。
自覚ある人だけが感じればよい。
だから桐山さんも個人攻撃でない一般論は辛辣に指摘しろと説くわけですね。

12 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:08:34 ID:Vj6Rx3BI
>>5 :一修行者:2008/09/27(土) 15:29:37 ID:T66wV2K0
>ではその結論はなにかと言われてもそれはこのような公の掲示版に書くべきことではないと思ってますし、
>528:一修行者 :2008/09/21(日) 02:56:13 ID:t7vUEims
>もともと占星術で割り出すことなど宗教の行うことではなく、
>「占い師」の仕事と思ってます。
>だから密教占星術の因縁の種類など私にはどうでもよいことです。

528でここまで書いていながら、掲示板で書くべきではない?
そんな大仰なこと?
あなたの意見を書くべきでないというなら、どうしてここに出てきたのですか。
あなたが528で書いたことに、批判側はアゴン宗や桐山さんの
姿勢と矛盾することを指摘した。
あなたが因縁に何の関心もないならかまわないが、現実に、

>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>阿含宗で一般的に言われるのは運命からの因縁解脱。

と、十二因縁解脱などと造語で因縁解脱について書いている。
ここまでアゴン宗の悪因縁を出していながら、アゴン宗の矛盾した姿勢を指摘されると、
急に、書くべきではないなどと逃げ出す。
矛盾を指摘され、反論に行き詰まると、公の掲示板を盾にして、
答えをはぐらかしたのですね。

13 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/27(土) 23:09:10 ID:vjERAzT8
逆に言うとまだ思考停止ばかりもしておらず、自分の頭で考える信者を想定して、
そういう期待の持てる、まだまだ捨てたものでないと信じているから、問いかけ
という手法をとるのですね。
本当に救いようのない奴らだと思ったら嘲笑するだけで、そちら(信者)に
問いかけたりしません。
こんな傲慢な言い方も不本意なんだか、問いかけられているだけ、同じ人間として
対等に扱われているのだなと自覚した方がよい。

14 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:11:05 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>ユビキタスさんだって神も仏も名無しさんの文法が論理的がおかしく、
>まるで鏡を見て話されてるようだということはご存知のはずです。
>これは須陀恒の定義の部分を読まれたと思いますので、その指摘だけで十分でしょう。

どうやら、あなたのいう「文法が論理的がおかしく」「鏡を見て話されてる」とは、
シュダオンの件らしい。
毎回申し上げていることだが、抽象的な書き方をせずに、
具体的にどこがどうおかしいのを指摘してください。
では、再度私も説明しましょう。
あなたにではなく、読者にです。
あなたの主張の背景を私は指摘したのです。
いかにもアゴン宗と関係がないというような書き方だが、
そんな主張はここで通用する訳がないと前回書いたとおりです。
スレのタイトルも、参加者も、シュダオンという内容も、
全部アゴン宗と深く関係している。
それを抜きにして話をしたいなら、ミクシーでやるか、原始仏教スレに行くしかない。
ここで書いたら、全部アゴン宗関係の議論とみなされて反論されるのが当然です。
あなたように、アゴン宗と直接関係ない方向に議論を持っていく信者は珍しくない。
故意にする者もいれば、あなたようになかば無意識にする人もいる。
そうやって、アゴン宗との関係ない話をすることで自分なりに納得する理屈を作り、
脈絡なくアゴン宗を信仰してもいい拠り所とするのです。

15 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:16:13 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>これは須陀恒の定義の部分を読まれたと思いますので、その指摘だけで十分でしょう。

あなたのような議論の仕方の典型は、たとえば
「では霊障で苦しんでいる人たちをどうするのだ?」というような内容です。
一見まともそうな話だが、この人の理屈は、霊障で苦しんでいる人たちがいて
助けを求めている、という一般的な話に拡大させ、自分の信仰を正当化する。
だが、一般的な霊障の話とアゴン宗の霊障の話には脈絡がない。
仮に世の中で霊障で苦しんでいる人がいるとしても、
だからといって、アゴン宗の説く霊障や霊障解脱が正しいことにはならない。
多くの信者は意識的に誤魔化そうとするのではなく、無意識にこれをするのです。
あなたも同じです。

16 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:17:47 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>これは須陀恒の定義の部分を読まれたと思いますので、その指摘だけで十分でしょう。

シュダンオンという一般論を持ってきて、アゴン宗批判の攻撃から逃れ、
シュダオンはどこにでもいるのではないかとなどという結論を出してくる。
身見やシュダオンがテーマになっていたのならともかく、
ユビキタスさんが「何のため?」と質問するほど、あなたは脈絡もなく、
突然これを出してきた。
あなたの主張は、前スレの335にあるように、
「須陀恒に人格など無関係ではないのかと言いたいのです。」
と言いたいらしい。
何の脈絡もなく、突然相手に身見について質問し、
それは自己流の解釈のシュダオンを唱えるのが目的だったという。
あなたは前スレの163で自分のテーマを二つ出しており、いずれもアゴン宗です。
アゴン宗について議論している真っ最中に、突然、アゴン宗とは関係なく、
阿含経の身見やシュダオンについて議論したくなったなどと主張して、誰が納得しますか。
納得しないからこそ、ユビキタスさんはあなたの意図を質問した。
読者たちもあなたを理解できなかった。
私がその理由を推測したのです。
あなたは私が何でも桐山擁護に結びつけると批判しているが、
結びついていることを私は示したのです。
この場合、あなたが納得しようがしまいが関係ない。
読者が、議論の最中に、突然脈絡なくシュダオンの一般論を
出したというあなたの説明を納得するか、それとも、あなたが半ば無意識に
アゴン宗を擁護しようとしてシュダオンを出したという私の説明に
一理あると見るか、読者が判断する。

17 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:21:11 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>これは須陀恒の定義の部分を読まれたと思いますので、その指摘だけで十分でしょう。
>だけではないことくらいわかっていても、ここは身見をテーマとしたことすらわからない。

私の、あなたが唐突にシュダオンを出してきた理由の説明のどこが、
「文法が論理的がおかしく、まるで鏡を見て話されてる」
ことになるのだ?
あなたの意図を理解した上で、違うことを指摘をするのの
どこが文法がおかしく、鏡を見ていることになるのですか。
私はシュダオンに関係した身見、疑惑、戒取についても説明している。
誤字脱字はともかく、内容は間違っていない。
また、「鏡を見て」というのもあてはまらない。
なぜなら、私はアゴン宗の信者であるあなたの姿を指摘したのであって、
信者でない私の姿の鏡にはならない。
信者時代も、シュダオンで桐山擁護をしたことはありません。

18 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/27(土) 23:27:09 ID:vjERAzT8
>>6:一修行者 :2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0 >>534
>ユビキタスさんだって神も仏も名無しさんの文法が論理的がおかしく、
>まるで鏡を見て話されてるようだということはご存知のはずです。

>>7:一修行者 :2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>つづき
>このような返信内容をユビキタスさんはどう考えているのですか。
>ここだけはユビキタスさんも必ず回答すべきだと思いますね。

同じ批判側だから遠慮してつるんでいるのか?と言いたいわけですね?
これを指摘するならば、いちいち個別の例を挙げて下さい。
七氏さんの文法が論理的におかしいとは、どこのどこがおかしいと言っているのか
具体的に示して下さい。そうでないと返事などできません。
身見の件ですか?これにそちらが出してもいない疑惑や戒取を書いたことが
文法上おかしいと言いたいわけですか?
それは勇み足であると。
しかしですね、そういう勇み足なら私もレスしてるのですよ。
身見の私の解釈を訊ねられた時、私は頭が悪いのか、あなたの意図がわからなかった。
今でもわかりませんよ。
だから私は、私の解釈もなにも、辞書に書いてあるような意味を答えて、これ以外に
あるのか?これを聞いて何が言いたいの?と逆に問いかけたわけです。
その時に、私もあなたが聞いてもいない「アゴン宗は不成仏霊の相続を説く
常見だから身見の煩悩を侵している」と添えました。
逆に言うと、これを添えないと、何を考察したいのかわからないからです。
疑惑、戒取をセットでつけるのもよくわかります。
霊魂論を考察すること自体、仏教に反しているのですから。
身見とはあくまでも煩悩なんです。

19 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:27:58 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>あと、神も仏も名無しさんの基本姿勢として、
>現役会員が登場すると、会員というだけで感情を煽り立てる表現をする。
>そして会員が冷静に回答しても、あなたは、私に腹が立っているなどと書き、
>さらに感情を煽り立てようとする。

感情を煽る?
では、あなたは冷静ではないのですね。
自分で書いていて矛盾に気が付きませんか。
私のどの文章があなたの感情を煽ったのか教えてください。
私のアゴン宗批判はできるだけ事実を書くようにしている。
事実とは、私が書こうが書くまいが厳然として存在することです。
その事実を示されて、感情的になったとすれば、それはあなた自身に問題があるからです。
自分の信じていたことが間違いだと指摘され、感情的になったのですよね。
本当に冷静なら、一つ一つに丁寧に反論すればいい。
だが、あなたは反論もろくにせず、というか、できないから、
「最初に説明した」を繰り返すばかりです。
今回も、肝心の議論の部分は>>7にたった四行あるだけで、
後は、ユビキタスさんと青柿さん相手に愚痴を書いているだけです。

20 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:29:29 ID:3J/x1ZKu
というか教義が支離滅裂でしょ
コロコロかわるのですよ、細かい部分で
たぶん昔の会員と今の会員の教義では違う部分もだいぶあると思いますよ
教祖がパラノイアだからw

21 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/27(土) 23:31:38 ID:vjERAzT8
と言うことで、つるんでいるわけでもなく、遠慮もしていないが、
見事にシンクロしますた。

22 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:34:43 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>だから私にはそのやり方は通じませんよ、会員を退会させたいのなら、
>せめてユビキタスさんのようなやり方をしたほうがいいですよ、と言っているのです。

あなたは大きな誤解をしている。
説明するのは初めてではないと思うが、私は、信者を退会させようなんて
目標に掲げていません。
ましてや、特に強調しておくが、一修行者さんを退会させようなんて気はさらさらない。
他の批判側がどうであるか知らないが、私はその気はありません。
日本では信仰は憲法で保障された権利であり、アゴン宗は宗教法人を
とった団体ですから、信じていたければ、そのままいればいい。
私は情報を提供しているだけです。
間違ったことを信じているから、正しい情報とはこれこれだと書いている。
あなたの書き込みを批判するのも、一修行者さんにレスを付ける形を取っているだけで、
内容を読んでほしいのは読者です。
あなたは「誰がおまえみたいな文章を読むか」と言うだろうが、案外そうでもない。
反論されている本人ではないから、冷静に読んでいる人がいるものです。
あなたとの議論を通じて、アゴン宗がいかに嘘かを示している。

23 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:39:02 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>そしてそのやり方に乗ってしまい、少しでも品の悪い言葉を発すると、
>阿含宗の会員は煩悩まるだしだと言うのでしょう。

私に乗せられて罵声を発している???
さすがは桐山さんの因縁付けのアゴン宗の信者だけはある。
悪因縁や死者の霊障のせいにするだけでは物足りず、こんなことまで他人の
せいにして恥ずかしくないのか。
あなたは相手を罵倒するのが煩悩丸出しだとは思わないのですか。
桐山さんが「このバカつまみ出せ!」と言った時、煩悩丸出しだった。
自分の非を指摘され、自分の思い通りにならないと怒りにかられ、
マイクの音がとぶほどのすさまじい剣幕で相手を罵り、暴力でつまみ出した。
これが煩悩丸出しでなくて何なのだ?
あなたも、私に具体的に反論するのではなく、偏屈男の小説を作って、私を罵った。
これもまた煩悩丸出しです。
私はあなたと同じように罵り返すのではなく、ここに書いているような
テーマで話せる法友がいないあなたのほうが孤立しているのだから、
偏屈男に当てはまるのはあなただ、つまり「まるで鏡を見て話されてる」と指摘した。
アゴン宗では煩悩を切る事も心解脱とされているのに、
このように教祖から信者まで、すぐに爆発するのを見れば、
心解脱などしていないのは明らかだと指摘したのです。
煩悩が普通人と変わらないのだから、アゴン宗の修行など何の意味もない証拠です。
一般人に、アゴン宗の信者とはこんなものである示すのにちょうどいい。

24 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:43:49 ID:Vj6Rx3BI
>>6 :一修行者:2008/09/27(土) 15:33:00 ID:T66wV2K0
>あそこまで行くと他人の煩悩をあおる悪業行為だと思うのです。

あそこまでって、誰との議論を指しているのですか。
私は擁護側の間違いを指摘しているだけです。
間違いを指摘されて、反論できず、怒りや恨みの心を持ったとして、
それが私のせいか?
煽られようが煽られまいが、煩悩を断ちきる修行をしているなら、煩悩を出さない。
つまり、アゴン宗の信者とは煩悩を抑えようとさえしていないのです。
私に乗せられて罵声を上げ、煩悩を煽られているのだという。
自分への反省は皆無で、他人のせいにするのは、いかにも
偽ビールの犯罪霊障のホトケのせいにする教祖の弟子らしい。
あなたはアゴン宗という霊感商法をする詐欺宗教の信者だ。
根拠ない悪因縁や霊障、地球壊滅の話を信じて、周囲にそれを宣伝し、
護摩木という形で金銭的な援助をしている。
釈尊が説いていない因縁解脱を説いたかのように周囲に宣伝する手伝いをしている。
自分がどれほどの悪業を積んでいるか自覚がないのはお幸せなことです。

25 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:46:46 ID:Vj6Rx3BI
>>9 :一修行者:2008/09/27(土) 16:18:49 ID:T66wV2K0
>大日如来さんはそんな意味で100%と書いたのではない。

あなたが大日さんをどう擁護しようが自由だが、
彼は、批判側は桐山全面否定であると繰り返し書いている。
「そんな意味」も何も、彼は説明などしてません。
そして、あなたも何も説明していない。
ただ、「そんな意味ではない」と書いただけで、
では、どんな意味なのかは何の説明もない。
言い訳にも擁護にもなっていないこんな文章を書いて、何の役に立つのだ?

26 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:49:31 ID:Vj6Rx3BI
>>9 :一修行者:2008/09/27(土) 16:18:49 ID:T66wV2K0
>だから言葉には限界があり、それに食ってかかり何度も繰り返し書き込む神も仏も名無しさんに私と同じ、
>うんざりするのでしょう。

食ってかかったのは大日さんのほうです。
根拠も示さず、批判側は全面否定だと繰り返し繰り返し書いた。
根拠が示せないなら、やめてはどうかと提案しても完全無視して、
何度も書くことを「食ってかかり何度も繰り返し書き込む」といいます。
どうしてあなたはそうやって自分たちがしていることを
まるで私がしたかのように書くのだ?
桐山さんの薫陶を受けているから、なんでも他人のせいする癖がついているのでしょう。

27 :神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 23:57:26 ID:Vj6Rx3BI
>>7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。

法則から解脱???
また意味不明の表現が出てきた。
法則からどうやって解脱するのだ?
釈尊本人が説いた法則から解脱するって、どういう意味ですか。
解脱の法則から解脱したら、解脱できない。
私に文法が論理的におかしいとまで指摘するなら、
もう少し普通の言葉で書いてみたらどうか。
何のためにあなたは十二因縁解脱、法則からの解脱などと仏教でも桐山さんも
使っていない言葉をわざわざ用いるのですか。
運命解脱という造語を説明するのにあなたはまた造語を用いたのですよ。
煽るだの何だのと被害者意識ばかり持たないで、
普通の日本語で仏教の立場から説明するか、アゴン宗の立場から説明するか、
でなければ、自分の説明を撤回するか、どれか一つにしてください。

28 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 00:02:58 ID:aDwlVhxt
>>7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あたかも私が十二因縁を運命上の十二種の因縁だと誤解しているように書かれてると思いますが、

私のどの文章を読めばこんな解釈ができるのだ?
勝手な解釈をするのはやめてもらいたい。
「仏教の因縁とはアゴン宗の悪因縁とは意味が違います。」(前スレ538)
こういう私の文章をどう読めば、あなたの解釈が出てくるのだ?
自分の文章を読めなどと言うなら、あなた自身もまず実行したらどうだ。

>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>阿含宗で一般的に言われるのは運命からの因縁解脱。
>同じ因縁解脱だから私は運命解脱と表現。

誤解もなにも、471のあるように、「釈尊の因縁解脱とアゴン宗の因縁解脱が
同じだ」と書いたのはあなたです。
両者が同じなら、釈尊のいう因縁もアゴン宗の因縁も同じだという意味ですよね?
だったら、十二因縁もアゴン宗の悪因縁も同じだと言っていることになる。
自分で書いておいて、他人が誤解したなんて、何を訳のわからんことを
書いているのだ?

29 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 00:05:20 ID:aDwlVhxt
>>8 :一修行者:2008/09/27(土) 16:17:32 ID:T66wV2K0
>いちいち微妙な表現に食いついていては会話にならないのです。

運命解脱や十二因縁解脱、法則の解脱が「微妙な表現」??
あなた以外にこんな言葉を使った人はこの八年間に一人もいない。
運命解脱を間違いだと言っているのではなく、
因縁解脱のことを指しているのだろうから、表記は統一したほうが
読んでいる人たちにはわかりやすいのではないかと提言したのです。
事実、その内容の説明を聞いてみると、ほとんど意味不明です。
あなたはまだ運命解脱の意味を説明していないのですよ。
運命解脱を説明するのに、今度は十二因縁解脱などという新しい造語で説明を始め、
今回はさらに「法則から解脱」などまた意味不明の言葉を用いた。
「微妙な表現」ではなく意味不明の言葉をあなたは乱発しているのです。

30 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 00:11:38 ID:aDwlVhxt
>>9 :一修行者:2008/09/27(土) 16:18:49 ID:T66wV2K0
>だから言葉には限界があり、それに食ってかかり何度も繰り返し書き込む神も仏も名無しさんに私と同じ、
>うんざりするのでしょう。

これをあなたは運命解脱と十二因縁解脱のことを指したつもりらしいが、
食ってかかるのではなく、あなたは運命解脱の意味を今もって誰にも説明していないし、
誰も理解できていないのです。
運命解脱とは一般的な言葉でもないし、仏教にもアゴン宗にもない。
別なわかりやすい言葉を使うか、説明してくれと言うのが何かおかしいですか。
説明を求めると、
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱
など、「釈迦が因縁解脱」などという根拠のない話や
十二因縁解脱などという造語まで飛び出してきた。
表現のおかしさを指摘されると、「食ってかかり」「うんざり」などと逃げる。
だが、信者さんでさえ十二因縁解脱なんて言葉は知らないから、あなたの説明は、
スレも二つ目なのに未だに誰も理解できない。
今回で二度目の説明なのに、法則からの解脱などと、また意味不明の言葉を
使うことこそ「うんざり」です。

31 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 00:14:21 ID:aDwlVhxt
>>7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。
>あたかも私が十二因縁を運命上の十二種の因縁だと誤解しているように書かれてると思いますが、
>だからあえて「釈迦は悪い運命から解脱したと管長が言ったのなら、
それは管長の間違い。」と補足しているわけです。
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>阿含宗で一般的に言われるのは運命からの因縁解脱。
>同じ因縁解脱だから私は運命解脱と表現。

すでに前スレで反論したことをもう一度書きます。
釈尊のいう因縁とは原因くらいの意味にしかありません。
十二因縁の「無明 行 識・・・」とは、無明が原因となって行が出てくると
言っているにすぎない。
苦の原因を探り、苦の原因である煩悩を消滅すれば苦は消滅すると説明しているだけです。
苦の原因の説明がなんで解脱になるのですか。
だから、これを十二因縁解脱などとは言いません。
なによりも、仏教の因縁には運命という意味はない。
だから、十二因縁には運命という意味は含まれません。
一方、アゴン宗のいう因縁とは運命のことであり、
因縁解脱とは運命改造のことです。
両者の言う因縁は名前が同じなだけで、意味はまるで違う。
つまり、
1.仏教には因縁解脱という言葉も概念もない、
2.仏教の因縁と阿含宗の因縁は意味が違う、
この二点において、「同じ因縁解脱だ」というあなたの説は成り立たない。
また、「同じ因縁解脱だ」とするなら、どうして運命解脱になるのだ?
「同じ因縁解脱だ」なら因縁解脱でしょう?

32 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 00:17:50 ID:aDwlVhxt
>>8 :一修行者:2008/09/27(土) 16:17:32 ID:T66wV2K0
>だから一言でいうと、「程よい限度を知らない」という表現があてはまる、
と私は思うわけです。

私から「因縁解脱と書いたらどうか」と勧められたとき、
どうしても使いたければ、「運命解脱を使いますが、因縁解脱と
同じ意味だと思ってください」と書けばこんな議論はまったく無用なのです。
十二因縁解脱なんて大爆笑のボロも出さずに済んだ。
その頑迷さから、あなたは追求され、腹を立て、憎み、
ユビキタスさんや青柿さんに延々と愚痴をこぼし同情を求めた。
あなたの頑迷さという煩悩も私が煽った悪業か。
「程よい限度を知らない」のはあなたのほうですよね。

33 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 07:56:05 ID:1Ng3Cdp5
いちいち弁当箱の隅をつつくように腐った女のグチのような批判だから
ウザイんだよw
だから、一修行者に突っかかれているんだろ。
大日さんのいうように批判オンリーだからというより
このようなグダグダした批判ばかりやっているから嫌がれれる
わかっているんか? なあ七氏よ

34 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 08:50:31 ID:bpZkC8pD
あわれくずるや星条旗

35 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 13:13:39 ID:YnOV9fQ8
名無しはコテハンをつけろ臆病者
キモイ荒らしやめろ負け犬

36 :ラシン:2008/09/28(日) 16:16:47 ID:l6FapJy0
七氏さんのスレの趣旨確認、十二支縁起の解釈、沙門四果の解説、
アゴン信者の特徴などなど、どれを見ても弁当箱の隅を
つつくような話ではありません。
曖昧な印象論を述べることと、論ずるべき論旨を明確にして
議論する違いを投稿者なら、まず自覚すべきでしょう。
安易な井戸端会議を推奨したいなら、別の板をお勧めします。
僭越だが、一修行者さんの感情的な繕いは議論ではなく、
女人の不平不満に等しい。
ここで語るなら、最低限の仏教知識を以って対論して頂きたく存じます。

37 :初めてのスレ立て:2008/09/28(日) 17:07:58 ID:kwsKt+KX
リンクがうまく貼れていないようです。原因がわからないので、どなたか詳しい方
リンクを張っていただけると幸いです。

大日如来さん、恐縮です。001の方々に引っ越していただけて、大変うれしいです。
ミクシイの件は、承認必要なコミュニティで非公開のものを作成し、大日如来さんや
一修行者さんのご意見を伺いたいと思っています。

38 :傍観者:2008/09/28(日) 18:30:14 ID:kt3hV4B+
とにかく、阿含宗の内容についての議論をお願いいたします。
阿含宗の良い点、悪い点を、できるだけ出して議論してください。
特に、阿含宗の良い点を教えてください。
私には、阿含宗のよいところが伝わって来ません。


39 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 18:39:22 ID:YnOV9fQ8
敵の敵はキチガイでも仲間というか
キチガイばかりで異様だ!

40 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/28(日) 19:59:18 ID:m4BR8e5t
>>37 初めてのスレ立てさん

ありがとうございます。実は私もコミュを作りましたが、そこへの誘導などで迷っています。
Mixiは自分に適した場所でないことと、他者にも閲覧されるのが嫌なのでそう
なると「自コミュ」しかないな、と思って立てました。ぜひ、話ができる方と会話したい、
と思っています。

>>38 傍観者さんへ

そうですね。そういう風に持ってゆくつもりでしたが、この002をみてもわかりますように
かなり抗議?な意見も多いし、またノイズも多いので断念しています。

そしてここではここでのスタイルでやるしかないな、と思っていますので、ゆっくりやってゆきます。

ここでの意見の疎通は「苦行的」ですね。いやはや大変だ・・・。

41 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 21:12:51 ID:1Ng3Cdp5
>>36
だからそれは阿含宗というよりも阿含経の正しい解釈を
いいたいのか、感情的に桐山阿含宗をけなしたいのか
どっちつかずで気色わるいのですよ。しかもクドクド繰り返すし
実に胸糞悪くなる
ラシンさんは冷静で学識あるから平静で読めるのだろうけれど・・・。

42 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 21:55:22 ID:5Sy9xZk7
>>33 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 07:56:05 ID:1Ng3Cdp5
>いちいち弁当箱の隅をつつくように腐った女のグチのような批判だから
>ウザイんだよw

罵るのは自由だが、みっともないから、差別用語は使わないほうがいい。
どこが弁当箱の隅なのだ?
このスレの主旨からは外れていない。
一修行者さん本人が出したテーマについて議論しているのです。
一修行者さんを見ると、かつてあなたも追求されたのを思い出し、
不愉快なのでしょうね。
何か一つでも一修行者さんを擁護するような理屈を並べてみたらどうか。
あなたの心にも批判側への怒りや憎しみの感情が渦巻いているのに、
出てくるのはただの差別用語の罵声だけで、反論は何も出てこない。
あなたも他人の書いた文章は斜め読みで何を議論しているのか読みとれない人だから、
信者を続けていられるのだろうが、
因縁や因縁解脱というアゴン宗の一番の本質についての議論です。
因縁の話が重箱の隅をつつく?

43 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 22:00:58 ID:5Sy9xZk7
>>41 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 21:12:51 ID:1Ng3Cdp5
>だからそれは阿含宗というよりも阿含経の正しい解釈を
>いいたいのか、感情的に桐山阿含宗をけなしたいのか

どちらでもありません。
スレの主旨に沿って、アゴン宗は霊感商法をするカルト宗教だと示しているのです。
批判を感情的と言うが、
「いちいち弁当箱の隅をつつくように腐った女のグチのような批判だから ウザイんだよw 」(>>33)
というあなたの書き方のほうがよほど感情的です。
具体的な反論は何もできず、ただけなし、腐し、あざ笑うだけ。
あなたがかつて反論できずに沈黙せざるを得なかった悔しさから、
それを思い出して「実に胸糞悪くなる」のはよくわかる。
だが、せっかく、大日さんや一修行者さんが罵倒することなく、
冷静に反応しているのに、あなたや>>35さんがぶち壊しにしている。

44 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 22:09:25 ID:5Sy9xZk7
>>35 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 13:13:39 ID:YnOV9fQ8
>名無しはコテハンをつけろ臆病者
>キモイ荒らしやめろ負け犬

名無しのあなたが名無しの私に「コテハンをつけろ臆病者」??
自爆ネタとしてはそこそこにおもしろい。
一修行者さんは私を罵りたい気持ちを必死に抑えているのが、
あなたも>>33=41さんもわからないらしい。
大日さんも一時罵ったが、それをやめた。
私は皮肉抜きで、二人とも立派だと思う。
一修行者さんが、批判側は信者を煽って罵声を誘発していると書いている。
煽っているわけではないが、彼はそれには絶対に乗るまいと耐えているのだ。
私と面と向かって議論したら、ぶち切れそうだから、見ないで、
ユビキタスさんや青柿さんのほうを向いて話している。
一修行者さんなりに必死に耐えている姿があなたには見えないようだ。
彼らが批判に耐え難きを耐え忍び難きを忍んでいるのに、
>>33=41,>>35の信者が飛び込んできて、ぶち壊しにしている。
せっかく大日さんと一修行者さんが、世間の皆々様に
アゴン宗の信者とは理屈のかけらもない狂信者で、すぐに罵声やあざ笑いを
出す愚か者だけではなく、耐えるだけの信者がいることを示しているのに、
身内であるあなたと>>33=41さんは空気すら読めずに足を引っ張っている。
それが読んでいる第三者たちにどれほどアゴン宗のイメージを悪くするか
あなたも>>33=41さんも理解できないのですね。
いくつもの批判よりも、信者による罵声の一行こそは、
アゴン宗がいかに下劣な宗教かを示しており、最高のアゴン宗批判です。

45 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 22:15:02 ID:5Sy9xZk7
>>37 :初めてのスレ立て:2008/09/28(日) 17:07:58 ID:kwsKt+KX
>リンクがうまく貼れていないようです。原因がわからないので、どなたか詳しい方
>リンクを張っていただけると幸いです。

2ちゃんの宗教スレのサーバが引っ越しして、
>>1に引用したlife9から今のgimpoに移動しています。
001はすでにアクセスできないから、
批判スレにある倉庫に格納されるのを待つしかありません。
「アゴン宗という宗教147」は下記です。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220843936/

46 :神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 22:25:14 ID:5Sy9xZk7
>>40 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/28(日) 19:59:18 ID:m4BR8e5t
>ここでの意見の疎通は「苦行的」ですね。いやはや大変だ・・・。

そのとおりです。
現実をあるがままに見ることは苦行です。
アゴン宗の妄想を信じていられる内は幸せだ。
だが、どんなに信じても、別な解釈を考え、身内同士の馴れ合いの会話をしても、
妄想は妄想にすぎず、現実は何も変わらない。
私もさんざんそれをしたから、よくわかります。
あなたも一修行者さんも私に腹を立てているが、私は何もしていない。
あなた方の信じているアゴン宗を現実の世界に引きずり出しただけです。
妄想だから、ここに持ち出せばドライアイスみたいに消えてなくなる。
一生、妄想の中に生きることも可能なのは、桐山さんが見本を示している。
そして、それをすべきではないと釈尊は説いている。

47 :孫 青柿(あおがき):2008/09/28(日) 23:57:13 ID:3rcljTI6
前スレ528
http://c.2ch.net/test/-/psy/1220910185/528
>もともと占星術で割り出すことなど宗教の行うことではなく、「占い師」の仕事と思ってます。
だから密教占星術の因縁の種類など私にはどうでもよいことです。
ただなんと名前をつけようと私にはそういう運命的要素があると自覚しているので、因縁は存在しているわけです。

一修行者さん
仏教とは関係ありませんが、"スピルチュアル"な方面の本とか読むと 自分と関わる外界の現象も自分の"波動"が引き起こしており
"波動"を変えるには自分のマイナス思考を改めるというような趣旨の本がありますが、そういうことに関心があるのでしょうか?
19世紀から20世紀はじめに米国の宗教界で(クリスチャンサイエンスやニューソートという)で説かれた思想ですね。

まさか運命のなかの不運と言われるものは全てその人の先祖が悪霊となって引き起こしていてこれを改善するにはアゴン宗しかないと思ってるわけじゃないですよね。

48 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 01:58:47 ID:CV5sQaKQ
神経症なわけだ

49 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 02:00:40 ID:CV5sQaKQ
神経症の波動を持ってくるなアホ!

50 :一修行者:2008/09/29(月) 02:47:38 ID:aJSwuQVG
>>47
孫 青柿(あおがき)さん。
>そういうことに関心があるのでしょうか?
その波動というものが、気功やチャクラに関連しているなら、私が関心あるものと言えると思います。
私の考える運命解脱は、煩悩解脱にプラスしてこちらも同時進行でないと不可能ではないかと思うわけです。
もちろん因縁の種類によりますが。
ただチャクラに関しては阿含宗に関連してますが、板違いのような気もするので、あまり書き込むことはさけてます。

51 :一修行者:2008/09/29(月) 02:49:02 ID:aJSwuQVG
つづき
>まさか運命のなかの不運と言われるものは全てその人の先祖が悪霊とな
>って引き起こしていてこれを改善するにはアゴン宗しかないと思ってる
>わけじゃないですよね。
私も解脱供養に積極的だったころは、それに近い考えでしたが、やはり効果というものが実感できず、
むしろ今は過去世の行為が無意識の選択能力として現れてしまうため、
その無意識の選択能力を高めるといったことを重要視しています。
悪業悪果など、とかく道徳的な考えととらわれがちですが、エネルギー的法則ではないかと思うわけです。
なんか孫 青柿さんとは別の板で会話したほうがすっきり行きそうですね。
いろいろ教えてもらえそうだし。



52 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/29(月) 08:35:32 ID:Z1k+2dn0
>>51:一修行者 :2008/09/29(月) 02:49:02 ID:aJSwuQVG
>むしろ今は過去世の行為が無意識の選択能力として現れてしまうため、
>その無意識の選択能力を高めるといったことを重要視しています。
>悪業悪果など、とかく道徳的な考えととらわれがちですが、エネルギー的法則ではないかと思うわけです。

これは「幸福への原理」が書かれた古い観音慈恵会時代の考えにありますね。
エーテル波動という言葉を使って、プラスの波動を持つ者にはプラスの環境を
選び取り、マイナスの波動を持つ者にはマイナスなるものが集まってくる。
平たい言葉で言うと、「類は友を呼ぶ」で、これなら被選択をも説明できる。
マイナス思考を排して正しいプラス思考にして、マイナス人生を脱してプラス人生に
切り開くという道ですね。
開ける運命というよりも人生というものがある。
「幸福への原理」でも会社で部下に怒鳴り散らしてばかりいるお父さんの悪い波動が
子どもにも影響を与え、子どもまでもが熱を出したりするので、まずはその心掛け、
行動を改めよという教えです。
なるほどこれなら、果たして前世から持ち越しの煩悩が引き起こす災難を受ける
運命があるのかどうかわからないが、ともあれ煩悩除去の人生改善になる。
釈尊もまた前世からの持ち越しであるかどうかはさておき、いま自分に観察せらるる煩悩をなくせと
説くのだから共通点が見出せる。
但し釈迦仏教の場合、事故に遭ってしまったから、それは煩悩がなくせないで
いるからだということにはしないが。
やはり運命と煩悩を混同していない。
そして最も重要なことは、アゴン宗の場合、この煩悩除去を決して実践せずに別の道に逃げていることですね。

53 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/29(月) 08:57:42 ID:Z1k+2dn0
>>51:一修行者 :2008/09/29(月) 02:49:02 ID:aJSwuQVG
>むしろ今は過去世の行為が無意識の選択能力として現れてしまうため、
>その無意識の選択能力を高めるといったことを重要視しています。
>悪業悪果など、とかく道徳的な考えととらわれがちですが、エネルギー的法則ではないかと思うわけです。

その無意識の選択、ムシの選択というヤツです。
これは自分でも把握しかねる無意識層のものだから、自分で統御できない。
したがって勤行をするとか、梵ギョー奉仕をして徳の貯金をいっぱい貯めて
大いなる存在からマイナスを消すプラスのパワーをいただく。
そしていつの間にか無意識層の煩悩も和らいでおり、マイナスのムシ選択も
しなくて済むし、マイナスの同類項も近寄りがたくなるという原理です。
しかしこんな本質をはずした実践を釈尊は説かぬのです。
あくまでも四六時中の自己観察による心と行いの統御のみなんです。
アゴン宗は無意識で自力処理不能と逃げて、別に道を求めた。
その結果もあり、さらに別の脅迫や欲を煽る妄執の結果、かえって煩悩は増え
マイナスを増やした。

54 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 12:35:27 ID:8fQSx4jH
>>50 :一修行者:2008/09/29(月) 02:47:38 ID:aJSwuQVG
>私の考える運命解脱は、煩悩解脱にプラスしてこちらも同時進行でないと不可能では ないかと思うわけです。

ほんとうにあなたは頑迷な人ですね。
運命解脱は今でもあなたしか理解できない言葉なのですよ。
>>33,>>35などは私のこの質問をウザイと言っているが、
彼らだって、あなたの運命解脱の意味を説明できない。
言葉の共通の意味を理解しないでは議論どころか会話すら成り立たない。
あなたの書いていることは私だけでなく、信者も、また話している相手で
ある青柿さんも理解できていない。
一人が橋の話をしている時、聞いている人は箸の話をだと思っているようなものです。

55 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 12:43:14 ID:8fQSx4jH
>>50 :一修行者:2008/09/29(月) 02:47:38 ID:aJSwuQVG
>私の考える運命解脱は、煩悩解脱にプラスしてこちらも同時進行でないと不可能では ないかと思うわけです。

運命からの解脱はアゴン宗では因縁解脱という。
あなたがわざわざ別にしたのは、私のいう「第三の道」に逃げようとしているからです。
アゴン宗の因縁解脱をもろに出したら、アゴン宗レベルで矛盾を指摘される。
様々な矛盾があることは指摘されなくてもあなたも自覚している。
そこで、矛盾を回避して、しかもアゴン宗を信じてもいい理由を作るために、
あなたは運命解脱という別な言葉を持ち出した。
もし批判側から追求されれば「自分はアゴン宗の全部を信じているのではなく、
正しい部分は採用し、違うところは修正して信じている。それが運命解脱だ」と逃げることもできる。
アゴン宗批判を回避しながら、アゴン宗を信じてもいい方法を、私は第三の道と名付けている。
それが見え見えだから、そんな道があるなら、具体的に説明してみなさいと批判しているのです。
運命解脱の説明を求められると、あなたはしどろもどろです。
第三の道の方便にすぎないから、具体的に説明などできない。
今回も「過去世の行為が無意識の選択能力」「エネルギー的法則」などと
具体的に説明してみろと言われても説明できない抽象的な言葉をあなたは使っている。
宗教的な言葉や、一見科学的な言葉をちりばめて目くらましに使うのは
第三の道に逃げようとする人の一大特徴なのです。
それを私は追及するから、シュダオンの件などを出して、
名無しは話にならん奴だと唾棄し、無視するしかない。

56 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 12:46:52 ID:8fQSx4jH
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>阿含宗で一般的に言われるのは運命からの因縁解脱。
>同じ因縁解脱だから私は運命解脱と表現。
>>7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。
>あたかも私が十二因縁を運命上の十二種の因縁だと誤解しているように書かれてると思いますが、
>だからあえて「釈迦は悪い運命から解脱したと管長が言ったのなら、
それは管長の間違い。」と補足しているわけです。

これがあなたが書いた運命解脱の中身です。
前回はユビキタスさんや青柿さん宛てに長々と私への間接的な反論をしているが、
中身があるのは上記のたった4行です。
前の471の説明と並べて読んでも、支離滅裂であなた以外、誰も理解できない。
それでも、しつこくあなたは運命解脱という言葉を使い続ける。
つまり、あなたはここで宗教の議論をしているのではなく、自分が頑迷で
意固地で、絶対に自分の主張を曲げない性格だということを示しているにすぎない。
あなたの描写した偏屈男とは、まさに鏡ではないか。

57 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 12:52:01 ID:8fQSx4jH
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。

あなたはものすごく良いテーマを出してくれた。
アゴン宗の因縁と釈尊の説いた因縁が同じかどうかです。
このスレどころか、アゴン宗のメインテーマと言っていい。
あなたは今でも、「仏教の因縁=アゴン宗の因縁」だと信じている。
だから、「釈迦が因縁解脱した」などと書いている。
これが大間違いだと指摘された時の信者さんたちの反応を、
皮肉ではなく、私はとても楽しみにしている。
その人が何をどう信じているか、一般的な仏教を学んだことがあるか、
それとも桐山アゴン宗以外学んだことがないか、
阿含経を自発的に読んでいるか、それとも桐山阿含経以外読んだことがないのか、
反応を見れば、すぐにわかるからです。
あなたも大日さんも、アゴン宗以外で仏教を学んだことがないし、
岩波文庫の阿含経すらも丁寧に読んだことはない。
それはあなたが「釈迦が因縁解脱した」という文章一つで十分です。
岩波文庫の阿含経を読んだら、どこにも悪因縁の話も、因縁解脱の話も
出てこないことに愕然とする。
桐山ゲイカによれば、釈尊は一生かけて因縁解脱を説いたというのだから、
阿含経にはそれがちりばめられているはずなのに、言葉も概念も出てこない。
どうなっているのだと疑問を持つはずです。
そういう目で桐山さんの解説した阿含経を読むと、どこにも因縁解脱などない。
それを批判側は何度も何度も指摘している。
だが、あなたは現実など頑迷に受け付けず、間違いを指摘されるともっと自分の説に
固執し、軌道修正の効かない性格だから、「釈迦が因縁解脱した」と書いた。
つまり、桐山阿含経を鵜呑みにして、冷静に客観的に阿含経を読んだことがないのです。

58 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 12:57:23 ID:8fQSx4jH
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。

あなたも大日さんも過去スレも読まずに出てきた。
大日さんは改めて読み始めているのは良いことであり、
一修行者さんも自説をあれこれ唱えるよりも、まず過去スレの議論を、
全部読めとは言わないが、十個くらい読んでみることです。
あなたの主張程度は全部論破されている。
過去スレの議論を読んだら、「釈迦が因縁解脱した」なんて絶対に書けない。
「釈尊が因縁解脱を説いた阿含経を示してみろ」と反撃されるからです。
だが、あなたはそれを具体的に検証さえせず、
仏教の因縁をアゴン宗の因縁と言葉が同じだから同じものだと信じ込んでいる。
信じ込んでいたのではなく、今でも信じている。
だから、十二因縁解脱などいうとてつもない言葉を出してきた。
あなたが将来正しい仏教を理解したら、これを書いた自分を心底恥じるでしょう。
仏教の因縁と阿含宗の因縁を同じだと信じている信者は他にもいるが、
十二因縁解脱などと書いたのはあなたが初めてです。
これらの説明のすべてが、あなたの頭の中が、桐山オカルト仏教で満載で、
釈尊の説いた仏教をほとんど理解していないことを示している。
こういうあなたが「無意識の選択能力」「エネルギー的法則」などと
足が地に着かない抽象的な言葉で議論するのは、自分の頭を混乱させるだけですよ。

59 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 13:01:50 ID:8fQSx4jH
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。

他の人にも勧められているように、まず「普通」のシャカ仏教を学んでみることです。
あなたも大日さんも自分の独自の宗教観をアゴン宗の上に立てて、
内心、「どんなもんだい」と自惚れている。
慢心があるから、正面から批判されると激怒して反発する。
アゴン宗の教義自体が砂上楼閣だから、
その上にいくら新しい説を組み立てても、無駄です。
土台が腐っている建物の上に二階を作るようなものです。
大日さんやあなたが書いたことで何か一つでも通用したか。
全部、一蹴りされて、崩れた。
それは私が議論に長けているからではなく、
あなた方が信じているアゴン宗がドライアイスにすぎないからです。
あなたや大日さんがしなければならないことは、ここや隠れスレで
論陣を張ることではなく、正しい仏教をまず勉強することです。
勝手な空想で宗教を増築するのではなく、これまで信仰をいったんそこに置いて、
真っ新な気持ちで仏教を学んでみることです。
本当はここでアゴン宗が何がどう間違っているのか、修正するのが一番簡単だが、
あなたはそれを指摘されるのが大嫌いで、むしろ反発する性格です。
独自の物を作り、しかも誇りたがる。
だから、ここでの修正に性格的に向かない。

60 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 13:06:31 ID:8fQSx4jH
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。

岩波文庫の阿含経や中立の学者の一般的な解説を読んでみることです。
阿含経は間脳が開かないと本当の意味がわからないとか、
学者は所詮学者にすぎないなどとバカにするのは、全部、桐山さんの洗脳です。
釈尊は言葉で説き、当時の無学な人たちもそれを理解し、実行できたのです。
今の我々に理解できないような教法を説いたはずはない。
それを読む時、強引にアゴン宗やあなた自身の解釈をあてはめるのではなく、
書いている文字そのままを普通の読解力で理解することです。
釈尊は桐山さんやあなたが作り上げようとしているような煩雑、複雑なことは何も説いていない。
簡単明瞭、一貫して釈尊は煩悩解脱を手を変え品を変えて説明しているだけです。
中学生なら十分に理解できる内容です。
どこからも因縁解脱なんて変な概念は出てこない。
これは他の信者さんたちにもぜひ実行してほしい。
因縁解脱、霊障解脱、死者成仏なんて、阿含経のどこにもありません。
批判側の指摘が気に入らないというなら、
自分で読んで自分で気が付いてください。

61 :神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 13:15:38 ID:CV5sQaKQ
名無しは荒らすな!

62 :ラシン:2008/09/29(月) 18:59:29 ID:uKbLCnsK

十二因縁は十二の因縁ではありません。
苦の原因が、無明から関連し合いながら老死にいたるまでの
因果の理法をあらわしています。
迷いとはこの十二因縁の連なりであることを、釈尊は確認したと
後世、解釈されているものです。
ただこの因縁を三世の因果関係と見るか、二世の因果と見るかは
諸説あるようです。(この解釈は私には難しい限りです)
→無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→
この図を見ても各十二の因縁を解脱していくとか、十二全てを解脱するなど、
その目的としては、とうてい考えられないものです。
逆観で捉えれば、老死は生があるゆに、生は有(生存)があるゆえに、
有は取あるがゆえに、、、
と観ずる十二の因縁からなる苦の成立を顕しているのですから、
四聖諦である苦諦、集諦→滅諦、道諦によってその存在と消滅が明らかとされます。
この世は苦である→その苦は様々な煩悩が集起された因→それらは滅せられるもの
→滅する方法は八つの正道による。
つまり無明無ければ行なく、行無ければ識無し、、、と連なる止滅への真理を
顕しています。
八正道とは八種からなる煩悩滅尽の方法です。
桐山教である○○の因縁とは比べようがないほど、それは別ものです。
たとえば脳障害という因縁を桐山電波で探りあて、念力で切ったとしても、
苦の根本である煩悩を滅しない限り、また美食を試みて生活習慣病から
脳梗塞等の合併症が引き起こされます。
説明が的を得ていないかもしれないが、少なくとも桐山教の因縁と
釈尊の顕した十二因縁は別もので、解脱する対象ではありません。



63 :ラシン:2008/09/29(月) 19:02:25 ID:uKbLCnsK
誤 十二因縁は十二の因縁ではありません。
正 十二因縁は桐山教の○○の因縁ような十二の因縁ではありません。

64 :神も仏も名無しさん :2008/09/29(月) 21:46:58 ID:xHEWL8Rp
>>61
すごい
アラシ本人が荒らすな、と書いている

65 :○○屋:2008/09/29(月) 22:08:43 ID:bocZzbnE
参照HP  ↓

http://www.k5.dion.ne.jp/~jyoryuzi/jyuniinnen.html

@無明 煩悩のこと。 人間が過去の世界で起こした一切の煩悩のこと。
A行 潜在的形成力 人間が過去の世界で起こした煩悩の為に様々な業をつくってきた身心のこと。善悪の行為。
B識 識別作用 過去世の煩悩と業によって、この世の母親の胎内で生を受ける最初の心。最初の一念。
C名色 肉体と精神 受胎してから四週間までの間。 母体の中で心身が発育する過程。
D六処  〔六入〕 眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚 受胎して五週間目、出産するまでの三十四週間の間。
六根が発達して胎内で盛んに動きだすようになる姿。
E触 接触 生まれてから二、三歳までの間。 苦楽を感じることなく物に触れる時期。
F受 意識や接触から 生じる苦楽 四、五歳から十四、十五才までの間。 苦楽を識別し、比較的外からの様々なことを受け入れる。

G愛 妄執 十五、十六歳から青年時代。 物質的欲求が激しく、性欲もあり愛する心情が生まれる。
H取 執着 二十五、二十六歳から五十歳位までの時代。色欲、物欲 名誉欲すべて旺盛で生涯の中で煩悩が一番強い。
I有 生存 生存によって欲望やそれに執着することから未来に再び 生まれ出る結果が定まること。ここまで積み重ねてきた
業の為に未来の果報を有すること。
J生 この世に生まれ ること 生は現在の業の結果として、未来に生まれることをいう。
K老死 老いて死ぬこと 老衰してやがて死んで行き、未来世に生まれる。

以前十二因縁について批判側と議論したことがあります。
一部池田慈水氏と意見の一致を見たのですが・・・上記のHPはヤフーで「十二因縁」
を検索したら、上位にヒットしたものです。

このHPの解説を読むと「十二因縁」は「○○の因縁」そのものではないが、○○の因縁の形成過程の説明に見えるのです。それは私が洗脳された信者であるからだと 一蹴されるならそれまでですが。この十二因縁が「○○の因縁」の形成過程を
説明したものであるならば一修行者さんの言われることもあながち的外れではないと私は思うのです。


66 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/29(月) 22:45:43 ID:Z1k+2dn0
>>7:一修行者 :2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。
>あたかも私が十二因縁を運命上の十二種の因縁だと誤解しているように書かれてると思いますが、

十二因縁は桐山本(般若心経瞑想法)にも出てくるから、アゴン宗の信者ならば
基礎的な概念を知っているはずです。
また元信者も当然これを知っている。
だから十二種類の因縁と誤解するななどと相手を見くびらないことです。
これは他の人が書いているように存在の法則、関連の法則、縁起の法則です。
十二因縁はまたの名を十二縁起とも言いますね。
縁起解脱などと言いますか?
釈尊の説いた法は縁起の法です。
法則であり原理であり真理であります。
因縁解脱?縁起解脱?法則解脱?原理解脱?真理解脱?
だから用語的にもこれはおかしいとわかる。
十二因縁は人生のテーマである苦を縁起の法則を以て観察したものです。
苦の生成する原理を追求しており、その元は無明という煩悩にあることを理解して悟る観法です。
桐山さんは釈尊の悟りとは、
「これあるによりて、これ生ず。これなきによりてこれ滅す」
という縁起の悟りだとした。
これに苦をあてはめたのが苦集滅道の四諦の法門であるとした。
つまり縁起の法則を発見したから、この法則を活用して苦を克服することができる。
いかにして克服するか?煩悩に縁りて起こるのだから、煩悩をなくせばよい。
煩悩をなくせば縁起の法則によりそれは愛着、執着することもなく、苦を盛る生命
を生成しないのです。
縁起は悟りであって真理です。
これを解脱しちゃってどうする?
しかしあなたより以前にも十二因縁解脱なんて書いた人がいたのです!

67 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/29(月) 23:11:12 ID:Z1k+2dn0
>>7:一修行者 :2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。

十二因縁解脱を説いたのは、ザのスレの「如来の子孫」さんの以前のハンドルの「大王の使者」さんです。
彼はこの十二因縁は苦界、迷界の生成原理であり法則なんだから、迷界を離れて
悟界に至った人には、もはや超越した法則である、だから十二因縁解脱とは
「苦界、迷界を生成するところの十二因縁の法則から脱出すること」なんだから、
これは妥当であると論じた。
私はなかなかうまい詭弁を考えたなと苦笑した。
一修行者さんや他の信者さんでも感心してしまった人はいませんか?
つまり縁起の法則そのものの否定や脱出ではなく、我々人間という苦界、迷界に
生きる者たちに特化されたもので、この生成原理による苦界、迷界から脱出する
ことなんだという解釈です。
なんとなく、騙されたような気になりませんか?
もちろんそれは究極の煩悩解脱を包含するのだが、苦界生成原理による苦界解脱
悟界への旅立ちを総まとめにして十二因縁解脱、えーい!めんどくせー!因縁解脱
と言って間違いはないのであるというのが子孫説です。
さて、どうなんでしょうか?
こんな詭弁に騙されてはいけません。
苦界、迷界からの脱出はまだよいが、どうして因縁、縁起という法則だけを
わざわざ抜き出して表現するのか?
素直に迷界脱出、煩悩解脱でよいではないか?
ちなみに仏教で解脱と言ったら煩悩からの解脱以外には使われない。
子孫さんのような屁理屈が通るのならば、どうして今まで十二因縁解脱、十二縁起解脱
という用語が普及しなかったのか?
想像たくましく新たな用語を創造しても仕方がないではないか?
過去の歴史上に用例がない。
用例は霊友会の無学無知の教祖が解釈して作った因縁切りしかない。


68 :一修行者:2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO
>>65
○○屋さん。
よろしくお願いします。
擁護的発言、ありがとうございます。
たしかに、そうも考えられますね、新しい発見です。

ただ、私の表現が悪いのか皆さん誤解されているようですが、
私は最初から十二因縁が阿含宗の運命上の因縁のようなものとは書いてないのです。
○○屋さんの書かれた十二因縁は私もこの件を書く前から知っていて一つ一つ考察したこともあります。
もう一度書きますが、釈迦が解脱した因縁は十二因縁と書いたのは、十二の阿含宗的因縁ではなく、
○○屋さんが書かれたこのような人間の形成過程の十二の法則を超越してしまったので、
十二因縁解脱と書いたのです。
だから、超越という意味は辞書だとこうで、解脱という意味は辞書だとこうだ、
などと言われたら終わりですね。
だから管長が「釈迦が、運命の因縁解脱とした」といって、それが阿含宗でいう因縁解脱なら、
管長の間違い(もしくは知りながらあえて)で、この十二の過程をあえて運命と取るならば、
運命の因縁解脱でしょう。

69 :一修行者:2008/09/29(月) 23:28:39 ID:G8SV95SL
つづき。
神も仏も名無しさんが、誤解された部分をもう一度書いておきます。
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>阿含宗で一般的に言われるのは運命からの因縁解脱。
>同じ因縁解脱だから私は運命解脱と表現。
この部分で最後に同じ因縁解脱と書いてしまったので誤解されたと思うのですが、
この同じとは、両者が同じ因縁解脱という意味で書いたのではなく、
釈迦の(十二)因縁解脱と阿含宗の因縁解脱に両方因縁解脱という語が入っているので、
別だと区別するために、あえて阿含宗の方を運命解脱と表現と書いたつもりなのです。
神も仏も名無しさんはこれで誤解が解けましたか。

>>52
>>53
ユビキタスさん。ありがとうございます。
返信は次回にて。

70 :孫 青柿(あおがき):2008/09/29(月) 23:30:56 ID:5quxWBex
>> 51 先祖のそれは違うが、過去世のそれが人生を決定すると考えますか?もうゲイカと違う考えと思いますが、あごん宗を続ける必要があるのでしょうか?
ユビキタスさんが書かれた>>52-53のとおり昔のご著書にはスピ系と近いところもあるが、しかしその解決方法はずばりゲイカのもとに人と金を集めるでしょう。ゲイカを喜ばすことで解決するのでしょう。
ゲイカの100%創作話にしがみついていても目的は達せられるないと思います。

71 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/29(月) 23:31:40 ID:Z1k+2dn0
>>7:一修行者 :2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。

迷界は無明に代表される煩悩が元になり生起して苦界を作り出す。
これは真理です。
だから我々は迷界を脱して悟界へ至ろうと志向するならば、この真理をよく悟り
理解して、煩悩の解脱という方法を選び取ることが必要です。
真理を捨ててはいけない。
釈尊はたしかに筏に乗り向こう岸に着いたら筏は要らないとした。
しかし、もはや悟界にある者には迷界の生成原理など関係ない、だから法則解脱
でいいのだ、なんて乱暴な用語と概念が生まれようか?
それは複雑怪奇にしてかなりひねた頭でないと理解できない。
ましてや略して因縁解脱ですよ。

ところで、>>56で○○屋さんも、○○の因縁とは○○の細かな生成過程、生成原理
だと解釈すれば、ながち方向性として間違ってないのでは?とか書いてますね。
では、それぞれガンの因縁とか横変死の因縁とか中途挫折の因縁、夫婦縁障害の因縁
にあてはめて、十二縁起を順観なり逆観を試みてごらんなさい。
順観からやってみますか?
無明の煩悩から始まる。
不幸な運命の大本にはそれなりの煩悩があるのだろう。
ではそこからスタート!
で、どこに到着しましたか?
無事、期待通りガン、横変死、中途挫折、夫婦縁障害に到着しましたか?
なに?生まれて老いて死ぬに到着した?
なんか違うんでねの?
やっぱ、十二因縁なんて桐山因縁には使えないんでねの?

72 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/29(月) 23:43:52 ID:Z1k+2dn0
○○屋さんの書き込みは>>56ではなく>>65じゃったな。
逆じゃった。
逆観とか順観ではなく。

73 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 00:09:31 ID:IzeIqV30
占星術にも先生がいる。
だから占星術とは先生術なのだ。
占星術は相手に宣言する。
それは宣誓みたいなものだ。
「宣誓!我々占星術師は占星術シップに則り、精一杯相手の運命を宣告すること
を誓います!」
占星術は先制でもある。
事が起きる前に先制するがごとき営みなのだから。
占星術は専制でもある。
我々のような専ら占星術を生業とするプロにしかできないのだから。
だから
占星術=先生術
占星術=宣誓術
占星術=先制術
占星術=専制術
と言えるのである。
と、いろいろ発想豊かに(貧困に)こじつけるのは勝手です。
しかし占星術の語源は先生や宣誓や先制や専制にあると論じたら嘘でしょう?
十二因縁解脱も、この手の言葉遊びに過ぎない。
これをまともに語るのはゴマカシであり騙しです。

74 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 00:41:12 ID:hxINEVRp

阿含宗の因縁とかいうのは
日本の民間宗教習俗で言うようないいまわしからきている
ということはすぐわかることです。
なにか良くないことがおこると日本人なら
「これはなにかの因縁だ!」とかいうでしょ、
そいうことは天理教でもいうし
言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごいものがある
というような曖昧なものに運命学の星とかいうもので理屈をつけて成立
したもので
だいたい、その発想は釈迦の阿含など読んでもいなかった
裏長屋の拝みや慈恵会時代のものでしょ
今では真如苑でも言っているし・・・

それにしても七氏クンはあいかわらずヒステリックに書き連ねていて
子孫さんのぶっ飛んだ考え方をもってきて、あたかも
一修行者さんや大日さんを勝手に十二因縁=桐山因縁説信奉者ときめつけ
わめきとおしているが
冷静になれよ!

75 :神も仏も名無しさん :2008/09/30(火) 00:47:11 ID:EBfFEmbW
>>74
貴方の方がヒステリックに見えるけど。
だって、理論的な説明がまったくないからね。
第三者にもわかるよう、きちんと理論的に説明してから
そのセリフを書いてね。


76 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 00:55:19 ID:IzeIqV30
>>74
前半の日本の民族宗教習俗の無知な用語を根拠とするのは全く同意。
本来の仏教としては用語が適切でなく、明らかに間違い。
しかし後半の主張は意味不明。
子孫さんの説を持ってきて、一修行者さんの十二因縁解脱とも
並べて考察の材料に出したのは、七氏さんではなく、ユビキタスと名乗るコテハンの
私なんだが?

77 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 01:35:38 ID:IzeIqV30
>>68:一修行者 :2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO >>65
>○○屋さんが書かれたこのような人間の形成過程の十二の法則を超越してしまったので、
>十二因縁解脱と書いたのです。

やはりその超越が子孫さんと同じ発想でぶっ飛んでいるんですな。
法則を解脱したのでなく、縁起の法則を苦界における煩悩より始まる生成原理
を理解して、煩悩を克服したから、迷界を脱して、苦を必要以上に増大せずに
生きる道を得たと言うのが、きちんとした表現で、端折るとわけがわからなくなる。
つまりは法則を理解して活用して、迷界を離れたのです。
法則を離れたのではない。
法則は絶対に必要だったのです。
悟界に行って尚も理解していないといけない。
ましてや十二因縁の因縁とは関連しあう、原因となるという存在の公式ですからね。
公式解脱はいかんですよ。
ある公式を用いた法則から導かれる現象というものがある。
その連関しあうという公式の法則のファクターとなる無明煩悩から解脱するから
苦という現象もまた、あるがままに受け入れて囚われない自分を作る。
だから釈尊の言わんとしてる教えをつかんで理解したからには、実は解脱とは
因縁の法則からでもなく、苦界からですらなく、煩悩からの解脱としか言えなくなる。
迷界を脱するとは「悟る」ことです。
だから外界の苦に見える現象からはちっとも逃れられない。
現象面の苦がなくなるわけでない。
外界の苦に囚われない自分を確立することに目覚め悟ったのです。
だから外界の運命とやらは変わってない。

78 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 01:53:14 ID:IzeIqV30
>>68:一修行者 :2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO >>65
>だから管長が「釈迦が、運命の因縁解脱とした」といって、それが阿含宗でいう因縁解脱なら、
>管長の間違い(もしくは知りながらあえて)で、この十二の過程をあえて運命と取るならば、
>運命の因縁解脱でしょう。

>>69:一修行者 :2008/09/29(月) 23:28:39 ID:G8SV95SL
>神も仏も名無しさんが、誤解された部分をもう一度書いておきます。

>この同じとは、両者が同じ因縁解脱という意味で書いたのではなく、
>釈迦の(十二)因縁解脱と阿含宗の因縁解脱に両方因縁解脱という語が入っているので、
>別だと区別するために、あえて阿含宗の方を運命解脱と表現と書いたつもりなのです。
>神も仏も名無しさんはこれで誤解が解けましたか。

七氏さんではないが、誤解を解くと言うよりも、何を言いたいのか余計に理解できない。
桐山式因縁解脱、つまり運命転換は間違っていると言うわけですね?
それと区別して十二因縁解脱などと書いた。
十二因縁解脱とはどういう世界なのだ?
説明してごらんなさい。
なるべく平明な言葉で具体的に。
何が言いたい?
釈尊式十二因縁も十二の過程を運命とみなすならこれも運命解脱って、具体的に
どういうこと?
例えば私が例を出すがこういうことか?
煩悩がなくせずに輪廻を続ける凡夫がいる。
しかし一念発起して修行に励み、彼は煩悩をなくしたので、後有を受けざる涅槃
の境地を得た。彼は輪廻しない。
これも運命転換と言えるではないか?とか。
また憎しみの煩悩から殺人を犯す人がいた。しかし縁起をよく悟り、殺しては
いけない、憎しんではいけないと、改めた。
輪廻がなくなったわけではないが正しい道を選んだ。
人生の転機となった。言わば運命を変えた。人生を向上させた。

79 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 02:11:03 ID:IzeIqV30
>>68:一修行者 :2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO >>65
>だから管長が「釈迦が、運命の因縁解脱とした」といって、それが阿含宗でいう因縁解脱なら、
>管長の間違い(もしくは知りながらあえて)で、この十二の過程をあえて運命と取るならば、
>運命の因縁解脱でしょう。

運命を広義に捉えるならば、私が>>74で示した例もたしかに立派な運命転換、
運命創造です。
それを私は否定しません。
しかし、もしあなたが説きたかったことが>>74程度のことだったならば、それに
対して私などに同意を得て頷きあって、何の意味があるのか?
これでは桐山アゴン宗の話にちっともならない。
あなたは単に桐山式因縁を否定してまで広義の人生向上を説いただけだから。
あなたが説きたかったのはそれだけか?
もっと別の運命転換を考えてみたかったのではないか?
残念ながら、あなたのような書き方ではそれはいつまで経っても見えてこない。
見えてこないから、単に一般論を述べているだけのように見え、何の考察にもならない。
一修行者さん。議論というのは、そんな抽象的な言葉の掛け合いではない。
私も先程、公式だの法則だの現象だのと使用していて自分で嫌になった。
だから現象までに留め実相なんて言葉は使わないようにした。
わけがわからないからです。
私は大学で教育学部だったが、基礎資格が社会科なので、地理学や歴史学などと
一緒に哲学も必須科目として履修した。
なかなか面白かった。
難しい用語の羅列を理解暗記することではない。
徹底的にわかりやすい言葉で具体例を考えて議論することなんです。
西洋哲学はこの基本ができている。
だから授業も議論。わかりもしないような難解な用語は不要だ。
とにかく徹底的に議論して物事を解体していく。
プラトンとかラッセルとかの岩波文庫を叩き台にしながら。
桐山さん得意の「言葉のあや」なんて通用しない。

80 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 02:14:06 ID:IzeIqV30
訂正
×私が>>74で示した例

○私が>>78で示した例

オレは干柿さんじゃねぇっ!

81 :樹意:2008/09/30(火) 07:50:09 ID:pxDZnpgz
>>65
三世両重の因果(無明と行が過去の因、識から受までが現在の果、愛と取と有が現在の因、生と老死が未来の果)と
胎生学的な見地は原始仏教スレッドでは批判の対象と成るようです。
もともと支縁起 には最短で 三支 まであるのですから 煩悩(愛、取、)を縁として
老死がある。
アゴンの説く ○○の因縁なる運命の星とこじつけるのは賢明ではありません。
阿含の教えは 無我(非我)を説くのですから、 我見を誘導するものは全部 煩悩の
扱いです。
胎生学的見地からの十二因縁もそういう見地から 批判されるのでしょう。

原始仏教に限らずおおよし仏教の旗印は 三法印(四法印)
縁起、 諸行無常 諸法無我(非我) 涅槃寂静 一切皆苦 これらのものは
同じことを別の視点で眺めたものでしかないわけです。




82 :○○屋:2008/09/30(火) 08:06:43 ID:oneggtSG
そこまで書くユビキタスさんは、実は12因縁が『○○の因縁』に矛盾しないことは理解しているのです。

阿含宗を否定したいために、かようなレスをのべている、とわたしは思う。


わたしの示したホムペの12因縁は、出どころを調べてもいないが、『生』は以後の人生もにおいて発生すること、とある。『老死』は輪廻でありましょう。


83 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 08:16:51 ID:Jz19deMW
因業爺ユビキタス スゲー馬鹿

84 :○○屋:2008/09/30(火) 08:27:35 ID:oneggtSG
誤解されないようにレスするが、阿含宗の○○の因縁は『架空運命上の星』であることは、もはや否定しようがない、擁護しようがない事実である。

しかし、運命論と12因縁論を考察するうえで、阿含宗流の因縁が周知されているので、一修行者さんは恐らく関連付けて考えたと思われ、その着眼点はわたしもかつて考えて、ある部分納得出来るものだと思う。

そういえば一修行者さんは『○○の因縁』を否定しているかのレスがありました。

もう少し念のためいうと、『○○の因縁』は人生上の影響力はいんちき臭いが、だからと言って『運命』を否定するまでは言えないし、釈尊の『解脱』が自由人生の創造(運命から離れた自由な生き方という意味ね)を否定するものではない、とわたしは思う。

85 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 08:45:05 ID:IzeIqV30
>>82
>>84
いや、だから輪廻を脱するなんて究極の運命転換とも言えますよね。
しかしだからと言ってガンの因縁が変わるのか?事故死の因縁が変わるのか?
ということです。
それは個別に考えなければならないことで、輪廻の問題と現世の運命軌道を
混同視してはいけない。
○○屋さんが>>65にリンクを貼ったページにも現世の悪業が来世の悪い境界を生み、
現世の善業が来世の良い境界につながると認めてますね。
しかし現世のうちに変えられるなんて説いていない。

86 :○○屋:2008/09/30(火) 09:36:20 ID:oneggtSG
そうでしょうか?


あのホムペの解釈が正しいか否かの議論は残りますが・・・


私には、12因縁は人生の生成過程の延長に『来世』があるように読み取れます。つまり、煩悩によって生成された人生を歩むと、煩悩が業を創りその業が来世の元となる。業の報い(運命!)を受けるために次の人生が展開するように解釈するのが自然に感じられる。


そのように解釈するならば、輪廻からの『解脱』は殆んど不可能でしょう。業が残っている間、その報いを受けきるまでは輪廻から出ることは出来ないわけですから。

何故かというと・・・


輪廻から解脱するには業の報いを全て受けた後の自由人生が必須で、その後更に報いを受けるべき業の生成をしなかった者のみに訪れる。業には善悪があり、善業の報いすら、来世の原因になってしまう訳です。


ここで私はアングリマーラの逸話(実話?)を思い出すのです。これから延々と来世や地獄で受けるべき業の報いがいま、ここで、迫害されることで『洗い出し』しているのだよ、と釈尊の言質を。

87 :○○屋:2008/09/30(火) 10:12:00 ID:oneggtSG
ヤバい!

『洗い出し』に反応する大量カキコの予感・・・

88 :ラシン:2008/09/30(火) 10:38:08 ID:l5iDC5pE

擁護側はどうしても、現世上の利益に固執しています。
現世での幸福を希求しているから、運命転換の可能性に拘り、
そこから因縁を解脱できると考えたいのでしょう。
釈尊は、この世はいかなる事象であっても常住不変などないから
苦の世界と説いています。
また、なした業は消せないからその業果は生起し、受けざるを得ない。
殺人を犯した人の業は消すことは出来ないが、その後死刑となるまでに
煩悩を滅した人は涅槃を得る。
涅槃を得たからといって、死刑を免れることはないのだから運命転換など
涅槃獲得に影響を及ぼすものではありません。
ゆえに十二因縁と運命論を関連付けても、涅槃到達に対して無力です。
つまり釈尊は運命があろうがなかろうが、運命に重きを置いていない。
苦からの脱却は煩悩を止滅する以外にその道は無いと、
釈尊は説諭しています。
十二因縁は、縁起の法である縁りて起こる苦の成立の関連を示すもので、
これを運命とするならば、雨が降って水が溜まり暖められて蒸発するという
循環現象も運命だと言うがごとき、こじ付け論となる。
十二因縁という苦が成立する関わりを目の当たりに捉え、
各々煩悩を止滅する必要と方法を理解できてはじめてその成果を
受けることになります。
十二因縁とは、煩悩を止滅する根拠となるもの と考えれば、
それを運命と捉えたり関連付ける愚は避けられることになります。

89 :ラシン:2008/09/30(火) 10:59:26 ID:l5iDC5pE
>86
ここで私はアングリマーラの逸話(実話?)を思い出すのです。これから延々と来世や地獄で受けるべき業の報いがいま、ここで、迫害されることで『洗い出し』しているのだよ、と釈尊の言質を。

ー引用ーhttp://vayo.at.infoseek.co.jp/angulimala.htm
「バラモンよ、あなたは耐えなければなりません。
バラモンよ、あなたは耐えなければなりません。
あなたが行為の報いとして、幾年も、幾百年も、幾千年も 地獄で蒙らなければ
ならない、その行為の報いを、あなたは目の当たりに受けているのです」

この釈尊のことばを、耐えることで滅罪生善につながると考えるのは早計です。
死んでなお地獄で業の報いを受けるであろう業果も、修行を完成して涅槃を
得れば、今生限りの業果に終わることを示唆したものです。
つまりなした業の報いに耐え、修行半ばで六道に落ちること無く涅槃を
獲得しなさいとの釈尊の説諭です。



90 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 12:03:49 ID:LaoHcrAG
皆様ご意見投稿ありがとうございます。今自分も過去ログを読みつつ、また岩波文庫系統も探している
最中です。ですが、まだ”最中”ですので、現在に於いての自分の見解を少々書き込み致します。

まず、阿含宗における「因縁」ですが、これは批判派の方の申すとおり、釈尊は一言も説いてはおりません。
横変死の因縁、ガンの因縁その他諸々の種類の因縁項目は管長が出した「運命のコース」の名称であり、
釈尊はそういうことを消せとか、因縁があるぞ。そしてその因縁を解脱せよとは申していません。
この「運命のコース」というのは密教占星術で見られる運命の星であり、また真如苑やその他の教団を管長が
歩いた際に真似た(引用した)もので、釈尊は一切阿含宗で言っている「悪因縁」については解説も示唆も
しておりません。

それをみてゆけば如何に管長が良く発言する「釈尊が言った」というのは”嘘”であって、批判派の方が申す
桐山は「インチキだ」ということになります。

あと、阿含宗で言われる「因縁解脱法」ということでも釈尊が「一生かかって因縁を解脱せよ」という言葉も
嘘になり、如何に釈尊の教法が湾曲されているか、ということの証拠も検証すれば分かります。

なので、阿含宗で言われている「因縁解脱」というのは釈尊の教法ではないので、そこを分けて考え尚且つ
講じないといけない、と私は考えています。さも仏教の教えのように発言した管長の責任は重い、と私は
思いますね。

91 :ラシン:2008/09/30(火) 12:14:05 ID:l5iDC5pE
>86
煩悩が業を創りその業が来世の元となる。業の報い(運命!)を受けるために次の人生が
展開するように解釈するのが自然に感じられる。
そのように解釈するならば、輪廻からの『解脱』は殆んど不可能でしょう。
業が残っている間、その報いを受けきるまでは輪廻から出ることは出来ないわけですから。

いわく業とは、思と思の所作からなると考えれば、煩悩有る思と思の所作の報いを
前世で決定された運命と考えることは強ち間違いとは言えません。
基本的に運命とは変えられないものと定義されています。
となれば業の報いを運命と定義することは、業は変えられないし消せないとなり、
釈尊の説く生起された業は消せないを覆す論とはなり得ません。
また業が残り、次なる生の潜在力となる業果が準備されていても、
今生で涅槃を獲得したら、ご承知のようにその後の業は生成されません。
つまり業とは、煩悩無き者の次なる生に関与しないことを表します。
業は煩悩が尽きない間は関与しつづけても、煩悩が尽きれば今生以外には
影響しない。
そこで、報い全て受けなければ輪廻から出られないと考えるとことは間違いです。
釈尊は過去の業を背負いながらでも、煩悩止滅の可能を説いています。
その根拠は、アングリマーラ経で理解できるものです。
業は消えなくても、その後の煩悩止滅した境界に過去の業は影響しない、
影響を与えるのは今生限りと、解釈できるものです。
また業の力が輪廻するとの考えは、まさに桐山教の範囲です。
釈尊は煩悩があるから輪廻すると説いています。
そこでの業は次なる生の煩悩を助長するものであっても、煩悩が無くなれば
次の生に影響しない、それは輪廻が止んで次の生がないからです。


92 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 12:16:36 ID:JP/iFe7I
また、このことも多く言われていることですが、護摩法要系統もこれは釈尊が認め、推奨したものではありません。
護摩法要は後期大乗の流れであり、原始・初期仏教のものではないし、これも「別物」としなければいけません。

このことについて管長が「密教の形式で以って釈尊の成仏法を行う」という旨の発言をされて実際に行っていますが、
これも検証すればなかなか矛盾が出てまいります。その色々ある中でもっともなのをあげれば「釈尊の成仏法を」と
いう点でみれば、もっともらしいように聞こえますが、それらの証明を管長は出していません。

それに隋することを言えば超能力云々にしてもそうです。ユビキタスさんが多様なスレの過去記事で申してますが、
最初のなぞりばかりで30年以上経過した今も何も変わっていません。

あ、90の訂正を。

釈尊が「一生かかって因縁を解脱せよ」という言葉も嘘になり を

釈尊が「因縁を解脱せよ」ということを一生かかって説いたという言葉は嘘になり

が正解です。



93 :ラシン:2008/09/30(火) 12:25:18 ID:l5iDC5pE
>90

大日如来さんは素直に阿含経と向き合われているようですね。
考察するにあたり、今後もその成果をご披露していただきたく存じます。

94 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:31:48 ID:jqBhsorN
>>74 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 00:41:12 ID:hxINEVRp
>それにしても七氏クンはあいかわらずヒステリックに書き連ねていて
>子孫さんのぶっ飛んだ考え方をもってきて、あたかも
>一修行者さんや大日さんを勝手に十二因縁=桐山因縁説信奉者ときめつけ
>わめきとおしているが
>冷静になれよ!

因縁切りが新興宗教の発明だと理解したところまでは誉めましょう。
でも、それもあなたはスレに来てから知ったことですよね?
「子孫さんのぶっ飛んだ考え方」という指摘も正しい。
あなたはどうやら、一修行者さんや○○屋さんと違い、
十二縁起に運命があるとは見ていないようだ。
だが、私は子孫さんの考えを持ってきて一修行者さんや大日さんに
あてはめた覚えはない。
そもそも大日さんは十二因縁解脱なんて書いていない。
十二因縁解脱の発明者を子孫さんとは知らず、一修行者さんなんだと思っていたくらいです。
私を大嫌いなのはよくわかるが、「ヒステリック」に「わめき」とおさずに、
もう少し「冷静」に私の文章を読んだらどうか。
一修行者さんが桐山さんの因縁解脱の信奉者であることは間違いありません。
だから、一修行者さんは必死に運命解脱、十二因縁解脱など造語をつくりながら、
なんとかアゴン宗の因縁解脱を擁護しようとしているのです。
一修行者さんの苦労をあなたも理解してあげたらどうか。
そういうあなたも桐山さんの霊能力をまだ信じているから信者のままでいるのでしょう?

95 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 12:32:18 ID:/cR/477E
あと、今改めて自分が感じていますが、阿含宗が阿含経を依経とし、それを講じるならばやはり、
批判派の方の申されているように「煩悩解脱」というのを講じるべきですし、因縁解脱は別に行わね
ばならないでしょう。というか「因縁解脱」という名称はやめなければいけないでしょうね。

霊障の件も今後やってゆきますが、これもかなりグレー。(否定される方から見ればブラックですが)
また、このことでも阿含経でみれば、疑問が出てきますしね。

そして、実際な教団運営や管長の言葉や行動にもかなり矛盾がある。これは現信者でも感じるのですか
ら批判されるのは当然ですね。私だっていくらかツッコメますよw

ただ、これだけはいえますね。今の阿含宗はその名を出すには「恥ずかしい教団だな」と。
依経というのはただ「宗派を名乗り教団拡大・世界へ進出したいための対策」のような気がします。
これでは行き詰まるのも当然です。

さも釈迦の教法を100%行っていると思ったのは間違いであった、というのに気がつかせていただいたのは
本当に批判派の方のお陰と感謝しております。

続きは、また後で書かせていただきますね。

96 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:36:04 ID:jqBhsorN
>>69 :一修行者:2008/09/29(月) 23:28:39 ID:G8SV95SL
>別だと区別するために、あえて阿含宗の方を運命解脱と表現と書いたつもりなのです。

区別など必要ありません。
なぜなら、仏教には因縁解脱なんてないからです。
つまり、「運命解脱=因縁解脱」ですよね。
私から「運命解脱=因縁解脱なのだろう」と言われた時、
どうしてそうだと素直に認めなかったのですか。
「運命解脱=因縁解脱だが、あえて運命解脱と私は書く」と
説明すればそれで済んだはずです。
だが、私からそのように指摘されたことが腹が立ったのですよね。
たったこれだけのことに、あなたは余計な説明をして、
無知を披露して、それを指摘した私に反発した。
自分の説明不足を棚に上げて、私の誤解であるかのようにまだ書いている。
誤解でもなんでもない。
また、あなたが運命解脱を使い、いっさい撤回しないのは私に腹を立てただけではない。
アゴン宗を擁護するための隠れ蓑です。
今回もそれをあなたは必死に書いている。

97 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:38:18 ID:jqBhsorN
>>69 :一修行者:2008/09/29(月) 23:28:39 ID:G8SV95SL
>神も仏も名無しさんはこれで誤解が解けましたか。

あなたが仏教を理解しておらず、なんとかアゴン宗を擁護しようと
必死に造語を使い分けているのは最初から理解していますから、
私は何も誤解はしていません。
あなたの信仰と仏教の知識が間違っているだけです。

98 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:41:05 ID:jqBhsorN
>>68 :一修行者:2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO
>○○屋さんが書かれたこのような人間の形成過程の十二の法則を超越してしまったので、
>十二因縁解脱と書いたのです。

なんのためにあなたが十二因縁解脱などという言葉を発明しなければならないのですか。
他人に言葉の意味も説明せずに、運命解脱という造語を使い、
次にそれを説明するのに十二因縁解脱という造語を使った。
どちらも使うのをやめたらどうですか。
「運命解脱=因縁解脱」なら、因縁解脱で十分です。
十二因縁解脱などという言葉は仏教にもアゴン宗にも存在しない。
十二因縁に表される釈尊の解脱を表記したいなら、煩悩解脱です。
煩悩解脱という言葉は仏教では一般的ではないが、桐山さんも使っているし、
漏尽解脱が経典にあり、これは「煩悩が尽きることで解脱する」と
いう意味だから、略せば煩悩解脱という表記も間違いではありません。
仏教かアゴン宗で使っている言葉を使うべきであり、
自己流の造語は批判側だけでなく、信者にすら誤解を与える。
と、私からいくら言われても、造語を使うのをあなたはやめたくないのですよね。
なぜなら、因縁解脱と煩悩解脱ではアゴン宗を擁護できないからです。
このように私は一修行者さんの腹の中もよく理解している。

99 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:47:32 ID:jqBhsorN
>>68 :一修行者:2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO
>だから管長が「釈迦が、運命の因縁解脱とした」といって、それが阿含宗でいう因縁解脱なら、
>管長の間違い(もしくは知りながらあえて)で、この十二の過程をあえて運命と取るならば、
>運命の因縁解脱でしょう。

これがあなたの言いたいことなのだと思うが、この文章は前後逆のことを書いている。
前半で、あなたは釈尊が運命からの解脱など説いておらず、
それを主張した桐山さんは間違いだと認めた。
ところが、後半では、十二因縁を運命ととるなら、因縁解脱だ、
つまり、桐山さんの言っていることは正しいと書いている。
前半では桐山さんの因縁解脱は間違いだと認めながら、
後半では十二因縁は運命と解釈ができるといい、あなたはまさに
その解釈をしているのだから、桐山さんのいう因縁解脱は正しいと言っているのです。
ずるくないか。
「あえて」ではなく、あなたは運命と解釈しているのですよね?
だから、十二因縁解脱という言葉をまだ使っている。
桐山さんが本でよく使うゴマカシの手法です。
ちょっと否定してみせて、次にくるっとひっくり返して、これを肯定してみせ、
あれよあれよと見ている間に、手品みたいにまったく逆の結論を出してみせる。

100 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:50:37 ID:jqBhsorN
>>68 :一修行者:2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO
>管長の間違い(もしくは知りながらあえて)で、この十二の過程をあえて運命と取るならば、
>運命の因縁解脱でしょう。

なんのために、「あえて」あなたは運命と解釈するのですか。
アゴン宗の因縁解脱を擁護するために、十二因縁は運命と解釈できると言っている。
いくら擁護でないと言われても、現実にあなたはこうやって擁護しているのです。
釈尊の縁起はもちろん、大乗仏教ですら運命なんて議論の対象にすらなっていない。
それどころか、釈尊は運命を論ずる占いを禁止したのです。
あなたはこの事実をどう見ているのだ?
占いは運命論です。
未来を占うとは、そこに運命があると思うから、占う。
釈尊が占いを禁止したということは、運命を論ずること自体を禁止したのです。
その釈尊の縁起の説明が運命と解釈できる???
「釈迦の成仏法よる護摩」というのと同じで、メチャクチャですよ。
なんのために釈尊が禁止したことを「あえて」解釈するのですか。
すべてはアゴン宗の因縁解脱を擁護したいがためです。
あなたは擁護などしていないというが、現実に釈尊の禁止を破ってでも、
説いてもいないことを「あえて」解釈して立派にアゴン宗の因縁解脱を擁護しています。

101 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:57:27 ID:jqBhsorN
>>69 :一修行者:2008/09/29(月) 23:28:39 ID:G8SV95SL
>釈迦の(十二)因縁解脱と阿含宗の因縁解脱に両方因縁解脱という語が入っているので、

仏教のどこに「釈迦の(十二)因縁解脱」という「語」があるのですか??
「語が入っている」って、何の経典のどこに因縁解脱とあるのだ?
(十二)因縁解脱という言葉が仏教にあるとあなたは本気で信じているのか。
あなたや子孫さんの造語にすぎない。
仏教のどこにも「釈迦の(十二)因縁解脱」「釈迦の因縁解脱」なんて言葉は存在しないのだ。
それをなんでわざわざあなたは使うのですか。
アゴン宗の因縁解脱を擁護したいからですよね?
因縁解脱とは桐山さんの造語であって、釈迦仏教どころか大乗仏教にすら存在しないのです。
霊友会系の新興宗教には因縁切りという言葉はあるが、
因縁解脱という言葉はおそらく桐山さんの造語でしょう。
桐山さんの造語である因縁解脱が阿含経や仏典にあるはずがないでしょう?
こんな簡単なことすらあなたは受け付けず、頑迷に「釈迦の(十二)因縁解脱」などと、
なんとか因縁解脱が仏教にあるかのようにみせかけようと努力している。
これがアゴン宗の擁護でなくて何なのだ?

102 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 12:59:44 ID:jqBhsorN
>>68 :一修行者:2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO
>○○屋さんが書かれたこのような人間の形成過程の十二の法則を超越してしまったので、
>十二因縁解脱と書いたのです。

私だけでなく、ラシンさん、ユビキタスさんからも十因縁のことをあれだけ
丁寧に説明され、仏教の因縁とは解脱するものではないし、仏教のどこにも
因縁解脱なんて言葉も概念も存在しないと言われても、
まだ「釈迦の(十二)因縁解脱」を言い続けている。
すごい人ですね。
十二因縁解脱の発明者はあなたではなく、子孫さんらしいから、
あなたも彼と似たような思考を持つ人なのだろう。
正直、もう少し理屈が通じる人かと期待していた。
十二因縁解脱と書かずに、十二縁起解脱と書いてはどうか。
あなたは誤解を招くからと因縁解脱をわざわざ運命解脱と書いた。
だったら、同じように誤解を招きやすいから、十二縁起解脱と書けばいいではない。
でも、縁起解脱ではいかにも言葉がおかしいし、それでは因縁解脱が連想できず、
アゴン宗の因縁解脱を擁護できないから、都合が悪いのでしょう?
あなたのやっていることはこんなふうに見え見えの擁護なのです。

103 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 13:03:15 ID:jqBhsorN
>>65 :○○屋:2008/09/29(月) 22:08:43 ID:bocZzbnE
>この十二因縁が「○○の因縁」の形成過程を
>説明したものであるならば一修行者さんの言われることもあながち的外れではないと私は思うのです。

十二縁起についてのラシンさんやユビキタスさんのわかりやすい説明を
一修行者さんも○○屋さんも理解していないのには驚かされる。
だから、文字面だけを読んで我流の解釈をする前に、
学者たちの解説をまず読んで学んでみることを勧めているのです。
では、ユビキタスさんに習って、○○屋さんの主張を用いて、
十二縁起にガンの因縁も入っていると仮定しましょう。
すると、十二縁起の公式は、
「無明→行→・・・→貪り→ガンの因縁→ガン→死」
そこで○○屋さんにお聞きしたい。
この公式の中で、釈尊は何をしろと言っているのですか。
あなたはガンの一つ手前の「ガンの因縁を切れ」と解釈していますよね?
それは十二縁起の公式を理解していないからです。
「死をなくすにはガンをなくせばいい、ガンをなくすにはガンの因縁を切ればいい・・」
と解釈しているようだが、十二縁起はそうではありません。
縁起観では、「無明をなくせば行がなくなり・・・ガンがなくなれば死がなくなる」
と行うのです。
つまり、ガンの因縁を切るのではなく、無明をなくするのです。
あなたは途中のガンの因縁やその前後だけを取り上げているが、
釈尊が説いているのはガンの因縁を切れではなく最初の「無明をなくせ」です。

104 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 13:07:07 ID:jqBhsorN
>>65 :○○屋:2008/09/29(月) 22:08:43 ID:bocZzbnE
>この十二因縁が「○○の因縁」の形成過程を
>説明したものであるならば一修行者さんの言われることもあながち的外れではないと私は思うのです。

十二縁起を簡略化するなら、「無明→苦」です。
十二縁起の課題は「苦は何から生じるか」であり、運命などではありません。
運命などあるもないも論じてはいない。
現実の生まれ、老い、病み、死んでいく人生という苦そのものが
何から始まっているのか、その原因を追及するのが課題です。
そして、その答えが無明だというのです。
苦の原因である無明を取り除くことで
苦から解放され解脱するというのが十二縁起です。
だから、これは十二である必要はない。
事実、スッタニパータなどに三縁起、九縁起など、様々な形で縁起が示されています。
だから「無明→苦」とは二縁起です。
苦の中身をさらに細かく分析したのが十二縁起であって、
運命など説いていません。
そして、十二縁起を少し見方を変えて説いたのが四諦です。
苦集滅道の四諦のどこに運命があるのですか。

105 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 13:10:55 ID:jqBhsorN
>>65 :○○屋:2008/09/29(月) 22:08:43 ID:bocZzbnE
>この十二因縁が「○○の因縁」の形成過程を
>説明したものであるならば一修行者さんの言われることもあながち的外れではないと私は思うのです。

十二縁起に運命が入っているなんて解釈するなら、
では、「生」「老死」があるのだから、釈尊は少子化問題や高齢者医療や
末期医療についても説いたと解釈するのですか。
○○屋さんや一修行者さんの解釈って、これと同じなのですよ。
釈尊の意図を無視して、言葉尻をとらえているにすぎない。
勝手な解釈をするのではなく、十二縁起とは釈尊が何を説こうとしたのかを
まず理解することです。
アングリマーラの件はラシンさんが反論しているように、
勝手な御都合な解釈をするのではなく、原文をきちんと読んで正しく解釈することです。
○○屋さんの背景にある大きな誤解をラシンさんが>>91で丁寧に説明している。
○○屋さんには何度でも読み返し、理解できなければ、質問することです。
これは他の信者さんたちも同じで、頭のどこかに桐山さんから植え付けられた業解脱が抜けていない。
釈尊の説く解脱と、桐山さんの説く解脱では全然別物であることを理解する良いチャンスです。

106 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 13:19:51 ID:jqBhsorN
>>68 :一修行者:2008/09/29(月) 23:25:53 ID:FeTWKFIO
>○○屋さんが書かれたこのような人間の形成過程の十二の法則を超越してしまったので、
>十二因縁解脱と書いたのです。

アゴン宗を擁護しようとすれば、なんとか仏教の因縁とアゴン宗の因縁とを
強引にでも結びつけるしか方法がない。
あなたも子孫さんの強引なコジツケ以上の説明などできない。
何をどう解釈しようが解釈は自由だ。
だが、仏教とは釈尊が説いたものです。
あなたは仏教を釈尊から学びたいのではなく、仏教をネタにして勝手な
解釈を加えたいのですか。
自分たちに都合良く仏教を解釈した最終的な姿を我々は見ている。
オウムです。
ポアという名前を借りた殺人を、他人を解脱させる金剛大乗だと彼らは説いた。
仏教に様々な解釈を加えて、ついには殺人に至った。
と言うよりも、自分たちの殺人を、これを完全に否定している仏教を使って
正当化してみせた。
あなた方も同じです。
アゴン宗の信仰を正当化するために、十二縁起に運命があるなどと
勝手な解釈を加えて、仏教を歪めている。
釈尊が説きたい内容を無視して、自分たちに都合の良い解釈を加える。
オウムは極端だとあなた方はいうだろうが、自分たちの信仰を正当化するために、
仏教を力まかせに歪めているという点ではどっちも同じです。
空想的な解釈をあれこれ加えるよりも、あなたも大日さんを見習い、
岩波文庫の阿含経を読み、また中立的な仏教解説書を読んで、仏教の基本を学んだらどうか。

107 :○○屋:2008/09/30(火) 13:21:28 ID:oneggtSG
>>91ラシンさん。すばらしい!

私が巧く表現できなかったことが、簡潔に述べられています。

ラシンさんの91レスが正しければ、阿含宗の『成仏法』は根底から覆ります。

少なくとも『因縁解脱による現世成仏』なる教義は完全に否定されます。


あの『髑髏呪』のエピソードもまったく矛盾しない。何よりも『因縁解脱』できない先達の理由も皮肉なことに説明つきます。


108 :○○屋:2008/09/30(火) 13:29:36 ID:oneggtSG
私は12因縁論の袋小路でずーっと立ち止まっていたのですが、やっと出口が見付かったような気がします。


やっと次の段階を踏める思いです。


では、どのように『煩悩』を解脱するのか?

109 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 13:31:45 ID:SqBuafvF
>一修行者さん

あなたの今まで書かれた文章と内容から、あなたが文盲だということだけは分かりました。

110 :○○屋:2008/09/30(火) 15:31:01 ID:oneggtSG
ん!


名無しさん、私にレスしていたんですね。携帯だと長文レスは『省略』されてしまうので気が付きませんでした。


あえてレスするならば『運命の因子』は『解脱』出来るものと出来ないものがあり阿含宗の『○○の因縁』に類する絶対運命はないが、決定している業の報いは解脱出来ない運命との位置付けであろう。

111 :ラシン:2008/09/30(火) 17:39:49 ID:l5iDC5pE
>107
私が巧く表現できなかったことが、簡潔に述べられています。

○○屋さんの釣りに乗って書いてしまいました。
参考までに記します。

ー南伝 相応部経典12-20 縁 漢訳 雑阿含経12-14 因縁法より抜粋ー
比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。比丘たちよ、生によって老死がある、という。
このことは、如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである。
法として定まり、法として確立しているのである。
それは相依性のものである。如来はこれを証り、これを知ったのである。
これを証り、これを知って、これを教示し、宣布し、詳説し、開顕し、分別し、
明らかにして、しこうして<汝らも、見よ>というのである。

相依性:ここに根拠があるというほどの語で、原因結果の関係によって
     結ばれていることを意味している。

112 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 18:17:13 ID:Jz19deMW
騙された馬鹿がキチガイになっちゃってる

113 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 20:16:41 ID:pZ/LQDS3
参りましたね。第六章を読み終え第七章に入りましたが、「フジウス」さんの書き込みを見てかなり参ってます。

このまま考察は続けますが、こりゃあ阿含も終焉といわれても仕方ないですね。
裁判もしないのかしら? 阿含宗負けたら完全アウト間違い無しですな。

一度見てみたい気もするが・・・w

114 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 20:44:04 ID:IzeIqV30
>>90:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 12:03:49 ID:LaoHcrAG
>皆様ご意見投稿ありがとうございます。今自分も過去ログを読みつつ、また岩波文庫系統も探している
>最中です。

下記がその岩波文庫の原始仏典訳です。
いずれも中村元訳です。

「ブッダのことば」(スッタニパータ)
「ブッダの真理のことば・感興のことば」(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)
「ブッダ最後の旅」(大パリニッバーナ経)
「ブッダ 神々との対話」
「ブッダ 悪魔との対話」
(いずれもサンユッタ・ニカーヤ)
「仏弟子の告白」(テーラガーター)
「尼僧の告白」(テーリーガーター)

焦らずに1冊ずつじっくり読んでいくことですね。
素直な気持ちで書いてあることを理解すればよいと思います。
それを気に入るかどうかはわかりませんが。

>>113
いいところを読んでますね。
引き続き頑張って下さい。

115 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 20:56:41 ID:pZ/LQDS3
ユビキタスさんへ

ありがとうございます。今日本屋を行脚したのですが、見つけられなくて困っていました。
本当に助かります。ぜひ、この仰せの本を探し、読んでみます。

後、今第7章終わったのですが、第八章が見つからない!! ショック。
フジウスさんの説明が読みたいですっ。


116 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 21:10:55 ID:IzeIqV30
>>115
フジウスさんは第六章で初登場し、第七章にも引き続き書きました。
しかしその第七章の途中から消えてしまい、以降姿を現さなくなったんじゃ
なかったかな?
御殿山の右翼云々書いたあたりから、こちらもハラハラした。
やばいな、物騒なところから妨害がフジウスに及ばないとよいのだがと心配した。
2ちゃんねるではバカな擁護側信者が、富士の樹海に埋められたのだろうとか
恥知らずなことを書いていた。
それでますますアゴン宗のイメージは崩れるのに。

117 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 21:18:09 ID:IzeIqV30
>>115
都会にお住まいでしたら、できるだけ大型書店の文庫本コーナーの岩波文庫
コーナーを探すとよいと思いますよ。

118 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 22:23:06 ID:jqBhsorN
>>115 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/09/30(火) 20:56:41 ID:pZ/LQDS3
>後、今第7章終わったのですが、第八章が見つからない!! ショック。
>フジウスさんの説明が読みたいですっ。

ザの八章を探せないという意味ですか。
それなら、「阿含宗という宗教147」の>1に行き、
>1にある「関連スレッド」の過去ログ倉庫に行き、
倉庫の一番下にある「関連掲示板」から入ると、
ザの一覧表がありますから、八章もアクセスできます。
ただし、八章にはフジウスさんはもう出ていないようです。

119 :ユビキタスさん ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 22:33:28 ID:IzeIqV30
>やばいな、物騒なところから妨害がフジウスに及ばないとよいのだがと心配した。

いかん。フジウスさんの「さん」が抜けてしもた。
さん、さん、さんさん

120 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 22:49:48 ID:hxINEVRp
>>94
スレから知ったって?
ばかなこというなよ、ゲイカが自分で本に書いている状況背景みりゃ
すぐわかるだろが
これは阿含経の阿の字も出ない、法華経ぞっこん時代だった初期の本
幸福への原理からですね。また密教占星術とか読めば
これは釈迦の十二因縁論じゃなくて運命論をいっているものじゃん
因と縁という運命の展開過程をいっているのね
とすぐわかることです。
大体私ははじめから釈迦の十二因縁とゲイカの因縁論とは別のものだと思って
いたというより、結びつける発想すらなかったですね。
因縁という言葉が出てきたからといって飛びついていたのは
あなたと子孫さんでしょう

121 :神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 22:57:19 ID:hxINEVRp
フジウスさんもゲイカに才能を買われて
法務部に入った人のようなのだが
あまりにも逸脱している現状を嫌になってということでしょうな
まあ、彼本人にも問題あることはあったようなのですが、
こればかりは双方の意見聞かないとね
いや聞いたところで黒澤明の羅生門のような展開になるだけでしょうけれども

122 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/09/30(火) 23:45:44 ID:IzeIqV30
>>120:神も仏も名無しさん :2008/09/30(火) 22:49:48 ID:hxINEVRp >>94
>スレから知ったって?
>ばかなこというなよ、ゲイカが自分で本に書いている状況背景みりゃ
>すぐわかるだろが
>これは阿含経の阿の字も出ない、法華経ぞっこん時代だった初期の本
>幸福への原理からですね。また密教占星術とか読めば
>これは釈迦の十二因縁論じゃなくて運命論をいっているものじゃん

因縁という仏教用語は阿含経にしかないとお考えですか?
大乗仏教にも法華経にも因縁という用語と概念は生きています。
運命なんて意味ではなく。
だから桐山さんは幸福への原理の頃の法華経時代から因縁を仏教用語と意識して示し、
そのくせ仏教の何たるかがわからないから、霊友会系の法華経教団の無知を
そのまま踏襲して因縁を運命にしていたのです。
あくまでも本人は占いなどでない仏教に認められた考えと捉えていたわけさ。
仏教の目的は運命転換とはっきり示している。
30年信者のあなたは本当にその当時から十二縁起の法則を正しく理解していて
因縁の意味を知っていて、桐山さんは間違っていると認識していたのか?
私には例によって、酸っぱい葡萄の言い訳にしか思えない。
素直に「俺もまだ若くてさ〜、アグネス・ラムのグラビアで抜いていたんだよ」
と白状しちまえよ。
(注:筆者ユビキタスはアグネスチャンで抜いたことはあっても、アグネスラム
で抜いたことは一度もない)
あるいは壊れたグモンジ記憶のあなたのことだ。
成仏の話と勘違いとかしていない?
死者成仏なんてない。成仏は生きた人間が修行してブッダになることだ。
死者成仏なんてのは、歌舞伎の世界で「迷わず成仏しやがれ、ちょーん」とやった
から俗説で広がったのだろうという著書にもある桐山見解。
でもそれもなぜか桐山成仏にしてしまうのだがw

123 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:10:41 ID:hlB0XjLa
>>120 名前:神も仏も名無しさん :2008/09/30(火) 22:49:48 ID:hxINEVRp
>スレから知ったって?
>ばかなこというなよ、ゲイカが自分で本に書いている状況背景みりゃ
>すぐわかるだろが

あなたは>>74で、
>阿含宗の因縁とかいうのは 日本の民間宗教習俗で言うようないいまわしからきている
と書いた。
桐山さんがこれらの教団からモノマネしたことをあなたがここに来る前から
知っていたのなら、それは立派なことで、>>74の指摘は撤回しましょう。
すると、あなたは桐山さんのいう因縁も因縁解脱も
釈尊が説いていないと知っていて慈恵会時代に入信し、
その後も、それを知りながらアゴン宗にいるのですか。
釈尊は因縁解脱を説いていないと知っていたとは珍しい信者に遭遇した。
というよりも、初めて会った。
一修行者さんなどが典型で、たいていの信者は釈尊は因縁解脱を説いたと信じている。
昔から今に至るまでほぼ全員のアゴン宗徒が信じている。
だが、干柿さんだけは、桐山さんのいう因縁も因縁解脱も、
これが仏教だなんて真っ赤な嘘で、民間習俗宗教のタワゴトだと知っていたらしい。
これはすごい。
あなたがそれほど仏教に詳しく、鋭い洞察力の持ち主とは知りませんでした。
それにしては、どうしてまだ信者やっているのですか。


124 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:13:23 ID:hlB0XjLa
>>120 名前:神も仏も名無しさん :2008/09/30(火) 22:49:48 ID:hxINEVRp
>これは阿含経の阿の字も出ない、法華経ぞっこん時代だった初期の本
>幸福への原理からですね。また密教占星術とか読めば

ユビキタスさんも指摘しているように、上記は間違いであり、根拠にならない。
あなたは、桐山さんはアゴン宗以前から因縁を説いているから、釈尊のいう因縁とは
違うに決まっているなどと言っているが、間違いです。
桐山さんの話は違います。
桐山さんは仏教の解脱とは因縁解脱だと法華経時代から今に至るまで一貫して言っている。
大乗仏教もシャカ仏教でも、「仏教とは因縁と因縁解脱を説いている」と主張しているのです。
ただ大乗仏教には因縁解脱の本当の法がないだけだと言っているのです。
だから、法華経時代だろうが、アゴン宗時代だろうが、
桐山さんは因縁と因縁解脱は仏教そのものであると説き続けた。
法華経時代に説いた因縁もアゴン宗になってから説いた因縁も
桐山さんは同じであると言っている。
このように、法華経時代に因縁を説いたから釈尊が説いた因縁とは違うという
あなたの主張には根拠がない。


125 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:19:02 ID:hlB0XjLa
>>120 名前:神も仏も名無しさん :2008/09/30(火) 22:49:48 ID:hxINEVRp
>因縁という言葉が出てきたからといって飛びついていたのは
>あなたと子孫さんでしょう

アゴン宗の信者であるあなたが因縁については関心がないとは驚きだ。
アゴン宗では因縁が大きなテーマです。
私と子孫さんだけでなく、信者も元信者もこのテーマに飛びつかない人などいない。
子孫さんがアゴン宗の悪因縁を釈尊も説いたと主張したから、
その阿含経の根拠を示してくれというのが議論の始まりです。
阿含経に桐山さんのいう悪因縁があるかないかは
アゴン宗にとっては重大であり、なければ致命的です。
あなたはそれを知った後で、さも自分は最初からそんなことは知っていたと
いう態度を取っているのではありませんか。
キツネが食べ損ねたブドウを「あれは酸っぱいから食わなかったのだ」というのと似ている。
「アゴン宗の因縁が釈尊のいう因縁と違うことをスレで読んで知っただと?
七氏が今さらのように言うが、このオレ様は最初から知っていたさ。
七氏や子孫じゃあるまいし、そんなものオレ様は興味ねえよ」と
ポーズをとっているように見える。
ポーズを取りすぎてシッポが見える、というのは私の推測です。
これは干柿さんがよくとる態度ですよね。
最近の桐山批判もさも最初からそういう裏を知っていたかのような書き方だが、
スレに出てきた頃のあなたはバリバリの狂信者でしたよ。
ネットでずいぶん教えてもらったのだから、素直に自分が無知だったことは
認めたほうが男らしい。

126 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:45:22 ID:Vx42Pq64
また勝手な決め付けという七氏のお得意がはじまった。
十二因縁に関心がないといったかよ!
解説見てこれはゲイカとかのいう因縁とは別のものだと
誰が読んでもすぐわかる。
そもそも一般的に因縁という場合、因果関係をいうのものだろう
なんか良くないことがおきると、むかしこのような事をしたからだろう
云々と、昔の人は言ったものだ それをこのような因縁があったから
と普通に因縁という言葉を使っていた。
だからゲイカの言う因縁とはそのような因果関係についての因縁であり
釈迦の十二因縁というものとは違うという事ぐらい
普通にわかるでしょう。
それに
悪因縁を釈迦が説いたとはゲイカも言ってはおりません。
どのように言っているか、密教占星術の運命の星から
私が導き出したとちゃんと本の書いております。
釈迦が悪因縁を説いただのとは言っていません。
仏教教理が根本にあって縁起の法則により運命は
かたちづくられるというようなしっかりとしたものが密教占星術にはある
というような大法螺ふいて、独特の因縁解脱論にもっていってはいますけれどね。
しかし なにがブドウはすっぱいだ!
このイソップとかの引用もかつてユビ氏が言っていたことのパクリ
じゃねーかよw。まあそれはさておき
じゃあなにか、ばあさんが、「やれやれ、これはなにかの因縁じゃの〜」
とかいうのに釈迦の十二因縁にあてはめたならば・・・なんて
七氏はいちいち考えるのかよw
因縁ていっても十二がつくのとつかないのとではスゴイちがいがある。
そんなものを無理やりつけて屁理屈つけとおしたのはアナタと子孫さん
なんですよ自覚しろや!

127 :神も仏も名無しさん :2008/10/01(水) 01:25:52 ID:/P43jMat
>>126
感情的になりすぎです。
冷静に文章を書いてください。

128 :樹意:2008/10/01(水) 01:43:18 ID:fWu2ATqi
>>126


仏教を名乗らないのであれば貴方の主張は成り立ちますが
仏教を名乗るからには支縁起(十二因縁)となります。
仏教=縁起の法 これあるによりて これあり、 これなきによりてこれなし
        これ生じれば   これ生じ  これ滅すればこれ滅す。

苦 解脱を説く場合は 支縁起(十二因縁)となり、これは仏教です。
煩悩があるから五蘊(心身)を再生する。(無我)
人というのは聖者の五蘊(心身)を除いて、煩悩を縁(条件)として作られしものなのです、
したがってその縁(条件)を滅してしまうなら再生しない、老死より解脱する。(無我、非我)
運命をあれこれ思惟するのは我想を増長するものですからそれを
禁止するのです。

それからはずれるのは仏教ではありませんし、運命を論ずるのは(見)の煩悩の
扱いとなるのです。
だから苦聖諦となるのです。

怒りは(我見)(我執)を縁とする、我見我執を滅するならばそれを縁とする
ものも自然消滅する。


129 :樹意:2008/10/01(水) 01:44:45 ID:fWu2ATqi
  一切煩悩経という経典には (見)の煩悩について説かれる。
5 かれは、このように邪推します、〈私は過去に現れたのか。過去に現れなかったのか。
  過去に何になったのか。過去にどのようになったのか。私は過去に何になり、
  その後何になったのか。私は未来に現れるのか。未来に現れないのか。未来になに
  になるのか。未来にどのようになるのか。私は、未来に何になり、その後何になるのか〉
  と。或いはまた、〈今、現在に、私は存在しているのか、存在していないのか。
  何であるのか。どのようにあるのか。この生けるものはどこから来ているのか。
  彼はどこへ行く者になるのか〉と、内心に疑いを抱きます。
6 このように邪に思惟するかれには、六見のうちいずれかの見を生じます。
  すなわち、〈私には我がある〉との見が、かれに実際に強固に生じます。
  あるいは〈私には我がない〉との見が、かれに実際に強固に生じます。
  あるいは〈我によってのみ我を思う〉との見が、かれに実際に強固に生じます。
  あるいは〈我によってのみ無我を思う〉との見が、かれに実際に強固に生じます。
  あるいは〈無我によってのみ我を思う〉との見が、かれに実際に強固に生じます。
  あるいはまた〈私のこの我は、語るもの、感受するものであり、それぞれの処で
  もろもろの善悪の果報を受けている。その私の我は、常住のもの、堅固なもの、
  常時のもの、不変の性質のものとなり、永久にそのままとどまるであろう〉
  とこのような見が、かれに生じます。
  比丘たちよ、これは見に趣くもの、見の密林、見の難路、見の突き刺し、見の足掻き、
  見の縛りと言われます。比丘たちよ、見に縛られ捉えられた聞のない凡夫は、
  生まれからも、老死からも、もろもろの愁いからも、もろもろの悲しみからも、
  もろもろの苦からも、もろもろの憂いからも、もろもろの悩みからも開放されること
  がない、と私は説きます。
  
  片山一良氏訳 マッジマニカーヤ 一切煩悩経


130 :一修行者:2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
ユビキタスさん。
>>52
エーテル波動は初めて聞いたような気がします。ありがとうございます。
>>53
>あくまでも四六時中の自己観察による心と行いの統御のみなんです。
>アゴン宗は無意識で自力処理不能と逃げて、別に道を求めた。
ここは受け取り方が私と違うところですね。
>>66
>また元信者も当然これを知っている。
>だから十二種類の因縁と誤解するななどと相手を見くびらないことです。
ここはユビキタスさんが勘違いしてますね。
他の人でなく、私(一修行者)が十二因縁を運命上の十二種類の因縁と勘違いしていると思っているのでは、という意味です。
だから相手をみくびることにはならないわけです。
>>78
>七氏さんではないが、誤解を解くと言うよりも、何を言いたいのか余計に理解できない。
そもそも十二因縁に関しては、神も仏も名無しさんが
「あなたが信仰している阿含宗では、釈尊が因縁解脱して、
運命を完全に変えたと説いているのだ。」
と書いたので、「そんなことは深く追求せず、こう考えてもよいのでは」
という意味合いで書いたので、なにを言いたいとかは、ないのです。
そしたら皆さんかなりの反応で驚いているわけです。
そして、十二因縁からの超越という解釈も
「超越という意味は辞書だとこうで、解脱という意味は辞書だとこうだ、
などと言われたら終わりですね。」と書きましたが、ユビキタスさんは、
その作業を長々とやられてしまったようで、結局最後に書かれた
>桐山さん得意の「言葉のあや」なんて通用しない。
が私には許容範囲なので、そうご理解ください。
まあ、こんなに書き込みしてもまだ
「一修行者さんなどが典型で、たいていの信者は釈尊は因縁解脱を説いたと信じている。」
などと書く人がいるわけですから掲示板での議論にも一長一短ありますね。


131 :樹意:2008/10/01(水) 01:58:32 ID:fWu2ATqi
>>129

>   あるいはまた〈私のこの我は、語るもの、感受するものであり、それぞれの処で
>   もろもろの善悪の果報を受けている。その私の我は、常住のもの、堅固なもの、

〈見〉 の煩悩は上記に引用したように〈我〉に関連するものであります、
我見が完全に消滅したなら、怒りというものも生じようがない、
他人事で腹を立てないのと同じ事です。 〈無我、非我〉
といっても経典では、聖者の上の方の方でもこの 我 が残っている事を
書いているものがありますから、これを消滅させる為に 禅那の修行をする
のでありましょう。

八正道の〈正見〉 の由来でもあります。
特筆すべきは 運命を論じ、我見を増長しながら 〈身見〉を切ったなどと
言っていることです。
占いをして 〈身見〉が切れる道理がないのです、信者さんたちはこの辺を
よく考えるべきでありましょう。



132 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/01(水) 02:00:56 ID:V2rIh1qk
一旦寝たのですが、呼ばれた気がして起きたw

>>116 >>117 ユビキタスさん、重ね重ね感謝申し上げます。
そうかあ・・・もう出てきては居られないんだ・・・。

>>118 さん
感謝です! 今後そのようにいたします。お手数おかけいたしました。

でも、本当に悩むなあ・・・。あの10億持ち逃げだって、阿含宗内では違う理由を
述べてたわけですから、それを信じてた信者はどういう反応しますかね。

特別お手配願いだって普通のお手配願いと用紙がほとんど変わらんし、せいぜい写真を
添付するぐらいなので、「おかしいな」とは思ったんですわ。

あとは色々あるけれど、批判になるから抑えとこうw
あ・・・そのうち出せば一緒か?

やはり、阿含宗・・・いや管長は一回鉄槌が下らないと駄目なのかな。
その一回は「死」に値するのかも。

裁判も生きているうちに起こさないと効果が無いと思うのは私だけ?
中天命明けて間もない時期の管長だから、今がやり時?なのか。

今年中に「行に関する本」も出すようですし、どうなるか?
多分不発で終わるでしょうw もう阿含も終焉ですね、おそらく。

133 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/01(水) 02:22:16 ID:0jz9BogN
むう、寝れなくなったようなので書き込みを。

でも、擁護派の方の意見も向こうスレで拝見しましたが、私も同意の部分がありましたね。
逆を言えば「その部分しか残っていない」ともいえますか。信者として信じる心といいますか、
それが信仰の柱でもあるわけですが、それが批判派の言われているとおりであれば、おそらく
全員に近い信者が辞めるでしょうね。宗務や法務は分かりませんがw

フジウスさんも申されていましたが、信者は真面目な云々という言葉はありがたいです。
確かに批判派から見れば、頭の固い融通の利かないボンクラになるのでしょうが、中には話せば
わかる・勉強すればわかる人もいると思っています。

また、管長も途中まで?は、ちゃんとやられていたのでしょうね。いつしか右や某の方と縁を
結び、段々おかしくなって行っているのが慈恵会以降入行の私にも把握できます。
(いや、批判派からすればもともとおかしい、となるのでしょうけど)

もう引き返せないところまで来た感があります。私も管長が訂正すれば、というような発言を
しましたが、それで回避・修正できるような状態ではないですね。これなら批判派の方々の
責める理由も気持ちもわかりますね。

またここまで来たら管長自体が出てきて示さないと大部分は決着がつかないでしょう。
というか、あの人は裁判でもしない限り出てこないでしょうが。

阿含宗か管長の批判本出したら売れるような気がしますね。2ch発とかw
廣野さんの本も今年手に入れましたが、Webではそれ以上の内容ですね。
管長を無理やり引きずり出さない限り、今の阿含宗の体制のままでしょうね。

134 :一修行者:2008/10/01(水) 02:30:12 ID:C7wL8Miq
>>70
孫 青柿さん。
先祖のそれは違うと言っているわけでなく、わからないのです。
過去世は管長もいわれてるので、考えはちがわないと思いますが。

>しかしその解決方法はずばりゲイカのもとに人と金を集めるでしょう。
>ゲイカを喜ばすことで解決するのでしょう。
そうではなく地道な梵行でしょう。人と金もそれに含まれると思いますが。
孫 青柿さんの皮肉めいた問いかけに真面目に書いてしまいますが、ここから下は孫 青柿さん以外は読んじゃだめですよ。
現役会員が書くと反応が強すぎて、返信しきれないので。
実は私は、阿含宗は運命解脱を前面に出しながら、いわゆる阿含宗での修行は煩悩解脱が結果優先されていると思ってるんです。
もちろん私がいつも書いてる共通部分の運命解脱はできるにしても。
私が煩悩解脱と運命解脱が違うのでは、と思ったきっかけは、修行者で運命上、あまり幸福になった人を知らなかったことです。
だから阿含宗では両方無理なのかと思いました。
退会された人は無理と決定し退会されたと思うのですが、煩悩解脱と運命解脱に共通部分とそうでない部分があると考えて、
その目で修行者を観察したとき、煩悩がかなりなくなっている修行者がいることを感じたのです。
ただ、その人たちは、運命的にはあいかわらず恵まれてないので、表面上は地味な人間にしか見えない。
そして、慢心をかかえた一部の先達が煩悩まるだしで、煩悩解脱など無理だと思わせてしまう。
だから、冷静に観察しないとわからないのです。
そこが私が退会しない理由の一つです。
まあ、退会されてしまっている孫 青柿さんには、たわごとでしょうけどね。
これからもいろいろな情報お願いいたします。
それから間違って孫 青柿さん以外に読まれた人には、なにを書かれてもこの件は返信しませんよ。会員の方とユビキタスさんは別ですが。


135 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/01(水) 02:39:43 ID:KGJeX62n
実際、阿含宗自体弱ってきている。世界平和実現の行動にさえ「なんとかやっている」状態ですね。
道場には人が寄り付かなくなっているし、イベントをやらないと人が来ない。しかも酷いときには
そのイベントも「死に体」で、参拝者より修行者の方が多いという現実さえある。

また護摩木も売れてないですし、初護摩札、その他のものも減っている。
一日護摩や例祭も「法話を聞かず帰る人」もかなり多い。
光和食品も売り上げが悪くて困っているし、サービスもコロコロ変わっている。
かなり四苦八苦のようです。阿含宗癒着企業だから無理は無いでしょうね。

本も売れないので平河も出版局もどんじりでしょう? 守護神を持て、もブームを呼べなかった。
あれは当然です。もう信者の大半は「守護霊・守護神」など興味は薄い。
それに気がつかず、それでなんとか巻き返そうとしている。

しかも、俺は凄いんだぞ、の作風が抜けてない。もういいですよ、管長。
それより足元を見て信者を救え、ですよ。そっちの方が儲けられますって(オイ)
「儲け」は冗談として、信者は付いてきますよ、そっちの方が。

でも、もうそういうことをしても時間の問題でしょうね。超人でも老いには勝てないし。
120歳まで管長は生きる、と多くの信者は思ってますが、どうだか・・・。
ただ生きていても「寝たきり老人」が関の山でしょう。

そこで、和田さんや深田さんがやっても切り返しはどうか・・・。
管長自身がやっても不可能そうな現象をどうできるか? 仮に深田さんが念力の護摩を焚いても
管長ほどの引っ張りや影響は無理かと思われ。

なんでも自己流にやりすぎましたね、管長は。責任重大です。


136 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/01(水) 08:25:59 ID:IK3FX3ew
>>126
桐山因縁解脱の話をしている時に、釈尊の十二因縁なんて持ってきて
十二因縁解脱なんておかしな用語を出してきたのは、ザのスレの子孫さんと
このスレの一修行者さんの2人だけです。
それまでこちらは因縁解脱を否定するのに十二因縁まで話を出したこともない。
桐山さんすらそんな話は出さないし、こちらも考えが及びもしない発想です。
今回一修行者さんが十二因縁解脱なんて書いてきたから、その意図は不明瞭ながらも
「そんなものはない。用語の使い方が不適であり、勝手な造語などに意味がない」
と指摘したのです。
こちらから出した話ではなく、仕方なくおつきあいしてる我々の構図があなたには
理解できないか?
子孫さんが出した十二因縁解脱と一修行者さんが出した十二因縁解脱の意図は
異なるでしょう。しかしこちらは相手の意図がはかりかねるから、比較の上でも
子孫さんの十二因縁解脱を出してみたわけです。
発想に共通点はなかろうかと。
あったようです。
子孫さんは桐山因縁解脱を擁護する為に十二因縁なんか持ってきており、対して
一修行者さんは>>130などを読んでもわかるように、桐山因縁解脱は否定しながらも
批判側が「釈尊は因縁解脱なんか説かない」と説くのに対して、十二因縁を超える
ことはどうだろう?なんて外れた話を出している。
超越の辞書的意味の詮索なんて不問だなどと言うが、そんな御意見無用的な態度は
適当ではない。やはり縁起の法則を超えるなんて使い方はおかしく、子孫さんの言う単なる迷界からの
離脱と同じ発想なんです。
迷界脱出にしても因縁解脱なんて用語の用法は違うと論じたのです。
そして桐山因縁解脱批判につながらない単なる人生向上の話を出して頷きあうことに
何の意味も進展もないと述べたのです。

137 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/01(水) 08:51:51 ID:IK3FX3ew
>>134
私には返信してくれるとのことだが、別にそんな待遇など関係なくレスしましょう。
だからあなたはこういうことを公共の掲示板に書き込むからには、具体的に示す
義務があるのですよ。
具体的に書かねば何の意味も説得力もない。
具体的とはもちろん人名ではありません。
単に煩悩がなくなってきているでは駄目で、これこれこういう煩悩が薄れてきて
いるのではないか?それはこれこれこういう生活上での対応、観察でわかるのです
という示し方が必須なんですよ。
煩悩なんていう名の煩悩はない。
具体的に示して下さい。
おそらくあなたは煩悩とはいかなるものかすら理解が十分ではないでしょう。
例えばアゴン宗の信者は一部の傲慢先達を除いて、従順であり怒りを爆発させる
ようなことはないことを以て、煩悩は薄らいでいると評価するのであったらそれは違う。
無知も煩悩であり、囚われ、妄執、盲信も煩悩です。依存も煩悩です。
恐怖も煩悩です。
もちろん山の中で目の前に熊と遭遇して恐怖を感じない人はいない。
しかし普段から因縁や霊障や運命に恐れて、なにをか頼るのは、普通人も持たぬ
不要な煩悩なんですよ。
それは本人すら自覚がない場合が多い。
無意識なんて話ではありませんよ。
よく道理を考え、深く省察するならば発見できる自分の煩悩です。
とにかくあなたが他の信者を見渡し、煩悩が減ったと評価した事例を具体的に
複数書いて下さい。

138 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 09:05:10 ID:597rRdd2
>>134
個人的に話しがしたいのであれば棄メールでやれよ、
修行とやらは公共のものを私用で使って
平気になることなのか?

139 :○○屋:2008/10/01(水) 09:09:51 ID:F8MvLAvj
ラシンさんの12因縁論はとても分かりやすいのですが、もう少し掘り下げて考えたい部分があります。


それは『生起した業』の『果』を結ぶ時期についてです。

釈尊が食あたりでなくなることは、産まれた時の占星術師に指摘されその通りとなった(前世の業の果であるからこの結末自体は変えれない?)が全ての事を成し遂げた後で亡くなっているのではないか?

・・・アングリマーラの逸話でも生起した業の報いは本来、死後地獄で苦しむべきところ、現世で受けている。


わたしが何を言いたいかと言うと、仏教的信仰や修行を行う者は果の結ぶ時期を変えることが出来るのではないか、と言うことです。


そうして、果の結ぶ時期を延々と遅らせて、死後に持ち越すと、あ〜ら不思議!○○の因縁(前世から持ち越しの果報の事ね)が出なかった(見た目は切れたように見える)!


となるような気がするのですが、如何でしょうか?


140 :ラシン:2008/10/01(水) 10:05:12 ID:HRekqR0F
>134
私が煩悩解脱と運命解脱が違うのでは、と思ったきっかけは、修行者で運命上、
あまり幸福になった人を知らなかったことです。

この一文で一修行者さんは、仏教を何も理解していないことが分かります。
桐山教を多少の違いはあっても、仏経と考え信じ込んでいる証左です。
ここで七氏さんはじめ批判側が、釈尊は占いを禁じているとの指摘を
まるで分かっていません。
釈尊が占いを禁じたその理由とは、人の定め(運命)を占うことは人の未来の
吉凶損得を願うことで、それ自体が恐れや安心に囚われる、経済的向上や
健康を期待するなどなどの煩悩を喚起するものだから、逆に修行(煩悩滅尽)に
役立たないと理解すべきものです。
私が>>88で指摘したとおり、信者さん達は釈尊の教えを知らないで桐山さんに
煽られた現世での幸福を目指し、それを可能とするのも仏教だと、信じている。
つまりは現世では悪い運を良い運に変えることが出来て、死後はその運命転換行の
善業で沙門四果を成就できると、都合よく考えています。
つまり、信者さんたちは現世での幸福を希求しているから、運命転換の可能性に拘り、
そこから因縁を解脱できると考えたいのでしょう。
しかし釈尊は、この世はいかなる事象であっても常住不変などないから それは
苦の世界と説いています。
この世の幸福は苦の元だということなのです。
だから運命転換などで一時的幸福を求めて努力することは、むしろ煩悩を引き起こし、
諸々の煩悩を止滅するどころか、逆作用になるということです。
修行者で運命上幸福になるなどあり得ない、修行者が幸福を得たと言えば、
修行を完成して有余涅槃を得たことだけです。
仏経の道しるべたる目的は涅槃を目指すことであり、そのためには今生の幸福を
求めるのではない反対のその欲心である煩悩を捨て去ることです。
となれば運命を転換して現世の幸福を獲得できる、という桐山教は仏経ではなく、
仏経を真似たインチキ宗教だと理解できます。


141 :○○屋:2008/10/01(水) 10:31:19 ID:F8MvLAvj
いや〜、ラシンさんが登場してから阿含宗関係の掲示板のレベル上がったな〜。


センエツとは思いましたが、スレ立てた甲斐がありました。

142 :ラシン:2008/10/01(水) 10:58:38 ID:HRekqR0F
>139 釈尊が食あたりでなくなることは、産まれた時の占星術師に指摘されその通りと
なった(前世の業の果であるからこの結末自体は変えれない?)が全ての事を成し遂げた後で亡くなっているのではないか?

私の仏経知識はここ批判側の方々から教えられ、それをもとに学んだ拙いものです。
その範囲で申し上げれば、釈尊の入滅の契機は前世あるいは今生の王子としての
華美贅沢な環境であった業果と考えることが出来ます。
釈尊と言えども、出家前になした業は消すことは出来ないのですから、
たとえ有余涅槃を得てもその業果を今生限りにおいて受けたと推察できます。
また、入滅したことで次の生を受けない輪廻(後有)の停止となり、
それは涅槃の境界ですから、業の力が及ぶ範囲ではないと解釈できます。
つまり釈尊は、受けるべくすべての業果を今生で受けたのではなく、
為すべきすべての行(煩悩滅尽)を終えたから、業の力が及ばない涅槃を得た。

>仏教的信仰や修行を行う者は果の結ぶ時期を変えることが出来るのではないか、
と言うことです。

ーダンマパダ第5章ー
悪事をしても、その業は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。
徐々に固まって熟するその業は、灰に襲われた火のように、
徐々に燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。

師なくして悟りを得た釈尊ゆえに仏陀と言われます。
修行を完全に成し遂げた完成者は懇請あれば、寿命以上の期間今生に留まる可能性が、
涅槃経 http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan01.html で示されていますが、
それは有余涅槃を得た仏陀のみだからでしょう。
何度も言いますが、業果は上記ダンマパダの章にあるように必ずしも今生だけとは
限りません、むしろ煩悩により次の後有に反映されて輪廻を繰り返します。
業が及びようがないニルバーナこそが、輪廻と業果を免れるのです。


143 :孫 青柿(あおがき):2008/10/01(水) 11:58:38 ID:aJCRZk6w
>>134 一部の傲慢先達もいるが煩悩が薄らいだ修行者もいますか?よく分りませんがおそらくアゴン宗って平会員は小さくなっていなければいけないところだから
それをわきまえて大人しくしてるだけでしょう。だから見た目には"煩悩がかなりなくなっている修行者"のように見えるのでしょうね。

>私が煩悩解脱と運命解脱が違うのでは、と思ったきっかけは、修行者で運命上、あまり幸福になった人を知らなかったことです。

ぎゃははw
"幸福"になるのはゲイカだけでしょう。メシアのために人と金を集めるのが"修行"なのですから。

144 :ラシン:2008/10/01(水) 12:31:36 ID:HRekqR0F
>134
それから間違って孫 青柿さん以外に読まれた人には、なにを書かれてもこの件は返信しませんよ。

失礼ながら、
このことばは両耳を塞ぎながら、とりあえず叫ぶだけ叫びたい、という姿勢に見えます。
私を含めここの批判側も、レスや議論だけを期待して意見を述べているわけではない。
七氏さんのいうほかの読者を意識し、その読者に最終判断を委ねる意味で掲示しています。
面白いことに、一修行者さんのこの一文には、自分だけ言って相手からの批判を
まったく受け付けたくない、という我侭と傲慢さと驕りが見えます。
これだけでも煩悩が三つが披瀝された。
自分にとって都合よい掲示のみを選択して参板していたいという気持ちでしょうか。
違うなら、この一文をわざわざ付け加える必要も無い、スルーで事が済みます。
しかし、一修行者さんは現役信者さんだから、それで煩悩が薄らいだアゴン信徒がいる
とのご指摘は、にわかに信じることは出来なくなります。
公の掲示板に投稿するということは、間違っても何も、誰彼、否応無く見られます。
レスをつける場合もあれば、つけない場合もあります。
その現実を見ないで、自身だけの発心で掲示参板することに疑問を感じないのだろうか。
アゴン信者さんには、このように時として教団の現実を見ないばかりか、
社会的常識を無視し、その現実に疎い方が見受けられます。

145 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 12:31:54 ID:eLAKMOpQ
>>126 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:45:22 ID:Vx42Pq64
>釈迦が悪因縁を説いただのとは言っていません。

「アゴン宗の悪因縁と仏教の悪因縁と違うことは、
わかりきったことであり、桐山ゲイカも同じだとは言っていない」
このように干柿さんは言いたいのですね。
あなたのほうこそ決めつけであり、間違いですよ。
桐山さんは仏教の因縁と阿含宗の悪因縁は同じものであると書いている。
それを教えてくれたのが他でもない子孫さんです。
『超脳思考をめざせ』の中で、桐山さんに対談者が
「阿含経のどこに因縁や因縁解脱が示されているのか」
という質問をしている。
ズバリそのままの質問です。
桐山さんは長々と説明を始めたが、結局、阿含経の根拠は示していません。
いつものように、それらしい経典などを引用して、
最後に手品みたいに結論を出してみせて、ごまかしたのです。
それが次の一文です。

146 :ラシン:2008/10/01(水) 12:32:57 ID:HRekqR0F
>134
私が煩悩解脱と運命解脱が違うのでは、と思ったきっかけは、修行者で運命上、
あまり幸福になった人を知らなかったことです。
だから阿含宗では両方無理なのかと思いました。
退会された人は無理と決定し退会されたと思うのですが、

どうして退会者が煩悩解脱のみならず、運命解脱が無理と判断したなどと勝手に決めて
このように言い切れるのですか?
元信者にも様々な理由があって退会したと、何故考えられないのだろう?
一修行者さんは、ご自分の目線のみで相手を忖度し次の持論を展開しています。
ご自分の都合悪い選択を省いて、持論に適う解釈で意見を述べています。
これを仏教的には慢という煩悩の一つです。
それは自身に驕りがあるから、慢心を出しても気づかないのです。
これを驕慢と言い、どちらも同じ意味の煩悩です。

147 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 12:34:41 ID:eLAKMOpQ
『超脳思考をめざせ』87頁
「仏陀の説かれた「仏道」とは、「苦の因になる因縁を滅する道」のことであることが、
すでにおわかりであろう。
苦の元となる因縁を滅する―――これが「因縁解脱」ということである。」

「すでにおわかり」と言われても、その前までの説明は縁起と四諦だけで、
悪因縁も因縁解脱もまったく出てこない。
縁起=因縁で言葉が同じだから、いかにも悪因縁が経典にあるかのように見せかけ、
そこに四諦の話を持ちだして煙に巻き、いきなり上記の結論を出してみせた。
桐山さんははっきりと釈尊が因縁を滅すること、因縁解脱を説いたと書いている。
ここでいう因縁とは、アゴン宗の悪因縁です。
なぜなら、上記は、アゴン宗の悪因縁とは阿含経のどこにあるのかという質問への
桐山さんからの回答だからです。
悪因縁を釈尊も説き、それを滅する道、つまり因縁解脱を説いたと主張している。
>釈迦が悪因縁を説いただのとは言っていません。
というあなたの主張には何の根拠もなく、まったく逆で、
桐山さんは「釈迦が悪因縁を説いた」と主張しているのです。
それは次の文章からもわかる。

148 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 12:38:14 ID:eLAKMOpQ
『阿含宗報』129号、1996年、3頁
「釈尊が説かれたのは因縁解脱です。
成仏するための指導をしているわけです。
人はみな運命の星を持っている。
中途挫折の星、破婚の星、ガンの星。
私は、星を因縁という言葉で置きかえた。
私は、星を運命学によって三十数種類に分類し、その因縁を切るように
指導し、同時に私自身も修行した。」

桐山説によれば、釈尊は因縁解脱を説き、その因縁とは運命の星であり、
それらにガンの因縁などの名前をつけたと言っているのです。
「釈迦が悪因縁を説いた」と書いているのです。
あなたはガンの因縁などの具体例は桐山さんの発明だという点を
指摘することで、別物なのは当たり前だと言いたいのですよね。
批判側の誰が「ガンの因縁を釈尊が説いたと桐山ゲイカは主張している」と
書いたのですか。
誰もそんなことは書いていない。
ガンの因縁などの具体例は桐山さんの発明であることくらい知っているからです。
こちらが主張してもいないことを主張したかのように言い換えて、
あなたはインネンをつけたのです。

149 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 12:46:15 ID:eLAKMOpQ
>>126 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:45:22 ID:Vx42Pq64
>釈迦の十二因縁というものとは違うという事ぐらい
>普通にわかるでしょう。

普通にわかるとは誰がわかるのですか。
アゴン宗の教義として桐山さんは公式に「仏教の因縁=アゴン宗の悪因縁」と述べている。
違うというなら、具体的に桐山さんの本から示してみなさい。
当然、信者たちは「仏教の因縁=アゴン宗の悪因縁」であり、
釈尊は悪因縁を説き、因縁解脱を説いたと信じている。
両者を別物だなんてほとんどの信者は知らないのです。
そして、あなたも知らなかったと私は推測している。
もっと言うなら、仏教の因縁とアゴン宗の因縁が同じ物か
別物なのか、疑問すら持たなかったはずだ。
疑問を持ったら、それだけでもすごいことだからです。
仏教の因縁とアゴン宗の悪因縁が違うなら、因縁解脱が間違っていることになる。
桐山さんは慈恵会時代から、これこそが釈尊の説く解脱だと主張してきた。
あなたは因縁切りではなく、超能力開発を目指したと言うだろうが、
超能力は悪因縁があったら獲得できない。
だから、因縁解脱は超能力派にとっても重大事です。
桐山さんは法華経時代から、因縁解脱は釈迦が説いたものだと主張してきた。
密教時代すら、これが本当の仏教だと説いたし、
アゴン宗を立ててからもこれを否定する発言はしていない。
これが嘘だとわかっていながら三十年以上も信仰を続けたなんて言っても、
何の説得力もない。

150 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 12:50:13 ID:eLAKMOpQ
>>126 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 00:45:22 ID:Vx42Pq64
>釈迦の十二因縁というものとは違うという事ぐらい
>普通にわかるでしょう。

超能力開発の根本になることで嘘をつく男の何を信じたのだ?
あなたが知っていたなんて、キツネのすっぱいブドウです。
長年知らなかったばかりか、疑問にすら思わなかった。
だから、信者を続けて来られた。
スレで、因縁解脱など釈尊は説いていない、因縁切りなど日本の近代の
新興宗教の発明だと知って、それから、自分はさもそんなことは最初から
知っていたかのように口を拭って、お色直しをしたのでしょう。
こういうゴマカシをして、この件で私を感情的に攻撃するのにも理由がある。
それはあなたがアゴン宗の信者を続けることを正当化するためです。
「批判がなんだ。おれは最初からすべて知っていたさ。ゲイカの嘘も本当も
すべて知った上で、是々非々でオレ様は信仰している。ヲマイラとは訳が違う」
これがあなたの自己正当化です。
こんなのは新興宗教では珍しい光景ではないし、
オウムの残党というあなたよりももっと上級の連中がいるから驚かない。
と指摘されて、あなたは私にもっともっと憎悪と嫌悪を持ち、
その勢いでアゴン宗にしがみつくのでしょうね。
干柿さんは自分のわずかばかりの知識を振り回し、他人を罵倒する。
毎回、私から反撃されて何も言えなくなり、それであなたは私を激しく嫌悪する。
自分が間違っていたのを忘れて、憎悪だけが残るのを逆恨みというのですよ。
その煩悩なんとかなりませんか。

151 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 12:56:25 ID:eLAKMOpQ
>>130 :一修行者:2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>ここは受け取り方が私と違うところですね。

つまり、あなたは普通の仏教を学ぶつもりはさらさらないということらしい。
ユビキタスさんが説明した修行法は受け取り方でもなければ解釈でもなく、
仏典にそのままある内容です。
樹意さんや私が何度かその一部を引用したことがある。
それをあなたはユビキタスさんの「受け取り方」だと書いている。
こういう反応をみれば、あなたが四念処などの言葉と桐山さんの
オカルト解説は読んでいるだろうが、阿含経にある釈尊その人の説明など
読んだこともないのがよくわかる。
桐山さんから植え付けられた無意識だのエネルギー的法則などと抽象的な
言葉に酔って、もてあそんでいるにすぎない。
仏教を知らないと批判されたら、「受け取り方」などと偉そうに言っていないので、
阿含経や中立的な解説書を読んでみたらどうでしょう。
あなたは個々人の解釈以前の、知識そのものがないまま書いている。
まず、知識を入れて、それから自分の「受け取り方」を論じても遅くないのではありませんか。

152 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 13:01:21 ID:eLAKMOpQ
>>130 :一修行者:2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>他の人でなく、私(一修行者)が十二因縁を運命上の十二種類の因縁と勘違いしていると思っているのでは、という意味です。

あなたのこういう態度が相手をみくびっていると批判しているのです。
私は>>28でわざわざ前に書いたことを引用して反論した。
私はあなたのその小手先のゴマカシを指摘しているのです。
あなたは仏教の因縁とアゴン宗の悪因縁を別であるかのように書いたかと思うと、

>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>>7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。

と書いている。
なんですか、この「釈迦が因縁解脱」とは?
両者は違うと言ってみたかと思うと、それでもしつこく「釈迦が因縁解脱」を書き続ける。
あなたがどういう意味や意図で書いているかはわかる。
その上でゴマカシだと批判しているのです。

153 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 13:08:31 ID:MNGzdRqz
桐山は「インチキだ」

どころでなく

阿含経そのものがインチキだということに気づけよ!


154 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 13:10:18 ID:eLAKMOpQ
>>130 :一修行者:2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>まあ、こんなに書き込みしてもまだ
>「一修行者さんなどが典型で、たいていの信者は釈尊は因縁解脱を説いたと信じている。」
>などと書く人がいるわけですから掲示板での議論にも一長一短ありますね。
>471 :一修行者:2008/09/20(土) 17:22:18 ID:s7TcZXhZ
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
>>7 :一修行者:2008/09/27(土) 15:35:12 ID:T66wV2K0
>あと十二因縁解脱ですが、そういう法則から釈迦は解脱したんだからいいのではないですか。

まるで、釈尊が因縁解脱を説いていないと書いたかのような書き方ですね。
471と7で「釈迦が因縁解脱」とあなたは主張している。
そういうと、あなたは「ここでの因縁とはアゴン宗の悪因縁ではない」というのでしょう。
最初からあなたが何を言っているのかなんて知っていますよ。
アゴン宗の因縁解脱を運命解脱という言葉を用い、一方で、
十二因縁のほうを指して因縁解脱と表記しているのでしょう?
それが言葉のゴマカシだと批判しているのです。
なんで釈尊の解脱を因縁解脱なんて言葉をわざわざ用いるのだ?
これによって「釈迦が因縁解脱」だと書くことができるからですよね。
追求されると「私のいう因縁は十二因縁のことなのだよ」と逃げる。
だから、あなたは頑迷に運命解脱という言葉を使う。
何をどう批判されようがこれを譲るわけにはいかない。
これをアゴン宗流に因縁解脱と表記すれば、「釈迦が因縁解脱」が使えなくなり、
ゴマカシが効かなくなるからです。
どうしてそんなにズルイのだ?
そういう小手先の言葉のゴマカシ、マヤカシをすることに
仏教を信じる者として恥ずかしくないのか。

155 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 13:15:28 ID:eLAKMOpQ
>>130 :一修行者:2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>と書いたので、「そんなことは深く追求せず、こう考えてもよいのでは」
>という意味合いで書いたので、なにを言いたいとかは、ないのです。

いいえ、十分にあなたは主張しています。
運命解脱、十二因縁解脱、「釈迦が因縁解脱」などと
誰も書いていない概念を次々と出しては、何かを主張している。
紛らわしい言葉を使いながら、しかもろくに説明もしない。
アゴン宗の教義とも違うし、仏教の教義とも違う。
これだけ独自の言葉を使い、独自の主張しながら、
「なにを言いたいとかは、ない」などと言うのは、
血の付いた刀を持ちながら、「おれは人を傷つけるなんてことはない」と
言っているようなものです。

>>134 :一修行者:2008/10/01(水) 02:30:12 ID:C7wL8Miq
>孫 青柿さんの皮肉めいた問いかけに真面目に書いてしまいますが、ここから下は孫 青柿さん以外は読んじゃだめですよ。

と同じで、反論されるのが怖いから、布石をしたつもりですよね。
こういうわざとらしいことをよく書きますね。
とても卑怯ですよ。
私とあなたでは羞恥心の位置がかなり違うらしい。

156 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 13:21:41 ID:eLAKMOpQ
>>134 :一修行者:2008/10/01(水) 02:30:12 ID:C7wL8Miq
>実は私は、阿含宗は運命解脱を前面に出しながら、いわゆる阿含宗での修行は煩悩解脱が結果優先されていると思ってるんです。

煩悩解脱が優先??
優先も何も、アゴン宗のどこに煩悩解脱があるのだ?
今、機関紙で桐山さんは煩悩の解説をしている。
だが、自ら名誉欲の固まりであり、食欲すら押さえられない人が
どのツラ下げて煩悩の講義ができるのだ。
アゴン宗の煩悩修行の理想は法務部のF田さんのような人です。
教団にいっさい逆らわず、桐山さんに疑問を持つこともなく、
上から言われたらなんでもハイハイと従順に従うことを心の因縁がキレタというのです。
護摩木祈願、因縁切り、超能力獲得など欲望をぶら下げて信者を煽る教団のなかで、
どう煩悩解脱が優先されるはずがあるのだ?
泥棒している集団で、法律が優先されつつあると言っているようなものです。
アゴン宗と自分の信仰をなんとか擁護しようとするのは自由だが、
釈尊たちの煩悩を切る修行とはどのようなものか、煩悩解脱とはどのような
ものか、読んだこともなく、何も知らないからあなたはこんな脳天気なことを書いていられる。
あの煩悩だらけのアゴン宗で煩悩解脱が優先されているなんて、
煩悩を断ち切った釈尊やアラハンたちに対する侮辱です。

157 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 13:28:05 ID:eLAKMOpQ
>>134 :一修行者:2008/10/01(水) 02:30:12 ID:C7wL8Miq
>実は私は、阿含宗は運命解脱を前面に出しながら、いわゆる阿含宗での修行は煩悩解脱が結果優先されていると思ってるんです。

釈尊の説く煩悩を切ろうとしたら、アゴン宗には絶対いられない。
これは試験紙を使ったようにはっきり色分けできる。
あなたがそこにいられるのは、釈尊の説いた煩悩や煩悩解脱を理解していないからです。
それを理解したら、嫌悪感が先立ち、批判など読まなくてもいられなくなる。
なぜなら、アゴン宗では煩悩を煽ることを修行と称しているからです。
積徳行と称して、人と金を貢ぐことを最高の修行としている。
梵行とは性欲など欲望を慎む修行のことであって、貢ぐことではありません。
釈尊は人と金を貢げば見返りに煩悩が切れるなんて説いていない。
仏に貢いで、見返りに煩悩を切ってもらおうというその根性がすでに煩悩なのです。
そして、見渡せば、アゴン宗のいたる所、桐山ゲイカはもちろんのこと、
本尊すらも全部見返り信仰、取引信仰だらけです。
桐山さんはボン行と称する見返り信仰を説き、骨如来はそれに応えて
功徳という御利益を授けるという。
ただの欲望達成を仏道修行だと言っている。
釈尊はそれを煩悩という汚れだと言っているのです。
釈尊の指摘を理解したら、自分が汚物を求め、汚物を有り難く拝んでいたのだと気が付く。
自分がアゴン宗に入る前よりももっと汚物にまみれている姿にぞっとするはずです。
批判などなくても、釈尊のいう煩悩と煩悩解脱を理解したら、
汚物だらけのアゴン宗など一瞬たりともいられるはずがない。
逆に、一修行者さんは煩悩も煩悩解脱も言葉と知っているだけで、
本当のところは理解していないのです。
だが、あなたは煩悩解脱がアゴン宗にもあると言いたい。
なぜなら、アゴン宗を擁護し、自分の信仰を正当化するために、
仏教から外れていないのだと擁護したいからです。
だが、見え透いた擁護は自分の煩悩を増やすだけだと気が付くことです。

158 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 15:35:57 ID:JpWU/gYS
ロックホラー財団の陰謀

金融安定
一発大逆転の法

70年前に学ぶ
ニューヨーク市場株暴落
世界同時株安
投資家の金融引き出し
市民への波及
預金封鎖
銀行連鎖倒産
第2次世界大戦
終戦
戦後復興バブル

いかにしてまた世界大戦を起こして
自分とこの被害を最小限で
戦争を終結させ
戦争で国の借金ちゃらにして
戦後復興バブルで
また潤おうという
超悪魔の頓欲に満ちた
作戦。

これの因縁を切れよ

159 :○○屋:2008/10/01(水) 16:09:19 ID:F8MvLAvj
バカだな〜


因縁は切れないって議論、読まなかったのか?

160 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 16:27:01 ID:dj4c7YQS
縁起から作りだされる因縁の原因は
人の意想だろが
全て因縁は呪術によって因縁切りされると汚染されとる
の誰だ。

161 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 16:57:43 ID:s3xDtezs
間脳開発しかない。
阿含宗が今年のノーベル賞取れなければ、日本は、来年中国に併合される?

162 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 17:24:51 ID:/0lkZC1m
因縁は切れて、病気が奇跡的に回復しています。
解説供養は不思議な効果がありました。
どんな屁理屈も不思議な体験には消え去ります。


163 :高城浄海:2008/10/01(水) 17:35:20 ID:jL1gYZwb
>>162
桐山氏でさえ因縁が切れなくて恥をさらしているのに、あなたは因縁が切れたのですか?

164 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/01(水) 18:21:27 ID:IK3FX3ew
>>141
そうだったんすか?
このスレ、サイボーグ002を立ててくれた「初めてのスレ立て」さんって
○○屋さんだったんですか?

>>161
おまえ、じっこーだろ?

165 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 18:36:19 ID:s3xDtezs
ユビキタスさんは、私を知っていますよ。
顔をみれば思い出すでしょう。(w

166 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 20:24:39 ID:/0lkZC1m
白血病がなおりました。
先生がたからは、良かったとだけいわれましたが、婦長さんからは、こんなに好転したのは奇跡で、病院じゅう話題になってると教えてくれました。
それで、看護婦さんが阿含宗に入りました。

167 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/01(水) 21:34:08 ID:IK3FX3ew
>>130:一修行者 :2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>エーテル波動は初めて聞いたような気がします。ありがとうございます。

「幸福への原理」を読めばわかりますよ。
精神の進化論を説いている。

>ここは受け取り方が私と違うところですね。

ではあなたはどう「受け取る」のですか?
もっとも受け取る以前に、元となる阿含経を読んでなく、何を受け取っているのか
わからないだろうが。
あと、勤行やボン行奉仕の貢ぎの功徳により、無意識のムシも和らぐと書いたが
理念だけはチャクラをも駆使した特殊技術で無意識層を開拓するグモンジ法だの
大随求法(死後)だの空想小説を示すのですが、こんなものが絵に描いた餅である
ことはわかるでしょう。
いや?これも私と受け取り方が違うのでしょうね。
大日さんにチャクラ開発の必要性を説いているくらいですからね。
人にばかり語らせてないで自分の本音を書いてみてはどうですか?
干柿さんに対してと同じように煽ってみましょうか?
「いやあ〜、俺も若くてさ、アグネス・ラムのグラビアで抜いたものさ。
いい年になった最近では堀北真紀で抜いとる」と吐いちまえよw

注:筆者のユビキタスのことじゃねーぞ。

168 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/01(水) 21:43:52 ID:IK3FX3ew
>>130:一修行者 :2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>ここはユビキタスさんが勘違いしてますね。
>他の人でなく、私(一修行者)が十二因縁を運命上の十二種類の因縁と勘違いしていると思っているのでは、という意味です。
>だから相手をみくびることにはならないわけです。

それ以前に私があなたを見くびってなかったのです。
あなたが十二因縁を出してきたからには、当然これを十二種類の因縁なんて無知な
考えは持っておらず、本来の意味を知っているからこそ書いたのだと思っていた。
また桐山本(般若心経瞑想法)にも十二縁起の解説は書いてあるのだから
当たり前の信者と元信者ならば共通認識事項でしょうとしていた。
だから私はあなたを当たり前の信者と認識して見くびってなどいないのだから、
その信頼関係を見くびってはならないと書いたわけです。

169 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/01(水) 22:24:26 ID:IK3FX3ew
>>130:一修行者 :2008/10/01(水) 01:48:09 ID:C7wL8Miq
>そもそも十二因縁に関しては、神も仏も名無しさんが
>「あなたが信仰している阿含宗では、釈尊が因縁解脱して、
>運命を完全に変えたと説いているのだ。」
>と書いたので、「そんなことは深く追求せず、こう考えてもよいのでは」
>という意味合いで書いたので、なにを言いたいとかは、ないのです。

ますます意味不明なんですが、要するに少し前に大日さんが「仏陀の法」の何頁
を読めと促したがごとく、その場しのぎの内容のない話だったわけですね。
そしてあなたは十二因縁の法則を超越することなんだと書いた後は、
超越の辞書的意味をあれこれ言うのはなしよなどと釘を刺す。
あなたは大日さんとも共通なんだが、一見礼儀を踏まえた慇懃丁寧な態度を示す割には
相手に反レスを許さないがごとき横暴さが潜在的にありますね。
しかしそんな話は通用しないのですよ。
やはり思いつきとは言え、十二因縁解脱なんて言葉を出してしまったからには
それを超越と呼ぼうが、細かな分析器にかけてそれが妥当であるか検証せねば
ならないのです。
そうでないと「言葉のあや」ごときで、そんなものかなあと読者が安易な納得
をしてしまうからです。
それは一種のゴマカシで桐山さんもよく使う手法です。
問答無用なんて世界はない。

170 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 23:32:22 ID:/0lkZC1m
心が汚れているから神仏に嫌われただけです。
批判してるのは汚れているからです。

171 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 00:12:46 ID:ret/LMqk
>>134:一修行者 :2008/10/01(水) 02:30:12 ID:C7wL8Miq
>だから阿含宗では両方無理なのかと思いました。
>退会された人は無理と決定し退会されたと思うのですが、煩悩解脱と運命解脱に共通部分とそうでない部分があると考えて、

あなたも勝手に退会した元信者の退会理由を「目的がかなわなかったから」と
決めつけているようですね。
運命転換なんてできない、無理だと幻滅を感じて離れたとか。
そうではないのですよ。
運命転換を求めることなどに価値を認めないどころか、かえってそれが煩悩になり
自己を成長させないと悟ったから捨てたのです。
煩悩解脱なんて正直言って求めていなかった。
因縁解脱の運命転換、人格転換を求めていた。
人格転換には煩悩の除去もあろうが、あなたも大好きな無意識層のコントロール
より生まれる変身パーソナリティを夢見ていたわけです。
しかし批判スレで桐山さんの悉くのインチキを知ったわけだが、「なーんだ?
僕の求めていたものがないじゃない?つまんない、やーめた」というわけではない。
批判を読み、悩み苦しんだ。自分の感情との葛藤があった。
この時に自分の求めていたもの(運命転換の因縁解脱)が、いかにあさましい
ものか悟ったのです。
運命とその回避転換などに囚われるちっぽけな自分を観察した。
無理とか無理でないなんて話ではない。
俺は因縁解脱なんてものなしに人生に勝負をし、エンジョイしてやる。
アゴンの因縁解脱志向さんたちよ、俺は君たちと違って、無腰、非武装で勝負するぜ
と決別したわけです。
この決別は酸っぱい葡萄の言い訳とは全然違う。
因縁解脱志向そのものが煩悩だとわかった。
こういう時に読むスッタニパータのような岩波本は心に清水が渡る思いでしたよ。

172 :高城浄海:2008/10/02(木) 00:33:40 ID:XVadcyDd
>>166
病気が快復したことは喜ばしいことです。…しかし阿含宗の教学では、病気が治ったことが必ずしも因縁が切れたことにはなりません。
また病気が奇跡的に快復することは、阿含宗に限らず、現世利益を認める宗教ではしばしば起きることです。そしてその背後には、信仰と実践に励んだのに、より不幸な状態に陥った多くの人がいることを忘れてはなりません。

173 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 00:34:36 ID:ret/LMqk
どうでもよいことなんだが、堀北真紀ではなく、堀北真希であったか。。。

174 :成仏法も名無しさん:2008/10/02(木) 02:13:28 ID:S8OwS/cP
>>166
メカニズムの解明までいかなくても、本当に阿含宗で白血病が治ることが
確かなら、管長はノーベル賞をもらえます。白血病の治療法が変わります。
たまたま、こういう奇跡があると阿含宗のおかげだと信じる気持ちもわかりますが、
とにかく治ってよかったですね。


175 :一修行者:2008/10/02(木) 02:48:39 ID:V+9J2Rl2
>>137
ユビキタスさん。

>公共の掲示板に書き込むからには、具体的に示す
>義務があるのですよ。
そうは思いませんね。私は他の一部の人と違って断定した書き方はしていません。
謙虚な気持ちで、思うとか、考えるという表現をしている。
思う、考えるの書き込みにどうして義務があるのですか。
それに示したところで、無駄でしょう。他の人ほどひどくないが、ユビキタスさんも、先ず否定することから考える。
私が否定する立場なら私の考えを否定することも出来てしまいますからね。
だから説得力がないことは認めますよ。

あとここは重要なので確認したいが、>171でのユビキタスさんや別の人が、私が思うという表現を使っているにもかかわらず、
「勝手に決めつけてるようですね。」などとあたかも私が断定しているかのように言われてますね。
私の基本姿勢はあくまで、「私はそう思う」なので断定などではない。
断定して書く人などいわゆる批判側の人に何人かいるではないですか。
だから、私が書いた内容で勘違いであれば、「そうではなく、こうですよ。」と書かれれば、
「ああ、そうでしたか。」ですむではないですか。
(>171への返信は最後にします。)

176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
つづき。
あと、他人に対して「最低限の仏教知識を以って」などと書かれている人もいましたが、
そういう人は当然、「自分には 最低限の仏教知識がある」と言っているわけですよね。
ならば当然、阿含経の修行もされていると解釈できる。
修行されて四沙門果のどこまで成就されているのかと聞きたいですね。
成就されていると断言していただければ、私も真剣に聞きますよ。
成就されてないなら、私には、「それは、あなたの解釈ですね。」と当然なります。
いわゆる批判側の人は、阿含経は、だれにでもわかりやすく書いてあるといわれてますが、私はそうは思わない。
表面的解釈とその奥にある別の2つの解釈ができるのもと考えます。


177 :一修行者:2008/10/02(木) 02:58:21 ID:EyM40emT
つづき。
思うにいわゆる批判側の人と接点が見出せないのは、(特にこれが目的ではないのですが、)
私が最初に大日如来さんに書いた、「運命解脱を目指しても煩悩解脱の修行をするわけですから、
阿含宗(という名で)でよいのではないでしょうか。」という内容を否定されるからではないかと思うです。
これを「まあ、そいう考えもありか、」と思ってくれる人がいると思ってました。
もちろん、阿含宗と名のる教義の話で、阿含宗にその法があるかないかは別問題でいいのです。
名のることすら否定された。
いわゆる批判側の人がこれを否定するときは、コンピュータの処理のようです。
阿含経のデータを入力し、その後に阿含宗のデータを入力し、比較させる。当然、解答は「別物」ですよ。
ただ、私はそう思わない。
ユビキタスさんの言われるとおり、煩悩解脱と運命転換とは相反するものがある。
おそらく管長はそんなことは、十分承知でしながら、ある意味矛盾と知りつつ、阿含宗の教義に2つとも入れてしまった。
何故か。
私が思うにそれはターゲットを全人類にしたからです。
煩悩解脱だけなら、一部の人にしか浸透しない、と思われたのでしょう。
だから、神も仏も名無しさんがいやがる表現だが、自分を一つの輪廻する生命体としてとれる人は煩悩解脱をすればよい。
自分を一人の人間としてとる人は運命解脱をすればよい。
両方共通する部分もあるわけだから。
あとは各修行者がどう受け取るかの問題です。
もちろん何度も書きますが、その法が阿含宗にあるかは別問題ですよ。
批判される人は、この運命解脱を指摘し、
さらに戒律違反で仏教ではないと言われるのですから、まさにコンピュータ的解釈ですよ。
そもそも最初から相反するものが両方あるんですから。
この説明はあの難解な羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦提薩婆訶さん書き込みにもありますね。
そして、現在は、この運命転換で煽っているとはまさにユビキタスさんの指摘どおりだと思います。
だから、ここをとりあえず、「そういう考えもありか」と認めていただかないと、
私が書き込んでも得るものはなく、大日如来さんや○○屋さんはとりあえず別の方向へ行かれる雰囲気なので、
私の積極的参加は控えようと思ってるしだいです。


178 :一修行者:2008/10/02(木) 03:02:35 ID:EyM40emT
>>167
>ではあなたはどう「受け取る」のですか?
逃げたという表現が気にいらない、真実なら逃げたにはならないから。
>こんなものが絵に描いた餅であることはわかるでしょう。
誇大表現と私は思いますが、仏教を離れてチャクラやクンダリニーの覚醒した人の話を聞くとかなり運命転換に影響があると思うのです。
体が変わってしまうから、当然密接に関連した思考も変わってくると。
>>168
了解。失礼しました。
>>169
>やはり思いつきとは言え、十二因縁解脱なんて言葉を出してしまったか
>らにはそれを超越と呼ぼうが、細かな分析器にかけてそれが妥当である
>か検証せねばならないのです。
それは、掲示板といものの常識で言われてるのか、ユビキタスさんの基本姿勢として言われてるのかわかりませんが、
どちらにしても以後は気をつけましょう。

>>171
ユビキタスさん。
そこまで書ける性格と生き様は尊敬に値する。(めずらしく断定表現)
ただ私はある意味逆だ。煩悩なんて解脱せずに輪廻したっていい、
それより一人の人間として幸福になったほうがよいではないか。
そのために運命という障害があるなら、たとえ切れるかどうかわからなくてもチャレンジすべきだと。
運命が転換できなければ、世の中あまりに無情すぎるではないですか。
運命自体が業なので、変えることは不可能と書かれた人もいましたが、
私はそう思わない。業はもっと根本的なもので、運命自体は、「行い」の結果が、
無意識の選択能力として決定されるものと今でも考えてます。
だから、修正可能だと。







179 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 05:29:33 ID:oi8Xtkte
自分の方の検証の方を先に、となって私見を書くのを後回しになったので書いておきます。

私は「十二因縁〜」の方は重きを置いていません。なのでそちらはほぼ「私的断見」が強いので
論じない方向で行こうと思っていて、なのでいままで発言をしなかったのですし、今後も行うつもりは
ありません。

あと、一修行者さんの申される煩悩・運命解脱に関しては自分も感じるものはあります。
これについて論じるつもりでありましたが、今は一時停止をしています。なぜなら、我々信者側から
したら、どうしても一修行者さんの申していることのところに焦点がいきます。しかし、批判派サイド
になれば「それは桐山の考えだ」となってしまう。そして、そのことを突き詰めてゆけば阿含宗は
阿含経に書かれていないことを行っているし、また釈尊もそういうことを示唆・指導していない、となる。
また阿含宗で言われている「因縁」とか霊障さえも疑わしいし、管長自体がデタラメだということで
申しているのだから、我々から見たら「コンピュータ解釈だ」というのは頷けます。私もそういう表現は
使わなかったけど、本当にお経解釈主なので「学者肌」と言った。でも過去ログを見たら批判派の中心的
な方は一貫して検証的な理論を述べられている。それを見た時「違うな」と感じましたね。

私としては一修行者さんの申す「煩悩・運命解脱」に関しては自分での考察はしていました。
しかし、それは今回気づいたのですが、あくまで「阿含宗教学の範疇」で考えていたもので、批判派側からの
見地が入っていないものでしたので、改めて今行う段階に入ったわけです。つまり、阿含宗サイドの人間としての
考察論はすぐいえますし、私個人の意見もすぐいえます。しかし、それを出しても現在見られるように水掛け論に
なって終わりです。なので私は再考察へ入った状態ですね。

180 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 05:47:55 ID:zR18X6C1
つまり、私は初めは一修行者さんのように「自分の意見」を述べようと思っていた。
しかし、ここ2chで展開しようと思ってたら色々学ばせていただいた。そこで得たものを含めて
考えて行ったら、今のまで自分の「考察」では「不十分」であったのに気がついた。しかも自分の
意見をいくら述べても私たちのような考えの人には通用するが、そうでない人へは全くの「無意味」
であり、反論などいくらでも出せる。もうどこまでも平行線なので「コミュ」も作ったがそれに誘導
しても甲斐もないな、ということで誘導もやめた。こうなれば検証の方が先だな、と思って今は
そっちの方へ力を入れています。我々の理論が正しいか、それとも批判派の理論が正しいかというのも
自分の中にあったりしますので、行っているのも理由のひとつです。

我々から見たら本当に批判派の意見というのは「どうしてこうもわからずやが多いのか」となって、
ため息が出ますが、逆の批判派からすれば「お前らどうして目を覚まさないんだ」という洗脳の解けない
輩ども、となる。中間的な意見を申せば「本人の好きにさせればいいでしょう」となるけどそれでは
何の解決にも進展にもならない。争いや対立は起きませんけどね。

ここまで来て批判派の方の意見はかなり勉強になったし、まだ自分も全てを把握したわけではありません。
なので、今後も学ばせていただくとともに、自分たちの考えも「どこまで正しいか」というのを検証しな
ければ、「ただの妄信」になってしまう。これへの警告ではないか、と私は今回捉えています。

コミュに入って自分と同じ意見の人間と会話することは、それは楽しい。しかし、それだけでは己の向上
はできないな、と感じた。結構な痛みを感じながらもここで意見を交わすことは重要だと思うし、余りにも
会話にならないのなら、コミュも必要かなとは思います。とにかく今は皆さんいい意見を交わしてください
ますので、ここでやってゆこうという考えですね。

荒れたり意見交換にならないのなら、ここは続けませんw

181 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:04:01 ID:K8SShG+u
そして本音を書かせていただくと、私は批判派の言われる「煩悩解脱」はあまり理解できません。
それでは、本当にキリスト教や他の宗教のように「無力感」を感じます。たいした差がない、と感じる。
あの釈尊が「その程度」の教えや法を説かなかったのか、とさえ強く思う。

でも、これは「私見」なのです。また「桐山節」なのです。
つまり、我々は管長の言うべき「理論・理屈」に共感するからこそ、在籍できるし信者でいれる、のです。

ですが、このことに対し「じゃあ、釈尊がそういう風に言ったのか」となれば、その痕跡が無い。
証明しようが無いのです。ここを批判派は突いてくるのです。

それに対し私たちは、「管長は凄いし、また間違ったことは言ってない」と思っているわけです。
ですが、それを検証してゆくとどうも矛盾が多いし、出てくる。

一時期「煩悩解脱や運命解脱の方法は我らと批判派では違うのだよ」と思っていたのだが、それも
よく考察すると、かなり我々との間と批判派の間では”開き”が出てくる。そうなるとどこで正誤を検証
するか、ということになれば、批判派の意見や阿含経を引用し、検証を計らねばならなくなってくる。
まだ、自分はその入り口に入った段階ですけどね・・・。

ここで重要なのが我らが学んできた「阿含教学」というもの検証です。再検証といってもいい。
これは”本当に釈尊直伝の法や教えであるか”ということです。そこも重要視しなければいけない。
そこのところに批判派の方々は「間違っているぞ」といわれているのがあるわけです。

182 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:29:00 ID:RwkVkeyM
そして、考察を深めると阿含教学というのはどうも「きな臭くなってくる」のですよ。あれほど”信じた”教学が。
もちろん教学だけではなく、管長の著書とか現在までにおける「発言」の全ても関わってくる。
それを検証すると「かなり矛盾が出てくる」

批判派の意見を借りますと、「釈尊は煩悩解脱は説いたが、運命解脱は説いていない」と申される。
ここをみると我々には『かなりな矛盾』となってくる。”このコンピュータ脳が!”と言いたくもなってくる。
しかし、「果たしてそうなのか?」と私も思った。違和感を感じながらも批判派の意見を見つめた。
すると、私たちが正しいか、それとも批判派が正しいのか?となってくる。
(よく、正しい・正しくないの論議ではない、という方がいますが、私はそうは見ません)

我々は管長の申す理論や教学は「正しい」と思い、学んできたわけです。また、それに共感した。
だが、それが「否定される」のは確かに面白くないし、容認すれば管長の嘘を認めたことになる。
ゆえに「自分たちの行動を否定」することにもなるのです。

こう説明しながらも私も、一修行者さんの申される考えには同意の部分があります。
しかし、批判派の色々な意見を拝読しているうちに、「これは再検証だな」と思いましたね。

私も阿含宗の教えにあることは望んでいます。正しいならば絶対阿含宗の教えの通りになるべきだ、とも
思っているほど。それに対し「煩悩を増長するだけだ」と言いますが、私はどこかの人のような「ご利益」
を願ってはいない。早く涅槃に入りたい、その気持ちが強いですよ。

私はご利益で護摩木も買わないし、祈願もしない。因縁を切り解脱して涅槃へ入ることが目的だ。
でも、因縁云々はここでは「間違い」でしたものね、嗚呼。

煩悩解脱を果たし涅槃へ入る、で正解なのですよね? そう。それを行うために阿含宗へいるのですが
それさえも「間違っている」といわれる。いや、私の固執した考えと阿含宗&管長自体が悪いのかw
極端な言い方をすれば、煩悩解脱を果たして涅槃へ入れるのなら阿含宗にいてもかまわないじゃないか、
というのが「私見」ですね。ただ、叶うかどうかは別ですが・・・。

183 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:45:09 ID:39sODYCv
極端な言い方をすれば、批判派の方々の言われるとおり、
「阿含宗に在籍しないでも、煩悩解脱を果たせるぞ」というのと我々の考えるように
「阿含宗にいて修行すべきだ。そのほうが解脱を果たせるぞ」と言う違いでしょう。
それこそ、批判派の言われることが正しいのなら、すぐに今日でも阿含宗など辞めますよ。
金だってかかるんだしw

でも、金かかっても「解脱」ができるんだからやるんであって、そうでなかったらやってられませんよ。
そこの検証をするために、この板及び過去スレがあるわけでしょう?
首を突っ込んで痛い目にもあったが、私は良かったと思っていますよ。
(私の首の突っ込み方にも問題があったが・・・)

また私の中には「煩悩解脱」と言うのはあまり無い。むしろ「因縁解脱」と言う観点がある。
でも、それはこちらで学ばせていただいたので、大分その観念は解けてきました。
因縁解脱と言うよりも、輪廻の輪を抜け出す方法が欲しいわけですよ。名称などどうでもいい。
目標はあくまでも「涅槃」ですから。

そのことに対し、有効な方法があるのならそれに従うだけ。批判派の言われるとおりいろんな書物を読み
その実践で解脱できるのなら、すぐ退会します。無料の方が良いに決まっている。
ただ、検証してから出ないと後で遺恨を残すので、検証しているということです。

いまはただ、フジウスさんの言われた言葉を思い返し、阿含宗がいいものであって欲しい。
また悪いところを直して(排除して)宗教法人として存在してて欲しい、と思う。
それが成せないのなら、壊してしまうほうが世のためだ、と思います。

184 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 07:06:15 ID:4eh1xgJx
そして追記。

私も「涅槃」と最終目標を出したが、そこへ至るなんて簡単には行きません。
その涅槃へ至るまで様々な気の遠くなるような輪廻を繰り返してようやく至るのでしょう。
その過程の間にあるものはやはり、「人間としての幸せ」を得たい、と言うのがある。
一修行者さんが>>178で言われている所の箇所ですよ。私もそう思う。

ただ、若干違うのは「輪廻している最中に於いて」というのが私はある。
そして、私も修正可能であって欲しいと思う。それができないのなら何で阿含宗にいます?
できないのなら意味など無いし、価値もない。

それが批判派からは「できないし、その考え自体が間違っている」と言われるでしょう。
本当はそうなのかもしれませんね。

その「修正できる」と言う部分があるから在籍している。釈尊が「煩悩解脱」しか説かなくて
カルマに対して特に何らかの講じをしてないのなら、仏教もたいしたことは無い。
七科三十七道品もただの飾りにしか見えない。釈尊も仰ぐほどのものじゃない、と思える。
管長だってそう。今までよくも騙したな、となるでしょう。

阿含宗を辞めて無宗教者になりますよ。そのほうがよっぽどいい。

伊達やお陰信仰でやってられますか。

185 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 08:21:30 ID:rsnZrEkY
人間としての幸せを仏教に求めるのは、馬鹿です(w
アメリカは、もうすぐ内戦になる。
そうなれば、日本は中国に併合される。

186 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 08:25:58 ID:zm7gnIiw
高さんありがとう。
解脱供養後に好転していきました!自分も周りもあきらめムードでしたが、従姉妹が阿含宗でして紹介してくれて、申し込みました。本当に不思議ですね!

187 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 08:31:26 ID:ret/LMqk
>>175
具体的に示す義務があるというよりも、具体的に示さないことには何の説得力も
持たず、むしろ書かない方がよいのです。
活佛ナントカという荒らしがいましたね。
こちらの書いた内容を丸ごとコピペして、矢印をつけて「間違っています」とだけ
示す。間違っていると評価するのは自由です。しかしどこがどう間違っているのか
具体的に示し、正しい解答はこれこれであると示さないと、意味がない。
ゆえに彼は荒らしに過ぎないのです。
書いて書きっぱなし、根拠を示さない。
桐山さんと同じで、何かあるかのように示しながら、それを出さない。
桐山さんを批判できた柄ではありませんよ。同じなんですから。
そんなんだったら最初から書かなければよかったのです。
書いてしまってから、問われても答えないよなんてのは責任感の欠如とみなされても
返す言葉はありませんよ。
こちらはあなたが示した具体例を全部否定するかどうかわかりませんよ。
私は和顔施、和語施などを肯定しましたよね。
こういったことを実践すればやはりプラス面は出てくるでしょう。
プラスのものをマイナスに否定したりはしません。
しかし何か一つ、二つプラス面を見つけたからと言って、それで煩悩解脱に
近づいていると判定してよいものかどうか?
今度は別の側面も考えねばならない。
そりゃ人間には誰しも煩悩はあります。
怒りっぽい人とか世間にいくらでもいる。
しかしアゴン宗の信者ならではの、他の一般人では通常持ち得ない煩悩があるのだから
こちらはそれを別の観察で示していくだけです。
それから断定「的」な問いかけと断定を混同しないことですね。
私は「勝手にきめつけているようですね」と書いたが、「ようですね」が推定に
過ぎないのですよ。
相手が断定的に推定してきても、自分はいや、それはこれこれこうで違うと
否定するだけでよい。

188 :高城浄海:2008/10/02(木) 09:19:43 ID:XVadcyDd
>>186
このまま再発せずに完治するといいですね。気を抜かずに、医師の指導にしたがって頑張ってください。

189 :高城浄海:2008/10/02(木) 10:00:14 ID:XVadcyDd
煩悩解脱・漏尽解脱に対して、消極的逃避的なイメージを持っている人がいるようですが。
仏陀は、漏尽解脱こそ涅槃への唯一確実な早道であることを積極的に説きました。三明六通でも、仏教でしか体得できないものとして漏尽通が強調されます。
逆に、『業報の解きほぐしによる運命改造』といった横道にそれると、却って遠回りどころか袋小路に突っ込むぞ、ということではなうでしょうか。

190 :ラシン:2008/10/02(木) 10:18:59 ID:YSl/eS/o
>178
煩悩なんて解脱せずに輪廻したっていい、
それより一人の人間として幸福になったほうがよいではないか。
そのために運命という障害があるなら、たとえ切れるかどうかわからなくても
チャレンジすべきだと。

一修行者さんの提起さていることは多くのアゴン信者さんに共通するものです。
私も元信者だったから、その思いはよく理解できます。
問題はそれを願う各個人ではなく、アゴン宗の宗教教団としての資質です。
さらに言えば、宗教家としての桐山さんの資質です。
大日如来さんが感じているように、阿含経をもとに考察すればアゴン教義には
多くの矛盾が発見されます。
それを裏解釈と考えても、釈尊自身が師に握り拳は無いと断言している。
だが、信者さんたちは桐山さんの超能力に惑わされその握り拳を信じて、
教団に金銭と労力を 布施梵行という美名の元に収奪されているのです。
一修行者さんがアゴン宗でチャレンジしようが、もっと幸福を与えてくれる宗教へ
行こうが、それは個人の自由です。
しかし、そのためのアゴン梵行を行えば、一個人から社会へその収奪が広がる。
一個人の問題ではなく、教団にいる限り否応無く社会への問題となる。
アゴン教義を護持宣布し、導きの行を行うのだから当然ではないですか。

191 :ラシン:2008/10/02(木) 10:19:44 ID:YSl/eS/o
>178
運命が転換できなければ、世の中あまりに無情すぎるではないですか。
運命自体が業なので、変えることは不可能と書かれた人もいましたが、
私はそう思わない。業はもっと根本的なもので、運命自体は、「行い」の結果が、
無意識の選択能力として決定されるものと今でも考えてます。
だから、修正可能だと。

桐山さんは、釈尊がこの世を苦としたことでいかに無情と思えようが、
それを認め励む大切さがあると、著書にありました。
運命論だけなら水掛け論に終わる。
それを仏経で照らせば、上記一修行者さんの指摘はことば足らずで印象論に等しい。
希望的観測や印象的な思いだけで修正が適うはずもないでしょう。

192 :済世活佛:2008/10/02(木) 10:20:06 ID:TUToPCo3
根拠の引用により間違いを指摘しています。

ユビキタスは、いつも間違っています。



193 :済世活佛:2008/10/02(木) 10:46:56 ID:TUToPCo3
釈尊の成道以前から
煩悩への抑制や制御というアプローチは
行われてきています。
釈尊の実践体系を前スレから順番に書いていく途中ですが、
知っておくべきこととして、
仏教は言語伝達のみで成立していないということです。
釈尊の説法は、さらに上位のソリューリョンへとして
「法」の神通による継承を同時に行っています。
タンハー無明へのアプローチは、
各々の状態像による対機説法としてのプロセスを
自らの正しい実践による説法の正しい整理をする感覚が前提にないと
感情的道徳論と低次元の憶測による間違った認識となってしまいます。

194 :済世活佛:2008/10/02(木) 11:05:04 ID:TUToPCo3
因縁解脱のアプローチの対象の括りは、功徳・禅定+「法」→(老死/生)
その根底にある釈尊の示すプロセスは、十二因縁の順・逆の作業となります。
十二因縁解脱にすべて含まれている事象です。 


195 :済世活佛:2008/10/02(木) 11:11:12 ID:TUToPCo3
仏陀・阿羅漢が、動く時、動くべき時は定められています。

境涯と階梯により(老死/生)においての運命解脱はあるのです。

196 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 12:26:00 ID:ret/LMqk
あ〜、すみません。
私が活佛ナントカとか書いてしまった為に刺激されたのか出て来てしまい・・・
スレ発起人である大日如来さんや、スレ趣旨に共鳴する一修行者さん、002の
スレ立て人である〇〇屋さんはいずれもアゴン宗現役信者ですが、彼らがあなたの
荒らしを嫌いますので、信者さんの為にも空気を読んで、速やかに退出して
やって下さい。

197 :樹意:2008/10/02(木) 12:36:20 ID:l6zkOM39

運命というのはこの心身〈五蘊〉がベースにあって議論が成り立つ、
生存の欲求に基づくものは煩悩の扱いというのは、それが条件で心身が
再生され憂い悲しみ苦悩が生じ死に至るからです。〈支縁起〉
心身〈五蘊〉は煩悩によって生じるだけのものですから〈無我非我〉の
教えなのであり、煩悩を生起させないことは即ち老死からの解脱ということです。
アラハン涅槃というのは別名無願の解脱ともいう。
仏教の聖者というのは〈五蘊〉を捨てていく人たちです。
だからトラに食われながらシャモン果を成就した比丘もある。
運命をあれこれ思惟しない事=仏教なのです。



198 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:36:27 ID:geD/bOC8
>>175 :一修行者:2008/10/02(木) 02:48:39 ID:V+9J2Rl2
>そうは思いませんね。私は他の一部の人と違って断定した書き方はしていません。
>謙虚な気持ちで、思うとか、考えるという表現をしている。

抽象的な表現をとらないで、具体的にどれが断定を避けているのか示したらどうですか。
あなたは>>31に引用した運命解脱についての説明をしている。
これのどこが断定を避けているのだ?
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
これは誰がどう見ても「釈迦が因縁解脱した」と断定している。
これのどこが謙虚なのだ?
あなたが謙虚な気持ちなら、私などものすごく謙虚です・・・ほら、読者は笑っている。
あなたが「思います」と書いたのは、批判側が
「十二因縁を運命上の十二種の因縁だと誤解している」という点です。
思います、というから、その思いはあなたの思い違いだと指摘したのです。

199 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:38:54 ID:geD/bOC8
>>176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
>そういう人は当然、「自分には 最低限の仏教知識がある」と言っているわけですよね。
>ならば当然、阿含経の修行もされていると解釈できる。

ほら、あなたは立派に根拠のないことを断定している。
だれが修行していると書いたのですか。
仏教一般の知識があると言っているだけで誰も修行しているなんて書いていない。
私はアゴン宗に帰依したことがあるだけだから、仏教に帰依したことはない。
キリスト教の最低限の知識を持っているつもりだが、
キリスト教なんてまったく信じていないし、もちろん信仰の実践もしていない。
キリスト教の信者でなければ、キリスト教の正しい知識を主張したり、
間違った知識を批判してはいけないのですか。
あなたの理屈はそういうことになってしまうのですよ。
批判を聞きたくない、自分の間違いを認めたくないから、
こんなことを書いているのですよね。
アゴン宗の間違いは、修行なんかしなくても、仏教の入門書が一冊と
中学生程度の知性があれば十分に指摘できる。

200 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:43:00 ID:geD/bOC8
>>176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
>修行されて四沙門果のどこまで成就されているのかと聞きたいですね。
>成就されていると断言していただければ、私も真剣に聞きますよ。

これはそのままあなた自身あてはまることに気が付かないか。
批判側はただ知識を述べているだけで、仏道修行をしているなんて言っていない。
だが、アゴン宗は因縁解脱することで、シュダオンからアラハンになるのだという。
自分がどこまで行っているのかを表明しなけれぱならないのは
批判側ではなく、信者である一修行者さんです。
あなたはどこまで到達したのか。
子孫さんはシュダオンに限りなく近づいたという自覚があるそうですよ。
あなたもそうですか。
もしそうなら、桐山さんからいつ認定してもらったのか、
あるいはそのように自覚する根拠を示してください。
なんの自覚もないなら、他人に請求するのはやめなさい。

201 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:45:35 ID:geD/bOC8
>>176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
>修行されて四沙門果のどこまで成就されているのかと聞きたいですね。
>成就されていると断言していただければ、私も真剣に聞きますよ。

シュダオンになるには身見、疑惑、戒取を捨てなければならない。
私はこれらを全部捨てたなどというつもりはないが、一部は捨てました。
なぜなら、アゴン宗の主張する霊魂や不成仏霊を捨てたから、
その部分の身見は捨てた。
アゴン宗のように、釈尊の解脱を小解脱と罵ることはせず、
煩悩解脱こそが本当の解脱だと知っているから、疑惑の一部は捨てた。
アゴン宗のような、護摩や占いや超能力獲得、運命転換という外道の
オシエはもう信じていませんから、戒取の一部は捨てた。
ごらんのように、一部分の身見、疑惑、戒取は捨てたから、
それを持っているアゴン宗徒のあなたよりもこの三つの煩悩については軽い。

202 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:52:14 ID:zm7gnIiw
もう大丈夫といわれましたよ。
解脱供養で助けていただけました!


203 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:55:40 ID:geD/bOC8
>>176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
>修行されて四沙門果のどこまで成就されているのかと聞きたいですね。
>成就されていると断言していただければ、私も真剣に聞きますよ。

桐山さんがアラハンだと信じているから、あなたは彼の話だけは真剣に聞いているのですね。
それはあなたが仏教の解脱や十結を知識としてすら理解していないから
そんな馬鹿なこと平気で言えるのです。
桐山さんは名誉欲に囚われ、あるが上にもまだ勲章を欲しがっている。
名誉大餓鬼の大作さんがうらやましくて、
金をばらまいて北京大学名誉教授を得て、これ「奇蹟だ」と書いた。
大作さんに遅れること二十年にして、長年の朝貢外交でようやく手に入れた名誉です。
他の名誉を手に入れた時も、桐山さんは顔がうれしくて崩れていた。
名誉欲だけではない。
脳梗塞は生活習慣病であり、その多くは食事に問題がある。
桐山さんは美食が大好きで、都内の有名レストランを食べ歩いていた。
脳梗塞になるのも当然です。
ところが、脳梗塞でさんざん痛い目にあっても、まだ食欲すら押さえられない。

「食いしん坊だから大食いするけれども、食べた食物が
脂肪になったときにその脂肪を燃やしてしまうようにしているのです。」
(ダルマチャクラ、175号、2004年、31頁)

あなたは「食いしん坊のアラハン」がいると本気で信じているのか。
桐山さんは本能という煩悩すら押さえられない。
こんな桐山さんはアラハンどころか、シュダオンであるはずがない。
だが、あなたはこのインチキ仏陀様の話を真剣に聞いているのですね。
他人に過大な要求をする前に、自分のしていることをもう少し鏡に映して見てみたらどうか。

204 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 12:59:10 ID:geD/bOC8
>>176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
>表面的解釈とその奥にある別の2つの解釈ができるのもと考えます。

あなたの知識は表面的解釈以前だと言っているのです。
「釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。」(>471)
これは表面的にすら物事を理解していない。
ここであなたのいう因縁は仏教の因縁=縁起です。
その因縁を解脱するという発想自体が、桐山アゴン宗に汚染されているからです。
因縁解脱、因縁切りという言葉や発想自体が、普通の仏教の知識からはありえない。
それはラシンさんなどが何度も丁寧に説明している。
あなたに配慮して、反論をザに書いているようだから、読んでごらんなさい。
表面的な解釈をまず学び、その上でもっと深い解釈をするならわかる。
あなたは表面的解釈と称して一般的な解釈を侮蔑し、桐山さんのオカルト解釈
だけを学び、それで何事か深い解釈を学んだかのように自惚れている。
一般的な解釈、あなたのいう表面的解釈も知らない人が、
どうやって深い解釈ができるのですか。

205 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:03:47 ID:geD/bOC8
>>177 :一修行者:2008/10/02(木) 02:58:21 ID:EyM40emT
>阿含経のデータを入力し、その後に阿含宗のデータを入力し、比較させる。当然、解答は「別物」ですよ。

まるで批判側を頭の固い融通のきかない愚か者であるかのような言い方をしているが、
あなたの批判は桐山さんにそのままあてはまることに気が付いていないようですね。
阿含経のデータを入力させ、それを元にした「根本仏教」がアゴン宗だと
桐山さんは表明しているのです。
「別物」とあなたは勝手に解釈しているようだが、
桐山さんはアゴン宗が「根本仏教」だと表明している。
あなたがどう解釈するかが問題なのではない。
あなたがどう解釈して信仰しようが自由だと何度も書いている。
しかし、その解釈を公の場に出したら、間違っているだから、批判されて当然です。
批判側が勝手に阿含経とアゴン宗を比較しているのではない。
たとえば、ちょうど干柿さんが書いていたから引用するなら、
桐山さんはガンの因縁が阿含経にあるとは言っていない。
批判側が「阿含経のどこにガンの因縁とあるのか出してみろ」と批判したら、
これは厳密には批判側の行き過ぎです。
なぜなら、桐山さんは釈尊がガンの因縁を説いたとは書いていない。
しかし、「アゴン宗の悪因縁が阿含経のどこにあるのか出してみろ」と
批判したら、これは正しい。
なぜなら、桐山さんは釈尊が悪因縁と因縁解脱を説いたと言っている。
それも大乗経典ではなく、阿含経にあると言っているのです。
別物ではなく、アゴン宗の悪因縁と因縁解脱は阿含経にあると
桐山さんが言っているのだから、両者は一致しなければならない。
だが、阿含経には悪因縁も因縁解脱もありません。
コンピュータなどを出して、いかにも批判側が頭が固いかのように
反論したつもりだろうが、あなたのいう比較をしたのは批判側ではなく桐山さん本人なのだ。

206 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:04:51 ID:geD/bOC8
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁、2007年
釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。

『修行者座右宝鑑』106頁
仏陀は、業からの脱出、業からの超越を説いて、成仏法を教えた。

『超脳思考をめざせ』87頁
仏陀の説かれた「仏道」とは、「苦の因になる因縁を滅する道」のことであることが、
すでにおわりであろう。
苦の元となる因縁を滅する―――これが「因縁解脱」ということである。

207 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:07:00 ID:geD/bOC8
>>177 :一修行者:2008/10/02(木) 02:58:21 ID:EyM40emT
>私が思うにそれはターゲットを全人類にしたからです。
>煩悩解脱だけなら、一部の人にしか浸透しない、と思われたのでしょう。

あなたは、「因縁解脱と煩悩解脱を釈尊が説いていて、
あの時代に合わせて、釈尊は煩悩解脱だけを説いたが、
今の時代に合わせて、桐山ゲイカは因縁解脱をメインに説いた」と言いたいようですね。
思います、はあなたの勝手だが、桐山さんはこんなことは言っていない。
あなたは桐山さんの本すら理解していないのですね。
信者なら勝手な解釈をしないことです。
コンピュータ的解釈などと批判側を小馬鹿にしていないで、
>>206に引用した桐山さんの解説をしっかり読んでごらんなさい。
桐山さんは釈尊は煩悩解脱も説いたが、因縁解脱を捨て置いたなんて書いていません。
釈尊が説いたのは因縁解脱だとしている。
あなたはいかにも桐山さんだけが因縁解脱を選択したかのような解釈をしているが、
桐山さんによれば、釈尊が選択したのも因縁解脱なのです。
だから、桐山さんは煩悩解脱について次のように書いている。

208 :樹意:2008/10/02(木) 13:07:08 ID:l6zkOM39

消滅による「完全な滅尽」などの一切は「涅槃」の同義語である。
なぜなら、涅槃によって渇愛が完全に〈残りなく〉消滅する〈離貪〉
滅尽する〉からである。ーーーーーー略ーーー
すなわち、涅槃はただひとつであるが、一切の有為に対することにより、
その名前は多数となる。
たとえば完全な消滅〈離貪〉 完全な滅尽 捨棄 破棄 解脱 無執着
貪の滅尽 瞋の滅尽 痴の滅尽 愛〈渇愛〉の滅尽 無生起 無転起 無相
によって現観する −−−−−
片山一良氏訳 大念処経注釈より、音写略


209 :樹意:2008/10/02(木) 13:07:48 ID:l6zkOM39
仏陀は五根に嵌っているのであるともいい、この感覚器官から生じる執着を
重視しているようです。
生存の欲求に基づくものも煩悩執着であります。
他の注釈によれば 三界に生じる 諸蘊 は苦であると思惟する 苦聖諦
正思惟も説いているようです。
所詮は執着〈愛 取 〉によって集められたものを〈我〉と認識しているだけの
事です。
確か昔の座右法だったかの最後に白い犬と黒い犬〈?〉だかの喩えがあったかと
記憶していますが、
人間の糞が大好物だとかいう犬が、人間に生まれ変わるとそれが食べられなくなると
心配する風景が描写されていたようです、

それと同じ事で感覚器官から生じる執着から新たな 諸蘊 が構築され、極端な話
ブタの執着を持てば ブタ ゴキブリの執着を持てば ゴキ という流れなのでは
ないかと私などは感想を抱く次第であります。

人間の糞が好きな白い犬でしたかがその執着故に再度白い犬に生まれ変わり、
自己の運命をあれこれ思惟するとするなら 人間の糞が食えるか否か、?
食えたら幸福という流れになるのでありましょう。
--------------------------------------------------------------------
ですから仏陀は感覚器官から生じる執着は生存の欲求も入れて全て 思惟しない
戒律として規制する 占いも規制し これも禁止するという事でありましょう。


210 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:10:02 ID:geD/bOC8
>>177 :一修行者:2008/10/02(木) 02:58:21 ID:EyM40emT
>私が思うにそれはターゲットを全人類にしたからです。
>煩悩解脱だけなら、一部の人にしか浸透しない、と思われたのでしょう。

『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』176頁
「ひとくちに「解脱」と申しますが、「解脱」には「小解脱」と「大解脱」の二種類があります。「小解脱」
とは、いわゆる「煩悩解脱」です。それに対して、「大解脱」とは、「因縁解脱」のことなのです。」

これは阿含経解説の記述ですから、桐山さんが釈尊と違う独自の考えを示したのではなく、
釈尊の解脱とはこのようなものであるという解説として書いている。
桐山さんによれば、釈尊もまた煩悩解脱は小解脱であり、大解脱である因縁解脱を
説いたのだというのです。
あなたは桐山さんが煩悩解脱と因縁解脱から、特に因縁解脱を選択したと書いたが、
桐山さんによれば、それは釈尊もそのように選択したと述べている。
以上のように、あなたの主張というか考えは根拠がないことは桐山さんが証明している。
アゴン宗を擁護したつもりの考えが桐山さん本人に否定された気分はいかがなものか。
それとも、また私への嫌悪という煩悩を増やしただけですか。

211 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:19:11 ID:geD/bOC8
>>177 :一修行者:2008/10/02(木) 02:58:21 ID:EyM40emT
>私が書き込んでも得るものはなく、大日如来さんや○○屋さんはとりあえず別の方向へ行かれる雰囲気なので、
>私の積極的参加は控えようと思ってるしだいです。

あなたは大日さんから何も学ばないのですね。
あなたと違い、大日さんは少しは批判スレを読んでいたから、
理屈理論をほとんど出さない。
それを出したとたん、総反撃を受けるだけでなく、まったく勝負に
ならないことを知っているからです。
彼が出したのは本と体験談だけで、しかも本も自分では解説しなかった。
そして、擁護の体験談を出してはみたものの、体験談というなら、
フジウスさんなどのもっとすさまじい体験談が書いてある。
自分のは正しく、フジウスさんのは嘘だとは言えない。
アゴン宗が阿含経とは違うことを彼は認め始めている。
だが、あなたは違う。
さしたる根拠も知識ないのに、桐山さんの話を鵜呑みにして、
アゴン宗が正統な仏教だと主張、という表現が嫌なら、思っている。
もう少し大日さんの反応を参考にしたらどうか。
批判側にいわれたからと反発して、仏教の一般書すらも読もうとせず、
阿含経を読もうともせず、自分の稚拙な解釈を並べて、
そのたびごとに批判側から、仏教の無知ばかりか、アゴン宗の教義の無知まで
さらされ、あなたはますます怒りや憎しみの煩悩を増やし、しかも自覚がない。

212 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:24:08 ID:geD/bOC8
>>178 :一修行者:2008/10/02(木) 03:02:35 ID:EyM40emT
>ただ私はある意味逆だ。煩悩なんて解脱せずに輪廻したっていい、
>それより一人の人間として幸福になったほうがよいではないか。

だったら、仏教など引用しなさんな。
あなたがこのように信じて運命解脱を唱えるのは個人の信仰だから自由だ。
だが、そんなことを説いていない釈尊を引っ張り出すのはやめなさい。
失礼極まりない。
勝手にオカルトでも超能力ゴッコでも何でもしていればいい。
だが、釈尊が説いてもいない十二因縁解脱だのと仏教の権威を使って、
自分たちのオカルト宗教を正当化するのはやめるべきだ。
あなたもそんな程度の礼儀を知らないはずはあるまい。
これでは「キリストの説いた運命解脱」と言うのとかわりない。
非常に失礼であり、世間に誤解を与える行為です。
あなたは自分が書いてもいないことを書いたと言われたらどんな気持ちになる?
ものすごく不愉快ですよね。
あなたは釈尊にそれをしているのですよ。
釈尊はどんな意味でも因縁解脱なんて説いていないのに、
表面的な解釈ではないと称して、十二因縁解脱などと勝手解釈を加えている。
根本仏教などと名乗らず、桐山オカルト教でやっていればいいではないか。
桐山さんがシャカを看板にするのは宗教詐欺師としての本業だからしかたないが、
それをどうしてあなたまで真似してここで主張するのだ?
桐山オカルト教のオカルト信者であることを自覚して、
釈尊がどうの、阿含経がどうのと書かなければいいのです。

213 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 13:30:05 ID:geD/bOC8
>>181 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:04:01 ID:K8SShG+u
>そして本音を書かせていただくと、私は批判派の言われる「煩悩解脱」はあまり理解できません。
>それでは、本当にキリスト教や他の宗教のように「無力感」を感じます。たいした差がない、と感じる。
>あの釈尊が「その程度」の教えや法を説かなかったのか、とさえ強く思う。

勉強してください。
一つ助言をするなら、あなたは視点が間違っている。
あの釈尊が「その程度」の教法を説いたのか、と書いている点です。
そのとおりで、その程度の道徳論を説いたはずはない。
では、どこが間違っているのか。
あなたの煩悩解脱の解釈が間違っている。
釈尊ではなく、あなたが間違っているのです。
あなたが中身をまだ理解していないからです。
それを理解したら、その程度の教法なんて口が裂けても言えなくなる。
中身については批判側が何度も説明している。
だが、あなたの頭には桐山さんから教えられた「煩悩解脱なんて道徳」という
概念からまだ出ていないのです。
そこから出るには自分で学ぶしかない。
事実、あなたは批判側から説明されても納得できない。
自分で阿含経をよく読み、学び、考えるしかない。
そのヒントは、実際には彼らは何をしていたのかをよく見ることです。
アゴン宗を理解するのに教義と同時に、桐山さんが何をしているのかを見るのと同じです。
釈尊や比丘たちの日常で何をどうしていたのか。
阿含経にはいくらでもそういう描写が出てくる。
ユビキタスさんが紹介した岩波文庫の他にも、
平河出版からは漢訳の長阿含経の和訳が、南伝は『原始仏典』(春秋社)が出ているし、
樹意さんがよく引用する『パーリ仏典』(片山一良、大蔵出版)のシリーズは
今でも増えつつある。
専門書だから安くはないが、アゴン宗に投じた金に比べたら、タダみたいなものです。
桐山さんからではなく、釈尊その人から直接学ぶことです。

214 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 15:38:07 ID:zm7gnIiw
素直が一番!

215 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 16:14:20 ID:c2+Qf9n1
神仏を崇拝する者達よ
聖霊の働きは、あなたの信仰から
奇跡を起こす。
病気を治してほしい
助けてほしいあなたの信仰が慢を満たす欲の
信仰になった時、聖霊の働きは去り
悪霊が働くその原因が自分であり背霊も悪霊も
自分であると知った者は幸いである
聖霊に悪霊も外にあると偶像の
崇拝に囚われ目に見えぬ存在や
神仏像に物品金品を供養した満悦は慢悦である
天に地の宝を与えることはできない
架空の神仏に物品金品を使用することはできない。
ただしそれを利用した人間達はその蜜をすすることができる
最もさげすまされた人達に救いの手を
差し伸べてあげる。それが福音である。
それが本当の供養である
神も仏も人の内だからである。
偶像と真像の違いにきずけ。


216 :ラシン:2008/10/02(木) 17:42:29 ID:YSl/eS/o
>>181 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:04:01 ID:K8SShG+u
>私は批判派の言われる「煩悩解脱」はあまり理解できません。
>それでは、本当にキリスト教や他の宗教のように「無力感」を感じます。
たいした差がない、と感じる。
>あの釈尊が「その程度」の教えや法を説かなかったのか、とさえ強く思う。

大日如来さんのこの思いは、私も元信者時代、同様に強く考えたことです。
桐山さんは著書で、中村元博士訳阿含経を指して釈尊の教えから神秘性を
排除したらそれは単なる教えに過ぎず、あの偉大なる釈尊がそれだけを説いた
とはどうしても考えられないとして、釈尊の隠された神秘性を主張しています。
これはとどのつまり、釈尊の威徳、神秘力という威力を神輿に乗せてみせて、
遠まわしに他力本願を示唆したものです。
これを桐山さんは、密教グモンジ脳でオシャカのジョウブツ力を体得したと喧伝し、
信者、弟子に桐山さんを頼らなければならぬように仕向けています。
七氏さんが再三説明していますように、煩悩止滅の内容は当時の農民や商人、
バラモン、それぞれが理解できる表現と比喩を以って、釈尊は説いています。
信者さんたちは、サナギが蝶に変身するがごとく、そこへ到達するには飛翔という
超常能力が必要だと刷り込まれ、グモンジ脳や特別の能力を持った者だけが、
その深層を理解できるのだと、桐山さんの作為的な陥穽に嵌っています。
釈尊の説いた煩悩滅尽の内容は、今も昔もある程度の知性で理解できますが、
それを実行するとなると、これは大変な難行と言わざるを得ません。
エベレストを登山するためにはどのような下準備が必要で、どのような道具が必要か、
そのマニュアルを理解することはさほど難しくないが、実行するのは容易ではなく、
ましてや登頂に成功するとなると、至難のワザであることは理解できることでしょう。
「欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は解脱しがたい。
 他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも
 顧慮しながら、これらの目の前の欲望または過去の欲望を貧る。」
(スッタニパータ、『ブッダのことば』中村元)
大日如来さんもどうか、七氏さんのアドバイスに従って阿含経をひも解いてみてください。

217 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 21:09:24 ID:a1ljQXFa
>>176 :一修行者:2008/10/02(木) 02:50:42 ID:V+9J2Rl2
>あと、他人に対して「最低限の仏教知識を以って」などと書かれている人もいましたが、
>そういう人は当然、「自分には 最低限の仏教知識がある」と言っているわけですよね。
>ならば当然、阿含経の修行もされていると解釈できる。
>修行されて四沙門果のどこまで成就されているのかと聞きたいですね。

当然、本で読んだ頭の知識だけですよ。
しかし素人でも、生活に体現までできなくても、理解だけはできる。
英語の教科書を開いて、英語検定の2級も受からないような未熟者でも
この教科書は数学の教科書ではないことくらいわかるのです。
アゴン宗の批判なんて、その程度の区別が理解できれば、批判可能です。
もちろん物事にはなんでも高低深浅の差はありますうよね。
しかし実践して奥義を極めると、最初本で読んで理解したこととまるで
正反対になってしまうのですか?
それだけ桐山アゴンと阿含経は異なるのですよ。あなたの解釈ともね。
おっと、解釈でなく想像だろね。
解釈というのは、一応読んだことのある人ができる芸当だからね。

>いわゆる批判側の人は、阿含経は、だれにでもわかりやすく書いてあるといわれてますが、私はそうは思わない。
>表面的解釈とその奥にある別の2つの解釈ができるのもと考えます。

釈尊は臨終にあたり、「私は全てを説き尽くした。教師に握り拳はない」
と断言されたし、「わからないことがあったらなんでも質問なさい」と促した。
この言葉を裏切り、二重の意味があり、それは全然違うなんて、釈尊は二枚舌
なんですか?
私はそうは思わないとまで言える背景に、あなたはどれだけの阿含経を読んだ上で
二重の意味のあることを発見したのですか?
一つだって示すことができないでしょう?
それ以前に阿含経を読んでないでしょう?



218 :○○屋:2008/10/02(木) 21:10:25 ID:r+3VdvQG
ラシンさんの視点には敬服いたします。敬服いたしますが・・・私の視点、というか
スタンスと若干異なります。一修行者さんは私のスタンスが批判によったと思われたかも
しれませんが、そうではありません。

私は信仰を持つ、持たない は別にして、真実を知りたいのです。先ずは真実を知ることを
最優先すべきだと思うのです。真実から洞察できるものは、可能性も含めて考慮する価値は
あると思います。

219 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 21:25:10 ID:S8OwS/cP
>>215
まったく、そのとおりだと思います。

220 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 21:26:48 ID:a1ljQXFa
>>177 :一修行者:2008/10/02(木) 02:58:21 ID:EyM40emT
>思うにいわゆる批判側の人と接点が見出せないのは、(特にこれが目的ではないのですが、)
>私が最初に大日如来さんに書いた、「運命解脱を目指しても煩悩解脱の修行をするわけですから、
>阿含宗(という名で)でよいのではないでしょうか。」という内容を否定されるからではないかと思うです。
>これを「まあ、そいう考えもありか、」と思ってくれる人がいると思ってました。

あなたがそういう期待をこめていたならば、余計にあなたが見聞したアゴン宗信徒たちの
運命までは改善できないながらも、煩悩が薄らいできているという具体的事例を挙げれば
これはすごい問題提起ではありませんか?どうしてそれをしないのか?
私に示してみなさいと促されても書こうとしない。
ただあなたの出す言葉は「運命解脱」と「煩悩解脱」の2つの抽象用語だけです。
繰り返して言うが、煩悩という名の煩悩はないのですよ。
あなたの問題考察に対する姿勢に真剣味が感じられない。
信者にも見られつつあるという煩悩解脱の具体例と同時に質問するが、
おっと、どうせあなたは回答しない「だろう」が、おかまいなしに質問するが、
運命解脱が見られない、運命改善がされていないとあなたは観察するが、
どうして改善されていないと評価できるのですか?
その指標をお伺いしたい。
病気が治らないから?お金が儲からないから?出世しないから?
あなたにどうしてその人のたどるべき「運命」がわかるのですか?
わかりもしない運命を、どうして改善できたできてないと評価できるのか?

221 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 21:46:43 ID:a1ljQXFa
>>178 :一修行者:2008/10/02(木) 03:02:35 ID:EyM40emT
>誇大表現と私は思いますが、仏教を離れてチャクラやクンダリニーの覚醒した人の話を聞くとかなり運命転換に影響があると思うのです。
>体が変わってしまうから、当然密接に関連した思考も変わってくると。

私は20代前半くらいまではね、子供のころからすごいやせっぽちで
ガリガリだったんですよ。食も細く丼メシもそんなに食えないし、コンプレックス
を感じていましたよ。
身長169センチで体重48キロぐらいでしたね。大学時代。
ところがそんな私も中年の今では体格も体質も変わり、身長はそのままだが
体重は70キロを越え、大メシ喰らいになってしまっています。
当然、お腹もメタボになってますが。
このように人間は変わります。スポーツなどのトレーニングで克服する
人もいるでしょう。子供の頃、虚弱体質であった男が、後の甲子園の
エースになっていたりする。
こんなのも運命転換という視点ですかね?
普通は運命なんて考えずに困難の克服で済んでしまう努力ですが。
かと思うと「健全なる肉体には健全なる精神が宿る」なんて言葉とは裏腹に
体育会系のノリの延長が社会に通用すると勘違いしてるのか、力任せに
電車でセクハラをする運動部員がいたり、痴漢を働く高校球児などがいる。
やはり肉体をセーブする精神の働きこそ重要だと思うのだが。

222 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 21:54:37 ID:a1ljQXFa
>>178 :一修行者:2008/10/02(木) 03:02:35 ID:EyM40emT
>それは、掲示板といものの常識で言われてるのか、ユビキタスさんの基本姿勢として言われてるのかわかりませんが、
>どちらにしても以後は気をつけましょう。

当然掲示板の常識です。掲示板に限らず、人と人との対話の常識です。
そうでしょう?
「十二因縁解脱はだね、つまり十二因縁の法則からの超越だと思うのですよ。私は」
「そうかい?そうかなあ?それはちょっとおかしいと思うんだけど」
「おっと!超越という言葉の辞書的な意味をあれこれ言っても、俺は聞く耳
持たないからね」
「そんなワガママが通るか?やあhり超越で妥当なのかどうか、突っ込んで
考えねばならないだろう?思考を放棄するのか?言いたいことだけ言って
途中で自分から対話を拒否するのか?マナーもルールも知らん失礼な奴だな」


223 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 22:12:22 ID:a1ljQXFa
>>178 :一修行者:2008/10/02(木) 03:02:35 ID:EyM40emT
>ただ私はある意味逆だ。煩悩なんて解脱せずに輪廻したっていい、
>それより一人の人間として幸福になったほうがよいではないか。

それは今の私だって同じ気持ちですよ。だから仏教を頭の知識では得ても
殊更これを出家して修行しようなんて思わない。仏教徒ですらない。
ただ煩悩は「減らせばよい」と思ってます。つまらん妄執になるべく囚われずに
精一杯生きていく。セーラー服を求めたり余計な煩悩はなかなか消せないが
それでも要らんものには苦しみたくないという気がある。
アゴン宗を捨てた分、煩悩は減り、前よりも軽くなりました。
それから輪廻して来世もあるんだろうけど、やはり悪い境界に生まれるような
報いを受ける悪いことはできるだけ避けたいですね。
そんな私は仏教者ではなくても、あながち反仏教徒とも思わない。
しかし、以下があなたとの根本的な違いです。

>そのために運命という障害があるなら、たとえ切れるかどうかわからなくてもチャレンジすべきだと。
>運命が転換できなければ、世の中あまりに無情すぎるではないですか。

人生には障害があるのは当たり前です。努力やあるいは節制によって克服できる障害も
あれば、なかなか自分の思うとおりにいかない問題もあります。
しかし私もいっぱしの現世の幸福をめざして普通に現実努力します。チャレンジします。
現実努力だけで十分です。甲子園のマウンドを踏めるのはごく一部ではないか?
でもチャレンジだけはする。それでいいではないか?
病気、災害があったらこれまた現実的な解決の道に努力する。
最初からわかりもしない運命に怯え、それが来ないように来ないようにと
あくせくとシューキョーなどに逃避する必要性を私は感じない。

224 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 22:12:41 ID:0tsIPibn
>>216 ラシンさんへ

ありがとうございます。ぜひ、そのように行います。ユビキタスさんからもお教えいただきました本を
拝読し、学んでゆく所存であります。また、示唆してくださっております名無しさんにも深く感謝申し
上げます。

私もOO屋さんの>>218で申されている「真実を知りたい」という気持ちがかなりあります。
そのためには検証や勉強が必要と思っております。

また、ラシンさんの意見(文章)も本当に勉強になり、私も唸りながら拝読しています。
本当に感謝申し上げます。

225 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 22:35:07 ID:a1ljQXFa
>>181 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:04:01 ID:K8SShG+u
>そして本音を書かせていただくと、私は批判派の言われる「煩悩解脱」はあまり理解できません。
>それでは、本当にキリスト教や他の宗教のように「無力感」を感じます。たいした差がない、と感じる。
>あの釈尊が「その程度」の教えや法を説かなかったのか、とさえ強く思う。

煩悩解脱の価値が「悟れない」のはわかりますよ。
それがわかれば、それは悟ったことになり、そこからまた新たに修道が始まるのですから。
岩波本を薦めた私ですが、そんな私も、アゴン宗の妄執に引っ掛かる愚かな自分を自覚する
経験がなかったら、「つまんない」と読み捨てたかも知れない。
だから私は人生上の経験、苦労の必要性も書いたのです。
言いたいことは「甘ったれるな」です。なにか奇抜な奇妙奇天烈なすんごい
都合のよい秘法があるかのように期待する。その期待自体が甘えに過ぎない。
読んだ目に面白くなくても、魅力を感じなくても、先人たちの残した教訓という
ものはむしろ、そんな甘い期待を否定するところにあることが、中年にもなる
大のおとながまだ気がつかないのか?と言いたい。
しかしまだ悟れないあなたが、以下のことを言うのは矛盾ではないか?
>>182 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:29:00 ID:RwkVkeyM
>私はご利益で護摩木も買わないし、祈願もしない。因縁を切り解脱して涅槃へ入ることが目的だ。
>>183 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:45:09 ID:39sODYCv
>因縁解脱と言うよりも、輪廻の輪を抜け出す方法が欲しいわけですよ。名称などどうでもいい。
>目標はあくまでも「涅槃」ですから。

私が何を指摘したいのか、あなたに想像つきますか?

226 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/10/02(木) 22:40:37 ID:ncFspc+p
ID:ncFspc+pをキーにして本人認証。

227 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 22:56:18 ID:a1ljQXFa
>因縁解脱と言うよりも、輪廻の輪を抜け出す方法が欲しいわけですよ。名称などどうでもいい。
目標はあくまでも「涅槃」ですから。

あなたは煩悩の内容も理解不十分で解脱の意味も取り違えていると同じように
涅槃の意味もわからない。
仏教辞典をひいてごらんなさい。涅槃とは煩悩をなくした心の平安な状態を言う。
これを得た者は来世に生じることはなく輪廻も止まるのです。
輪廻が止まるのは結果に過ぎません。あるいは副次的産物とさえ言っても
決して言い過ぎとも言えない面もある。
煩悩から離れることが尊く、これを涅槃と言うのです。
また輪廻をも止める涅槃を求めたかったら、煩悩をなくす以外手はないと
釈尊は説くのです。
そうですか?涅槃があなたの目標ですか?それはご立派というか奇特なお方ですね。
一般人はそんな高尚なものは求めもせず、現世の幸福を願う。
生まれ変わらなくなるわけですからね。死にたいわけですか?
いや、私もできることなら、もうこんな世知辛い世の中に生まれてきたくなく
とっとと永眠につきたくもありますが。
涅槃を志すなんて、一般人が聞いたら、なんと殊勝なお方だ!と吃驚するでしょう。
その涅槃という言葉、概念をどうして知った?どうして希求した?
あなたの創作ではありませんよね?
仏教がそれを説くと知ったからです。だからそんなあなたが本当に涅槃を求める
のなら、涅槃を得て、涅槃を説いたお釈迦様の教えに耳を傾け、これを謙虚に学ぶ
必要があるではありませんか?
単に幸福を願う程度の目標ならば、その幸福にもいろいろあり、釈尊的幸福、イエス的幸福、
池田大作的幸福とか、それぞれ異なり、選択は自由です。
釈尊?合わないからイラネ。でもよい。
しかし釈尊の説いた涅槃に魅せられてそれを希求するあなたが、どうして
釈尊の教えに素直に耳を傾けない?
矛盾ですよね。
涅槃の意味がわかってないからです。

228 :済世活佛:2008/10/02(木) 23:24:02 ID:5nwLuueT

批判する行為自体が煩悩の発現なのです。

ユビキタスは、攻撃衝動を爆発させ仏塔を破壊しています。

ユビキタスは、攻撃衝動を爆発させ桐山氏を破壊しようと粘着しています。
煩悩に敗北しているままなのです。

部屋も不潔で、邪淫を好む煩悩そのものであるユビキタスの性向では、
仏陀の教えは己の演出に終始し入門自体が無理なのです。

すでに仏教に関しては、零点であると確定しています。



229 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 23:32:17 ID:a1ljQXFa
>>182 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:29:00 ID:RwkVkeyM
>私はどこかの人のような「ご利益」を願ってはいない。早く涅槃に入りたい、その気持ちが強いですよ。
>私はご利益で護摩木も買わないし、祈願もしない。因縁を切り解脱して涅槃へ入ることが目的だ。

私も過去に何度も書いてきたことだが、過去スレをまだ十分に読んでないあなたに
少し吃驚することを書いてあげましょう。
あなたは御利益信仰はする気もなく、解脱、涅槃を願うのみだと思っているようだが、
実は因縁解脱そのものが、それができるできないという話を超えて、御利益信仰そのもの
なんですよ。
あなたは決して今この場で命が尽きてもう生まれ変わらなくてもよい涅槃だけを
望んでいるわけではない。
それはあなた自身が書いています。

>>184 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 07:06:15 ID:4eh1xgJx
>その涅槃へ至るまで様々な気の遠くなるような輪廻を繰り返してようやく至るのでしょう。
>その過程の間にあるものはやはり、「人間としての幸せ」を得たい、と言うのがある。
>一修行者さんが>>178で言われている所の箇所ですよ。私もそう思う。

ここにあなたの本音が見えます。人間としての幸せをを得たい、だから悪因縁を切る
とは病気や災害などから逃れたいということです。
こういうことを願う信仰を御利益信仰という。いや、世の中に御利益信仰の宗教なんて
ゴマンとありますよ。あなたが御利益信仰するのも自由ですよ。
ただ宗教としては程度が低いとみなされるだけでね。
おいおい?幸福を求めてもいけないのか?と言うでしょうね。
幸福を求めてよいのです。ただし現実努力して。
特別な宗教、信仰の目的にそういう現世的な災いが避けられるような都合のよい
ことを願い、祈るのがあさましく、レベルが低いのです。
現実努力による幸福の実現は釈尊も否定しません。努力せよと説きます。
農民たちを前に、「おまえら・・・そんな作物ばっか作ってよ〜、それ食って
生き長らえて・・・面白いか?そんなこと。とっとと涅槃を得て氏んじまえよ」
なんて説きますか?生活努力を地道にすればよいのです。


230 :済世活佛:2008/10/02(木) 23:46:27 ID:5nwLuueT
前スレにおいて釈尊の体系の入り口を
鳥瞰的に整理した書き込みをしています。
釈尊の説法は、対機説法です。
合目的がどのレベルに標準があるか
どのようなプロセスを意図した手法であるか
吟味できないろ釈尊自身が相矛盾する説法をしていると間違います。
断言しておきますが、
釈尊の初期仏教には、
すべての仏教が成立するもとにな説法がふくまれています。
打ち消す説法を選択することによって、

批判内容のロジックは、全て破綻します。


231 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/02(木) 23:46:34 ID:a1ljQXFa
>>182 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 06:29:00 ID:RwkVkeyM
>私はどこかの人のような「ご利益」を願ってはいない。早く涅槃に入りたい、その気持ちが強いですよ。
>私はご利益で護摩木も買わないし、祈願もしない。因縁を切り解脱して涅槃へ入ることが目的だ。
>>184 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/02(木) 07:06:15 ID:4eh1xgJx
>その涅槃へ至るまで様々な気の遠くなるような輪廻を繰り返してようやく至るのでしょう。
>その過程の間にあるものはやはり、「人間としての幸せ」を得たい、と言うのがある。
>一修行者さんが>>178で言われている所の箇所ですよ。私もそう思う。

しかし、あなたは「自分は護摩木に願い事を書いて祈るようなあさましい
御利益信仰などしていない」と言うでしょうね。
しかし同じことなんですよ。
あなたは護摩木は書かないが、仏舎利宝塔の前で因縁切りの勤行をして
悪因縁を切って、その結果災難不幸のない幸福な人生をゲットしたいのでしょう?
さんざん人間の幸福をエンジョイしたら、今度は静かに涅槃に至ろうと。
涅槃はさておき、宝塔に因縁解脱を祈る。
宝の雨の降る如しという福徳宝生の徳はさして求めないが、災難不幸を避ける
因縁解脱の徳だけはいただきたい。これがあなたの御利益信仰です。
そしてそれは対象が護摩木と金ぴか宝塔の違いだけであって、実は本質的には
どちらも変わらない。単に選ぶグッズの違いだけです。
因縁解脱を祈るとは、御利益信仰に過ぎない。
こんな発想、考えに及んだことって、ありましたか?





232 :済世活佛:2008/10/02(木) 23:50:28 ID:5nwLuueT
釈尊は、初期仏教において利益を願うように教えています。

ユビキタスは、すべてにおいて零点なのです。

233 :済世活佛:2008/10/02(木) 23:53:30 ID:5nwLuueT
釈尊のおしえには、
すべての仏教が成立するもとになる説法がふくまれています。

234 :神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 23:58:17 ID:urVJYZNY
以前アゴン宗にオウムの麻原がいたと聞いたのですが
みたことがある方はおられますか?



235 :済世活佛:2008/10/02(木) 23:58:56 ID:5nwLuueT
前スレにおいて釈尊の体系の入り口を
鳥瞰的に整理した書き込みをしています。
釈尊の説法は、対機説法です。
合目的がどのレベルに標準があるか
どのようなプロセスを意図した手法であるか
吟味できないと釈尊自身が相矛盾する説法をしていると間違います。
断言しておきますが、
釈尊の初期仏教には、
すべての仏教が成立するもとになる説法がふくまれています。
打ち消す説法を選択することによって、

批判内容のロジックは、全て破綻します。


236 :済世活佛:2008/10/03(金) 00:01:54 ID:5nwLuueT
・また苦の生起するもとを知り、

「渇愛タンハ妄執TANHA」が苦の原因
苦は執着UPADHIに基づいて起きる


237 :済世活佛:2008/10/03(金) 00:07:46 ID:EfJyNvZk
釈尊

【善き変化へ導く因とする。】

【ダンマが顕わになる】

【善業も悪業も超える】

阿羅漢

【仏陀は、神通によりダンマを顕わにし、
 わたしは、ダンマを継承した。】


238 :済世活佛:2008/10/03(金) 00:28:31 ID:EfJyNvZk
阿羅漢の唱える法の句

この日こそまさに尊い

果報が参集し

財宝は満ちあふれ

心は、よろこび豊かに充たされる。

信をもって念じていれば、

この幸いは、いつまでもいつまでも

絶え間なく永遠につづいていきます。


239 :ラシン:2008/10/03(金) 00:29:07 ID:PjSCzSGh
>218 :○○屋:2008/10/02(木) 21:10:25 ID:r+3VdvQG
私は信仰を持つ、持たない は別にして、真実を知りたいのです。先ずは真実を知ることを
最優先すべきだと思うのです。真実から洞察できるものは、可能性も含めて考慮する価値は
あると思います。

私は長い間、○○屋さんもロムしておりましたから、あなたの心の変遷を多少ながら理解しています。
○○屋さんの切なる希求に、直ぐにはレスを出来なかったのも生意気な言い方ですが、
私も○○屋さんと等しい気持ちで逡巡していた過去があるからです。
しかしそれはある種、宗教を超えた大きな課題ですから、私にはとうてい明解な答えは出せません。
ですが、私はある日その無いものねだりに気がつきました。
人生の大きな課題だが、それを解き明かすのは仏教でしか、なし得ないなと、、。
○○屋さんの設問は、実は桐山さんがすでに答えているのです。
真実を知ることが出来れば信仰を志すという輩が多いが、信仰はまず信あっての解なのだ、と、、
これは、あながち間違いではないと、私は受けとめていました。(信解円通)
そこで、釈尊の教法を確かめるなら阿含経典に指向し、その”信”を確認すべきではないか。
しかしまた、信仰を別にして真実の追求をするなら、それは各々種別の核心に留まりますから
その道の達人を求め、それを目指すしか方法はありません。
この回答に満足を得ることが出来ないであろう○○屋さんは、ご自分を偽って疑問を呈しています。
○○屋さんへのベスト回答は、幸福になる真実の獲得法があります、という暗示ではないでしょうか。
スレの範囲で申し上げれば、○○屋さんの求める価値は長夜に輪廻する狗子の如き暗い事実です。
承前のとおり○○屋さんの認め求める真実とは、煩悩そのものではないかと、考えた次第です。


240 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:16:19 ID:nUUVxYo5
因縁解脱というものは管長の創成した「項目」であって、釈尊本来の教えではないというのは理解しました。
それから考えると「因縁解脱」という阿含宗の方向性はおかしいし、間違っているというのも分かります。
煩悩解脱というのを考えれば、尚更そうです。でも、御宝塔に向かって「本尊供養」をするのはいけませんか?

私はここ2chへ来て「因縁解脱」というのを考えなくなりました。また以前から煩悩を増やすことになるので
自分に関する祈願(福徳宝生)は行わなくなりました。するのは供養護摩木がメインですね。あとは人のことを
祈る。それもごり押しではなく「いい方向へいけますように」という姿勢で行い、おねだり祈願はしません。
つまり、人のためへの祈願と自分&家族縁者の先祖供養系の祈願しかしません。
つまり、現在は「因縁解脱」の祈願さえしてない状態です。行は先祖供養と本尊供養のみです。

ただ、思うのは生きていて災難や障害がなければそれに越したことは無い、というだけ。
そればかり望むとか執着は捨てましたよ。仏様や管長に望むものではない。それこそユビキタスさんのように
「自努力」で行くべきと思うし、また御宝塔に対して祈るのは先に記したことです。

因縁解脱は管長の創成した項目なのを認識したので、私は因縁解脱は願わないとみなしてください。

241 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:36:04 ID:gdpTGAjF
あと、よく無宗教の人もいう言葉ですが、涅槃を「逃げ」とみなし、『そんなに早く死にたいのか』という
人がいますが、私はそういう観点は持っていません。
それこそ仏教徒で涅槃を目指さない人はいるのでしょうか? まあ、それも個人の勝手でしょうが、ユビキ
タスさんも相当学んだ方とお見受けしますが、涅槃が「逃げ」のような世界でないことはお分かりかと。

私は農民を見て「とっとと涅槃を得て死んじまえよ」ということなど言いはしません。
逆を言えばそういう言葉を引用するということはユビキタスさんが涅槃への解釈が歪んでいるのでは?と
思うほどです。

また「レベルが低いのです」という発言はいかがなものか? 貴方らしくないですよ。

>仏教がそれを説くと知ったからです。だからそんなあなたが本当に涅槃を求める
のなら、涅槃を得て、涅槃を説いたお釈迦様の教えに耳を傾け、これを謙虚に学ぶ
必要があるではありませんか?

そうですよ。なので今それを行わせていただいている最中ではありませんか。

そこの最中というのは輪廻の最中でもあるわけです。今がまさにそうです。私も死後まだ生まれ変わります。
その後もその後もきっと長い時間の中で涅槃に到達できるようにしたいと思っています。
それをどうのこうのと、言われる筋合いはない。

>言いたいことは「甘ったれるな」です。なにか奇抜な奇妙奇天烈なすんごい
都合のよい秘法があるかのように期待する。その期待自体が甘えに過ぎない。

甘いか辛いか、それは私が判断します。余計なお世話です。ただ、期待は捨てたことは言っておきます。
管長の創成には辟易しましたから。
それ以外は自分で検証して確認を取らない限り、参考意見にしかみません。
適切な助言や示唆なら歓迎しますが、芳しくない表現は歓迎しません。

242 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:09:10 ID:d0vtsrFe
それこそ批判派サイドから見れば、「全て嘘っぱち」なのでしょうが、言わないと分からないので書きます。
私は涅槃を目指すのと先祖供養が主で、あとよければ人生で幸せな時間を過ごせれば、と思います。

金銀財宝も死んであの世に持ってゆけるわけでなし。またそれらが自分の人生を保障してくれるわけでなし。
輪廻の輪を脱出して涅槃界に行ける様努力すべきであり、その過程で色々彷徨うでしょうがやらねばならぬ。
その中で苦しみが少ない人生を望んでも何が悪い? 

悪因縁というべき運命のコースが悪くないほど望ましいのは良くないのか?
苦しみの中で学ぶことは確かだが、苦しみばかりの多い人生でそれでいいという人はそれでよかろう。
私は御免こうむる。苦楽の丁度いい程々な人生でいければいいと思う。

それを仏様や何かに依存して成就させようとするのが悪いなら、やめればいい。だから私は止めた。
御宝塔に祈るのは「先祖供養と本尊供養」でよかろうよ。それも悪いというのなら勝手にしてください。

解脱供養もフジウスさんも申してましたが、グレーです。なので、ここは「信じるか信じないか」になろう。
この板に書かれた『名無しさん』もお陰をいただいて喜んでいる。これも真実ですよ。
私から言わせれば、甘いも辛いもへったくれもない。そんな言葉で計るな。



243 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:10:54 ID:d0vtsrFe
今までの過去スレをみて思ったのは、ほとんど批判派の勝ちのようなものです。
また、おそらく私に指定された本(中村 元さんの本など)を読めば、ますますそれは感じることでしょう。
それはそれでいいと思うし、私も自分がどう変化するか楽しみでもあります。

しかし、断定的な物言いはよしましょう。せっかく凄い人だと尊敬したのも消えますよ。
まあ、「勝手に大日がそう思っただけだろう」というのかもしれませんが。

私は名無しさんであっても「これは!」と思うのは取り入れ学びます。ですが、逆に尊敬する方であっても
姿勢が芳しくない方は取り入れません。たとえ正論であっても。

厳しい物言いだが貴方のためだ、というのは傲慢です。人に悟らせるのなら適切な方法があってしかるべき。
私の私見に食って掛かる貴方は、ただの「批判者」にしか写らない。

意見を述べるのはいいのですが、批判はあちらの板で行ってください。
また、意見は穏やかに紳士的にお願いします。

244 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:41:55 ID:bcVQmcj4
私にすれば「悪因縁切り」をしたいのであれば、やりたい人はやればいいでしょう。私はここで学んだから因縁切りは
捨てた。その代わり別なほうを講じますよ。それが未公開の自分だけの持つ『方法』です。
私はそれがあるから管長の言う「因縁解脱法」なんか嘘でもかまわないし、講じる必要も無い。だから捨てれた。

それ以外は「自分でできない」範囲だから、また先祖供養の面で自分が感じるものがあるからやっている。
それが阿含宗にいる原動力だ。自分で先祖成仏させられるなら阿含宗など居ない&必要も無い。
自分で先祖成仏もできて、煩悩を消せるのなら何で阿含宗に居るものか。

私の知り合いに元学会信者がいますが、その方だってなんで学会を講じてたか?というと「先祖供養」が目的だった
んですよ。そういう阿含宗以外の方でも供養心の篤い方だって居る。(学会以外の方だってそう)

それを「釈尊は死者成仏を説かなかったから」〜それはそうでしょう。
でも、それに習ったら葬式も要らないし、供養の「く」の字も要らなくなる。
お別れ会だけで十分だ。回忌も特に必要ではない。回忌法要だって釈尊が説いてないからね。

なので、私は先祖の成仏していないことを感じる者なのでやっているのもあるし、成仏して欲しいですよ。
それも煩悩だというのなら、無視しますよ。釈尊の教えに反してもやってやる。阿含宗云々を抜いても、やるでしょう。

あと廣野さんの本を読んで思ったが気がついたことがある。それは「一回も解脱供養をしていない」点です。
これにはびっくりした。妄信なほどの信者時代に居ながら「一回もしていない」とは意外でした。

解脱供養が全て、とは考えませんが、一体も供養が無いというのはおかしすぎる。
これでは病気や障害が起きるのでは?と思う。(阿含宗的に言えば、ですが)

これも水掛け論になるんだろうなあ・・・うーん。


245 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:55:15 ID:8TS0VseE
「因縁解脱は嘘っぱち」結構ですよ。そんなので私は”あわてない”です。
本尊供養と先祖供養、そして煩悩解脱ができれば、いいでしょう?
どこまでできるか、必ずできるか分かりませんがw

私はそういう観点の男です。(現在は)

だから、それ以外の「嘘っぱち」と思われる?事柄については納得が行くのは批判をいたします。
いや、批判がらみの検証意見という方が正しいか・・・。

超能力も嘘。因縁解脱も嘘。教学も嘘。ならば後は先祖供養系だけですよ。
これを崩せば阿含宗など崩壊だ。さあ、批判派さまやっつけてください。

私は私の信念でやっている。例えWeb拝見の皆さんに理解されにくくてもね。


246 :ラシン:2008/10/03(金) 04:41:57 ID:PjSCzSGh
大日如来さん、どうか冷静に客観的に再度ユビキタスさんの指摘を
読んで考えてみてください。
ユビキタスさんも私も以前は、あなただったのです。
大日如来さんの願うことは、充分に分かります。
たとえばインドでは、60歳まで働いて生活を安定させその後に
信仰生活に入って涅槃を願う、という人生設計の生活形式があります。
しかし、真の仏教から言えばユビキタスさんの厳しい指摘となる。
必ずしも既成宗教に頼らなくても、大日如来さんの考える供養は可能です。
たとえば、篤志の気持ちがあって困っている人へ寄付をしたいなら、
宗教と言う窓口や団体を通すことなく、直にすることです。
困っている人の中には、大日如来さん、あなた自身も含まれる、
この意味が分かりますか?

247 :○○屋:2008/10/03(金) 08:16:51 ID:0ZSJKx60
いや〜スレの進行が早いので、丁寧にレス出来なくて、残念です。


ラシンさんの言われることは半分当たって半分外れ、でしょうか。

釈尊の成仏法が、ユビキタスさん言うような『倫理道徳の実践』のみ、には私は全く同意出来ません。深い意識の改革には、強い暗示とか強烈なカリスマ性が必須だと考えています。


それはストレートに阿含宗を信仰することに繋がらない事も理解はしました。しかし、釈尊には強烈なカリスマがあり、その事は伝承されている内容からも十分理解できます。


248 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/03(金) 08:18:37 ID:ooBrZi4T
なんだ?情けない。私の方こそ大日さんを見損ないそうだ。
あなたはコミュで同意してくれる仲間たちとやるのもよいが、それだけではダメで、
このような掲示板で痛い思いをしながらも情報を得ることも必要と参加を続ける
姿勢を評価していたのに。
あなたは私の物言いが優しく、七氏さんの物言いが断定的に聞こえキツイから
忌避していただけなのか?
どうして相手の物言いなんかに期待して、こうしてくれなきゃ聞かないよなどと
依存するのか?
あなたの人生なんだから、情報の入手も判断も相手の物言いなんかに関係なく
全て自分で決めることです。
私が甘ったれるなと書いたのは、これは私の人生の上に痛く感じたことであり、
自分自身に対して発せられた言葉であり、これを世の中に甘い道などないと
一般論として示したのです。

大日さんのここが甘いなどと具体的に批判したわけではなかったのだが、こんな
情けない姿を見てると、今度こそ甘ったれるなと言いたくもなる。
以下含め、ますます辛辣になりますよ。

>>240:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:16:19 ID:nUUVxYo5
>でも、御宝塔に向かって「本尊供養」をするのはいけませんか?

本尊供養?本尊ってあの金ピカ宝塔のことですか?
そもそも供養ってどういうことだと思います。
比丘などにその日必要となる少量最小限の食べ物や衣類などを与えて彼らの
生活を支援してあげることです。
生計手段を乞食托鉢しか持たない釈尊含めた出家修行者は、これで生き長らえて
清らかな修行が続けられる。
あなたの本尊ってシャカのホネとやらですよね。
なんでホネや石コロの生活を支える?

249 :○○屋:2008/10/03(金) 08:30:29 ID:0ZSJKx60
釈尊のカリスマは、同程度の弟子が育つほど、いよいよ輝きを増が、猊下のそれは年とともに色褪せていくように感じます。


ラシンさんやユビキタスさん、名無しさんなどは、与党の審議に応じない野党のように、代案がない。


まーそれはいまに始まった事ではないが・・・


250 :○○屋:2008/10/03(金) 08:42:43 ID:0ZSJKx60
前にちょっとレスしようとしましたが、エラーで書き込み内容が消えてしまった内容を、思い出しながらレスしますが・・・


一修行者さんの『12因縁解脱』はある意味私は支持しています。


ラシンさんとのやりとりで理解したことは、『ネハン』に至ると業果は受けない、しかし、ネハンになる前に生起した業果の影響はネハン後も受ける、と言うこと。

これは、生起した業果(運命)は変えられないが、生起する前の業果はその結ぶ時期や果報そのものを変更が可能ということと、理解しました。

251 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/03(金) 08:49:16 ID:ooBrZi4T
>>240:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:16:19 ID:nUUVxYo5
>でも、御宝塔に向かって「本尊供養」をするのはいけませんか?

もちろん私はアゴン宗の元信者だから、この本尊のしくみを知っています。
その仏舎利宝塔には涅槃を得たシャカが仏界から降臨してきて、祈る我々に
力を与えてくれる。因縁解脱の徳と宝生の徳です。
宝生などそんなに求めぬ大日さんでも因縁解脱の力は必要です。
供養を捧げることによって、その力を戴く。
しかし再度指摘するがもはや亡くなってしまったシャカにどうして食事や衣類、
それに代わる何かを布施して生活を支えねばならないのだ?
それに釈尊が在世の時から、釈尊はこういう布施供養をしてくれたから
その見返りに何かを与えるという取引信仰を否定した。
釈尊は説法をして、感激した在家の人はお礼の意味もこめて食べ物を供養しよう
としたが、釈尊はこれを頑なに拒んだ。
「詩を唱えて得たものを私は食うてはならない」と述べた。
詩句もまじえた説法の代償を取ることを卑しい取引信仰として否定したのです。
だから供養を受けても何も与えないのです。
供養をする側も純粋に釈尊や比丘の生活を支えたいだけが目的で、見返りの功徳など
求めないのです。
この話は私が示した岩波本にも書いてあります。
仏教の布施には絶対に見返りを求めず与えるのみです。
だから喜捨という。喜んで捨てる。
それで比丘たちの生活が支えられる。
それは自分らにとっても心の清まることです。
再度聞くが、どうして石コロなどに供養をするのだ?

252 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:02:28 ID:QmmP3Jg/
>>246
ありがとうございます。良く考えて対処したく思います。

>たとえば、篤志の気持ちがあって困っている人へ寄付をしたいなら、
宗教と言う窓口や団体を通すことなく、直にすることです。

過去ログの中にもありましたね。私も同意です。阿含宗を通じての世界への活動や基金はしないことに
数年前から行っています。なので、イスラエルはもちろん諸外国での活動、また国内でのものにも
私はお金は投じていません。護摩木もかなり前から購入していません。(残りでやっています)
また仏舎利があるのでそれに対し供養の所作を行っているだけで、管長には供養するつもりはありません。

まあ、流れ流れて管長に渡るんだぞ、ということはあるわけですが。
それこそ2ch過去ログでどなたかが書かれたように、阿含宗では愚連隊のような姿勢でなければ
信者を続けてゆけないという旨の書き込みを見ましたが、頷きながら笑いました。
だって、そのとおりだなあと思いましたよ。私もそれに近い状態ですから。

管長の法話など聞きたくも無い。なので例祭は護摩法要だけで帰る。梵行もそこそこ。奉仕活動も
やりたい時にやるし、深入りはしない。曜日班なんてとんでもない・・・etc

数年前から疑問を感じやってきたのがこのスタイル。信者としては良くない姿勢だが、私はやっていてよか
ったと思っていますよ。騙されてエライ目にあうのが少なくてすみましたからね。
自分の所念に従ってよかったとさえ思っています。



253 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:12:52 ID:Ms3cQXhj
>>247

恐れ多くもOO屋さん、引用させていただきます。

>釈尊の成仏法が、ユビキタスさん言うような『倫理道徳の実践』のみ、には私は全く同意出来ません。

私の場合は「半分しか同意できません」ですね。確かに釈尊の教法を守る、というと『倫理道徳の実践』に
なる。しかし、洗脳されているといわれればそれまでですが、納得が行かないんですよね。
『倫理道徳の実践』だけで煩悩を解脱できるはずはないし、成仏法というのはそんな他宗教の教えの
ようにそんなに弱いものかと思うからです。だから釈尊を見くびるわけではないが、そう思うのです。
確かに神秘的な技法や何かを過去は求めてた。でも今はどうでもいい。しかし、『倫理道徳の実践』だけで
すむのなら某スピリチュアル推奨者も説くし、XX教でも説いている。だから私は言うのですよ。
「釈尊はそんな程度の方なのか」と。(もちろん、そうは思いたくないですよ)

阿含宗が素晴らしいという妄信だけで否定しているのではないのですよ。
また釈尊を馬鹿にするつもりは無い。逆に尊敬しているから仏教を選んでいるくらいです。
『倫理道徳の実践』だけしか説いていないというのなら、別に仏教にこだわらないというだけ。
そうなれば、阿含宗どころか仏教だってやる気も起きません。スピリチュアルの方がよっぽど楽だ。

妄信を剥ぎ取ってくれたのは「批判派」の方々のお陰なのですよ。


254 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:27:30 ID:k3BATpRJ
>>251

元阿含信者であったので分かっておられると思ったのですが、そうですか。
私は仏舎利(御宝塔)に対し、供物や財を供えはしません。阿含宗で指定されている所作での供養です。
また、道場へ供養をすることはほとんどありません。

そして喜捨ですが、それをやるには根本仏教を講じている教団の比丘に供養せねばならない。
でも、国内でそういう教団あります? 阿含宗=管長の財布という構図が感じられたから数年前から
めったやたらにお金や身施は控えています。というか梵行を自分の都合のいい日や時間でしか行わない
程度です。解脱供養だって私は数は多くやってないしね。(現在まで10体未満ですから)
お金の都合が付けばかなりやったかもしれませんが・・・。

在家の信者は「仏舎利信仰」をするのが根本仏教にもあったはず。じゃあ変じゃないでしょう?
私だって死んだお釈迦様に対して供物やお金を添えて「功徳」をいただくとか、供養をしているなどと
思ったことは一度も無い。なので、やってもいない。

まあ、なんだかんだ言っても御宝塔は真正仏舎利では無いので違うだろう、といっても「駄都法」で
修した仏舎利を礼拝するのが間違っているというのなら、何もいえませんね。

255 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:40:41 ID:Xedo3x8V
しかも御宝塔は「分身舎利」なわけです。真正仏舎利ではないのは分かっている。
しかし、真正仏舎利の前で「駄都法」を修し「分身舎利」としてお分けされているのを
礼拝供養するのが「邪道」になるのでしょう。きちんと学んだ方からみればね。

在家信者なんだから礼拝供養してもいいんじゃないですか、というのがあるんですよ。
また、それに対し「いいことがありますように」とか功徳云々など祈念はしない。
いつもするのは礼拝中心で、後は日ごろの感謝と生命をいただいていることへの感謝。
今日も一日よろしくお願いいたします、という言葉と姿勢を念じています。

いわしの頭も信心、じゃないですが、石ころというのはどうもね。
そう見る・言うのは仕方ないのかもしれませんがね。

256 :孫 青柿(あおがき):2008/10/03(金) 09:58:36 ID:JO6xSdfb
>>253 >>247 ○○屋さん大日さん、ヴィパサナーのどこが倫理道徳なのですか? "釈尊の成仏法"のことを知らずにそんなことを言ってるのではありませんか?
ユビキタスさんや七誌さん樹意さん私が具体的に書いたのに無視してそんなことを言ってますよね。

257 :ラシン:2008/10/03(金) 10:14:47 ID:0EOxu7gN
>247 :○○屋:2008/10/03(金) 08:16:51 ID:0ZSJKx60
釈尊の成仏法が、ユビキタスさん言うような『倫理道徳の実践』のみ、
には私は全く同意出来ません。
深い意識の改革には、強い暗示とか強烈なカリスマ性が必須だと考えています。

「欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、 解脱しがたい。
 他人が解脱させてくれるのではないからである。」(スッタニパータ)
○○屋さん、上記釈尊のことばをもう一度考えてください。
師にカリスマ性があろうと無かろうと、暗示やカリスマ性が解脱へ導くのではなく、
自己による自力救済という道しかありません。
倫理道徳の実践とは、つきつめれば諸悪莫作、衆善奉行となります。
日々においてもうこれ以上、悪業を積まないで生きるということです。
煩悩によって起きる業を形成しないで生きるためには、日々生活上において
すべての思考所作を気をつけ、観察し、煩悩を抑制するのが実践行です。
食施を受けて美味しさに囚われないように気をつける(六処への観察)
それで再びその食を求める気持ちを抑制する(取への観察)等などと、
朝起きて洗顔し、食事から排便にいたるまでの思考所作を気をつけ、
眠っている間も煩悩の湧出を抑えることに気をつける。
もしも起こったなら、その因はどこにあって、何故囚われたのか、
それによって出た果はどのように影響するのかと、心底を観察し再び
湧き起こらないためにどうするかを熟考する。
意識の改革ではなく、消滅させるにはどうするかを自己追及することです。
また、代案が無いとの指摘は当然です。
本道は阿含経にあるのですから、外れた道からの回帰しかありません。


258 :○○屋:2008/10/03(金) 10:15:18 ID:0ZSJKx60
ああ、青柿さんの場合は倫理道徳の範疇ではありません。ある程度の実践もしているようですしね。

あなたの示した『ビバシャナ』は完全に体得すると、確にある種の煩悩は消えると思います。あれを読んで、釈尊が苦行で体験したことをかいまみるような気がしました。

259 :孫 青柿(あおがき):2008/10/03(金) 10:31:13 ID:JO6xSdfb
>>258 まあ自分は実践者じゃないがw 普段はヨガしかしないから。ヨガは仏教でいうとサマタですから。
自分は仏教徒じゃないからヴィパサナーはほとんどやりません。伯承さんは本当の実践者みたいでしたよね。
でも最近はヨガやる人でもヴィパサナーに関心がある人もいるし(だからこそ真似くらいは南伝じゃないところでも体験させてくれる。ラジニーシのところでもやってるんでしょ?)、またアゴンスレでの批判にも必要だから本は読んでみました。

260 :ラシン:2008/10/03(金) 10:35:21 ID:0EOxu7gN
>在家の信者は「仏舎利信仰」をするのが根本仏教にもあったはず。じゃあ変じゃないでしょう?

四辻にストゥーパを作らせた理由:
ー引用ー大パリニッバーナ経抜粋
四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、そこに花輪または香料
または顔料をささげて礼拝し、また心を清らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが
起るであろう。
「これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いたひとのストゥーパである」と思って、
多くの人は心が浄まる。
かれらはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ・天の世界に生れる。

261 :高城浄海:2008/10/03(金) 10:48:23 ID:D6tsFC9Y
大日如来さん、根本仏教には仏舎利供養はありません。釈尊は在家に遺体処理を任せただけです。仏舎利供養はアショーカ王の時代から盛んになります。
また、阿含宗の真正仏舎利がホンモノでないことは状況証拠で明らかです。批判スレで詳しく論じられています。
それから、煩悩解脱・漏尽解脱は倫理道徳レベルではありません。桐山氏ふうにで言えば、それこそ高度なシステムであり緻密なメソッドです。

262 :ラシン:2008/10/03(金) 10:53:07 ID:0EOxu7gN
>在家の信者は「仏舎利信仰」をするのが根本仏教にもあったはず。じゃあ変じゃないでしょう?

仏舎利信仰ではありません。
釈尊の示した法によって生きることが、師への最上の供養だとしています。
四辻のストゥーパは皆が往来する目立つ場所であるから、
そこで釈尊の示した法の実践を再認識させ、放逸しない日々を送らせるためです。

四辻にストゥーパを作らせた理由:
ー引用ー大パリニッバーナ経抜粋
アーナンダよ。いかなる修行僧、尼僧、在俗信者、在俗信女でも、理法にしたがって実践し、
正しく実践して、法にしたがって行っている者こそ、修行完成者を敬い、重んじ、尊び、尊敬し、
最上の供養によって供養しているのである。



263 :高城浄海:2008/10/03(金) 11:20:28 ID:D6tsFC9Y
>>261
自レスですみません。仏舎利供養、ではなく、いわゆる仏舎利供養と書くべきでしたね。ラシンさんの書き込みに救われました。

264 :ラシン:2008/10/03(金) 11:20:44 ID:0EOxu7gN
>250
ラシンさんとのやりとりで理解したことは、『ネハン』に至ると業果は受けない、
しかし、ネハンになる前に生起した業果の影響はネハン後も受ける、と言うこと。
これは、生起した業果(運命)は変えられないが、生起する前の業果はその結ぶ時期や
果報そのものを変更が可能ということと、理解しました。

正確を期せば釈尊は、有余涅槃を得た後も煩悩の生起を止息するために
常によく気をつけています。
煩悩とは、生あるうちは漏となって湧出するものだからです。
無余涅槃を得たなら、完全な解脱となりそこでは生命活動は無いのですから
漏の心配は無く、業が形成されることもありません。
また私は、業果の変更の可能性を申していません。
作られた業は消滅せず、その果は今生だけに留まらず次の生においても実を結ぶ。
業と業果は輪廻する対象のみに付きまとい影響します。
ゆえに、
涅槃は後有(次の生)を受けないので、どのような業も業果も及びようがありません。
業は消せないが、煩悩は消せるので止滅させる対象は、業ではなく煩悩となる。

265 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 12:35:25 ID:M7n38yh8
>>242 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:09:10 ID:d0vtsrFe
>意見を述べるのはいいのですが、批判はあちらの板で行ってください。
>また、意見は穏やかに紳士的にお願いします。

これはユビキタスさんの意見へのレスだと思うから、
横から読んでいる一人として意見を言わせてもらいます。
大日さんや一修行者さんの意見が本当に「穏やかに紳士的」なのだろうか。
お二人の文章も十分に批判側から見たら、食ってかかる文章がありますよ。
現実にあなたの上記の文章もそれに近い。
反対側の立場から読んだら、お二人も相当に食ってかかる。
だが、それをお互いに言い出したら、きりかない。
議論する上で使ってはならないのは馬鹿とか阿呆といった罵りだけの言葉です。
「君の言っている事は○○という理由で馬鹿な主張だ」というのはかまわない。
批判側だから、味方するつもりはないが、ユビキタスさんの
書き方が罵声でないことは、文意を読めば明らかですよね。
批判内容が自分の心に痛いからといって、それを穏やかでないという反論は正しくない。
それでは、「自分の間違いを指摘するな」と言っているのと変わりありませんよ。

266 :○○屋:2008/10/03(金) 12:39:22 ID:0ZSJKx60
業とは輪廻の原動力であり、煩悩は業果の内在する入れ物ではないですか?

輪廻する煩悩(の備わった肉体)には必ず業果があらわれて、変更不可能であり、そもそも輪廻した肉体自体が生起した業果となるように私は思っています。

時期や内容が変更可能な業果とは、生きているうちに因をつくった業果ですね。特にネハン後になした因はその業果は受けない、と理解しましたが、勘違いでしたか?

後半の考えを延長すると『12因縁解脱』と表現できそうだと思っています。


267 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 12:48:31 ID:M7n38yh8
>>244 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:41:55 ID:bcVQmcj4
>それ以外は「自分でできない」範囲だから、また先祖供養の面で自分が感じるものがあるからやっている。
>それが阿含宗にいる原動力だ。自分で先祖成仏させられるなら阿含宗など居ない&必要も無い。

大日さんは桐山さんの因縁解脱は嘘だと思うが、先祖成仏の力は本物だと思うのですか。
なにをどう信じるかはあなたの自由だが、それは桐山さんの主張とは違う。
桐山さんは阿含経から得たシャカの成仏力によって、
因縁切りと死者成仏の力を得たといっているのです。
だから、大日さんのように因縁解脱は信じてないが、
先祖成仏を信じるということはアゴン宗の教義からはありえない。
なぜなら、どちらもカルマを断ち切る力だからです。
あなたはアゴン宗の教義をそのままに信じているのではないと主張するだろうが、
そうは言っても、アゴン宗の先祖成仏とは桐山さんの成仏リキが元になっているのです。
因縁解脱の効果は否定して、先祖成仏だけを信じるというのはおかしくありませんか。
砂糖の入ったコーヒーの内、コーヒーは偽物だから飲まないが、
砂糖だけを飲むと言っているようなものです。
また、先祖成仏も、すでに批判側が何度も否定の例を出している。
その典型が、桐山さんの十八人の霊障武士です。
あれこそがアゴン宗で公式に認められた、桐山さんの成仏リキによる先祖成仏の
体験談です。
大日さんの弟さんの事例と違い、アゴン宗で公式に認められている。
だが、霊障武士が真っ赤な嘘なら、桐山さんの先祖成仏も嘘になってしまう。
あなたはこの矛盾をどう考えるのですか。

268 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 12:54:34 ID:M7n38yh8
>>244 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:41:55 ID:bcVQmcj4
>あと廣野さんの本を読んで思ったが気がついたことがある。それは「一回も解脱供養をしていない」点です。
>これにはびっくりした。妄信なほどの信者時代に居ながら「一回もしていない」とは意外でした。

この指摘はまったくのピント外れです。
本をよく読んでください。
廣野さんが辞めたは昭和51年です。
解脱供養が始まったのは、早く見ても昭和55年以降、実際は昭和56年からです。
廣野さんが解脱供養をしていないのは当たり前です。
大日さんに気が付いてほしいのは、あなたは解脱供養や先祖成仏を
肯定したいがために、その理由の一つとしてピント外れな読み方をしているという点です。
いつ解脱供養が始まり、彼がいつアゴン宗を辞めたのかなんて、簡単に確認できるのに、
あなたはそれすらもしなかった。
あなたは解脱供養を含めた先祖成仏を肯定したいが、肯定の材料があまりに
少ないから、逆に否定の材料を減らそうとしたのではありませんか。

269 :ラシン:2008/10/03(金) 12:58:06 ID:0EOxu7gN
>266
業とは輪廻の原動力であり、煩悩は業果の内在する入れ物ではないですか?
輪廻する煩悩(の備わった肉体)には必ず業果があらわれて、変更不可能であり、
そもそも輪廻した肉体自体が生起した業果となるように私は思っています。

煩悩と業は生(有余)において、不即不離の関係です。
業は思と思の所作から生じます。

>時期や内容が変更可能な業果とは、生きているうちに因をつくった業果ですね。

形成された業は消滅しない、七氏さんが昔、喩えたように大工が建てた法隆寺は
大工が死んでも消滅しない。
否、改装も火災消滅も可能と言われそうだが、大工が死んで他の者が改装したそれは
他者の業と考えられ、火災も同様で、それは、すでに当時の為した大工の業ではありません。
では生前に改装した場合はどうかといえば、その大工の新たな業(改装後の法隆寺)が、
残るだけで、その大工の業自体は消滅しないのです。

270 :ラシン:2008/10/03(金) 13:05:08 ID:0EOxu7gN
>266特にネハン後になした因はその業果は受けない、と理解しましたが、勘違いでしたか?

釈尊は、有余涅槃はまだ生命活動があるために気をつけて止息に勤めました。
万が一業を作ったとして、無余涅槃を得たなら業と離れるでしょう。
業と業果は輪廻する対象のみに付きまとい影響します。
無余涅槃後は受けるも受けないも、その業の対象は無いのです。

271 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:06:01 ID:M7n38yh8
>>245 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 03:55:15 ID:8TS0VseE
>これを崩せば阿含宗など崩壊だ。さあ、批判派さまやっつけてください。

これはたぶん「アゴン宗の先祖供養を信じている大日をやっつけてみろ」と
言いたいのでしょうね。
あなたは一つ誤解している。
アゴン宗の先祖供養の教義などとうの昔に崩壊しています。
大日さんを説得しようとは、私だけでなく、ユビキタスさんもラシンさんもたぶん思っていない。
二人もまた、あなたに正しい情報を伝え、誤解を指摘し、正しい
仏教の理解をするように説いているだけのように私には見えます。
少なくとも、私を含めて批判側は、誰も大日さんも一修行者さんもやっつけようとは思っていない。
あなたは「十分やっつけようとしている」と言うかもしれないが、それは被害妄想です。
たとえば、あなたの弟さんの事例を誰か否定しましたか。
他の解釈の可能性くらい指摘したかもしれないが、
「新興宗教の奇跡」として効果を認めた。
桐山さんの死者成仏の力の証拠にはならないと指摘したのです。
あなたの信仰を否定したのではなく、桐山さんの成仏リキを否定したのです。
これは他の信者さんたちにも気を付けてほしいのが、
自分個人への批判とアゴン宗への批判をごっちゃにしないことです。
罵詈雑言を並べたりすれば、個人批判をされてもしかたない。
また、信者としてアゴン宗に依存している点を指摘することはある。
だが、批判の大半は桐山アゴン宗への批判です。
そして、繰り返すが、アゴン宗の先祖成仏など、教義だけではなく、
実際の面からもとうの昔に否定されています。

272 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:09:25 ID:M7n38yh8
>>249 :○○屋:2008/10/03(金) 08:30:29 ID:0ZSJKx60
>ラシンさんやユビキタスさん、名無しさんなどは、与党の審議に応じない野党のように、代案がない。

「批判なんか誰だってできる。桐山ゲイカの成仏法に代わるものを示してみろ!」
と言いたいのですよね。
二つの意味でピント外れです。
あなたのたとえでいうなら、実際の与党の案には、善し悪しは別として、
中身や予算的な裏付けもある。
だが、桐山さんの「案」には中身もなく、根拠もなく、実際にも効果がない。
桐山さんのいう釈迦の成仏法には阿含経には根拠がなく、
実際に桐山さんがそれで何かを成し遂げたという証拠もない。
彼が為したのはただの焚き火イベントです。
彼の「案」の証拠とされた十八人の霊障武士の嘘など、
「案」自体がただの空想にすぎないことが証明されている。
つまり、あなたのたとえである与党の案と桐山さんの成仏リキとの
比較は無意味で、与党に失礼です。

273 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:15:09 ID:M7n38yh8
>>249 :○○屋:2008/10/03(金) 08:30:29 ID:0ZSJKx60
>ラシンさんやユビキタスさん、名無しさんなどは、与党の審議に応じない野党のように、代案がない。

もう一つのピント外れは、代案などすでにずっと毎回示していることです。
あなた方がそれを代案とは認めず、ただの道徳、ただのオシエと罵って、
捨て去っているだけです。
しかも、その代案とは批判側が出したわけではない。
釈尊の教法そのものをただ引用しているだけです。
だから、代案などではなく、実はこれこそが本案、本物の案です。
長年批判を読んできた○○屋さんにしてまだこんなことすら理解できずにいるのだから、
大日さんが煩悩解脱を理解できないのは当然でしょうね。
批判側は釈尊の修行法がただの道徳やオシエなどではないことを
何度も説明している。
時には、スレの主旨から外れることを覚悟で、内容まで説明をしている。
だが、信者さんたちの頭は桐山さんから「力で何かをする」という概念を
植え付けられて、そこから一歩も出られない。
ラシンさんがその点を自分の体験を含めてザのほうに書いているのに、
○○屋さんはそれを読んでも意味が理解できないようだ。
それでいてヴィパサナーなどと説明されると急にこれを認める。
同じ事を説明していることすらあなたはわからないのですね。
だから、もっと自分で阿含経を学んでみたらどうかと勧めているのです。

274 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:17:43 ID:M7n38yh8
>>249 :○○屋:2008/10/03(金) 08:30:29 ID:0ZSJKx60
>ラシンさんやユビキタスさん、名無しさんなどは、与党の審議に応じない野党のように、代案がない。

信者の多くは、桐山さんから超能力のような神秘力でパッと物事を変えるのだと教えられている。
「今までの坊さんも学者もそのことがわからず、何か道徳やオシエを垂れたのが
釈迦なんだと説いてきた。
違う。
釈迦はその神秘的な神通力によってカルマを切り、煩悩を断ち、
その力を示したからこそ、当時の人たちは帰依したのだ。
自分はその成仏リキを阿含経から体得した」
こんなふうに桐山さんから教えられ、感動し、賛成したのですよね。
人間はこういう神秘力に頼りたいという気持ちがある。
また、桐山さんがもう一つうまく利用したのが、超能力ブームなどです。
釈迦こそが真の超能力を持った男だったと言うことで、
さも釈尊が説いたのは神通力であり、桐山さんはそれを体得したかのように錯覚させた。
○○屋さんの世代でいうなら、テレビや映画でそういうのを見ているから、
とても受け入れやすい。
麻原彰晃が昭和三十年生まれで超能力を真似したのも偶然ではなく、
彼の成長期にテレビなどでそれが放送されていたからです。

275 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:22:44 ID:M7n38yh8
>>249 :○○屋:2008/10/03(金) 08:30:29 ID:0ZSJKx60
>ラシンさんやユビキタスさん、名無しさんなどは、与党の審議に応じない野党のように、代案がない。

瞑想のポーズをとり、超能力を持つ格好いいシャカと桐山ゲイカ。
これが○○屋さんの頭の中にある仏教です。
ここまで単純化されると腹がたつかもしれないが、でも、単純ですよね。
自分の信仰の背景を冷静に見たとき、テレビなどの影響の大きさに気が付きませんか。
ところが、実際の阿含経には超能力など片隅にしかない。
釈尊は信者から「神通力を示して布教に使ったらどうか」と
提案されて、これを断っている。
桐山さんが書いたミラクルの池の話も、「祇園精舎の池」なんて真っ赤な嘘だが、
元ネタは舎衛城神変という伝承があります。
これに近い出来事があったのでしょうが、この話は阿含経にはありません。
神通力は解脱とは直接的には関係ないからです。
桐山さんがよく引用するカッサパ三兄弟を降伏する場面は、神通力の数少ない話です。
桐山さんがあれしか出せないのは、自分で阿含経をしっかり読んだことがないというのと、
神通力の物語は阿含経の中には少ないからです。
しかも、カッサパは神通力に降伏されたのではなく、言葉による説得を受け入れたのです。

276 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:32:21 ID:M7n38yh8
>>253 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:12:52 ID:Ms3cQXhj
>『倫理道徳の実践』だけで煩悩を解脱できるはずはないし、成仏法というのはそんな他宗教の教えの
>ようにそんなに弱いものかと思うからです。だから釈尊を見くびるわけではないが、そう思うのです。

仏教の解脱は神通力とは関係ありません。
だから、経典には神通力を持たずに解脱した比丘たちがいくらでも登場する。
大日さんも○○屋さんも倫理道徳の実践などと小馬鹿にした立場を捨てない限り、
いつまでたっても、釈尊の教法は倫理道徳の実践しか見えない。
だから、経典をもっとしっかりと読むように何度も書いている。
四念処などのやり方のどこが倫理道徳の実践なのですか。
こちらの説明を倫理道徳の実践だとバカにするなら、三分でいいからやってごらんなさい。
やれますか。
したこともないから、倫理道徳の実践だなどと言っていられる。
あなた方は、法律とはどのようなものかという質問に
「争いを解決し、社会全体を安定させるためのものです」という答えを聞いて、
司法試験など大したことはない、弁護士も裁判官も
倫理道徳の域を出ていないと馬鹿にするようなものです。
私もアゴン宗の信者だったのだから、あなた方の無知を笑えるほどエラクはない。
「あの釈尊がただの倫理道徳を説くはずがない」という大日さんの指摘はそのとおりです。
ということは、あなた方の理解が間違っているのです。
テレビのアニメレベルの無知をさらして、釈尊をバカにしないで、
まずは自分で学んでみてはどうか。

277 :済世活佛:2008/10/03(金) 14:49:39 ID:UpWb9v5V
阿羅漢

【仏陀は、神通によりダンマを顕わにし、
 わたしは、ダンマを継承した。】

根本的に間違っています

276 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 13:32:21 ID:M7n38yh8
仏教の解脱は神通力とは関係ありません。
だから、経典には神通力を持たずに解脱した比丘たちがいくらでも登場する。


278 :済世活佛:2008/10/03(金) 14:54:49 ID:UpWb9v5V
長年修行しても境涯が進まない比丘尼が、
境涯の成就している比丘尼の処に泣きながら訪れ
そこでダンマの継承がおこなわれて成道しています。

解脱については、
理屈云々より大徳善知識の御縁をいただき相対することから

仏陀の存在・仏陀の神通 ダンマ 大徳善知識

samuccheda vimutta 正断解脱

vikkhambhana vimutta 鎮伏解脱

tad-anga vimutta 彼分解脱

五つめの阿那含

uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者

色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。



279 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:09:27 ID:UpWb9v5V

良い因縁を良い境涯に高めていくことも仏陀の教えにあるのです。
その意味での因縁解脱も釈尊の説法にあります。
縁起の順逆で感知していくため
十二因縁解脱というおしえも釈尊の初期経典にでてきているので、
因縁解脱の教えに関しては安心してよいのです。
前スレに私がかいたSとZの最終的な合目的となっている境涯は、
「大丈夫である。善業もなければ悪業もない。」と釈尊が説法した領域です。

財宝は死んでもあの世に持って行けないとHN大日氏がいっているが、
財によって人を助けることができます。
死んでいくときも財を託すこともできます。
肉体の眼で感知できない功徳も同じです。

280 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:11:00 ID:UpWb9v5V
初期経典にある
阿羅漢の唱える法の句

この日こそまさに尊い

果報が参集し

財宝は満ちあふれ

心は、よろこび豊かに充たされる。

信をもって念じていれば、

この幸いは、いつまでもいつまでも

絶え間なく永遠につづいていきます。


281 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:13:27 ID:UpWb9v5V
初期経典の教え


釈尊

【善き変化へ導く因とする。】

【ダンマが顕わになる】

【善業も悪業も超える】

阿羅漢

【仏陀は、神通によりダンマを顕わにし、
 わたしは、ダンマを継承した。】


282 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:31:39 ID:UpWb9v5V
これについては、仏陀の存在と仏陀の神通が担保となり
成立しています。これが、仏陀のいう古道なのです。

捨心 貪欲解脱 四禅天 色究竟天
            ↑
歓喜 憂苦解脱 三禅天 浄天
            ↑
悲哀 愚痴解脱 二禅天 光天
            ↑
慈心 瞋恚解脱 初禅天 梵天



283 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:34:45 ID:UpWb9v5V
日本にあるヴィパサナーを普及している人は、生天すらしません。

仏陀の法とはそのようなものなのです。

ヴィパサナーは、達成された定からの状態像であるのが本来なのです。


284 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:39:13 ID:UpWb9v5V
五つめの阿那含
uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者
色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。
第四禅天
色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。


285 :済世活佛:2008/10/03(金) 15:45:04 ID:UpWb9v5V

釈尊の師匠ウッダカラーマプッタ

非想非非想処

釈尊の切り開いたのは、非想非非想処までの境涯ではありません。


ユビキタス名無しは、間違っています。



286 :樹意:2008/10/03(金) 16:04:51 ID:SNuNlAtL
>>242
> その中で苦しみが少ない人生を望んでも何が悪い? 

「友サーリプッタよ、苦、苦と称せらるが、友よ、いったい、苦とはなんであろうか」
「友よ、これらの三つが苦である。すなわち、苦苦性、行苦性、壊苦性である。友よ、
 これらの三つが苦である」
  相応部経典 38.14 苦 増谷氏訳

「苦Dukkham」
苦苦性 肉体的苦痛に原因する苦である、
行苦性 行は還流の意にして、一切の無常転変なることよりて生ずる苦である。生老病死はそれである。
壊苦性 楽境の壊するによりて生ずる苦である。

「友サーリプッタよ、取、取といわれるが、友よ、いったい、取とはなんであろうか」
「友よ、これらの四つが取である。それは、欲についての取、見についての取、戒についての取、
 我についての取である。友よ、これらの四つが取である。」
相応部経典 38.12 取 増谷氏訳



287 :樹意:2008/10/03(金) 16:05:51 ID:SNuNlAtL

「取」「取りすがる」という意であって後の仏教でいう「執著」
 欲についての取 感覚的快楽への執著、「欲取」
 見についての取 独断的見解への執著。「見取」
 戒についての取 儀礼への執著。   「戒取」
 我についての取           「我取」

「友サーリプッタよ、有〈存在〉有といわれるが、友よ、いったい、有とはなんであろうか」
「友よ、これらの三つが有である。すなわち、欲界の有、色界の有、無色界の有である。友よ、
 これらの三つが有である」
 相応部経典 38.13.有 増谷氏訳

「有」人間の存在を指差す、−−−古来の仏教学者たちは、「生死相続して因果亡びざる」を言うと
 中策している。

 欲界の有 欲望によって支配せられる存在としての人間。漢訳では「欲有」と訳する。
 色界の有 肉体を有する存在としての人間。漢訳では「色有」と訳する。
 無色界の有 抽象的存在としての人間。漢訳では「無色有」と訳する。
  〈音写等略。〉

288 :樹意:2008/10/03(金) 16:07:03 ID:SNuNlAtL

「大徳よ、西の方から来たバラモンたちは、水瓶をたずさえ、百合の花環をつけ、水に入って清め、
 あるいは、火につかえるのであるが、彼らは、人が死んで命終したのを、呼び起こし、その名を
 呼んで、天界に入らしめるという。大徳よ、世尊にましまし、応供にましまし、正等覚者にまします
 大徳もまた、あれやこれやと、世の人々が身壊れ、命終わりて後、よく善処、天界に生を受けしめる
 ことができるでありましょうか」
「では村の長よ、それについて、わたしから質問したい。思うがままに答えてみるがよい。」
「村の長よ、そなたは、これをいかに思うか。ここに人がある、その人は、人の命を取る者であり、
 与えざるを盗るものであり、よこしまの快楽にふける者であり、うそをいう者であり、両舌を
 もてあそぶ者であり、あるいは、乱暴な言葉を語り、誠実ならぬ言葉をかたり、強欲にして、
 いじわるであり、間違った考えをもった人間であったとするがよい。そこに、大勢の人々が
 集まってきて、〈この人が、身壊れ、命終りて後には、どうか善処、天界に生まれますように〉
 といって、この人の為に祈り、この人を礼賛し、合掌して、そのまわりを周行したとするならば
 、村の長よ、そなたは、いかに思うか。この人は、大勢の人々の祈願により、礼賛により、
 あるいは、合掌し周行したことによって、身壊れ、命終りて後、善処、天界に生まれることを
 うるであろうか」
「大徳よ、そんなことはありません」
「村の長よ、たとえば、ここに人があって、大きな岩を深い湖に投じたとする。そこに、大勢の
 人々が集まってきて、〈大きな岩よ、あがってこい、浮かんでこい、陸にあがれ〉といいながら
 、その岩の為に祈り、それを讃え、合掌して、そのまわりをめぐり歩いたとするならば、村の長よ
 そなたはいかに思うか。その大きな岩は、大勢の人々の祈願により、礼賛により、あるいは合掌して
 週行したことによって、あがってくるであろうか、浮かんでくるであろうか、そして、陸に上がって
 くるであろうか」
「大徳よ、そんなことはありません」
 −−−−−
 相応部経典 42.8 西地人 増谷氏訳


289 :樹意:2008/10/03(金) 16:27:14 ID:SNuNlAtL

ゲイカの啖呵売は聞いていて面白いですからね、 www

ゲイカの売りは啖呵売とショービジネス 〈参加型コスプレ
イベント業 −−−− 〉
ビジネスというのはいかに参加者の〈欲〉を刺激するかに
かかっています。
私はゲイカのビジネスを随分と研究させてもらいましたが、
この参加型ビジネスというのはビジネスの成功要件の一つと
なります、こういうビジネスは強いです。〈ホント〉

堅苦しいは 欲を消せだわ なんて阿含経なんてはっきりいうと
面白いわけないわさ。
私が阿含経を引用していた頃は ブーイングが結構したもんです。
所詮人種が違うのですよ。

人というのは資産や名誉、地位あればあったで亡くしたくないという欲が
出るし、なければ無いで欲しい、五体にだって執着があり、病気や怪我は
誰だって嫌なわけで、家内安全 商売繁盛、を願う。
需要があるのです。
それ自体真っ当な願望ではありますが、それを阿含経の看板でやるのは筋違い
という批判なわけ、。
阿含経の釈尊はそういう生存の欲求に基づくものや魂がある前提にするものを
〈邪見〉の煩悩、憂 悲 苦 悩 生老病死の解決に役立たない、
涅槃の妨げ〈煩悩〉の教えですからして。

というかねアゴンは導きという枷を信者に嵌めて信者募集していますからして、
信仰は個人に自由とはいえ、立派に社会問題なのですよ。


290 :樹意:2008/10/03(金) 16:44:31 ID:SNuNlAtL

片山一良氏が訳した 大念処経や注釈、以前引用したことのある
セヤドーの禅那解説 まっとうにやっている方々の文章は ゲイカの
薄っぺらな 流転水想観なんてものとはまったく別次元のことが
詳しく書いてある。
天馬空を翔るが如き技法と表現されているようですが まさにその通りであり
まったく別。
仏陀の修道は 別名 「気づきの世話 現前」
生起と滅尽を観察する法です。




291 :済世活佛:2008/10/03(金) 17:09:51 ID:UpWb9v5V

釈尊の説法の全体の体系から、
このもののロジックは簡単に破綻します。

289 :樹意:2008/10/03(金) 16:27:14 ID:SNuNlAtL


292 :済世活佛:2008/10/03(金) 17:11:57 ID:UpWb9v5V
釈尊

善悪を越えた領域にあるものに
どのような楽をどれだけの楽を
どのようなものからも与えられたとしても
その楽に溺れるということはない。

釈尊

天にあって天の福楽にとらわれかあるなら
天にとどまるための功徳は、どの根も力も消耗し少なくなっていく。
天にあって天の楽にとらわれなく溺れることがないなら
天にとどまる。

呼ー吸ー守ー意[身をもって{不死の領域}に触れ]

[身をもって{不死の領域}に触れ理解する]
[身をもって{不死の領域}に触れ心を向ける]
[身をもって{不死の領域}に触れ理解しようとする努力]
[身をもって{不死の領域}に触れ気づいている]
[身をもって{不死の領域}に触れ集中している]



293 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 18:57:59 ID:A9w48F76
蛇神ナーガ龍
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/images/2008/03/19/photo_2.jpg

http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4198625247/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

蛇神竜王を守護神に従えたゴータマのように
レプティリアンを調伏して守護させよ。

悪魔に描写されたクンダリニーとアジュナー
http://japan.cnet.com/u/012/139/234bc5c54805e234.jpg

蛇神ナーガの系譜
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/naga01.html

宇宙では悪い宇宙人の敗北と光の側へ変わった事に描写される。

294 :済世活佛:2008/10/03(金) 19:30:09 ID:7wnOPbD4
ヴィパサナーは、達成された定からの状態像であるのが本来なのです。

前スレの555が、大切なのです。

295 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:16:16 ID:ZQp/xKmF
今日本屋を行脚してユビキタスさんから教えていただいた本をざっと読んできましたが、腰をすえて
読まないといけませんね。購入するお金が無いので時間はかかりますが、立ち読みから初めてお金が
出来次第購入し引き続き勉強いたします。

その際ふと思ったのですが、何か自分たちと批判派では「二台分裂」の時の繰り返しをしている
ように見えますね。我々は「大衆派」の観念が抜けないというか、求めているというか・・・。

基本・根本を忠実にやるならば上座部の示すものを講じるしかないのですが、興味が出ないですね。
そうなればどこまで行っても自分は「外道」になるのでしょうけどね。

まあ、自分の中で検証して得心しない限り気持ちは変わらないので、今後も色々試すしかないでしょう。
じっくり輪廻しながら覚えてゆくことにします。

296 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
あと勘違いされているようなので書かせていただく。

四念処などをたかが倫理道徳の実践程度というように馬鹿にしたことは一切ありません。
成仏法を、といったのはあれほどたくさん、しかも高度なことを説かれていると思えるものが
単なる倫理道徳の実践”だけ”では釈尊も成仏法も「大したことがない」といっただけで、そんなわけ
はないでしょう?という風に思っています。

どちらかといえば八正道がありますが、あれだって倫理道徳の実践にもありますよ。
と、いっても八正道を馬鹿にしてはいない。

ただ、煩悩を滅するというのに対し倫理道徳の実践だけだったら、大したことはないというだけ。
批判派の方々がそれをやられてうまく行っているのなら、それでいいでしょう。

例えばXX教や俗世間で言われている倫理道徳の実践ぐらいなら、誰でもできるし活かせる人はたくさんいる。
しかし、それだけでは輪廻から脱出できないし、涅槃へ至れない。だからそっちの方へ行かないし講じない。

だが、逆に倫理道徳の実践で輪廻を脱出し、涅槃へ至れるなら阿含宗は要らない、という考えです。


297 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:51:03 ID:ZQp/xKmF
あとこれも。

シャマタ・ビパシャナーも私はやってないので門外です。なので、そこを馬鹿にしてなどいません。
それは私が今後やるべき事項です。以前私は言ったはずですが瞑想云々は後回しです。やっていない
のになんでおこまがしくいえますか。

瞑想がくだらないとか成仏法じゃないなどと一切言ってない。勘違いしないでほしい。
また超能力云々も今は捨てているのでそこは私は論じない。

瞑想、およびチャクラ開発やプラナルート話は現在興味ありません。
それよりも今日書いた自分の目指す方向の方が自分には大事だったりします。

私の同時期に入信した友人がいたが、そいつは超能力を得たくて必死だった。
一方私は先祖供養がメインだった。ゆえに彼はとっくの昔に脱落した。
神通力や超能力も気にならないわけではないが、今はどうでもいい。

298 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:05:08 ID:ZQp/xKmF
>>268
これは失礼をいたしました。私の勘違いでしたね。申し訳ありません。

>>267
これも過去ログをすべてみたわけではないのでかぶってたら謝ります。

まず、これは管長が示さない限り憶測の範疇を出ない、ということを。

18人という数が正しいかそれは確かに私も思います。管長自体数がコロコロ変わりますのでね。
また、その人たちをちゃんとどこそこの誰それまで示すべきとも思うのも私にはあります。

しかし、それはどこまでできるのでしょうね。また管長がやらないと思いますし。
でも、私が思うにこの「18人」というのは数が違っても管長の言っている霊障というのは
あると思います。それだけ死者の怨念というのは生きている人間に影響を与えます。

ただ、その数と内容が?デタラメに見えるしそういう表現をしたのは、まさに過失。且つ重大です。
突っ込まれてもしょうがない。本当に18人いたのなら全て説明するべきです。

つまり、私から言えば「全くのデタラメではない」ゆえに、弟の事例も他の信者さんの事例も
嘘じゃないし、つじつまは合います。

ただ、たくさん解脱をかけたが効果が無かったというのは別に考えないと論議のもとです。
実際そうなっている現象ですが、これだって管長自身やどなたかが検証してくれるわけではない。
これが水掛け論になる所以でしょう。これ以上は論議を超えないし信じるか信じないかでしかない。

299 :樹意:2008/10/03(金) 21:08:09 ID:SNuNlAtL
仏陀は問いかける、
色〈肉体〉は常であるか無常であるか、?
無常なるものは楽であるか苦であるか?
無常にして苦であり、移り変わるものが 我が物であり、我であり、本質と
認められるだろうか?

過去未来 現在 いかなる 色〈肉体〉感受 想 意思 識 であっても
わが物 我 わが本質であると認めることはできない。
そのよう正しき智慧をもってこれを見なければならない。
そのように見て 本質にあらざるものを厭い離れる、離れれば
解脱する。
生によって老死があり、有によって生がある。 取によって有がある。−−−

その上で貴方はもろもろの神通力を享受するであろうか ?
-----------------------------------------------------
と問いかける。

以前も書いた通り 感覚器官に縛られ、犬の執着を得れば犬の再生
ゴキの執着を持てばゴキ 。
仏陀は無常なるものは苦であるとする、三界の諸蘊は 無常なるが故に
苦であると説く 〈苦聖諦〉
三界に価値を置かないだけのことであって 私もゴキや犬の我はいらない
のと同様に
仏陀は人間としての我を捨てた方であって 三界を超えた本質が
あるのかもしれない。



300 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:19:49 ID:ZQp/xKmF
阿含宗も批判派から見れば「新興宗教の一派」としかならないし、しかも偽宗教(偽仏教)となるのは
ある程度分かる。どんなに奇跡を経験した人があっても、お陰を受けた人がいてもその範疇を出ない。
そこは否定はしない。気分は若干嫌だけどね。

だけど、一番の元凶は管長でしょうね。ここまでやっておきながら無責任のまま。
自分から「後始末ができない男」といってましたからね、アホクサ。

批判派の方々が私たちを責めていないというのは感じています。(一部の人を除き)
私が言ったのは「阿含宗を壊してくださいな」ということ。宗派本体ですよ。

管長が亡くなれば大分変わるでしょうね。あれほどのカリスマいませんからね。
私はすでに管長には「サヨナラ」の気分ですよ。

いっそ、阿含宗は上座部宗教になってしまったほうがいい。そのほうが世のためだ。
まあ、運営が困難になるでしょうけど。


301 :樹意:2008/10/03(金) 21:25:18 ID:SNuNlAtL
>>299

> その上で貴方はもろもろの神通力を享受するであろうか ?
> -----------------------------------------------------

「ではスシーマよ、そなたもまた、そのように知りそのように見て、
いろいろと前世のことを思い出すことができるであろうか。−−
たとえば一生、二生、−−そのように詳しく、いろいろと過去世の事を
思い出すことができるであろうか」
「いいえ、大徳よ、そのようなこともございません。」
「ではスシーマよ、そなたもまた、そのように知り、そのように見て、人間を
超えたる清浄なる天眼を得て、それによって、人々が死してまた生まれる時、
----彼らのなせる業にしたがって、その幸と不幸とがわかれることであろう
事を知ることができるであろうか」
「いいえ、大徳よ、そのようなこともございません」
----------
「スシーマよ、いまや、わたしはいう。いまわれらが問答したことと、
それから、そなたがそこには到らないといったこと。スシーマよ、
これが我らが成就したことなのである。
相応部経典 12 .70 スシーマ 増谷氏訳 阿含経典

このスシーマ経というのは仏陀の教法を知る上で参考になることでしょう。


302 :樹意:2008/10/03(金) 21:32:17 ID:SNuNlAtL
>>301

> 「スシーマよ、いまや、わたしはいう。いまわれらが問答したことと、
> それから、そなたがそこには到らないといったこと。スシーマよ、
> これが我らが成就したことなのである。

本当の意味でコペルニクス的悟りといいますか、天動説と地動説の
違いといいましょうか 、
今でこそ地動説は当たり前に知識ですが、 天が動いていると
考えてしまいますわな、 でも 実際は地球が動いている。〈相対的な
ものですが、−−〉

仏陀の悟りや成就したものは 神通力さへも超えたものだということです。


303 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:41:50 ID:ZQp/xKmF
あと、これも思いましたね。釈尊の言葉であったと思いますが、
「自分が亡き後は今までに私が伝えた法と教えを実践しなさい」

それから見れば、自分の骨を拝めとも言ってないし、方便の多い大乗仏教に見られる教学など
説いてはいない。阿含経や根本仏典などの教えと七科三十七道品を実践することが釈尊の真の
教えと法の実践なので、それ以外は「外道」なんですよね。

それから見れば阿含宗・・・いやほとんどの仏教が「外道」になる。本当の仏教ではないと。
そうなればいくら「釈尊様」と仰ぎ礼拝供養しても本当の信仰ではない。

また占いや護摩も「外道」因縁解脱も「外道」霊障も「外道」全て「外道」。
超能力開発も「外道」現世利益も「外道」、何も残らないですよ。

だから阿含宗などやっても無駄だ、というのはわかっていますよ。


304 :樹意:2008/10/03(金) 21:42:56 ID:SNuNlAtL
私の場合は掲示板の情報で止めたわけではありません、
私の場合は〈悪霊〈識魂〉さんたちの動きで論理的に考えて辞めた〉

私も当初七氏さんの書くことが理解できなかった。
供養否定 先祖侮辱 ----
〈この方は 何を言っとんのか ?〉
アゴンを何年もそれこそ二桁も信仰したなら、その考えから
離脱するのは それこそ反重力の修行です。

阿含経を引用するようになって数年、ようよう理解できるようになった経緯が
ある。
まぁ時間を掛けて 平易な学者さんたちの本を読んでみることです。
目からうろこが落ち、羽が生えてくる。


305 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:58:09 ID:ZQp/xKmF
樹意さん、ありがとうございます。私も否定派の方々からかなり学ばせていただきました。
けっして批判ばかりで罵倒してはいない、というのは分かります。まして元信者さんなのですから、
こちらの考えも把握しているし、しかも長年議論を行われている方はかなりの勉強もされている。
ほとんど「負け」の状態に近いですよ、私も。

ここからは私見です。

でも、フジウスさんの言葉の中にもあったように「全て悪」ではないはず。
そこを認識したいし、あってほしい。無ければ退会するしかないですね。

また批判派の意見や情報、考えは大いに生かして社会的に管長に「問いただす」べきです。
嫌がおうにも公の場に「引きずり落とす」のもあり、だと思っている。

廣野さんの本が出版されたのが管長は「予想外」だったようだが、そういうような攻撃を
どんどんやるべきだ。このWebだけで終わらせるのはもったいない。

批判派のいわれるとおり、このまま阿含宗という「外道」を世の中に置くのは問題だ。
その根本的な「悪の根源」を滅しない限り、被害者?はでるのは当然です。
それを阻止する気持ちがあるのなら、一致団結して攻撃すべきだ。

Webで信者を叩いても何の得がある? 非常にそう思う。
批判派の方々の今までの情報や力があれば、来年中でもできると私は思う。
過去ログで誰かが言ってたが、「それだけ言うならWebでやらず実際にやれよ」という旨の
ことを言ってたが、私もそう思う。

そんなに管長が憎くてやっつけたいなら、リアルの世界でやるべきだ。

306 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 22:04:01 ID:8IytMCYb
今さらねぇw
もうダメだよアゴンは
ほっといても崩れていく
もっとも消滅はしないだろうけど、そんなのはどこでも同じ
オウムでさえいまだに残っているんだから

307 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 22:09:46 ID:ZQp/xKmF
306さん

なるほど・・・。自然崩壊ですか。それもありですけどね。
それこそオウムに流れて会員が激減した時と同様にかなり阿含宗にダメージ与えられると
思ったんですがね・・・。

今でさえかなりヤバイ状態ですし、チャンスですけどね。

オウムもアーレフに変わって残っているように、完全壊滅には無理でも大分内容は変えれる?のではないかと
思ったり。(無理か?)

まあ、批判派の方には「一人でも被害者を出さないために云々」というのを見てたので、それは
いいんじゃないかな、と思ってたが、Webでやっててもさほど効果が無いように見えるので口を
出した次第。余計なお世話でしたね、嗚呼。

308 :樹意:2008/10/03(金) 22:12:43 ID:SNuNlAtL
私は過激なのはいかがかといつも他の方のブレーキを掛ける腰抜けです。
以前も卵ぶつけたる ww というのを ちとお待ちを と書いたことがあります。

ウソで人を欺いて利益を得る行為を批判するものです。
批判スレッドで学ばしていただいたものに逆縁というのがあります。
病気したら病気に詳しくなるし、ーーー

まぁ、世間は脱法産業が普通にありふれていますからね、
批判するのもありです。
いずれにしろこういったものに対処するには授業料というコストが
掛かる。

私はアゴンなんかはカワイイもんだと思っています。
政治的カルトとかになると日本人全てを家畜状態にしようとしますからね。
〈実際日本人の若者は現状悲惨な境遇になりつつある。 〉
まぁ いろいろあるでしょうが 心を落ち着けて読書でもしてみてください。
指氏のように山のぼりなんかも いいかもね、

309 :高城浄海:2008/10/03(金) 22:18:04 ID:D6tsFC9Y
>>307
『阿含宗への質問状・桐山ゲイカに問う』みたいな本を出版すれば、大きな影響があるでしょうね。…ただ、今の会員は桐山氏の本もあまり読んでないからなぁ。

310 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 22:22:51 ID:BDlJhfur
空海が体験した求聞持法(明星)は
どんなものか現代の体験者達から
記しとく。

これらの体験はアセンションに伴ない
皆が自然に体験していくようです。

百会から天のエネルギー
尾底から地のエネルギーが入る
そのとき眉間に強烈な鈍痛を得る
眉間(松果体)で二つは合流し右脳と左脳
にエネルギーが通貫しスパークする。
このとき強烈に目が眩む。

空海はマントラを唱えてる最中になったから
金星が口に飛込んだというふうに
なったのかもしれないね。

これに
修行?必要ないと思うこんなものを意識的行うこと
自体がトン欲かられてないかな。


311 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 22:26:12 ID:ZQp/xKmF
樹意さん、重ね重ね感謝申し上げます。そうですか・・・私もまだまだ蒼いですので、いやはや・・・。

私がなぜ擁護しながら批判するのか、といいますと、やりきれないんですよ。
私はやはり純粋に「信者」でいたいんですよ。管長の教えを信じ、本尊様を仰ぎ先祖供養をして
幸せになりつつ因縁解脱を果たしたい。涅槃に入りたい。人様の役に立ちたいんですよ。

でもね、これだけ管長が矛盾していて疑惑が出るなら、はっきりさせて欲しいし真偽を問いたい。
もう、いっそ公開討論か公開質疑応答、国会に引きずり出したいくらいです。
TVだっていい。とにかく逃げれないようにして公で奇跡とやらを見せて欲しいです。
管長お得意のやつをね。どこまで通用するか。

そうしてはっきりさせたら私たちも安心して進退を決めれるというものです。
もうWebでグダグダ擁護などやりたくない。

私は批判派が勝つと思っています。これだけのものを出せるのはそうはない。それだけ「買って」いますよ。
私の発言ミスもある程度あったが、それ以外の説明できかねるものに対し色々言われても疲れますよ。
管長、白黒付けろ!といいたくなりますね、本当に。

阿含宗はいいものと信じたい。だが、それができかねる。ゆえに「可愛さ余って憎さ百倍」の心境ですよ。
情けないが、そういう気持ちですね。

312 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 22:36:33 ID:ZQp/xKmF
>>309

いいですね。そのためにこの「中立?スレ」をやめて「検証スレ」に変えて情報を募り、出版しますか?
もう擁護もいい加減疲れた。

313 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/03(金) 22:57:36 ID:ooBrZi4T
>>241:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:36:04 ID:gdpTGAjF
>あと、よく無宗教の人もいう言葉ですが、涅槃を「逃げ」とみなし、『そんなに早く死にたいのか』という
>人がいますが、私はそういう観点は持っていません。
>それこそ仏教徒で涅槃を目指さない人はいるのでしょうか? まあ、それも個人の勝手でしょうが、ユビキ
>タスさんも相当学んだ方とお見受けしますが、涅槃が「逃げ」のような世界でないことはお分かりかと。

朝から付ける予定のレスが本尊供養、先祖成仏、倫理道徳といろいろあるが、
本尊供養の続きもあるのだが、こちらを先に片づけておきましょう。
誤解していただいては困るが、私は涅槃を逃げだなんて思っていない。
ここでいう涅槃は煩悩を離れた境地というよりも、とにかく死後生まれ変わらない
という側面に焦点を当てる。なぜなら大日さんの目指す涅槃も輪廻の止まる
境地だからです。
仏教徒ではない一般人は命が尽きて生まれ変わらないことを理想とするという
人生観はなかなか理解し難いものがあると思います。
今度生まれ変わったら結婚しようねとか来世を夢見る人もいる。
天国に行くことを願っても、涅槃を願うなんて、なかなか哲学的な考えがないと
感覚だけでは憧れられない。
それはこの世の欲望原理から脱して、この世に対する執着を離れている。
だから大日さんが本当にこれを希求するならば、これは皮肉ではなく立派なものです。
それを確かめる為に「死にたいのですか?」と尋ねたわけです。
いや、死にたいなどと答える必要はない。
死ぬことに抵抗はない。命は惜しくはない。未練はない。というのが涅槃を求める
人の覚悟でしょう。
ところが大日さんは死ぬ前に幸福な人生を送りたいと未練を見せた。
決して涅槃に至る覚悟もないなと感じた。

314 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/03(金) 23:31:28 ID:ooBrZi4T
>>241:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:36:04 ID:gdpTGAjF
>私は農民を見て「とっとと涅槃を得て死んじまえよ」ということなど言いはしません。
>逆を言えばそういう言葉を引用するということはユビキタスさんが涅槃への解釈が歪んでいるのでは?と
>思うほどです。

これも誤解というよりも、文脈が読めていない。
私が「農民よ死んじまえ」なんてことをマトモに説くと思うか?
釈尊だってそんなヒドイことは言わないとだけ示したのです。
この世は欲望原理によって成り立っている。
それで繁栄した国家や社会が生まれる。
しかし釈尊の教えは欲望原理に反している。
欲を捨てよ、煩悩を捨てよと説く。
煩悩というのは悩みではないのです。凡人はいつまでもこれを抱えていたいのです。
だからこれを手放せなんて説く道は欲望原理に反する。
だから仏教は世界の三大宗教などと言われながら、その実その宗教人口は
キリスト教やイスラム教に比べ、著しく少ない。
インドにおいてすら信者数はヒンズー教に替わられてしまった。
これは欲望否定、煩悩否定が理解されないし、理解されても感情的に捨てたくない
からです。
では釈尊はこの社会の繁栄を嫌ったのかというと、決してそんなことはない。
耕作人でも職人でも商人でも政治家、役人でも、努力して生きることを説いた。
要は行き過ぎがよくないのです。
だから節制を説くけれども、幸福を求めて現実努力をすることを否定しない。
それを説明する為に、農民よ氏ねのムチャクチャ話を出した。
涅槃が最高だからと言って、「農民よ、そんな食欲本能をくすぐる食物なんか
作って欲望を煽るのなんかやめなさい。とっとと涅槃を求めなさい。死になさい
なんてことは言わないと書いたのです。

315 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/03(金) 23:39:09 ID:ooBrZi4T
>>295:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:16:16 ID:ZQp/xKmF
>今日本屋を行脚してユビキタスさんから教えていただいた本をざっと読んできましたが、腰をすえて
>読まないといけませんね。購入するお金が無いので時間はかかりますが、立ち読みから初めてお金が
>出来次第購入し引き続き勉強いたします。

とりあえず今回はその中の1冊だけを選んで買ってくればよかったではないですかー。
人間は一度に複数のことはできません。
一つ一つやっていくのが正しい。
本も一度に読めるのは一冊だけです。

316 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:41:58 ID:M7n38yh8
>>295 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:16:16 ID:ZQp/xKmF
>その際ふと思ったのですが、何か自分たちと批判派では「二台分裂」の時の繰り返しをしている
>ように見えますね。我々は「大衆派」の観念が抜けないというか、求めているというか・・・。

言葉尻をとらえるつもりはないが、これは大衆部を含めた当時の比丘たちに
たいへん失礼なたとえです。
大衆部を在家信者の集団だと誤解していませんか。
彼らは十事という戒律に関することで対立しただけで、
戒律を守り、煩悩を断ち切るための修行をしていた比丘たちだったのですよ。
先祖供養もなければ、因縁解脱なんて御利益信仰もしていません。
アゴン宗批判はそんな高級なものではない。
ただの宗教詐欺の批判にすぎません。

317 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:43:33 ID:M7n38yh8
>>253 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:12:52 ID:Ms3cQXhj
>『倫理道徳の実践』だけで煩悩を解脱できるはずはないし、成仏法というのはそんな他宗教の教えの
>ようにそんなに弱いものかと思うからです。だから釈尊を見くびるわけではないが、そう思うのです。
>>296 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
>四念処などをたかが倫理道徳の実践程度というように馬鹿にしたことは一切ありません。

あなたの253の書き方は、まるで釈尊の教法が倫理道徳にすぎず、
そのへんに転がっている宗教と何等変わりないと書いているように受け取れるのですよ。
倫理道徳の実践だけで煩悩が切れるはずはないという批判は、
誰に対するものなのかという点です。
私の読み方が悪いのか、あなたは批判側が説明して釈尊の教法について、
倫理道徳と言っているかのように聞こえる。
そうでないというなら、253の
「だから釈尊を見くびるわけではないが、そう思うのです。」
とはどういう意味ですか。

318 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:45:55 ID:M7n38yh8
>>296 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
>ただ、煩悩を滅するというのに対し倫理道徳の実践だけだったら、大したことはないというだけ。

どうしてあなたはそんなに倫理道徳を軽視したような態度をとるのだろう。
修行法と倫理道徳は別物だと思い、倫理道徳を軽く見ているのではありませんか。
修行法のすべては倫理道徳の上に成り立っており、
それなくしてはこれらの修行の実践などできるはずがない。
桐山さんも倫理道徳の実践を小馬鹿した態度をとるのが大好きだが、
シャカ仏教は世間の宗教よりもはるかに厳しい倫理道徳の上に成り立っています。
世間の倫理道徳を守るなんて当たり前であり、その上にさらに厳しい倫理道徳が求められる。
その一部は戒律ですから、在家も程度の差こそあれ、例外ではない。
出家と在家の最大の違いは、後者は破っても罰則がないというそれだけです。

319 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:50:56 ID:M7n38yh8
>>296 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
>ただ、煩悩を滅するというのに対し倫理道徳の実践だけだったら、大したことはないというだけ。

出家は男女関係は禁止であり、在家は邪淫は禁止であり、
さらに自分の意志で梵行として、出家と同じように全面禁止を守る。
大日さんはすでに知っているように、仏教の梵行とはアゴン宗のボン行と違い、
性的な関係を含む欲望(欲貪)を断つことを指します。
これは出家経に書いてあるとおりです。
不邪淫までは世間的な倫理道徳だが、在家が梵行を実践するとなると、
世間の倫理道徳を越えている。
この不邪淫戒と梵行との関係をみればわかるように、
仏教の教法とは世間の倫理道徳を守るなんて当たり前のアタリマエであり、
その上に仏教独自のさらに強い戒律という倫理道徳が求められる。
だから、世間の倫理道徳も守れない人がシャカの成仏法を体得したなんてありえない。
桐山さんが釈尊の教法を体得したなんてありえないのは、
世俗的な倫理道徳すら守りきれないのを見れば十分です。
食いしん坊でメタボなアラハンとか、勲章をつけたアラハンなどマンガの世界だけです。
桐山さんのマネをして倫理道徳を低く見るのは、みっともないからやめたほうがいい。
もしどうしてもそうしたいなら、まず倫理道徳をあなたが守ることです。

320 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:55:16 ID:M7n38yh8
>>296 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
>どちらかといえば八正道がありますが、あれだって倫理道徳の実践にもありますよ。

桐山さんから八正道をオシエだと教えられて信じているのですね。
そろそろ桐山さんとは文字面を勝手な解釈で読んで、
さも何かを理解したかのように滔々と文章にする人だということに気が付いているでしょう。
彼は七科三十七道品を体得どころか、理解すらしていない。
四念処観の説明などいくつかその事例をあげた。
もう一つが、七科三十七道品を別々の修行法だと考えている点です。
まるで学校の理科と国語みたいに、別々なものだと思っている。
まったくの間違いで、釈尊の修行法は一つしかない。
それを様々な角度から説明しているし、後の部派仏教の人たちが、
数のついている修行法を「ずさん」に分類したのが七科三十七道品です。
釈尊が説いたには間違いないが、釈尊があのように分類したわけではありません。
事実、中身を検討すると、項目がいくつも重複して、
どうしてあっちこっちに同じ修行法の名前があるのか、
なぜそこにあるのかはっきりしない。
それらはきちんとした理由があるのではなく、数学民族であるインド人が
数字に基づいて分類しただけで、中身で分類したものではありません。
これは経典のいたるところでみられる。
たとえば、三供養品も内容でなく、三という数字で分類しただけだから、
アゴン宗の採用している三供養品は供養とは関係のない経典です。

321 :済世活佛:2008/10/03(金) 23:55:23 ID:TlD7BhDi

釈尊は、目連に神通力を使って弟子達をビビらせなさいと指示しました。




322 :神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:56:41 ID:M7n38yh8
『ブッダ最後の旅 大パリニバーナ経』(中村元訳、岩波書店)、150ページ

スバッダよ。いかなる教えと戒律とにおいてでも、(尊い八支よりなる道)が存在すると認
められないところには、(第一の)(道の人)は認められないし、そこには第二の〈道の人)も認め
られないし、そこには第三の(道の人)も認められないし、そこには第四の〈道の人)も認められ
ない。しかしいかなる教えと戒律とにおいてでも、(尊い八支よりなる道)が認められるところ
には、第一の〈道の人)が認められ、そこには第二の〈道の人)も認められ、そこには第三の(道
の人)も認められ、そこには第四の(道の人)も認められる。この(わが)教えと戒律とにおいて
は〈尊い八支よりなる道)が認められる、ここに第一の(道の人)がいるし、ここに第二の(道の
人)がいるし、ここに第三の(道の人)がいるし、ここに第四の(道の人)がいる。
他のもろもろの論議の道は空虚である。
〈道の人)を欠いている。スバッダよ。修行僧らはここに正しく住
しなさい。そうすれば、世の中は異人たちを欠くことの無いものとなるであろう(=真人たち
がつづいて出て来るはずだ)。
スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。
スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外には(道の人)なるものも存在しない。
第二の〈道の人)なるものも存在しない。第三の(道の人)なるものも存在しない。第四の〈道
の人)なるものも存在しない。他の論議の道(=他派)は空虚である。
〈道の人)を欠いている。
スバッダよ。この修行僧たちは、正しく住すべきである。
そうすれば、世の中は、真人たちを欠くことの無いものとなるであろう。


323 :済世活佛:2008/10/03(金) 23:59:47 ID:TlD7BhDi
釈尊(初期仏教アゴンキョウそのまま)

伝承された初期仏教による
釈尊の教えです。

父母を養う。
父母のために為すべきことをする。
家系を存続する。
家の財産を相続する。
先祖を供養する。


324 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:01:53 ID:LqqQeltq
>>296 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
>どちらかといえば八正道がありますが、あれだって倫理道徳の実践にもありますよ。

桐山さんは八正道はオシエで、四念処は瞑想で、四神足のみが法だなんて
無知な分類をしている。
八正道とは、七科三十七道品の総目録であり、残りの科目の全部を表している。
八正道の中には四念処や四神足から七覚支まで全部入っているのです。
釈尊の説いた修行法とは何かと質問されれば、八正道だという答えは正しい。
地名にたとえるなら、分類した部派仏教の人たちは、七科三十七道品として、
「日本、高尾山、杉並、関東、霞ヶ関」などと分類してしまった。
日本ならアメリカや中国と比較するべきだし、関東なら関西や四国と並べるべきなのに、
日本という全体も、関東という道州も、霞ヶ関という一つの街も、
山の名前も全部同じレベルで並べてしまったのです。
八正道とは「日本」に相当し、八正道こそが釈尊の説いた修行法の代表名です。
>>322に示したとおりで、八支の道とはもちろん八正道のことです。
八正道こそ正しい道であり、それ以外には解脱の道はないと説いている。
桐山さんの説明がいかにデタラメかこういう経典一つを見てもわかる。
八正道をオシエであるなどという桐山さんの洗脳から抜け出すことです。

325 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:02:57 ID:G7ktJ7bX
釈尊(初期経典)

仏陀の遺志を継ぐ者、
真理の法を継ぐ者には、四の弟子がある。
それでは、この四の弟子は、如何なるものか。

第一には、男性の出家の修行者、比丘である。
第二には、女性の出家の修行者、比丘尼である。
第三には、男性の在家の修行者、優婆塞である。
第四には、女性の在家の修行者、優婆夷である。

以上の者が、神通を以って、
弟子を育てない限り、法の系は絶える。
それは、弟子にとって、何よりの苦しみである

326 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 00:03:32 ID:xIaTQ3Ev
>>296:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 20:43:35 ID:ZQp/xKmF
>あと勘違いされているようなので書かせていただく。
>四念処などをたかが倫理道徳の実践程度というように馬鹿にしたことは一切ありません。

これと同じことを○○屋さんや大日さんに言い返す。
このユビキタスがいつ釈尊の教法を単なる倫理道徳だと書いた?
あなたがそう勝手に感じただけではないか?
煩悩をなくす道のどこが倫理道徳か?
その為に家族も捨てて出家もし、四六時中自己観察を続け、二百五十もある戒律を
守り続けないと破門なのです。
ただし在家はそこまで厳しくはないが、基本は同じです。
そして煩悩を捨てる道は煩悩を手放したくない人たちにとっては、それは耳の痛い
話なんです。だからちょっとそういう話をするだけで、単なる倫理道徳などと罵る。
単なる倫理道徳すら実行する気もない人が。

>どちらかといえば八正道がありますが、あれだって倫理道徳の実践にもありますよ。
>と、いっても八正道を馬鹿にしてはいない。
>ただ、煩悩を滅するというのに対し倫理道徳の実践だけだったら、大したことはないというだけ。

ほら、今度は馬鹿にしていないなどと良いがら、八正道を倫理道徳などと決めつけにかかった。
どうして自分の無知を克服する勉強をしてから語ろうという気にならないのか?
待てないのか?恥ずかしくはないのか?
八正道とは仏教の根幹であり、真髄です。
七科三十七道品などというが、実は内容はかなり重複が見られる。
その時その時で説く側面が違っていたのを編纂寄せ集めしたものに過ぎない。
そんな中でどれか一つを選べと言われたら八正道をあげます。
なぜなら釈尊がそう説いている。
苦集滅道の道は桐山さんは仏道だなどとごまかすが、正しくは八正道です。
初期経典にそう書いてある。
初転法輪経でしたか。
八正道は煩悩をなくす道なのです。

327 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:03:54 ID:LqqQeltq
>>298 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:05:08 ID:ZQp/xKmF
>でも、私が思うにこの「18人」というのは数が違っても管長の言っている霊障というのは
>あると思います。それだけ死者の怨念というのは生きている人間に影響を与えます。

過去の議論を完全無視していますね。
「桐山さんのいう霊障」には根拠がないのです。
霊障があるかないかという一般論をしているのではない。
桐山さんの説いた霊障は嘘だと批判しているのです。
その実例が18人の霊障武士です。
これは桐山さんの霊障の根拠となっている。
だが、信州の幕末には上意討ちなどない。
桐山霊障は完全に否定されたのです。
桐山霊障があるというなら、その証拠をあなたが示せばいいではないか。
示せないのに、どうして霊障武士がいたに違いないと主張し続けるのですか。
史実にもないことを根拠にしていたら、ナンデモアリです。
しかも、あなたはソンディの件は嘘だと認めた。
桐山霊障の根拠となっている「体験談」こそが霊障武士なのですよ。
存在しない霊障武士を霊視して、成仏させた桐山さんの霊視能力とは何なのですか。
同時期に生きていた人物を生まれ変わりと霊視する桐山さんの霊能力とは何か。
普通こういうのをインチキというのです。
桐山霊障が本物だと主張したいのなら、根拠を示した上で主張するべきです。

328 :一修行者:2008/10/04(土) 00:04:22 ID:6eFkrBf9
>>187>>217>>220
ユビキタスさん。
>具体的に示す義務があるというよりも、具体的に示さないことには何の
>説得力も持たず、むしろ書かない方がよいのです。

いえ、私には書く意義がありますよ。
この掲示板は、私が思っていたより多くの会員さんが見ているようですから。
もし、私と感性の同じような人がいて、私の書き込みがきっかけで、なにかを感じ取る可能性がないわけではないですから。
それはいわゆる批判側の人も同じでしょう。
具体例に関しては、もう少し説得力のある説明ができるようになったら書くかもしれません。
私はユビキタスさんにも煩悩解脱して欲しいですからね。
ただ、簡単に書くと執着の減少を感じるのです。
これは、「あきらめ」と誤解される。だから今は書かないのです。
済世活佛さんに関しては、よくわかりませんが、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦提薩婆訶さんと同じ方でしょうか。
同じとして書きますが。違ったら失礼します。
私は羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦提薩婆訶さんの書き込みは荒らしとは思ってません。
むしろ阿含宗的にはどこかの領域にいる方だと思ってます。
私が管長が世界をターゲットにしたと書いたこともそれとなくか書かれてましたし、
アプローチの仕方によっては、煩悩解脱も運命解脱も同時に可能のようなことも書かれてます。
だから未知の領域の方です。
ただ、ユビキタスさんの否定の仕方は良くないと思います。
解脱者であれば、導くような否定の仕方をされたほうがよいのではないかと思います。
しかし、ユビキタスさんは現在、批判派の象徴のような人なので、「ユビキタス=批判派すべて」として書かれているかも知れません。
失礼ながら解脱者であっても他人とのコミュニケーションがへたな方もいらっしゃると思いますので、
ユビキタスさんが私におっしゃっているような対応でお願いいたします。

329 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:05:05 ID:G7ktJ7bX
釈尊(初期経典)

聖者を非難し、誤った見解をもち、

誤った見解にもとづく行為を蓄積している人々が、

肉体が滅んだ死後、不幸な境涯、悪い所、苦しみの境涯、

地獄に生まれるのを、私(釈尊)は見たのである。

さらにまた、比丘たち、

自分で知ったこと、自分で見たこと、自分で理解したことを

私(釈尊)は説くのである

コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。
地獄へ落ちた者は、
鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、
灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、
燃え盛る火の中に入れられたりする


330 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:06:00 ID:LqqQeltq
>>298 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:05:08 ID:ZQp/xKmF
>つまり、私から言えば「全くのデタラメではない」ゆえに、弟の事例も他の信者さんの事例も
>嘘じゃないし、つじつまは合います。

あなたの弟さんの事例がどうして桐山さんの成仏リキの証拠や、
ましてや十八人の霊障武士の証拠になるのですか。
脈絡がない、証拠にならないと批判されても、
あなたはそれらの議論を完全無視して、また同じ事を書いている。
両者を区別するだけの冷静さをもったほうがいい。
「新興宗教の奇跡」をあなたも認めた。
弟さんの事例が嘘だと言っているのではありません。
水掛け論ではなく、あなたの弟さんの事例は桐山さんの死者成仏リキの
証拠にはならないし、ましてや十八人の霊障武士が存在した証拠になるはずがない。

331 :一修行者:2008/10/04(土) 00:07:46 ID:6eFkrBf9
>>217
ユビキタスさん。
阿含経の2重解釈とはどういう意味で書いたかといいますと、握拳はないといわれたのは私も知っていますが、
ようするに、一つは皆さんがおっしゃるストレートな解釈で一つは自分の境涯や煩悩に対してそれを解決するためにどう解釈するかということです。
だからこれも具体的に書けといわれても「なんだその解釈」となるので、書き込む必要はないと考えます。

>>220
これはショックですね。ユビキタスさんがこのような例で「体が変わる」という言葉を解釈されたのは。
管長否定=チャクラ否定で完結ですか。
煩悩解脱の修行が主のため、チャクラに興味がなくなったのでしょうから、これ以上つっこみませんが、本など買わずともサイト検索でいろいろでてきますので、是非見てください。
うさんくさいサイトもありますが。

>>223
前回も書きましたが、人生の選択はその人の生き様だから否定しない。
ただ、私の立場からだと、ユビキタスさんのうような人だからもったいない、と思うわけです。
どうみたって仏教徒に見えますよ。

332 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:08:05 ID:LqqQeltq
>>305 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:58:09 ID:ZQp/xKmF
>そんなに管長が憎くてやっつけたいなら、リアルの世界でやるべきだ。

自分の価値観を他人に押し付けるのではなく、もう少し他人の視点も理解してはどうだろう。
あなたは、自分はアゴン宗の悪いところは承知しているが、全部が悪いと
思わないから信仰を続けていると自分の立場を主張している。
その立場を、批判側は賛同はしていないが、意味は理解している。
だが、あなたは批判側からたびたび批判の理由を書かれても、
そのまま意味を受け取ろうとせず、上記のように自分の価値観を押し付ける。
それはいくらなんでもおかしくありませんか。
批判側が桐山さんに怒りや憎しみがないと言ったら嘘になるでしょう。
だが、それが理由でここで批判をしているのではありません。
そんな人は逆に続かない。
批判側の書き込みから桐山さんを「憎くてやっつけたい」と解釈できるとは驚きです。
批判側の誰がそれほど感情的な文章を書いているのだろう。
みんな冷静に淡々と書いている。
失礼ながら、どちらかという感情的になっていたのは大日さんや一修行者さんですよね。
>>308で樹意さんが卵の件を出しているように、これをしたいと書いた人を
煽るどころか、大半の批判側がやめるように書いた。
本当に桐山憎しなら、どうせ自分がするのではないから、
やれやれと煽るのではありませんか。

333 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:08:22 ID:G7ktJ7bX
釈尊
法を求め出家し、業に敗北し家に戻る。
アーナンダよ、これは、最も重い悪業となる。
永遠の地獄に導かれる

釈尊
上のみから
下がわかる。
上のみから
下が正しくわかりおこなえる。
下から
上はわかりえない。
下からは上が全くわかりえない。


334 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:11:59 ID:G7ktJ7bX
完全勝利
 ↓
大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:58:09 ID:ZQp/xKmF
>そんなに管長が憎くてやっつけたいなら、リアルの世界でやるべきだ。


335 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:12:28 ID:vQunwHtP
>>311 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 22:26:12 ID:ZQp/xKmF
>私がなぜ擁護しながら批判するのか、といいますと、やりきれないんですよ。
>私はやはり純粋に「信者」でいたいんですよ。管長の教えを信じ、本尊様を仰ぎ先祖供養をして
>幸せになりつつ因縁解脱を果たしたい。涅槃に入りたい。人様の役に立ちたいんですよ。

わかりますよ。
私は愚かにも一時期とはいえ、桐山さんの地球壊滅を信じた人間です。
80年代の前半は、アゴン宗の最盛期だったこともあり、みんな燃えに燃えていた。
大日さんは体験していないだろうが、それはすごかった。
その先頭に立っていたのがフジウスさんです。
十六法を実践する大梵行だ、人類救済だ、地球壊滅を救おう、などと
今書くと冷や汗がでるくらい恥ずかしいが、本気だった。
自分もなにがしか他人様の役に立つことで、その功徳によって
悪因縁も切れて、解脱への入口くらいには到達できるだろうと期待していた。
だが、大量の入行者が潮が引くようにいなくなり、時間がたつにつれ、
様々な矛盾が噴出していった。
桐山さんは今でもそうだが、「おれについて来い。ついて来るのが弟子だ」と
矛盾など完全無視して、そのまま突っ走った。
1999年が近づくにつれて、信者を横変死で脅かし、くだらない餌で釣るが、
相変わらず信者を釣るために使った宣伝内容は何も出てこない。
イベントと桐山さんの名誉買いあさりがますます露骨になった。
増えたのは桐山さんの勲章と普通の知性では支えきれないほどの矛盾だけ。

336 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:14:22 ID:G7ktJ7bX
大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 21:58:09 ID:ZQp/xKmF
>そんなに管長が憎くてやっつけたいなら、リアルの世界でやるべきだ。

335 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:12:28 ID:vQunwHtP


337 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:15:38 ID:vQunwHtP
>>311 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 22:26:12 ID:ZQp/xKmF
>私がなぜ擁護しながら批判するのか、といいますと、やりきれないんですよ。
>私はやはり純粋に「信者」でいたいんですよ。管長の教えを信じ、本尊様を仰ぎ先祖供養をして
>幸せになりつつ因縁解脱を果たしたい。涅槃に入りたい。人様の役に立ちたいんですよ。

信者時代の法友が「夢よ、覚めないで」と言って、みんなで苦笑したのを覚えている。
彼も実に熱心に梵行に励み、個別の護摩木托鉢をするばかりか、愚かな先達たちのように
驕ることもなく、肩書きも欲しがらず、純粋に他人と自分の解脱のためと思って修行していた。
だが、今の大日さんのように、手の中の砂がこぼれ落ちるように、
目の前で桐山さんの作り上げた空中楼閣が消失していった。
そこに投入した時間、金もすごいが、それ以上に自分の希望、
修行や解脱への向上心すらも、何一つ生み出さないまま、
桐山さんの名誉とイベントのためにすべて浪費された。
せめて夢だけでも見させてくれというのは、冗談ではなく本音です。
だが、彼も夢を見続けるのではなく、祭りの後のようなチープなイベントの屋台と
欲望というゴミが散乱しているだけのアゴン宗で、同じ妄想を叫ぶ老人がいるだけ
という現実を見ることを選び、去った。

338 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:16:49 ID:G7ktJ7bX
帰依した人の批判の為に釈尊を持ち出すこと自体が悪業です。

335 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:12:28 ID:vQunwHtP


339 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:18:28 ID:vQunwHtP
>>311 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 22:26:12 ID:ZQp/xKmF
>でもね、これだけ管長が矛盾していて疑惑が出るなら、はっきりさせて欲しいし真偽を問いたい。

あなたの気持ちはわかるが、無駄であり、無意味です。
と、指摘されなくても大日さんもわかってはいるのでしょう。
桐山さんがそんなことに答えたことは一度もない。
彼の八十年の人生でしてきたことは、全部ごまかすことです。
遊び人にすぎなかったのに、まるで家が貧乏で学校に行けなかったかのような嘘、
徴兵を逃れるための結核の嘘、
偽ビールの犯罪の言い訳に先祖や存在しない十八人の武士まで登場させ、
徹底的に言い訳をしてきたのが彼の人生です。
今さら、この桐山さんがあるがままの自分と対峙すると思いますか。
今の彼は、イスラエル護摩を成功させ、世界を救う聖者となって、
自分は仏界に行けるという脳内麻薬に溺れる老人にすぎない。
こういう桐山さんに何かをしろと要求するのではなく、
大日さんが何をするべきかを考えることです。

340 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:20:01 ID:G7ktJ7bX
釈尊は神通をもって救っています。

比丘比丘尼にも神通をもって救っていることがあります。

初期経典

釈尊が教団追放である(つまみだせ)と大きな声でいったエピソードがいくつかあります。

初期経典

釈尊に帰依したバラモンが
バラモンの伝統にそって釈尊を供養したとあります。
それが
大きな功徳があるというおしえになっていました・・・・




341 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:22:29 ID:G7ktJ7bX
間違っています

ユビキタスのでっちあげ〇点答案の一つ

1.鳩摩羅什も玄丞三蔵も中国人で多くのインドの仏典を中国の言葉に翻訳して
漢訳経典を作りました。その際に中国人ならではの思考とかも影響して、選ぶ漢字語句
などもインドと違う中国人に誤解されて本来の意味が歪められるものもあったかに思います。
そんな感じですからその訳も多岐の語句が使われる可能性を有していると思います。
一つの訳語に囚われないことですね。


342 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:24:06 ID:G7ktJ7bX
もう、
大日如来 ◆eu6hMsrO3Q は、さっさと桐山氏をあきらめるべきです。

343 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:27:05 ID:GJvgTdZl
釈尊も大日如来 ◆eu6hMsrO3Q に対して教団追放と引導をわたすでしょう。

344 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 00:34:46 ID:xIaTQ3Ev
>>328
執着の減少?
それは私と正反対の見方ですね。
私はアゴン宗信者は世間一般の無宗教の人たちよりも執着が強く多く抱えている
と観察します。
あなたは執着の減少、私は執着の増大ということで分かれました。
はい、と言う結果になったところで議論終わり〜。あるいは中断〜。
で、よいのですか?
普通は、観衆は執着が減少したと見える具体的事例を書いてみろよと言いますよね?
私にも執着が増えたという根拠を示せと迫ります。
それが当たり前です。単なる単語合戦なんて誰も興味ない。
私は書けますよ。
あなたはまだ書かないという。
すっかり観衆はしらけましたね。

345 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:36:31 ID:GJvgTdZl
ユビキタスの攻撃衝動に基づく甘言には、
背後に邪悪な存在があるのです。
警鐘を鳴らす必要があります。

釈尊も悪霊憑依の甘言に対しては
毅然としてはねのけています。

346 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:40:39 ID:GJvgTdZl
仏塔破壊
桐山氏攻撃
嬉々として攻撃衝動で執着するユビキタス ◆oGqIQwSRtg

347 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 00:40:47 ID:EoxQSUlt
分かりました、もう擁護はしません。擁護は自分の中で行えばいい。というか、擁護はするものではなく
自分で検証し納得が行けばいいわけで、擁護を強めるか弱めるか(もしくは消滅)のどっちかになるでしょう。
ここで出しても水掛け論なのでやめます。

逆に検証の方面へ入ります。批判派の方の意見を聞くように変えます。
とことん批判派の方の意見を聞き、自分の擁護は出さないようにします。
そうやらないと堂々巡りで疲れるわ・・・。

また、以前からの姿勢の「本を読む」というのも行ってゆきます。
いま、マジでお金が無いので用意でき次第、揃えて購入し勉強いたします。
批判派の方々、よろしくご教授ください。

348 :済世活佛:2008/10/04(土) 00:45:57 ID:GJvgTdZl
図書館にいきなさい

349 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 00:52:01 ID:xIaTQ3Ev
>>328
済世活佛の言いたいことがわかると言うのならば通訳してみなさい。
なんとなくではダメです。
なんとなくなら私でもわかりますよ。
釈尊の教えを運命転換も御利益もあったと説いて批判側に反対したい。
では一修行者さんは私ら批判側のこの主張に対して、何番のレスでこう反論して
おり、その典拠はこの経典であり(わからなかったら質問してごらんなさい)
きちんとレスの役割を果たしていると具体的に解説してみなさい。
大ざっぱな単語の羅列ではダメですよ。
まああなたには無理でしょう。
あなたの頭というのはすごく曖昧で、いい加減で、なんとなくわかったような
気になっているだけです。
しかしいろいろ言い訳をつけて決して具体的解説などできない。
運命解脱ができていないという観察評価もそうですよね?
何を以てそう感じたのかすら具体的に示せない。
私は解脱者でもないし、あなたなど導く気は最初からない。
私の書き込みから何か感じてくれる人が、その後自分で考えて各自で道を発見
してくれればよいスタンスです。
しかしひょっとするとギャラリーの中には、ユビキタスがいろいろ導きを示して
いるのに対して、一修行者さんが導かれようとしないと見ている人もいる
「かもしれない」ですよ。

350 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 01:13:10 ID:xIaTQ3Ev
>>331
ほらね?二重の解釈もまた書けないでいる。
なんだその解釈?と言われるのが嫌なんだからだそうです。
ならば最初から何も書かない方がよい。
きちんと責任のある意見を述べられる自分になってから書きなさい。
責任も果たせないくせに、何かあるかのように滔々と述べ、相手から少し質問
されただけでこれを拒否する。
失礼な人と言わざるを得ない。

チャクラを否定も肯定もしません。
ただ体質というのは変わると書いたのです。
スポーツ鍛錬などでね。
チャクラの開発も鍛錬の道でしょ?
スポーツ鍛錬で精神も図太くなったりもします。
進歩向上もします。
しかし解決しない面もいくらでもあります。
他人のことを書いて恐縮だが、孫青柿さんも拳法系の武道家なんですよ。
彼も体格が小さくてコンプレックスがあったようです。
で、ヨーガや気功にも興味があった。
アゴン宗もその延長線上で期待した。
武道で鍛えた青柿さんはすごいと私も思う。
しかしそんな彼でも神経症的な悩みがありなかなか克服できなかったそうだ。
チャクラの話はあなたが仏教とは関係ないかもしれないけどと断り書きをしていた
ので、私もその前提を忘れないでいてくれよと思い、雑感のみ書いた。
その雑感とは、このような体質の変化とその影響も、不思議な運命の話にして
よいのだろうか?と問題提起した次第。
まあ、世の中には「運命を変えた一言」「運命を変えた出会い」とか普通に騒ぐので
「運命を変えたスポーツトレーニング」だってアリだろうと。
桐山トレーニングは青柿さんによるとヒーリングより効果なしとのことです。

351 :一修行者:2008/10/04(土) 01:37:02 ID:t67qlBam
大日如来さん。○○屋さん。
今回は同じ会員として。
お二人の書き込みに、私としては少し残念だと考えてます。
やはり会員として、書いてはいけないこともあるのではないかと。
それは、思うのは自由ですよ。私だって、お二人と同じ部分がかなりあります。
でも私は書かない。だから批判も擁護も目的ではないのに、おそらく皆さんの印象は私は擁護派です。
なぜ書かないか。
今回はおもいっきり阿含宗徒の立場で書きますが、もしお二人が、
「運命解脱はもう結構で、必要なのは、煩悩解脱」というのなら、
私の書くことは無駄になってしまうので、月曜日にでも燃えるゴミといっしょに捨ててください。
以前にも書きましたが、私は幸か不幸か、無意識の意識がどのように表面意識に作用し悪因縁の方向へ導くか、その流れを感じとる時があります。
その意識は自分であって、自分でない、「お前は誰なのだ」と、自問する時もあります。
でもやはり、自分なんですね。自分が悪果を望んでいる。
今のお二人の書き込みは、運命が運命を遂行しようとする表れのように見えますよ。

352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
つづき。
以下は大日如来さんへ。
大日如来さんなどまさに、批判を書くことによって、どんどん方向がずれていく。
阿含宗否定を信じこませ、運命を遂行させようとする無意識の意識にみごとにやられているような気がします。
こう書くと一般の人やいわゆる批判派は、「脅し」「カルト」という。
だから、ここには書きたくなかったのですが、どんどんエスカレートしてますね。
これはいわゆる批判派の人も言ってますが、管長は煩悩を切ってはくれません。
だから、問題を向けるべき相手は、あくまで自分です。
済世活佛さんが、われわれのために、煩悩解脱と運命解脱が同時に可能であるとの検証をされているのに、なぜ気づかないのですか。
大日如来さんはユビキタスさんについても誤解されました。
ユビキタスさんはいつも自分が相手です。
他人に書き込みながら、いつも自分に問いただしてる自己観察です。
有言実行の人です。
実は私も同じような作業をしています。
神も仏も名無しさんに対応するときです。当然大日如来さんも怒りはなくても不愉快には感じてるでしょう。
だから私はこう考えます。「この不愉快さはなんだ。この現実が自分が無意識に選択したものなら、不愉快の原因は私にある。
ただ、この会話では私に非があると思えない。ならば前世か。いや、この程度の不愉快さが、前世の持ち越しのわけはない。
ならば、現世か、、、
あったあった、過去に仕事上同僚に私が同じ不快感を与えたことが。」
そしてこの縁を作った過去の煩悩を反省し、他人に同じ不快感を与えない努力をすれば、とそちらに転換していくのです。
これって管長が言われてた、「他人に自分の因縁を見ろ」、ということでは?
管長はおそらく、自らを見つめて自分で考えろ、という指導でしょう。
私たちが考えるべきものは管長ではなく、大日如来さんが体感された、私に教えてくれるなにかや、
他の人が得たなにかを持って行う、阿含宗の修行法のシステムの構築でしょう。
でも私もけっこう管長のことは考えてしまうんですけど。
以上、表現に誤りがあったら失礼。
これは私の別の会員の人へのメッセージでもあります。
また、すべて私の考えであり、断定するものでは、ありません。
神も仏も名無しさんは上の一行を見落とすと、また同じミスをしますよ。

353 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 02:11:28 ID:xIaTQ3Ev
>>351:一修行者 :2008/10/04(土) 01:37:02 ID:t67qlBam
>以前にも書きましたが、私は幸か不幸か、無意識の意識がどのように表面意識に作用し悪因縁の方向へ導くか、その流れを感じとる時があります。
>その意識は自分であって、自分でない、「お前は誰なのだ」と、自問する時もあります。
>でもやはり、自分なんですね。自分が悪果を望んでいる。

その無意識の衝動とそれをも観察できてしまう自分についてあくまでも一仮説
という前提で私見を述べてみましょう。
仮説ですから違っているかもしれませんがね。
私にも自己を破壊したい願望はあったからわかる。
私は最初の入行の時、中学生でしたが、千座行の宝塔を敢えて叩き割るという
暴挙に走ったことがあります。
かと言って嫌になったからでもないし、疑問に感じたからでもない。
むしろずっと信仰していたくて仕方がない。
自分の中で一番大切な宝だった。
それをぶっ壊してみたくなった。自暴自棄もあって。
罰が当たるかもしれないし、私としては自殺に近いような暴挙です。
こんな体験も過去にある私の一私見です。
あなたのその無意識の抗えない動きの自覚って、果たして生まれた時からある
のでしょうか?それは後天的に作られたものかもしれませんよ。
それはあなたの潜在願望かもしれない。
どういう潜在願望か?
桐山因縁は正しいことを証明したい願望です。
だから悪印象に翻弄されてしまう自分を作る。狂言みたいなものですね。
もちろんこれは無意識のうちにされてしまう。
ほら?やっぱりゲイカの言っていることは正しい。
自力では何もできないのだ。やはりアゴン宗に助けてもらわないと。
(バンザーイ、バンザーイ)
こういう甘えの意識を作ってしまった。
私の宝塔破壊もそれと似たような甘えのなせるわざだと自己分析する。

354 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 02:46:47 ID:W9sF1wX8
ユビキタスは単なる馬鹿爺です。


355 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 06:56:29 ID:xIaTQ3Ev
訂正
×悪印象に翻弄されてしまう自分

○悪因縁に翻弄されてしまう自分

356 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 08:41:26 ID:xIaTQ3Ev
>>254:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 09:27:30 ID:k3BATpRJ
>私は仏舎利(御宝塔)に対し、供物や財を供えはしません。阿含宗で指定されている所作での供養です。
>また、道場へ供養をすることはほとんどありません。

>私だって死んだお釈迦様に対して供物やお金を添えて「功徳」をいただくとか、供養をしているなどと
>思ったことは一度も無い。なので、やってもいない。

供養とは本来食事などを生きている人間に提供するものですが、アゴン宗における
供養は事供養だけでなく、行供養、理供養もある。
勤行や身体を動かす奉仕ボン行も供養行です。
布教まで供養になっている。
いずれにせよそれはあなたが意識するしないに拘わらず、アゴン宗ではシャカ如来に
供養したことになり、仏はその真心に感応して徳と力を与えてくださるわけです。
しかし釈尊は生きている間、自分を頼れ、仏を頼れなんて説かない。
それを否定して禁じています。
頼りにするのは自分しかいないと説く。依存を否定する。
これを自灯明と言う。
そんな釈尊がどうして死んでから後に礼拝する人に解脱の徳だの力だの与えて
くれるだろうか?
そもそも釈迦仏教には本尊なんていう概念はない。
あれは後世の大乗により阿弥陀だの大日だの薬師だの観音だの不動だの
諸仏諸菩薩が作られてからできた概念です。
釈迦仏教に本尊を求めるのならば自分しかいない。
また亡くなった釈尊がお喜びになる行為と言ったら、釈尊の残した教えをよく
理解して守り実践することしかない。
つまり自分の努力で煩悩を解脱することに励むことです。
それでも力など貸してくれないが。
だから因縁解脱を念じて本尊供養しても意味がない。

357 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 10:04:57 ID:CNAWBqYA
>>351 一修行者さんへ

一修行者さんの見解、ありがとうございます。なるほどです。
でも、私から見れば逆に残念な部分もあります。同じ屋根の下(阿含宗徒)にいて信仰をしているわけですから、
感じるものがあると思っています。なので「話さなくても分かっていたのでは」と思ってたのですが、無理でしたね。
また、貴殿とはなかなかストレートに話せていませんですし。少々話させていただきます。

今まで書かなかったので書かせていただきますが、私は煩悩解脱だけを優先・重要視しているわけではありません。
突っ込まれる恐れがあるので書かないでいたのです。一修行者さんは運命解脱にかなり焦点があるようですが、
私からすればそれは最終的な核部分と捉え、後回しにしているのです。

説明しないと分からないので、批判派からは「間違っている」と突っ込まれるのを覚悟で出しましょう。
教学では「心解脱 身解脱 命解脱」というのを言われているのを一修行者さんもご存知でしょう?
私はこの教学に沿って煩悩解脱から運命解脱に至るよう模索・試行しています。
なので、最終的には運命解脱は必須だし、無視などしていません。また、12因縁に対しても私は門外漢なので
この教学に沿ってみて行い、ある程度「果」を得たので、12因縁は重きを置かないという結論です。
ただし、現在時点の自分の検証なので今後考えは変わるかもしれないのは申しておきます。

358 :○○屋:2008/10/04(土) 10:10:02 ID:znCgpMRP
ユビキタスさんの『気付き』でしたっけ?その観察で煩悩が出ないように気を付ける、なんてことは『倫理道徳』の範疇でしょう。悪い煩悩は自分や他人に悪い作用をするものですからね。

青柿さんの『ビバシャナ』は倫理道徳の範疇ではないと思う。わたしは青柿さんのレスを読んで、恐らく釈尊は、苦行の時にその様に自分を観察し、人生上の苦との違いを観察したものと考えたのです。


359 :○○屋:2008/10/04(土) 10:11:27 ID:znCgpMRP
続き



云わば苦の種類の観察ですね。苦は煩悩に直接、接している部分があるので、苦を観察することは煩悩を観察することに繋がらないかと。そうして、死ぬような苦行をするとき、それは恐らく地獄の苦しみでありましょう。


その地獄の苦しみを、観察し苦の元である煩悩を冷静に観察することができたら、それはもはや釈尊にまとわりつく『煩悩』ではないではないか?

360 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 10:14:15 ID:CNAWBqYA
続き

詳しく言うと「命解脱」は「運命解脱」のことです。でも、これはいきなりダイレクトにやっても
解けない。なので、一番やりやすい「心解脱」からおこなうのであり、この心解脱は「煩悩解脱」
になるのです。でも、言葉上「煩悩解脱」といってしまえば”簡単だ”と見えますが、違う。
煩悩を消す、なんてどれだけ大変か。簡単などと吐くのは「本物の馬鹿」です。
運命解脱よりは簡単であろうけども、だから煩悩解脱が簡単というのは実際にやっていない人間の
吐く愚かな言葉です。

そしてその煩悩解脱を行ってゆきながら、運命解脱へ至ってゆく・成し遂げるという方向が正しいの
では?と思っています。でも、そういいながら管長は具体的な示唆をしてませんよね?

あら、また批判が出ちゃった(笑) でも、本当なんだから仕方ない。

私の考え・講じ方は一修行者さんとは「違う」のでしょう。また今まで言わなかったので懐疑を
されても仕方なかったと思っていますが、中身の概要はそういうことなのです。

ああ、また突っ込まれるなあ・・・。

361 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 10:33:09 ID:CNAWBqYA
>>352

次は私へのことですが、これもなるほど、ですね。ええ、存じています。その通りのことも
懸念はありますよ。でも、わざとなぜそれをやるか、ですよ。

今までの流れや過去の先輩たちの過去ログを見て気がついたのです。でも、自分の気持ちというか
スタイルで通そうと思った。ゆえにこの板の存在も「そこから」始まっていた。
でも、現在(昨日まで)やってみて、さほど進化しないのですよ。やっていることは結局過去の
なぞりというか、意見交換だけでいいと思っていたが、その範疇を出ない。
ここに私は「行き詰まった」のを感じた。

こんなこと5年も10年もやるほど人生をロスしていいのだろうか?と思ったんですよ。
また、お互いに「意見交換」といったって反論されれば面白くないしね。
こうなったら自分の我(主張)を出さずに、批判派の方の意見や考えをお聞きし、検証するしかない。
そうやって行ってゆけば、自分の考えの中のものとも考察・検証もできるのです。
自分の意見は後回しにして、人の意見を聞く方向へ変えつつ、自分も疑問に思うものを呈する。
そして検証してゆけば、疑問も解決するし、自分でそれを認めたくなければ自分の胸へ止めとけばいい。
それをやらないで「あーだこーだ」自分を出すからいつまで経っても”終わらない”のですよ。

また、周りで見ている人の中にも「何やってんの」と思われる方もいると思う。
もちろんそういう方ばかりではないけど、できるなら何が良くて何が悪い、と見つけたいというのがある。
なので、OO屋さんの意見と同意、という風になるのですよ。
物事には白黒付けられないものや、正しいか正しくないかではないなどというのがあるのは分かります。
でも自分では、はっきりしないと嫌なのですよ。
なので、私の方向が変わってもこの板の趣旨は付加はあるけれど変えません。なので、一修行者さんは
現在のまま意見を出され会話してください。また、名無しさんや趣旨賛同の方も同じです。
またこの板の趣旨からあまり外れるようでしたら、専用に板を立てます。
現在はそのような考えです。

362 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 10:38:28 ID:W9sF1wX8
ユビキタスは『本物の馬鹿』です。


363 :○○屋:2008/10/04(土) 10:41:06 ID:znCgpMRP
喩えは適切ではないが・・・


甲が乙を拷問するとき、甲は『苦の煩悩』は出ません。『苦の煩悩』が出るのは乙です。乙が拷問を体験しながら甲の目線で観察出来たら、乙は『苦の煩悩』を克服したと言えまいかと。

わたしは子供の頃、注射が大嫌いで恐怖すら感じていました。
その時は痛みを『観察する』なんて余裕はなく、必死に騒いでなきわめいたものです。
しかし、今は、注射の種類により血管注射の痛みと皮下注射の痛みの『苦痛』の
種類の違いを観察する余裕があり、注射自体の恐怖は克服したと思っている。


ユビキタスさんや名無しさんの言う『煩悩の観察』に
は私が考えたような洞察を全く感じず、煩悩を観察す
ることが釈迦の示した仏教だ、と言っていても、私に
とっては『は〜そうですか。
ではあなた方はその方法で解脱してみせてください』としか思わないのです


364 :○○屋:2008/10/04(土) 10:46:23 ID:znCgpMRP
大日如来さんのスレと交錯して、読みにくくなったことをお詫びいたします。

365 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 10:46:38 ID:CNAWBqYA
>>361

文章が適切でなかったため、補足&訂正

>またこの板の趣旨からあまり外れるようでしたら、専用に板を立てます。

これを

私がこの板の趣旨から外れるようでしたら、専用に板を立てそこで展開します。
つまり、ここは「中立スレ」なので、批判に傾く内容は「大日向き批判検証スレ」
みたいな別スレをたて、そこで行います、ということですね。

訂正しお詫びいたします。

366 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 10:58:04 ID:CNAWBqYA
これから一旦用事で出かけますので、また後で。

一修行者さん、本当にその通りですね。特にこの箇所は最高ですね。
>これって管長が言われてた、「他人に自分の因縁を見ろ」、ということでは?
管長はおそらく、自らを見つめて自分で考えろ、という指導でしょう。
私たちが考えるべきものは管長ではなく、大日如来さんが体感された、私に教えてくれるなにかや、
他の人が得たなにかを持って行う、阿含宗の修行法のシステムの構築でしょう。

そうなんです。ところが事情が少々変わってきた。それはなにか?
それは私のやろうとしていることは「ネオ阿含宗」みたいなものです。

管長の矛盾を取り除き、正しい信仰を行う、というもの。今の阿含宗では「まともな解脱はできない」
と思っています。なので批判派の意見は「駄目だ」とは言えないのです。
そして批判派の意見を加味して検証すれば、それは叶うと思っています。
もし、叶わなかったらそういうのを講じている宗派に自分が鞍替えすればいいだけとも思っています。

まあ、そんなところは見たことがありませんが・・・。
なので、必死に阿含に食らい付いているのもある。そこを「ご利益でしょう」といっても
そんなのは無視。私の気持ちが分かってない証拠だ、その発言は。
ご利益なら犬にくれてやる。

367 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 11:04:51 ID:CNAWBqYA
間違って途中で投稿をしてしまった・・・orz

で、その「ネオ」をやろうとしているけど、その姿勢の大半は「阿含宗的観念の範疇」なのですよ。
そのままでやっても不具合が生じる恐れがある。なので、批判派の意見も「必要」なのです。

ただ、単に批判派に頭を下げて機嫌をとっているのではないのです。
何が正しくてどうすべきか? そのために必要なので意見を請うのです。
まあ、私の批判も結構はいるかもしれませんがw

悪いところがありながら直さない阿含など「潰れてしまえ」とさえ思っている。
逆に直すならば「大手を上げて歓迎」しますよ。今の管長が後者のことをやると思いますか?

それこそ管長も「将来阿含宗も分裂をするだろう」といってましたが、そういう分裂で済むなら
いまからやってみたいですよ。そうなれば解体も潰れろ、といわなくて済みますからね。
むしろ、その方を願っている。

ああ、時間だ。では、また後で・・・。

368 :ラシン:2008/10/04(土) 12:22:40 ID:fEvvUI9z
>324 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:01:53 ID:LqqQeltq
八正道とは、七科三十七道品の総目録であり、残りの科目の全部を表している。
八正道の中には四念処や四神足から七覚支まで全部入っているのです。

これはたしか、樹意さんも過去に指摘されていたと記憶しています。
その時、この八正道をさらに詳細にしたのが菩提分法だと知って驚愕したものです。
擁護側もこの七氏さんの指摘に驚いたのではないでしょうか。
私も、桐山さんから八正道は倫理道徳の範囲と刷り込まれていたからです。
四念処についても、ここやザでの池田さんとの対論で、七氏さんから何度も
引用され、その説明もあります。
ですから、わたしの>>257の発言も七氏さんや樹意さんから学んだ受け売りですが、
その事実を知って、阿含経や解説書などで確認して、納得したものです。
○○屋さんも当時からその法論に参加していたのですから、
ヴィパッサナーが仏経修行の根幹で、日々の観察と気づき(サティ)による
煩悩滅尽にいたる瞑想なのだと、理解していたと思っていましたが、、、。
倫理道徳の実践にしても釈尊の成道は戒定慧の戒に基づくものですから、
七氏さんのご指摘通り、戒をベースにする上で軽んずる対象ではありません。
戒→定→慧、倫理道徳の実践→ヴィパッサナ→智慧の獲得で、
これは修行過程の輪番で順番ではありません。


369 :ラシン:2008/10/04(土) 12:38:11 ID:fEvvUI9z
>363
しかし、今は、注射の種類により血管注射の痛みと皮下注射の痛みの『苦痛』の
種類の違いを観察する余裕があり、注射自体の恐怖は克服したと思っている。

では、腰椎麻酔の大針注射や喉仏の脇に打つブッロク注射、首後部に打つ硬膜外
注射は平気ですか?
また、それをそばで観察して見ていることも大丈夫でしょうか?

370 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 12:38:56 ID:Igmo8Clf
>>331 :一修行者:2008/10/04(土) 00:07:46 ID:6eFkrBf9
>だからこれも具体的に書けといわれても「なんだその解釈」となるので、書き込む必要はないと考えます。

あなたって卑怯ですよね。
二重解釈があると書きながら、だしてみろと言われると、出さない。
あなたは批判側の解釈を表面的な解釈だと批判した。
別な解釈も可能だというのではなく、表面的な解釈だと書いた。

>表面的解釈とその奥にある別の2つの解釈ができるのもと考えます。(>>176)

他人の解釈を表面的、つまり軽薄な解釈だと批判したなら、
何がどう表面的なのかを指摘し、逆に深い解釈、つまり正しい解釈とは
どのようなものかを示すのが当たり前です。
あなたは済世活佛さんと同じで、ただ「間違っています」と
相手の主張を否定してみせるだけの無礼な人です。
一修行者さんが済世活佛さんを支持して、波長が合うのもわかるような気がする。
姿勢が似ているのです。
自分は何事が知っているかのように見せかけて、相手の主張をただ否定する。
もっともそれは済世活佛さんからではなく、桐山さんから学んでのでしょう。
桐山さんは教師の握り拳(秘伝)をちらつかせて、いかにも何かあるかのように見せる。
実はただのハッタリです。
偉そうに他人の説を否定して説教するが、実は自分は何も知らない。
あなたは桐山さんの手法をよく体得していますね。

371 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 12:41:14 ID:Igmo8Clf
>>351 :一修行者:2008/10/04(土) 01:37:02 ID:t67qlBam
>やはり会員として、書いてはいけないこともあるのではないかと。

自分の間尺に合わないと今度は信者への批判です。
自分の価値観、立場、書き方こそが絶対に正しいと自惚れているから
こういう発言が出てくるのです。
会員として書いてはいけないのは運命解脱や十二因縁解脱です。
桐山さんが説いてもいないことを勝手な解釈を持ち込んで
アゴン宗の信者として書いている。
あなたは自分の意見や考え、思っていることにすぎないというでしょう。
だったら、大日さんや○○屋さんだって同じです。
自分は信者としての限度をわきまえているが、彼らはわきまえていないという
根拠はいったい何ですか。
なんにもありゃしない。
ただ、自分の価値観を基準にして、それを「会員として」などと
いかにも一般的であるかのように見せかけて、
自分と考えの違う二人の信者を牽制したのですよね。
あなたの主張の大半はこういう慢心と恥知らずを材料にして書いている。

372 :○○屋:2008/10/04(土) 12:45:27 ID:znCgpMRP
ですから、定や叡が必要なのでしょう。


それをはしょって『気付き』と『観察』で煩悩を絶つのだ、なんて極論を言うから、ワケわからないのですよ。


青柿さんのビバサナには定があります。具体的な説明もあり、『苦行』の必要性も合理的に納得できます。

373 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 12:49:16 ID:Igmo8Clf
>>351 :一修行者:2008/10/04(土) 01:37:02 ID:t67qlBam
>今のお二人の書き込みは、運命が運命を遂行しようとする表れのように見えますよ。

なんという傲慢。
あなたは自分が気に入らない行動を取り始めた二人を、
運命のままに、つまり悪因縁のままに突き動かされているのであって、
自分だけは違うと自惚れている。
信者時代もあなたみたいな信者を見て、どうやったらそれだけ
自分の判断に自信と確信を持てるのかとても不思議だった。
あなたみたいに自分の判断に絶対の自信を持ち、
そうやって他人の判断に運命などという見えない物を持ち出して
お説教する人を見ると、半分驚きあきれ、内心侮蔑した。
あなたのお説教の根拠はなんだ?
何の証拠も根拠もなく、ただ自分と間尺に合わない相手を
罵るために、運命なんて客観的にわからない内容を持ち出したのですよね。
しかも、相手の二人は運命を信じてきた人たちだから、効果があるかもしれない。
だが、あなたに運命の何がわかっているというのだ?
他人に運命のままになどと言えるほど、あなたに運命がわかるのか?
何にもわからないくせに、まるで何かわかったかのように
他人にお説教を始めるその態度に恥ずかしいという気持ちくらい残っていないのか。
それとも桐山さんを真似て、羞恥心はとうの昔に解脱したか。

374 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 12:53:31 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>阿含宗否定を信じこませ、運命を遂行させようとする無意識の意識にみごとにやられているような気がします。

「アゴン宗肯定を信じ込み、カルト宗教を遂行させようとする無意識の意識に
みごとにやられている」のが一修行者さんです。
ほら、あなたが使った手法はそのままあなた自身にあてはまる。
桐山さんもあなたもこういう第三者が計れない物差しを持ち出して勝負に出る。
あなたの手法など、そのままあなた自身あてはまるし、
桐山さんから借りた武器で攻撃しているにすぎない。
だが、忘れてはならないのは、ここにいるのは信者や元信者など、
あなたと同じ武器を使ったことのある人間ばかりなのだ。
その武器がいかに稚拙で役立たずかも私は知っている。
無意識の意識なんていうと、いかにも心理学上の科学的な話のように見せかけているが、
これを使うところを見ると、あなたは心理学を学んだこともないし、
一般的な解説書も読んだことがなく、桐山さんの解説を鵜呑みにしていますね。
もしかして、ソンディ心理学も桐山さんの解説のようなものだ信じているのですか。
仏教だけでなく、どうやらあなたの知識の大半は桐山さんからの受け売りにすぎないようです。
桐山さんのように、書いてあるとおりに理解するのではなく、
自分勝手な空想で解釈してしまうような人の解説を読んで、
何事か理解したと思うのは間違いです。
そういうのをオカルト心理学というのです。

375 :ラシン:2008/10/04(土) 12:54:27 ID:fEvvUI9z
>352
阿含宗否定を信じこませ、運命を遂行させようとする無意識の意識に
みごとにやられているような気がします。

誰が信じ込ませようとしているのですか?
アゴン宗が掲げている教義と阿含経の教えの違いを指摘している、
あるいは、桐山さんのウソインチキ性を論証している。
それを判断するのはあくまでもそれを読んだ人です。
そうではないと言う人は反レスしてその論証を示せばよいだけです。
阿含経に因縁解脱が無くは無いというなら、阿含経の因縁解脱を説いた
お経を示せばよいだけです。
いやそれは、グモンジ脳という特殊な能力では無いと解釈できない
と、いうなら次に掲げる釈尊のことばを何と解釈しますか?

「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?
 わたくしは内外の隔てなしにことごとく理法を説いた。
 完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は存在しない。」
(大パリニッバーナ経、『ブッダ最後の旅』中村元、63ページ)

376 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 12:56:23 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>大日如来さんなどまさに、批判を書くことによって、どんどん方向がずれていく。

ずれていると言えば、たしかに大日さんはアゴン宗の妄想から
事実を事実として認め、アゴン宗からはずれた部分はあるでしょうね。
だが、それを言うならあなたもアゴン宗の教義をよく理解しておらず、
ずいぶんずれている。
桐山さんは十二因縁解脱なんて言っていないし、
釈尊の解脱は因縁解脱(=運命解脱)だと言っているのに、
あなたはそれが間違いだと指摘した。
大日さんは十二因縁解脱なんて書いていませんよ。
これだけアゴン宗の教義と違うことを書きながら、
大日さんがずれているなどよくまあ他人事のように言えるものだ。

377 :○○屋:2008/10/04(土) 12:57:29 ID:znCgpMRP
ラシンさん

ははは。ラシンさんお医者さんでしたか・・・

書き込みが内容から、高い教養と知性を感じていましたが・・・詮索は失礼なのであまり、言いませんが。


そうですね、エピーは注射針が見えない場所なのと、医者から『痛かったら言ってね』なんて言われて打たれるのと、医者も緊張しているのがわかるのと、で、恐怖の煩悩は湧いてきます。


あと、わたしは目に射つ注射にはとてつもない恐怖の煩悩があります。


しかし、それは子供の頃の恐怖とは全く種類が違います。子供の頃の注射には『痛い』という経験から来る先入観があり、それが痛みを10倍も20倍も増加します。煩悩とはそういうものだと思います。

378 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 13:00:10 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>大日如来さんなどまさに、批判を書くことによって、どんどん方向がずれていく。

あなたは大日さんが、自分と同じようにアゴン宗に疑問を持ちながらも
信仰を続ける信者だと思ったからここに出てきた。
だが、だんだん話を読んでいる内に自分の思いと違うことに気が付いてがっかりして、
大日さんを裏切り者として責めた。
だが、あなたも大日さんも私に言わせれば「第三の道」にいるにすぎない。
第三の道は「迷いの森」で、無数に獣道があるから、いくらでも迷うことができる。
私もずいぶんそこをさまよったから、地図が書けるくらいです。
一生、そこにいることもできる。
迷いの森で一修行者さんが見つけた道こそが最高の道だと信じ、
大日さんは最初自分が見つけた道がどうやら違うらしいから、
次の道を探しているだけです。
二人とも迷いの森のいる場所が違うだけで、そこから抜け出せていない。
迷いの森の先輩として言うなら、その森から抜け出すには一つ方法がある。
無知と無恥と傲慢を捨てることです。
大日さんは無知を捨て始めているが、まだ後の二つは大事に抱えている。
無知を捨て始めた大日さんを見て、無知を誇る一修行者さんが
反発するのは当然です。

379 :ラシン:2008/10/04(土) 13:01:05 ID:fEvvUI9z
>352
神も仏も名無しさんに対応するときです。当然大日如来さんも怒りはなくても
不愉快には感じてるでしょう。

私は擁護派からの侮蔑や罵声を受けたが、不愉快に感じたことはありません。
侮蔑や罵声が的を得ていたらそうかと納得し、違うなら反論して論拠を示します。
対論ではないたんなる中傷誹謗なら看過するだけです。
あなたが不愉快に感じるのは、何一つ批判側の指摘に反証できないから
ではないでしょうか。

380 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 13:01:25 ID:Igmo8Clf
『修行者座右宝鑑』135頁
「理くつではそうだが、自分の力だけで心の因縁が切れると思ったら大まちがいだ。」
「少々、心がけを改めたくらいで、すべての因縁が断ち切れると思うのか。
一心に仏舎利尊様を御供養して福徳をいただき、敬虔に先祖供養して御加護を願う。
その福徳・御加護によって、はじめて、戒行がなんとかおこなえるようになるのである。」

381 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 13:02:23 ID:xIaTQ3Ev
>>358:○○屋 :2008/10/04(土) 10:10:02 ID:znCgpMRP
>ユビキタスさんの『気付き』でしたっけ?その観察で煩悩が出ないように気を付ける、なんてことは『倫理道徳』の範疇でしょう。悪い煩悩は自分や他人に悪い作用をするものですからね。
>青柿さんの『ビバシャナ』は倫理道徳の範疇ではないと思う。わたしは青柿さんのレスを読んで、恐らく釈尊は、苦行の時にその様に自分を観察し、人生上の苦との違いを観察したものと考えたのです。

全くどうして私と青柿さんを区別するのだろうか?
私も青柿さんも共通しているのです。
青柿さんの示したヴィパッサナーを私も何度も説明しています。
あなたもヴィパッサナーの本を買うなり、図書館で借りるなり、ネットのページを
読むなり、勉強してはどうか?
そしたら「気づき」が倫理道徳なんて無知なことは書けなくなる。
ヴィパッサナーをやって得るのが気づきです。
>>368でラシンさんが丁寧にわかりやすく示しているが「サティ」です。
アーナパーナ・サティ、漢字にすると安那般那念。念は念力ではなく、サティ、
気づきです。
細かな観察により気づきを得る。
ヴィパッサナーとは観察のことです。
本当に細かいですよ。青柿さんも紹介していたが事物をありのままに観察する。
窓が明るい。なんだろう?開ける。白い。雪だ。きれいと感じた。寒いと恐れた。
このように隙なく観察する。
煩悩が湧き出てきたことも観察できます。
普段から倫理道徳的な教えも学んでいる人は煩悩のままに我を忘れたりしません。
青柿さんはどちらかというと技法の面を紹介し、私は倫理的側面を書き込むこと
が多いだけで、両者は共通の認識なのです。
ありのままの観察、気づきに、教えや慈悲が加わるのです。
単なる倫理道徳ではない。

382 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 13:06:50 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>これはいわゆる批判派の人も言ってますが、管長は煩悩を切ってはくれません。

こんなアゴン宗の基本的なことすらあなたは間違っている。
>>380にあるように、アゴン宗では自分で煩悩を切るのではありません。
座右宝鑑にあるように、煩悩は仏からの福徳とご加護とやらがあって初めて切れる。
仏の力はどうやってもらうかというと、桐山さんの言うとおりに、
金と人を貢ぐことが絶対必要条件です。
仏が授ける福徳なんていってみたところが、信者にはどこに仏がいるのかも、
自分が受け取った福徳とは具体的にどれなのかもわからない。
桐山銀行は金を預ける窓口はあるだけ、預金通帳を見た人も
仏からの利子という預金を引き出せた人は誰もいない。
全部、桐山さんの手の内です。
桐山さん言うとおりに貢げば煩悩が切れるというのだから、
桐山さんが切ってくれるのと同じです。

383 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 13:10:51 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>だから私はこう考えます。「この不愉快さはなんだ。この現実が自分が無意識に選択したものなら、不愉快の原因は私にある。
>ただ、この会話では私に非があると思えない。ならば前世か。いや、この程度の不愉快さが、前世の持ち越しのわけはない。
>ならば、現世か、、、
>あったあった、過去に仕事上同僚に私が同じ不快感を与えたことが。」

この文には爆笑した。
自分が議論に詰まり、反論できなくなり、それによって不快感がおきているに
すぎないという単純な現実すらもあなたは受け入れられず、
認める勇気がなく、それをなんと過去の自分がなした業の報いだという。
桐山さんが自分のなした偽ビールの悪業を、見えない霊障武士や
見えない仏のせいにしたように、あなたも自分の為した事という単純な現実を
見ようとせず、業の報いという目に見えないことに責任を押しつけた。
なんという愚かさだ。
何一つ反論できないという現実やあるがままの自分と向き合うのが怖くて、
過去の自分の業報という誰も確認できないことに逃げ道を作った。
スレが始まって八年たつが、これほどミジメで格好悪い逃げ道を作ったのは
あなたが初めてです。
一晩中あなたは名無しにどうやったら一矢報いられるかと考えたのでしょうね。
行き着いた先は、桐山さんと同じで、見えない世界です。
所詮、現実世界ではあなたも桐山さんも通用しない。

384 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 13:13:38 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>ただ、この会話では私に非があると思えない

あなたの言いたいのはこの一文です。
自分に間違いはないとどこまで、絶対に譲らない。
何をどう反論されようが、仏教やアゴン宗の教義の間違いを指摘されようが、
「私に非があると思えない」というのがあなたの結論です。
自分の非など金輪際認めない。
そのためなら、どんなバカげた空想や妄想でも広げる。
桐山さんの真似をして、行いによる報いなんてバカな話をまで作り出した。
過去にあなたが同僚に不快感を与えたことと、
あなたがここで間違いを指摘されて不機嫌なのとどうつながるのだ?
「ボクがテストで零点を取ったのは、ボクに非があると思えない。
そうだ!前学期、太郎君が零点を取ったことを笑ったからだ。」
これと同じです。
自分の零点を認めたくないために、自己省察するかのような
ポーズだけ取ってみせて、愚にも付かない言い訳を並べた。
恥ずかしくないか。
いい年をした大人が、何の根拠も脈絡もない空想を広げて、
何事か悟ったかのように偉そうに書いている。
だが、その実態は、自分の非を認めたくないというたったそれだけです。
これがあなたが長年してきた修行の成果か。

385 :ラシン:2008/10/04(土) 13:17:33 ID:fEvvUI9z
>372
それをはしょって『気付き』と『観察』で煩悩を絶つのだ、なんて極論を言うから、
ワケわからないのですよ。

ヴィパッサナーは煩悩滅尽にいたる瞑想という修行です。
それは日々の生活する上での一つ一つの所作を観察することで、
そのときに煩悩を消そうとか、苦の根源を観察しようとか考えないのです。
考えることをやめて、ありのままに観察することです。
その繰り返しから智慧が生じてくるというのが、ヴィパッサナーと解釈しています。

>あと、わたしは目に射つ注射にはとてつもない恐怖の煩悩があります。

注射も高いところも苦手で、その恐怖から遠離できません。
また恐怖の種類が変わっただけでは煩悩が薄らいだとは申せないでしょう。


386 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 13:20:10 ID:Igmo8Clf
>>352 :一修行者:2008/10/04(土) 01:40:38 ID:sx1kyF2s
>神も仏も名無しさんは上の一行を見落とすと、また同じミスをしますよ。

「また同じミス」とは何を指しているのですか。
私がどんなミスをしましたか。
なんとか私を腐したくて、まるで私が何かミスをしたかのような書き方ですね。
「自分は考えている、思っていると書いているだけだ。
それを名無しは断定しているかのように受け取っている」というのを指しているのでしょう。
だから、あなたが思う、考えるだけでなく、具体的に断定している例を
>>198で示してあげたではないか。
>釈迦が因縁解脱したという因縁は十二因縁解脱。
この書き方が断定でなくてなんなのですか。
今でもあなたはまだ釈尊が十二因縁解脱したと主張して、撤回していない。
これを思う、考えるというなら、議論はすべて思う、考えるを主張しているのです。
だが、あなたはそんな現実など見ようもしないし、見たくもない。
大日さんや○○屋さんには運命や潜在意識という見えないものを持ち出して批判し、
私との議論では、カルマの報いという見えないものを持ち出した。
全部、桐山さんから教えられた見えないものを使う「逃げ道」「言い逃れ」「自己正当化」です。
あなたがしていることはただの現実逃避です。
現実をあるがままに見たくないから、見えないもので勝負しようとする。
信者側の言い逃れや言い訳はずいぶん聞かされたが、
これほど惨めな言い訳を堂々と書く人は初めてです。

387 :○○屋:2008/10/04(土) 13:26:01 ID:znCgpMRP
ユビキタスさん

私の記憶では・・・

池田慈水さんが出ていた頃に、12因縁のテーマで話が進んでいたときに、あなたは倫理道徳が重要で良いことをせよ、悪いことをするな、これが仏教だ、と力説していました。たしかあのときも『業』と『因縁』の関係でレスがしんこうしていたようですが。


ま、青柿さんがアンパンネン(変換ができない)をだしたら、倫理道徳だけではない、と、力説するようになりましたか。あなたも学んでいるのですね。

388 :○○屋:2008/10/04(土) 13:37:07 ID:znCgpMRP
問題はそんな枝葉末節ではなく、苦行をして、いくつかの煩悩を把握して、とりあえずそれらを克服したとして・・・その段階で瞑想すると三明が獲得できるという、そのメカニズムが分からないのです。

批判側の意見でも、あれば伺いたいですね。阿含教学的には『それは瞑想から始まる』と、わかったような事を言っていますが・・・

389 :樹意:2008/10/04(土) 13:39:37 ID:pwx1EFdL
>>388
意見も何も貴方が阿含経を読まないだけのことです。

さて
八正道は仏陀の修道の総目録ですが、ゲイカのビジネスに邪魔になるもの
〈見の煩悩の説明〉 守りたくないもの〈戒〉が列挙されていますから
これは何がなんでも書かないし引用しない。
だからそれと気づかせないよう 表現を工夫しているのがわかる。
ウバソクの16法でも〈見〉は省略されている。
しかしながら八正道の一番初めにくるのが 正見 であるのをみても解る
通り 智慧による正しい見方、煩悩とは何か ?を学ばないでは
それから先の項目であるところの戒も定も慧も意味を為さないのです。
修道の足場である戒にすら到達しない。

ですから私は この 〈見〉の煩悩をたびたび引用するのです。
運命をあれこれ思惟する 占いに関するもの、魂を前提にするもの
これらは全て 〈見〉の煩悩になる。

ですがこれはゲイカの収益基盤を揺るがす概念ですから これを
説明したりはしないのです。





390 :樹意:2008/10/04(土) 13:41:04 ID:pwx1EFdL
セヤドーのHPがどこかへ隠れてしまいましたので 私がコピーして
いたものを引用します。

・修行とは何か

では、修行とは何でしょうか?修行には止禅(samathaサマタ)
(注7)と観禅(vipassanaaウィパサナ)(注8)があり、この二つは共に、
身体と口による徳行(戒)を基礎としなけ

ればなりません。言い換えれば、修行とは、八正道の育成と、
その完全な展開と実践をいうのです。

八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念と正定のことです。
正見と正思惟は、覚観(覚醒した心による観察)または智慧の訓練(慧学)
と言われます。仏陀はこれを観禅正見(vipassanaa-sammaa-ditthi)と
道正見(magga-sammaa-ditthi)と呼びました。正語、正業と正命は、
合わせて戒の訓練(戒学)と呼ばれます。正精進、正念と正定は、
合わせて禅定の訓練(定学)と呼ばれます。即ち、止禅の法門
(samatha-bhaabanaa)のことです。

391 :樹意:2008/10/04(土) 13:42:21 ID:pwx1EFdL
正見とは何でしょうか?

正見には四種類の智慧が含まれています。一つ目は、
苦諦に対する観智であり、苦諦とは五取薀(注9)のことです。二つ目は集諦
(苦の原因)の観智で、即ち五取薀の因・縁を徹底的に洞察することのできる
観智のことです。言い換えれば、縁起の法(paticcasamuppaada十二縁起(注10))
を徹底的に洞察することのできる観智のことです。苦諦、集諦と呼ばれる、
この二つの真理は観智の対象です。三つ目は涅槃(滅諦)の証悟、即ち五取薀の消滅です。
四つ目は、八正道支分(道諦)の実践・展開で、八正道支分とは、涅槃の証悟に向かう
修行方法のことです。

八正道の第二項は、

正思惟です。正思惟とは、苦諦(即ち五取薀)に対する覚知
尋(注11)心所(注12))と、集諦(即ち五取薀の因縁)に対する覚知(覚醒的認知)
と、滅諦(苦の消滅:涅槃)に対する覚知および道諦(苦を滅する道。即ち八正道)
に対する覚知です。

この二種類の正道の中で、正思惟とは心をして苦諦を覚知させることで、正見とは
苦諦の真実の実相を照らし出して、それを認識することです。四聖諦の残りの
三つの聖諦に対してもまた同じように、この二つの正道支分は、手を取り合って
協力し合っており、心をして聖諦を一つずつ覚知せしめ、また一つ一つの聖諦
における真実の実相を照らし出して、認識させます。これらがこのように共同で
協力し合うために、それらは総称して、智慧の訓練(pannya-sikkahaa慧学)と呼ばれます。


392 :ラシン:2008/10/04(土) 13:43:54 ID:fEvvUI9z
>357
教学では「心解脱 身解脱 命解脱」というのを言われているのを一修行者さんもご存知でしょう?
私はこの教学に沿って煩悩解脱から運命解脱に至るよう模索・試行しています。

大日さんが確信的に書かれているということは理解します。
では老死は、人間や生き物の究極的運命ですね?
運命を変えられるなら、老死も避けられることになりますが、
この老死を解脱する、との意味を教えてください。
そこで、
釈尊の示す漏尽解脱(煩悩解脱)にいたれば、次の老死はありません。
このことはご承知のように、解脱したことで、次の生を受けないからです。
これではいけないのですか?

393 :樹意:2008/10/04(土) 13:46:46 ID:pwx1EFdL
八正道の第三項は正語です。

正語は戒であって、妄語(嘘)、両舌(挑発)、
悪口(罵詈雑言)と綺語(無駄話)を諌めるものです。

八正道の第四項は正業です。正業とは正当な行為の意味で、戒であり、殺生、
偸盗と邪淫を諌めるものです。

八正道の第五項は正命です。

正命もまた戒であり、不適当な言葉または行為で
財物を得、生活を維持すること、例えば殺生、偸盗または嘘などを諌めるものです。
在家で言えば、五種類の不道徳な売買、即ち武器の売買、人間の売買、祭壇の犠牲
にするための動物の売買、お酒などの麻酔品の売買、毒薬の売買を禁止することを含みます。

正語、正業と正命の、この三項の正道は、合わせて戒の訓練(siila-sikkhaa戒学)
と呼ばれます。

八正道の第六項は、正精進です。

正精進は四種類あります。即ち、いまだ生起していない
悪行が生起しないように努力すること、すでに生起した悪行を取り除くことに努力すること、
いまだ生起しない善行を生起させるよう努力すること、すでに生起した善行を更に高めるよう
努力することです。この四種類の正精進を実践・展開するために、我々は、戒、定、慧
の三学を修習し、それを育成しなければなりません。


394 :樹意:2008/10/04(土) 13:48:07 ID:pwx1EFdL

八正道の第八項は正定です。

正定とは、初禅、第二禅、第三禅と第四禅を言います。
<大念処経Mahaasatipat.t.aana sutta>に基づけば、この四種類の禅を正定といいます。
しかし、<清浄道論>は、正定を更に詳しく説明して:四色界禅(注19)(ruupa-jhaana)、
四無色界禅(注20)(aruupa-jhaana)と近行定(注21)(upacaara-samaadhi)
であると説明しています。

ある種の人々は、すでに重厚な波羅蜜(注22)を蓄積していて、仏法の簡単な、または詳細な開示
(注23)を聞けば、すぐに涅槃を証することができます。しかし、大多数の人々は、仏法を聞くだけで
涅槃を証するという波羅蜜を持ち合わせていないので、八正道を修しなければなりません。
これらの人は未了者(neyya-puggala。指導を必要としている人)と呼ばれます。彼らは順序良く、
スッテプ・バイ・スッテプで八正道、即ち戒、定、慧の次第に従って修行しなければなりません。
即ち、持戒して清浄になったあと、禅定の修行を行い、禅定で自己の心を浄化したあと、
智慧の修行に取り組まなければならないのです。


395 :○○屋:2008/10/04(土) 13:53:14 ID:znCgpMRP
阿含経を読めば批判者のご意見は伺わなくても良い、とうならば樹意氏は何のために書き込むのだろう?

396 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 14:01:16 ID:xIaTQ3Ev
>>387:○○屋 :2008/10/04(土) 13:26:01 ID:znCgpMRP
>池田慈水さんが出ていた頃に、12因縁のテーマで話が進んでいたときに、あなたは倫理道徳が重要で良いことをせよ、悪いことをするな、これが仏教だ、と力説していました。たしかあのときも『業』と『因縁』の関係でレスがしんこうしていたようですが。

それは昔から今に至り将来に向けても変わらぬ真理です。
だって阿含経でそう説いているではありませんか?

諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教

(法句経)

もろもろの悪を作すなかれ
もろもろの善を奉り行え
自ら其の意を浄めよ
是れ諸仏の教えなり

悪いことをするな、善いことをせよ、これが仏教です。
悪いことをするのは悪い心、煩悩があるからです。
だから倫理道徳を遵守するだけでなく、煩悩をなくする努力が必要です。
それは絶え間ない観察によってなされます。

397 :樹意:2008/10/04(土) 14:07:19 ID:pwx1EFdL
>>395

貴方に必要なのは 他の方のメガネを通した 〈意見〉ではなく
自分で阿含経を読んで考ることです。。

それが私の ○○氏に対する 〈意見〉です。




398 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 15:02:42 ID:W9sF1wX8
ユビキタスは本物の馬鹿だ。
とんでもない馬鹿な言い訳でさらに馬鹿を晒す。
ユビキタス屁理屈は、本物の馬鹿確定。w
偽善爺ユビキタスw

399 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 18:40:07 ID:xIaTQ3Ev
>>240:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:16:19 ID:nUUVxYo5
>自分に関する祈願(福徳宝生)は行わなくなりました。するのは供養護摩木がメインですね。あとは人のことを
>祈る。それもごり押しではなく「いい方向へいけますように」という姿勢で行い、おねだり祈願はしません。
>つまり、人のためへの祈願と自分&家族縁者の先祖供養系の祈願しかしません。
>つまり、現在は「因縁解脱」の祈願さえしてない状態です。行は先祖供養と本尊供養のみです。

他人のことを思って残っている護摩木に祈願をすることに対して、私もよくやりましたが、
決してそんなに偉い話でもない。
利他の祈願と意識してるのだろうが、本来ならば他人の為になりたい時、現実援助を
したり、相談に乗ったり、励ましの言葉を与えたりする。
見えないところで祈っていても仕方がない。
自分の信仰する宗教に自信があるのならば導き勧誘をしたりもする。
お釈迦様も八法十六法を説くし。
まあ祈るという行為自体釈尊は認めてないのだが、しかしこれを煩悩だなどと
決してあなたを批判する気はない。
ただ自分の心の中で利他の精神で何か善いことをしているのだと錯覚し、
思い上がらないように、くれぐれも自戒して下さいとだけアドバイスしておきます。
私が気になるのはもう一つの先祖供養の護摩木なんですよねえ。
実は受験合格とか縁むすびとか商売繁盛、病気平癒などを祈願することは
レベルも低くても、それが庶民のあさましさであり、凡人のすることで、
仕方ないなあと苦笑をし、それほど批判する気にもなれない。
むしろ先祖供養の護摩木にこそ、注意をしないと、今度こそその煩悩を指摘せざるを
得ない。先祖供養の動機に注意しなければならない。
こちらの方こそ問題だと思う。

400 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 18:42:07 ID:Igmo8Clf
>>358 :○○屋:2008/10/04(土) 10:10:02 ID:znCgpMRP
>ユビキタスさんの『気付き』でしたっけ?その観察で煩悩が出ないように気を付ける、なんてことは『倫理道徳』の範疇でしょう。悪い煩悩は自分や他人に悪い作用をするものですからね。
>>395 :○○屋:2008/10/04(土) 13:53:14 ID:znCgpMRP
>阿含経を読めば批判者のご意見は伺わなくても良い、とうならば樹意氏は何のために書き込むのだろう?

倫理道徳にすぎないという指摘に反論しても、その説明は完全に無視して、
気づきの書き込みの意味も理解しようとせず、
他人の説明ではわからないというから、樹意さんが八正道の説明を紹介すると、
何のためだと小馬鹿にする。
理解できる、できないはともかく、他人がこのように親切で
示してくれたら、まずお礼を言うのが普通なのではありませんか。
自分で阿含経なり、青柿さんが示した南伝仏教の解説なりを
勉強してみたらどうでしょう。
入り口を教えられたら、いつまでも他人にあれこれ頼らないで、
自分で進んでみればいい。
自分では勉強もせず、やってみもしないで、ただ我流の解釈を加えて
他人の説明を否定し、親切に解説を出されるとツバを吐く。
○○屋さんがここまで礼儀知らずな人とは驚きです。

401 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 18:44:20 ID:Igmo8Clf
>>395 :○○屋:2008/10/04(土) 13:53:14 ID:znCgpMRP
>阿含経を読めば批判者のご意見は伺わなくても良い、とうならば樹意氏は何のために書き込むのだろう?

煩悩は自覚はできるが、そもそも煩悩とはどれを指すのか、何を指すのか、
あなたは知っているのですか。
経典に分類してある煩悩の一つ一つを自分の中で確認したのか。
できていませんよね。
敵も知らずにどうやって敵を倒すのだ?
青柿さんが上座部仏教の説明したとき、最初に煩悩の観察を書いていた。
あなたは覚えてさえもいない。
なぜなら、煩悩解脱も、座って瞑想のポーズでなにやら不思議な
智慧を使って何かをするのだという桐山節から出られないのです。
だから、「定」を指摘するのはそれが理由ですよね。
そこにしか目がいかず、そればかり言っている。
他の人から、それは一部にすぎないといくら指摘されても、
あなたは理解しようとしない。
自分のイメージに合った説明を批判側がしないと言っているのです。
自分の偏見と独断をシャカ仏教にあてはめようとしても無駄です。
あなたの理解の仕方は桐山さんと同じで、「こうであるはずだ」という前提で始める。
批判側が重さを量る道具を示しているのに、あなたは長さを測る物差しを出して、
「そんな道具で長さが計れるわけないだろう」と文句を言っている。
あなたが長年批判を読んでもまだアゴン宗にいられるのは
そういう読み方しかできないからでしょうね。

402 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 18:48:06 ID:Igmo8Clf
>>395 :○○屋:2008/10/04(土) 13:53:14 ID:znCgpMRP
>阿含経を読めば批判者のご意見は伺わなくても良い、とうならば樹意氏は何のために書き込むのだろう?

いきなり敵にいどみかかるのではなく、まずどれが敵なのかを識別し、
その敵を観察し、分析していくのです。
普通の人は煩悩と自分とが一体化しているから、
自己と煩悩を区別して観察するという習慣すらない。
あなたは水着のきれいなおねーさんが目の前に出て来たとき、
自分の瞳孔が開き、血圧が高くなり、口のあたりがニカついているのを意識しているか。
これはたいていの男性の普通の反応です。
私を含め普通の男はこれを意識していないから、制御しようともしない。
本能的であり、ほとんど条件反射に近いからです。
まずそのようになっている自分を観察し、そうであることに気が付く。
本能的な反応と自分とを分離し、本能を意識し観察するのです。
その反応を注意深く見れば、身体の反応と心の反応の二種類があるのがわかる。
さらには心の反応と一口に言っても、いくつかの段階があるのがわかる。
相手を見ただけではただの物にすぎないし、人間と認識し、水着の若い
おねーさんだと判断しただけでなく、彼女にイメージを働きかけている。
それは過去の自分の体験からの予想や連想や期待であり、
必ずしも現実のおねーさんとは関係がない。
こんにふうに観察の初期段階ですら、これだけ煩雑、複雑な内容なのです。
あなたはこれをしたことがあるのか。
あなたは観察というから漫然と「見る」くらいに軽薄に受け取っている。
こんなことを四六時中することのどこが倫理道徳なのですか。
四念処では、基本は同じだが、これを自分の身体、五感、心という分類から
観察していくのです。
念のためにいうが、四念処とは瞑想ではありません。
桐山さんはあなたと同じで、体得どころか理解さえしてないから、
瞑想だなんて愚かなことを書いている。

403 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 18:51:34 ID:Igmo8Clf
>>395 :○○屋:2008/10/04(土) 13:53:14 ID:znCgpMRP
>阿含経を読めば批判者のご意見は伺わなくても良い、とうならば樹意氏は何のために書き込むのだろう?

あなたは煩悩を心の中にいる虫のようなものとして考えているのではありませんか。
「煩悩虫なんて誰だってわかるんだから、さっさと駆除すればいい。
そんなのは倫理道徳だ」と思っているのでしょう?
それは「常見」という間違った考えです。
だから、観察し分析し理解することが必要なのです。
観察しようとさえしないから、煩悩とは何かをあなたはまだ理解していない。
「古いケータイを分解してくれ」と言われたら、どうしますか。
ケータイは小さいから、何も知らない人なら簡単だと思う。
だが、複雑な配線であるだけでなく、金属とプラスチックは分別しなければ
ならないし、様々な種類の金属が使われ、貴金属部分は再利用できる。
まず、よく観察し、メーカーにどんな材料で出来ているのか確認するでしょう。
あなたは、「ケータイの分解?んなこと簡単だ。金槌でぶち壊せばいい」
と言っているようなものです。
ヒマラヤに登頂するのには「一歩ずつ登る」という答えは正しい。
しかし、「一歩ずつ登るなら、おれは毎日駅の階段を上っている。
ヒマラヤなんてそんな程度か」とあなたは言うか。
煩悩の観察による気づきを倫理道徳など罵るのはこれに等しい。
無知と怠慢を誇りにしないで、他人の解説が倫理道徳レベルの
つまらない説明だと思うなら、自分で読んで調べることです。

404 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 19:10:02 ID:DSNdtRFx
>>392

>釈尊の示す漏尽解脱(煩悩解脱)にいたれば、次の老死はありません。
このことはご承知のように、解脱したことで、次の生を受けないからです。
これではいけないのですか?

いいえ、その通りだと思います。ただ、今回この阿含教学を引用したのは、一修行者さんへあまり
レスしてなかったのと、私が煩悩解脱にばかり重きを置いているのではない、という説明のために
引用しただけであって、これが全てとか正しいとかは思っていません。
また、阿含宗の中にだけ「通用する」と思っているので、この解脱法についても管長の「湾曲」が
入ってないともいえないからです。

またラシンさんが申されている「老死を解脱する」ということは管長も説いてはいません。
なので、老死は解脱できないと私は判断しています。むしろ老死の解脱とはラシンさんが申されている
漏尽解脱を果たすゆえに転生が無くなるということであり、そのことを管長は示唆されていません。
なので、これは阿含宗特有の”癖”ですが、スローガンだけは高く言う。しかし、実際論は示さない
という状態なのです。もう「信者が勝手にやり方を見つけなさい」といわんばかり。

批判派の方が申している通り、梵行やその他供養という名に”すり替えて”それを「修行」という風に
信者に行わせている。これが管長の「やり方」です。

心解脱 身解脱 命解脱 これは一見いい説明であり方法論ではありますが、これをただ「提唱」しただけ
では「漏尽解脱」は得られない。まして阿含教学だけでは「無理」という私の見解です。
管長は提唱だけの人です。実際的な示唆が無い。(瞑想にしたって、そう)
なので、私はラシンさんの考えは正しいと思っています。


405 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 19:15:56 ID:zfvmEsXI
あ、確認したら誤解を招くような表現なので訂正を・・・。

老死は解脱できないと私は判断しています、を

このままの阿含教学のままでは、老死は解脱できないと私は判断しています。
に訂正です。



406 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 20:20:53 ID:xIaTQ3Ev
>>240:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/03(金) 02:16:19 ID:nUUVxYo5
>自分に関する祈願(福徳宝生)は行わなくなりました。するのは供養護摩木がメインですね。
>つまり、人のためへの祈願と自分&家族縁者の先祖供養系の祈願しかしません。
>行は先祖供養と本尊供養のみです。

あなたは何の為に先祖供養の護摩木を書くか?
先祖に感謝の意を表する為に書いているのならば、その儀式にケチもつけません。
しかしあなたは>>244で先祖が成仏してないと感じるから先祖の成仏を願って供養するのだと言う。
ほう?感じますか?そう言えば霊感らしきものが多少あるとか、書いていましたっけ?
しかし普通はそんなことはわからないし、わかりもしないものを「この先祖は
成仏できてないで苦しんでいる」などと考えることは、先祖の侮辱に他なりません。
自分の供養で成仏に近づくなんて考えることが見当違いの慢心に過ぎません。
これって、とっても煩悩に汚れている。
せっかくアゴン宗流心解脱で煩悩解脱から始めることを志すなんて殊勝なことを
目論んでも、こんなことをしたらぶち壊しです。
そしてアゴン宗の先祖供養もまた単に苦しむ先祖を救いたいなんて話ではない。
ましてや先祖に感謝なんて目的ではないと桐山さんは明言している。
自分の悪い運命の元になるから早くこれを除去しなければならないのです。
大変な先祖の侮辱です。根拠もなく。
自分の煩悩を成仏できない先祖のせいにした。
何たる責任転嫁!
これで煩悩解脱ができるだろうか?
ますます普通人の持たぬ煩悩が増えた。
まだ祈願護摩木でおねだり信心している方が罪がなく、かわいいというものです。

407 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 20:48:03 ID:xIaTQ3Ev
>>363:○○屋 :2008/10/04(土) 10:41:06 ID:znCgpMRP
>喩えは適切ではないが・・・
>甲が乙を拷問するとき、甲は『苦の煩悩』は出ません。『苦の煩悩』が出るのは乙です。乙が拷問を体験しながら甲の目線で観察出来たら、乙は『苦の煩悩』を克服したと言えまいかと。

後ろの方の注射の痛みの区別の話はなかなか面白かったが、たしかに自分で
書いてる通り、乙の煩悩観察から問題を考察するのは、よい例ではありませんね。
我々はやはり拷問する側の甲の煩悩に着目すべきです。
あなたは苦の煩悩などというが、拷問されて苦痛なのは当たり前です。
拷問の恐怖もまた当たり前です。
これを煩悩などと言わない。苦しくても。
煩悩とは悩みとか煩悶と勘違いしてはいけない。
楽しくて仕方がない煩悩もあるのです。
この相手を拷問することに快感を覚える甲こそ間違いなく煩悩に覆われている。
本人はそれで楽しい。苦しゅうない。そんな自分が好きなんですとか言うとる。
しかし間違いなく煩悩の虜です。
これをなんとかしなければならない。
煩悩を正しく理解しないと、アウシュビッツの護摩に代表されるように、問題のあるのは被害者だ
なんてとんでもない発想になります。

408 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 21:10:52 ID:zfvmEsXI
さてお知らせを。

今日書きました「別に検証スレを立てる」というのを行いました。
私の趣旨に賛同できる方はどうぞいらしてください。
ザBBSの「阿含宗を検証するスレ 1」というやつです。
HNは変えてますが、すぐ分かると思います。

ただ、こことは板の内容が若干違いますので、そこはご注意を。
注意事項は板の最初に書いてますので、ご了承いただきたく思います。

では、こちらではこちらで展開しますので、このままお続けください。
私も同時並行でやりますので・・・。

409 :ラシン:2008/10/04(土) 21:42:18 ID:uEYcb6E1
>404 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 19:10:02 ID:DSNdtRFx
またラシンさんが申されている「老死を解脱する」ということは管長も説いてはいません。
なので、老死は解脱できないと私は判断しています。

大日さんのこのご回答は、アゴン流運命転換の限界を示されていますね。
しかし、大日さんはある程度それに気づいていながらも確信的に掲示した理由が、
一修行者さんへの馴合い的配慮だったのですか?
それとも、七氏さんがご指摘していた第三の道に迷妄し、煩悩解脱も理解しているが、
アゴン流運命転換の欠陥を補完しよう、との秘めたる決意があるのでしょうか。
私の場合、七氏さんや樹意さんから真の阿含経解釈を学び桐山解釈を見限ったのです。
ですから、大日さんが実はアゴン教義の矛盾や誤謬に気づきながらも未だ逡巡している
状況をよく理解出きるのです。
私はここを計6年間ロムし、そのなかで真に気づかされてなお、2年近く決断できずに
いたのです。
その2〜3年間、実は他の宗教掲示板で法論していました。
その私の掲示姿勢は、ここの批判者の論拠を基にしたものです(恥ずかしい限り)。
しかし、そのことで逆に阿含経を学ぶ方法と理解度を身につけたと述懐できます。
アゴン宗と決別したのは過去ログ倉庫を見ていた時、ユビキタスさんが元信者だと
知ったことを契機に、ようやく決心できたのです。
これは私の勝手不遜な推察ですが、大日さんはすでにアゴン教義のインチキを見抜き
理解していますが、まだ刷り込まれた桐山理論と正しい阿含経解釈の狭間にいます。
つまり、いまだ桐山流解釈の習癖から抜け出せていないと、推量しています。
そこで、極論を申し上げれば、桐山教義には何ひとつ本物が無いというところから
出発して、新たな考察と解釈を試みてください。


410 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 22:11:48 ID:xIaTQ3Ev
>>250:○○屋 :2008/10/03(金) 08:42:43 ID:0ZSJKx60
>一修行者さんの『12因縁解脱』はある意味私は支持しています。
>ラシンさんとのやりとりで理解したことは、『ネハン』に至ると業果は受けない、しかし、ネハンになる前に生起した業果の影響はネハン後も受ける、と言うこと。
>これは、生起した業果(運命)は変えられないが、生起する前の業果はその結ぶ時期や果報そのものを変更が可能ということと、理解しました。

輪廻しない涅槃が目的という大日さんに「死にたいんですか?」と問いかけてみたが、
私は〇〇屋さんに「人、殺したことあるんですか?」と聞きたくなるw
あなたはどこかのスレで、あなた自身ではないが、人を殺してしまったことの
ある人が知人(アゴン宗会員)にいたか、話に聞いたとか書いていた。
つまりあなたの関心は、殺人鬼アングリマーラは本来なら死後地獄行き間違いなし
なんだが、しかしニルヴァーナを得て、輪廻がやんだら地獄に行って報いを受ける
こともなくなるわけだ。
それを〇〇屋さんは一番の関心としている。
もしそうならば、これは救いだ、福音だと感じたわけだ。
私には地獄も涅槃もわからないが、たしかに報いを受けるよりも前に全ての輪廻を
終わらせてしまうことになりますね。
それを喜ぶ〇〇屋さんに一つ示してあげましょう。
それは究極のニルヴァーナ、アラハンに至らないとダメですね。
なんらか死後に行き着く先があると、やはり報いは受けます。
釈尊が食あたりで死んだのも、何かの報いを受けたのかもしれないし。
出家するしかないですね。
経典では在家でもアナゴンに入った人もいたことにはいたが、やはり究極のアラハンは
出家するしかない。
さあ、〇〇屋さん。頭を丸めて出家しなさいw

411 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 22:24:43 ID:xIaTQ3Ev
>>250:○○屋 :2008/10/03(金) 08:42:43 ID:0ZSJKx60
>一修行者さんの『12因縁解脱』はある意味私は支持しています。

十二縁起は我々が生まれ老い死ぬ苦しみの起因は無明という煩悩にあるとその
連鎖関係を示したのが十二縁起の法則です。
つまり苦しみを超越しようと思ったら煩悩をなくせばよい。
しかし考えてみれば煩悩をなくしたら老死そのものがなくなるのだろうか?
老いて死ぬ以前に生まれてくることもないと言うのならば、これは究極の涅槃しかない。
しかし釈尊は四苦八苦を苦しいと感じる外界の現象そのものがなくなると説いた
わけではない。
会った人とは必ず別れ、憎い人とも長いこと縁がある。
求めて得られないことなど当たり前にある。
生まれたら必ず老いて死ぬ。病気も当たり前にする。
これらがなくなるわけではない。
これに揺るがない自分の心の平安を得る。

412 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/04(土) 22:34:02 ID:xIaTQ3Ev
>>250:○○屋 :2008/10/03(金) 08:42:43 ID:0ZSJKx60
>一修行者さんの『12因縁解脱』はある意味私は支持しています。


ラシンさんとのやりとりで理解したことは、『ネハン』に至ると業果は受けない、

つまり〇〇屋さんのニルヴァーナに関する関心とは別に、一修行者さんや如来の子孫さんが示した
十二因縁解脱はアゴン宗には適用できないことがわかる。
なぜならばアゴン宗の因縁解脱とは究極の涅槃に至る前に、人間として生きている
間に不幸な現象そのものを受けずに済み運命が変わってしまうということだからです。
生まれてこなくなること以外、桐山因縁解脱は十二因縁の法則からも超越した
なんて話には結びつけられないのです。

413 :済世活佛:2008/10/04(土) 23:40:06 ID:O0C65mk0
煩悩とされている生命の機能は、

生存していく為に必要な条件を充たすのに必要なのです。

必要な機能であるそれを排除する理由と
その理由となることの最終的な目的を
見失っていると

考察するための前提さえ整っていないままなのです。

414 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 23:45:27 ID:Igmo8Clf
>>250:○○屋 :2008/10/03(金) 08:42:43 ID:0ZSJKx60
>一修行者さんの『12因縁解脱』はある意味私は支持しています。
>ラシンさんとのやりとりで理解したことは、『ネハン』に至ると業果は受けない、しかし、ネハンになる前に生起した業果の影響はネハン後も受ける、と言うこと。
>これは、生起した業果(運命)は変えられないが、生起する前の業果はその結ぶ時期や果報そのものを変更が可能ということと、理解しました。

小手先の言葉の遊びの好きな人ですね。
解脱すれば業の報いも受けないのだから、因縁解脱したのと同じだという屁理屈です。
自己矛盾していること、ありえないことにどうして気が付かないのだろう。
気が付かない理由は簡単で、煩悩解脱の中身を理解していないからです。
煩悩解脱をものすごく軽く見ている。
「煩悩解脱すれば、運命も変えられるのと同じだ。
悪業の報いはすべてチャラになる。ヤッター、因縁解脱できるぞ」
こんなことを考えている人が煩悩解脱するはずがないのです。
ユビキタスさんに何度も指摘されているのに、理解できないらしい。
因縁解脱を願うということは煩悩が切れていないからです。
因縁解脱に解脱とついているから、一見、煩悩解脱と対をなしているかのように錯覚している。
だが、因縁解脱など煩悩解脱とは正反対の内容です。
因縁解脱なんて、ただの欲望にすぎない。

415 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 23:47:53 ID:Igmo8Clf
>>250:○○屋 :2008/10/03(金) 08:42:43 ID:0ZSJKx60
>ラシンさんとのやりとりで理解したことは、『ネハン』に至ると業果は受けない、しかし、ネハンになる前に生起した業果の影響はネハン後も受ける、と言うこと。
>これは、生起した業果(運命)は変えられないが、生起する前の業果はその結ぶ時期や果報そのものを変更が可能ということと、理解しました。

・煩悩解脱・・・煩悩を捨てること
・因縁解脱・・・運命を変えたいという欲望(煩悩)
運命を変えるとか、悪業の報いをチャラにしたいなんて望む心自体が煩悩です。
○○屋さんはそれを虫の良い望みだと批判していませんでしたか。
あなたも進歩したものだと私は拍手した。
だが、どうやら理解して書いた言葉ではなかったようだ。
因縁解脱も運命解脱も「反煩悩解脱」なのです。
どちらも煩悩解脱とは正反対の行為です。
解脱して神通力を得たいと望んでも得られるはずがないのと同じです。
神通力を得たいという欲望は煩悩だから、それを持っている間は解脱できない。
(煩悩)解脱とは簡単に言えば、すべて捨て去ることです。
解脱は河を渡ることにたとえられるように、煩悩という荷物を持ったままでは渡れない。
因縁解脱なんて欲望という荷物を持っていたら、煩悩解脱はできません。
釈尊は、解脱したら解脱の教法すらも捨てて行くのだと説いているのです。
因縁解脱と煩悩解脱は絶対に両立することはありえません。

416 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/10/04(土) 23:49:24 ID:8kwTuH0G
阿含宗から足抜けしたい人のための「退会マニュアル」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1222015150/9-17

417 :神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 23:53:00 ID:Igmo8Clf
>>408 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 21:10:52 ID:zfvmEsXI
>ザBBSの「阿含宗を検証するスレ 1」というやつです。

本尊論を議論するなら、三身即一応供の如来を抜きにはできません。
「応供の如来」とは「山に登山する」というのと同じくらい無知な言い方です。
応供も如来も同じ意味です。
あの現形写真を見て信者さんたちはどう思っているのか。
背を丸め、横を向いて、「供養に応えるぞ」なんて、
実際の釈尊が言うはずのない言葉を発したという。
釈尊は供養を受けるだけで、一般人からの供養にお礼すら言ったことはない。
比丘の鉢に飯を入れてあげても、彼らは黙って去るだけで、頭も下げません。
供養にお礼すら言わないはずの釈尊が、功徳を授けてくれる??
説法のお礼を拒絶したくらい厳密な釈尊が、二千五百年もたつと
取引信仰をしろというのだから、ずいぶんオシャカも商人に変身したものだ。
写真の姿は大日如来の格好だという。
大日如来とは当時の貴族たちと同じで飾りを付けている。
三身即一というのだから、あれは釈尊でもあるはずです。
生きている間ですら鉢と衣類しか持たなかった釈尊が冠や耳飾りを付けて、
「人と金を貢げば、見返りに悪因縁を切ってやるぞ」と宣言したという。
ほとんどマンガです。
写真そのものも奇妙です。
衣の裾から、後ろに見事な白いシッポが出ているじゃありませんか。
炎などを頭や身体だと解釈するなら、後の白い煙を無視するのはおかしい。
あれが本当に霊的な現形写真なら、シッポを隠し損ねた狐です。
ぜひシッポ如来も議論してください。

418 :済世活佛:2008/10/05(日) 00:00:02 ID:y9H/75y5
ユビキタスが口先だけで間違ったことを屁理屈に混ぜあわせ、
自分がやってもいないことを厚顔無知に書いていることは明白です。

ユビキタスが、正しくこたえられないことを4つ指摘しておきます。
1、悪いこととは何か述べなさい。
2、善いこととは何かのべなさい。
3、どのような倫理道徳であるか詳細に述べなさい。
4、観察とは何が何に対してどのように行うのか詳細に述べなさい。
[悪いことをするな、善いことをせよ、これが仏教です。
悪いことをするのは悪い心、煩悩があるからです。
だから倫理道徳を遵守するだけでなく、煩悩をなくする努力が必要です。
それは絶え間ない観察によってなされます。]



419 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 00:07:27 ID:pT3gk2AD
ユビキタスさん。
貴方にとって成仏って何ですか?
僕にはいまいちよくわかりません。
貴方は成仏できない霊や先祖を、アゴン側が侮辱しているような(?)風に
書いていますが、成仏ってそんなにいいもんなんですか?
同様の事を阿含サイドの方にもお聞きしたいです。

また、ユビキタスさん。
「成仏なんかしなくても良い」「成仏は架空の状態」等、開き直った考えの方が、
よりわかりやすい反阿含的な考えだと僕は思いますよ。

420 :済世活佛:2008/10/05(日) 00:13:16 ID:y9H/75y5
ななしは、釈尊が煩悩について何故問題視しているのかという理由について
正しく述べられません。

火で火を消そうとしてもだめなのです。

421 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 00:25:40 ID:H57HFuPT
>>419:神も仏も名無しさん :2008/10/05(日) 00:07:27 ID:pT3gk2AD
>ユビキタスさん。
>貴方にとって成仏って何ですか?
>僕にはいまいちよくわかりません。

私にとってもなにも成仏をブッダに成るとするならば、ブッダとは真理に目覚めて煩悩から離れた人のことです。
私はブッダになんかとてもとてもなれないが、不要なものを少しでも減らせれば
それでよいかなと私自身は受け入れている。

>貴方は成仏できない霊や先祖を、アゴン側が侮辱しているような(?)風に
>書いていますが、成仏ってそんなにいいもんなんですか?

ここでいう成仏とはブッダに成ることとは全然違って、成仏がどうこうと言うよりも
不成仏霊を桐山さんは説くわけです。
不成仏霊とは死後に安息を得ないで、自分が死んだことすら自覚できずに
怨念などを残して苦しみ続けることなんだそうです。
これが霊障を起こすと、子孫に祟り、不幸な運命の反復を導く元凶だとする。
これって、ブッダって何?成仏って何?なんて話と関係なく
ひどい侮辱ですよね?

>また、ユビキタスさん。
>「成仏なんかしなくても良い」「成仏は架空の状態」等、開き直った考えの方が、
>よりわかりやすい反阿含的な考えだと僕は思いますよ。

いや、それでは上記のように侮辱する醜さを訴えるに弱いのではないか?
成仏なんかどうでもよい。
不成仏と表現しようがどう命名しようが、根拠なく苦しんで怨念を発している
と説くことが醜いのです。

422 :済世活佛:2008/10/05(日) 00:31:37 ID:y9H/75y5
怨念を発しているユビキタスです。

421 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 00:25:40 ID:H57HFuPT


423 :済世活佛:2008/10/05(日) 00:34:45 ID:y9H/75y5
この経典について考察してみるべきです。

「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、
もの惜しみをしない人々が、
ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、
修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、
彼らは天界に生まれて、そこで輝く。
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
また〔来世には〕他人の蓄えた財物を、
他化自在天のように、喜び楽しむ。
現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる 」


424 :孫 青柿(あおがき):2008/10/05(日) 00:37:28 ID:ph/jWpG+
>>387 ○○屋さん、安那般那念経を出したのは 2chでは七誌さん樹意さん ザビビでは伯承さんです。
私じゃありません。2chにお邪魔するようになって樹意さんが観察ということを書かれてましたが、
私は理解できず毎週体重計に乗り身体は常に変化してて無常であることは分るけどこんなの誰でもやってるじゃんと思い笑い飛ばしてました。
しかし一年たったころ本を読みましたが観察の度合いが尋常じゃないのには驚きました。
まるで交通事故でバイクから吹っ飛んだ人が落下するまで細かに気付いているという話しとかぶりました。

ユビキタスさん、スレの趣旨とは異なりますが七誌さんの>>402で思うのですが、
人間って文化を持つ生物なので性欲にしろ食欲にしろ生物の持つ本能に加え文化的彩りを楽しむものですが、
女性の水着に興奮するのは根源的欲求だと思いますが、OLの制服、セーラー女子高生とかその他フェチとかは前者より煩悩の度合いが大きいのでしょうか?

425 :済世活佛:2008/10/05(日) 00:43:44 ID:y9H/75y5
神と一体になって苦痛を苦痛としない様な苦の克服でなく
苦の消滅の為に最上位のソリューションを釈迦は示してしているんです。
その指導内容は対象者の存在自体に答えがある。釈迦はその答えが解るのです。
対機説法は応病施薬、処方箋とはそれぞれ段階と力、等により違います。
信頼関係とやるべきことその順序、完璧な正しい努力を釈迦は解るのです。
☆存在するさとりの領域 が釈迦の最上位のソリューションなのです。


426 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 00:44:37 ID:pT3gk2AD
>>421
でも、貴方がそう頑張る必要はないのでは?
それとも、貴方の所に「侮辱された」と悔しがって来た霊魂でもいるとか?
まるで死者の代表のようですよ。


427 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 00:50:54 ID:pT3gk2AD
>>420
火で火を消す消火法ってあるよね?
ヤマトタケルってそんな感じで火消してなかった?

428 :一修行者:2008/10/05(日) 01:04:08 ID:OYMRdVj8
>>344>>349>>350
ユビキタスさん。
書かないと無責任という考えは、私にはないということです。
チャクラに関しては体質が変わるというレベルではないので、お勧めします。
>>353
千座行では、因縁を切る以前に、発動を抑えるという教義でしたから、
むしろ「桐山因縁は正しいことを証明したい願望です。」と逆になります。
そして無意識の意識の性格としての特徴は、入行以前の自分に確認することは出来ています。
やはり御法塔破壊は事実でしたか。
それならば、「許さぬ」とされたのは御法塔の再拝受ですか。
よろしければ、時系列で教えてください。個人的なことですので拒否でもけっこうです。
破壊→退会→再入行希望→不許可とか、
破壊→再拝受希望→不許可→退会とかです。
私は以前から管長がなぜユビキタスさんのような方に「許さぬ」と言われたか疑問でした。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」が基本姿勢の管長が。
それが353の書き込みでわかったような気がするのです。(時系列によっては)
ただ、私の返信は、しばらくしてからにします。
なにやら他の人とのやりとりで時間を使っているようですので。


429 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 01:07:04 ID:pT3gk2AD
ユビキタス一人救えずして、何が世界平和か…

430 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 01:15:46 ID:pT3gk2AD
>>353
って事は、ユビキタスさんもアゴン宗に甘えちゃったのですね?
ここへの阿含批判も、貴方の甘えですか?

431 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 01:58:45 ID:44Chsdbv
甘えじゃないでしょう
趣味ですねw
もう長いことユビさんもやっていますしその変転みていますから
最初は裏切られた思い怨みがこもっていましたが(なによりもお金を騙し取られたという)
最近は楽しみでやっていることがよくわかります。
でも、だんだん飽きてきたようで、これでも出番が前より少なくなっています。
そうですよね、ユビさん?

432 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 02:01:08 ID:44Chsdbv
栗花の妄想は批判者よりも阿含宗をダメにする。

433 :一修行者:2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>>357以降
大日如来さん。
少し安心しました。ただ、大日如来さんが解脱してしまったら、「実は管長はぜんぜん矛盾してなかったことがわかった。」なんてこともあるかもしれないので、マイナス発言は会員であるなら書かないほうがよいのでは、とも思うんです。
それに関して、今回は「信」について。
大日如来さんはいわゆる批判側の人を100%否定と書きつっこまれ、私が擁護発言をあとからしましたが、それに対し、書き込みがなかったので、今回は私が100%否定の内容を私なりに書きます。
ユビキタスさんは無財の七施を挙げて、そういうところは認めるので100%否定ではないと言われましたが、そういうことではない。
そういう道徳的レベルやすぐに正誤が判断できる阿含宗の教えを肯定されても私にとって、「100%否定でない」ということにはならない。
理屈では証明できない現象を信じることができるのか、煩悩解脱や運命解脱が阿含宗でできるのか、そういうことを少しでも信じることができないならば、100%否定ではないか、ということです。
私にも大日如来さんにも阿含宗への信はあるのです。
だから、納得できてしまったら、ある意味「保障された」になってしまうので、スタンスとしてはやはり検証より具体的修行法の模索と実践を優先するべきだと思うのです。
少なくとも同時進行で。
その部分ではもう実行されていると思い、安心したわけです。
ところがいわゆる批判側の人に信はあるのでしょうか。
私は最近勘違いしてたことに気づきました。
いわゆる批判側の人は阿含経に詳しいので、阿含宗を離れても釈迦と阿含経には帰依していると思っていた。
だから、「阿含宗はうそだが、阿含経は本物だ。
だから、俺が解脱していつか証明してやる」位の人を期待していた。
そういう人がおられたら、是非宣言してほしい。ある意味それだけで尊敬します。
ところが多くの人は阿含経に対し、信ではなく、正なんですよ。
私は基本的に信を感じる人と、今まで会話していたように思います。
だから、いわゆる批判側の人言うように、検証は自分で阿含経を、ということなんでしょうね。

434 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/05(日) 03:02:49 ID:Cr/5PILO
おお?寝る前にこっちを見たらレスしたくなったので、もうちょっとw

>だから、「阿含宗はうそだが、阿含経は本物だ。
だから、俺が解脱していつか証明してやる」位の人を期待していた。
そういう人がおられたら、是非宣言してほしい。ある意味それだけで尊敬します。

一修行者さん、同意ですよ。私もそういう気持ちはありますね。本当にそういう方が
いてくれたらかなり嬉しいですよ。でも、見かけたことが無いなあ・・・。

>「実は管長はぜんぜん矛盾してなかったことがわかった。」なんてこともあるかも
しれないので、マイナス発言は会員であるなら書かないほうがよいのでは、とも思うんです。

なるほど。確かに”最初は”私もそう思いました。しかし、考えてみたら「そうじゃない」
どういうことか? つまり、前にも書きましたが”水掛け論”が多くて話にならんのです。

ならば、どこまでが悪くてどこはイイのかをはっきりさせよう、と思ったのです。
まあ、それが別の掲示板で展開している最中ですが。
結局それの線引きをした人がいるのか?といいたい。気の遠くなるような過去ログを見る
よりもまとめて書かれたものを用意して、そこで枝葉の部分は好きなだけやればいい。
私にすればまあ勉強だから時間はかかっても行いますが、新しい信者や掲示板を見たことが
無い人、つまり私のような掲示板新人には「ただの批判大会」にしか見えない。

私も現信者としながら矛盾を感じ、白黒付けたかった。なぜなら信仰を安心して続けたい
のがあるからです。また自分のやっていることは「正しい」とも思いたい。

435 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/05(日) 03:16:46 ID:oFLjnxlB
だが、いかんせん阿含宗はかなり「あやしい」わけです。批判派が闇雲に叩いているわけがない。
それを感じたわけです。
しかし、それを検証しないで「私見」ばかりを述べたら永遠に終わらない。
だから、のらりくらりやるよりも「はっきりさせて」その後は色々やればいい。

またね、霊に対する感知の無い人に霊の論議をしたって無駄なんですよ。
あと、管長が言われる「霊性がない」ひとも同様と思っている。

ただ、阿含経を信じ勉強している人は皆、霊性はあると思ってますよ。

私の場合は「逆療法」のような形でどこが阿含宗で「矛盾していて」、どこからが「信じられる」
というのをやらないといつまでも「討論」のままで経過すると思ったのですよ。

あと、私も説明するだけしてそれ以外は信じない人はそれまででしょうし、そうやらないと
死ぬまでやらないといけない。なので、また批判されると思いますが自分のポリシーで貫く
のもありかな、と思っていますよ。

ただ、批判派の方も申している通り勉強はしなければいけない。
それをやることによって見えてくるものはあるし、正誤も出ると思う。

自分たちはある程度間違ってないと思うし、間違っているところは改めればいい。
そう思います。




436 :傍観者:2008/10/05(日) 03:23:00 ID:FElvAiXJ
私は、無宗教(家系は禅宗)ですが、阿含宗の友人と崇教真光の友人がいます。
元来からの興味もあって、いつも楽しく?傍観させていただいております。
私のような無関係なものが書き込むのもおかしいですが、いままでにも何度か書かせて
いただきました。
大日如来さんが、阿含宗は100%悪くはない。と、このスレを立ち上げた時は期待しました。
批判スレに比べて、現役信者さんが書き込みやすいと思ったからです。
阿含宗の何がいいのか?他の宗教や無宗教よりも、どういうことがいいのか本当に知りた
かったのですが、誰も書いてくれません。
このままでは、阿含宗の悪さは100%に近いですよ。
20年以上も阿含宗の信者をされている方が、いらっしゃいますね。
何かを得ようと思って阿含宗に入られたのだと思いますが、何か得られたものを教えて
ください。私も私の友人も40歳、たとえば私が今から阿含宗の修行を始めると30年くらい
しか時間がないのですが何が得られるのでしょうか?
物の考え方?御利益?超能力?
時間とお金を費やす価値があるのかどうか、信じるか信じないかは自分で判断します。
まったく価値がなければ友人に教えてやりたいし、価値があるのなら私が阿含宗に
入ります。
もうひとつ、意見を言わせてもらうと、擁護派・批判派というグループ分けや、HNのあるなし、
物の言い方にこだわり過ぎるのはやめていただきたいです。内容を読めばどういう人か
わかります。同じ批判者、同じ擁護者でも意見のちがいはあるでしょう?

437 :一修行者:2008/10/05(日) 04:24:35 ID:dLaLWVP/
>>436
傍観者さん。
擁護派・批判派というグループ分けは、現在もあいまいですので、私も頭に「いわゆる」と付けています。
私は擁護が目的ではないのですが、書く内容が擁護になっているので、
別に擁護派と言われても気にしてません。

私が「これを得た」といっても、傍観者さんが同じものを得られるとは限らないと思います。
違うものを得られるかもしれないし何も得られないかもしれない。
何かを得ても自分では気がつかないかもしれない。
問題は傍観者さんが「何を得たいか」だと思います。
私にとって価値があっても傍観者さんにとっては、価値のないものかもしれません。
入行してその「得たいもの」を得れた人もいれば、得れない人もいる。
また「得たいもの」が変わる人もいる。得れないでやめる人もいれば、
得れなくてもやめない人もいる。得ようとしていたことをやめ、やめる人もいる。
結局、自分がどうかだと思うんです。
宗教は見えないものの追求だと思うんです。だから「信」がなくなると続かないと思うんです。
でもいつか見れると思うんです。
ちなみに、私の法友は、ほとんど掲示板は見てません。
だから結局、自分で決めるわけです。回答になってないかもしれませんが。


438 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 06:52:38 ID:44Chsdbv
>>436
あなたが宗教に求めているものは何なのでしょうか?
それがわかれなければどんな宗教でも
答えなどだせないと思いますよ
だいたい、ここでこんな質問をするまえに
阿含宗の友人と話し合ったほうがいいと思いますね。

ただ、ここで問題にしているのは阿含宗が主張し教えていることと
実際行っていることに矛盾がありすぎるから問題にしているのです。

439 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 08:30:21 ID:H57HFuPT
>>424:孫 青柿(あおがき) :2008/10/05(日) 00:37:28 ID:ph/jWpG+
>人間って文化を持つ生物なので性欲にしろ食欲にしろ生物の持つ本能に加え文化的彩りを楽しむものですが、
>女性の水着に興奮するのは根源的欲求だと思いますが、OLの制服、セーラー女子高生とかその他フェチとかは前者より煩悩の度合いが大きいのでしょうか?

そうですねえ・・どうなんだろ?
たしかに昇華なんて高尚なものではないが、文化にしてしまってる。
フェチ文化ですね。
煩悩は・・どうなんだろ?かえって増えてるのかな?ほどほどに加減されてるのかな?
フェチは根源は性欲だけど、性欲の究極はセックスをすることであり、あるいは
発射することだけど、この趣味そこまで行かんのだよね。
まあ、ヘアヌードなんかよりもビキニの方が好きという人は多いけど、ビキニグラビアは最終発射の
対象にはなる。
盗撮とか迷惑行為に至ってしまったらいかんけどね。
街角でセーラー見たらその瞬間萌えで心を奪われたなんて程度ならいいが、
俺みたいにそれを求めて行脚するなんてなったらほとんど病気だし。
今日はこれから天台で習志野ー木更津総合の決勝。
ここにはセーラーはなく、習志野のブラバンが目当て。もちろん野球も。
その後、神宮第二にハシゴ。目的は二松学舎のセーラーちゃん。
果たして秋季大会に来るもんなんだろか?

440 :樹意:2008/10/05(日) 08:51:19 ID:5fAIEl94
>>397
> >>395
>
> 貴方に必要なのは 他の方のメガネを通した 〈意見〉ではなく
> 自分で阿含経を読んで考ることです。。

自レス補足
○○屋氏のことはザ美々でよく書き込みされている方ですから、私などは
一度議論の手合わせをしたいなとは思っていました。
ということは他の方の引用を含め引用だけでもかなりな阿含経に目を通している
方ということになります。
私思いますにこの方は本気で読んだことがないな、という感触です。〈内容から〉
ということはやはり自分の求めるものと違うものに対しては考えずスルーしてきた
ということでありましょう。

私はいつも〈事実〉と〈意見〉の違いを判定するようどのような立場の方であれ
説いてきました。その癖をつけることは アゴンがカルトであるか否かの議論を
除いて、それを実践される方の資産なり家庭なりを守ることに繋がるからです。

批判者といえど人の子でありますから、他人の意見を聞く前に、できるだけ
信用のおける、原典を忠実に翻訳された学者さんの阿含経典を読んでみては
いかがか?と述べたわけです、これは意見を聞く前に〈事実〉としての典拠を
自分で確認する作業を薦めたのです。

キリンビールの偽物が現れたと仮定するなら
飲み較らべた方の意見を参考にする場合もあるだろうが、体に無害であるなら
実際飲み較べてみたらどうか? と薦めることも意見の一つであります。


441 :樹意:2008/10/05(日) 08:52:49 ID:5fAIEl94

皆さんご存知だとは思いますが、---
http://ameblo.jp/rokilab/entry-10017013335.html
有名な『マズロー(マスロー)の欲求ピラミッド』のことを
知らない人はいませんよね。

簡単に説明すれば、人は....

 第1段階 生理的欲求
 第2段階 安全を求める欲求
 第3段階 所属と愛の欲求
 第4段階 自尊の欲求
 第5段階 自己実現の欲求

という5つのレベルでの欲求を持ち、前段階の欲求が満たされると、
次段階の欲求を求めるという、よく知られた説。
なので、自己実現するにはその前段階すべての充足を必要とする。
...とされています。



442 :樹意:2008/10/05(日) 08:55:30 ID:5fAIEl94

阿含経に説かれる教えというのは、この有名なマズローの欲求ピラミッド全て
捨てる教えです。
〈欲界 色界 無色界〉に価値を置かない、置かないどころか無常なるものは
苦であると説く、〈四苦八苦〉病老死
-------------------------------------------------

よく眺めるなら、これはゲイカがショーウィンドウに飾って並べているもの
そのものです。
ゲイカの説くものは実現できるできないの議論を置いといて、このピラミッドに
即した教えであるのは誰が読んでもお分かりになろうかと思います。
ビジネスとして眺めるならば〈売れる〉条件を踏んだものといえますが、
これを阿含経という看板でやっているわけです。

上座部が伝承してきたところの禅那の解説等魅力あふれた世界ではありますが
基本的には人間としての欲求ピラミッド全てを捨て去る道ですから
これが一般世間受けするようなものではないわけです。
ですから掲示板で長年議論されてきた方であっても、欲求を否定するものに
対しては無意識にでもスルーするなりしてしまう心理はよく理解できるもので
あります。







443 :樹意:2008/10/05(日) 09:12:32 ID:5fAIEl94
>>436
スレッドに何度か書き込みするほどであるなら
批判に対しても目を通しているはず、 ----

世の中は広いもんですな。


444 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 09:14:20 ID:C6d49JNU
ユビキタスは本物の馬鹿

445 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 09:15:48 ID:H57HFuPT
>>426:神も仏も名無しさん :2008/10/05(日) 00:44:37 ID:pT3gk2AD
>でも、貴方がそう頑張る必要はないのでは?
>それとも、貴方の所に「侮辱された」と悔しがって来た霊魂でもいるとか?
>まるで死者の代表のようですよ。

父が怒ったことありますよ。
父方の祖父が解脱供養で下りてきた時、「そんなはずはない!親父は晩年は禅をやり
特別立派な戒名も持っている」
尚、父は技術畑で信仰心などこれっぽっちもない無宗教者で、唯物論者と言って
さえよい。だから戒名がどうこう、成仏がどうこう言うことがおかしいのだが、
自分の肉親が不成仏霊扱いされたことに憤ったのですね。
祖父はガンで死んだわけですが、ガンはたしかに苦痛です。
しかしだからと言って今生の肉体から解放されてまで、延々と苦しみ続けて
子孫に迷惑を与えるのか?
母方の曾祖母も下りてきたことがある。
この曾祖母はある日風呂場で脳卒中で倒れ、そのまま苦しまずに亡くなっています。
祖母によると、観音様と仰ぎたくなるくらい優しいお姑さんだったようです。
彼女にどんな怨念があって、怨霊扱いされたのか?
このように勝手に人の先祖を不成仏霊なんて決めつけられると(まさに一修行者さん
が嫌う「決めつけ」ですよね)関係者は不愉快に思うんですよ。
本人が聞いたらどんな思いか?想像してみることです。
俺は転校して行ったとする。その後俺は財布泥棒の疑いがかけられた。
もちろん俺はそんなことをしていない。
しばらくして旧友から手紙が来た。「君の財布泥棒の件については被害者が許してくれた。
人間誰しも魔がさすことはあるものだと寛大に許してくれたから安心したまえ」と。
俺は思った。「何言ってやがんだ?コノヤロー」

446 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 09:47:52 ID:H57HFuPT
>>428:一修行者 :2008/10/05(日) 01:04:08 ID:OYMRdVj8
>チャクラに関しては体質が変わるというレベルではないので、お勧めします。

お勧めしますったって、たぶん自分がやってみてチャクラを開発したわけでも
なかろうが、チャクラを含めて、ヨーガの修練に意味がない、効果がないなんて
言いません。神秘の体験もしましょうし、神通力みたいのが生じるかもしれない。
ザのスレで信者の干柿さんも書いてますね。
釈尊の仏教以前よりサマタの修練があり、これにより神通力も得られた。
しかし釈尊はサマタだけではダメだとありのままの観察であるヴィパッサナーを
作った。これで煩悩を観察し、煩悩解脱した。
だから煩悩解脱にヨーガのチャクラ開発など関係ないのです。
釈尊もいろいろ苦行をやってみて、すごい境地にまで達していながらも、これでは
まだ苦の元となる煩悩を断てないと悟ったわけです。

>千座行では、因縁を切る以前に、発動を抑えるという教義でしたから、
>むしろ「桐山因縁は正しいことを証明したい願望です。」と逆になります。

こんな話は聞いたことはない。
しかも意味不明です。
千座行はあくまでも自力で真言などを唱えることにより因縁を切るが、仏舎利尊
解脱宝生行ではただ素直に礼拝供養することが肝要であると示しているだけです。

>よろしければ、時系列で教えてください。個人的なことですので拒否でもけっこうです。

ザのスレに「私の履歴書」として、かなり詳しく書いたことあるが、正式な退会の
手続きはとっていなかった。
宝塔を壊す事件があってから、関東から名古屋に家族ぐるみ引っ越したのです。
法具も返納してませんし。
私はその当時家出をしたりいろいろバタバタあって、東海本部で再入行手続き
してません。
また関東に戻ってきた時に自然退会のような扱いになっているだろうから
事情を話して復帰を申し出たら、許可願いを出しなさいと言われたわけです。

447 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 09:57:44 ID:H57HFuPT
>>430:神も仏も名無しさん :2008/10/05(日) 01:15:46 ID:pT3gk2AD >>353
>って事は、ユビキタスさんもアゴン宗に甘えちゃったのですね?

全くそのとおりです。
しかしアゴン宗などに属する信者さんには大なり小なり必ずこの甘えの構造を指摘できます。

>ここへの阿含批判も、貴方の甘えですか?

しかしここだけは別です。
アゴン宗から離れたということは同時に自分の甘えも捨てることにしたわけです。
アゴン宗を批判することは私の心の中の甘えを一掃する作業になります。

448 :傍観者:2008/10/05(日) 10:19:03 ID:Av+VPlJ9
求めるものがなければ宗教は不要ということですね。
個人は何を考えようが自由ですが、悪いことは、霊障のせいにして
弱い人間につけこむようにみえるのです。
病気がなおってほしいとか生活が楽になりたいとか人の欲求をうまくついて
お導き活動されていますよね。求めるものが得られるかどうかわからないと
お導きされているようにはみえません。
他人に時間とお金を使わせて、結果は責任をとらないよということなのでしょうか?
本音をいうと阿含宗の友人にもっと現実をみてほしい。
まわりの人間が迷惑なのです。
とくに家族は困っています。
私は、みなさんが何を求めて何が得られたか知りたかった。
信じるためには、実績をみてからだと思うのは、私だけでしょうか?

449 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 10:22:06 ID:H57HFuPT
>>431:神も仏も名無しさん :2008/10/05(日) 01:58:45 ID:44Chsdbv
>甘えじゃないでしょう
>趣味ですねw
>もう長いことユビさんもやっていますしその変転みていますから
>最初は裏切られた思い怨みがこもっていましたが(なによりもお金を騙し取られたという)
>最近は楽しみでやっていることがよくわかります。

趣味のようになってるのはその通りです。最初から。
但し恨みというのは全く違う。
実は私は不思議なことに、ほとんど全くと言って恨みを感じたことがない。
自分自身の愚かしさに対する悔いも、仕方がない、これから改めればいいや、
気がつかせていただいただけありがたいと思わねばならないという感じで。
だから批判を始めた最初から明澄な心境なんです。
最初から楽しみ、面白みを感じましたよ。
擁護側に反論する形で批判のレスを書いてみる。
書いた後自分で吃驚したものです。
これって、本当に俺が書いたことなんか?
信者時代には思いも浮かばなかった考えだ。
知性の復権を自分で感じた。ラシンさんも私の書き込み内容の変化にそれを
感じてくれたようです。
だから最初から面白くて楽しい。
だから続けられている。

>でも、だんだん飽きてきたようで、これでも出番が前より少なくなっています。

いや、カキコの時間を捻出するのに正直苦痛を感じているだけです。
ノルマを果たすとホッとしてしばらく書かなくてよいと解放される。

450 :孫 青柿(あおがき):2008/10/05(日) 10:27:42 ID:ph/jWpG+
>>428:一修行者 10/05(日) 01:04 OYMRdVj8
>チャクラに関しては体質が変わるというレベルではないので、お勧めします。

なんのこっちゃ?

一修行者さんて愉快なかたですね!如来の子孫さんとカブります。わはは

451 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 10:49:25 ID:H57HFuPT
>>433:一修行者 :2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>そういう道徳的レベルやすぐに正誤が判断できる阿含宗の教えを肯定されても私にとって、「100%否定でない」ということにはならない。
>理屈では証明できない現象を信じることができるのか、

いかにも道徳軽視のアゴン宗信者らしい反応だ。
理屈で説明つかない現象も認めてますよ。
病気が治るとか奇跡体験を認めている。
単なるプラシーボ効果なのかどうか、それはわからない。
ただ他の新興宗教教団のどこにも見られる現象だとしている。
しかし必ずというわけではないが、(確率、比率を厳密に調査すると低い)病気が治るわけですから
その人にとっては有効なんです。
ただし煩悩解脱の話はこれとは別に考えねばならない。
それには感情、感傷を超えた観察が必要です。
それで観察すると煩悩解脱については失格と判定する。
運命転換も運命なんてのは普通予めわからないのだから、別の客観事実の考察が
必要です。すると教祖自身が悪い因縁が切れてないことが暴露されている。
さて、これで総合得点を何点にしようかとは各自次第ということです。
100%の白黒を求める方が間違っているのです。

452 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 11:10:11 ID:H57HFuPT
>>433:一修行者 :2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY

本当の阿含経を修行実践して解脱を果たした人の証言を聞きたいというわけですね?
なるほど、たしかにそういう人は掲示板に来たことはない。
皆凡人であることに悪びれずに普通に暮らしているわけですからね。
凡人のどこが悪い?と誇りを持ってるし。
しかしそれなら南伝の実践指導者の本でも読んでみたらどうか?
日本で代表というか有名なのはスリランカ仏教のシャム派の日本代表である
スマナサーラ師です。
しかし彼の著作を読んでも、あなたは価値を認めないでしょうね。
なぜなら運命解脱を説いていないからです。
当然神通力もない。
あなたと価値観が全く違うのです。
価値観が違うあなたに南伝仏教の評価などできるはずがない。
自分は好まないとそれだけです。単なる選り好みの世界です。
よろしいか?仏教というのは欲望原理を超えて煩悩を否定した世界なんだから、
欲望原理の煩悩に覆われて手放せない人たちにはウケが悪いのです。
だから宗教人口が低いのです。
万人向きではない。
価値のわかるものにしかわからない。

453 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 11:41:53 ID:C6d49JNU
ユビキタスは駄目人間なんですね。

454 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 12:20:21 ID:H57HFuPT
>>433:一修行者 :2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>そういう道徳的レベルやすぐに正誤が判断できる阿含宗の教えを肯定されても私にとって、「100%否定でない」ということにはならない。

つまりこれは一修行者さんにとっては、道徳的指標、教えは1%も評価する価値が
ないと言っていることになると、皆さんは気づきましたか?
桐山さんですら顕密両輪、教えの実践の極みに密教の法が働くとしている。
つまり教えと神秘の法はフィフティ・フィフティなのです。
我々はその教えの部分の無財の七施とかを肯定して評価した。
しかし一修行者さんにとってはそんなところを評価されても仕方がない、
1%の価値もない、神秘の法を認めてくれないと、おまえらは100%否定した
ことになるのだと言っているのです。
なんという低レベルの信仰者か?
これが宗教を信仰する人がセリフか?
教えの部分を一部肯定してくれてありがとう。
それだと○%くらいの擁護、●%くらいの否定ということになるかな?
でも僕としてはもう少し神秘の法の部分の評価も欲しかった。仕方ないですよね。
とりあえずあなた方が100%否定しているわけではないのだけはわかりました。
とレスするのが本当でしょう。
しかしこの人は自分の選り好みでアゴン宗の教えの部分を0%の価値にした。

455 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:20:45 ID:pT3gk2AD
>>445
解脱供養で言う霊障(生者と死者の関係)とは、
怨んだ、怨まれたと言うような関係ではない気がするのですが…

456 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:30:55 ID:voXcoFu5
>>428 :一修行者:2008/10/05(日) 01:04:08 ID:OYMRdVj8
>チャクラに関しては体質が変わるというレベルではないので、お勧めします。

他人にこんなふうに勧めるのだから、一修行者さんはチャクラを開発しつつあるか、
開発したのですね。
これはすごい。
桐山さんから認定してもらいましたか。
彼は他人がチャクラを開発したかどうかわかると言っていた。
ゲイカに認定してもらえば、アゴン宗初のチャクラを開発した信者になる。
超能力開発なんて嘘だという批判に一撃を加えることができるのです。
ただ、チャクラを開発して超人的な力を得つつあるにしては、
アゴン宗の嘘にはまるで鈍感ですね。
それでは何のためのチャクラなのだ?
オウムでもチャクラやクンダリニーの覚醒体験がたくさん出ていた。
だが、そんな超能力を持った人たちが、麻原彰晃の嘘や俗物ぶり、
そして殺人教団であることを見抜けなかった。
これでは何のための超能力なのか。
桐山さんも事物の明快な認識力などと超人的能力を出しているが、
先達が出した簡単な問題提起すらも理解できずに、ピンボケな答えと
力自慢で話が終わっていた。
信者でサハスララ・チャクラを開発したと滔々と開発の経緯を話す人がいた。
だが、現実の彼は凡人にすぎず、むしろ、自分を誰も尊重してくれないことに
強い不満を持っているのがわかる人だった。
チャクラがどうのこうのと自慢する前に、まずその力を示したほうがいい。
あなたはここで常人にない力を示していないのに、
「お勧めします」なんて高見から物を言うと、この信者のように、
自己顕示欲が強すぎる人と侮蔑されますよ。
なぜなら、こういう書き方をすること自体が、あなたが煩悩解脱の
意味を理解していないし、実践もしていないことを示すからです。

457 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:34:35 ID:voXcoFu5
>>428 :一修行者:2008/10/05(日) 01:04:08 ID:OYMRdVj8
>私は以前から管長がなぜユビキタスさんのような方に「許さぬ」と言われたか疑問でした。
>「来る者は拒まず、去る者は追わず」が基本姿勢の管長が。

あなたは桐山さんの超能力を信じているばかりか、人格を心から尊敬しているのですね。
私はさすがに信者時代の後半は、桐山さんの人格を疑っていた。
言動を見るにつけ、普通の人よりも人格が劣っているのではないかと疑った。
これは今だから書くのではなく、本音で語り合える信者同士では話していた。
まだ信じていた時期ですら桐山ゲイカの言動から根性の悪い人だと思ったことも何度かある。
あなたは、ユビキタスさんが再入行の許可が下りなかったのは、
桐山ゲイカがユビキタスさんの因縁などを霊視して、深い智慧と慈悲から、
彼にとってもっとも適切な時期が来るのをまっていた、と判断しているのでしょう?
あなたの書き込みは典型的な「教祖への過剰な寛容」です。
新興宗教では教祖の矛盾する態度を信者があれこれ言い訳を考えて
正当化して、容認してしまう。
信者の信仰心を試している、試練を与えている、深い慈悲の心であえて厳しくしている、
などと信者は教祖のために言い訳を考えて納得してしまう。
あなたの態度はまさにそうです。
本当は、あなたがユビキタスさんの件で、桐山さんをどう擁護するかを
見てから反論したほうがおもしろいのだが、
私は桐山さんほど根性が悪くないから、先に指摘します。

458 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 12:34:38 ID:H57HFuPT
>>455:神も仏も名無しさん :2008/10/05(日) 12:20:45 ID:pT3gk2AD
>解脱供養で言う霊障(生者と死者の関係)とは、
>怨んだ、怨まれたと言うような関係ではない気がするのですが…

当然知ってます。
先祖が子孫を恨むのではない。
先祖はとにかくただ苦しいのみなんです。
怨念があってもその怨念は決して子孫に向けられたものではない。
ただどういう因縁か、子孫縁者がこの苦しみと怨念の影響を受けてしまうのです。
つまり霊障の先祖は放射能を発している危険物体であると罵っているわけです。

459 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:39:48 ID:voXcoFu5
>>428 :一修行者:2008/10/05(日) 01:04:08 ID:OYMRdVj8
>私は以前から管長がなぜユビキタスさんのような方に「許さぬ」と言われたか疑問でした。
>「来る者は拒まず、去る者は追わず」が基本姿勢の管長が。

桐山さんがユビキタスさんに許可しかなった理由はとても簡単です。
ズボラと復讐心です。
桐山さんは他人を恨む心がものすごく強い。
これは自己愛が強いことの裏表です。
愛情のほとんどが自分に向いているから、他人への愛情は少ししかない。
再入行願いとは、自分を一度裏切ったことを意味する。
これがわかるのは再入行の申込みが来た時です。
「こいつ、オレを裏切ったのだな」と桐山さんは強く傷つき、強烈な痛みを感じる。
つまり、再入行の申込みを見た時、桐山さんは傷つき、恨むのです。
だから、普通の場合でも、すぐに許可なんて下ろさない。
一修行者さんの言うように、本当に「来る者は拒まず、去る者は追わず」
なら、なんですぐに許可しないのですか。
必ず、時間をおく。
霊視能力を持って、一人一人の気質を見抜いているのなら、
この人は大丈夫だからすぐに許可するとか、「君は三ヶ月待ちなさい」とか、
個々に指示をするはずです。
だが、そうではない。
長さは違うが、いずれにしろ時間をおいてからでないと許可しない。
自分を裏切った者に少しでも痛みを与え、復讐するためです。
こんなことは世俗の世界では珍しいことではない。

460 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:44:28 ID:voXcoFu5
>>428 :一修行者:2008/10/05(日) 01:04:08 ID:OYMRdVj8
>私は以前から管長がなぜユビキタスさんのような方に「許さぬ」と言われたか疑問でした。
>「来る者は拒まず、去る者は追わず」が基本姿勢の管長が。

ユビキタスさんの再入行が極端に遅れたのも
ユビキタスさん本人は何にも関係ない。
その時期、桐山さんがどんな仕事をして、何に関心があったのか、
またどんな事件が起きていたのかをみない限り、理由はわからない。
なにせ、桐山さんは宗教小説の作家と宗教イベント業が本業であり、
高級レストランで成り上がりを満喫し、残りの時間で雑用をこなす。
再入行の請求という、桐山さんにとって不愉快な雑用など一番後回しです。
こんなことは珍しくもない。
先達たちが必死に道場建立の申請を出しても無視され、
伝法会を使って出したら「金はどこにある!」と怒鳴りつけていた。
地方道場など桐山さんの関心外だからです。
それでいて自分のお気に入りの道場なんかだと金を惜しまない。
信者からの相談や面接もどんどん後回しになって、やがて中止になった。
彼にとって快楽のない仕事、気分の乗らない「雑用」は後回しになるのです。
ユビキタスさんの再入行なんて桐山さんはきれいに忘れて放置していたのでしょう。
フジウスさんがお手配願いを受け取った後の桐山さんのデタラメを目撃して暴露している。
お手配願いですらあのザマなのです。
ユビキタスさんの件に桐山さんの深い意図などなんにもない。
不愉快な件だから後回しになり、何か他の仕事が入りまた後回しになり、
何か事件があって虫の居所が悪くてまたまた後回しになっただけです。
ズボラと復讐心、これが私の説です。
そこで、一修行者さんの説をぜひお聞きしたい。
桐山ゲイカは深い深い慈悲と智慧をもってユビキタスさんを指導しようと
して、許可を先延ばしにしたとあなたは言いたいらしい。
私の説とどちらが現実的で説得力があるか、読者に判定してもらいましょう。

461 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:50:37 ID:voXcoFu5
>>433 :一修行者:2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>少し安心しました。ただ、大日如来さんが解脱してしまったら、「実は管長はぜんぜん矛盾してなかったことがわかった。」なんてこともあるかもしれないので、マイナス発言は会員であるなら書かないほうがよいのでは、とも思うんです。

「解脱してしまったら」なんてまたお得意の「見えない世界」の話を出していますね。
運命、抑圧などと見えない世界の話でしか一修行者さんは勝負できないと
批判されても、あなたは「フン、何を言うか」と相手にしないつもりでいるのでしょう?
そういう態度だから、また同じ間違いをするのです。
私から上記の文章も「見えない世界」だと指摘されるまであなたは気が付かなかったはずだ。
矛盾に疑惑をいだきながら、アゴン宗で解脱するなんてありえません。
そんな基本的な教義すらあなたは理解していないのですね。
三結の二番目は疑惑、つまり釈尊の教法を疑い信じないことです。
疑惑とは解脱するのに捨てなければならない煩悩の一つなのです。
大日さんが桐山さんに疑惑を持ちながら、アゴン宗で解脱するなんてありえないのです。
こうやって桐山さんを擁護するには見えない世界に話を持っていくしか
方法がないが、それをすると、今度は桐山さんの作った妄想教義にぶつかり、矛盾する。
なにせ、桐山さんは見えない世界でしか勝負できない男です。
見えない世界で矛盾だらけの教義を作り上げたから、
そこであなたのように弁護しようとすると、必ずぶつかるのです。
私も信者時代、さんざん経験した。

462 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 12:55:17 ID:voXcoFu5
>>433 :一修行者:2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>理屈では証明できない現象を信じることができるのか、煩悩解脱や運命解脱が阿含宗でできるのか、そういうことを少しでも信じることができないならば、100%否定ではないか、ということです。

これはあなたの価値基準ですよね。
それをいうなら、あなたの価値観と合わないというべきでしょう。
煩悩解脱と運命解脱がアゴン宗の100%だなんて、桐山さんですら言っていない。
霊障解脱はどこに行ったの?
福徳宝生はどこに行ったの?
大日さんの「批判側はアゴン宗全否定」という記述には、
煩悩解脱や因縁解脱だけなんて限定していません。
アゴン宗も大日さんも言っていないあなたの主観的な基準ですよね。
自分の主観的な価値観に100%などとあたかも
客観性があるかのような数字を付けている。
「私の価値観とは100%合わない」というならわかる。
だが、自分の価値観にすぎないのに、まるで客観的であるかのように
数字をくっつける。
自分の内側に物差しを作って隠して見せず、しかも相手が何か反論してくると、
それに合わせて、物差しをこっそり変えてしまい、「ほら、違う」という。
どうしてあなたって、そんなに姑息なのだ。
こういう小手先の屁理屈を次々と出すところを見ると、
あなたはアゴン宗の中ではそれなりに活躍している人ですね。
先達としてこの種の詭弁を言って、それが道場では通用しているのでしょう?
通用したのを見て、あなたは自分がけっこう理論派だと思っている。
それは「見えない世界」の妄想が通用するアゴン宗だからです。
ここは現実世界だから、あなたの理屈など煙のように消えてしまう。
大日さんはそのことに気が付いたから、擁護を最小限にしていることに気が付かないか。
大日さんに説教するのではなく、彼がなぜ態度を変えたように見えるのか、
あなたのほうこそよく理解し、学ぶことです。

463 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 13:00:13 ID:voXcoFu5
>>433 :一修行者:2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>いわゆる批判側の人は阿含経に詳しいので、阿含宗を離れても釈迦と阿含経には帰依していると思っていた。

阿含経のデタラメ解釈を指摘されると、自分の間違いを認め修正するのではなく、
今度は批判側の信仰心ですか。
仮に批判側に仏教への信仰心がないとして、では、あなたはどうなのだ?
釈尊と阿含経を信じていないだけではない。
これを悪用して、釈尊が説いてもいないことを説いたと世間に広め、
ここで間違いを指摘されても、まだ頑迷に屁理屈を並べている。
仮に批判側が不信者であるなら、あなたは不信者である同時に釈尊への
裏切り者、宗教犯罪者です。
釈尊が煩悩解脱しか説いていないのに、あなたはまだ運命解脱なるものを求めている。
これが不信でなくて何なのだ?
釈尊が護摩を禁止し、死者成仏を否定している時に、
釈尊の名前を旗印にしてイスラエル護摩にあなたは参加した。
これが釈尊への背信、裏切りでなくて何なのだ?
裏切り者がどのツラ下げて、釈尊への帰依について他人を責められるのだ?
あなたみたいな人を説教強盗、盗人猛々しいというのです。

464 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 13:04:24 ID:voXcoFu5
>>437 :一修行者:2008/10/05(日) 04:24:35 ID:dLaLWVP/
>宗教は見えないものの追求だと思うんです。だから「信」がなくなると続かないと思うんです。

第三者から、アゴン宗のウリがわからないので、説明してくれと言われて、
こんな抽象的なことしか書けないのですか。
お金や時間を投じるのにどんな価値があるのかと質問しているのに、
あなたはまた抽象的な話をしている。
上記の答えなら、どこの宗教でも良いことになり、では、何のために
アゴン宗でなければならないのか、という一番肝心な点に答えていない。
こういう答えを、はぐらかし、と言って、答えられないときにゴマカスのに使う。
官僚や政治家が都合が悪い時の返事です。
せっかく第三者からアゴン宗の特徴を質問されたのだから、よくぞ質問してくれたと、
反論など気にせずに、己の信じるところを正々堂々と論述すればいい。
私が代わりに説明しましょう。

465 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 13:08:26 ID:voXcoFu5
>>437 :一修行者:2008/10/05(日) 04:24:35 ID:dLaLWVP/
>宗教は見えないものの追求だと思うんです。だから「信」がなくなると続かないと思うんです。

「アゴン宗の最大の特徴は釈迦の成仏法にあります。
これこそは世界中どこの宗教にもなく、唯一、アゴン宗にのみある。
これを桐山ゲイカは刑務所に入るほどの艱難辛苦の十界修行の末、
ついに阿含経に大発見したのであります。
オシャカの成仏リキを身につけられた桐山ゲイカが焚き火すれば、
あんら不思議、ただの焚き火は成仏法の焚き火と変身し、
四億円の偽真正仏舎利から成仏リキが垂れてきて、
霊障のホトケたちは歓喜奉行しながら成仏し、
モンゴルに雨が降り、印パの核戦争はなくなった。
こういう世界平和の社会運動をする功徳で、
信者たちは悪因縁を切ることが出来る。
もちろん、釈尊は因縁解脱も霊障解脱も説いてはいない。
護摩は禁止だし、死者成仏も説いてはいない。
だから、因縁切りの大将である桐山ゲイカは密教食事件で
有罪になって刑獄の因縁を出し、脳梗塞になって脳障害の因縁を出した。
桐山夫人もガンの因縁で亡くなった。
だが、しかあし、現実はどうあれ、アゴン宗ではオシャカの成仏ホーによって
死者を成仏させ、信者の因縁も切れると信じているのだから、正しい。
木切れに書いただけで信者の脳内に世界平和が訪れ、
桐山ゲイカは売名によってエラクなって福徳宝生をいただくのであーる。」

466 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 13:11:16 ID:voXcoFu5
>>438 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 06:52:38 ID:44Chsdbv
>あなたが宗教に求めているものは何なのでしょうか?

あなたの意見も桐山さんの主張とは違います。
桐山さんは宗教に何を求めるべきかまで説いています。
それが因縁解脱だというのです。
『霊障を解く』の122頁以降で、
「宗教はなぜ必要か」「宗教はどういう役をするのか」
と表題をつけて問いかけ、
「なんのために、なにを、どのように」
と題して、結局、因縁解脱こそが宗教に求めるべきものだという結論を出しています。
悪因縁が一つあったら、どんな才能があってもつぶされ、
どんなに努力しても水の泡。
だから、霊障のホトケを成仏させ、因縁を切るのが正しい宗教だと主張している。
傍観者さんがアゴン宗に詳しくないからといって、あなたのように、
桐山さんの主張と違うことを言って付け込むのは正しくありませんよ。
事の是非はともかく、正確に伝えましょう。

467 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 13:14:10 ID:voXcoFu5
>>437 :一修行者:2008/10/05(日) 04:24:35 ID:dLaLWVP/
>ちなみに、私の法友は、ほとんど掲示板は見てません。

見ないのではなく、見るだけの勇気がないのです。
その点だけは私は一修行者さんを大いに誉める。
あなたは卑怯で姑息な面もあるが、少なくともここに来て、
現実と自分の信仰とを戦わせている点だけは評価する。
あなたの法友のように、はなからバカにして見ようともしない人たちは
私の知り合いにもいます。
彼らは恐がりで、見るだけの勇気がないのです。
桐山さんから霊障で脅かされ、アゴン宗から離れた自分はひどい目に遭うと信じている。
スレを読めば自分の信仰が揺らぎ、そうなれば霊障に襲いかかられる。
騙されているという自分を見るのもいやなのです。
だから、行かない、見ない、読まないを決め込み、
耳をふさぎ、目を覆い、アゴン宗しか見ないようにしている。
そうすれば、一生、妄想の中で生きていられるのは、桐山さんが模範を示している。
彼らは、子供が暗がりをオバケがいると怖がるのと同じ状態です。
今生の人生では彼らはまだ子供なのでしょう。
あなたは少し成長したから、暗がりを見るだけの勇気を持つようになった。
彼らも来世以降、もう少し成長して、暗がりのオバケの正体を
見られるようになるかもしれない。

468 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 13:54:23 ID:pT3gk2AD
>>458
確かに危険な存在と言えばそうかもしれませんね。
我々生者を陽とすれば、死者は陰。
霊障はまさに陰の極み。

でもそれは、死者をまったくの他者ととらえるから、
失礼な感じもしますが、死者を自分の中の一部と考えたらどうでしょう?
人間、誰にだって長所と短所はあります。
この長所と短所だって、死者の影響を受けて成り立っているとも考えられます。
短所を減らして行く事は良い事です。
それに供養に手間ひま掛けるのは生者なのです。
もし死者に責任があるのなら、損害賠償を払うのは死者なのが筋ではありませんか?

まぁ、いずれにせよ、供養に関しての捉え方はひとそれぞれです。
でも、阿含サイドは罵っている意識は、まったく持ってないでしょうね。

ユビキタスさんは、ご自分の先祖に誇りを持っていらっしゃるようですね。
それは、とても良い事だと思います。

469 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 14:00:55 ID:H57HFuPT
>>433:一修行者 :2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>そういう道徳的レベルやすぐに正誤が判断できる阿含宗の教えを肯定されても私にとって、「100%否定でない」ということにはならない。
>理屈では証明できない現象を信じることができるのか、

教えの一部だけではなく、理屈で説明のつかぬ神秘の世界まで一部肯定したのは
書いた通りです。
つまり人の祈りの力、作用を認めた。
これを認めれば唯物論者なんて言えない。
宗教そのものを肯定し、寛大に理解を示したことになります。
普通これだけ宗教に寛大に理解を示したら、「お宅様もなかなか結構ではないですか」
となります。奇跡を説こうが。神仏の力を説こうが。
それぐらい我々はあなた方に近いし、偏っていない。
その我々が総合評価点数で失格と判断する数々の批判ネタを展開しているわけです。
そのスタンスを理解して下さい。

470 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 14:08:19 ID:C6d49JNU
ユビキタスは、カンシャク持ちとバレています。

471 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 14:24:24 ID:H57HFuPT
>>468:神も仏も名無しさん :2008/10/05(日) 13:54:23 ID:pT3gk2AD
>でもそれは、死者をまったくの他者ととらえるから、
>失礼な感じもしますが、死者を自分の中の一部と考えたらどうでしょう?
>人間、誰にだって長所と短所はあります。
>この長所と短所だって、死者の影響を受けて成り立っているとも考えられます。

先祖と言えど他人であり自分とは異なります。
そして自分と他人を混同してはいけません。
自分の短所を他人のせいにしてはいけません。
俺の気が短いのは親譲りなのかもしれません。
しかし親を供養しないと俺の気が短いのを直せないなんて言う人は一人もいません。

>ユビキタスさんは、ご自分の先祖に誇りを持っていらっしゃるようですね。
>それは、とても良い事だと思います。

いや、調べればよくもない先祖だっていると思いますよ。
事実、傍系の家系だが、親が関西の某名門国立大学の初代学長でその二男が
別の某名門大学教授の地質学者で、三男は某電鉄会社の社長という家系でありながら、
長男はロクに働きもせず一生プータローだった人もいる。
ちなみにその人が解脱供養で下りてくることはありませんでしたが。
私も後に子孫からロクでもない先祖と言われないように自戒せねばなりませんね。
このようにちゃんと客観事実の根拠あって何かを言うのならわかるが、
わかりもせぬのに、苦しんで死んで放射能を発しているなんて決めつけるのは
侮辱以外のなにものでもない。

472 :樹意:2008/10/05(日) 14:31:18 ID:5fAIEl94
>>448 傍観者 New! 2008/10/05(日) 10:19:03 ID:Av+VPlJ9
> 私は、みなさんが何を求めて何が得られたか知りたかった。
> 信じるためには、実績をみてからだと思うのは、私だけでしょうか?

>>436 傍観者 2008/10/05(日) 03:23:00 ID:FElvAiXJ
> しか時間がないのですが何が得られるのでしょうか?
> 物の考え方?御利益?超能力?

教団としての売りはこのスレッドで一修行者さん他が説かれているように
因縁解脱〈運命改善 悪しき運命の星を消す修行〉及び〈超能力開発〉
になります。
ショーウィンドウに陳列しているものとして大きなものはこれになります。

ゲイカは説く、
主体的価値と客体的価値、 ここに一千万円のお金があったとします。
一千万という客体的価値は変わらない。
---------------------------------------------------------------
同じ一千万というお金があっても、よい運命の星があるならそれを
元手に事業を起こし成功する. ゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○ プハァー

肉体障害の因縁があるなら、その一千万円を持ったが為に強盗に
入られ、肉体に障害を受ける。 命イタダキ ( --)o-( *゚ロ゚)- プス…!!

刑獄の因縁があるなら、その一千万円を狙ったが為に最後にお縄に
なり無所暮らし、     ‖|Ф(|゚|∀|゚|)Ф|‖ツカマッタ・・・イヒ♪

473 :樹意:2008/10/05(日) 14:33:32 ID:5fAIEl94
客体的価値である一千万の価値は同じでもそれを持つ側のインネンによっては
このように違いが出る。〈と 説く〉
家運衰退のインネンだの肉親血縁相克のインネン 後家のインネン 材運水のインネン
ちょっと聞かされれば、身に覚えのある方ばかりではないかと思います。
私なども、こういう障害があるのだったら若いうちにこういうものは
消しておこう、すくなくとも世間並みに生きていけたら、という思いで
アゴンに入ったわけです。
〈上手な導入部だと想いませんか ? 〉私は上手だと思います。

アゴンの説くインネン解脱の教えというのはこういうものを表向き
教えます。
現実としては 教祖そのものが自分が説いた悪因縁を出し、解脱に欠かせない
本尊は偽だったという-- ズサンなものですが、

474 :樹意:2008/10/05(日) 14:36:51 ID:5fAIEl94

> 物の考え方?

ここの信者さんで熱心な方は保険を解約した挙句ガンになり、最後にはゲイカに
教団を出るよう指導された方がいます、
また実際に例祭において 熱心なおばさん信者が〈私なんか保険解約して -----〉
と説いている場面を目撃したことがある。
クヨウやボン行をやっているなら悪インネンが薄らいで〈ホトケさま〉に守ってもらえる
と信じている、〈実際そういう教えです、〉
本来その方やご家族の方のリスク管理に向かうべき金銭を教団に向かわせる
為に依存するよう誘導する。 

つまり考え方としては 本来その方が持つべきリスク管理マネジメント能力がかなり
毀損されることとなる。 仮に貴方が体験入信するにせよ、これは気をつけねば
いけない勘所でありますからその点は踏まえておいて欲しい。


475 :樹意:2008/10/05(日) 14:39:07 ID:5fAIEl94
私はゲイカの挙げたアドバルーン、またショールームに飾られたものを実際に
実現するにはどうしたらいいかもある程度研究してきたものです。
ゲイカは上記客体的価値において事業面での成功、経営面での成功も挙げて
いますが、実際に経営であるとか、事業であるとかになるなら、こういった
守られるだのといった根拠の無い甘い妄想はマイナスであり害がある。
ゲイカ自信は事業面でのリスク管理の考えを実行していますが、当然のことながら
それを信者には出していません。
経営の場合ゲイカは継続して栄えると表現しましたが、それを実現する為には
実践面でのやり方考え方があるわけです、
継続して栄えさせる、経営のヶの字は 計画のヶでないといけない。
その為にはどんな状況が生じようと、どう転んでもいいような布石を打っておく
必要がある。
「現実的計画には、形而上のものが要件として入る事はない。」

今世界的な金融不安 収縮が問題になり、会社つぶしたところなどはそれを
原因にあげたりしているようです、ですが
他の板で倒産ラッシュの不動産各社コメントを寄せていますが、今倒産して
いるところは経営指標から判断するに潰れるべくして潰れている。
---------------------------------------------------------------------
当座比率 回転率が悪化しているのに借り入れを増やし投資に回していたりする。
無計画この上ない、しかしながらHKなどはその運営が神のレベルにある。
経営指標を一目見て思わずひれ伏した。凄じい運営経営計画力といえます。
運をたのみに経営する者はいずれ社員 家族を路頭に迷わす可能性が高い。
その点を認識してもらえればと思います。

476 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 18:20:31 ID:H57HFuPT
>>433:一修行者 :2008/10/05(日) 02:27:45 ID:NBeCiXWY
>少し安心しました。ただ、大日如来さんが解脱してしまったら、「実は管長はぜんぜん矛盾してなかったことがわかった。」なんてこともあるかもしれないので、マイナス発言は会員であるなら書かないほうがよいのでは、とも思うんです。

今後どう変わるかわからないのだから、後悔しないようにマイナス発言は
一切書くなという情けない諭しですね。
しかし100%否定はしない、それを前提とはしないで考察するのが目的で立てた
スレがこのスレです。
それを自ら批判できることを選んで書いている。
ザの方にも新スレを立てたのは、彼が頭を整理したいからです。
ここまでは明らかにおかしいから批判できるということを列挙している。
何が批判でき、何がまだできないか分類する作業ですね。
その手法は理にかなっている。
これは後戻りしたくなった時に、一つ一つほどいていかねばならぬハードルの役目をなします。
自分で書いてしまった批判なんだから、やはり批判は間違っていた、アゴン宗は
正しかったんだと思い直した時に、この自分の批判内容に落とし前をつける責任がある。
一修行者さんはそんな障害を作ることはうまくないと気遣ったつもりなんでしょうね。
しかしこれは違います。
大日さんはあなたよりも真剣なんです。
自分をごまかさないようにしている。
このユビキタスがまた心が揺らいでアゴン宗に再々入行をしたくなったとしますよね。
その時私にとって一番強敵なのはユビキタスというネームの男なんです。
ユビキタスよりも怖いのは七氏さんかというと、私にとってはそうではない。
なぜなら七氏さんは所詮他人なんだから逃げればよい。
しかしユビキタスという自分が作ってしまった男は、自分なんですから逃げようが
ない。信仰という魂の根っこにある一番大切な部分なんですから、自分をごまかしようがない。
越えねばならないハードルです。
大日さんもそれを作りつつある。
なに、自分で訂正すればよいのですよ。
自分に偽らない気持ちで、訂正ができれば。

477 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 18:48:06 ID:H57HFuPT
>>435:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/05(日) 03:16:46 ID:oFLjnxlB
>またね、霊に対する感知の無い人に霊の論議をしたって無駄なんですよ。
>あと、管長が言われる「霊性がない」ひとも同様と思っている。
>ただ、阿含経を信じ勉強している人は皆、霊性はあると思ってますよ。

あなたの霊感も含めてどういう霊魂観を持とうが自由です。
しかし釈尊の阿含経と霊性とやらをごっちゃに考えない方がよい。
なぜなら釈尊は阿含経の中で霊について考えるなという無記の態度を頑なに説いて
いるからです。
お聞きするが「霊性」って何ですか?
桐山さんはそれは先祖の霊魂を大切にすることから始まるとか言っている。
しかし釈尊は霊魂について考えるなと禁じたのです。
矛盾ではありませんか?
だから阿含経を出す時に霊性云々を指標にすることがおかしい。


478 :済世活佛:2008/10/05(日) 18:57:27 ID:6YNadyNf
>私は以前から管長がなぜユビキタスさんのような方に「許さぬ」と言われたか疑問でした。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」が基本姿勢の管長が。

お金目的ならば、ユビキタスには、再入信即OKです

桐山氏は、ユビキタスの根っこにある醜い悪業を斥けたのです。

479 :済世活佛:2008/10/05(日) 19:01:01 ID:6YNadyNf
>スマナサーラ師です。

ダイブしたひとがでていますねえ・・・・


480 :済世活佛:2008/10/05(日) 19:28:59 ID:6YNadyNf
「>やはり御法塔破壊は事実でしたか」
ユビキタスの破壊衝動で思い出されるのは、
桐山氏の元信者がつくったオウム教
オウム教は、破壊神シヴァをまつり、
修行による苦悩からの解放を説き、
欲望・煩悩を一つずつ超越する事を解脱と呼んだ。
そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、
「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。

ユビキタスは、オウム麻原と同じく元信者。
麻原というより、
ああいえばこう言うといわれた上祐タイプでしょう。
知能指数の低くしダラシナクした上祐タイプというのがただしい。
ユビキタスには、良い星がない。

仏塔破壊
桐山氏への破壊を宣言した攻撃
信者の信仰を破壊

ユビキタスの破壊衝動はオウムと同じ背景といえます。

481 :済世活佛:2008/10/05(日) 19:53:18 ID:6YNadyNf
こそこそプチ桐山氏を目指していたという妄想逞しい丁稚坊もいましたね・・・
器ではないですね。病気になった「病人」には気遣ってたそうですが、
それも信者のお金で食ってるから単なる義務レベルといえます。
妄想をまにうけて勝手に妄想連鎖する程度のモノでは、
仏教について考察は無理です。

やめてからがさらに痛々しい選択らしいですね。
稚拙なお医者さんごっこなんぞで食っていこうなんて100万年早い。
こなくなったのは良くなったわけじゃなくてね。
酷くなってこなくなったのですよ。



482 :済世活佛:2008/10/05(日) 20:00:20 ID:6YNadyNf
釈尊は、霊について語っています。霊もでてきます。

間違い

477 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/05(日) 18:48:06 ID:H57HFuPT
>>435:大日如来◆eu6hMsrO3Q :2008/10/05(日) 03:16:46 ID:oFLjnxlB
>またね、霊に対する感知の無い人に霊の論議をしたって無駄なんですよ。
>あと、管長が言われる「霊性がない」ひとも同様と思っている。
>ただ、阿含経を信じ勉強している人は皆、霊性はあると思ってますよ。

あなたの霊感も含めてどういう霊魂観を持とうが自由です。
しかし釈尊の阿含経と霊性とやらをごっちゃに考えない方がよい。
なぜなら釈尊は阿含経の中で霊について考えるなという無記の態度を頑なに説いて
いるからです。
お聞きするが「霊性」って何ですか?
桐山さんはそれは先祖の霊魂を大切にすることから始まるとか言っている。
しかし釈尊は霊魂について考えるなと禁じたのです。
矛盾ではありませんか?
だから阿含経を出す時に霊性云々を指標にすることがおかしい。



483 :○○屋:2008/10/05(日) 23:18:00 ID:q3/XIApK
>>397

>貴方に必要なのは 他の方のメガネを通した 〈意見〉ではなく
>自分で阿含経を読んで考ることです。。
>
>それが私の ○○氏に対する 〈意見〉です。

あなたに必要なのは、自分の体験についてを観察して洞察することです。
あなたの書き込みは済世活仏さんやギャーテーイギャーテイさんや栗花馨さん
、名無し、などと変わりありません。ほとんどスルーされているでしょう。

ここは議論しながら真実ちかづこうとする人のスレです。

あなたが修行や体験に基づき知ったことをレスするのがこのスレの目的です。
あなたが私の質問に意見を言いたくなければスルーすればよいだけで、
答えることが出来ないからといって阿含経を読め、というならば、あなたはここに
書き込む理由はないので、ほかのスレへ行くべきです。




484 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:23:57 ID:hpGHZe7p
阿含宗を検証するスレ 1
>[19]優婆塞001 08/10/05 20:13 *nPX6BdsYVy3*K
>@ 出家者の成仏法(上根の成仏法)
>A 在家者の成仏法(下根の成仏法)

大日さんは死者成仏を釈尊が説いていないという点だけを取り上げていますが、
重要なことが抜けています。
一つは、釈尊は上記のような出家と在家の「成仏法」の違いなど説いていません。
上根、下根という区別は桐山さんが付けたもので、釈尊がつけたものではありません。
これは出家経をみればよくわかることで、
釈尊は出家と在家の修行法の違いなど示していません。
たとえば、欲貪を切るには性欲など欲望を断ちきる梵行を実践し、
瞋恚という怒りや憎悪を断ち切れば在家、出家を問わずアナゴンまで行けるとしています。
在家のままの生活では、五上分結のような微妙な煩悩までなくすことが不可能だから、
在家はアラハンにはならないが、アナゴンまでの修行法そのものに違いなどありません。
桐山さんが「ヲレは上根で、オマイらは下根」と自分のエラサを強調し、
他人は足下にも及ばないと差別化するための作り上げたものです。

485 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:26:08 ID:hpGHZe7p
>[19]優婆塞001 08/10/05 20:13 *nPX6BdsYVy3*K
>@ 出家者の成仏法(上根の成仏法)
>A 在家者の成仏法(下根の成仏法)

二つ目が、三福道の件です。
三供養品の捏造の件はさておき、そもそも釈尊は如来に何か差し出して
その見返りの功徳で成仏するなんて説いていません。
三供養品には三善根しかなく、これは貪瞋癡という三大煩悩をなくすことです。
つまり、三供養品の内容は釈尊がいつも説いていることで特別な意味などない。
三福道は、単に言葉の捏造ではなく、成仏法そのものの捏造です。
なによりも因縁解脱そのものが成仏法の最大の捏造です。
以上のように、大日さんは死者成仏の件だけを取り上げているが、
生者の成仏も桐山さんのは全部捏造です。

486 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:32:46 ID:hpGHZe7p
>[20]優婆塞001 08/10/05 20:34 *nPX6BdsYVy3*klWb4c6bka
>次に「お塔婆供養」と「万燈供養」について。

万灯供養を出すなら、ぜひ盂蘭盆会のことを出してください。
アゴン宗の盂蘭盆会には次のような嘘が含まれています。

嘘1.盂蘭盆経は偽経典であることを事実上隠している
嘘2.偽経典だから、大目連の逸話は真っ赤な嘘
嘘3.盂蘭盆がウランバーナ(倒懸)という意味だという嘘
嘘4.大目連を大目蓮と書く無知
嘘5.釈尊が灯明を出せなんて言うはずがない
嘘6.釈尊が死者の供養を説いたという嘘

ま、要するに全部嘘。
慰霊供養と成仏供養の違いを正面から議論しようとすれば、なんとでも
理屈は付けられますから、議論は延々と続くでしょう。
なんなら、私が擁護側になって、大日さんに反論することも可能です。
しかし、答えはとても簡単で、目的が死者の慰霊や成仏ではなく、
「桐山ゲイカが金と人を集めること」だとすれば、すべて説明がついてしまう。
これは大日さんが提出したすべての議論のテーマや矛盾点の答えです。
ただ、それではスレが一行で終わってしまうし、
あなたはこれが答えだとは認めたくないでしょうが、
私がこれが答えだと言っていることだけは覚えておいてください。

487 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:35:36 ID:hpGHZe7p
>[25]優婆塞001 08/10/05 21:11 *nPX6BdsYVy3*klWb4ulFjO
>理屈はこう。大柴燈は成仏法を以って修している。なので解脱供養をしているのと同じことなので、大護摩木で祈願しても同じこと。
>という指導でその当事者も半信半疑で行ったのだが、なんとその甲斐あってガンが消えて回復したのだそう。
>ドクターも首をかしげ「誤診」を求めてその祈願主は退院し、めでたしめでたしになったと。

話の真否は問わないが、こういう体験談はできれば本人に直接質問し、
検証することです。
あなた自身がこのガンが治った信者に直接聞いたのだろうか。
私は信者時代、何回かそれをして、最初聞いた話と全然違うことに知って
驚かされたことがある。
たとえば、ガンになったとは誰にどのように診断してもらったのか。
いつ頃からガンになり、症状と医者の診断、またこれまでの治療経過は
どのようなものだったのか。
入院していたのだから、医者が直接薬を投与して治療していたのですよね?
首をかしげたという医者からの話は誰が聞いたのか。
これらを丁寧に検証することです。
又聞きは二次的価値しかない情報だし、又聞きの又聞きにいたっては
相当に歪んでいるから、私はほとんど信用しないことしている。
信者は信じたいから、話が「伝言ゲーム」によってだんだん大きくなる。
また、本人が嘘をつくつもりはなくても、
仏様のオカゲでという感謝の気持ちから大袈裟に言うこともある。
気持ちが動転していると、本人の記憶自体が書き換えられていることもあります。
あなたは「検証」というタイトルを付けているのだから、
こういう体験談はちゃんと自分で追跡調査をして検証してみることです。

488 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:40:57 ID:hpGHZe7p
>[26]優婆塞001 08/10/05 21:30 *nPX6BdsYVy3*
>これに対し「成仏法は釈尊の教えと法であり、それから得た死者への成仏法で成仏させているんだ」という風にやるから問題がおきた。

問題はこれだけではありません。
桐山さんに霊能力がないことが最大の問題なのです。
桐山さんに霊能力があり、霊視でき、死者を成仏させられるのなら問題は半分だけです。
現実は、桐山さんには霊能力などない。
大日さんには耳タコだろうが、十八人の霊障武士とソンディの件は
嘘や間違であっていいことではありません。
釈迦の成仏法を体得して最初に霊視して、成仏させたのが十八人の霊障武士です。
桐山さん本人が出した自分の霊視能力の最大の証拠です。
それが真っ赤な嘘だとなれば、もはや桐山さんの霊能力なんて信用するに値しない。
釈尊や阿含経を持ち出したのも、霊能力がないのがばれないように、
これらの権威を利用したのです。
ソンディ心理学の権威を巧みに利用して、自分に霊視能力があるかのように
みせかけたつもりが、シッポを出してしまった。
桐山さんが、修行者座右宝鑑で霊能力の最大の証拠とした桐山型とソンディ型の
話が真っ赤な嘘だとなったら、霊能力があると信じるほうがどうかしている。

489 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:44:55 ID:hpGHZe7p
>[26]優婆塞001 08/10/05 21:30 *nPX6BdsYVy3*
>これに対し「成仏法は釈尊の教えと法であり、それから得た死者への成仏法で成仏させているんだ」という風にやるから問題がおきた。

大日さんは自分が感じる霊障や霊的な存在があることと、
桐山さんの霊能力とを一緒にしている。
両者には脈絡がないのです。
弟さんの解脱供養の件が桐山さんの成仏リキの証拠にならないと同じで、
あなたが霊的に敏感なことと、桐山さんの能力とは関係がない。
多くの信者は桐山さんに霊能力がないと批判すると、
拒絶反応を示すことが多い。
では、証拠を出してみせろというと、せいぜい大日さんが
出したような個人的な体験談しかない。
そんな程度なら(体験談がそんな程度という意味ではない)、
世間の新興宗教に掃いて捨てるほどある。
桐山さんが大勢の前で霊能力を発揮したなんて皆無です。
大日さんには、桐山さんに霊能力がある、
アゴン宗には霊能力があるという前提をまず疑ってほしい。
それは実はあなたの霊能力が本物かどうかの物差しにもなる。
私は何人か霊的に敏感だった信者を知っている。
私の疑り深い態度で見ても、彼らには霊的な感性があるのだと認めるしかなかった。
だが、彼らの多くは霊的に敏感であればあるほど、
アゴン宗にいることが耐えられなくなっていた。
「ゲイカは成仏リキで霊的な浄化をしているはずなのに、なぜ・・・」と
いうのが、彼らの共通した疑問でした。
樹意さんも前に同じような体験を書いていた。
あなたも本当に敏感ならば、似たような疑問を感じたことはありませんか。

490 :神も仏も名無しさん:2008/10/05(日) 23:54:06 ID:hpGHZe7p
>>408 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 21:10:52 ID:zfvmEsXI
>ザBBSの「阿含宗を検証するスレ 1」というやつです。

大日さんに一つ気を付けてほしいのは、身の安全です。
あなたはすでにアゴン宗を敵に回していることを自覚してほしい。
自分はアゴン宗を検証しているのであって、否定しているのではないと
言いたいだろうが、その主張がアゴン宗と信者に通用しないことは、
一修行者さんの反応をみれば十分です。
あなたの書いていることの大半は事実であり、根拠のあることです。
だが、アゴン宗と信者たちは事実や真実を見たいのではない。
たいていの信者は桐山さんの作った因縁解脱の妄想を見ていたいのです。
妄想を否定されることに強い拒絶反応を示すのが普通の人です。
知っているとは思うが、信者の多くは桐山さんを絶対的な存在だと信じている。
あなたは検証のつもりでも、それは彼らには悪口であり、非難なのです。
ここに書いているようなことを周囲の信者に言わないことです。
信頼できると思う法友でも、話すのは相当に気を付けてください。
宗務局はスレを読んでいる。
信者を特定できれば一罰百戒のために厳しく処罰します。

491 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 00:00:12 ID:PCRlutnm
>>408 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/04(土) 21:10:52 ID:zfvmEsXI
>ザBBSの「阿含宗を検証するスレ 1」というやつです。

大日さんがザに堂々と批判を書き始めたところを見ると、
あなたが宗務局と関わったことがないし、なによりも桐山さんの性格をしりませんね。
彼らは非常に陰湿で陰険な面を持っている。
精神障害者への排除など本当にひどかった。
その大元は桐山さん本人です。
あなたが今書いているようなことを少しでも漏らせば、
理屈抜きで排除されるでしょう。
なぜかわかりますか。
あなたは「桐山さんの財産にケチをつけている」からです。
桐山さんが一生かかって築き上げた財産に、信者ごときが
偉そうに批判を始めた、としか桐山さんも宗務局も見ない。
あなたは桐山さんから財産を盗もうとする泥棒としかみなされない。
桐山さんは自分が作り上げた宗教は完全完璧で非の打ち所がないと自惚れている。
これは冗談ではなく、桐山さんは今でも本気でこのように信じている。
そこに信者にすぎないあなたがあれこれと矛盾点を指摘したら、
桐山さんは激怒して「このバカつまみだせ」です。
この件は読んで知っていますよね。
私は目の前で見た。
あなたはどうやら人をお世話する立場にもあるようだ。
つい書くことに夢中になっていると、知り合いの信者の前で
批判めいたことを口にしてしまう危険性がある。
くれぐれも猫をかぶって、他の信者の前では本音を出さないことです。
指名手配が出ていると思って用心してください。

492 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 00:19:52 ID:gWMhA5RA
ユビキタスさんのお父さんは、ユビキタスさんのお祖父さんが供養されて、
怒ったそうですが、
では、どなたが供養されれば、納得いかれたのでしょうか?
例の傍系のご長男?
もし、その様な方が供養されれば貴方は満足でしたか?



493 :一修行者:2008/10/06(月) 01:52:41 ID:fySYa4VM
>>446
ユビキタスさん。
わかりました。チャクラは不要ということですね。
千座行が発動をおさえるという意味は因縁が切れなくても表面にでなくするという意味ですが、
これは当時私が先達から聞いたことなので阿含宗の教義にはなかったかもしれません。
ただ私は当時、先達の教え=阿含宗の教え、だったので、
むしろ「桐山因縁は正しいことを証明したい願望です。」と逆になります。

>>451>>454
道徳軽視はしてません。実際、今の私の主な修行内容は、功過格の実践です。
ユビキタスさんの奇跡体験を認める発言は、私の阿含宗の100%否定内容に、やはり入りません。
この奇跡体験は阿含宗の法のおかげで、体験した可能性を認めてないからです。
阿含宗の解脱供養のおかげで、何か問題が解決したことを数%信じることができるか。
阿含宗の修行法で煩悩解脱ができることを数%信じることができるのか、
阿含宗の修行法で運命解脱ができることを数%信じることができるのか。
それが無理なら100%と言っているわけです。

>道徳的指標、教えは1%も評価する価値が
>ないと言っていることになると、皆さんは気づきましたか?
>なんという低レベルの信仰者か?
なんか、誰かに似てきましたよ。
しかしながら、ユビキタスさんのスタンスは469で理解しました

494 :一修行者:2008/10/06(月) 01:54:37 ID:fySYa4VM
>>452
>彼の著作を読んでも、あなたは価値を認めないでしょうね。
価値は認めますよ。スマナサーラ師ですね。機会があったら是非読んでみたいと思います。
実は「釈尊の呼吸法」という本もだいぶ前に別の掲示板でユビキタスさんの書き込みで知り、購入し、さっと読んでます。
この機会に感謝しておきます。

>よろしいか?仏教というのは欲望原理を超えて煩悩を否定した世界な
>んだから、
>欲望原理の煩悩に覆われて手放せない人たちにはウケが悪いのです。
>だから宗教人口が低いのです。
>万人向きではない。
>価値のわかるものにしかわからない。
だから、わかってますって、この件は。煩悩解脱ですよね。
実は仏教とは究極はこういう世界なのかと20年くらい前から思ってましたよ。
ただそこまで行くには、まだまだだと、思い、さけてたかも知れません。
(万人向きでなくて、価値のわかるものにしかわからないから)管長は相反する因縁解脱を教義に取り入れたと書きましたよね。
ターゲットが世界だから。
だから教義にある意味矛盾が出るのは当然で、しかし、修行法に共通部分があるのならよいではないかと私は思う。
ところが、いわゆる批判派の人は身見や戒などの定義で、両立しないと考える。
そこに私が解釈の仕方だと書くと、握拳とか書いてくる。
握拳の解釈ですら私とちがいますよ。
私はあくまで、煩悩解脱と運命解脱は両立すると考えるわけです。
そしたら済世活佛さんが、経典根拠を提示されているようなのでやはり自分で阿含経学習だと、
その意味では大日如来さんと同じです。

495 :一修行者:2008/10/06(月) 01:58:14 ID:fySYa4VM
>>476
>今後どう変わるかわからないのだから、後悔しないようにマイナス発
>言は一切書くなという情けない諭しですね。
そうではありません。書き方が吐露的表現になっていて、マイナスに引っ張られる、
そして会員なら書き込む内容に限度を持つべきだと言っているのです。

>自分をごまかさないようにしている。
だからそれは書かなくても自分の心の中で出来ることでしょう。

御宝塔破壊の件は簡単に書きます。
個人的なことで、神も仏も名無しさんや済世活佛さんが反応するのは好ましくないので。
気分を害す内容があれば失礼。
千座行で本来押さえられるべき因縁が表面に出てきてしまった。
これは私も経験した、まれにあるパターンでしょう。行をしなければ出てこなかったと考えます。
ユビキタスさんの自己破壊の因縁です。
よく御宝塔が身代わりになってくださる話を聞きますが、自己破壊の身代わりになってくださったのでしょう。
だから再入行してまた因縁が表面化すれば、今度は自己破壊が実現する可能性がある。
だからユビキタスさんに非があったのではないと思うのです。
当然自分をごまかさいように自問自答されていると思いますので、返信は不要です。
管長擁護の内容になりましたが、当然ですよ。会員ですから。
私だって立場が変わればわからない。



496 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/06(月) 08:04:50 ID:JGR+7+WW
>>492:神も仏も名無しさん :2008/10/06(月) 00:19:52 ID:gWMhA5RA
>ユビキタスさんのお父さんは、ユビキタスさんのお祖父さんが供養されて、
>怒ったそうですが、
>では、どなたが供養されれば、納得いかれたのでしょうか?
>例の傍系のご長男?
>もし、その様な方が供養されれば貴方は満足でしたか?

私が不満だったなどとはどこにも書いていません。
私はアゴン宗の信者で桐山さんの霊能力を信じていたから、誰が指名されようが
指名された先祖の気持ちなど考えることなく、受け入れていた。
自己洗脳をしているわけですからね。
しかし父のような洗脳されていない一般人が先祖不成仏と聞いてムッとすることを
書いているわけです。亡くなった方の本人の耳に入ったら、さぞかし腹を立てる
だろうということを書いたわけです。
一生ぶらぶら生活を送った傍系の長男さんが解脱供養に下りてきたとしても
やはり父などは侮辱するなと怒ったんじゃないかな?
生前の生活がお世辞にも立派なものとは言えなくても、さして悪いことをした
わけでもなし。たとえば私の話す情報をヒアリングで聞いてその先祖に違いない
なんてなれば、それこそ馬鹿にするな、死後のことまで勝手に悪い想像をするな
になる。
生前の生活は根拠あっても死後までは根拠ないのです。
アウシュビッツの犠牲者にしても然りです。
あんな悲惨な虐殺をされてさぞ無念で苦しかったことでしょうと感じるのはよい。
しかしその後も苦しみ続けた状態で、霊的放射能のようになって、土地に染み着き
次の戦争の引き金になり人類壊滅のカルマと化しているなんて言ったらとんでもない
侮辱です。
つまり滅多なことは言えないはずです。
霊障とか不成仏とか実際にはわからない。
しかし桐山さんのそれは嘘である根拠を示した。
ならばついうっかり信じて先祖を怨霊のごとく扱ってしまったことに、一言
心の中でごめんなさいとお詫びして下さいと提言している。

497 :○○屋:2008/10/06(月) 08:17:33 ID:zFUmj3Ib
青柿さん

あー、名無しも結構『気付き』と観察について書いていたんですね。青柿さんに指摘されて分かりました。

名無しは大量カキコをするので読むのがメンドク、樹意さんから指摘されたように、スルーしていたのは事実です。


一修行者さん

あなたの様な感情を私も持っています。そんなに批判するなら、どなたかが阿含経を読んで、正しく解釈し、この様にシュダオンになったんだから、阿含宗はいんちきだ、という人なら言うこと信用します。

498 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 08:21:42 ID:urcY85Zo
ユビキタスは本物の屑だ。
リアルで最初にリストラすべきはユビキタスだろう。

499 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 08:26:44 ID:urcY85Zo
アサハラの弟子が、法廷で反アサハラ証言してアサハラ攻撃しても有罪じゃん。
ユビキタスもやっぱりそいつらとにてるんだね。マジわらえたよw

500 :○○屋:2008/10/06(月) 08:30:07 ID:zFUmj3Ib
ユビキタスさん

人を殺したい、なんて思いませんが、煩悩と業と業果と○○の因縁との関係性ははっきりさせるべきだと思っています。それが一修行者さんの運命解脱に関係してくるからですし、わたしの関心もそこいらあたりにあるからです。


それから、拷問の話ですが、もちろん拷問するがわの煩悩を問題にされるだろう事は予想していました。

敢えて、喩えたのはそのあとに書いてる事で理解されると思いましたからです。

つまり、わたしは釈迦の修行時代の変遷・・・

集中の瞑想 → 苦行 → 観察の瞑想 → 解脱の瞑想

のメカニズムを理解することが重要と考えています。

501 :○○屋:2008/10/06(月) 10:12:50 ID:zFUmj3Ib
つづき


自分で人為的に苦を作り出し、観察するのは業の報いを受けずにできる事で、その為には苦行が一番持ってこいだと思います。


腹がへったとき、そこに食べ物があったら、無我夢中で食べる。それを観察するには、自分で意識してその様な状態をつくるのが手っ取り早く、合理的におもわね?苦行は自分で自分を拷問するようなもので、甲乙両者の心(煩悩)を客観的に観察できる。


がむしゃらに苦行するんじゃなく、その様に苦行する。いうならば苦行しながら観察の瞑想をする。それが完全に出来たとき、次なる瞑想の段階にはいり、他者の苦の観察ができて他者の人生が観察できたのだろうか?

502 :樹意:2008/10/06(月) 11:28:40 ID:c8Bc8rA8
>>483 ○○屋 New! 2008/10/05(日) 23:18:00 ID:q3/XIApK

> 答えることが出来ないからといって阿含経を読め、というならば、あなたはここに
> 書き込む理由はないので、ほかのスレへ行くべきです。

私の意見は余程カチンときたようですね、
文章を拝読するに貴方は傲慢な方のようだ。
○○屋氏は批判側に対して意見を求められましたが、私の側か意見を求めたことは
このスレッドではありません。
私が貴方の欲望にかなった書き込みをしなかったからといって
〈> 書き込む理由はないので、ほかのスレへ行くべきです。〉
 他へ行けですか www

なぜ私が貴方の欲求にかなった書き込みをする義務があるのか ?
私がなぜ阿含経を読めという意見を述べたかの解説は( >>440 )
に書いてある。
議論というのは互いに根拠を示して述べるもので、貴方の望んでいるのは
(会話)(雑談) というものです。



503 :樹意:2008/10/06(月) 11:29:51 ID:c8Bc8rA8

(>>483) > ここは議論しながら真実ちかづこうとする人のスレです。

アナタは阿含経を読んでみたらという私の意見に反発されている、しかるにこの
(真実に近づく)なる主張とは乖離した意見です、何故ならばアナタが(>>388 )
で求めたものは阿含経典、を普通に読めばわかるものです。
私はアナタの問いに対して最低限阿含経典を読むべきだとし、その為の八正道の
修道目録も示している。 (>>389->>394)   
これだけのことを○○屋氏の問いに対し示している。。
-------------------------------------------------------------------
しかるに○○屋氏が自分で期待した意見でないもの、意にそぐわないもの
を排除する姿勢を○○屋氏は今回
(>>483) > 書き込む理由はないので、ほかのスレへ行くべきです。
と云われる。
アナタが(>>388 )で求めた (>三明が獲得できるという、そのメカニズム)
なるものは八正道です。きちんと(正見)より始め(正思惟、正語、--)戒を得て
初めて遡上に登るものなのです。
---------------------------------------------------------------------

504 :樹意:2008/10/06(月) 11:45:07 ID:c8Bc8rA8
>>503

> アナタが(>>388 )で求めた (>三明が獲得できるという、そのメカニズム)
> なるものは八正道です。きちんと(正見)より始め(正思惟、正語、--)戒を得て
> 初めて遡上に登るものなのです。
> ---------------------------------------------------------------------

○○屋氏は(>>388 )で (>三明が獲得できるという、そのメカニズム)
を求め、私は阿含経典を読むように薦め 八正道を提示した。
より理解の深まるよう セヤドーのものを示した。  セヤドーの観智に対する
説明はすばらしい。

このスレッド参加者に八正道を完全に実践し、三明を獲得した体験を持つ方を
検索するよりは、最低限キチンと経典を読むべきだろう。

座右宝、の随煩悩の章にありましたな、 意にそぐわないものはたとい善事であっても
反発する心根というのが、--
煩悩で曇った心では (明)を理解するものおぼつかないのではありませんか ?



505 :ラシン:2008/10/06(月) 13:22:28 ID:NhnJ2AP+
>500〜501 :○○屋:2008/10/06(月) 08:30:07 ID:zFUmj3Ib

釈尊は、欲望を極端にまで排除するという六年もの麻麦の行をしてなお悟りを
得ることが出来ませんでした。
そこで苦行を捨てて智慧の瞑想でさらなる智慧を得て涅槃を果たした。
釈尊は極端な苦行ではなく、煩悩止滅という難行を弟子達に示した。

>503 :樹意:2008/10/06(月) 11:29:51 ID:c8Bc8rA8
何故ならばアナタが(>>388 ) で求めたものは阿含経典、を普通に読めば
わかるものです。

私の推測は、○○屋さんが求めた疑問は瞑想による解脱のメカニズム”論”では
ないかと判断しました。
つまり、各煩悩を止滅させることで智慧が生じ、終には解脱へ至る科学的根拠。
そこで私はザBBで、○○屋さんへ
「飛行機を利用するに際して、エンジン構造学やベルヌーイの流体力学だ否、
力の反作用だと、考えて乗るわけではないでしょう。」
と暗示しました。
樹意さんはその理論より、八正道の実践こそが解脱への”メカニズム”と指摘された。
いわゆる八正道そのものが、解脱という目的のメカニズムそのものと、いう見解ですね。


506 :ラシン:2008/10/06(月) 13:35:08 ID:NhnJ2AP+

追記
余計なことかもしれませんが、メカニズムを”仕組み”と考えれば、
樹意さんのご指摘が理解できます。

507 :○○屋:2008/10/06(月) 21:08:26 ID:Mf0lYQY/
ラシンさん

>「飛行機を利用するに際して、エンジン構造学やベルヌーイの流体力学だ否、
>力の反作用だと、考えて乗るわけではないでしょう。」
>と暗示しました。

阿含宗は「ここにある飛行機(成仏法)に乗りなさい」といい、批判派は
「その飛行機は飛びませんよ」という。すると私は、阿含宗の飛行機が
なぜ飛ばないのか検証しなくてはならないわけです。
そのために飛行のメカニズムを解明する必要があると思うのです。

ラシンさんの言うこともわかります。三明を獲得しなくてもニルバーナに到達するのかもしれない。

しかし、釈尊の修行経過がアーガマにはっきりと残っているので、他の弟子の修行経過よりは
検証しやすいと思います。





508 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 21:13:02 ID:FSaW0hXz
願望のリストつくりの修行課題は、四念処観ですね。

独鈷の加持が成仏法とひらめくことが大事です。


509 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 21:16:26 ID:FSaW0hXz
独鈷の先に、ピラミッドが付いてるのが重要なのです。

独鈷の加持と求聞持法と止息法が同じと気づくことが重要です。


510 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 21:17:20 ID:OSrXbH8p
>>497 :○○屋:2008/10/06(月) 08:17:33 ID:zFUmj3Ib
>あなたの様な感情を私も持っています。そんなに批判するなら、どなたかが阿含経を読んで、
>正しく解釈し、この様にシュダオンになったんだから、阿含宗はいんちきだ、という人なら言うこと信用します。

阿含宗の会員であっても会員でなくてもシュダオンになれないのなら、
会員でないほうがいいよね。

511 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/10/06(月) 21:30:51 ID:0xWu/cdb
>>508-509
それ、道場で言ってみ?

512 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/10/06(月) 21:34:40 ID:0xWu/cdb
あ、でもk地区の松○みたいに、
「(神仏両界曼陀羅のスサノオが)浣腸芸かの霊界でのお姿だと思います」と、
人前で堂々と言って感心される事もあったしな。

>>508-509
君が道場内でたいした地位がないなら、それ、道場で言ってみ?

513 :○○屋:2008/10/06(月) 21:49:09 ID:Mf0lYQY/
>阿含宗の会員であっても会員でなくてもシュダオンになれないのなら、
>会員でないほうがいいよね。

阿含宗の会員であっても会員でなくてもシュダオンになれるなら、
会員でないほうがいいよね。


514 :○○屋:2008/10/06(月) 21:55:35 ID:Mf0lYQY/
樹意さんは表現がとても判りづらいと思います。

人に自分の意見を知って欲しいならば、もっとわかりやすい文章を
書くように工夫したほうが言いと思います。

ラシンさんはとてもわかりやすい文章を書くので参考にされると宜しいと思います。

ユビキタスさんの文章もわかりやすいが、時どき回りくどい表現を使います。

青柿さんの文章はわかりやすい。わかりやすい人の文章は吟味して読みます。
だから理解されやすい。名無しはわかりやすいが大量のカキコなので読むのが
面倒でスルーされてしてしまうことが多いと思います。

515 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 22:01:22 ID:OSrXbH8p
>>513
どちらにしても会員でないほうがいいよね。
ということですか?

516 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/06(月) 22:10:50 ID:JGR+7+WW
>>493:一修行者 :2008/10/06(月) 01:52:41 ID:fySYa4VM >>446
>千座行が発動をおさえるという意味は因縁が切れなくても表面にでなくするという意味ですが、
>これは当時私が先達から聞いたことなので阿含宗の教義にはなかったかもしれません。

私の最初の入行は昭和49年で、まだアゴン宗と名乗る以前の桐山密教の観音慈恵会
時代です。この前年に「密教・超能力のカリキュラム」(絶版)が出てますが、
この本には因縁の洗い出しが詳しく書かれています。
千座行を行じていると因縁が切れていく過程において反動のような現象がある。
因縁が一時仮の形で表出したかに見える。
この時に心の因縁が出る。
私はこれを信じていたから、自己破壊も因縁の表出ではないかと思った。
だから再入行を志した時、思ったものです。
今度こそはあそこを乗り越えてみせる!と。
私に自己破壊の傾向があったのはもともとなのかもしれません。
それは否定しません。今では因縁なんて思いませんけどw
しかしこの自分の弱さを制止する歯止めにならなかった。
私は今までこの話を出すにあたってアゴン宗のせいだとか、誰かが悪いなんて
ことは書いてません。
全て自己責任、自分の甘さだと思ってます。
それを他人のせいにする気はない。
ただ「私の場合においては」アゴン宗の因縁教理を、マイナスに働かせてしまった
のではないかと自己分析している。
弱い自分をますます弱く助長させてしまったのではないかと思う。
もちろん「私の場合において」であって、皆に適用されるとは思いませんよ。
ただ私のような特殊例を離れて、一般論的に言うと、アゴン宗の信仰とは
その人の心の弱さにつけ入り、そこの部分を悪く増大させる傾向があるのではないか?

517 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/06(月) 22:43:16 ID:JGR+7+WW
>>493:一修行者 :2008/10/06(月) 01:52:41 ID:fySYa4VM
>むしろ「桐山因縁は正しいことを証明したい願望です。」と逆になります。

自己破壊の願望というのは、桐山さんも著書で誰かの学説を紹介してますね。
だからあなたにも自己破壊が働いているのではないかと思う。
あなたはそれを因縁と呼びたいのかもしれないが。
しかしこの自己破壊の願望にうまいこと(?)桐山因縁教学がそれを助長して
いないか?
わかっちゃいるけど、やめられない。
自分の中のアカの他人。
知性と行動は無関係。
こうやって、自分で自分を制御するなんてことは不可能で不可抗力だなんて
言い訳がいっぱい並ぶ。
だからやはり私と同じく心に弱い、甘いところのあるあなたはそれを簡単に
受け入れてしまう。
制御すらしようとせず、自分の悪因縁が発動して悪果を得る瞬間をもう一人の
自分が見ているなんて世界をあなたは描き出す。
マイナスに働くばかりでなんにもならない。
自ら自己破壊を作り出している。
アゴン宗もまたその一因となっている。
ま、そんな考えもある、ということです。
因縁だの運命だのと自分で枠にはめてばかりいないで、こんな角度からも
考えてはどうか?

518 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/06(月) 23:07:38 ID:JGR+7+WW
>>493:一修行者 :2008/10/06(月) 01:52:41 ID:fySYa4VM
>ユビキタスさんの奇跡体験を認める発言は、私の阿含宗の100%否定内容に、やはり入りません。
>この奇跡体験は阿含宗の法のおかげで、体験した可能性を認めてないからです。
>阿含宗の解脱供養のおかげで、何か問題が解決したことを数%信じることができるか。
>阿含宗の修行法で煩悩解脱ができることを数%信じることができるのか、
>阿含宗の修行法で運命解脱ができることを数%信じることができるのか。
>それが無理なら100%と言っているわけです。

あなたが書いていることは「全か無か」「オール・オア・ナッシング」に過ぎません。
こちらはアゴン宗の解脱供養などにより病気が治ったりする奇跡をも認めている。
原理の部分はわからないとしている。
単なるプラシーボ現象なのかもしれない。
しかし祈りの力だ時として人にプラスに作用する不思議な力という考えもある。
あなたはこれで100%不満か?
アゴンの法でなければならないのだ。それを認めてくれなきゃいやいや〜。
しかしあなたに桐山さんのいう法の原理ってわかるのですか?
単にオシャカの霊が石ころにひゅ〜どろどろと現れて、さあ、おまえに力をやるぞ
なんて世界だと思っているのか?
だったらどうしてチャクラなんて求めるのか?
どうして深層意識がどうのこうの言うのか?
桐山さんも法を動かす原理は深い「心の使い方」だと言っている。
唯識論なんかも研究したことになっている。
人が祈る時にその人に及ぼす不思議な作用というのは、あながち桐山さんの
説きたい神秘世界と無関係とも言えない。
ほら、私は桐山さんのいう法の力にほんの数%肯定しているかもしれないでは
ありませんか?

519 :樹意:2008/10/06(月) 23:15:20 ID:c8Bc8rA8

八正道の完全に近い解説をしている セヤドーのHPが何処かへ
消えてしまいましたので、紹介できなくてヒジョウに残念です。
それこそ涅槃が手にとどきそうなぐらい詳しい説明がなされています。
------------------------------------------------------------
仏陀という方は本当に細かい観察をされている、w( ̄o ̄)w オオー!

八正道の初めにある(正見)はこれ煩悩の(邪見)とつき合わす必要があります。
というかこれ私の感想では先に引用した通り、正見には仏陀が示した智慧が
包含されています。
何を意味するかというと見というのは 登山に必要な地図のようなもので
その地図を元に、どういう風に山登りをするのか指示している。
(山頂)(完全智)から見た登山道を示す地図が(正見)なのです。

ゲイカはその地図を示すと自分のビジネスに差し障りがありますから、当然
紹介もしなければ示すこともなく、登山の8合目ぐらいにある禅那や瞑想の
名前だけ示して教えたふりをするだけ。
これを示さず反対のことをしているのですから、信者さん達と批判する側が
かみ合わないのはこれ必然のことでありましょう。

これはセヤドーの解説を読み比べるとその説明解説の中身というか濃さは
比べ物にならない。 (これは誰が読んでもそう思うのではと思います。)

地図を見て 戒(登山装備)を得てそれを足場に正定(禅那の登山をし)
智慧獲得(登頂)という流れになる。
初めに得なければいけないのは仏陀が示した(正見)と(邪見煩悩)を知識として
踏まえることです、それなくして戒も定もないのです。


520 :樹意:2008/10/06(月) 23:16:52 ID:c8Bc8rA8
解説の一部抜粋 (セヤドーHP) 参考文献

観禅修行者が観照すべき諸法
「比丘たちよ!一切を知り、理解することのない者、(真理を)明らかに知り終える
ことがない者、欲を離れない者、欲を捨て去ることをしない者は苦の尽きることがない。
比丘たちよ!ここにおいて一切を知り理解する者、明らかに知り終えた者、欲を離れた者、
欲を捨て去った者は善く苦の尽きることを得る。」(六処相応・一切品・曉了経第一)
(注39)。
この経の注釈書では更にその内容を注釈して、「三遍知」について「知り、理解するとは、
知遍知(naata parinnyaa)を指す。明らかに知るとは、遍知の省察
(tiirana parinnyaaまたは度遍知とも)を指す。欲を離れる及び捨て去るとは
断遍知(pahaana parinnyaa)を指す」と述べている。
ゆえに、上に述べた三遍知をもって、五取薀の一切の名色法を徹底的に理解するときのみ、
名色法に対する愛着を断ち、取り除くことができ、それができたとき、我々は初めて
苦を滅することができる。<清浄道論>の<大義疏>の中でも、「先に、徹底的に、
毛筋ほども遺漏することなく、観禅(ウィパサナ)の対象である五取薀の判別をする
必要がある」と述べている。



521 :樹意:2008/10/06(月) 23:18:15 ID:c8Bc8rA8

色法の三種の密集
もし、究極の色を見たいと欲するなら、修行者は三種類の密集(ruupa ghana。または色厚)
を看破し、見極めなければならない。<大義疏>では、色法には三種の密集があると説明している。
<大義疏>は「密集を識別するとは、分離することを言う。すなわち密集の「相続」
「結合」「作用」を見分けるということである」と述べている。
一、「相続密集」(santati ghana):業生であろうと心生であろうと、時節または
食生であろうと、全ての色聚のなかには必ず火界(tejo dhaaatu)が存在しているが、
火界の又の名を時節(utu)という。この火界または時節は、新しい時節生食素八法聚を
生産するかまたは増加させることができる。色聚の中に含まれるのは、地、水、火、風、
色彩、香、味及び食素である。

密集を見破り、生起、消滅を観察する、名法 色法のみというところまでいく、
片山一良氏の阿含経解説にもありますが、修道者は親だとか子だとか人だとか (誰)という
見方をしません、色処縁 業処 なるところまで観察をするようです。



522 :済世活佛:2008/10/06(月) 23:18:23 ID:rl6e7Lhk
ユビキタスの破壊衝動は、阿含宗のせいではありません。
たんなる自業自得です。




523 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/06(月) 23:26:31 ID:JGR+7+WW
>>493:一修行者 :2008/10/06(月) 01:52:41 ID:fySYa4VM
>阿含宗の解脱供養のおかげで、何か問題が解決したことを数%信じることができるか。
>阿含宗の修行法で煩悩解脱ができることを数%信じることができるのか、
>阿含宗の修行法で運命解脱ができることを数%信じることができるのか。
>それが無理なら100%と言っているわけです。

あっそ?ほな、さいなら
というのが、あなたの上記のワガママ発言に対して発するレスです。
こちらがほんの数%でも認めてあげているのに、そちらこそ100%信じて
くれなきゃ認めてやんないかんね!と言っているようなものです。
いいでしょう。認めてくんなくてもいいよ。
あなたはね。
そういうあなたは自分を何様だと思ってるのか?
あなたの意見が全てに通用するわけではない。
ましてや100%否定と決めつけてた人はご遠慮願いたいと書いたのは
大日如来さんであってあなたではない。
そして大日さんはあなたとも考えが違う。
私はスレ主でもないあなたのご機嫌などこれっぽっちもとる必要はない。
どうぞ嫌って下さい。

524 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 23:27:20 ID:oPrCkXX3
>>501 :○○屋:2008/10/06(月) 10:12:50 ID:zFUmj3Ib
>自分で人為的に苦を作り出し、観察するのは業の報いを受けずにできる事で、その為には苦行が一番持ってこいだと思います。

あなたがしていることは苦行でもなんでもなく、桐山さんと同じ「逃げ」です。
桐山さんは偽ビール造りという自分の犯罪行為の現実から目をそらすために、
因縁解脱という修行をするとして、滝行などをしていたようだ。
だが、彼に必要だったのは滝行という苦行や荒行ではない。
自分が何をしたか、あるがままに見て、それを認めることです。
だが、桐山さんにはそんな勇気も知性もなかった。
だから、一生自分の為したことから逃げ続け、嘘をつき、さらに人を騙し、
焚き火イベントを行い、名誉を買いあさってごまかし続けた。
○○屋さんは今同じ方向に進んでいることに気が付いているか。
私から反論され、何も言えなくなると、

>>497 :○○屋:2008/10/06(月) 08:17:33 ID:zFUmj3Ib
>名無しは大量カキコをするので読むのがメンドク、樹意さんから指摘されたように、スルーしていたのは事実です。

と、因縁を付けて現実から目をそらした。
そして、苦行でございますと、さもご立派な修行しているかのように錯覚している。
私の文章が長いというなら、あなたはどうやって新聞を読んでいるのだ?
桐山本をどうやって読んでいるのだ?
勤務先では十行以上の文章は読まないのですか。

525 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 23:31:12 ID:oPrCkXX3
>>501 :○○屋:2008/10/06(月) 10:12:50 ID:zFUmj3Ib
>自分で人為的に苦を作り出し、観察するのは業の報いを受けずにできる事で、その為には苦行が一番持ってこいだと思います。

面倒臭いのではなく、読めば痛いから、面倒だとか、長いという
因縁をつけて読まないのです。
逃げて目をそらそうとする部分を私からわざわざ指摘されるから、いやなんでしょう?
いろいろな面から批判され、自分では結構すごいと自慢していた理屈を
全部突き崩れされ、逃げ場がなくなる。
それがあなたにとって腹立たしい。
あなただけでなく、大日さんが怒ったのも、一修行者さんが
無視しているのも、全部そうです。
あなた方は行歴が長く、大日さんなど信者をお世話する立場にあり、
一修行者さんも似たようなものでしょう。
みんなアゴン宗の中ではそれなりにお偉いさんとして
信者から普段は尊敬を受けているのでしょう。
だから、自分は理論派であり、盲信しているのではなく、
アゴン宗の矛盾にも気が付いた上で信仰をしていると思っている。
ところが、ここに来てその御高説を唱えると、徹底的に反論され、
無知と無恥と慢心にすぎないと批判される。
大日さんは変わり身が早く、砲撃されて沈みかけた舟はさっさと乗り捨てて、
新しい舟を作り乗り換えてしまう。
一修行者さんは頑迷に一つの舟にしがみつき、
私の批判を無視することで体裁を保ち、自分の信仰を正当化する。
干柿さんは、桐山ゲイカの霊能力という腐った板きれに未だにしがみついている。
それぞれに逃げ方に性格が表れていて、興味深い。

526 :神も仏も名無しさん:2008/10/06(月) 23:37:23 ID:oPrCkXX3
>>501 :○○屋:2008/10/06(月) 10:12:50 ID:zFUmj3Ib
>自分で人為的に苦を作り出し、観察するのは業の報いを受けずにできる事で、その為には苦行が一番持ってこいだと思います。

あるがままの自分を見るなんて誰もしたくない。
その一番したくないことをするのが釈尊の説いた修行であり苦行です。
あなたも桐山さんもそれをしたくない。
宗教詐欺師に騙されたなんて、みっともないから、誰だって認めたくない。
私もそれを認めるのに時間がかかったからよくわかる。
周囲からは新興宗教に狂っているとみなされても、
いや、桐山ゲイカだけは違うと信じていたのに、
実はソノマンマで、宗教詐欺師に騙されていた愚か者だった。
自分が詐欺師に騙された愚か者と認めたとたん、あなたは後生大事に
抱えていた自分の宗教のすべてを失うから、回避するために
必死に、苦行だの業だのと、もっともらしい話を持っていく。
それをまた徹底して指摘する私の文章を読めば動揺するから、
長いという因縁を付けて読まないことにした。
そして、「面倒でスルーされてしてしまうことが多い」(>>514)と
キツネはブドウを酸っぱいと思う仲間を頭の中で増やして安心した。
散漫な自分の文章を棚に上げて、ユビキタスさんや樹意さんの文章にも因縁をつけた。
そして「おれ様は苦行の最中さ」と、ご立派な自分を誉めている。
あなたのいる所も私の言う「第三の道」であり、迷い込んだ森にすぎない。
その森に迷い込んで、あなたみたいに天狗になっている連中を何人も知っている。
自分と対峙しないとどうなるかということを桐山さんが反面教師の
模範を示している時に、あなたは逆にそれを見習って自分から逃げて、
たいそうご立派な苦行ゴッコをしている。
桐山さんが半世紀に渡り、自分から逃れ、焚き火の苦行ゴッコをしているのと同じです。
そっくり真似ているのだから、立派な弟子だと誉めるべきなのかもしれない。

527 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/06(月) 23:41:49 ID:JGR+7+WW
>>495:一修行者 :2008/10/06(月) 01:58:14 ID:fySYa4VM
>そうではありません。書き方が吐露的表現になっていて、>マイナスに引っ張られる、

そうとばかりも言えず、なかなか理性的に分析を進めてますよ。
理性がマイナスに引き込む?

>そして会員なら書き込む内容に限度を持つべきだと言っているのです。

それを言うならば、あなただって結構な桐山批判を書いてますよ。
その線引きって、なんですか?あなたの決めることか?

>だからそれは書かなくても自分の心の中で出来ることでしょう。

書いて文章にすることに意義があるのです。
自分の頭の中にモヤモヤあるだけではダメだ。
これは桐山さんも推奨してるでしょう?
悩みがある時は手紙を書くなどして文章化する。それはなかなか頭を使う
骨の折れる理性的な作業で、これをするだけで自分で悩みの解決法を見つける
ことすらある。
絶対に誰にも読ませない世界ではダメです。
課題がはっきりとする。

>千座行で本来押さえられるべき因縁が表面に出てきてしまった。

そう、先に書いたように当時私もそう考えた。

>これは私も経験した、まれにあるパターンでしょう。行をしなければ出てこなかったと考えます。
>ユビキタスさんの自己破壊の因縁です。

じゃあ、金輪際、行をしなければおかしな形で出て来ないことになるわけだw
だからアゴン宗の行なんてやらん方がマシだ。

528 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/07(火) 00:22:07 ID:rR8b7BGM
>>501
はっきり言って、アホの論だな。
コピペせんが。

529 :樹意:2008/10/07(火) 00:40:06 ID:y7xf4udk

確か 邱永漢氏だったかが作った格言に

貯金十両、商い百両、見切り千両、無欲万両というのがある。

きちんと学ぶべきものは学んで見切りをつけることも大事なの
ではないでしょうか、
無欲万両というのは 仏陀の教法 涅槃のことに通じるものが
あります。


530 :神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 00:43:00 ID:tXqKZlac
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


531 :一修行者:2008/10/07(火) 01:24:27 ID:CVCrCE88
>>517
ユビキタスさん。
>ま、そんな考えもある、ということです。
>因縁だの運命だのと自分で枠にはめてばかりいないで、こんな角度か
>らも考えてはどうか?
こんな角度というか、そういう考えが修行の前提としてあるべきだと思いますね。
修行者でも「因縁だからしょうがない」などという人は、制御しようとしない例でしょうね。
ただ私はアカの他人だって、自分だと認めているわけですから、その自分を制御しようと努力しているわけです。
「法の力で」なんていってしまうから他力本願的要素が強くなりますが、功過格のようにあくまで、法の力は一部のようです。

>>518>>527
この説明でユビキタスさんが100%否定でないことは、理解できました。
「それが無理なら100%と言っているわけです。」との表現は誤解されました。
正しくは、
「それが無理なら100%否定と私は受け取ります、と言っているわけです。」
ですから、数%認められた段階で「わかりました。」になります。

>その線引きって、なんですか?あなたの決めることか?
だからその線引きを、ユビキタスさんがよく言うように「自分に問うて欲しい」と書いているわけです。

>書いて文章にすることに意義があるのです。
書いてもいいが、こういう他人が見る掲示板にかくのはどうか、という意味です。

>絶対に誰にも読ませない世界ではダメです。
だったらここでなくてもできますよね。

>行をしなければおかしな形で出て来ないことになるわけだw
>だからアゴン宗の行なんてやらん方がマシだ。
時期の問題で出るかもしれません。それはわかりません。

532 :神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 01:36:36 ID:Y2Dru2BH
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

533 :○○屋:2008/10/07(火) 08:03:49 ID:hW0lFWf5
どこに書いたか忘れちまったが・・・


やっても、やらなくても、結果がいっしょなら、やらないほうが良い、ということを言いたかった・・・

534 :神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 08:17:37 ID:xLEik+4x
煩悩爺ユビキタス


535 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/07(火) 08:32:37 ID:rR8b7BGM
>>531
書くのならば、誰か他人の読んでくれるところでないと価値はないでしょう。
「心のしおり」という桐山さんの名言集(笑)が出た時、自分だったらこれとこれを
集めて自分の体系をまとめるなんて思っていたが、結局やらなかったが、そんな
自己満足のものではダメだ。
やはり誰か読ませる相手に読ませて、自分の考えをわかってもらえるように
努力する場でなければならない。
それに単なるお悩み相談コーナーではないのだから、一般の心理カウンセラー
に打ち明けても仕方がない。大日さんはアゴン宗の理を検証したいのです。
関係事情を知った人でなければならない。
そしてそれはアゴン宗の法座会のような機会ではダメです。
否定的な発言は一切許されず、皆無理して心にもないお世辞で場をごまかし自分をごまかしている。
こういう場で自分の本当の疑問点を投げかけるのは危険です。
アゴン宗の道場でないところでも面の割れるところは危険なのです。
となると、このような匿名の掲示板が一番安全なのです。
また大日さんは決して信者同士の馴れ合いの世界だけを潔しとしておらず
耳には痛くても情報入手を求めている。
それをそのまま受け入れずに自分の中で咀嚼したいのです。
ならばロムでもいいではないか?という考えもあろうが、しかし大日さんは
ここで議論をする経験を通じて、かなり厳しいことも言われて
いるにも拘わらず、批判側もまんざら悪い人たちでないことが理解できたようだ。
これは私もそうだったが、やはり自分がその場に参加してみないと実感できない
部分がある。
最初批判の本スレに大日さんが登場した時には、最近盛り上がってないから
話題を提供してあげようかなどとひどい態度だったが、書き込むにつれて改められた。
時々癇癪も出ることは致し方ないことで寛大に見ているが。

536 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/07(火) 08:46:10 ID:rR8b7BGM
>>531
それに掲示板は自分ひとりで書きっぱなしでなく、多くの不特定の人から
レスをもらえるのが嬉しい。
雑音も多い中、真摯に相手にしてくれる人もいて選び取れるし、無視もできる。
逃げることさえ可能です。
レスに対してレスも書くことができ、対話、議論が成立する。
「心のしおり」なんて自己満足のものとは全然違う。
匿名の安全な掲示板だからこそできる。
気楽にリアルタイムに。

それから私の自己破壊の傾向ですが、それはアゴン宗の行なんてしなくても
今後いくらでも顔を出す危険性なんて普通にあると思う。
しかし常にその時その時の自分との対話ですね。
アゴン宗に頼らなければ何もできないなんてことはない。
寧ろこれを私の中から斥けた。
自分を成長させる邪魔になると。

537 :○○屋:2008/10/07(火) 09:49:35 ID:hW0lFWf5
名無しはなんだか興奮して、わたしのレスをよく読んでいないようだが、大量のカキコの最初のレスだけ読んだので反レスするが、わたしは苦行しているなんて事は一言も書いていません。

釈迦が非想非や無処有処の瞑想しても解脱出来ずに次なる段階で苦行し、それでも解脱出来ず、新たなる瞑想の時が来た、と瞑想したら解脱した、その修行過程をつまびらかにすることは、阿含宗の修行と比較しても価値あることだと考えている。

その経過を辿ることでしか解脱を得ないならば、いつかは自身でやらなければなりないという判断が出てくるかもしれない。今はその様に考えている。

538 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/10/07(火) 12:01:26 ID:rR8b7BGM
>>537
態度悪いですね。
とても何らか道を求める人のそれではなく、単なるゴロツキです。
スレに参加して質問をしたりするならば、それほど遡って過去ログを検証する
必要もないが、最低限現在進行形の議論内容、各自の書き込みに全て目を通すのが
マナーというものです。
それができないならば、茶々を入れたりするほかは書き込まない方がよい。
ましてやあなたは必要あらば将来的に苦行なるものも辞さない覚悟なんだそうだ。
「わかりやすい」と評価している七氏さんの文章を単に長いという理由で読まない
あなたに何の苦行ができようか?
所詮あなたには何もできないのですよ。
そんな態度では。

539 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/07(火) 12:02:08 ID:fdnANylS
もう「容量END」が近いですね。3を立てようとしましたがやはり前回同様で私が立てることができません。
なので、どなたか3を立ててくださると助かります。

また、3とは別に2ch風板を立てました。こちらでは鯖ビジーになると壺ターボが必要だったり、
また意見交換中に関係ない書き込み(ノイズ)が入るのでそれを避けるためもあり、立てました。
こちらも大分意見交換はできていますが、もっと環境の優れたのをお求めの方はいらしてみてください。

では、3に続くか別スレで展開するかは仏様(笑)にお任せして、連絡まで。

540 :大日如来 ◆eu6hMsrO3Q :2008/10/07(火) 12:04:28 ID:fdnANylS
いかん、アド忘れてた・・・orz

http://www2.atchs.jp/agama/ です。ドゾヨロシク。

541 :神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 12:34:52 ID:qOcl/cr0
>>493 :一修行者:2008/10/06(月) 01:52:41 ID:fySYa4VM
>道徳軽視はしてません。実際、今の私の主な修行内容は、功過格の実践です。

道徳軽視の批判は、あなたが何を実践しているかではなく、
煩悩解脱を倫理道徳にすぎないと侮蔑していると批判しているのです。
桐山さんから煩悩を切ることを倫理道徳程度だと教え込まされ、
それをあなたも大日さんも鵜呑みにしていた。
あなた方だけではなく、たいていの信者はそうです。
「世間の仏教団体は煩悩を切るなんて倫理道徳みたいなことをしているだけだ。
それに対して、アゴン宗は法があり、法でカルマを断ち切る」などと
いう侮蔑心と慢心をペアで持っているから、煩悩解脱を軽くみている。
桐山さんから煩悩解脱は小解脱なんだと今でも教えられているのだから、当然です。
たいていの信者はそう教育されて信じているから、阿含経には煩悩解脱しか
ないことを示されて、驚きあわてる。
ここでまず信者はいくつかのタイプに分かれる。
一つは、ゲイカは解脱され、体得された上で主張しているのだから絶対に正しく、
因縁解脱こそが釈尊が説いた本物の解脱だとしがみつき、批判側など素人の
主張は聞くに値しないと唾棄する愚か者です。
彼らの多くは現実から目をそむけ、ここを読もうとすらしない。
タイプ2の信者は、アゴン宗も煩悩解脱も説いているのだから、
因縁解脱と矛盾しないと屁理屈を並べる者です。
タイプ3の信者は、因縁解脱を内心は信じて求めているが、
表向き仏教にはないことを認め、なおかつアゴン宗に残ってもいい別な理由を
あれこれ考える信者です。
あなたはタイプ2で、大日さんと○○屋さん、干柿さんはタイプ3です。
○○屋さんや干柿さんは「迷いの森」に入って出られなくなった人であり、
大日さんはその「迷いの森」を果敢に開拓して新天地にしようと努力している。
誰一人成功したことがないが、自分だけは開拓できると信じているようです。

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